過去の受賞者(第1回から第5回)

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※肩書き・功績などは、いずれも受賞年当時

第1回(1993年) 小島純郎氏

(社会福祉法人全国盲ろう者協会理事長、千葉大学文学部教授)
「盲聾者」とは「視覚障害」と「聾」のダブル・ハンディを負う障害者であり、同協会はそれらの人々の全国的支援組織である。したがって同協会の理事長である小島氏への援賞理由は、「永年にわたり、盲聾の福島智氏を援助し、彼の能力開発に尽力。さらに、盲聾者の福祉向上を目的に『社会福祉法人全国盲ろう者協会』設立に貢献した」というものであった。

第2回(1994年) 下薗彦二氏

(元私立都城聖ドミニコ学園)
1976年、学校を退職以来、点訳の最も困難とされる数学・物理・化学・英語などの大学受験参考書の点字本作成に献身し、自ら点訳・製版・印刷・製本の作業に従事、完成した点字本を全国の盲学校、点字図書館をはじめ個人の希望者に無償で提供し、盲人文化の向上発展や人材育成に多大な貢献をした。この間の点訳書は総計19タイトル、81巻、1万2,310ページに及び、作成頒布した点字図書は1万3,000冊、寄贈を受けた個人は800人に上っている。また、これに要した経費は、点字製版機、点字印刷機等の購入費を含めて、すべて同氏の私財によるものであり、経済的な寄与貢献も極めて大きなものである。

第3回(1995年) 實本博次氏

(日本盲人福祉委員会理事長)
1956年6月厚生省社会局更生課長として就任されてから、38年間にわたり社会福祉一筋の途を歩まれ、とりわけ盲人福祉の向上には比類まれな功績を残した。日本盲人福祉委員会理事長として日本国内における盲人福祉施設、盲学校、日本盲人会連合の3団体を統括代表して国際会議に出席し、広く日本の盲人福祉のあり方について多くの指導的役割を果たした。

第4回(1996年) 河村宏氏

(東京大学総合図書館職員)
東京大学総合図書館で、全盲者の学習サポートを手がけるようになって以来、視覚障害者と図書館とのかかわりに関心を持ち、その諸問題と取り組んできた。「国際図書館連盟盲人図書館セクション」の円卓会議に参加し、国際委員に就任。その間、同セクション議長としても活躍し、日本点字図書館の協力の下、東京でアジアセミナーの開催などを通して大きな成果をあげた。その後、カセットに代わる次世代録音図書の国際標準化を実現するために、「国際図書館連盟」および「世界盲人連合」が参加するデジタル録音図書の開発と評価に専念する。また、障害者に共通する著作権問題を解決するために「全日本ろうあ連盟」の顧問も務めている。

第5回(1997年) ラクシュミリ・ナラヤン・プラサド博士

(ネパール王国王室侍医)
医療に恵まれない眼疾患者のために、ネパール眼科医として最初のアイキャンプ(野外開眼手術)を実践、また、地方の眼科病院の設立に奔走するなど、一貫してネパールの失明予防に尽力してきた。一方、障害者の教育とリハビリテーションの重要性を提唱し、唯一の盲人援護団体であるネパール盲人福祉協会を創設、自ら会長となり点字出版所の開設、盲教育者・歩行訓練士の養成、職業訓練、就労の促進など先駆的な活動を展開した。そして、各地に視覚障害児統合教育校を開設し盲児の就学を飛躍的に促進させた。同時に、視覚障害者のCBR(地域を基盤にしたリハビリテーション)を理論的・実践的に展開し、農村に住む多くの視覚障害者を自立に導いた。さらに、ネパール初の全国障害者調査を立案・実施、教育省特殊教育委員会や社会福祉省の創設に力を注ぐとともに、障害者の政策にも参画、障害者福祉法などの法制化にも大きな力を発揮した。

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