点字ジャーナル 2026年2月号

2026.01.26

目次

  • 巻頭コラム:ハリー・ポッターと呪いの子
  • (特別インタビュー)能登半島地震を忘れないために(下)
      ―― その後の被災者支援
  • (寄稿)持続可能な歩行訓練を目指して
  • 読書人のおしゃべり 『ふらっとアフリカ』
  • セントルシアで視覚障害指圧師を育てる(15・最終回) 
      カリブ海で遊ぶ
  • 弱さを隠すことが“強さ”だった私へ(2)
      友達とのギブアンドテイク
  • ネパールに愛の灯を ―― わが国際協力の軌跡(18)
      10年制から12年制高校へ、教育制度改革
  • 長崎盲125年と盲教育(31)復旧浦上校舎時代の生徒の活動 その5
  • 自分が変わること(199)おぞましい、ならず者の時代
  • リレーエッセイ:導犬歩行のすすめ
      ――犬と人が共に歩むという選択
  • アフターセブン(130) 雪の壁を解かす挑戦
  • 大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
      (282) 全盛期はこれから―かつての相撲王国復活のカギを握る一山本
  • 時代の風プラス:覚障害者とともに学ぶ教養講座、
      盲ろう者の理解・支援のための入門動画、
      終末期や死に関する知識と行動能力を測る新指標
  • 編集後記

巻頭コラム:ハリー・ポッターと呪いの子

 小説『ハリー・ポッター』は、第1話の『賢者の石』に始まり第7話の『死の秘宝』で完結した。「ハリー・ポッターと呪いの子」は、その19年後、36歳になったハリーが父親となって登場する舞台劇である。小説も話題になったが、この作品も世界中で高い評価を受けている。
 都内にあるTBS赤坂ACTシアターで「ハリー・ポッターと呪いの子」が上演されている。12月14日と27日に視覚障害者向けに音声ガイド付きの公演が実施された。通常3万2000円のS席のペアチケットが2万5000円になるという。奮発して27日のチケットを予約した。
 当日は、上演中に音声ガイドがあるだけでなく、一般の人達が入場する前に舞台の説明があった。また、実際に使用される小道具や衣装に触れることもできた。
 受付でチケットと音声ガイド機器を受け取り入場。早速小道具を見に行った。魔法の杖や帽子などを手にすることができた。魔法の杖は30㎝くらいで、杖とはいうものの思っていたより長くはなかった。
 やがて舞台説明の時間となり、シアターへ移動。「これから舞台の説明を始めます…」と女性(TBSアナウンサー)の声。「舞台の左右には4本ずつ柱があります。上手から下手まで10mあります」と足音をたてながら舞台上を移動する。「奥行きも10m、皆さんから見て左側1本目の柱があります。2本目…」と続き、「…上は7m、床から1.5mくらいの所に帽子が浮いています…」と舞台の様子が簡潔に説明された。舞台は回り舞台になっているとの説明もあった。
 上演中、要所要所で「階段を上っていく…」、「舞台が回り場面が変わる」、「空中に上っていく」と、舞台や役者の様子を解説する声がイヤホンから聞こえてきた。
 作品は2幕で3時間を超す大作だったが、音声ガイドのお陰で久しぶりに舞台を楽しむことができた。
 テレビ、映画、演劇などで音声ガイドが増えつつある。音声ガイドが当たり前になることを願う。(岩屋芳夫)

(特別インタビュー)
 能登半島地震を忘れないために(下)
 ――その後の被災者支援――

 代筆・代読支援
 視覚障害者支援本部(以下、本部)は、地震直後から避難生活者に携帯電話充電ケーブルにはじまり、白杖、視覚障害者用音声時計、拡大読書器、プレクストーク等を、メーカーの協力のもとに貸し出ししている。また、1.5次避難所及び2次避難所において一般避難者向けにシニアグラスの配布も行った。このほかにも、みなし借り上げ住宅棟で暮らす被災者への歩行訓練を実施している。そうした支援事業で最も力を割いたのが代筆・代読だった。
 能登半島地震を受けて、罹災証明申請をはじめ様々な手続きをする必要が被災視覚障害者に生じた。2次避難所に家族とともに避難している人の中には、家族による代筆・代読が可能な人もいたが、視覚障害者のみの世帯ではそうはいかなかった。そこで、本部が代筆・代読を手伝った。
 まず、全壊や半壊を証明する罹災証明書が必要だ。手元に罹災証明書を持っている人は良かったが、そうでない人はインターネットにアクセスし罹災証明書をダウンロードした後に申請しなければならず、それも本部が代行した。また、半壊以上の住宅は、公費解体費用を国が払うことになっているが、この手続きは非常に複雑だ。そのため、自身も被災した石川県視覚障害者協会(以下、県視協)職員が代筆・代読した。
 2次避難所やアパートを借り上げたみなし仮設住宅に避難した人が生活をしていくためには、避難先で居宅介護や同行援護といった障害福祉サービスの利用手続きを新たにしなければならず、代筆・代読支援が必要であった。
 申請手続きは煩雑で、特に障害年金の申請書類の代筆・代読は、3カ月を超える長期間に及んだ。
 また、被災地で暮らしていた人の中には、視覚障害が進んでいるにもかかわらず、身体障害者手帳の等級を更新していない人がいた。その結果、本来受けることができるはずの障害福祉サービスを受けられない人もおり、石川県眼科医会の協力を得て、身体障害者手帳の等級変更申請手続きが行われた。
 石川県では、金沢市で2018年から代筆・代読従事者養成研修を行っており、石川県も金沢市に続き、代筆・代読従事者養成事業により、人材養成をしていた。ただし、代筆・代読者の派遣事業は各市町村レベルの事業であるため、今回の地震災害時においては機能しない。例えば、能登地区から金沢市に避難してきた人は、金沢市での代筆・代読サービス事業を受けられない。それはなぜかというと、居宅介護や同行援護といった国の事業であれば全国どこで生活していてもサービスを受けられるが、代筆・代読といった地域生活支援事業は、各市区町村で判断し独自の内容で実施しているので、その自治体以外の人がサービスを受けられない建付けになっていたからだ。この問題を解決すべく、石川県では2025年4月から代筆・代読支援員派遣事業を開始した。
 「このサービス事業は地震を受けて始まったのですが、平素からこの仕組みを作っておけば、どこに住んでいたとしても代筆・代読支援を受けられます。聴覚障害者では、手話通訳者派遣事業が県レベルで行われています。視覚障害者もようやく聴覚障害者に1歩近づいたと思っています」と米島芳文県視協理事長は語った。

 マッサージ業への影響
 能登半島の七尾市には和倉温泉があり、ホテルや旅館は地震により壊滅状態となった。そのため、和倉温泉のホテルや旅館に出張してマッサージを行っていた視覚障害マッサージ師の収入が絶たれた。
 コロナ禍では、自営業者に補償があった。しかし、今回の地震では被雇用者には休業補償が出たが、自営業者には何も補償がなかった。
 そこで、県の障害福祉課が尽力して、石川県の地域コミュニティ再建事業に和倉温泉で出張マッサージをする視覚障害マッサージ師が参加できるようになった。そして、昨年1月末から能登地区自治体の公民館等に出張し、マッサージを行い、12月末時点で50回の派遣依頼があり、延べ158人のマッサージ師が働いている。
 この出張マッサージにあたり、本部職員がマッサージ師の送迎や運営サポートをボランティアとして全面的に支援している。
 和倉温泉のマッサージ師送迎は、現地の道路状況がわかる人でないと務まらない。通ることができると思っていても実際は通れなかったり、雨が降っていると斜面から水が勢いよく流れ出てきたりすることもある。行きはいいが、帰りは危ないから迂回して帰ってくる場合もあるという。ある程度地理に詳しい人でも、天候が悪い時には現地に入るのが怖い、と今でも聞く。それでも、送迎は続く。
 「『支援もありがたいのですけど、働くことができるというありがたさはなによりも増して嬉しいです』とおっしゃったことが、とても印象深く感じました。公民館や集会所に行くと、皆さん2時間以上休みなくマッサージをするんですよ。休まなくていいんですかと尋ねると、『いいんです。一人でも多くやりたいんです』と言われます。遠い場合は和倉温泉から車で2時間ぐらいかかるような所にも行きますから、往復4時間ぐらいかかります。それでも、皆さん行かれます。やっぱり、働くことに誇りを持っていらっしゃいます。会うごとに少しでもお役に立てることができればありがたい限りです」と米島氏は話す。
 和倉温泉に限らず、能登半島地震は視覚障害あはき師にダメージを与えた。能登から金沢に来て知らない土地で仕事をしている人もいる。あるいは、奥能登に残ってあはき業をしている人もいる。
 七尾でもあはき業者が開業しているものの、人口が減ってしまったので、患者は半分ほどになったという。和倉温泉以外でも、あはき業者は厳しい状況にある。やはり、人がどの程度能登に戻ってくるのか、これが能登地区の復興のポイントと言えよう。
 「福祉の人材も足りません。そうした人々が能登に入っていただければ、能登が元気になっていきます。とにかく、和倉の旅館が再建されたら、ぜひ和倉温泉へ行ってマッサージを受けてください。それが一番の支援だと思います」と米島氏は呼びかける。

 今後も続く被災者支援
 当初、本部は被災後3カ月ほどで解散する予定でいた。しかし、被災者支援は今なお続いている。
 能登地区の仮設住宅、金沢をはじめとしたみなし仮設住宅に住む被災者は、期限が来れば立ち退かなければならない。その期限は早ければ今年か来年になりそうだ。その後、能登地区で災害公営住宅がどのように作られていくのか、そこにどれほどの視覚障害者が戻って生活するようになるのか見当もつかない。また、現在みなし仮設住宅に住んでいる人が能登に戻ることなく、金沢で継続して暮らすケースもあるだろう。各人が、いろいろな思いを持ちながら選択する。そのときに発生する支援のニーズは、その人その人で異なる。そのニーズに応えるため、本部は被災者に寄り添って、できる限りのことをするつもりでいる。それが復興につながると米島氏は確信している。

 支援への感謝
 「全国の皆様にお礼を申し上げる機会がなかなかなくて、申し訳ございません。2024年7月には日本盲人福祉委員会から義援金を、日本視覚障害者団体連合から災害見舞い金を、県視協特別見舞金を家屋損壊に遭われた視覚障害被災者222人に渡すことができました。全国各地の団体・個人からいただいた義援金や寄付金は、すべて特別見舞い金に充てています。これも、皆様のご支援のおかげです。この場を借りて厚く御礼申し上げます」と米島氏は語った。
 「いただいたものを大切にしながら、私ども協会としても、皆さんにできるだけ役立てたいと思います。協会では、自己資金も使いながら見舞金・活動資金に充てました。その結果、様々な方とのつながりができました。石川県視覚障害者情報文化センターへの利用者登録も能登地区で70人ほど増えました。今後の支援を考えてみますと、より多くの方々とつながっていくことが大事です。今後も、能登半島地震で被災した視覚障害者を見守ってください」と米島氏は抱負を述べた。(戸塚辰永)

編集後記

 今号で綱川章さんによる「セントルシアで視覚障害指圧師を育てる」が完結しました。
 私は、横浜市立盲学校の専攻科理療科で綱川先生から三療を教えていただきました。いつも生真面目でジェントルマンな先生が、60歳で定年退職し、JICAシニアボランティアとして中米ニカラグア共和国で視覚障害者に指圧を教えると聞いて、私はとても驚きました。
 人生100年時代と言われていますが、60歳を過ぎてニカラグア、70歳を過ぎてカリブ海の島国セントルシアで、綱川先生は視覚障害者に指圧を教え、職業自立の道を切り開きました。これには、妻・幸子さんの献身的なサポートがあったからこそ、両国での偉業が成し遂げられたのです。綱川夫妻の業績は、世間にもっと評価されてもよいのではないかと私は思います。
 投稿をお待ちしています。本誌への感想、意見、日ごろ感じていること等を点字27行32マスあるいは墨字400字程度にまとめ、編集部あてにお送りください。(戸塚辰永)

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