点字ジャーナル 2025年7月号
2025.06.25

目次
- 巻頭コラム:赤塚不二夫のさわる絵本
- 千葉で日視連大会開かれる
- 与那嶺岩夫さんを悼む――ミスターKの遺言――
- (寄稿)軍事政権下での大地震
―― 命の危機にさらされるミャンマーの視覚障害者たち - ヒマラヤに響く柔道の力 ―― すべての人に可能性を
(5)柔道が教えてくれた「転ばない」よりも大切なこと - セントルシアで視覚障害指圧師を育てる(9)指圧デモンストレーション
- ネパールに愛の灯を ―― わが国際協力の軌跡(10)日本研修の成否 その2
- 長崎盲125年と盲教育(27)産業教育研究校の指定
- 自分が変わること(192)シャーマンをどう書くか
- リレーエッセイ:佐藤由紀子のイタリア探検(中)――パンデミックを越えて――
- アフターセブン(124) たとえ神が存在するとしても
- 大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
(275) 大の里、新横綱に昇進 - 時代の風プラス:ふれる博物館第16回企画展、
国交省が鉄道施設の歩行訓練プログラム作成、
足首の捻挫 関節の安定化に2~6週間、
唾液でわかる睡眠不良 - 編集後記
巻頭コラム:赤塚不二夫のさわる絵本
友人から漫画家の赤塚不二夫さんが手がけたさわる絵本をもらった。視覚障害のある子供も笑わせたいという思いから制作され2000年に発行された本なのだが、読者の皆さんはご存じだろうか。
赤塚さんは点字の学習絵本で点字や触図について勉強し、点字コーディネーターの力も借りて試行錯誤の末にこの本を作ったそうだ。タイトルは『赤塚不二夫のさわる絵本 よーいどん!』。ニャロメやチビ太など赤塚さんの作品に出てくるおなじみのキャラクターたちと一緒に、立体印刷された迷路をたどってゴールを目指すという内容だ。
娘に読んであげると、これが大当たり。本をもらった当時娘はまだ1歳になったばかりだったので、まだ早いかなあと思っていた私はびっくりした。
最初のうち娘は個性的なキャラクターに興味津々で、イヤミの特徴であるぴょんとはねた髪の毛を真似て自分の髪の毛をつまんでみたり、べしという名前の響きにキャッキャと大笑いしたりしていた。
3歳になった最近はキャラクターの動きが面白くなってきたらしく、「ジュース飲んでるよ」「なんか投げてる」と言ってわくわくしながらページをめくっている。「ほら、これ触ってみて」と娘に言われて本に触れるというのもほかの絵本ではなかなかできない体験だ。
普段接する触図と比べると漫画的要素があるため線の構成が複雑で、最初は誰が誰だかさっぱり分からなかったのだが、繰り返し読んでいるうちに私にもそれぞれの特徴が分かるようになってきた。
娘も点字や立体印刷の感触が面白いようで熱心に本を触っている。本だけでなく電車のドアに書かれている点字なども読みたがるので、手が届くようにしてあげると「ふむふむ」と指でなぞっているので笑ってしまう。
本の最後に添えられたあとがきには、「ひとりでよんでもたのしいけれど、だれかとよむと、もっとたのしくなるぞ。そうやってみんなが、なかよくなってくれたら、ぼくは、いちばんうれしいです」という言葉が出てくる。私はこのあとがきが温かくて大好きだ。娘が成長し、また新たな視点でこの本の面白さを教えてくれることが楽しみである。(宮内亜依)
千葉で日視連大会開かれる
5月25日(日)、26日(月)、日本視覚障害者団体連合(日視連、竹下義樹会長)と千葉県視覚障害者福祉協会(千葉県視障協、今野正隆会長)は、第78回全国視覚障害者福祉大会(千葉大会)を千葉市美浜区のTKP東京ベイ幕張ホールで開催した。初日には開会式、分科会、全国団体長会議が開かれた。2日目には全国から700人を超える会員、関係者が出席して全国大会が開催され、今年もユーチューブで全国に配信された。
初日の午前は、開会式に先立って「多様な見え方の人が集い、共に幸せに暮すために」と題するシンポジウムが開かれた。弱視、視野狭窄、色覚多様性、眼球使用困難症など障害の原因や程度が様々で多様な見え方の6人がシンポジストとして登壇し、困っていることや望むことなどについて発言した。シンポジストの1人は眼球使用困難症で、帯状疱疹の後で光に過敏になったという。眼球使用困難症は、屋内の照明にも強いまぶしさを感じ、目をあけていられないという。日常生活に困難があるものの、現状は障害者手帳や障害者年金の対象になっていない。当日は、光を1%しか通さない遮光メガネをかけ、さらに、厚手の黒い布で作った帽子のようなものをかぶってメガネの上や外側から光が入らないようにしていると自身の様子を話していた。
先天性白内障で0.3と0.06の視力の方は、身体障害者手帳の交付が受けられず、福祉サービスの利用もできない、と制度改革を求めていた。また、20代で網膜色素変性症と診断された方は、自身の経験から、いつでも、どこでも相談できる相談機関の整備、よりそう支援者の養成と確保を求めていた。このシンポジウムの様子は、後日、日視連のユーチューブで動画配信される予定だ。
開会式では主催者挨拶に続いて、千葉県警察音楽隊による歓迎の演奏があった。参加者の年齢層を考慮したのか、なつかしい曲が続き、口ずさんでいる人たちもいた。演奏の合間には防犯に関するメッセージもあり、警察としての仕事も忘れてはいなかった。大きな拍手に応えてアンコールでは「マツケンサンバ」が演奏され、会場はおおいに盛り上がった。
分科会は、今年も生活、バリアフリー、職業の3つで、加盟団体から提出された議案が審議された。生活分科会には44件の議案が提出され、同行援護に関するものが10件で最も多かった。車による同行援護を認めてほしいとの要望が9団体からあがっていた。これは、公共交通機関の利用が不便な地域に共通する課題で、日視連の今年度の運動方針にも取り上げられている。
バリアフリー分科会には46件の議案が提出されていた。鉄道、踏み切り、道路や歩道等の安全対策に関するものが18件と多かった。早朝や夜間に作動していない音響式信号機について、公共交通機関が運行している時間は作動させてほしいとの要望があがっていた。
職業分科会には21件の議案が提出されていた。職業分科会に提出された要望事項は、今年も3つの分科会で最も少なかった。分科会出席者も38人と他の分科会より少なかった。あはきに関連する7件の中に、あはきの国試でパソコンによる受験を認めてほしいとの要望があった。既にパソコンによる受験を実施している試験もあるが、必要としている人は何人いるのだろうか。
全国団体長会議では、竹下会長から今年度の運動方針が提案された。運動方針は、制度づくりに向けた取り組みと個別課題の2つに分けられていた。制度づくりに向けた取り組みでは、視覚障害者の対象となっていない眼球使用困難症や色覚多様性など、日常生活や社会生活に困難をかかえる全ての視覚障害者が障害者福祉の対象となるよう身体障害者福祉法の見直しを求める運動を開始しなければならない、と強調していた。
個別課題では、情報、外出、教育、あはき、一般就労、相談支援、災害、所得保障、障害福祉サービスの9つの柱がたてられていた。今年度中に就労移行支援事業所をたちあげると昨年より一歩踏み込んだ方針が示された。教育では、今年度中に「インクルーシブ教育推進懇談会」をたちあげるという。地域の学校で学ぶ児童生徒の点訳教科書が新年度に間に合わなかった事例があるという。インクルーシブ教育の課題は多く、日視連の取り組みに期待したい。
2日目の式典は熊谷俊人(くまがい・としひと)千葉県知事をはじめ、多くの来賓を招いて開かれた。竹下会長は挨拶の中で、コロナ禍以前の規模で大会が開けるようになったことを喜んでいた。式典に続く議事では、令和6年度決議処理報告、令和7年度運動方針、大会宣言、大会決議がいずれも現案通り承認された。大会宣言は高校生が、大会決議は大学生が朗読していたのが印象的だった。
来年の全国大会は、宮城県視覚障害者福祉協会(宇和野康弘会長)と仙台市視覚障害者福祉協会(高橋秀信会長)との共催で、6月7日(日)、8日(月)に仙台市で開催される。(岩屋芳夫)
(寄稿)軍事政権下での大地震
――命の危機にさらされるミャンマーの視覚障害者たち――
日本盲人福祉委員会 監事/山口和彦
3月28日、ミャンマー中部で発生したマグニチュード7.7の大地震は発生から3か月近く経過したが、いまだ様子がよくわからない。倒壊した建物の下敷きになったままで、安否が確認できない状態だった多くの人々は犠牲になったものと推測される。
現状が把握できない要因は、2021年2月にクーデターによって政権を奪った軍事政権が、少数民族武装集団を攻撃し、政治的反対勢力を抑圧するため通信手段を統制下に置いているからだ。
この4月にお忍びで来日したウ・ティン・ルインミャンマー盲人協会(MNAB)名誉会長、ビルマ近現代史の研究者である根本 敬(ねもと・けい)上智大学名誉教授の話や、国際視覚障害者援護協会元留学生、ダン・クン・チャンさんによるMNAB会報の翻訳などから知りえた情報をまとめ、混迷するミャンマーの現状をお伝えし、更に皆様方からの支援を仰ぎたい。
命の危機
ミャンマーでの命の危機は、2020年3月頃のコロナ禍から始まり、2021年2月の軍事クーデターに伴う混乱、さらに2025年3月28日の大地震と危機的状況が続く。4月末の時点で地震の死亡・行方不明者は約4500人、負傷者約6000人、家屋倒壊約4万棟以上と言われている。実際は、更に多いと思われるが、軍事政権下では実態が把握できない状態だ。
3月、4月と毎日、日中40℃を超える猛暑が続いた。震源地のマンダレー(都市圏人口214万人)の多くの住民は、テントや寺に避難して昼夜を過ごしている。しかし、被災地に向かう道路や橋はほとんど崩壊していて、支援者が入ることがなかなか難しい模様だ。避難所の設置も進まず、医療品、食糧、水などすべて不足しており、国民生活は崩壊し、命の危機に直面している。日常生活で困窮をきたしている人は、少なくとも総人口5114万人の1割を超える630万人いると推測される。
視覚障害者の被害
震源地のマンダレー、ザガイン管区(人口532万5347人)、首都のネピドー(人口115万8000人)など被害の大きかった地域では、マッサージ治療院がほとんど潰れてしまった。マンダレーに盲学校があるが、MNABによると同校では食堂が倒壊したという。ザガイン盲学校では、女子生徒が1人、地震があった際、ベッドの下に隠れていたところ、壁が倒れてきて下敷きになり亡くなった。同校では、女子寄宿舎と食堂も倒壊した。
視覚障害者の夫婦がマッサージで開業していた2階建ての治療院も潰れた。マッサージで生計を立てていた被災地で暮らす視覚障害者の多くは、親族に身を寄せたり、寺に保護されている。
ネピドーでマッサージをしているTさんは、地震が起きたとき、患者さんにマッサージの仕上げをしていた。あまりに揺れが大きいので、患者さんと一緒に外に避難した。しばらくして治療院が倒壊してしまった。Tさんは、ほかの被災者と同様、道路上での避難生活を余儀なくされた。
「夜になると蚊がいっぱいくるし、余震もまだまだあるのです。夜は電気がつかないので、真っ暗な中で悪い人が来て何かされるのではと心配でよく寝れません。体力も限界にきているし、精神的におかしくなる人も少なくないです。こうした厳しい環境につけこみ、甘い話を持ち込んで人身売買もあると聞いています」と、Tさんは涙ながらに話す。
3月、4月はミャンマーで一番暑い時期で、水不足が被災者を襲った。停電・断水の影響で水もなかなか手に入らない。ミネラルウォーターは震災前と比べ3倍ぐらいに跳ね上がっている。そうしたこともあって、Tさんは周囲の人からの支援を受けて、なんとか実家の村に帰ることができた。
マンダレーから600km離れている南部の中心都市ヤンゴン(人口516万512人)では震度4程度で、建物の倒壊はほとんどなかったが、大規模な計画停電と断水が続いた。
日本からの支援
ミャンマー地震直後から日本盲人福祉委員会(日盲委)はMNABと連絡を取り、2025年4月3日から8月31日まで「ミャンマー被災視覚障害者支援募金」を呼び掛けている。
日盲委は、タイで山岳民族の子供たちなどに本の読み聞かせを行う「アークどこでも本読み隊」代表堀内佳美さん(全盲)を通じて2回にわたり計100万円をMNABに送金している。5月22日時点の募金額は、125万9000円にのぼる。
ミャンマー地震が発生した直後には、多くのメディアが被災状況を報道したが、時間がたつにつれ現地の状況はほとんど報じられていない。それとともに、人々の関心も薄らぎつつある。
ミャンマーは6月から雨季に入り、サイクロンが被災地を襲う。農村部ではトタン屋根の家屋が多く、都市部に比べて人的被害はそれほど多くなかったようだが、家屋が倒壊し、テント生活をしている被災者も多数いる。
サイクロンは洪水による浸水を引き起こし、衛生面の悪化による感染症や蚊が媒介するマラリアが流行する恐れがある。継続的な支援が必要だ。
募金しても軍事政権にわたり、それが民主化勢力を攻撃する資金に回ってしまうのではないかと考え、募金を躊躇う方もいるだろう。しかし、日盲委への募金は確実にMNABに送金されており、MNABから受領証とともに感謝のメッセージが日盲委に送られている。
日盲委による、ミャンマー被災視覚障害者支援募金受付口座は次の通り。
ゆうちょ銀行寄付金受付口座:郵便振替口座00190-2-701753・口座名 社会福祉法人日本盲人福祉委員会
ゆうちょ銀行以外の金融機関から振り込む場合の受付口座:店番(店名)019(ゼロイチキュウ)店・預金種目当座・口座番号0587919
なお、振込手数料は寄付者負担。寄付金は、控除対象。
現地の支援活動
地震発生直後、ヤーミン・オーンマーMNAB事務局長を緊急対策本部長に、アウン・コー・ミエント元会長を同本部事務局長に据え、被害状況把握と被災者支援に入った。アウン・コー・ミエントさんは、ダスキン・アジア太平洋障害者育成事業第2期生、日本で研修を受けており、日本語で感謝の言葉を配信している。
この地震でMNAB会員の30%が被害を受け、損失は69万8000ドル(約1億121万円)と推定される。ちなみに同国の1人当たりGDP(国内総生産)は、1105ドル(16万225円)とかなり低い。
マンダレーやネピドーでは、視覚障害者が営むマッサージ店28店が倒壊し、多くの視覚障害マッサージ師が職を失い支援を求めている。
これに対して、MNABは、5月上旬までに視覚障害者を中心とする169人の被災障害者に見舞金を送っている。また、授業再開の見込みが立たないザガイン盲学校の児童・生徒50人を他の盲学校に転校できるよう現在政府と交渉中だ。
地震災害という緊急事態でありながらもそれに動じず、WBU(世界盲人連合)と連絡を取り、被災者を支援するMNABは、日ごろからしっかりした組織運営がなされていることを今回の地震対応で証明したと言えよう。
編集後記
岩屋記者の日視連大会取材記事中に「眼球使用困難症」という聞きなれない病名が出てきます。私がこの病名を初めて聞いたのは、数年前のことです。通勤途上ときどき介助してくれる方が、「友人が眼球使用困難症で大変困っている」と話しました。気になった私は、ネットで調べると、この疾患は眼球自体に異常がないのに、わずかな光を見ただけで頭痛や眩暈で寝込んだり、失神してしまう原因不明の症状だと知りました。日常生活に著しく支障をきたす症状がありながらも、眼球に異常がないため身体障害者手帳の交付を受けることができず、患者は福祉の谷間に置かれています。日視連が患者支援に力を入れていくことを期待しています。
マスコミは、「令和の米騒動」を連日報じています。能登半島地震やミャンマー地震の被害状況や被災者支援についてはほとんど報道されなくなっています。視覚障害被災者のその後が気がかりです。今後も取り上げていきたいと思います。(戸塚辰永)