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協会概要

過去の受賞者(第21回から第25回)

(肩書き・功績などは、いずれも受賞年当時)

第21回(2013年) 當山 啓 氏

(日本点字委員会事務局長)
 「豊橋ともしび会」は、昭和36年以来点字カレンダーを作成して、今も全国に無償配布しているが、高校生の當山氏は草創期の同会ボランティアとして点字印刷を手伝い、同会にあった『点訳のしおり』を読んで、点字が読めるようになる。
 玉川大学文学部教育学科に進学すると、せっかく読めるようになったのだから書けるようにもなりたいと、日本点字図書館(日点)の点訳通信講座を受講。大学3年になると、点訳奉仕者として点字書を納めるようになり、それが縁で日点に就職する。
 日点では当初は庶務係であったが、その後は一貫して点訳や点字指導を担当し、そのかたわら日点委の事務局員も務め、平成2年からは運営実務を担当して点字表記体系の整備に尽力。平成14年からは、名実共に事務局長を務めている。
 阿佐博日点委元会長は、「當山さんは点字製版士として、日本で五指に入る人です。地元での点訳ボランティアの養成も昔から熱心にやっていましたね」とその点訳能力の高さと指導の熱心さを賞賛する。

第22回(2014年) 渡辺文治 氏

(視覚障害情報機器アクセスサポート協会<アイダス協会>理事)
 アイダス協会やロービジョンセミナーで活躍する渡辺さんの活動の原点は、昭和48年(1973年)に初めて日本にオプタコンが導入されたことだった。日本盲人職能開発センターを中心に、米国から発明者を招聘して国際セミナーや、1週間のオプタコン指導者(オプタコンティーチャ)養成講習会が開催された。草創期の受講生であった渡辺さんらは、早々に日本オプタコンティーチャズ協会を結成し、指導者向け講習会を10年以上にわたって行った。
 渡辺さんは大学卒業後、昭和52年(1977年)に神奈川県総合リハビリテーション事業団に就職した。配属された七沢ライトホームは、平成22年(2010年)に身体障害部門の更生ホームと統合され、「七沢更生ライトホーム」と改称。渡辺さんは視覚障害者生活支援員として、点字指導や感覚訓練をはじめ歩行訓練以外はなんでも取り組んだが、とくに視覚障害者は、物を触ることで空間認知力や想像力が育まれるので感覚訓練に力をいれた。
 視覚障害者の多様化に伴い、それを受け止めるには専門分野別に団体があるが、相互の情報交換がほとんどなされない大きな壁があった。その壁を無くし学際的な統合をはかる必要があると、日本視覚障害リハビリテーション協会、視覚障害日常生活訓練研究会、日本視覚障害歩行訓練士協会、ロービジョン研究会を統合して、平成4年(1992年)に「視覚障害リハビリテーション協会」が設立されたが、渡辺さんはその設立にも深く関与した。

第23回(2015年) 譜久島和美 氏

(日本盲人福祉委員会事務局員)
 昭和63年(1988)8月、日本盲人会連合(日盲連)に入職し事務畑を歩み、平成13年(2001)に正式に日盲委に出向。たった一人の常勤の事務局員となり、日盲委の経済的基盤である愛盲シール委員会をまかされ、寄付金を集めながら国際活動の裏方を行う。視覚障害者の国際会議やイベントを行うには、補助金申請やボランティアの手配等を日盲委が担うので、実務の多くは、譜久島さんひとりの細腕にまかされた。
 2年に1度開催される世界盲人連合アジア太平洋地域協議会(WBUAP)マッサージセミナーでは、第7回香港、第9回北京、第10回ソウル、第11回マレーシア、第12回バンコクと毎回20人近い日本代表団の付添いと事務手続きを行った。
特に、平成18年(2006)9月に茨城県つくば市国際会議場で16カ国・地域から約600人の参加者を迎えて開催された第8回マッサージセミナーでは200人余りのボランティアのシフト作成と配置指示を行った。
 平成22年(2010)10月、ホテルグリーンタワー千葉で、22カ国・地域から約250人が参加したアジア太平洋盲人福祉会議では、実行委員会の事務局員として、参加者の対応等に昼夜を問わず当たった。
 譜久島さんの自己犠牲を厭わない尽力で、この間の視覚障害者の国際連携と国際交流は大きく推進されたのであった。

第24回(2016年) 平塚千穂子 氏

(バリアフリー映画鑑賞推進団体「シティ・ライツ」代表)
 平塚さんは、早稲田松竹という名画座に勤務していた頃、チャップリンのサイレント映画「街の灯」を、視覚障害者に向けて上映するバリアフリー上映会の企画に出合った。そこで、映画にふれたいと思いながら諦めている視覚障害者の現状を垣間見た平塚さんは、映画の音声ガイドを一人で試行錯誤しながら作り始める。その後、音声ガイド研究会を立ち上げるが、これが現在のバリアフリー映画鑑賞推進団体シティ・ライツの原点である。
 その後、仲間を集めてシティ・ライツを組織し、2008年からシティ・ライツ映画祭を開催するが、上映会をやるにしても、一介のボランティアグループと映画館主ではやれることが違う。自由にいろいろチャレンジするためにも、映画館を作ることはその時からの夢となった。
 だが、常設シアター開設までには問題が多く、必要な設備を整えると最低1,000万円規模の資金が必要であった。最終的に、クラウドファンディングで募金目標額の1,500万円が集まり、2016年9月1日、ユニバーサル・シアター「シネマ・チュプキ・タバタ」が東京・田端にオープンした。「チュプキ」とはアイヌ語で自然の光の意である。「一時は募金が集まらなかったらどうしようと怖くて仕方がなかったが、本当にたくさんの方にご支援いただき、今は夢を見ているみたいです」と平塚さんは喜ぶ。そして、障害など関係なく、同じ映画を観て感想をシェアし、心の会話ができる。気を遣うこともなく、ありのままそこにいるということが自然にできて、安心して過ごせるユニバーサル・シアターにしたいと、平塚さんは決意を新たにする。

第25回(2017年) 岩野英夫 氏

(特定非営利活動法人点訳・音声訳集団一歩の会理事長)
 岩野英夫氏が、練馬区立図書館音訳講習会修了者4名と点訳・音声訳集団一歩の会を立ち上げたのは、1994年4月のことであった。
 ゼロからのスタートなので、どのような機材を揃えるかで悩み、ソニーのカセットデッキを選び、ドキュメンタリーが少ないというので、第1作目は『ホームレスになった』という都庁の職員でルポライターの作品を、地方の放送局の元アナウンサーだった会員にお願いした。
 一歩の会は現在、4つの月刊誌と1つの週刊誌という録音雑誌をはじめ、様々な音訳・点訳冊子を発行している。選考委員会では約20年間の点訳・音訳活動、なかでも『週刊東洋経済』デイジー版が、原本発行の翌週には読者の手元に届いているとして、その迅速な音訳サービスを驚きとともに高く評価していた。
 それに加えて、有償事業ではあるが、きめ細やかなガイドヘルパー事業がことのほか高く評価された。それは、一歩の会の所在地である東京都練馬区だけでなく、希望者には広範囲に同行援護利用契約を結びガイドヘルパーサービスを提供しているからである。とくに緊急事態に対しては、事情をよく考慮してユーザーの立場に立った支援を行っていると激賞した。

過去の受賞者

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