点字ジャーナル 2023年4月号

2023.03.24

目次

  • 巻頭コラム:韓国大統領のリーダーシップ
  • 「ヘレンケラー・サリバン賞」候補者推薦のお願い
  • (特別寄稿)コロナ禍3年を越え、これからの心に大切な「優しい想像力」
  • (寄稿)長谷川きよしのライヴを聴いて
  • ポストコロナのネパールを行く 荒れた街の不条理(4)
  • 鳥の目、虫の目 間抜けな知の巨人「チャットGTP」を使ってみて
  • ネパールの盲教育と私の半生(22)晴眼児にも良い教育を
  • カフェパウゼ 寒波にやられてセンチメンタル・ジャーニー
  • 自分が変わること(165)年寄りの冷や水というけれど
  • リレーエッセイ:(続)走る魅力が継続中
  • アフターセブン(97)世にも恐ろしいリアルお化けが出た話
  • 大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
      (248)大阪にもかつて国技館があった
  • 時代の風:視機能を回復させる物質同定、
      iPS細胞から作った軟骨で関節を再生、
      老化細胞の発生に関わるタンパク質同定、
      鉄道事業者と当事者が共に危険学ぶ訓練実施
  • 伝言板:チャレンジ賞・サフラン賞募集、
      TBSドラマ「ラストマン―全盲の捜査官―」4月スタート、
      音声解説付きDVD映画の体験上映会、
      パイプオルガンコンサートVol.24
  • 編集ログ

巻頭コラム:韓国大統領のリーダーシップ

 韓国政府は3月6日、元徴用工問題について、韓国行政安全部(省)傘下の「日帝強制動員被害者支援財団」が、遅延利子を含む賠償金相当額を原告側に支払い、肩代わりする解決策を発表した。
 その原資は1965年の日韓請求権・経済協力協定に基づく日本の経済協力で恩恵を受けた韓国鉄鋼大手ポスコなどの「自発的な寄付」でまかなうとしている。
 ポスコは、日韓基本条約に伴う対日請求権資金などによる資本をもとに、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の肝いりで1968年に浦項(ポハン)総合製鉄として設立された。同社は当時の八幡(やわた)製鐵と富士製鐵、日本(にっぽん)鋼管の技術供与で急速に発展して、韓国の経済発展に大きく貢献した。
 元徴用工問題は、2018年に韓国の大法院(最高裁判所)が、強制徴用被害者への日本企業の賠償責任を認める判決を確定したことから始まった。
 だが代理弁済について韓国国内では反対の声が根強い。被害者の同意を得られるかも不透明だ。そのため韓国政府としての政治的な負担は小さくないので、前大統領の文在寅(ムン・ジェイン)政権は、徴用判決問題を終始放置したばかりか、反日政策として内政に利用し日韓関係は最悪の状態に陥った。
 というのは、日本側は個人への賠償を含む徴用問題は1965年の日韓請求権協定で完全に解決したとの立場だからだ。このため判決に従って強制処分が行われた場合、日韓関係はさらにひどくなる。また日本企業が韓国国内に持つ資産を処分しても賠償額には遠く及ばない。さらに日本が判決に応じず国際訴訟となった場合、専門家は韓国が勝つことを期待するのは難しいと口をそろえる(3月6日付『朝鮮日報』)。
 そのような事情を熟考して、国益の観点から支持率40%の尹錫悦(ユン・ソギョル)大統領がリーダーシップを発揮し、今回の解決策は発表されたのである。(福山博)

(特別寄稿)
コロナ禍三年を越え、これからの心に大切な「優しい想像力」

美唄すずらんクリニック 精神科医 福場将太

1.はじめに

 私は精神科を専門とする医者であり、また網膜色素変性症で失明した眼科の患者でもある。よって本エッセイは、心の支援者と視覚障害の当事者という2つの視点で書き進めていく。
 みなさんは新型コロナウイルスの症状といえば何を考えるだろう。発熱、咳、鼻水、喉の痛み、だるさ、そして味覚や嗅覚の障害、そんな体の不調が浮かぶかもしれない。しかしコロナは心にも多くの不調を引き起こした。ウイルスが直接心に感染したわけではないが、コロナによってもたらされた社会情勢は人間の心にいくつもの負の影響を与えたのである。

2.心の健康とコロナ

 普段、人間の心から元気を奪う原因は大きく7つあり、私はその頭文字を取って〝ナツヒコセヤマ〟と整理している。一つずつ説明しよう。
 1つ目は悩み、思い悩んでいることがたくさんあると元気は出なくなる。2つ目は疲れ、疲労が蓄積すると体も心も弱る。3つ目は暇、人間とは難しいもので、忙し過ぎてもよくないが退屈過ぎてもストレスになる。4つ目は孤独、これも難しいところだが、人間は人付き合いが多すぎても苦しいが独りぼっちでも苦しいのである。
 さらに5つ目は生活リズムの乱れ、人間は規則正しく睡眠・食事をとり、適度な日中活動をしてこそ体も心も安定する。6つ目は病、骨折や腹痛など体の病気になっても心は元気を失うし、当然うつ病などの心の病気にかかっても心は元気を失う。そして7つ目、心の元気を奪う最後の原因はマネー問題、やはり明日のごはんを買うお金もない状態、多額の負債を抱えている状態では元気は出てこない。
 以上、悩み、疲れ、暇、孤独、生活リズムの乱れ、病、そしてマネー問題、この〝ナツヒコセヤマ〟を意識しながら、私は精神科医として患者の診療に当たっている。
 それではコロナ禍において〝ナツヒコセヤマ〟がどうなったのかを検証しよう。
 まず悩みは増えた。疲れについても、医療・介護の現場は激務、一般の職場でも感染者と濃厚接触者の欠員で慢性的な人手不足、さらに備品の消毒や室内の換気といった業務も加わり、明らかに疲労は増強した。一方で暇についても、緊急事態宣言で会社や学校が休みになったり、飲食店は営業自粛を求められたり、旅行やスポーツといったレジャーもできなくなったり、時間を持て余した人も多いだろう。そして孤独については、人と触れ合う機会が圧倒的に減ったため寂しさが確実に強まった。
 生活リズムの乱れについては、よっぽど自己管理に厳しい人でなければ、在宅ワークやリモート授業でついついだらけてしまうことは避けられない。病は言わずもがな、コロナという病にかかったり、医療逼迫で他の病気の治療が不十分になったりした。最後のマネー問題についても、多くの業界において収入の減少が深刻である。
 こう考えると、コロナ禍において〝ナツヒコセヤマ〟はいずれも増大しており、心の元気は奪われやすかったと言えるだろう。

3.心の病気とコロナ

 ではもっと具体的に、元気を奪われた心がどんな状態になったのかを整理していく。ここでは大きく3つ挙げたい。
 1つ目はコロナへの恐怖感、そしてそこからの慢性的な不安感。毎日のように感染者数・死者数が報じられ、著名人の感染や死亡もセンセーショナルに取り上げられた。自分もコロナになるんじゃないか、命を落とすんじゃないかと誰もが恐怖し、ウイルスの毒性が弱まったとされる今でさえその不安は持続している。
 2つ目はいくつもの喪失感、そしてそこからの意欲低下。喪失感とは大切なものを失ってがっかりする感覚。コロナによって健康を失ったり、家族を失ったり、仕事を失ったり、人生の大切なチャンスを失ったり、無念な思いをたくさんした。
 また「不要・不急のことはしないで」というスローガンも、今まで自分が一生懸命やってきたことを否定された気がして、私自身も患者とゆっくり話をするという精神科医の本分を控えてと言われた時にはとてもせつなかった。
 そんな喪失感が続いているうちにだんだん頑張ることが馬鹿らしくなり、準備してもどうせ無駄になると思うようになり、結果多くの人の心にやる気が出なくなってしまったのである。
 3つ目は人間に対する不信感、そしてそこからの孤独感。これこそがコロナによってもたらされた最も深刻な被害である。マスクや消毒液を盗んだり転売したり、感染者やその家族を村八分にしたり、この三年間で人間の悲しい面をたくさん見た。いざという時には誰も守ってくれないんだと人間の無力さや薄情さを思い知った。
 そして日常の中でも、お互いマスクをするということは相手を感染者として疑うということであり、どうしても雰囲気は悪くなった。しかもマスクで顔が隠れているせいで相手の表情から気持ちを汲み取ることができず、心を通わせるのが難しい。普段なら会って話せば修正できる誤解や勘違いもコロナ禍ではそのチャンスがなく、気持ちがすれ違ったまま突き進んで大きな溝を作り出してしまった。
 日本人の美点でもあり欠点でもある「無言の圧力で足並みを揃える」という文化もコロナ禍では完全に悪習となり、マスク着用やワクチン接種に応じない者が根拠のない迫害を受けた。コロナよりも人間の方がよっぽど恐ろしいと感じた人も多かっただろう。
 そんな不信感が募れば行きつく先は孤独しかない。社会に疑心暗鬼が蔓延し、多くの者が孤独感を強めるに至ったのである。
 恐怖感に不安感、喪失感に意欲低下、そして不信感に孤独感。これらはいずれも強まればうつ病へとつながっていく心の状態だ。実際にずっと減少傾向だった日本の自殺者数がコロナ禍で増加に転じたのも、少なからずそのことを反映しているのだろう。

4.個人の性格とコロナ

 とはいえ、みんながうつ病になったかというとそうでもない。コロナ禍で大きく調子を崩した人もいれば、さほどダメージを受けずにいる人も存在するのだ。次はコロナ禍でストレスを感じやすい人の特徴を3つ挙げてみる。
 1つ目は言葉のインパクトを真に受けやすい人。「ついに感染者が何万人を突破」「かつてない猛威」など、どうしても報道では感情的な文言が添えられてしまう。理系的な分析よりも文系的な印象に囚われやすいのが日本人の特徴でもあり、「ワクチンを打ったその日に急死」なんて言われてしまうと恐ろしくてたまらなくなる。
 逆に「突然死する人は毎日いるわけで、その中の一人がたまたまワクチンを打ってたのかも」なんて柔軟に解釈できればよいのだが、言葉のインパクトに弱い人にとってコロナ禍の報道はストレスの嵐だっただろう。
 2つ目はあきらめたり予定を変更したりするのが苦手な人。コロナ禍では突然の中止や延期が日常茶飯事だった。そのため緻密な計画を立てて段取り通りに物事を進行したい人にとってはイライラしっぱなしだっただろう。
 逆に「外国に行けなくなったから新婚旅行は地元を巡ろう」とか、「飛行機の客室乗務員の募集がなくなったから新幹線の乗務員を目指すぞ」とか、一つのやり方に執着せず機転が利く人の方がコロナ禍ではストレスが少なかったといえる。
 3つ目は、はっきりしない、一貫性がない、価値観が一致しないのが不快な人。
 コロナが出現したばかりの頃は未知のウイルスであったため、専門家の見解もバラバラで誰にもはっきりしたことがわからなかった。国の対応も二転三転で一貫性がまるでなかった。
 そしてきっと多くの人が驚いただろう、人間とはこんなにも一人一人が違うのだということに。コロナはただの風邪だという人もいれば危険な疫病だという人もいる。マスクやワクチンに躍起になる人もいれば、無意味だという人、断固反対だという人もいる。笑顔で旅行に行く人もいれば、顔をしかめて部屋に閉じこもる人もいる。これらを一つの価値観に統一しようとすると衝突し、どうしてわからないんだと争いになる。実際そのせいで長年の人間関係が壊れてしまった話を何件も耳にした。価値観の不一致が許せない人にとってコロナ禍は戦場だったのだ。
 逆に「人は人、自分は自分」と寛容に思える人の方が穏やかに過ごせたのである。   

5.視覚障害とコロナ

 ここからは私自身の実体験も含めて考えてみよう。視覚障害を持つ者にとってコロナ禍のストレスはどうだっただろうか。
 まず大変だったのは物を触ることの禁止。目が不自由な人間はペンを一本握るにも机の上に手を這い回らせて探すわけだし、壁を触りながら歩くことで障害物や曲がり角を予測する。しかしコロナウイルスは接触感染、ベタベタ触ることが感染を拡大するといわれてしまうとかなり困った。
 続いて人に寄り添うことへの禁止。屋外や不慣れな場所で誘導してもらう時、相手の肩や腕に触れて一緒に歩けるととても助かる。盲導犬や白杖のベテランユーザーだって、いざという時は誰かに手引きをしてもらう。しかしこれもソーシャルディスタンスだから近付かないでといわれてしまうと大いに困った。
 また自らがコロナの症状を疑って発熱外来を受診する際も、誰かに同伴してもらうのははばかられる。検査で陽性が判明して自宅療養となった際にも、温度計やパルスオキシメーターの表示を見てタブレットで状態報告という作業が難しい。療養上の注意点やいざという時の連絡先を記した説明書を読むこともできない。
 総じて視覚障害者にとってコロナ禍はデメリットが多かったと言える。

6.バリアバリューへの着目

 しかし重要なのはメリットもあることに気付くことだ。みなさんは「バリアバリュー」という言葉をご存じだろうか。直訳すれば障害価値、つまり病気や障害が価値ある力にもなるという意味だ。
 人は障害を抱えると周囲と比較して劣等感や敗北感を抱きやすい。確かに劣っている部分、負けている部分もあるかもしれない。しかしバリアバリューもある、優れている部分や勝っている部分だってあるのだと知ってほしい。
 例えば人は1つの感覚を失うと残された感覚が冴える。目が見えなくなった人間は、音や匂い、指先や肌の感覚が優れるのはよく知られており、空気の流れを感じて部屋の広さやドアの開閉を感じ取ることもできる。ブラインドスポーツをやっている人の脳を調べると、通常よりも記憶力や空間把握の能力が高い。
 私自身の経験でも、学生時代はギターの調律が下手だった。当時はチューニングマシーンの針を見ながら音を合わせていたのだが、目が見えなくなってからは耳だけで合わせるようにしたところ前よりも調律がうまくなった。また働いている病院が停電した時も、他のスタッフは動きにくそうにしている中、僕が一番スタスタ歩いていた。
 ではコロナ禍における視覚障害のバリアバリューは何だろう。
 1つはコミュニケーションの力。マスクの有無に関係なく視覚障害者は普段から相手の顔を見ずに会話をする技術を習得している。声色、抑揚、話すテンポ、言葉の選び方、全身から伝わってくる雰囲気、それらから気持ちを感じ取る能力は健常者よりも優れているのだ。
 もう1つは人生に対する機転の力。中途で失明した当事者は視力という大切な健康を失い、予定していた人生をあきらめるという大きな経験をすでに一度している。そしてそこを乗り越えて今を生きているのだとすれば、コロナ禍によってもたらされたいくつもの喪失感、予定の変更に対して健常者よりも機転を利かせることができるだろう。
 これらはほんの一例である。視覚障害に限らず、コロナ禍のバリアバリューをみんなで見つけてみよう。

7.おわりに

 医療でも福祉でも目指しているのはみんなが暮らしやすい世界。しかしそれはどんな世界だろうか。
 私たち視覚障害者にとっては、駅で改札やトイレの場所へ誘導してくれる音声アナウンスの存在はとても助かる。もっともっと色々な場所に音声誘導があればいいなと思う。しかし私が治療している精神科の患者の中には音声アナウンスがたまらなく恐ろしく、そのせいで駅に入れないという人もいる。
 逆に銀行でお金をおろす時、対人恐怖症の人にとっては窓口よりもATMが助かるが、視覚障害者にとってはタッチパネルは操作しづらく窓口の方が助かる。車椅子の人にとっては階段よりもエレベーターが助かるが、閉所恐怖症の人にとっては階段の方が助かるのである。
 こう考えると誰かにとってのバリアフリーも誰かにとってはバリアになってしまい、みんなが暮らしやすい世界なんてつくれない。そこで大切になるのが、相手の事情を察してあげるイマジネーションの力である。
 人にはみんなそれぞれの事情があり、人には言えない苦労があり、その人ならではの痛みがある。例えばみんながちゃんと並んでいるレジの列に突然横から割り込んだ人がいたとする。悪い奴だと決め付ける前に少し考えてみよう、もしかしたら目が不自由で見えている範囲が狭いのかもしれない。
 例えば混んでいる電車から降りる時にすいませんと声を掛けたのにどいてくれない人がいたとする。考えてみよう。意地悪ではなく、もしかしたら耳がお悪いのかもしれない。
 例えば冠婚葬祭に毎回欠席する人がいたとする。不義理ではなく、もしかしたらアルコール依存症の治療中で、お酒に近付かないように頑張っているのかもしれない。
 例えばレストランの四人掛けのテーブルを二人で使っている夫婦がいたとする。それももしかしたら亡くなったお子さんの誕生日で、空席にはお子さんの魂が座っているのかもしれない。
 それぞれの事情、それぞれの苦労、それぞれの痛み。イマジネーションを働かせてそれを少し察してあげる、そんな「優しい想像力」をお互いに持つことができれば、この世界はたとえ音声アナウンスがなくても、段差があっても、みんなが暮らしやすい世界に近付いていくのではないだろうか。
 そしてこの三年間のコロナ禍で最も失われてしまったものこそがこの「優しい想像力」である。確かにこれまではまず命を守ることが大切だった。しかしここからは心も守らねばならない時期に来ている。疑心暗鬼が蔓延した世界を、お互いを思いやる優しい想像力で少しずつ澄み渡らせていこう。
 大丈夫、視覚障害者はイマジネーションの達人。情報の9割は視覚と言われる中、この世界で暮らせているのは優れた想像力があるからだ。そして今回のコロナ禍で、普段どれだけ人の優しさに救われて暮らしていたかも私たちは思い知った。人を信じる心を持たねば視覚障害者は生きていけない。どんなに世の中に不信感が振りまかれても、それを跳ね返す力を視覚障害者は持っているのだ。これもまたバリアバリューであろう。
 精神科医として、視覚障害の当事者として、そして何より一人の人間として、今こそ優しい想像力を心に広げていきたいと思っている。

編集ログ

 韓国語に、1993年2月に大統領に就任した金泳三(キム・ヨンサム)氏が声高に叫んで注目された「ヨクサ・パロ・セウギ(歴史の立て直し)」という言葉があります。これは、現代の価値観に合わせて歴史を再構築するということであり、日本では絶対に受け入れられない論理ですが、儒教が強い影響を持つ韓国では『春秋の筆法』によって、どれが悪く、どれが善か、善悪の価値を必ず付けて歴史を描くことを意味します。
 日本人は「約束は必ず守らなければならない」と考えますが、韓国人は、約束を守ることよりも、その約束が韓国語でいう「オルバルダ(正しい)」かを重視します。そして、韓国人はそれを基準に歴史も見るのです。
 韓国人にとって、朝鮮半島の統治をはじめ、元慰安婦や元徴用工の問題は、「日本が人間として正しくないことをした」ために起きたものであり、「歴史を再構築」するため、当時の国際法などは無視して、1910年に締結された日韓併合条約も、1965年に結ばれた日韓基本条約も「無効」と考えるのです。
 このため、過去に日韓間で結ばれた合意や協定が事実上「反故」にされ、政権が変われば、慰安婦問題をめぐる2015年12月の日韓合意に基づいて設立された「和解・癒やし財団」は解散され、元徴用工訴訟の大法院判決も出たのです。
 さらに、韓国では、法そのものに対する考え方が、日本人の常識とは大きく異なっており、事後法が遡及して適用されることがあります。例えば、1980年5月に韓国南西部の光州で、軍が民主化を求める学生らを武力鎮圧した責任者を処罰するため、1995年に「5・18民主化運動などに関する特例法」が制定され、全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)両元大統領が逮捕・投獄されましたが、他の法治国家では考えられないことです。
 法律家で検察総長でもあった尹錫悦(ユン・ソギョル)大統領の苦労が忍ばれますが、これらの日韓における認識の違いは実は韓国では広く知られており、私も『中央日報』等で学んだことなのですが、日本ではあまり報じられていないように思います。(福山博)

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