青い鳥とヘレンケラー女史

 1904年、ヘレン・ケラー女史がラドクリフ女子大学(現ハーバード大学ラドクリフ・キャンパス)を優秀な成績で卒業したとき、たまたま童話「青い鳥」の作者メーテルリンクの夫人が米国を訪問していました。
 同夫人はヘレン・ケラー女史を大学に訪ね、「あなたこそ幸福の青い鳥を発見したただ1人の人です」と言って、女史の卒業を祝福しました。
 ヘレン・ケラー女史が2度目に来日(1948年)する時に結成されたヘレン・ケラー・キャンペーン委員会(H・K・C委員会)は、この話を伝え聞いて、その言葉にあった「青い鳥」を意匠化し、ヘレン・ケラー女史の署名を配した七宝製の美しいブローチとバッジの製作を企画、製品化に踏み切りました。
 シンプルなデザインと直筆署名の効果は高く、「幸福のブローチ」「希望のバッジ」として歓迎され、女史のように明るく楽しく努力すれば必ず青い鳥が見つかるだろうというキャンペーンは大成功を収めました。
 その後、この「青い鳥」デザインは東京ヘレン・ケラー協会の公式シンボルマークとなり、現在まで受け継がれて多くの人に愛されています。

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