点字ジャーナル 2023年11月号

2023.10.25

目次

  • 巻頭コラム:ある点字図書館員の過誤
  • (特別寄稿)WBUAPマッサージセミナー・イン・ハノイ
  • バーミンガムIBSAワールドゲームズ2023(下)
      ―― 英国からの報告
  • 視覚障害者柔道の国際大会が東京で開催!
  • 杉山検校文化財修復保存完成記念式典開催
  • ネパールの盲教育と私の半生(28)研修手当その2
  • 長崎盲125年と盲教育(7)慈善主義の障害者観・教育観
  • 自分が変わること(172)心の恩人、中村寛子シスター
  • リレーエッセイ:発展するモンゴルの秘めたる「即応実行力」
  • アフターセブン(104)末尾が9
  • 大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
      (255)史上4度目の11勝4敗での優勝
  • 時代の風:武久源造氏に本間一夫文化賞、
      大腸がん悪化させる体内物質を特定、
      がんに直接アプローチする投薬新技術、
      都営地下鉄全駅でホームドア設置完了
  • 伝言板:ブルックの会学習会、
      サイレント映画を楽しむ会、
      桜雲会バスツアー、
      ヘレン・ケラー記念音楽コンクール、
      川崎アイセンターまつり
  • 編集ログ

巻頭コラム:ある点字図書館員の過誤

 「私はこれまで点字図書館員を過大評価していたのだろうか?」と、つくづく情けなく思った。図書館員が校正のイロハも知らないで、著者校正の代わりに原稿の差し替えを要求してきたのである。
 今年は日本盲人社会福祉施設協議会(日盲社協)の創立70周年にあたるので、その記念誌を作成することになり、広報委員長である私が編集を担当することになった。
 記念誌には「日盲社協ディレクトリー2023 会員施設名鑑」を併記することになった。日盲社協の会員施設は198施設あり、その全施設から「会員施設名鑑用原稿」を実行委員長が集め、それをまとめて私に送ってきた。
 編集とは、送られてきた原稿に誤字脱字、文体の乱れがないか調べ改めるとともに、全角で書かれた英数字を半角に統一したり、年号・西暦を「令和5年(2023年)」などと統一。また、漢字で書かれた接続詞や副詞を開いて仮名にするなどの作業をいう。今回は、結果的に78項目を点検したので、それなりに面倒くさく気が滅入る作業だった。その後、複数の校閲を経て、著者校正のために全会員施設に送付した。
 すると、ある地方の点字図書館が、著者校正の段階で大幅に修正した原稿をエクセルデータで送りつけてきた。差し替えて欲しいとのことなのだと忖度して、嫌々ながら差し替えて、改めて編集作業を行った。そして、その点字図書館に修正したデータを送ったところ、またもやエクセルデータを送りつけてきたので頭に血が上った。
 たまりかねた私は、その図書館の担当者に電話をかけ「再校で差し替えとは何事ですか!」と猛抗議した。そして「校正というものは自分の図書館のページをプリントアウトして、校正記号を用いて朱書きで訂正して、それをスキャナーでスキャンして送ってください。校正記号は、インターネットで検索すればすぐ出てきます」と述べたが、怒気をはらんだ大声だったかも知れない。が、それが功を奏したのか、1か所朱書き訂正した注文どおりの校正紙が送られてきた。(福山博)

(特別寄稿)
WBUAPマッサージセミナー・イン・ハノイ

筑波技術大学講師 福島正也

 私は茨城県にある国立大学法人筑波技術大学保健科学部保健学科鍼灸学専攻講師の福島正也と申します。
 本年(2023年)9月7日から9日にかけて、ベトナムの首都ハノイにおいて、WBUAP(世界盲人連合アジア太平洋地域協議会)のマッサージセミナーが行われました。
 このセミナーはWBUAP主催で2年に一度行われている、視覚障害マッサージに関するセミナーです。今回は「マッサージに関する研究、訓練、サービス品質向上に係る持続可能な協力関係の促進」をテーマとして、12の国と地域から約300名の参加者がハノイの地に集いました。日本からは総勢21名が参加しました。
 なお、前回の開催地は東京でしたが、コロナ禍の影響により、1年遅れでのオンライン開催となりました。そのため、今回は4年ぶりの対面での開催となり、大変熱気のあるセミナーとなりました。
 本稿では、読者の皆様に、その様子をお伝えしたいと思います。

  1.ハノイへ

 日本からの参加者はそれぞれの居住地により、成田空港、関西空港、那覇空港(台北経由)からハノイに向かいました。
 私は茨城県在住なので、成田空港利用です。数年前に首都圏中央連絡自動車道(圏央道)が開通し、つくば駅から成田空港まで高速バスで1時間足らずで結ばれるようになりました。私は海外旅行が趣味で、毎年1・2回は海外旅行をする生活を送っていたのですが、コロナ禍の影響で、今回はなんと4年ぶりの海外渡航となりました。現地でのプレゼンテーションの予定もある海外出張とはいえ、久々の海外かつ初ベトナムということで期待に胸を膨らませながら、開催日前日の9月6日の朝、成田空港へと向かいました。
 成田空港組が搭乗する飛行機は、ベトナムの企業が設立し2019年から運航を開始したバンブーエアウェイズの10時15分発ハノイ直行便です。
 成田空港で他の参加者と合流し、予定通りに出発2時間前にはチェックインの列に並びました。その後、空港内での出国審査、保安検査となるのですが、噂に聞いていた通り、コロナ禍での空港職員の減少により、以前よりも保安検査に時間を要した印象でした。なお、設置されていたX線検査装置が、金属の有無だけではなく、モニターで身体のどの部位に金属反応があるかまで分かるようになっており、ちょっと驚きました。
 空港内には見たことがない自動運転の警備巡回ロボットが走っており、たった4年のブランクなのですが、東京オリンピックという大きなイベントを経たこともあり、空港も随分と様変わりした印象でした。
 我々が乗り込んだハノイ行きの飛行機は、予定より30分ほど遅れ、成田空港を離陸しました。搭乗した飛行機は、最近多くみられるやや硬めの薄いシートで、なかなか腰に負担がかかります。これからマッサージセミナーに参加する人間が腰痛になってしまってはしょうがないなと思いつつ、快適な姿勢を探りながらもぞもぞと過ごしました。搭乗して1時間ほどすると、昼の機内食の提供が始まります。狭い機内でのフライトですが、食事の時間は楽しいものです。ちなみに、その時はチキンとビーフが選択できましたが、私はビーフを選び、ミートソースのパスタを美味しくいただきました。
 約5時間20分のフライトを各々で過ごし、いよいよノイバイ(ハノイ)国際空港に到着です。やはりハノイでも入国ゲートには長い列ができており、機中で固まった身体を伸ばしつつ行列に並び、入国審査を終えました。
 空港出口には、今回のマッサージセミナーを主催するベトナム視覚障害者協会のボランティアの方々が迎えに来てくれていました。空港内で20分ほど、同じバスに乗り込む他の参加者の到着を待ちます。
 その間に、滞在中に必要なお金の両替を行いました。ベトナムの通貨単位はドンで、到着時のレートで1ドンは0.0061円でした。この通貨単位がなかなかの曲者で、1,000ドンが6円、10,000ドンが61円と、日本円と大きく桁数が異なるため、食事や買い物をしていると、何かとんでもなく高い物を注文してしまったのではないかと不安がよぎります。慣れてくると、現地の人もだいたいゼロを3つ消して1,000ドン単位で計算をしているのが分かるので、随分と混乱も少なくなりました。
 両替した約200万ドン分の紙幣を手にお金持ち気分を味わっていると、他国からの参加者たちも到着し、内装がピンク色で統一された東南アジアらしい大型バスで、宿泊するハノイ市内のホテルへと向かいました。
 バスの車窓からみるハノイの街並みは、多くの緑に、古い建造物と近代的なビルが混在していました。急速に発展している国の首都だけあり、道路が整備され、交通量も多く、たくさんの自動車、そして、さらにたくさんのスクーターが目まぐるしく行き来しています。交通ルールは、私が以前に訪れたことがある中国やインドよりも規律が守られている印象ですが、歩行者が道路を横断する際には、急な右折車などに十分な注意が必要です。
 私を含む多くの参加者が宿泊したホテルは、マッサージセミナーが行われる国際コンベンションセンターから徒歩5分の場所でした。ホテルの周囲は、国会議事堂や省庁が立ち並ぶ閑静な官庁街で、ハノイの歓楽街として有名な「旧市街」からは車で10分くらいの場所になります。
 朝食付きのスタンダードルームで一泊800,000ドン(約4,900円)ですが、ホテルの部屋は十分に広く、アメニティも整えられた快適なホテルでした。1つ難点を挙げるとすれば、シャワーのお湯の温度が上がらず、かなりぬるかったのですが、蒸し暑いハノイでかいた汗を流すには許容範囲内でしたので、よしとしましょう。
 到着翌日からは、いよいよマッサージセミナーが始まりました。
 以下では、マッサージセミナーの概要をご紹介します。

  2.マッサージセミナーその1 日本からの発表について

 今回のマッサージセミナーでは、日本から5題のプレゼンテーションが採択されました。以下に、発表順に各プレゼンテーションの概要をご報告します。
 なお、正式なプログラムはすべて英語ですが、ここでは日本語で記載させていただきます。

(1)一枝のゆめ財団における卒後研修制度の1事例

一枝のゆめ財団専務理事(筑波技術大学名誉教授)藤井亮輔

 藤井先生の発表は、「視覚障害マッサージ師の専門性とソフトスキル向上のためのトレーニング」のセッション内で行われました。
 発表では、一枝のゆめ治療院において、「もっと学んでプロになる」というモットーの元で実施されている卒後臨床研修制度の概要が説明されました。この研修は、見学実習から担当患者の治療へと進みますが、それをサポートする触察法、医療面接、カルテの書き方、身体診察や病態推論、医療マッサージを含む各種治療法の指導など、年間約300時間の研修プログラムが組まれているとのことです。
 発表の最後には、鍼灸マッサージ師のための臨床・経営に関する国際的な研修拠点施設である「総合研修センター」を建設するという、藤井先生の大きな夢が語られました。
 質疑応答では、国家試験制度と絡めたマッサージ師養成における実技能力の担保に関する質問が出され、マッサージ師の養成における技術水準の維持・向上が各国に共通する課題として認識されていることが伺われました。

(2)新型コロナウイルス感染症が日本の視覚障害マッサージ師の就労に与える影響

国立大学法人筑波技術大学准教授 近藤宏ら

 近藤先生からは、「施術所の運営管理――コミュニケーション、マーケティング、サービス及びITの活用」のセッション内で、昨年に日本盲人福祉委員会が中心となって行われた、視覚障害マッサージ師を対象としたアンケート調査の結果が報告されました。
 調査の結果、コロナ禍が勤務状況に影響があったかについては、約70%が「影響があった」と回答し、具体的な内容については、収入の減少が最も多く、次いで、勤務日数や労働時間の減少、勤務形態の変更であったことが報告されました。
 このことから、マッサージ業は人との関わりが大きく、感染のリスクとなる密接・密閉を避けることが難しいため、新型コロナウイルス感染症による影響を強く受けたことが明らかになった、と結論付けていました。
 様々な方面からコロナ禍におけるマッサージ業の苦境を聞いてはいたものの、客観的な調査により、その実態が明らかにされた意義は大きく、マッサージ業の特性とそのリスクマネジメントを考える上でも重要な調査報告でした。

(3)ユニバーサルデザインを指向した関節可動域測定アプリの開発

国立大学法人筑波技術大学講師 福島正也ら

 私(福島)は、近藤先生と同じセッション内で、自身で開発した関節可動域測定アプリの紹介を行いました。
 視覚障害マッサージ師にとって、ゴニオメータ(アナログ角度計)を使用した正確な関節可動域測定は難しいものです。すでに行われている複数の研究から、スマホを使った関節可動域測定は十分な信頼性があることが示されており、現在、複数の関節可動域測定用アプリがリリースされています。一方で、視覚障害アクセシビリティに配慮されたアプリはありません。
 そこで私は、視覚障害の有無に関わらず、誰にでも使える関節可動域測定アプリ「CAST-R」を開発しました。今回の発表では、その開発背景とアプリの概要を報告しました。
 フロアからの質問では、視覚障害マッサージ師が正しく関節可動域を測るのは難しいのではないか。また、アプリは全盲でも使えるのか、といったご質問をいただきました。
 このアプリは、スクリーンリーダーに完全対応しており、かつ、正しい知識と使い方を覚えれば、視覚障害があっても正確に関節可動域の測定を行うことができます。今後、多くのマッサージ師にこのアプリを活用してもらいたいと考えています。

(4)在宅療養している高齢者及び障害者の身体的評価に関する指標の信頼性と妥当性の検討

(株)フレアス 内田朝美ら

 内田先生からは、「各国における医療マッサージの発展と視覚障害マッサージ師のエンパワメント」のセッション内で、フレアスが独自に開発したADL評価であるBasic Movement Scale(BMS)に関する報告がありました。
 BMSは、日常生活におけるシンプルな基礎的な動作スキルを測定するADL指標で、8つのスキル(寝返り、起き上がり、座位保持、立ち上がり、立位保持、座り、移動〔移乗〕、歩行)を1(不可能)~5(上肢介助なしで自立)の5段階で評価する指標です。訪問鍼灸マッサージを受けた高齢者・障害者245名を対象とした研究の結果、高い内部一貫性と再現性が得られ、最も普及しているADL評価のバーセルインデックスとも高い相関が認められたとのことです。
 BMSの利点として、バーセルインデックスやFIMといった他の評価指標よりも分かりやすく、視覚障害者にも使いやすい点が挙げられます。今後、需要が高まることが予測される在宅マッサージにおいて、活用が期待される研究成果でした。

(5)あはきPRプロジェクトマネジメント

国立障害者リハビリテーションセンター 渡邉麗恵ら

 渡邉先生からは、内田先生と同じセッション内で、あはきPRのために制作された映像作品についての発表がありました。
 発表では、あはき業が抱える課題への問題提起に始まり、その素晴らしさを伝える手段として映像作品を制作するに至った経緯、また、制作過程での課題などについて報告されていました。
 本作品には、はこだて未来大学の先生方、著名なコマーシャルディレクターである上杉哲也氏、ボクシング世界チャンピオンの井岡一翔選手などそうそうたるメンバーが関わっており、当日は会場で実際の映像作品も放映され、そのクオリティの高さに驚かされました。
 この素晴らしい映像作品が少しでも多くの人に視聴され、あはきのPRにつながることを心から期待したいと思います。

  3.ハノイでの食事と文化財見学について

 ここで少し話題を変えて、ハノイでの食事と休憩時間に訪れたホーチミン廟、タンロン城をご紹介したいと思います。
 ベトナム到着日の夜は、日本人10名ほどで、ホテル近くの評判の良いレストランを訪問しました。グーグルマップの口コミを参考に選んだお店だったのですが、入店後に有名旅行雑誌やミシュランガイドにも掲載された有名店だったことがわかりました。
 斬新なインテリアの店内で、水牛料理など、ベトナムの伝統料理をアレンジした素晴らしい料理を楽しみ、明日からのセミナーに向け、英気を養うことができました。ちなみに、そのお店のメニューには蟻の卵や昆虫を使った料理もあり、今思うとチャレンジしてみてもよかったかもしれませんが、セミナー前日にお腹を壊しても困るので、その日は大事を取って遠慮してしまいました。
 宿泊したホテルでは、毎朝バイキング形式の朝食が提供されました。メニューは、ベトナム風ちまきやバナナやグァバといったフルーツなど、東南アジアならではの品も多く、朝から食べ過ぎないよう注意が必要でした。一番のお気に入りは、その場で茹でて提供してくれるビーフンで、朝の胃腸にとても優しい味でした。なお、ビーフンの調理時には、パクチーなどの香草をトッピングするかを確認してくれました。パクチーはサラダやスープなど他の料理でも大活躍でした。
 私はパクチーが平気なのですが、苦手な方も多いようで、ベトナム料理を楽しむ際にはちょっと注意が必要です。また、ベトナムはコーヒーの産地としても有名で、ブラジルに次ぐ、世界第2位の生産量を誇ります。さぞかし美味しいコーヒーをいただけるのだろうと思っていましたが、各所で提供されるコーヒーのことごとくにたっぷりのミルクと砂糖が入っており、ほろ苦い味を期待する私の願いが叶えられることは遂にありませんでした。
 セミナーの会期中は、会場となった国際コンベンションセンターおよび同ホテル内で、昼食と夕食が提供されました。中華風の回転台付き円卓でのコース料理で、美味しいお料理が10品ほど提供され、とても豪勢なものでした。特に印象に残っているのは、甘酸っぱい味付けのパッションフルーツドレッシングのサラダ、脂がのってとろけるような味わいのナマズの煮込み料理です。ただ、夕食時に提供された瓶ビールは全く冷やされておらず、日本からの参加者はかなり落胆した様子でした。
 日本ではビールといえば冷えているものですが、国が変わると必ずしもそうではないようです。なお、お酒が好きな皆さんは、ブツブツと文句を言いつつも、上機嫌でビールを飲んでいたことを付記させていただきます。
 セミナー中はお昼休みが2時間と長めにとってあったため、食事を早めに済ませると、腹ごなしの散歩に出かけました。マッサージセミナーが開催された国際コンベンションセンターから徒歩10分くらいの場所に、バーディン広場があります。
 バーディン広場は、1945年に当時のホーチミン大統領がベトナム民主共和国の独立宣言をした場所で、その中にホーチミンの亡骸を安置したホーチミン廟が建てられています。屋根を支える多くの柱が特徴的な石造りの巨大な建造物で、ベトナムにとってのホーチミンの偉大さを感じさせる迫力がありました。毎晩9時に衛兵の交代式があり、多くの人が集まる観光名物にもなっているそうです。
 ホーチミン廟のすぐ東には、タンロン遺跡があります。タンロンはハノイの昔の名称で、漢字で「昇る龍」と書きます。1010年から約800年もの間、ベトナムの各王朝の都だった場所で、様々な年代の遺跡が重なるように存在しているのが大きな特徴です。この遺跡は2002年に発見され、その後、発掘調査が進み、2010年にはユネスコ世界遺産に認定されています。
 敷地内に入ると、中国文化の影響を色濃く受けていることがわかる特徴的な城門が待ち構えています。ベトナムでは黄色が縁起のいい色とされるのか、黄色のカラーリングが印象的です。門を抜けると、様々な年代の発掘物や建築物がみられ、ベトナムの長い歴史を感じることができました。
 なお、このタンロン遺跡からセミナー会場への帰り道の途中には、巨大なレーニン像が屹立するレーニン公園があります。政治的理由により世界各所でレーニン像の撤去が進む中、貴重な巨大立像を間近で見ることができました。

  4.マッサージセミナーその2 各国からの発表について

 話は再びマッサージセミナーへと戻り、ここでは各国からの報告をご紹介したいと思います。今回はコロナ禍を経ての4年ぶりの対面開催ということで、新型コロナウイルス感染症に関わる内容も多く報告されました。
 セミナー初日のカントリーレポートでは、バングラデシュ、中国、日本、韓国、マレーシア、モンゴル、タイ、ベトナムの各国から、視覚障害マッサージ業の現状や課題についての報告がありました。
 コロナ禍のマッサージ業への影響に関しては、日本では約7割が勤務に影響があり約半数で収入が低下、韓国では一時約50%の売上低下、ベトナムでも収入の低下、マレーシアでは視覚障害マッサージ師やその治療院が、コロナ後に4割ほど減少し、収入はほぼ半減したとの報告がありました。各国で猛威を振るった新型コロナウイルス感染症が、視覚障害マッサージ業にも甚大な影響を及ぼしたことが分かります。
 その一方で、コロナ禍前の水準には満たないものの売上は復調傾向にあり、同時に、行政による税金の減免などの支援策、視覚障害団体が中心となり実施されたオンライン講習会、感染対策を講じた安全な施術環境の整備、健康意識の高まりを通じた視覚障害マッサージのプロモーションなど、厳しいコロナ禍をばねにした新しい取り組みも報告されていました。各国におけるこれらの取り組みからは、ポストコロナ時代における、新しい視覚障害マッサージの在り方が示されたように思います。
 今回はプレゼンテーションのセッションテーマにも「コロナ罹患後の健康回復のための視覚障害マッサージ師による治療と貢献に関する研究」が設けられました。
 ベトナムのドー・ティ・チエン氏は、新型コロナウイルス感染後の250症例に対する伝統マッサージの効果を報告しました。これらの患者に一般的にみられる症状としては、疲労感、不眠、息切れ、咳、脱毛、嗅覚低下、関節痛で、全身への施術と症状に合わせたツボへの刺激を組み合わせた60分間のマッサージ治療を行うとのことです。その結果、14日~20日間の施術で85~100%の改善が得られたと報告しています。
 また、中国のリー・チンウェイ氏は、新型コロナウイルスの睡眠障害53例に対する、独自の推拿(すいな)(中国のあん摩)による治療効果を報告しました。不眠重症度質問票を用いた評価において、治療1週間で75.2%、2週間で90.6%に効果が認められたとのことです。いずれの報告も、臨床研究の手法には改善の余地があるものの、新型コロナウイルス感染症後の慢性的な愁訴に対するマッサージの高い効果を示した素晴らしい報告でした。
 今回のセミナーにおいて、各国から寄せられた報告は、コロナ禍がマッサージ業に与えた大きな損失を改めて認識すると同時に、ポストコロナにおけるマッサージの新たな可能性が示されたものになりました。
 本マッサージセミナーの大きな特徴の1つに、実技交流の時間が設けられている点があります。今回はセミナー2日目の午後に、国際コンベンションセンター内に5つの部屋が用意され、それぞれ「中国・台湾」、「日本」、「ベトナム」、「韓国」、「タイ・その他の国」が各々の国のマッサージ技術を披露しました。
 日本からは、沖縄から出席された先生方のあん摩施術、また、マッサージと関連する治療技術として、一枝のゆめ治療院の研修生たちが表面電極による神経パルス治療を披露しました。
 文化も言語も異なる各国からの参加者たちですが、実技交流が進むにつれ、マッサージという共通言語を通じ、瞬く間に打ち解け、相互への尊敬と連帯が生まれるのを感じました。これは人と人とが触れ合うマッサージという行為そのものが持つ大きな力であると思います。
 近年の研究で、人の手による接触は、触れられる人と触れる人の相互のオキシトシン分泌を増加させると報告されています。オキシトシンは、メディアではしばしば「幸せホルモン」や「愛情ホルモン」と紹介されることもあり、人の愛着形成を促進する効果があることが知られています。ソーシャルディスタンスやリモートワークが広がったコロナ禍においては、心身ともに人と人との距離が遠くなった気がします。そのような中で、マッサージのもつ力は、今まで以上に人間社会にとって重要になってくるのかもしれません。

  5.日本へ

 3日間にわたり開催されたマッサージセミナーも終わりを迎えました。最終日の夕食会では、オープニングセレモニーに続き、ベトナム視覚障害者協会のメンバーによる素晴らしい演奏と歌唱が披露されました。
 夕食会の途中からは各国代表によるカラオケ大会へと移行し、日本からは、一枝のゆめ財団の藤井先生と研修生3名で急遽結成された「一枝のゆめ財団カルテット」による「上を向いて歩こう」が披露され、会場を大きく盛り上げました。
 大きな盛り上がりをみせる会場を背に、我々は夕食会を2時間ほどで中座するとワゴン車へと乗り込みました。
 現在、ハノイと日本を結ぶ直行便は、朝の7時台と深夜12時台しかなく、12時台の深夜便に搭乗するため、ハノイの街を空港へと向かいました。金曜日の午後9時過ぎのハノイの街は、若者や家族連れのバイク・車で溢れており、アジアで急成長を遂げる新興国の若々しい活気を感じました。
 空港で再びの長蛇の列を経て、全員が無事、機上の人となりベトナムの地を離れました。5時間強の深夜便は、当然、機中泊となりました。エコノミーシートの座席の上で、はたして眠ったのか、眠っていないのかも判然としない時間を過ごしました。
 ちょうど日本への帰国に合わせるように、数日前から大型の台風13号が接近しており、どうなることかと肝を冷やしましたが、予報よりも台風の速度が早く、帰国日の前日には関東地方を通過したため、我々を乗せた飛行機は、予定通りに成田空港へと着陸することができました。
 数日ぶりの日本は猛暑の名残がまだまだ残る気候でしたが、ハノイの蒸し暑さよりは幾分ましに感じられました。
 今回のマッサージセミナーを通じ、視覚障害者の職業としてのマッサージの意義や価値を再認識すると共に、日本のマッサージのよさや、教育水準の高さを実感することができました。また、日本以外の国にも、同じ仕事をする仲間たちがたくさんいて、頑張っていることを、日本の多くの視覚障害マッサージ師にも知ってもらいたいと思います。
 次回のマッサージセミナーは韓国での開催です。日本からも多くの参加者が集まり、各国との交流が深まることを期待します。
 最後に、今回のセミナーを主催したベトナム視覚障害者協会の皆さまの素晴らしい運営に対し、心からの敬意と感謝を表し、本稿を締めたいと思います。

編集ログ

 墨字の校正は点字と比べると、全角と半角の違い、漢字とかなの違いがある分複雑になります。たとえば障害の「害」を平仮名で書き、交ぜ書きにしてあったら固有名詞以外、『日盲社協創立70周年記念誌』の場合は、閉じて漢字に改めました。なにより視覚障害当事者団体が、大手と革新系を問わず名称に漢字の「害」を採用しているからです。
 ちょっと脱線しますが、山川の「山」は小学校1年生で習う一方、幸福の「福」という字は小学校3年生で習います。したがって小学校3年生になるまでは、たとえ「福」という漢字を書けたとしても交ぜ書きで「ふく(ひらがな)山(漢字)」と書くことを強いられました。得意になって小学1年生ですべて漢字で「福山」と書いて担任教師にきつく叱られた苦い記憶が私にはあります。このような悲しい過去があるので、交ぜ書きには一種のアレルギーがあります。また、交ぜ書きは小学生の得意技であり、大人が使えば幼稚で「知的に劣っている」ようにさえ見られます。
 ところで、墨字と点字の違いはあっても校正という点では変わりありません。校正はデータをプリントアウトして、それを校正記号を用いて赤鉛筆で訂正します。そしてそれを編集者や点訳者に返します。
 しかし、この点字校正を正しくできる若い視覚障害者が最近とても少なくなってきています。一昔前に、地方の点字図書館には触読校正者がいないところもあると聞いて驚きました。ところが現在はもっと深刻で、全国の半数以上の点字図書館に触読校正者がいないのだといいます。
 視覚障害者の点字離れにより、将来点字出版所に触読校正者がいなくなることさえ想定され、点字文化の将来が憂慮されます。視覚障害教育関係者の中にもITを過大に評価して、点字を過小評価する向きがあることが問題の根源だとも聞きます。はたして30年後、40年後に点字教科書はきちんと発行されているでしょうか。(福山博)

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