点字ジャーナル 2022年11月号

2022.10.25

点字ジャーナル表紙

目次

  • 巻頭コラム:初盆で、コロナクラスター
  • (寄稿)3Dモデル触察のすすめ
      ― サグラダ・ファミリアとマッタ―ホルン
  • (寄稿)虐待とまではいかなくとも
  • 鳥の目、虫の目 中国流接客術
  • (鼎談)夏と冬のオリンピックに二刀流で出場
      (3) 夏と冬のスケールの違い
  • ネパールの盲教育と私の半生(17)日本での研修開始まで
  • 障害者権利条約第1回建設的対話報告会
  • 西洋医学採用のあゆみ(20)漢洋脚気相撲その8
  • 自分が変わること(160)つましくも、ドロップアウトできた1980年
  • リレーエッセイ:ニューオーリンズの秋
  • アフターセブン(92)死神裁判
  • 大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
      (243)〝鉄人〟玉鷲、史上最年長賜杯
  • 時代の風:障害者割引の適用が簡単に、飲酒と落屑緑内障発症リスク、
      再発した乳がんを完全消失させる実験に成功、
      アルツハイマー病の新薬効果確認
  • 伝言板:第20回本間一夫記念日本点字図書館チャリティコンサート、
      写真教室、聞こえにくさ相談会、点図カレンダー、
      演劇「守銭奴 ザ・マネー・クレイジー」
  • 編集ログ

巻頭コラム:初盆で、コロナクラスター

 団扇太鼓をたたきながら、「だいじょうぶだー」と叫ぶ志村けんのギャグが一世を風靡してから30年余が過ぎた2020年3月29日、同氏は国立国際医療研究センター病院に於いて新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に伴う肺炎の為に70歳で逝去した。
 若すぎるお茶の間の人気者の死に、日本全国が騒然とし、後期高齢者はコロナにかかると死ぬものと覚悟した。
 それから2年経つと、コロナもオミクロン株に進化し、ワクチンも普及することでコロナは必ずしも死に至る病とは言えなくなると共に、世界中に蔓延し、私の故郷・九州の山里でも猖獗を極めた。
 92歳で亡くなった婦人の初盆法要が8月14日の午前中に営まれ、家族と縁戚約20人が集まった。その後、料亭に移って食事会「御斎(おとき)」が和やかに行われた。
 ところが翌日、50代の夫婦から「ごめん! コロナ陽性になった」との連絡があり、参加者一同騒然となった。
 結局、PCR検査を受けた初盆参加者6人が陽性と診断された。そして別途、限りなく黒に近い疑惑の70歳前後のE夫妻がいた。
 この夫婦には離婚して子連れで実家に戻った娘がおり、その娘は今年すでに職場での濃厚接触者として母子ともに10日間隔離された。それが辛く、職場にも迷惑をかけることから軽い風邪様の症状を訴える両親にPCR検査を受けないように頼んだ。E夫妻の妻は元看護師なので自信もあったのだろうそれを了承した。
 そして、E夫妻は市販薬で症状を抑え、2週間後症状が完全に無くなってからPCR検査を受けてコロナ陰性のお墨付きをもらって一件落着した。
 彼らは確信犯であるが、東京においても受診さえ受けられず、結果的にE夫妻同様に市販薬でコロナを治さざるを得なかった気の毒な人もいる。
 このようにコロナに対する私たちの意識もこの2年で劇的に変わった。政府も石橋ばかりたたいていないで、そろそろ欧米並みにコロナ禍の幕引きをしてもいい頃合いなのではないだろうか。(福山博)

(寄稿)3Dモデル触察のすすめ
―― サグラダ・ファミリアとマッタ―ホルン ――

元・都立盲学校社会科教師 重田雅敏

 2つの3Dプリンタによる模型が届いたのは3月初旬のことだった。私は世界的に有名な建物と山の形をどうしても知りたくて、「視覚障害者が知りたいものをいつでもどこでも自由に手に入れ触れられる社会」の2030年実現を目指し研究を進めている人たちが、その一環として、3Dモデル(模型)の提供サービスの試験運用をしている「触察3Dモデル提供サービス」(https://3d4sdgs.net/service.html)に申し込んだ。
 すると、スペインのバルセロナにあるサグラダ・ファミリア大聖堂は南谷和範(みなたに かずのり)大学入試センター教授が、アルプスのマッターホルンは渡辺哲也(わたなべ てつや)新潟大学教授が製作して私の自宅へ送り届けてくれた。しかも本事業は、科学技術振興機構「SDGsの達成に向けた共創的研究開発プログラム」の一部として実施されるので、それらの模型は無償で提供された。元となる3Dデータがあれば、半月から1ヶ月で納品されるというが、プロジェクト側で3Dデータを作成することはできないので、過去に製作した実績のあるものやWeb上にフリーでデータが公開されているもののみが提供可能だという。
 その触察体験は、中途失明の私がこれまで見たり聞いたりしてイメージしてきたものとは全然違うものなのでとても驚いた。見えないことを補うために触って確かめようと試してみたのだが、同じ対象物でも見て知っていたことと触って知ったことでは、まるで違う世界の話のような感じがした。もしかすると見ることよりも触ることの方が、もっと大きく広がる世界があるのかもしれない。

サグラダ・ファミリア

 まずはサグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)から。天才建築家アントニ・ガウディ(1852~1926)設計のこの巨大な大聖堂とは、どんな形のものなのだろうか。一般的なゴシック様式の大聖堂を曲線美を生かした樹木が取り囲んでいると聞いたことがあるが、蔦のからまるチャペルのように自然な風情の大木が沢山建物に張りついているのだろうか。この大聖堂は1882年に着工し、以来140年間も建設が続いている。2026年に完成予定だがコロナ禍で遅れそうだ。100mを超える細く尖ったタワーが18本もあり、一番高いイエスの塔は172.5mになる。
 いよいよ触察してみると、模型の大きさは実物の10mが1cmになっており、縦15cm、横10cm、高さ18cmで、三方の玄関前には2cmのアプローチがあり、広場や張り出し舞台、階段やスロープがある。中央玄関の北側正面、イエスの誕生を表す東側正面、イエスの受難を表す西側正面には、各々4本横一列の100mを超える細い塔がピンとまっすぐ立っており、三方合わせて12名の弟子を表している。またイエスの栄光を表す中央部にはひときわ太くて高いイエスの塔があり、四方を取り囲むように教えを書き取る書記たちを表す150mぐらいの塔が4本ある。イエスの塔の南側には太くてやや低いマリアの塔が寄り添って建つ。さらに建物のあらゆる所に5mから50mぐらいの大小様々な塔が、一列にあるいは円形に並んで100本近くある。視覚的には、天に向かってそそり立つ壮麗な建物なのかもしれない。
 だが触察した感想は、まるでうじゃうじゃと塔が林立する針の山のような建物だった。非常に複雑な形状で高い尖塔のてっぺんには十字架があり、階段の一段一段も確認できるほど精密にできていた。3Dプリンタでこれだけの複雑なものが作れるようになり、それが損傷なく無事に送り届けられたことが奇跡に思えた。
 建物の全体像は予想以上に密集していて奇抜なものだったが、どの塔もまっすぐ直線的に立っており、曲線美は感じられなかった。一般的なゴシック様式の大聖堂から類推すれば何とか内部の構造も理解できそうだが、各々の塔の根元が地表近くまであるようなので、大勢が礼拝する広い空間がどこにあるのだろうかと疑問が湧いてくる。まさか大きな礼拝堂の天井の上に巨大な塔が何本も立っているわけではあるまいが、どうなっているのだろうか。バルセロナに行って確認してみたいが、なかなかそうもいかない。目で見るようには素早く適格に状況を把握できなくても、視覚障害者が建築物の全体像や細部の構造を手軽に1人でこころゆくまで確認できるようになったことは、3D触察モデルの大きな恩恵といえるだろう。見て回るだけでは決してわからない情報も、この3Dモデルには沢山あるはずだ。

マッターホルン

 アルプス山脈の中央にあり世界一美しい山ともいわれているマッターホルンの標高は4478mで富士山よりずっと高い。模型の大きさは縦横18cmで4km四方の範囲を表し、高さは1cmで220mぐらいの高低差を表す。2300mの高さが底面になっており、そこから上にある地形が模型になっている。
 早速どんな形の山なのか触ってみると、2つの可愛いピークをもつピラミッド型の山頂部分から4つの尾根が東・南東・南西・北西に伸びており、下に行くほど大きな山脈のようになって麓の平らな土地を4つの谷間に区切っている。南東と南西の大きな尾根に挟まれた谷間がイタリア領で、その他の3つの谷間はスイス領になっている。よく写真に撮られている北側斜面は上半分がスプーンで削り取られたかのような垂直な絶壁となっており、大きな縦の割れ目が西端にある。下半分は3段の部厚い台座のようになっていて、こんもり丸みを帯びている。東側は平らなへらで斜めに削り取られたかのような凹凸の少ないシンプルな斜面が、山頂から麓までずっと続いている。西側は大きなおたまで一気に削り取られたかのような巨大な窪みになっており、谷底は広い平坦面になっている。南側は最も複雑な形をしており、山頂部のピラミッドにちょっと背が低い別のピラミッドが折り重なる二重構造になっている。険しい斜面には上から下へ彫刻刀で削り取られたかのような垂直の大きな切れ込みが3本あり、なだらかな麓にはいくつもの指跡のようなへこみがある。
 これらの地形は何万年も雪が降り積もってできた重たい氷の塊が、山頂部分まで覆い尽くして山の斜面をへこませ、さらに自分の重さでゆっくりと下に移動をしていく過程で周囲の岩石を削り取ってできたものだという。山岳氷河地形ではスプーンでえぐりとられたような窪地をカールといい、四方から削り取られた後に残された険しく尖った山頂をホルンという。遊び心が湧いてきて、プリンをスプーンで四方からえぐりとってホルンを作ってみたくなった。
 25年前にまだ弱視だったころツェルマットに行ったが、マッターホルンの鋭く尖った四角錐の姿は遠くから見てもひときわ目立って美しかった。列車の窓に見えただけで歓声が上がり、シャッターの音があちこちから聞こえた。なぜ山の姿がそんなに人をひきつけるのだろう。間近に行ってみれば、山の大きさと絶壁の険しさに恐怖さえ感じて息をのんだ。晴れれば街のどこからでも見られる圧倒的な存在感だが、天気が変われば姿を隠してしまう神秘的な山でもあった。あの尖った姿、あの絶壁の迫力は忘れがたい印象を与えた。3Dモデルでマッターホルンを触ってみると、昔写真や旅行で見た姿とは全くイメージが違う。たぶんこの3Dモデルを触って美しいと感じる人はいないだろう。しかし見方を変えれば、視覚的に見ている景色や写真はとても美しく感じるが、ある方向の表面だけの情報でしかない。模型なら山体の厚み・尾根の高さ・斜面の傾斜・谷の深さなどを比較しながら実感を伴って細部まで知ることができる。きっと山の姿を見たいという欲求と山の形を知りたいという欲求とは、同じようで別ものなのだ。山を歩きたいという欲求もこれまた別なものに違いない。例え景色が見えなくても別の興味や楽しみがあり、他の感覚や手段でいくらでも情報が得られるはずだから、山に対する興味が尽きることはないと思う。
 テレビ番組でマッターホルンを一周するトレッキングコースを紹介していたので、それはどの辺りだろうかと、平らな所・緩やかな斜面・低い峠などを探しながら勝手にコースを考えながら、ぐるりと一周辿ってみた。この坂や峠はつらそうだとか、このあたりには池や山小屋があるだろうかとか、ここには牛や羊のいる牧場がありそうだなどと思い浮かべて楽しむことができた。また登山ルートも考えてみたが、南西側ルートと東側ルートが比較的簡単そうであった。
 1865年の7月に初登頂を目指して南西から登ったイタリア隊が、僅か3日の差で東から登ったイギリス隊に先を越されてしまった、というエピソードを思い起こしながら触ってみたが、3Dモデルで確認しても、東側ルートがより簡単なように感じられた。ところで初登頂を達成したイギリス隊が喜んだのもつかの間、下山途中でロープが切れて滑落し4人が死亡した急斜面はどの辺りだったのだろうか。
 登山の前には、天候だけでなく3Dプリンタでのコースや危険個所の確認も必要なように思う。ありがたいことにこの模型には台座の四方に東西南北の点字が貼ってあったので、インターネットの旅行ガイド情報と位置を対応させるのにとても重宝した。
 これからもインターネットで検索して、特徴的な地形の地名やロープウェーの駅などの位置を探してみたい。3Dモデルは詳しい地形の情報を教えてくれるので、その地域の生活や気候を知るための基礎知識にもなる。また、触察しながらイメージを膨らませて空想旅行も楽しめる。まさに実用と遊び心満載の宝物である。

編集ログ

小林鉄工所に本間文化賞

 日本点字図書館の第19回本間一夫文化賞の受賞者は、京都市の(株)小林鉄工所小林博紀(こばやし ひろき)代表取締役社長(85歳)に決まった。
 同氏は1961年3月に立命館大学理工学部を卒業し、家業の鉄工所に入社したが、同年12月に創業者で社長の父が急逝したため25歳で後継者となった。その後、足踏み式点字製版機の電動化を手始めに、点字印刷機や点字タイプライターなどを開発。1984年には全自動点字製版機ブレール・シャトルの製品化に成功した。
 授賞式は11月12日(土)午後、同館で開催を予定している。

ロシアのおもちゃの兵隊

 最近「おもちゃの兵隊のマーチ」が、耳についてうっとうしい。ロシアのプーチン大統領がなにやらやらかすとき、その背後におもちゃの兵隊ならぬクレムリンを警備する大統領連隊の衛兵がいる。彼らはナポレオン戦争当時のロシアの軍服をモチーフにした制服を着て、しかもロボットのような動きで後述するロケッツの出し物を思い出させる。
 プーチン氏の愛読書はレフ・トルストイの『戦争と平和』だという。主題の平和思想は捨象し、祖国防衛の一面だけが国威発揚のため強調されたソ連映画を見て読んだ気になっているのか、誤読であろう。
 「おもちゃの兵隊のマーチ」は、「キューピー3分クッキング」のテーマ曲だが、正調は行進曲なのでもう少し遅い。ドイツのレオン・イェッセルが1897年に作曲したが、当時のヨーロッパの兵隊は、とても派手な軍服を着ていた。
 1911年ロシアのニキータ・バリエフは、モスクワのキャバレー「蝙蝠座」で、俳優がおもちゃの兵隊をまねて行進する出し物で評判をとった。だが、1917年にロシア革命が起きると彼は祖国を後にし、パリで蝙蝠座を再建。1922年にはニューヨークでデビューし、「おもちゃの兵隊のマーチ」で評判をとった。
 この出し物は、現在もニューヨークのマンハッタンにあるロックフェラーセンター内ラジオシティ・ミュージックホールを拠点とする有名なダンスカンパニー「ロケッツ」が、1933年から継続してクリスマスシーズンに公演している。このダンス一座は北米各地を巡回して年間200万人以上の観衆を集めている。
 このロケッツの「おもちゃの兵隊のマーチ」は、インターネットのユーチューブで鑑賞できる。真っ赤な上着に、真っ白なズボン、羽根飾りのついた黒い帽子をかぶった全員女性の兵隊は顔は白塗りだが、両ほっぺたはまん丸に赤く染めている。そして、ヨチヨチ歩きで見事に分列行進を揃え、最後は大砲に打たれゆっくり将棋倒しになっておしまいとなる。
 この分列行進のパロディがロシア起源なのは、ロシア帝国時代から政治風刺を口にすることは危険で、そのために政治的なジョーク「アネクドート」が発達したが、それと同じ事情だろう。
 ロシア革命後に祖国を逃れた人びとは200万人と言われる。一方、ロシアで9月21日に部分的動員令が発令されて、2週間で約70万人が国外に逃れたと米経済誌『フォーブス』は報じた。その昔は馬車や徒歩で、現在は車での違いはあっても100年余が過ぎてもロシアでは同じことが行われているのである。(福山博)

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