点字ジャーナル 2024年8月号

2024.07.25

目次

  • (お知らせとお願い)来年度から本誌は64ページに
  • 巻頭コラム:寒さに敏感で暑さに鈍感な高齢者
  • 支援を求める皆さんの力に
  • (座談会)パリ・パラ大会の見どころを聞く
  • ネパール・ハイウェイを行く(7)唯一の盲学校
  • ネパールの盲教育と私の半生(38)連載最終回にあたって
  • 長崎盲125年と盲教育(16)全国盲学生体育大会への参加
  • 自分が変わること(181)レクイエムの月(下)
  • リレーエッセイ:言語化にこだわる私の柔道
  • アフターセブン(113)サードオピニオン
  • 大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
      (264)どんな困難にも真正面から向き合う花形力士
  • 時代の風:日本人の50人に1人が斜視、
      健康被害情報報告の義務化、
      スポーツ観戦で幸福感、
      母乳成分が大動脈瘤を縮小
  • 伝言板:ギャラリー展覧会「点字にふれる」、
      チャリティピアノコンサート東京公演、
      第5回チャリティー音楽祭スーパーライブ2024、
      第18回塙保己一賞候補者募集
  • 編集ログ

巻頭コラム:寒さに敏感で暑さに鈍感な高齢者

 93歳の父が「冷やか(寒い)! エアコンを止めてくれ」と言ったとき、私は息を呑んだ。
 少し認知症の症状があった叔母と母親を看取った妹から、かねて聞いていたことではあったが、父までも同じことを言うとは思ってもみなかったのだ。そればかりか、「(叔母や母が)エアコンをすぐに切ってしまう」という妹の愚痴に、父も同情・同意しており、高齢者熱中症の死亡事故にも強い関心を示していたのにである。
 エアコンは入れたばかりで、寒いわけがないと思ったが、冷風が少し父を直撃しているようだったので、エアコンは切らずに風向きだけを反対に変えた。そして、少し厚手のスポーツソックスを持ってきて素足の父に履かせた。その後は「エアコンを止めてくれ」とは言わなかったので、認知症の初期症状ではなかったらしい。
 私たちは自分が見たこと、聞いたこと、感じたことを絶対視する傾向がある。暑さ、寒さに対する体感も同じことである。だが、目の錯覚や空耳があるように、暑さ寒さにも錯誤がある。多くの勘違いは笑って済ませるケースが多いが、暑さに関しては体調を壊したり、熱中症を引き起こして、まかり間違えば死に至るので要注意だ。
 人間は体温を平熱(約37℃)に保とうとする恒温動物である。日光に温められたり、筋肉運動により自ら熱をつくり出したりすることによって、結果的に体温が上昇すると発汗などで体温調節を行い、平熱に戻す働きがある。
 ところが、外気温が高くなると、身体は熱を逃しにくくなり、体内の血液の流れも低下し、最終的に体温が上昇し熱中症が起こるのである。
 私たちは汗の量で暑さを知ることも多い。筋肉は水分の含有量が多いのだが、高齢化に伴い筋肉が衰えると体内の水分量が少なくなる。このため高齢者は、体温調節をする役割の汗をかきにくい傾向にある。さらに、基礎代謝が低いために寒さには敏感でも暑さには鈍感になるので、高齢者は熱中症になりやすいのである。(福山博)

支援を求める皆さんの力に

東京ヘレン・ケラー協会点字出版所長/大木俊治(おおき・としはる)

 ヘレン・ケラー女史が亡くなったのは、私が小学校1年生の時でした。教えてくれたのは担任の女性の先生でした。視力と聴力を失った女史が、その境遇に絶望せず努力を重ね、世界の障害者を励まし、力づけるために生涯をささげたことを、先生が熱っぽく語っていたことを覚えています。
 その女史の名を冠した東京ヘレン・ケラー協会で、7月1日から業務執行理事および点字出版所長を務めることになりました。
 簡単に自己紹介します。1961年9月、神奈川県生まれ。東京大学文学部を卒業後、1985年に毎日新聞社に入社。千葉支局を振り出しに、長く外信部で国際ニュースに携わり、海外ではモスクワ支局やジュネーブ支局で勤務しました。その後、論説委員、記事審査委員などを経て、定年後は企画編集グループに所属し、企業の活動紹介や、社長インタビューなどの記事を書いていました。
 これまでは新聞記者として、自分の関心のおもむくままに仕事をしてきました。これからは、視覚に障害がある皆さんの関心にこたえるにはどうすればよいかを第一に考え、支援を求める皆さんの力になれるよう、業務に取り組んでまいります。
 先日、協会が主催する同行援護従業者の養成研修を受講し、視覚に障害がある皆さんがどういう支援を求めているのかを学びました。新宿駅周辺での実習で、アイマスクをした利用者役の方をガイドしたときは、緊張で汗びっしょりとなりました。その方から終了後、「緊張が伝わってきてこわかった」と厳しく指摘されました。人混みにぶつからないよう誘導するのが精いっぱいで、周りを見てその様子を伝える余裕など全くなかったからでしょう。でも、だんだん落ち着きが出てきたのか、「後半は安心してついてゆくことができた」と話してくれました。たいへん励みになりました。
 新しい役職でも、早く皆さんのお役に立てるよう、力を尽くします。どうぞよろしくお願いいたします。

(座談会)
パリ・パラ大会の見どころを聞く

 【パリ・パラリンピック(パラ)大会が8月28日から始まる。大会を前にこれまでゴールボール、ブラインドサッカー(ブラサカ)、視覚障害者柔道で活躍してきた浦田理恵、加藤健人、初瀬勇輔のお三方に見どころについて語っていただいた。司会は本誌・戸塚辰永、構成は岩屋芳夫、敬称略。】
 司会:パリ・パラ大会の見どころと注目選手を中心にお話を伺いたいと考えています。では、はじめに浦田さんから自己紹介をお願いします。
 浦田:今福岡県在住です。ゴールボールで17年間現役生活を送り、パラには4大会出場しました。2012年のロンドン大会では金メダル、東京大会では銅メダルを取ることができました。東京パラを機に、現役を引退し、シニアアドバイザーとして後輩の育成、競技の普及、講演活動を行っています。
 加藤:ブラサカ元日本代表で、今は埼玉のチームでプレーしています。17、8歳の頃に視力がさがり、これから先、どうしたらいいかを悩んでいた時に両親からブラサカを紹介されました。2005年からブラサカを始め、2007年に日本代表となり、2021年までアジア大会、世界大会など15の国際大会に出場しました。東京大会を目指しましたが、代表から漏れました。そこで日本代表は引退し、それまで体験してきたことを伝えていこうと体験会や講演を行っています。
 初瀬:僕は大学生の時に目が悪くなって、視覚障害者柔道を始めました。北京パラ大会に出場し、国際大会にもいくつか出続けてきました。今年、視覚障害者柔道連盟の会長になりましたので、これからは選手の育成、サポートをしていきたいと思っています。
 司会:それぞれの種目について簡単にご紹介ください。
 浦田:ゴールボールは、パラスポーツならではのオリジナル競技です。選手はアイシェードという目かくしをします。3対3でボールを投げあって点を取りあうチーム競技です。ボールは中に鈴が入ったバスケットボールほどの大きさですが2倍以上重く1.25kgのゴム製であまりはねません。コートはバレーボールと同じ広さで、エンドラインにサッカーと同じようなゴールがあります。選手はゴールの前に並んでゴールを防いだり、ボールを転がしたり、バウンドさせたりして得点を取ります。鈴の音をたよりに、仲間と声をかけあうコミュニケーションが大事なスポーツです。ラインの下にはタコ糸があり、ラインが触れてわかるように工夫されています。手や足でそのでっぱりに触れてポジションを確認します。
 初瀬:パラの団体競技で日本が初めて金を取ったのは、浦田さん達のゴールボールでしたね。
 浦田:詳しいですね。今は男子がすごく力をつけてきていて、今年は男女ともに表彰台を期待しています。
 加藤:ブラサカは、サッカーとはいいますが11人制のサッカーとは違い、フットサルをもとに工夫されたスポーツです。1チームの選手は5人で、4人のフィールドプレーヤーはアイマスクまたはアイシェードをします。ゴールキーパーは見える人がします。キーパーにはゴールを守るだけでなく、ディフェンスに指示を出す役割もあります。監督はフィールドの中央から、そしてガイドと呼ばれるコーチが相手のゴールの後ろから指示を出します。試合は、監督、ガイド、キーパー、4人のフィールドプレーヤーの7人がお互い声をかけあってゴールを守ったり、ゴールを決めたりします。ボールには鉛の玉が入っていて、シャカシャカとマラカスのような音がします。その音をたよりにボールを探します。ブラサカにはサイドラインがなく、サイドラインの所に腰の高さくらいのフェンスがあり、ボールが出ないようになっています。ブラサカならではのルールがあります。お互い見えていないので、相手のボールを取りに行く時は、「行く」という意味のスペイン語の「ボイ」と言いながらでないとボールを取ることができません。「ボイ」と言わずにボールを取るとファールになってしまいます。東京大会は開催国枠での出場でしたが、今回は自力での初出場になります。
 初瀬:視覚障害者柔道は組んだところから始めるというだけで、あとは一般の柔道と同じルールです。東京大会までは、B1・B2・B3と分けるけど、「組めば同じ」との考えから、全盲の選手もかなり見える弱視の選手も一緒に対戦していました。東京大会の後、全盲選手と弱視の選手とでは、障害による差もあるだろうとJ1・J2と新しくクラス分けされました。B1がJ1に、B2とB3がJ2に区分されました。同時にクラス分けが厳しくなり、以前出場できていた選手でも出場できなくなったケースがあって、世界的に選手が減っています。また、以前は体重によって7階級に区分されていましたが、男女ともに4階級になりました。組んでしまえば一緒にできるというのが一番大きい魅力です。常に組んだ状態から始める視覚障害者柔道では残り5秒からの一発技による逆転劇がとても多いです。パラリンピックでは勝負がつかないとゴールデンスコアに移行し、決着がつくまで続けられます。視覚障害者柔道では中断が多いのでトータル時間が何十分にもなることがあります。ずっと組んでいるので腕がパンパンになります。
 司会:ところで、パラに出場するのはどんな感じなのでしょうか?
 浦田:私は、アテネ・パラで日本女子が銅メダルを取ったのを見て「私もあんな風に頑張ってみたい」と思って、目指したのがパラで金メダルでした。4年に一度のパラは、そこを目指してチャレンジしているので、特別な思いがあります。初めて、北京パラのメンバーに選ばれた時は、「本当にこの場に立てるんだ!」といううれしさと、「こんな大舞台で私がミスをして日本が負けたらどうしよう!」という緊張感がありました。パラは、私にとっては特別な舞台で、そこでパフォーマンスできるのはとてもうれしい。パラには4回出場しましたけど、その都度自分の気持ちも違いますし、出せたパフォーマンスも違います。この大舞台に立てるのは一人の力ではなくて、いろんな人達が関わって選手という役割でパラという舞台を一緒に作っていくんだという感覚になれたのはリオ・パラ以降です。
 司会:初瀬さんはいかがですか?
 初瀬:僕の目が悪くなったのは2004年、アテネの年の2月か、3月でした。アテネ大会は今と比較するとずっと少ないですけど、多少報道されていました。当時付き合っていた子がそれを見て、「柔道やってみたら」と言ってくれて始めました。それが2005年。2008年の北京大会に出場しました。浦田さんが言うようにものすごい大会なんです。鳥の巣で開会式が行われ、そこにたくさんの人が入っていて、拍手の海を泳いでいるような感じでした。目が悪くなって4年くらいで、自分の障害を肯定できていなかったけど、肯定する、受容する1歩になりました。パラは北京1回しか出られてなくて、メダルも取れていないですが、パラに出られたというのは大きな財産になってます。ただ、そのプレッシャーがすごくて、負けたらどうしようという気がすごくしました。僕たち個人競技は、1位になれば出られるとわかりますが、加藤さんたちのように出場枠があって代表に選ばれるかどうかという気持ちはどうなんだろう。
 加藤:僕は2007年に日本代表に選ばれてからアジア大会、世界選手権、一度も落ちたことはなかったんです。それが東京パラで初めて落ちたんです。目指していたのが東京パラだったので、悔しさもありましたけど、これまで支えてくれた方々に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。同時に、それまでプレッシャーとか、厳しい練習をいくつもしてきたので解放された気持ちもありました。
 浦田:2020年の3月に代表選考の内定発表がチームの中でありました。内定をもらって、よしっ!と思った2週間後にパラの1年延期が決まり、内定も取り消しになったんです。
 初瀬:その1年後にまた内定が出るということは、逆に入った選手もいるということですか。
 浦田:そうです。入った選手も落ちた選手もいました。
 司会:サッカーやゴールボールの出場チーム数はどのように決まるんですか?
 浦田:ゴールボールは大会ごとに決められています。東京の時は10ケ国、今度のパリは8ケ国です。日本女子は昨年のアジア・パシフィック大会で中国に次ぐ2位でした。中国が既に出場権を獲得していたので、繰りあがって出場権を獲得しました。
 初瀬:東京大会で男女ともに開催国枠があったところから、8枠に減った上にそれを勝ち取らなければいけなくなった。これまで男子は一度も出たことがありませんでした。去年、イギリスの大会で、男子が見事優勝して出場権を獲得しました。女子が決勝でまさかの負け。しかし、次には女子もしっかり勝ち取りました。
 浦田:すごく強くなっています。東京パラ開催ということからナショナルトレーニングセンター (NTC)で安定して練習できる環境面の整備が強さを推進していると思います。
 初瀬:NTCに年間100日以上いるんでしょ。
 浦田:そうですね、確実にいます。今月も月の半分はNTCに行ってます。
 初瀬:女子は高橋選手が投げる前にメロディーをつけて「ヒュルロロロ」と歌うのが印象的です。
 浦田:海外のゴールボールの選手も陽気な感じの所は同じことをします。
 司会:ブラサカが強くなっているように思いますが、昨年のバーミンガムの大会は何位でしたか?
 加藤:5位です。
 司会:強くなった理由は何でしょうか?
 加藤:ブラサカの出場枠は8なんです。アジアからは2枠しかないんです。今まで自分もパラ出場権をかけた大会に出てきましたけど、最後の最後に負けていました。それが勝ちきれるチームになってきました。ブラインドサッカー協会が育成にも力をいれていて、今回選ばれたメンバーも半分以上が育成から来たメンバーです。
 浦田:育成とトップは合宿も別々のプログラムですか?
 加藤:トップがあって、その下のカテゴリーがあります。今はパリの4年後の28年、32年を見据えて年齢を分けてトレーニングしてます。育成は、視覚障害のある小学生をキッズキャンプやキッズトレーニングというイベントに呼んで楽しく遊ぶことから始めました。そこからブラサカが広まっていったのです。
 初瀬:ブラサカは女子にも人気で、去年イギリスに行った時も、中2の女の子がいました。
 浦田:ゴールボールからブラサカに移った選手もいます。
 加藤:丸井ブラサカパークというブラサカ専用のコートがあります。それまではいろんなサッカー場を借りて、フェンスを立てて準備してましたけど、そこに行けば練習できるという環境ができました。ブラサカは人工芝のコートでするんですが、会場によって芝の長さが違います。短い芝のコートと長い芝のコートの2つがあります。
 司会:柔道はどうでしょうか。ソウル・パラの頃は、金メダルも取っていましたが、東京大会は銅メダル2つに終わっています。
 初瀬:世界のレベルが上がってきているのに、日本がそれについていけてないというのが現状です。今までメダルを取った選手も、パラに出た選手も元々柔道をしていて目が悪くなった選手、もしくは弱視で柔道をしていてたまたまパラと出会えた選手が多い。そこそこ柔道強かった人達が、メダルを取った。ソウルからシドニーくらいは、世界が弱かったから誰が出てても勝てる状況だったんです。今、レベルがものすごくてオリンピック目指してたような選手がいるんです。アメリカにオリ・パラ両方出ている選手がいました。そういう選手でもパラで金取っていないのです。僕らの団体は40年の歴史がありますが、選手を育てた経験がないんです。ブラサカの育成のように小さい子に柔道と出会うきっかけを与えてそこから育てていくという経験をしてきていません。育成は大きな課題で連盟の責任でしょう。さきほど言ったようにJ1・J2、男女合わせて16階級ありますが、今回のパリは、男子2人、女子3人になるでしょう。3分の1以下しか出せないんです。
 司会:注目の選手や強い国について話していただきたいと思います。
 浦田:ゴールボールは、男女ともに出場しますが、ともに決勝に立てるだろうというイメージしかないんです。女子の世界ランキング1位はトルコで、日本は2位です。トルコは攻撃力が頭1個抜けています。日本は8ケ国中トルコ、中国、イスラエル、日本の4強に入っています。戦い方によって、ロースコアのゲームにも、点取り合戦の展開にもなるでしょう。これまで日本はディフェンスに定評がありました。海外の選手よりパワーに劣っていても、3人で1つのボールをカバーリングしあいながら0で押さえて、チャンスに1点を取り、それを守りぬいて勝つという美学があります。この5年で海外の攻撃力が上がってきています。男子が投げるようなバウンドボールやスピードボールが出てきています。それを0で押さえきるのが難しいからこそオフェンス力を上げることにも取り組んでいます。特に攻撃面で注目してほしいのが萩原選手です。彼女は東京大会で初出場してコロナ禍で内定がやりなおしになって上がってきた選手です。今、24、5歳で、手がとても大きくて、ボールをしっかりつかんで力強く投げます。特にグランダーという床を転がるような、バウンドしないボールは投げ出しの音が聞こえにくくて点につながりやすいです。的確にコースをねらうコントロール力もあるので、注目して下さい。それとコートの中で指揮をとるようなポジションにあるセンターの高橋選手も注目です。ベンチのスタッフと選手とが連携しながら戦術をたてて、それを実行する指揮官の役割を担っているので彼女のセンタープレーヤーとしてのディフェンス力も注目です。日本は点を取りにいくのも、ディフェンスするのも全てが3人1つになる、心をつなぐのをテーマにしています。ボールを持ってない選手が助走をしていかにも投げるというフェイクをし、初瀬さんが言っていた高橋選手が歌を歌ったり、いろいろな音や声で足音を消したり、逆に音を聞かせるといった駆け引きをしながらゲームをつくるのでそういったところも楽しんでほしいと思います。
 初瀬:もう対戦相手わかってるの?
 浦田:6月上旬に抽選がありました。Aプールがトルコ、中国、イスラエル、ブラジル。Bプールが日本、フランス、韓国、カナダです。ゴールボールの予選は、ただの順位付けなので、次の準々決勝がカギになります。
 初瀬:見どころは予選プールの1位、2位ですか?
 浦田:そうですね、予選で1位通過するかというところと、次の準々決勝、そこを注目してほしいです。
 初瀬:準決勝までいけば、負けても3決ですね。試合はいつからですか。
 浦田:8月29日からで、決勝が9月5日です。
 司会:ブラサカはどうでしょう。見どころや注目選手は?
 加藤:日本は今世界ランキング3位です。強くてもあまり大会に出ていない国もあるので、このランキングがあってるかどうかというのもあります。強いのはブラジル、アルゼンチン、中国の3ケ国です。ブラサカもゴールボールと同じく4チームずつで予選を行ないます。上位2チームが決勝トーナメントに進むところがゴールボールと違います。日本、アルゼンチン、コロンビア、モロッコの4ケ国で予選、もう1つがブラジル、中国、フランス、トルコです。先日、フランスでワールドグランプリという国際大会があり、日本はアルゼンチンと中国に公式の大会で初めて勝ちました。どこの国もエースのようなすごい選手がいますが、日本は昔から全員で守り、全員で攻めるのが特徴です。特に攻守の切り換えの早さが日本の良さ、強みです。聞くところによると、日本は選手が8人いるんじゃないかと思うらしいです。それくらい攻守の切り換えが早い。今のメンバーは技術面だけでなくフィジカルのトレーニングや、食事で体を強くすることにも力をいれています。一人一人の体が強くなっているので戦えるチームになってきてます。その中で、ずっとキャプテンをしている川村選手、高校生の平林選手がいますけど、注目の選手は後藤選手です。30くらいで視覚障害となり、急に視力が下がって、視覚障害になってまだ10年経っていない。ブラサカ始めたのもこの数年。もともとサッカーをしていた方で、動けて、フィジカルも強い。後藤選手は攻めの選手なんです。彼のポジションによって前からディフェンスしていくのか、それとも1回下がってディフェンスするのか、それによって日本の戦い方が変わってくるので後藤選手のポジションを見ていただくとどういう戦い方をするのかわかると思います。
 司会:中国が強いのは意外な感じがするんですが…?
 加藤:サッカーに限らず強いです。自分も北京大会のアジア予選からプレーしていますが、北京から強くなりました。 
 初瀬:冬のパラでいうと18年のピョンチャンで中国は全然メダルを取ってないんです。北京ではものすごく取ってます。弱かった競技も4年でメダル取れるくらいまで成長させていて、すごいなと思います。
 浦田:ゴールボールも北京パラから強化体制がいいみたいで、ゴールボールアイランドというのが作られています。そこに合同合宿に行かせてもらいました。すごいボール投げるので、どんなトレーニングしてるのか聞きに行ったら、逆に「ちょっと聞くけど、ゴールボール、なんでそんなに楽しそうにやってるの?」と聞き返されました。(笑)
 初瀬:特に日本の女子チームは仲いいし、楽しそうですよね。
 浦田:中国の戦い方は、ボールを取ったら必ずその選手が投げるんです。
 初瀬:そんなわかりやすい戦術で強いのもすごいですね。チームワークがよかったらもっと強いですね。
 浦田:力では取れないからこそ、日本は技を少しづつ編み出してきました。カバーリングも、世界がまねをしてくるからなかなか点を取れなくなったり…。でも、そうして底上げしていくんですよね。
 司会:柔道はどうですか?
 初瀬:瀬戸選手がランキング1位なんです。国際大会、金、金、銅、金と来ていて、かなり強いです。彼がすごいなと思うのは、東京大会66kg級で銅だったんです。さっき言ったように階級が間引かれて66kg級はなくなりました。以前は60、66、73、81、90、100、100kg超の7階級でしたが、60、73、90、90kg超とかなりはばが広くなりました。73kg級は、もともとの選手に加えて81kg級から減量して下がってきたり、66kg級から上がってきた選手もいます。瀬戸選手は最近調子を上げてきて、勝ち抜いていて、東京で金を取った選手にも勝っています。トレーニングをしっかり取り入れて、体をつくったということもあって、力負けしなくなった。豪快な投げ技が持ち味なんです。このあいだもきれいな投げ技で1本取っていましたし、彼はロンドン以来久々に金を日本にもたらしてくれるのではないかと期待しています。もう1人は女子の世界ランキング2位の廣瀬選手。1位でしたが、出場が確定していたので、調整で1つ試合に出なかったため2位になったのです。この2人は金を狙えます。あと、半谷選手。去年の秋から柔道に復帰しました。この半年くらいの大会で枠も取って、出場。ここ数大会はメダルを逃してないので、決勝に上がれるでしょう。今回、女子の48kg級のJ2で失格者がかなり出ているようでギリギリの視力の人が多いと思います。障害のクラス分けはパラスポーツの根幹なのでしっかりして欲しいと思います。
 司会:他の競技はどうでしょうか。例えば、水泳の木村選手とか。
 初瀬:パラリンピアンズの会長になり、その活動も頑張ってますが、どうなんでしょうか。1回金取ったら、荒々しさがなくなりました。以前は、これだけ練習して取れないんならどうしたら取れるんだ、というような悲壮感がありましたけど、全くなくなってます。でも木村選手や、富田選手は期待できます。
 司会:福岡ということで浦田さん、マラソンの道下さんはどうでしょう?
 浦田:みっちゃんは、とても注目しています。小柄ですが、推進力があるんです。
 初瀬:世界で唯一の3時間切れでしょ。
 浦田:そうです。マインドがすごくすてき。まわりへのありがとうの気持ちで走っている。心もとてもきれいだから皆さんに見てほしい。
 初瀬:陸上で期待の若手が出てきました。100m 10秒台で走る選手が東京大会後に出てきました。福永選手は、中京大で10種競技をしていました。川上選手も10秒73で走っています。最近の若い選手達は悲壮感がない。障害者になってどうしようというのがなくて、みんな切り換えが早いですね。
 加藤:それだけパラスポーツが広がっているということでしょうね。
 初瀬:以前よりパラスポーツに出会いやすくなってきたと思います。視覚障害者の場合、情報が少ないから、パラの報道で、選手の活躍を見て何かしようかなというのにつながってるのかな。若い選手がたくさん出てきてます。今回出る選手で一番若いのは?
 浦田:新井という二十歳の選手、東京パラを見て始めた。175cmの長身で、逆飛びしてもボールが引っかかるという。練習環境が整い練習を積む時間もあってこの2、3年でとても伸びた選手です。
 初瀬:ブラサカの若い選手は?
 加藤:高校生です。平均年齢が30くらいまで下がったらしいです。
 初瀬:世代交代ができてますね。ブラインドならではのちょっとの情報をどう取るか。監督の声かけが大事だったり。
 加藤:パリはエッフェル塔の真下にコートを造っています。1万人以上入るスタジアムを造っています。東京では無観客でしたが、注目されているので、多くの人が入るのではないかと思います。
 浦田:ブラサカの大会期間はいつなんです?
 加藤:9月1日から3日が予選、5日が順位決定戦、7日が3決・決勝。どれくらい人が入るかによって雰囲気とか、音とか、声が聞こえるかが変わってきます。観戦する人がどれだけマナーを知っているか気になります。
 初瀬:ゴールボールは審判が「クワイト・プリーズ(静かに)」と必ず言うけど、ブラサカはずっと流れているし、屋外だから、しんどいですね。ゴールボールのエクストラ・スローは、サッカーのPKのような緊張感があって面白いですね。
 浦田:普段、私はセンタープレーヤーで全然投げないんですけど、エクストラ・スローだけは花になれるのでそれが好きなんですよ。
 初瀬:ハートが強いんだ。ブラサカもPKあるんですか?
 加藤:あります。6mの距離から蹴ります。コースがよければ入ります。緊張、プレッシャーがあって、ちゃんと蹴ることができるか。
 初瀬:助走して蹴るの?
 加藤:そういう人もいるし、手で触れて確認して蹴る人もいます。いろんな蹴り方がありますね。
 司会:見どころをたくさん聞くことができました。長時間、ありがとうございました。

編集ログ

 本稿は郷里の熊本で書いています。
 2つの病院で通算30日間入院した父は単独歩行ができなくなり、居間のソファーから隣の仏間にある仏壇までは4mの距離なのですが、その間は手すりがないので歩けません。
 入院前、父は必ず午前6時に起床し、洗面の後、仏壇に線香をあげていたのですが、病院からの退院後は起床時間が不規則になりました。だからといって夜、眠れないということはなく、それどころか昼寝に加えて、午前7時前に起きた日は決まって午前10時頃、ソファーに横になって熟睡することさえあるのです。ただ寝息が聞こえないとき、僕らは父が息をしているのか、その見極めに緊張します。
 こんな状態ですが、平日午後4時から始まるテレビ番組の「水戸黄門」の再放送は見逃しません。そこで、その前後に1600m、30分弱の「散歩」と称して、車椅子に乗った父を戸外に連れ出します。途中、知り合いや保育園児のグループと挨拶を交わしたりするので、気分がいいようです。車椅子には座っているだけですが、一応舗装されているとはいえ、半分は堤防の上を通るのでガタガタして、それが少し運動になっているようです。たまに段差に気付かずにガタンと音を立てることがあると、「気をつけろ!」との叱責があり、そのたびに僕は「無免許運転なのですみません」と謝っています。
 無免許運転は「排せつ介助」についても同様で、トイレと入浴の介助を父は妹にはさせないので、「介護の便の拭き方を知ってグ~ンと楽になる」などのウェブの情報で学びながら悪戦苦闘しています。ただ、ウェブ上の具体例を見るとまだ僕らの苦労は序の口のようです。
 退院直後、立ち上がることさえできなかった父が、ものに掴まって独りで立ち上がり、伝い歩きもできるようになりました。腕の震えも和らぎ、菓子の小袋を自分の手で破ることもできるようになり、食欲も出てきて、お八つもむしゃむしゃ食べて少しずつ快方に向かっています。
 喫緊の課題は、僕が東京に帰った後、排せつ介助をどうするか見通しがついていないことです。妹はやる気満々なので、自尊心を傷つけないように父を説得するだけなのですが。(福山博)

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