過去の受賞者(第6回から第10回)

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※肩書き・功績などは、いずれも受賞年当時

第6回(1998年) 根岸幸子氏

(古典講読・朗読講師)
日本点字図書館を基盤として、1959年より継続して文芸書や各種テープ雑誌の朗読ボランティア活動を続けてきた。特に、日本点字図書館制作の月刊テープ雑誌「つのぶえ」誌上において、1972年5月号から「音の絵はがき」のコーナーを担当。ほとんど自費で沖縄を除く46都道府県の史跡を訪ね、碑文を読み上げるとともに、歴史にまつわる実話を紹介しながら解説している。このシリーズは1972年5月号に始まり、1998年10月号で288回を数える長寿番組で、深い学識に裏打ちされた、切れのよい語り口を楽しみにしている視覚障害者のファンは多い。このように、単なる朗読ボランティアではなく、長年にわたり常に単独で企画から取材、編集まで精力的に行い、視覚障害者の文化向上に寄与した功績は大きい。

第7回(1999年) 遠藤貞男氏

(元日本銀行職員)
1976年の秋の公演を第1回とし、以後継続して約80回もの観劇会を提供してきた。毎回、座席の確保、点字・墨字併せての案内状送付、電話での観劇日の確認、当日の受付・案内、また上演後は視覚障害者を舞台に上がらせ、大道具・小道具を直接触らせる。時には主演俳優に引き合わせるサービスに及ぶ。以上のような活動により、演劇観賞を楽しむことができた視覚障害者(同伴者を含む)は、延べ1万8,000余名に及んでいる。高度な演劇を観賞することにより、視覚障害者に精神の知的・情操的豊かさを増すことに貢献している。また演劇関係者に対し、視覚障害者が健常者と同じように(あるいはそれ以上に)豊かで鋭い観賞力を持っていることを強く認識させ、それを通して一般社会の視覚障害者への理解を深めることに大きく貢献している。

第8回(2000年) 斯波千秋氏

(盲人福祉研究会代表)
静岡県浜松市の「盲人福祉研究会」代表の斯波さんは長年にわたって盲人用具の研究、開発、製造を続け視覚障害者の自立と参加に大きく貢献してきた。さらに平成8年には、視覚障害者を中心とした小規模授産所「ウイズ」を開設、障害者の福祉的就労の場を提供し、障害者に働く喜びと意欲を燃やさせている。斯波さんは「沼津市では以前から盲学生と父母の間に、授産所を作りたいという夢があります。(受賞をバネに)実現に全力を注ぎたい」と抱負を語った。

第9回(2001年) 松本克彦氏

(元日本点字図書館用具部長)
松本さんは「山登りをしてみたい」という視覚障害者の希望と願いの声を聞き、昭和57(1982)年に日本で初めて視覚障害者と共に山行を楽しむ会「六つ星山の会」を結成。当初二人でスタートした同会は、今や会員300人を越えるまでになっている。20年にわたる山行に参加した視覚障害者は延べ約2900人、これを同約5800人の健常者がサポートし、実に350コースに及ぶ山行を実現させた。しかも無事故という偉業である。受賞について松本さんは、「六つ星山の会は時代の要請だったと思います。私一人が実現して貢献があったわけではなく、必要だったから生まれ、たくさんの方々の協力、理解、支援があったからこそやってこられました。視覚障害者自身の頑張りがあったからこそでもあります。今後も身を引き締め、和を大切にして山行を愛し楽しみたいと思います」とその喜びと抱負を語った。

第10回(2002年) 塩屋賢一氏

(財団法人アイメイト協会理事長)
塩屋さんは、日本で初めて盲導犬育成に成功、8月末までに884頭を送り出し、「盲導犬の父」とされている。塩屋さんは昭和23年に会社が倒産したため、犬の訓練士に。同31年、後に滋賀県立盲学校教師となる河合洌(かわい・きよし)さんからシェパードを託され、自宅近くの路上を目隠しをして、一緒に歩いて訓練。1年後に国産盲導犬第1号の「チャンピイ」を誕生させた。以来、盲導犬育成に専念し、昭和46年に東京盲導犬協会(のちにアイメイト協会と改称)を設立、884頭もの盲導犬を育てた。この事業継続が14年10月施行の身体障害者補助犬法に結びついた。塩屋さんは受賞に対し、「これまでの活動が認められて、うれしい。これからも、障害者の自立を助けていきたい」と語った。

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