点字ジャーナル 2025年11月号

2025.10.27

目次

巻頭コラム:ホームヘルパー難民になるかも

 怠惰なのだろうか。私は約25年前から毎週土曜日に3時間ホームヘルパーに来てもらい、郵便物の整理、洗濯、掃除、買い物といった家事援助を受けている。
 ホームヘルパーを頼むようになったきっかけは、この仕事に就く前に、特別養護老人ホームに勤務していたころ、サービスを受ける側とはどういうものだろうかと思ったことだ。また、同じ福祉労働者としてホームヘルパーがどのように利用者と接しているのか学びたかったことも要因である。
 25年間いろいろなホームヘルパーの世話になってきたが、派遣事業所のマニュアル通りに仕事をこなすヘルパーもいれば、私が全盲であることを理解し、眼が見えないと気付きにくいところまで掃除してくれたり、時にはシャツに染みが付いているといった指摘をしてくれたりするヘルパーもいた。
 ホームヘルパーは点訳・音訳ボランティア同様、人手不足と高齢化が進んでいる。私が依頼している事業所は、ホームヘルパーの成り手がいないため、定年を撤廃した。ホームヘルパーは70歳前後が多く、最高齢のヘルパーはなんと84歳だという。ふつうこの年齢だと、介護される側になっても不思議ではない。これはまさに老老介護と言えよう。
 今夏も猛暑が続いた。炎天下の中ホームヘルパーは、利用者の家々を歩いて回る。私の住む横浜は坂が多いので、それはそれは過酷だ。体調を崩すホームヘルパーが少なくないと聞く。
 今年6月、事業所のチーフが私の家を訪れ、今年いっぱいで土日のホームヘルパー派遣事業を終了すると私に告げた。これも働き方改革の一環なのだろうか。それとも収益の上がらないホームヘルパー派遣事業から撤退し、訪問看護師派遣事業にシフトしようとしているのだろうか。
 私は土日ホームヘルパーを派遣している事業所がないものかと探したが、全く見当たらない。やっと土日も派遣している事業所を見つけたが、私の地域は派遣外だと言われ、断られてしまった。そこで、区役所で私を担当するケースワーカーに頼み探してもらっているが、まだ返事はない。タイムリミットは刻々と迫っている。ホームヘルパー難民にならないことを願うばかりである。(戸塚辰永)

(特別寄稿)米国での調査およびWBU総会参加報告

特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)/田丸敬一朗

  はじめに
 私が勤務する難民を助ける会(AAR Japan)は、世界16カ国で難民支援、自然災害時の緊急支援、地雷対策、障害者支援など、多岐にわたる人道的活動を展開している。私は視覚障害のあるスタッフとして、主に障害者支援分野を担当している。
 このたび、外務省の「NGOスタディプログラム」の補助金を活用し、米国およびブラジルを訪問する機会を得た。国際社会における障害者支援や難民支援の現場を直接視察し、関係者と意見交換を行えたことは、きわめて貴重な経験となった。
 今回の調査は、8月26日から9月8日にかけて、米国とブラジルを訪問し実施した。米国では、主に「インターセクショナリティ(交差性)」に関する調査を行い、ブラジルではWBU(世界盲人連合)総会にオブザーバーとして参加した。
 ちなみに、インターセクショナリティ(交差性)とは、性別・障害・民族・年齢・貧困など複数の社会的属性が重なり合うことで、差別や不利益が複雑化するという考え方である。例えば「障害のある女性」は、性別・障害双方の要因から不利益を受けやすく、単一の視点では捉えられない課題が生じることを指す。

  米国での調査内容
 米国では、国連関連機関に加え、IDA(国際障害同盟)のマシュー・ケルソンシニア人権アドバイザー、およびIRAP(国際難民支援プロジェクト)のエルハム・ヨセフィアン障害・アクセシビリティディレクターを訪問し、障害者インクルージョンやインターセクショナリティに関する取り組みについて調査を行った。
 ここでは、特にマシュー氏、エルハム氏へのインタビューを紹介する。
 なお、IDAは、8つの国際障害者団体と6つの地域レベルの障害者団体ネットワークで構成される連合組織で、国連をはじめとする国際機関に対して、障害者の権利保障や障害者権利条約の実施を推進する役割を担っている。
 マシュー氏からは、現在、IDAが掲げる主な優先課題について話を伺った。
 1. 障害インクルーシブな国連へ。現在行われつつある国連の再編に際し、障害分野においてインクルーシブなマンデート(国連の各ユニットの任務・責任)が策定されるよう、積極的に参画すること。2. 交差性・多様性。ジェンダー、先住民族、移民・難民、地方居住など、障害と交差する多様な課題について、国連決議策定に向けた取り組みを推進すること。3. 開発資金の適正な配分。開発資金の配分が障害インクルーシブなものとなるよう、政策提言や働きかけを行うこと。この点については、国際・地域・国レベルでの働きかけが重要であることから、障害者団体を対象とした開発資金に関する研修なども実施している。
 また、気候変動が障害者に与える影響に関する取り組みも行っている。気候変動は災害の増加や生活環境の変化を通じて、障害者に深刻な影響を及ぼす。具体的には、避難や安全確保の困難、健康悪化や医療アクセス不足、支援からの排除、さらに経済的打撃による貧困拡大などが課題として挙げられる。
 エルハム氏へのインタビューでは、彼女がIRAPで主に取り組んでいる「障害のある難民」の課題について話を伺った。
 現在、世界の難民数は約1億2000万人と推定されており、そのうち障害のある難民は約1800万人にのぼると考えられている。この数値は、正式な統計が存在しないため、世界人口の約15%が障害者であるとするWHOの調査を基にした推計に過ぎない。そのため、実態の把握や効果的な政策立案が困難となっている。加えて、障害のある難民の問題は、障害分野および難民支援分野の双方において、政府機関や市民社会団体の関心が薄いため、取り組みも限定的なものにとどまっている。さらに、障害者に関する法制度と、難民や移民に関する法制度の双方においても、障害のある難民への明確な言及がなく、制度的な支援や権利保障は十分に整備されていないのが現状である。
 具体的には、難民が他国へ避難した際の初期調査段階で、障害に関する項目が設けられていないため、障害認定を受けることができない。その結果、教育、移動、情報提供など重要な場面で、必要かつ適切な支援が提供されていない。また、障害に対する認識不足も重なり、障害のある難民が自ら声を上げることすら困難となっている。エルハム氏は、執筆した記事の中で、障害のある難民について、「最後に包摂され、最初に排除される存在」と述べている。

  ニューヨーク・ワシントンDCの交通・バリアフリー
 ニューヨークの地下鉄は、電車到着前のアナウンスがなく、到着後のアナウンスも雑音が多く聞き取りにくいため、路線や行き先が分かりづらかった。ただし、車内アナウンスには自動音声が導入されており、比較的聞き取りやすいものであった。利用した駅のホームには警告ブロックが設置されていたが、階段の上下には警告ブロックが未設置であり、その重要性を改めて実感した。また、ホーム柵を設置している駅も見受けられた。
 バスに関しては、車内アナウンスで次の停留所や乗り換えバスの案内がしっかり流れており、地下鉄においても同様の仕組みの導入が望ましいと感じた。一方で、降車ボタンを押しても音が鳴らず、押せたかどうか判断できなかった。
 現地の視覚障害者の話によれば、やはり地下鉄の単独利用は難しく、主にバスや障害者向けのパラトランジットサービスを利用しているとのことだった。
 また、UNICEF本部のビルには、行き先階を入力すると複数台のエレベーターの中から該当階に行くものを案内するシステムが導入されており、どのエレベーターが来るか分からず、結果的に乗り損ねてしまうことを避けられる良いシステムだと感じた。

  第11回WBU総会・世界盲人サミット報告
 9月1日から5日まで、ブラジル・サンパウロにおいて、ラテンアメリカで初となるWBU総会が開催された。テーマは「脆弱な世界、強靭な運動―共存に向けて共に」であり、世界100以上の国と地域から1300名を超える参加者が集った。
 初日には、障害のある女性とユースを対象とした2つのフォーラムが実施された。障害女性のフォーラムでは、教育や雇用へのアクセスに関する課題に加え、若年婚、性的暴力、FGM(女性器切除)といった深刻な問題も報告された。
 ユースフォーラムでは、JICA(国際協力機構)で、視覚障害当事者職員としてパラグアイで障害関連プロジェクトに携わっている福地健太郎氏が登壇し、ユースに向けて自身の経験を伝えていくことの重要性を強調した。また、自然災害や紛争の状況下で障害のある子どもが取り残されないことの重要性についても指摘があった。
 大会2日目では、本年は点字考案200年を迎えることを記念し、特別セッションが企画され、点字の認知度向上を目的としたキャンペーンや、障害児への教育の重要性を訴える活動が紹介された。これは本セッションに限らず複数の場面で指摘されたことであるが、学校教材のデジタル化やAI時代の到来に伴い視覚障害者の可能性が広がる一方で、点字教育が軽視されつつあることへの懸念が多く示された。その中で、早期介入および早期教育の重要性については、先進国・途上国を問わず多くの発言が寄せられた。
 人道危機に関するセッションでは、支援に携わる団体における障害への理解不足が指摘された。そのうえで、減災、災害対策、気候変動等に関する会議へ障害者が参加することの重要性や、南アフリカで作成された障害インクルーシブな防災チェックリストが紹介された。また、ウクライナの視覚障害者団体からのメッセージも上映されたが、残念ながらウクライナ語のみで流されたため、多くの参加者に内容が十分に伝わらなかったことが心残りとなった。
 9月4日・5日、新役員選挙が実施され、執行役員が選出された。
 WBU執行役員は、会長にサントシュ・クマール・ルンタ(インド)、第一副会長にクリスティーナ・チャモロ(スペイン)、第二副会長にヤウ・オフォリ・デブラ(ガーナ)、事務総長にモイゼス・バウアー・ルイス(ブラジル)、会計にアレハンドロ・アントニオ・パス・アンブロジオ(グアテマラ)、前会長マーティン・アベル・ウィリアムソン(ニュージーランド)。
 WBUAP(アジア太平洋地域協議会)執行部は、会長にナンタヌート・スワンナウット(英語名アップル)博士(タイ)、副会長にジェイソン・ホ(香港)、事務局長にヘレン・フレリス(オーストラリア)、会計にトーマス・ブライアン(ニュージーランド)、地域代表委員に武井徹(たけい・てつ)(日本)、ウォン・ユンロン(マレーシア)、ディン・ベト・アイン(ベトナム)。
 なお、WBUAP会長のアップル氏は、元ダスキン研修生で日本の状況にも詳しい。また、地域会長および3名の地域代表委員は、WBU執行委員会のメンバーとなる。
 今回の選挙では、ネット投票の不具合により時間を要したため、大会決議については討議が十分に行えず、以下の提案が示されたうえで、後日メール等で採択されることとなった。この影響で、各地域からの活動報告を聞く機会は得られなかった。

  決議案
 1. 視覚障害者のためのアクセス可能な教育
 2. 視覚障害者のためのグローバル・コミュニケーション・システムの創設
 3. 識字の権利――盲児が点字を学び、使用する権利
 4. 最貧国および開発途上国における盲人・弱視者の自立生活、デジタル・アクセシビリティ、包摂的エンパワーメントの推進
 5. 世界の盲人の団結を促進する戦略の策定
 6. 世界盲人連合(WBU)のガバナンスにおける若者の参画
 7. 政府および国際機関に対し、音響車両警報システム(AVAS)の採用・実施を通じて、盲人および弱視者の移動と安全を保障するよう要請
 8. 主流の人道援助機関との連携および協力関係の確立
 9. ユネスコに対し、点字の学習と使用を無形文化遺産リストに記載対象として検討するよう要請
 10. WBU憲章改訂
 11. 会費体系
 今回、大会参加の傍ら、日本盲人福祉委員会(日盲委)が実施した各国調査の一部に同席する機会を得た。特に印象に残った点として、ブラジルでは視覚障害者団体が自らの使いやすい製品やサービスに認定を与える活動を行っていること、コスタリカでは大統領府に障害者に関する助言機関が設置されていることや、次期大統領選挙にろう者が立候補を予定していること、さらにアルゼンチンには日本の「サピエ」に類似するネット図書館「テフロリブロ」が存在し、スペイン語圏各国に広く利用され、50か国に利用者がいることなどが挙げられる。また、オーストラリアでは1990年代前半に障害者差別禁止法が制定され、インクルーシブ教育も進んでいる一方、地方に住む視覚障害者が訓練へアクセスすることが困難なこと、盲導犬利用に関する規定は存在するものの実施面で差別的取り扱いが残っていること、さらに障害のある先住民が直面する課題、とりわけ雇用の問題などが指摘された。
 共通の課題として、インクルーシブ教育が進んでいる国であっても点字教育や歩行訓練の地域格差が大きいこと、教育や雇用に関する障害者全体および障害種別ごとの統計が不足していること、さらに移動や情報アクセスに深刻な困難が存在することが浮き彫りとなった。
 会場では多くのボランティアが配置され、積極的に声をかけて支援しており、休憩時間やロビーでは、ボサノバやサンバ等が演奏され盛り上がっていた。ただ、100を超える国・地域から多数の参加者が集まっていたにもかかわらず、参加者同士の出会いや交流を促進する工夫に欠けていた点が気になった。参加者リストを確認できる手段を設けたり、アプリなどを通じて相互交流を容易にする仕組みがあれば、より有意義であったと考える。そのような中でも、偶然隣り合った参加者と話す機会があり、トーゴやモザンビーク、プエルトリコの代表と交流を深めることができた。
 今回、ブラジルでは残念ながら公共交通を利用することはできなかった。しかし、特筆すべきは点字ブロックがさまざまな場所に設置されていたことである。サンパウロの空港に到着した時からその存在を実感し、会場となったホテルやそれほど整備されているわけではないリベルタージの街中でも警告ブロックを見かけることができた。

ヒマラヤに響く柔道の力 ──すべての人に可能性を──
(9) ブラインド柔道に託す未来

カトマンズ在住・写真家/古屋祐輔

 本来ならばネパールで開かれるはずだったブラインド柔道の大会が、2度にわたり延期となった。練習を重ねてきた子どもたちにとって、その知らせは落胆をもたらすものだった。
 柔道は道場での稽古だけで完結するものではない。実践の場に身を置き、勝利の喜びに胸を震わせ、メダルを手にする達成感を味わう。そして敗北を知り、「次こそは」と心を奮い立たせる──その循環こそが、柔道の本質であり、人を強くしなやかに育てる力となる。試合は単なる勝敗を決する場ではなく、自己肯定感を育み、未来へ挑む原動力を与えてくれるのだ。
 一方で、希望の兆しもある。この大会は個人での運営でなく、国によって公式に運営されることになっているのだ。つまり国が障害者スポーツの発展を担う姿勢を示したということである。これは、決して小さな一歩ではない。
 昨年、フランスで開かれた「パリ2024パラリンピック競技大会」で、ネパールのパレシャ・ゴヴェルダン選手がテコンドー女子57kg級(上肢障害)で銅メダルを獲得した。先天性四肢欠損症(左手の掌欠損)でカトマンズに生まれた彼女は現在22歳で、中国上海の同済大学建築学科の学生である。
 オリンピックとパラリンピックにおけるネパール史上初のメダリスト誕生は、国中に歓喜をもたらし、彼女は帰国後、多くのスポンサーや大会から引く手あまたとなった。
 その存在は「障害者スポーツは輝ける舞台だ」という社会的認識を押し上げる原動力となった。
 ネパールが初めてオリンピックに参加したのは 1964年の東京オリンピックで、以来60年間ネパール選手はオリンピックでメダルに手が届かなかった。しかし、パラリンピックで初めての栄光を手にしたことで、障害者スポーツが国の誇りとなりつつある。
 その流れに続き、ブラインド柔道の子どもたちが来年日本で開かれる「第5回愛知・名古屋2026アジアパラ競技大会」に挑む姿を想像すると、胸が熱くなる。たとえ結果がどうであれ、その経験は未来を切り拓くかけがえのない一歩となるだろう。
 柔道を通じて生まれる「自分はできる」という確信。それを子どもたちが体の奥深くに刻み込んでいけるように。延期の壁を越え、彼らが試合場で光を放つ日を、心から待ち望んでいる。
 ブラインド柔道のコーチとの話の中では、これからJICAの青年海外協力隊でネパールの障害者柔道という枠組みで、日本人コーチの申請を出そうかと話をしている。ネパール国内での障害という偏見に対して、少しずつ変わる兆しがある。
 私がネパールに住み始めた9年前、ネパールで手話を学びたいと思って、手話教室に通い手話を覚えた。だけれども、周囲のネパールの方たちは「手話を外で使ったら恥ずかしいからやめた方がいい。あなたも障害者と見られるから」とそう言われたのを鮮明に覚えている。
 デフ柔道場、ブラインド柔道場を作った時も、他のネパール人の柔道の指導者から「障害者の柔道の支援をしてなんになる? それよりもネパールの代表選手をもっとサポートした方がいい」と言われた。それを同じ柔道をやっている方が言うのか、と落胆した。
 しかし、時は少しずつ、確実に流れを変え始めている。あの時、冷ややかな言葉を投げかけてきた人々の中にも、今では子どもたちの姿を見て考えを改める者が現れている。
 障害のある子どもが畳に立ち、堂々と組み合い、勝って喜び、負けて涙を流す。その姿は、理屈ではなく「人」としての真実を突きつける力を持つ。観客はその光景に心を揺さぶられ、「障害者だから」ではなく「柔道家として」彼らを見つめ始めている。
 国際大会への道が開かれた今、子どもたちはもう“特別な存在”ではない。彼らは挑戦者であり、未来を担う選手だ。
 その一歩を支えるために、日本のコーチや専門家がネパールに関わることは、大きな意味を持つ。技術の指導にとどまらず、彼らが「夢を持つことは許されている」と感じられる環境を整えることこそが、次世代の財産になる。
 私はこれまで、障害に対する偏見に何度も立ち向かってきた。その度に、自分の小さな声が果たして何を変えられるのかと、心が折れそうになる瞬間もあった。だが、目の前で畳に立つ子どもたちの姿を見るたびに思うのだ──希望とは、決して遠くにあるものではない、と。小さな勝利、小さな変化の積み重ねが、やがて社会全体を動かす力となるのだと。
 ブラインド柔道は、単なるスポーツの枠を超えた存在になりつつある。それは、ネパール社会が障害者を「守られる存在」から「誇れる存在」へと見方を変えていく過程の象徴でもある。延期という壁に阻まれた今も、その灯は決して消えてはいない。むしろ、困難を乗り越えることで、彼らの光はさらに強くなるだろう。
 そして私自身もまた、この物語の証人でありたい。子どもたちが未来に向かって畳に立つその瞬間を、カメラに収め、言葉に刻み、世界に届けること。それが、私がネパールで生きる意味の1つであると、確信している。

編集後記

 田丸敬一朗さんによる(特別寄稿)の中で、ブラジル・サンパウロにて行われた第11回WBU総会について記しています。大会4日目と5日目にはWBU執行役員選挙と大会宣言案の質疑・採択が行われる予定でした。しかしながら、ネット投票に時間がかかり、大会宣言が採択されないという異例の事態となりました。しかも、ネット投票が各国代表に伝えられたのは大会直前だったそうです。これは主催国であるブラジル盲人協会とカナダにあるWBU事務局間で、大会準備にあたりコミュニケーションが不足していた結果だと推測されます。今日ではオンラインで打ち合わせができるようになり、便利になりました。しかし、WBU総会といった大がかりな大会を実施するには、事務局がブラジルに少なくとも大会1週間前から入って対面での話し合いが必要だったのではないでしょうか。そんな中で、日本とゆかりのあるタイ盲人協会のアップル氏がWBUAP新会長に選出されました。彼女の活躍が楽しみです。(戸塚辰永)

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