点字ジャーナル 2025年8月号
2025.07.25

目次
- 巻頭コラム:『イワンのばか』を再読して
- (インタビュー)特派員が見たプーチンの印象
- ヒマラヤに響く柔道の力 ―― すべての人に可能性を
(6)誰のための支援か ―― ネパールから問い直す - セントルシアで視覚障害指圧師を育てる(10)ハリケーン
- ネパールに愛の灯を ―― わが国際協力の軌跡(12)教科書改訂とディーゼル車
- 長崎盲125年と盲教育(28)『盲教育白書』の作成
- 自分が変わること(193)ムトゥワと梅原猛
- リレーエッセイ:佐藤由紀子のイタリア探検(下)――美術館とさわる絵本――
- アフターセブン(125) アイデアの泉
- 大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
(276) 新横綱と元大関の縁と固い絆 - 時代の風プラス:劇団民藝公演、
「江ノ島Sweet Spot」発売、
「眼の中に色素がたまる病気」の原因を3次元構造から解明 - 編集後記
巻頭コラム:『イワンのばか』を再読して
私が当協会に入職したのは、日本が「総中流社会」と言われ始めた1977年のことです。当時の定年は55歳でしたから、33年働けば楽隠居できるものと思っていました。ところが実際には48年間勤務し、その間、小誌編集長も21年余り務め、リタイアは70歳になってからとなりました。しかも、この7月末に東京の住まいを引き払った後は、熊本の山奥で父親を介護しながらの生活です。もっとも、3年前から毎月帰郷していたので、今ではすっかり慣れたものですが。
さて、過去48年間最大の驚天動地といえば、1989年のベルリンの壁崩壊とそれに続く1991年のソ連邦の崩壊でしょう。これらの出来事は、その後のロシアの混乱、プーチン大統領の登場、さらにはウクライナへの侵略戦争へとつながります。
プーチン大統領は、大文豪・レフ・トルストイを尊敬しており、『戦争と平和』を「最も影響を受けた文学作品のひとつ」と語っています。しかし、トルストイの思想は、あらゆる戦争と国家が主導する暴力の否定なので、プーチン氏がそれをどう読んだのか、理解しかねます。
トルストイ晩年の作品に、『イワンのばか』という寓話があります。登場する4人きょうだいの長男は軍人、次男は商人、三男はお人好しの農民イワン、そして末の妹は聾者です。頭の良い長男と次男は悪魔に誘惑され、前者は権力亡者に、後者は金儲けに狂って堕落します。一方、「ばか」と呼ばれるイワンは、両親を養い、妹の世話をし、働き者で利己心がなく、神を信じ、搾取しない生き方を貫きます。やがて国王となったイワンは、人々に善良な労働と助け合いの暮らしをもたらします。その国には兵士も法律も裁判所も必要なくなり、悪魔は何もできずに去っていく──そんなお伽噺風民話的寓話です。
60年ぶりに読み返してみると、長男はプーチン大統領に、次男はその配下のオリガルヒたちに、まるで生き写しのように思えました。彼らの行動も、悪魔にそそのかされたと考えれば、腑に落ちます。
読者の皆さまには、長い間、ご支援・ご鞭撻をいただき、誠にありがとうございました。福山博 拝
(インタビュー)
特派員が見たプーチンの印象
【2022年2月にロシアがウクライナに侵攻して3年半が経過しました。目下、米国のドナルド・トランプ大統領が主導する停戦交渉が進行中です。しかし安易な停戦でロシアのウラジーミル・プーチン政権による侵略を見逃したら、戦前の英国首相チェンバレンの主導により締結されたミュンヘン協定の二の舞になる恐れがあります。当時のチェンバレンの役割をトランプが担うとすれば、ヒトラーの立場にいるのは、プーチンです。「ウクライナ戦争」の本質的な特徴は、停戦の決定権がほぼ完全にプーチン大統領にあるということです。彼がどのような思想的背景を持ち、何を考えているのか、彼が言っていることは詭弁にしか聞こえず、私たちにはなかなかピンときません。そこでロシアを現地取材した元毎日新聞モスクワ支局長である当協会大木俊治(おおき・としはる)業務執行理事に解説をお願いした次第です。聞き手は戸塚辰永と福山博、構成は岩屋芳夫。以下、敬称略】
戸塚:まず、海外特派員としての経歴を教えてください。
大木:1985年に毎日新聞社に入社し、1989年から外信部で国際ニュースを担当し、1994年10月から1999年4月までモスクワ支局に勤務しました。その後、名古屋の報道部で2年勤務し、2001年からスイスのジュネーブ支局に4年半ほど勤務しました。2005年に東京の外信部にもどり、2007年5月から2010年9月までモスクワ支局長を務めました。
戸塚:1994年のロシアはどんな状況でしたか?
大木:ソ連が崩壊してロシアとなり、自由だけど、物価は高騰し、ルーブルは下落し紙きれ同然でした。工場や役所は給料を払えず人々は自宅から持ち出してきたガラクタを路上に並べて売っていました。大学教授や高級官僚が自家用車で外国人向けの白タクをしていました。プーチンが白タクをしていたという話もあるようですが、1991年にソ連の崩壊とともにKGB(ソ連国家保安委員会)を辞めたプーチンは、故郷のサンクトペテルブルクでいろいろなビジネスをしていたと聞いていますので、その時にしていたのかもしれませんね。
戸塚:特派員の生活に物不足の影響はなかったのですか?
大木:商店にも物がないといわれてましたが、私はあまり物不足という印象はなく、むしろ物はあるけど高かったですね。ロシア人は郊外に畑を持っている人が多くて、野菜や芋を栽培して飢え死にから逃れていました。
戸塚:1999年にボリス・エリツィン退陣直前にロシアを離れられたわけですが、同大統領の印象はいかがですか?
大木:大柄(187cm)で、大酒飲みでした。1996年の大統領選キャンペーンに同行しましたが、当時の彼は65歳で、近くから見ると背中を丸めて疲れた顔をしており、テレビで見ているのとは大違いでした。
戸塚:プーチンはエリツィンによって1999年8月16日に首相に任命されていますが、プーチンの存在をはじめて意識されたのはいつですか?
大木:私がモスクワにいた間に意識したことはありません。エリツィンの後継者には何人もの名前があがっていましたが、その中にプーチンの名はありませんでした。最初にプーチンの名前が出た時には、多くのロシア専門家が「誰?」と問い返したくらいです。
戸塚:プーチンを直接見たのはいつですか?
大木:クレムリンで開かれたパーティーでプーチンを最初に見た印象は、「小柄な人だな」でした。
戸塚:2000年5月に47歳の若さでロシア大統領に就任したプーチンは、強権的な手段を使って混乱を極めた社会秩序の安定と経済の立て直しを急いだといわれていますが、実際はどうだったのですか?
大木:プーチンに先見の明があったのは、ロシアの資原(石油、天然ガス)を武器にして経済を立て直したことです。エリツィン時代は、民間のやり手が争っていた権益を、全て国の資産としました。彼にとって運が良かったのは、ちょうどその頃、原油の価格があがり始めたことです。一方で、与党が少数の議会は混乱を続けました。そこでプーチンは、混乱の火種となる政党を資金面からしめあげて、意に沿わない政治勢力を抑え込みました。それでもロシア国民がソ連崩壊直後の大混乱の時期よりも、多少不自由でも、安定した社会を望みプーチン人気がうなぎ登りでした。
戸塚:その頃のプーチンは、中道派だったのですか?
大木:両面あったと思います。経済では市場経済を進めていましたが、ロシアを強くするという国家主義は一貫していました。
戸塚:プーチンはいつから保守強硬派になったのですか?
大木:最初の頃からです。大統領になった時に、チェチェン共和国がロシアからの独立を求めましたが軍事力で潰しています。モスクワの郊外でテロ事件が起きそれをチェチェンのせいにして、国民の支持を集めました。しかし事件がチェチェン人によるものかどうか、真偽は定かではありません。やらせだったという説も有力です。
戸塚:ロシアによるウクライナへの軍事侵攻をなぜ、ロシアの専門家はことごとくまちがえたのですか?
大木:私も直前までプーチンはそんなことしないと言っていたので、侵攻の朝は呆然としました。プーチンは、それまで欧米を相手に大変うまく立ち回っていました。プーチンの手法は、自分たちの主張を通すために「いざとなったらやるぞ」とおどして、でも実際にはやらない。それで取れるところまで取るという方法で成功していました。実際に軍事力を使ってしまったらどうなるのか、一歩間違えれば第三次世界大戦になるわけだし、ロシアに石油・ガスの資原があるとはいえ、欧米に比べれば経済的に遅れていることを彼は現実的に考えていて、最後の手段には出ないだろうとみんな思っていました。
福山:ウクライナ侵攻について、米国は侵略直前だと公表していました。プーチンは、2014年にクリミア侵攻の前科があります。それなのに、ロシアの専門家は、ウクライナ侵攻はないとみていたのですか?
大木:プーチンは賢いというか、やり方が上手です。クリミアはロシア人が多く、ウクライナから出てロシアにもどりたいという政治勢力もかなりいたのです。2014年2月にウクライナのキエフ(キーウ)でマイダン革命が起きました。市民によるクーデターで、親ロシア派から親欧米派の政権に代わりました。その直前にドイツ、フランス、ポーランドが仲介して、ウクライナで近々大統領選挙をすることで合意されました。それにもかかわらず、親欧米派が政権を握ってしまったことにプーチンは激怒しました。そこで親ロシア派の住民が多いクリミアに情報戦を展開し、「ウクライナで過激勢力が政権を取ったからロシア人を弾圧しにクリミアにやって来るぞ」といった偽情報を流して住民を怯えさせました。そのような中で親ロシア派がクリミア議会でウクライナからの独立とロシアへの偏入を議決したので、地元の要求をロシアが受け入れるという形を作ったのです。2022年にウクライナに侵攻した時もうまくいくと思っていたのでしょう。当時、ウクライナに派遣された軍隊は、ウクライナに行ったら勧迎されると思っていたら、「ロシアに帰れ!」と言われて呆然としたそうです。あっという間にウクライナは降伏し、ロシアの軍門に下ると思っていた節があります。プーチンは情報が遮断されていたのか、完全に見誤って、逆にウクライナが反ロシアで団結してしまって墓穴を掘ったのかなと思います。クリミアでの成功体験により見誤ったのかも知れませんね。
戸塚:プーチンはウクライナへの侵略を、「戦争ではない特別軍事作戦だ」と強弁していますが、これは何のためですか?
大木:プーチンは名門・レニングラード大学法学部を出ているので、戦争が国際法違反だということは承知しています。そこでウクライナ東部の人達が独立を求めてロシアに保護を求めたので、ロシアはその独立を承認し、彼らを保護するために派兵する特別軍事作戦を行うという理屈をたてました。ウクライナはある時はポーランドの、またある時はロシアの一部であったり、東と西で別れていた時もあります。民族の独立運動がロシア革命と第二次世界大戦中の2度あったのですが、いずれも潰されており、「歴史上ウクライナという国はなく、独立国として認めない」というのがプーチンの立場です。「ルースキー・ミール(ロシアの世界)」という考えがあります。スラブ民族で、ロシア正教を信仰するロシアは、欧米とは異なる文化で、それを守るのがロシアの使命だとプーチンは考えています。ウクライナが一部の親欧米過激派に支配されているのが間違いなので、それを正すのが特別軍事作戦だとプーチンは強弁するのです。
福山:ルースキー・ミールに対する攻撃は被害妄想ではないのですか?
大木:被害妄想だとは思います。ロシアは被害妄想の国と言っても過言ではありません。ロシアのアイデンティティーやロシアがなくなるということに対する恐れは強いのです。ナポレオンが攻め込んできた時は「祖国戦争」で、第二次世界大戦のことをロシアでは「大祖国戦争」と呼びます。ナポレオンは冬将軍に敗れ、ナチス・ドイツがウクライナからモスクワのすぐ先まで攻めてきたときも最後はソ連が勝ちましたが、3000万人の人命を失いました。そういう歴史があるので、いつ自分の国が存亡の危機にさらされるかわからないと考えるのです。米国が世界をコントロールして、米国のいうことをきかないとイラクやシリアがそうであったように潰される。次はロシアだと考えるのも無理からぬ面もありますが、冷静に考えればそんなことはないのですが、このままではロシアがなくなってしまうとプーチンは強く思い込んでいるのです。
戸塚:ロシア国民は、ウクライナへの侵略を支持しているのですか?
大木:支持しているのかどうか判らないところもあります。ロシアの特に高齢者は国が統制しているテレビから情報を得ていますが、テレビはロシア政府の言い分しか流しません。情報操作が巧みなので大部分の人は本当に信じているのでしょう。若い人たちの中には、インターネットで欧米のニュースを見て、おかしいと思っている人たちもいます。しかし、声をあげると、金をもらった外国の手先だとレッテルを貼られて追い込まれるので、本当のことを言いたい人は外国へ逃げるしかないのです。
戸塚:エリツィン時代は政権批判という言論の自由がありましたが、プーチン政権下ではそれがなくなりました。ロシア国民はどのように考えているのですか?
大木:ソ連時代やソ連崩壊後の混乱を知らない若い人たちは、プーチンの下で育っているので、世の中はこういうものだと思っているでしょう。エリツィン時代を知っている世代は、生活が大変だったあんな時代はもうこりごりだと思っています。プーチンの時代になって、石油・ガスでお金が入ってくるようになり、ソ連時代のぼろい建物は再開発で、きれいなショッピングモールになり、みんな車を買えるようになり、生活は豊かになり、便利になり、物乞いもいなくなりました。自由にものを言えても経済が破綻した社会より、今の方がいいと思っている人が多いでしょう。
戸塚:欧米の個人主義に対して、ロシアには国家主義的な価値観や「強いリーダー」に対する支持が根強い集団主義があるといわれていますが、どうですか?
大木:それはあると思います。地理的に西のヨーロッパと東のアジアにまたがったロシアは伝統的に西欧派とスラブ派が、ヨーロッパの一部なのか、それともヨーロッパとは違う独自の世界なのかという論争をずっとしてきました。今は、先に触れたルースキー・ミールというロシア独特の世界があるという考え方が主流です。ロシアの歴史をみると、ツァーリ(皇帝)が治めていた帝政ロシアの時代が長く、それが崩壊した後もわずかな期間を除いて、共産党による一党独裁の時代が長く続きました。ロシア人は上からの抑圧の歴史の中で生きてきたとさえいえるのです。ロシア人のメンタリティーとして、表で正論を述べるよりは、台所でリーダーの悪口を言って憂さを晴らすというのがあります。だからこそ押さえつけられていたものが爆発すると革命が起きるということもあるのかもしれません。
戸塚:ロシアの保守派は、ロシア、ウクライナ、ベラルーシが歴史的、文化的に一体であるという考え方なので、プーチンはウクライナの大統領が欧米派になることを今後も許さないと考えているというのは本当ですか?
大木:どこまで許容するかということですが、ウクライナの大統領は親欧米派と親ロシア派の大統領がだいたい交互に担っていました。ロシアは、親欧米派の大統領とは争い、親ロシア派の大統領とは仲良くしてきました。親欧米派を全く認めないということではないと思いますが、プーチンは、ウクライナがNATOに加盟することは許せない。NATOに加盟するということは、ロシアの国境に米軍がやってくるということなので、これはロシアの安全保障上絶対譲らないでしょう。
福山:2001年の9.11テロ事件の直後にプーチンは米大統領に電話をして、米国を支持すると表明しました。その頃のプーチンは欧米協調路線だったと思いますが、いつ頃から欧米との協調路線から方向転換したのですか?
大木:最初はたしかに欧米とも協調路線をとっていて、共通の敵としてイスラム過激派があるので、利害が一致していました。潮目が変わったのは、2003年のイラク戦争です。イラクとロシアは良好な関係でしたが、サダム・フセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っているとして米国が戦争を始めましたが、実際には隠し持ってはいませんでした。米国のいうことを聞かない政権は潰して新しい政権をつくるというブッシュ政権のやり方にプーチンは疑問を持ち、米国との距離をおき始めたのではないかと思っています。
福山:プーチンは欧米協調路線のときは猫をかぶっていたのでしょうか? それとも途中で協調路線から考えを変えたのでしょうか?
大木:それは、私も「あなたはいつから、こうなったのですか?」とプーチンに聞いてみたいところです。プーチンの根っこには、ロシアという国を大事にするという気持ちがあります。だから祖国を守るという強い思いからKGBに就職したのです。経済的にもロシアが強くなるのならその手段として欧米との協調を考えたんだと思います。しかし、途中で飲み込まれてしまうのではないかという危機感を持ったのかも知れません。猫をかぶっていたというよりも、一線を越えたら最後まで抵抗するぞ、というのは最初から持っていたでしょう。プーチン大統領が歴史研究を通じて自身の使命を探求していました。今回のウクライナ侵攻は、今がその時だと思い込んでしまったんだろうと思います。正確な情報が入っていたら、こんな間違った判断をしなかったのではないかとも思います。
福山:トランプ米大統領が停戦に向けて動いているようですが、ウクライナが東側をロシアに差し出したら戦争は終わるのでしょうか?
大木:現状、ウクライナ東部はロシアに占領されています。それをウクライナは認めないけれど、占領されたまま戦争を終えるということはあるだろうと思います。プーチンは、ウクライナの非軍事化、非ナチス化、NATO加盟阻止を掲げています。今のウクライナは民族主義の政権だからナチスと同じで、これを変えるのが、今回の特別軍事作戦の目的だとしています。この大命題を降ろすわけにはいかないので、ゼレンスキー大統領が変わらなければ、戦争は終わらないと思います。
福山:ゼレンスキーは、戦争が終わるのであれば大統領を辞めてもいいと言っています。しかも彼はユダヤ人なのでナチスのわけはなく、非軍事化を認めたら国家でなくなるので、それは受け入れられないでしょう。
大木:ウクライナが軍隊を持たない国になるのは考えにくいですが、NATOに加盟しない、NATO軍がウクライナに駐留しないということでロシアの安全が確保されれば非軍事化が達成されたとみなせるのではないでしょうか。非軍事化は文字通り軍隊の放棄というよりは、ロシアの安全が保障される取り決めができると理解すればいいのではないでしょうか。
福山:ウクライナにあった核施設についてのブダペスト覚書でウクライナの安全は保障されていたはずなのに、ロシアが約束を破ったことをプーチンはどう考えているのですか?
大木:決してプーチンを擁護するわけではありませんが、2014年のマイダン革命で正当な政権が倒されたことで「覚書」は破棄されたと、プーチンは言うのです。正当な政権なら守るが、それをひっくり返した反乱政権はロシアに歯向かってくるので、この政権との間の協定はないというのがプーチンの理屈です。乱暴ですが、プーチンなりの理屈はあるのです。トランプは無謀なやり方で戦争を止めようとしていますが、何らかの形で停戦は必要だと思います。日本のロシア・ウクライナ学者の中にも正義派と和平派に2分されているのも事実です。しかし、私はその議論には加わりません。
福山:私たちは「正義のためにウクライナ人は最後の一兵まで戦え」とも、「これ以上の被害を出さないようにウクライナは無条件降伏すべきだ」とも言うべきではないですからね。お話をうかがって、プーチンの理屈はやはり詭弁にしか聞こえませんが、彼の使命感や危機感などは幾らか理解できました。プーチンは戦略的な知性を持つ、ロシアの保守的な指導者だったのですね。長時間ありがとうございました。
編集後記
私が当協会に入職して間もないころ、福山編集課長(当時)からの薫陶は、「滅私奉公、雑巾がけからしなさい」という厳しい言葉でした。この言葉に反して福山さんは、公私ともども私を助けてくださいました。
福山前編集長の「巻頭コラム」は今回が最後です。コラムの中で、時として手厳しい意見を述べる福山さんのファンが、読者の中には少なからずいたことでしょう。福山さんには、当分の間「ネパールに愛の灯を」を連載していただきますので、楽しみにしてください。
ウクライナ戦争が勃発してから早3年半が経とうとしています。この間、戦争により障害者が多く生まれました。心が痛みます。ウクライナ・ロシア双方の人々に平和が訪れることを願ってやみません。
投稿をお待ちしています。本誌に関する感想、意見、日ごろ感じていること等を点字32マス27行、あるいは墨字400文字、住所・氏名を記し、本誌編集部宛てにお送りください。(戸塚辰永)