点字ジャーナル 2023年9月号

2023.08.25

目次

  • 巻頭コラム:風評被害
  • 子育て奮闘記(下)
  • 新井淑則氏を悼む ―― 視覚障害教師の未来を照らす希望の光
  • 9月18日は、組織的な視覚障害者教育が始まった日 日本記念日協会が承認
  • オンラインとリアルの交差点 ―― 2023年ロービジョンセミナー
  • 白鳥流美術鑑賞 ―― だれもが文化でつながれるサマーセッション2023
  • スモールトーク プラタナスからの樹種変更
  • ネパールの盲教育と私の半生(27)ムキーヤ夫妻の悲劇と遺児の成長
  • 長崎盲125年と盲教育(5)長崎盲唖院の教育内容
  • 自分が変わること(170)自問自答は癖なのか
  • リレーエッセイ:石も磨けば玉となる(中)
  • アフターセブン(102)ガラクタ警報 パソコン選びは慎重に!
  • 大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
      (253)新三役を確実にした酒好きのベテラン
  • 時代の風:乳がんの発生と変異発症の過程解明、
      インフルエンザ重症化抑制に腸内細菌関係か、
      ハンセン病新薬に道、
      ユナイテッド航空客室内装に点字導入
  • 伝言板:劇団民藝公演、
      第4回チャリティー音楽祭スーパーライブ2023、
      第12回「ふれる博物館」企画展、
      視覚障害者教養講座
  • 編集ログ

巻頭コラム:風評被害

 12年前の2011年3月、福島第1原発での放射能漏れ事故を受け、日本在住外国人が次々東京から避難する事態が起きた。その要因の一つは、おっちょこちょいの仏ニコラ・サルコジ大統領が、帰国を促すためエール・フランス機2機を日本に送ったことだった。
 そこで複数の外国人から「福山さんは、いつ、どこに逃げるんですか?」と聞かれ、「どこにも逃げません。なぜなら東京は安全だから」と答え、拍子抜けされたことがあった。
 その直後、米政府が福島第1原発の半径80km圏内に住む米国人に退避を勧告したが、これは「福島県を脱出し、茨城県以南に移れ。東京は安全だ」というシグナルだった。
 これに対して『ウォール・ストリート・ジャーナル』は、米原子力エネルギー協会の談話として、「(オバマ政権が決めた避難勧告の)科学的根拠について疑問を表明。現在得られている放射線や放射性物質の飛散に関するデータに基づけば、日本政府が決めている20km圏内の住民への避難勧告は健康面への影響を最小限に抑える上で十分と思われる」と批評した。
 転居は高額の費用と離職のリスクを伴うので、多くの関係者が慎重に、そして科学的知見を尊重したので東京脱出はすぐに収まった。
 だが、今夜の献立についてはどうだろうか? 一部の野党は地元の漁民が処理水の海洋放出に反対しているので反対と言っている。一方、福島漁連は処理水の安全性はよく理解しているが、風評被害で魚が売れないことを心配している。一部野党は漁民に寄り添うように言いながら、処理水を「汚染水」と呼び、漁民の足を引っ張っている。典型的なマッチポンプである。
 国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長は韓国、ニュージーランドを訪問した際、福島原発の「処理水」は飲めるし泳げる、他国の原発の排水と同じように危険はないと述べているが、これは比喩ではなくて、科学的な根拠に基づいている。(福山博)

子育て奮闘記(下)

東京都/辻村亜依

  離乳食

 変に思われるかもしれないけれど、私は生まれたての娘の歯茎の手触りをはっきりと覚えている。カップのフチみたいにつるりとなめらかで、とても頼りなかった。
 そんな歯茎にほんの少し歯が生えてきたのは、秋の初めのことだった。食欲の秋、離乳食を始めるのにはぴったりの季節だと思った。
 これまで液体しか摂取してこなかった子どもがものを食べられるようになるためには、細かなステップをいくつも踏む必要があるそうだ。
 まずはスプーンに慣らすために果汁を湯冷ましで薄めたものを飲み込む練習から始める。それができたらポタージュ状のおかゆや裏ごし野菜、それから白身魚に固ゆで卵の黄身を1日1匙ずつあげて、様子を見ながら食材の種類と量を増やしていく。
 娘は最初から食べることに興味津々で、食卓につくと待ってましたとばかりに口を開けてくれる子だった。私が子どもの時は、気に入らないものは口を閉じて意地でも食べようとしなかったと聞いていたから、娘はかなり優等生だった。
 問題は食べさせる側にあった。子どもの口の大きさに合わせた小さくて平たい専用のスプーンは少し傾けると中身がこぼれてしまうし、かといって舌の動きが未発達な子どもはくぼみの深いスプーンでは中身をうまく食べられない。なかなか口に食べものを入れてあげられないと娘も次第に機嫌が悪くなってきてしまうので、その日の離乳食は終わりにするしかなくなる。
 回数を重ねるうちに分かってきたことは、きれいに食べさせることは諦めるしかないということだった。トロトロのおかゆや野菜が服に付こうと娘がこぼれたものをテーブルに塗り拡げようと気にしてはいけない。とにかく娘が食べものに注目している間は私も食べさせることに集中した。食べ終わる頃には娘の顔の周りはベトベトで大変なことになっていたが、本人は満足そうだった。
 離乳食の時間に余裕が出てきたのは生後9ヵ月頃からだったと思う。カボチャのお焼きやフレンチトーストなどやわらかめだが手で持てるものを食べられるようになったので、スプーンはしばらくの間使うのを休むことにした。スプーンがないと娘にスプーンを投げられる危険もないので快適だったし、手から直接口に食べものを運んだ方が実際に飲み込めた量がわかりやすかった。
 これで離乳食の難所は突破したと思っていたところ、検診に行った際かかりつけの小児科の先生から「体重増えてないね。まだ噛んで消化する力が不十分だからもっと粉ミルクあげてね」と言われてしまった。
 よく食べているように思えたが、事実体重は3ヵ月前と比べてあまり増えていなかった。娘が痩せてしまうのが何より心配だった私は、すぐさま粉ミルク多めの食生活に方針を変更した。
 ところがだ。今度は入園前の面談で保育園の栄養士さんから「哺乳びんを吸うのって結構体力を使うので疲れちゃうんですよ。だからもう少し離乳食を増やした方がいいですよ」と言われたのだった。
 え・・・、そんな・・・。ほんの2週間の間に異なるアドバイスを受け、なおかつどちらの説にも一理あると思ったので途方に暮れてしまった。
 自分のことならもっと簡単に決められるのに我が子とはいえ人のこととなると、離乳食とミルクのバランスですら決めるのを躊躇してしまう。結局この時は、保育園に通い始めてからのことを考え、もう一度離乳食の量を増やしてみることにした。
 1歳と少しを過ぎた今は粉ミルクではなく牛乳を飲むようになったし、大人の食事にかなり近い堅さのものも食べられるようになってきた。振り返ってみるとそれほど悩むようなことではなかったなと思うのだが、あの時の私にとっては大きな問題だった。
 これから先も私は娘に「ママ」と呼んでもらうか「お母さん」と呼んでもらうかで迷うだろうし、習い事をさせるかどうかで迷うだろう。娘が大きくなるまで私は彼女の人生を預かっているというプレッシャーをいつもかすかに感じつつ、「この選択は娘にとって良いことだろうか」と思いながら小さな事でも深刻に悩まずにはいられないのだ。
 ちなみに今現在の食の悩みは、体に悪い食べものを私がなかなか食べられないことだ。健康的な食事はそれはそれでいいけれど、たまにはフライドチキンとバターを混ぜた炊き込みご飯やインスタントラーメンにごま油や生たまごをのせたものを食べたい。
 だから、娘が眠った隙にそっと準備をするのだが、さて食べようという時になって、テコテコと寝室から彼女は現れるのだ。そして、自分も食べたいと駄々をこねる。ちょっとこれはあげられないので、娘の注意をそらしているうちに食べものはすっかり冷めてしまう。理不尽な話だ。

  ハイハイ

 寝返りができるようになった娘は、よくうつぶせから上半身を上げたスフィンクスのポーズで周囲を観察していた。赤ちゃんは視野が狭いというのでごろごろしかできなかった頃とは見える世界が違うのだろう。何を見てもいつも楽しそうだった。
 その後、おなかを付けたままズリズリと移動できるようになると、スフィンクスのポーズでじっとしていることはほとんどなくなった。ハイハイができるようになるともう片時も離れられなくなったので、たまにあの頃が懐かしくなる。
 自由に家の中を移動できるようになると、娘はあちこち探索してはものを引っ張り出す作業に熱中し始めた。冷凍庫や食器棚を開けて中のものをせっせと取り出しているのを見つけ、「うわ、だめだよう」といって抱き上げようものなら大変だ。限界まで息を吸い込んでから大声で泣き、背中をのけぞらせて腕から抜け出そうとする。ついこの間まで予防接種で注射をされても抱っこさえすればご機嫌になっていたのに、もうごまかされてはくれない。今の娘にとって、やりたいことを邪魔されるのは絶対に許せないらしい。
 至るところに簡易のロックを付けてからは簡単には開けられなくなったけれど、大人が何か開けるところを目撃するとすかさず飛んできて、横からさくっと中のものを取り出しては放り投げたがるのだった。
 棚を開けるだけではなく、バッグの中から荷物を出すのも娘のお気に入りの遊びだ。財布の中に入れておいたカードが床に落ちていることに気づいて娘の手元を確認すると、ファスナーもマグネットホックも開けてすっかりカラになった財布を握りしめていたりする。そもそも財布が入っていたバッグはタンスの上に置いてあったはずで、そこには娘は手が届かなかったはずなのに一体どうやって財布を手に取ったんだろうと不思議に思っていたら、軽いおもちゃ箱を例のタンスの前まで押していき、その上に乗っている現場を偶然発見した。まだ一人歩きどころか一人で立つこともあまりしないので体幹が弱いのかと思っていたのに、腕力があるのか軽々と箱にはよじ登るのである。
 とにかく貴重品を守るために娘が見つけづらい場所にバッグを置くようにした結果、出掛ける時になって私自身がどこに何を置いたのか思い出せなくて焦ることが何度もあった。それだけではなく、「ないない」と探していたら、抱っこひもの中の娘がうまい具合に高いところの財布を手に取っていたなんて事もあった。どう考えても娘の方が1枚も2枚も上手で、田畑を荒らす悪賢いタヌキみたいだなと思う。あるいは私が必要になると思って準備してくれていたのだろうか。
 あまりに財布が好きなので、いっそ娘に財布をあげてしまえばいいのではないかと思ったのだが、おもちゃ箱に入れたとたん興味を失って、別の財布を欲しがるようになった。財布が好きというよりも大人のまねがしたいということなのかもしれない。

  保育園

 「バイバイをする時にとっても優雅な手の振り方をするんですよ」
 保育園に入ってすぐ、先生が言ってくれたことがある。まるで「ごきげんよう」と言っているかのように指をそろえて手を振るそうだ。
 まだ小さな娘と長い時間離れていることに多少の不安と申し訳なさはあったが、そんな小さな娘の特徴を見ていてくれる人が家族の他にもいるのは結構いいものだ。毎日連絡帳代わりに担任の先生が送ってくれるメールを読むと、娘がハイハイで追いかけっこをしたり、大人のまねをしてともだちにご飯を食べさせようとしたり、そうかと思えば泣いてしまって年上の子に涙を拭いてもらったりと、いろいろな人と関わりながら過ごしている様子が伝わってくる。
 0歳児のクラスは保育室とは別に子どもを受け渡す部屋があるので、実際に娘がいつも遊んでいる子達と会うことは入園当初は少なかった。けれど、最近はみんな移動が上手になってきたのか、保育室の扉が開くとひょっこり顔を出してくれる子もいる。娘となにやら挨拶を交わしていることもあれば、お気に入りの輪っかのおもちゃを私の頭に乗せてくれたこともあった。みんな「あぶあぶ」とか「うがうが」としか言えないけれど、ちゃんとコミュニケーションを取っているのがほほえましい。
 娘が少しずつ拡げている世界をのぞかせてもらうのは不思議な感覚だ。もう小さな赤ちゃんではなく、社会の一員になっているんだと思うと誇らしいけれど、少し寂しい。
 娘が社会の一員になったことで、もう一つ大きく変わったことがある。それはすぐに熱を出すようになったことだ。
 入園前はコロナウイルスに罹った時に熱を出したことはあったものの、ほとんど風邪を引くことはなかった。ところが、保育園生になってからは月に2、3回のペースで38℃を超える熱を出すようになったのである。これまでだって決して家に隔離していたわけではなく割と電車に乗る機会も多かったと思うのだが、やはり子ども同士の方が距離も近く、風邪がうつりやすいということのようだ。「保育園デビューの洗礼を受けた」と情報収集用につくったSNSの子育てアカウントでも多くの人が嘆いていた。
 困るのは娘が風邪を引くとだいたい私も一緒に風邪を引いてしまうということだ。熱があっても遊び回りたい娘を追いかけながら、「もう寝よう、寝ないと治らないよ」と懇願している。
 聞くところによると、入園して半年も経つと免疫がついて風邪を引く頻度も減るそうだ。今のところ頻繁に手を洗ったりうがいをすることは娘にはできないので、免疫がつくのを待つしかない。
 そうして熱があろうとなかろうと1日元気いっぱい遊び回った後、娘がそばに寄ってきてごろんと仰向けになったら眠たくなった合図である。ただ布団に入ってもすぐに寝付くわけではなく、しばらくピッタリくっついて私の腕をつねっている。1歳前後の子どもの中には眠りに落ちるときに不安になる子がいるそうで、何かを強い力で握ることで安心しようとするそうだ。そういう時はまだまだちびっ子だなと思えて、痛いけれど愛おしい気持ちになる。
 やがてスースーという寝息が聞こえてくると、1日が終わったことを感じる。「今日も1日よく頑張ったね、お疲れ様」と言って抱きしめてあげたくなるが、不用意に動かして起こしてしまうとまた寝付けなくなってしまうので、思うだけにする。
 娘はこれからもどんどん成長して、私がしてあげられることは減っていくだろう。それでも当面の私の役目は、この子がぐっすり眠れる場所をつくること。そしてまた次の日、元気に過ごせる準備をすることだと思っている。

白鳥流美術鑑賞
―― だれもが文化でつながるサマーセッション2023 ――

 7月29日(土)から8月6日(日)の9日間にわたり、東京都と東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京が主催する文化施設や文化事業の情報保障や鑑賞体験などをテーマに、文化施設や大学の専門家、障害当事者などを交えて議論や展示を行う「だれもが文化でつながるサマーセッション2023」が上野公園内にある東京都美術館にて開催された。芸術文化による共生社会の実現に向けた新たなコミュニケーションのあり方を創造する本イベントで組まれたプログラムはトークセッション、パフォーマンス×ラボ、そしてより身近に体験・体感するレクチャー&ワークショップとアーティストによる展示で構成されており、興味のあるテーマや内容に無料で参加できるイベントだ。
 本誌編集部は以前から書籍なども取り上げ、視覚障害者で美術に関わるということはどのようなことなのかと興味のあった全盲の美術鑑賞者白鳥建二さんが出演する「視覚障害と鑑賞プログラム」への参加を希望した。が、書籍や映画公開もあった白鳥さんのワークショップは人気ですでに埋まっていた。今回は何とか取材枠として念願だった白鳥さんとの美術鑑賞に立ち会うことが出来た。
 以下に全盲の白鳥建二さんが行う美術鑑賞がどのようなものなのか。また、どんな印象を持ったのかなど視覚障害当事者と晴眼者の視点を交えてレポートする。
 このワークショップには7名の一般公募者(全員晴眼者)が参加した。まず、はじめにナビゲートする白鳥さんと相棒でありマネージャーと紹介された岩中可南子(いわなか かなこ)さんを含め全員が車座になって自己紹介。このワークショップの内容やどんなスタンスで参加すればいいかなどが説明された。おおむね堅苦しいことは抜きで雑談形式で発言したいときにいつでも話していいし、発言しなくてもいい。ルールは「作品に関することだったら、何を話してもいい」とのことだ。
 今回はイベントで展示されている作品の中から3つの作品がピックアップされ、それぞれの作品の前に行き、いよいよ白鳥さんと一緒に鑑賞がスタート。写真やリメイクされた服、大型のインスタレーション作品が選ばれた。その際、作者の人物像や作品タイトルは白鳥流鑑賞の中では重要視されない。なぜなら人物や作品の時代背景なんかを聞いてしまうと妙に納得して鑑賞自体がそれ止まりになってしまうからだそうだ。
 はじまると白鳥さんは、参加者の会話を聞いて相づちを打ったり、笑ったりするだけで、問いかけもしない。ひとしきり話が落ち着くと、沈黙が流れる。これも、白鳥さんにとって、次に話がどういう展開になるか楽しむ時間だ。写真鑑賞は、20分になるだろうか。皆が好き好きに話していたことと、作品のテーマがほぼ同じであったことには、驚いた。
 次は、服をモチーフとした作品。参加者は、視覚と触覚を使って鑑賞。「これ、割烹着に見えるよ」、「でも、それにしても派手だな」と、どんな人が、どんなふうに着るのか、話がどんどん広がる。
 最後は、車いすを何十台も使用し、部屋をめいっぱいに使った大きく抽象的なインスタレーション作品で皆なかなか言葉にしにくいようだ。こういった作品は観るべき箇所も多い分、作品への語り口も多くなる。鑑賞時間も1時間近くなり、集中力を要したが参加者から出てくる言葉からもメッセージ性の強さが際立つ作品だった。
 「私のような全盲にとって美術館は最も遠い存在だと思ってきた。手で触れて鑑賞する彫刻作品なら分かるが、写真や絵画をどのように鑑賞していいのか私には分からない。30年以上前に行った美術館では、視覚障害者に配慮して、展示されている絵画を立体コピーにした作画を手渡してくれた。私は、美術館の厚意に感謝して丁寧に触察したものの、触察能力が劣っていたのか、絵画を鑑賞しているような気分になれなかった」(戸塚)
 そんな経験を背に今回の白鳥流美術鑑賞に同行して感じたことは、作品を通して参加者の会話の連鎖が化学反応となっていく過程を楽しむということだ。同じ作品を鑑賞するとしても、メンバーが変われば、異なる化学反応が生まれる。このワークショップの最後に参加者に配布された白鳥さんらがまとめた『しゃべりながら観る』という冊子にもあるようにこの鑑賞方法に行き着いた白鳥さんは美術作品の鑑賞が好きというよりも美術作品を介して行われる対話や説明してくれる人のキャラクターや沈黙の時間など、鑑賞しながら交われる美術館という場所が好きなのだという。さらに、「うまく言葉には出来なくとも参加者が作品を観ているのが分かる。それだけでも十分なんじゃないかと思っている」と。白鳥さんは同時に鑑賞をアシストする役目も担う。
 参加者の一人は「作品を観て自分の中にぱっと出てきたイメージを全部言語化するという体験がすごく面白かった」と振り返った。晴眼者にとっても今までにない美術鑑賞体験であったことは間違いない。
 言葉を通じた美術鑑賞には、視覚障害当事者、晴眼者双方にとって新たな鑑賞方法の醍醐味を与える可能性がある。さらには、障害のあるなしに関係なく静かに観なければならないなどの先入観で近づきにくかった美術館に「しゃべりながら観る日」があったら肩の力を抜いて気軽に足が向く場所となり、アートを身近に感じる日が来るかもしれない。(戸塚辰永、雨宮雅美)

編集ログ

 「一国の大統領を『おっちょこちょい』とは何事だ!」と真面目な読者は眉をひそめられたかも知れません。しかし、サルコジ大統領は、ほとんど日本文化や相撲のことを知らないのに、前任の親日家として知られていたジャック・シラク大統領との対抗上、「ポニーテールの太った男同士が戦うことが、なぜそんなに魅力的なのか。(相撲は)インテリのスポーツではない」との蔑視発言を行いました。この発言を受け、日本相撲協会は好角家のシラク大統領によって創立された「フランス大統領杯」を廃止しました。かくして軽率でそそっかしい知性に欠けた大統領は、日仏交流史に汚名を残したのでした。
 中国のお先棒を担いで処理水を「汚染水」と呼んで風評を垂れ流すおっちょこちょいは、科学の上に政治を置いて恥じない人々のようです。科学的社会主義を標榜している政党の科学とは「エセ科学」のことなのでしょうか。科学的というならば、IAEAの福島原発汚染水海洋放出計画に関する包括報告書をまず徹底批判すべきでしょう。そして、福島原発の「処理水」は飲めないという科学的根拠を明確に示すべきです。それをしないで「汚染水」と呼んで福島漁連の足を引っ張るのは、軽率でそそっかしい知性に欠けた態度というべきではないでしょうか。
 風評被害への対策は、政府が福島県の海産物を買い上げて流通させることにつきます。東京電力は組織的に福島県産品キャンペーンを行っていますが、脛に傷持つ一企業にはいささか荷が重すぎるようです。
 政府もアリバイ的な支援ではなく、本腰をいれて風評被害に立ち向かう必要があるでしょう。国会議事堂のレストランや議員会館の食堂、各省庁の食堂で供される海産物は福島県産を優先的に使うべきです。そして、首相や経済産業大臣を始めとする政府・与党の幹部は、福島県産食材を使った朝食会・昼食会を連日開催して、その安全性を率先垂範するべきではないでしょうか。その上で福島漁連に処理水の海洋放出への協力を要請するのが、筋というものです。(福山博)

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