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協会概要

過去の受賞者(第16回から第20回)

(肩書き・功績などは、いずれも受賞年当時)

第16回(2008年) 大島幸夫氏

(NPO法人東京夢舞いマラソン実行委員会理事長)
視覚障害ランナー伴走の永年にわたる実践的リーダーであり、ニューヨークに本部を置く障害者のランニング・クラブ「アキレス・トラック・クラブ」の日本支部創設者。
ボストン、ニューヨーク、ロサンゼルス、バンクーバー、ロンドン、ベルリン、パリ、ローマ、ウイーンなど世界各国のビッグマラソンを駆け巡ったランナーとして、2001年1月「世界に並ぶ巨大都市市民マラソンを日本でも市民自身の手により東京で実現しよう」と首都圏のランナーに呼び掛け、市民NPO「東京夢舞いマラソン実行委員会」を立ち上げた。
「東京夢舞いマラソン」は都心を巡る目抜き通りで、信号を守り波状スタートで歩道を走る形により最大約3000人規模で開催。2007年からの東京マラソン開催に道をつける市民主導型運営のひな形となった。

第17回(2009年) 藤野稔寛氏

(徳島県立城東高等学校教諭)
藤野稔寛氏が開発した「エーデル」により、誰でも簡単なパソコン操作で点図を容易に作成し、点字プリンタによる大量印刷を可能にした意義は極めて大きい。これにより、理数系図書の図やグラフだけでなく、絵本の点訳、一般学校に通う視覚障害児童・生徒用の点字教科書作成にも道を広げたからである。
エーデル開発への道は、同氏が1990年徳島県立盲学校に転勤したことから始まる。当時は、パソコンによる点訳がようやく広まり始めた頃で、点図は、点字出版所などが作成した一部の点訳書にあるだけで、その多くは省略されていた。しかし、藤野教諭の受け持つ数学など理数系科目には図形やグラフは欠かせず、特にテスト問題を自作する時は苦労した。そこで、点字教科書と同等の図やグラフを作るためのソフトがないのなら自分で作ろうと、点図の描画機能と点字プリンタでの印刷機能を備えたプログラムの開発に乗り出し、試行錯誤の末、1991年の末頃、およそ3カ月をかけて完成。点図の絵が出ることから「エーデル」と名付けた。今や全国の点訳ボランティアを中心に、そのシェアは100%と言っても過言でないほど「エーデル」は普及し、国内ばかりか韓国でも活躍している。

第18回(2010年) 岩橋明子氏

(社会福祉法人日本ライトハウス会長)
岩橋明子氏は、父親の突然の死で若くして後継者となった夫の日本ライトハウス理事長故岩橋英行氏を支え、その後、夫が世界盲人福祉協議会(WCWB)の副会長の要職に就くと海外出張などにも付き添い、国際会議の通訳や文献翻訳、報告書の作成なども一手に引き受けた。また、夫が43歳で失明した時も二人三脚で乗り越え、日本初の「職業・生活訓練センター」や、盲導犬育成などの新規事業を精力的に展開する夫を支え続けた。
国際舞台では、世界盲人福祉協議会と当事者団体である国際盲人連盟(IFB)が統合された世界盲人連合(WBU)の会議に、長年、日本の視覚障害者組織の代表の一員として参加し、日本と世界の架け橋となってきた。また、夫が提唱・組織し、38年間にわたりネパールにおいて失明予防や眼科医等の人材育成を継続しているアジア眼科医療協力会(AOCA)でもまとめ役として活躍している。
世界盲人福祉協議会アジア地区委員会が主催していた「岩橋武夫賞」を引継ぎ、アジア地区の視覚障害者福祉の向上にかかわる人材の顕彰などを通じて、多年にわたり、視覚障害者の医療、福祉分野における国際協力の発展にも寄与してきた。

第19回(2011年) 酒井久江氏

(全盲老連常務理事・事務局長)
酒井久江氏は、盲老人ホーム聖明園を運営する社会福祉法人聖明福祉協会で昼夜を問わず働くかたわら、就職と同時に発足した「全国盲老人福祉施設連絡協議会(全盲労連)」の事務局長を務めていた全盲の聖明園園長を支え続け、現在は自身が常務理事・事務局長としても活躍をしている。全盲労連は、発足当時、認知度の低かった「盲老人ホーム」を全国各都道府県に建設することを目標に、地道に在所者アンケートなど調査活動を繰り返し、厚生省(当時)に毎年陳情を行うなど積極的に活動。一方で、加盟団体のため、ケアの専門性を研究して施設職員の資質向上をはかるなど、年間8分野の研修会を全国レベルで開催した。当初4施設(3法人)でスタートした全盲労連は、その後全国に盲老人ホームが次々と建設され、現在は79施設(51法人)が加盟している。また、酒井氏は海外にも目を向け、米国・カナダ・英国・ドイツ・デンマークでの視察の成果を国内に紹介するとともに、オーストラリアのメルボルンにある盲老人福祉協会と姉妹提携のため現地に渡るなど、国際交流にも尽力した。

第20回(2012年) 伏島洲一郎氏

(朗読の会・小笹会代表)
 昭和51年(1976)、たまたま見たテレビに、盲目の三療師が治療を施しながら、テープレコーダーで朗読テープを聴いている姿が映った。こんな世界もあったのかと彼の目は釘付けになった。大学時代に演劇をやっていたので、朗読のアクセントには自身があった。こうして、彼は商社に勤務しながら土地のボランティアに混じって朗読ボランティアを開始した。
 昭和53年、7人の視覚障害者に1週間分の新聞を、土曜日に朗読して、日曜日にダビングした手作りによるカセットテープによる週刊新聞である『週刊ニュース』を作成して送り始めた。その後も、数冊の月刊誌から記事を集めた『月刊ニュース』などもいくつか新規に作った。
 伏島さんの功績として視覚障害者から特に評価が高いのは、月刊誌『選択』の音声版の許可を出版元から得て、昭和57年(1982)11月から長年、私財を投じてカセットテープ版やDAISY規格のCD版を30年になんなんとする期間製作し続けてきたことである。国際、政治、経済、社会・文化の4パートと連載随筆などで構成される会員制の月刊総合雑誌『選択』の音声版は、難解なところには注釈を入れ、内容を良く咀嚼して朗読した。このため「わかりやすい」と愛読者から熱烈に歓迎された。

過去の受賞者

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