点字ジャーナル 2026年10月号

2026.09.25

目次

  • 巻頭コラム:指や耳から広がる世界
  • 視覚障害者や盲ろう者とともに走る沖本武氏にサリバン賞
  • 歩行訓練士啓発ムービー完成披露上映会
  • 視覚障害者によるカラオケコンクール ― ひとみ園で開催 ―
  • 高めよう、視力を超えたネクストパワー!(8)
      周囲の協力 援助依頼でエンジョイライフ?
  • 弱さを隠すことが“強さ”だった私へ(10)
      障害のある人同士でも、理解し合えない
  • ネパールに愛の灯を ―― わが国際協力の軌跡 (26)
      釣り方を教えよ
  • 長崎盲125年と盲教育(42)関係行政機関との懇談会
  • 自分が変わること(207)なぜメモをとらなくなったのか
  • リレーエッセイ:心のお守り(下)
  • アフターセブン(139)思い出の秋を楽しむために
  • 大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?(290)
      かつての大関候補が再び変わらぬ目標に挑む
  • 時代の風プラス:サイトワールド2026、
      「点字の日」記念講演会&交流会、
      商品情報の位置を触って把握できるしくみ「ココヨム」、
      ロクシタンが視覚障害者支援のクラウドファンディングを実施
  • 編集後記

巻頭コラム:指や耳から広がる世界

 みなさんは、日常生活の中でどんな時に喜びを感じるだろうか。私は、心を惹かれたものの形を、実物もしくは模型を通して触って知ることができた時に喜びを感じる。具体的には、ぬいぐるみを通じて好きなキャラクターの姿や髪形、衣装などを知ることができた時や、会話の中で聞いて気になったものの実物を触ることができた時などである。実際に触ることが叶った際には、実物の予想外の大きさや重量感、キャラクターの意外な姿などに驚かされることもあり、とても面白い。
 視力がほとんどない私は、気になっていたものを実際に触ることで、見えないことによって得られていなかった情報を取得できる。それは感動の瞬間であり、指先で触りながら形や使い方などの想像を膨らませることができる。そして、脳内に描いたそのイメージは、見える人が目で得ている情報と重なる部分もあり、実際の会話で活かすことも可能である。
 これは、博物館や美術館にある触ることのできる展示物にもいえることなのではないだろうか。レプリカを触ることができるところもあるが、専用の機器を借り、展示物の脇に書かれている番号をその機器に入力すると、イヤホンで該当の展示物の詳細な説明を聞くことができるシステムを導入している博物館もある。これらは、目からの情報取得が困難な視覚障害者も、触覚や聴覚を通じて見える人と共に同じ展示物の世界観に触れ、情報や魅力、感想などを共有することができる。これは、障害の有無にかかわらず、誰もが博物館を楽しむことを実現するための工夫といえるだろう。
 今後も、全国各地の博物館や美術館に、こうした工夫の導入がもっと増えてほしいと願うばかりである。特に、絵画を展示している美術館は、視覚障害者にとって見えないことによるハンデを感じやすい場所という印象が強い。それゆえ、そのようなところにも触ることのできる展示物や絵画の詳細な説明を耳で聞くことのできる音声案内システムがさらに増えたら、視覚障害者の興味関心や外出の幅が広がるといった効果が期待できるのではないだろうか。(石山友香)

視覚障害者や盲ろう者とともに走る沖本武氏にサリバン賞

 【本年度の「ヘレンケラー・サリバン賞」は、2005年から視覚障害者や盲ろう者の伴走・伴歩をし、運動の楽しさをともに分かち合う「代々木公園・伴走伴歩クラブ」(通称バンバンクラブ)元会長・現相談役の沖本武氏に決定した。
 第34回を迎えた本賞は、「視覚障害者は何らかの形でサポートを受けて生活している。それに対して視覚障害者の立場から感謝の意を表したい」との趣旨で、当協会が委嘱した視覚障害委員によって選考される。
 贈賞式は10月7日の開催を予定している。本賞(賞状)と副賞として、ヘレン・ケラーのサインを刻印したクリスタルトロフィーが贈られる。取材・構成は本誌編集長・戸塚辰永。以下、敬称略】
 沖本武は、1947年7月19日兵庫県神戸市長田区生まれの79歳だ。父は指物大工職人で、神戸は外国人が多かったので、外国人向けのベッドを主に作っていた。母は裁縫をし、着物を仕立てる職人だった。父は子供たちの教育にはあまり関心がなかった。沖本は4人きょうだいだが、10歳年上の法務局に勤めていた兄が彼の親代わりになっていた。兄は、当時創立したばかりの神戸市立工業高等専門学校の機械科を進学先として勧めた。彼は、高専なら大学受験をすることもないし、授業料も破格に安い、それに機械科を卒業すれば職には困らないと思い受験勉強に励んだ。そして、50倍という難関を突破し、同校1期生として入学した。
 高専の授業は大学なみに難しく、落第する学生が続出する。クラスメイトは50人いたが、ストレートで卒業できたのは30人しかいなかった。「落第したら学校をやめろ」と父が厳しく言っていたので、彼は仲間とともに助け合いながら学業に専念し、落第することなく高専を5年で卒業した。
 卒業後は日本専売公社(現・日本たばこ産業株式会社[JT])に就職。当時は喫煙者が多く、ハイライトやマイルドセブンといったタバコがどんどん売れた。そこで、JTは工場を毎年10カ所ほど建てていった。沖本は九州沖縄担当で、15年間ヘルメット姿で現場に入り、工場建設に携わった。35歳で本社勤務。その頃には、健康志向が高まり喫煙者が減り、工場を整理する仕事を任された。その後40歳近くになって、JTは印刷事業に参入。弁が立つ沖本に目を付けた会社は、彼を営業部長に大抜擢した。
 たばこ会社は注文に応えて煙草を届けるのが営業。これは殿様商売だ。だが、印刷の営業はそうはいかない。営業は話してなんぼの世界だ。例えばトヨタ自動車に営業で訪問するとなれば、トヨタや自動車に関する知識を前もって頭に叩き込まないと相手にされない。そんな日々が続き、彼は物知りになった。10年余り営業部長を続けた結果、沖本らが立ち上げたJTプリンティングは100億円以上の売上を達成するまでに成長した。この営業での経験が、その後バンバンクラブの運営に大いに役立つのだった。
 沖本がランニングを始めたきっかけは、35歳で糖尿病が発覚したことだ。医師から「食事を制限するか、しっかり運動をするかどちらか決めなさい」と言われて、飲み食いが好きな彼は運動を選んだ。3年ほど水泳をし、ダイエットに成功。それからランニングを始めた沖本は、東京都世田谷区にあるランニングクラブに入会した。
 ある日、「朝7時から伴走をお願いできませんか」という視覚障害女性から問い合わせが舞い込んだ。沖本は会員に呼びかけて伴走者を探したが、あいにく誰もいなかった。彼は女性に謝るつもりでいたが、「代々木公園で日本ブラインドマラソン協会が練習しているから見学してみては」と言われ出かけた。そこで伴走の仕方を初めて習った。次に訪れた時、彼は視覚障害者のマラソン大会に伴走者として出場し、なんと優勝。ランナーとしては優勝など夢だが、伴走者なら視覚障害者の夢をアシストでき、1位になることができる。この感動は何物にも代えがたいと思った。この体験を機に沖本は伴走に興味を抱くようになり、のめりこんでいった。
 50歳で視覚障害者の伴走を始めた沖本は、代々木公園で活動する視覚障害者のランニングクラブに入会し、毎週末伴走に励んだ。そして、54歳でJTを早期退職。時間にゆとりができたことで、視覚障害者の伴走が日課となった。交通費や食事代などに毎月15万円も使うことを妻にとがめられ、沖本は事情を話した。すると、「それだったら、いっそ伴走クラブを作ったらどうか」と提案された。妻からの後押しもあって、沖本は、代々木公園・伴走伴歩クラブ(バンバンクラブ)を2005年10月1日に創立した。
 当初30人余りで始めたバンバンクラブだったが、視覚障害者の間で話題となり、順調に入会者が増えていった。しかし、伴走をする晴眼者が足りなかった。そこで、宣伝・募集活動をする必要が生じた。
 沖本は営業のノウハウをフルに活用し、マラソン大会があるたびに、バンバンクラブの名がプリントされたベストを着たランナーと伴走者を走らせたり、バンバンクラブののぼり旗や横断幕をずらっと並べて応援したりもした。そのほか、チラシやポスターによる宣伝、雑誌や新聞でのインタビュー記事掲載、沖本自身の講演活動も積極的に展開した。すると、バンバンクラブは全国各地のランナーに認知されるようになっていき、晴眼の伴走者も増えていった。
 バンバンクラブでは本名の代わりにニックネームを使う。ちなみに沖本は「シブジャガ」。これは、渋谷のジャガーとのことだ。ニックネームを使うのはなぜか。数百名ものランナーと伴走者がいれば、同姓同名の人が何人か出てくる。本名を用いれば、ランナーと伴走者を走力に合わせてマッチングする際に混同する。それぞれにニックネームを付ければ、そうした事態は避けられる。
 沖本は会長を10年務めたが、その間に会員は1000人を超えた。彼は全員のニックネーム等の情報をデータにするとともに、大会のエイドステーションで会員と会話することで、一人一人の顔と名を覚えた。
 毎週火曜日に練習会参加者を締め切り、会長の沖本が一人で金曜日までにランナーと伴走者をマッチングしてメーリングリストに流した。そうすると、練習会がスムーズに開催できた。練習会に参加しないが、彼が作ったマッチングリストを毎回見るのが楽しみだという会員も現れたほどだった。
 練習会は毎週土曜日、代々木公園で開かれる。バンバンクラブの特徴は、視覚障害者のみならず盲ろう者、ろう者、知的障害者が参加できることだ。沖本のモットーは、ノーと言わないこと。そして、「すべての障害者の受け皿になりたい」と彼は常々思っている。
 参加者は老若男女幅広いが、中心は健康が気になる中高年層。伴走者では、96歳の人もいた。
 ややもすると引きこもりになりやすい中途失明者も入会し、同じ障害のある仲間との交流を通じて、社会進出の一歩を踏み出すきっかけとなっている。
 沖本が会長だった頃、盲ろう者が入会した。その人はとても走力があり、日本でも難コースと言われる奥武蔵ウルトラマラソンの招待選手だった。ところが、手話ができる伴走者がいなかった。そこで、沖本自身が手話を覚えて伴走を買って出た。すると、彼に続き5人ほどが手話を習った。その結果、盲ろうの選手はウルトラマラソンに出場し、完走できた。沖本が先頭になって手話を習ったことで、バンバンクラブでは40人余りが手話を習得した。
 ウルトラマラソンや100kmマラソンでは一般道を走るので、交通規制はない。そうした大会では健聴者が盲ろう者を伴走し、手話通訳をする。だが、代々木公園での練習では盲ろう者をろう者が伴走することもある。走る喜びを知った盲ろう者が「バンバンクラブへ行けばランニングを楽しむことができる」と宣伝し、今や盲ろうの会員は40人近くまで増えている。
 会員がパラリンピックに出場し、メダルを獲得した時、最初はウォーキングしかできなかった人が練習を積み重ねてフルマラソンを完走できた時に沖本はなによりの喜びを感じる。
 今は年を取り、伴走はできなくなってきたが、伴歩を続けている。
 「あと10年、90歳までやりたいですね」と沖本は抱負を語った。

視覚障害者によるカラオケコンクール― ひとみ園で開催 ―

 8月25日(火)、特定非営利活動法人全国カラオケ文化振興協会ならびに特定非営利活動法人日本盲人演劇協会主催の「第4回全国視覚障害者等文化芸術活動推進の集い」が、埼玉県深谷市にある養護盲老人ホームひとみ園の演劇ホールで開催された。ひとみ園は、入所者の定員が120名と、全国にある視覚障害者を対象とした老人ホームで最も大きい。本格的な劇場、映画館、ステージ付きの喫茶が整備されている点が大きな特徴だ。「もう1度青春ひとみ園!」というスローガンのもと、利用者は音楽をはじめ、俳句、演劇、陶芸、手芸、スポーツなどのクラブ活動にそれぞれのペースで参加したり、季節にちなんだイベントを楽しんだりしている。そして、今回参加した集いは、平成30年に「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律」が制定されたことを受け、文化芸術活動を通して障害者の心を豊かにし、社会参加を促進することを目的に令和4年より毎年夏に開かれているものである。
 集いでは、全国から集まった視覚障害者によるカラオケコンクールと、ひとみ園の利用者や職員による演劇の上演が行われた。開会式では、茂木幹央園長とカラオケコンクールの審査員4名による挨拶の中で、イベントの目的やコンクールの出場者に向けたメッセージが述べられた。そして、審査員を務めるシンガーソングライターの工藤慎太郎さんと、一般社団法人日本作詞家協会の橘三枝子さんによる模範歌唱が行われ、会場が音楽に包まれた。
 カラオケコンクールは2部制で行われ、私は午前の第1部に出場した。第1部には、カラオケ指導員1級から3級のいずれかへの認定を目指し、歌うことを職業としていない15歳以上の障害者手帳所持者が出場できる。今年は12名の出場者がカラオケの音源をバックにそれぞれの歌声を会場に響かせた。申し込み時に申請すれば、点字で打った歌詞を読みながら歌うことも可能だ。私は、「レットイットゴー ~ありのままで~」を勝負曲に選び、プロの音楽家を前に歌うという緊張感の中ではあったが、自分らしく歌いきることができた。
 午後は、カラオケ指導員1級のさらに上のレベルである師範に認定された経験者2名による模範歌唱が行われ、続けて第2部の昇級認定の部が行われた。これは、すでにカラオケ指導員1級から3級のいずれかに認定された人が、一つ上の級への昇級に挑戦することができるものである。第2部には8名が出場し、中には1級から師範への昇級を目指す挑戦者も見受けられた。出場者の選曲は、1部も2部も演歌が大半を占めていたが、中にはテンポの速い曲を選んで手拍子を求め、会場を盛り上げていた人もいた。
 コンクール終了後は、ひとみ園の利用者や職員を主なメンバーとする「劇団ひとみ」による演劇が上演された。演目は、桐野夏生作の「魂萌え!」。場面が切り替わるごとに、語り手によるこれから登場する人物や場所についての詳細な説明が行われたため、設定を頭に入れた上で会話を聞くことができ、とてもわかりやすかった。80代の演者もいたが、夫を亡くした主人公が相続問題を家族で話し合う会話は迫力があった。
 演劇が終わると閉会式となり、カラオケコンクールの結果が発表された。私は、カラオケ指導員3級の認定書をもらうことができた。第1部では、3級への認定が5名、2級と1級への認定が各1名、このほかに3名に優秀賞が贈られた。第2部の出場者は、大半が一つ上の級への昇級を達成した。審査員による講評では、今年は特にコンクールのレベルが高かったという言葉が聞かれた。そして、閉会の挨拶で岩本勇史郎副園長より、声量のある出場者に向けたマイクの使い方のアドバイスが述べられ、集いは閉会となった。
 次回は、令和9年8月31日に開催が予定されている。経験者による昇級の部があるため、ぜひ3級から2級を目指して次回も出場したい。(石山友香)

編集後記

 8月26日、ネパール・ラスワ郡のボテコシ川で発生した鉄砲水により多数の死者・行方不明者が出ています。当協会では長年にわたり同国の視覚障害者を支援しており、現在福山博当協会元業務執行理事がネパール盲人福祉協会に連絡を試み、現地の情報を収集している最中です。状況がわかり次第、本誌で報告します。
 私は9月1日夕刻、体が火照り、だるさを感じ、体温を測ると、38.4℃。翌日、近所の内科を予約し受診しました。インフルエンザと新型コロナの検査を受けると、私はインフルエンザA型と診断され、5日間の自宅待機を指示されました。20数年ぶりのインフルエンザ罹患です。以前は錠剤のタミフルを処方されましたが、今回はイナビルという口からの吸入薬で、医療の進歩に驚きました。イナビルの効果もあり、翌日には平熱まで下がり、気分もよくなりました。インフルエンザや新型コロナが流行しています。皆様、気を付けてお過ごしください。(戸塚辰永)

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