ロゴマーク“青い鳥”

協会概要

過去の受賞者(第26回から第30回)

(肩書き・功績などは、いずれも受賞年当時)

第26回(2018年) 盲大学生奨学金事業

(社会福祉法人聖明福祉協会)
  社会福祉法人聖明福祉協会は、昭和30年(1955)に現在の理事長である本間昭雄氏により東京都世田谷区を拠点に創設され、当初は視覚障害者の家庭を訪問し、点字を教えたり、身の上相談に応じていた。その後、老人問題が大きな社会問題となったため、盲老人のための福祉施設を作ろうと青梅市に土地を求めて山を整地して、昭和39年(1964)に軽費盲老人ホームを開設。翌年には盲養護老人ホームを開設して、定員50人から始まった聖明園は、聖明園曙荘・聖明園寿荘・聖明園富士見荘として発展し、現在は計280人が利用している。
 昭和44年(1969)、聖明福祉協会は創立15周年を迎えた。そこで自身も中途で失明し、十分に勉強ができなかった本間理事長は、自分の体験を思い起こして、記念事業として視覚障害大学生に対する奨学金事業制度の創設を決めた。そして昭和44年に第1期生を募集して以来50年間に212人に奨学金を貸与して、学習環境を改善するとともに、社会の各方面に有為の人材を輩出してきた。
 同奨学金開始当初は朝日新聞厚生文化事業団から、現在は篤志家や一般社団法人昭和会館などの団体から寄付金をいただき継続している。制度も拡充し、2、3年前から国内の4年制大学だけでなく海外の大学院へ進学する学生への援助も開始した。当初月額5,000円だった貸付金額も、いまや月額4万円に増えている。
 卒業生のなかには、大学教授や研究所員、弁護士、公務員、施設職員など、幅広い分野で活躍している人が大勢いる。

第27回(2019年) 原田良實 氏

(社会福祉法人名古屋ライトハウス理事)
 文部省図書館職員養成所(現・筑波大学図書館情報専門学群)を昭和39年(1964)に卒業し、同年4月に名古屋市職員として「鶴舞中央図書館」に配属され、司書(点字文庫の担当)として25年間勤務する。
 中途視覚障害者への点字指導を昭和45年(1970)から始めるが、セオリーどおりに点字指導を行うと、必ず落ちこぼれが出てきた。そこで自分で触読に挑戦してみると、これができない。自分ができないことを無理強いしてきたのかと、自己嫌悪に陥りながら本格的に触読の研究を始め、それまでタブー視されてきた「縦読み」でなら自分でも読むことができた。
 こうして、昭和52年(1977)頃から異端と後ろ指を指されながら「縦読み」による点字指導を開始。もちろん彼自身、後に「名古屋方式」と呼ばれるこの方法が万能だとは思わなかった。
 点字指導の「名古屋方式」が日の目を見るようになったのは、平成12年(2000)からである。この年、原田氏は日本盲人社会福祉施設協議会(日盲社協)リハビリテーション部会(現・自立支援施設部会)の部会長だったのだが、「点字指導の研修」をやって欲しいという強い要望が出て、重い腰を上げざるを得なかった。
 日盲社協での研修会の翌年から国立特別支援教育総合研究所の研究員・澤田真弓氏と点字触読指導法の研修会を開催し、縦読み、通常の点字より点間が広く点も高い「L点字」の触読指導が広く認められるようになった。
 そして、平成16年(2004)に読書工房から『中途視覚障害者への点字触読指導マニュアル』が、澤田氏との編著として上梓されてから「名古屋方式」が全国に広く普及するようになったのである。

第28回(2020年) 山口規子 氏

(関西盲人ホーム理事・施設長)
 クリスチャンである山口規子さんは、1987(昭和62)年に、全盲の玉田敬次牧師(故人)が、当時理事長を務めた関西盲人ホームに事務員兼指導員として入職した。
 同ホームは、1930(昭和5)年に盲婦人の越岡ふみ(1899〜1967)が、『点字毎日』編集長であった全盲の中村京太郎(1880〜1964)のバックアップを得て、盲婦人が相互扶助の生活を行い、外来者に対する鍼 ・あん摩 ・マッサージを施術して、自立への研鑚をはかる施設として設立された。
 山口さんが入職した当時、関西盲人ホームの昭和寮には13、14人、同甲東寮には6、7人の計19〜21人の利用者がおり、それを施設長1人と寮母2人、事務員(山口)の計4人で世話していた。しかし、現在の利用者は3人の寮生と通いの2人の計5人で、スタッフは施設長の山口さんと、週に2・3度調理を頼んでいるパートタイマー3人だけだ。
 玉田牧師の夫人である玉田恵美子さん(87)は、「山口さんとは盲晴高校生キャンプで出会って、夫婦で引っ張り込んだんです。盲人ホームは斜陽で実際にはお給料も払えなくなったし、こんなこと言っちゃ悪いんだけど、彼女はとにかく便利なんです。本来やらなくていいことでも、なんでもやってくれたんです」と証言する。
 一方、山口さんは玉田牧師を説得して1992(平成4)年11月歩行訓練士の資格を取得した。また、1998(平成10)年10月からは歩行訓練士として、ガイドヘルパー養成研修の講師も行っている。
 本業の盲人ホームでは、33年間で約90人の視覚障害者女性の自立を支援してきた。本業外の歩行訓練士としては、活動拠点の兵庫県西宮市のみならず、歩行訓練士がいない兵庫県の郡部、淡路島や日本海側の各地に及ぶまで、困っている視覚障害者に歩行訓練を実施し、単独歩行が可能となり自立したり、職場復帰できた数は西宮市で138人、兵庫県全域で約200人におよんでいる。

第29回(2021年) 川野楠己

(元NHKチーフディレクター)
 1952年4月にNHKに入局した川野楠己は、1965年に視覚障害児が、見たことのないものをいかに把握し、理解していくのか、その過程を追ってマイクを向けた30分の録音構成ドキュメンタリー番組「目から手が出る」を制作した。それは文化の日にNHKラジオ第1放送で放送され、文化庁芸術祭ラジオ部門に参加し、NHK初の奨励賞を受賞した。
 同番組を契機に、翌1966年4月から川野は、NHKラジオ第2放送で毎週1回30分番組の「盲人の時間」(現・視覚障害ナビ・ラジオ)を担当するようになった。同番組の制作過程で、瞽女唄が消えようとしている現実を知り、精力的にラジオで紹介していく。
 1973年10月7日の「盲人の時間」で、働く盲人たちのシリーズとして琵琶を奏でて仏教説話を語り家内安全を祈願して歩く大分県の琵琶盲僧・木清玄(たかぎ・せいげん)を放送した。
 川野は、1990年にNHKを定年退職した後も視覚障害者とのつながりを大切にした。NHK在職中はなしえなかった消え去る運命にあった瞽女文化の取材・記録もライフワークとして続け、毎年春と秋に必ず最後の瞽女といわれた小林ハルの元を訪ね、1996年にCD『最後の瞽女小林ハル ―― 96歳の絶唱』を自費制作した。2005年にはNHK出版から『最後の瞽女小林ハル ―― 光を求めた105歳』を、2014年には鉱脈社から『瞽女キクイとハル ―― 強く生きた盲女性たち』を上梓した。

過去の受賞者

Copyright 2004 Tokyo Helen Keller Association. All Rights Reserved.

THKA