点字ジャーナル 2023年1月号

2022.12.26

目次

  • 巻頭コラム:「ビジット・ジャパン」ってなに?
  • (新春インタビュー)デジタル社会の足音 ―― 和田浩一氏に聞く
  • (新連載)ポストコロナのネパールを行く 荒れた街の不条理(1)
  • (寄稿)嘘を見抜き真実を見極める力を
  • (鼎談)夏と冬のオリンピックに二刀流で出場(5・最終回)
      パリ2024とミラノ2026へ向かって
  • ネパールの盲教育と私の半生(19)日本社会で学んだこと
  • 音楽コンクール開催
  • 西洋医学採用のあゆみ(22)脚気原因の究明その2
  • 自分が変わること(162)声が笑っている人
  • リレーエッセイ:ブラインドラグビーと私(上)
  • アフターセブン(94)新型コロナに感染
  • 大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
      (245)最高の武器を手に入れて初賜杯を抱いた阿炎
  • 時代の風:ノンフィクション本大賞、第16回塙保己一賞受賞者決定、
      基礎疾患と感染症重症化のメカニズム
  • 伝言板:小鳩文化事業団創立10周年記念イベント、小説の中の音を楽しむ会、
      ギターと箏のコンサート、第5回ロービジョン・ブラインド川柳コンクール
  • 編集ログ

巻頭コラム:「ビジット・ジャパン」ってなに?

 バンコクから夜行便で早朝7時に羽田空港に到着した途端、大勢の係員から「ビジット・ジャパン(日本訪問)を用意してください」と連呼され驚いた。
 ビジット・ジャパン・ウエブサービスとは、海外からの入国者(帰国する日本人も含む)が、入国時に「検疫」・「入国審査」・「税関申告」の入国手続を行うことができるウエブサービスのことだ。2022年の11月1日から検疫(ファストトラック)機能が利用可能になったので、今、日本の国際空港で入国時に事実上強制的に実施されている。
 そこで私も寝ぼけ眼をこすりながら入力するのだが、何度パスワードを入力しても先に進めない。そこで係員に聞くとたらい回しにされ、ケイタイに詳しい人にたどり着くと「ワイファイの電波が弱いせいですね」と言われた。
 「それくらいちゃんと用意してよ」とは思ったが、とにかくケイタイに詳しい人にたどり着いたので、おとなしくしていた。すると、彼は「この機種は初めてですね」と言いながらも手早く操作してくれたので、待ちぼうけをくらうとか遅れるということもなかった。
 ところで、私はこんな事態に陥るまで、こんな入国手続があるとはまったく知らなかった。旅行代理店からの案内もなかったし、新聞検索で調べてみても報道された気配もなかった。
 政府は「ビジット・ジャパン・ウエブ」の登録は必須ではないと強弁しているが、 航空会社によっては滞在国から飛行機の搭乗時に提示を求めるケースもあるというので必須と考えるべきだろう。
 旅行代理店などを通じてあらかじめ広報しておけば、空港に大量の人員を動員してビジット・ジャパン・ウエブサービスを周知させることもないように思うので、デジタル庁はもっと広報に力を入れてもらいたい。
 ところで、このサービス「ビジット・ジャパン」は、観光庁が訪日外国人旅行者を増やすための「日本を訪問しよう」キャンペーンにこそふさわしいと思うが、入国手続の名称にはちょっとそぐわないのではないだろうか。(福山博)    

(新春インタビュー)デジタル社会の足音
~和田浩一氏に聞く~

 【当協会と神戸アイセンター内ビジョンパークをオンラインで結び、公益社団法人ネクストビジョンのビジョンパーク情報マスターであり、今年活躍が期待されるデジタル庁職員でもある和田浩一氏(64歳)にデジタル庁の視覚障害者への役割、和田氏の思い描く近未来の視覚障害者の暮らしについて語っていただいた。取材・構成は本誌戸塚辰永】

機械いじりが高じてアマチュア・プログラマーへ

 和田浩一氏は、1958年に愛媛県松山市で生まれた。中学2年生の時に網膜色素変性症と診断された。夜見えにくいとか視野が少し狭いといった症状があったものの視力は1.0あり、生活するには不便を感じていなかった。ただ、どの病院でも治療法がなく、将来失明する眼病と宣告された両親は、わが子の将来を考えた末に盲学校進学を決めた。
 子供のころから機械いじりや図画工作が好きだった和田少年は、工業高校の電子工学科あるいはちょうどそのころできたばかりの情報系の学科に進学したいと強く望んでいた。ところが眼に病気があるので工業高校には進学できないことを知った。希望を断たれた彼は親がいうまま愛媛県立松山盲学校高等部普通科に進学した。
 幼いころからトランシーバーに興味を持ち、中学の頃にアマチュア無線の免許を取得した彼は、高等部でアマチュア無線クラブを設立した。また、放送委員会で機材を使って録音・編集・制作作業を行い青春を謳歌した。進路を決める段階で、盲学校の教員を養成する大学を受験したが残念ながら不合格。三療は体に触れたり人とコミュニケーションをとったりする職業なので自分には向いていないと気が進まなかったが、同校専攻科理療科に進んだ。専攻科に進んでも職業選択についてとても悩んでいた和田氏は、放送部で部員と話し合いラジオ番組を制作した。テーマは視覚障害者の職業についてどうしたらよいのか?先は難しいが取り組み次第で路<ミチ>をひらくことができるのではないだろうかと問いかけるものであった。放送部の甲子園ともいわれるNHK杯全国高校放送コンテストに作品を出品。愛媛県代表になり、何とラジオ番組制作部門で全国1位に輝いた。そうした実績もあり機械の仕事に挑戦したいという気持ちに火をつけた。そんな悩みを抱えていたときに、「和田君は教員に向いているよ」と言ってくれた先生がいて、「じゃあ、盲学校の教員になろう」と、理療科の教員になって自身が歩んできた路を含めて何か生徒に伝えたいと思い、筑波大学理療科教員養成施設(以下、養成施設)へ進んだ。1980年に養成施設に入学して1年後、鹿児島盲学校で理療科の教員が足りないので養成施設長から「1年休学して鹿児島へ行ってもらえないか」と要請され、臨時教員免許を与えられ同校で講師として勤務した。この経験がその後の理療科教員生活に大いに役立ったと彼は振り返る。
 1982年に復学すると、寮で同室の人がコンピューターを持っていて、それを借りて夜な夜なプログラミングの雑誌を片手に独学で簡単なゲームのプログラムを書き始めた。本格的なプログラムを書いたのは、厚生省が大学に委託したスモン病の全国調査で、その集計プログラムを書いたことだった。徐々に視力が低下し視野も狭くなっていく中、音声ワープロ、点字エディターも自作した。興味深いものでは、視野を計測するプログラムも書き、自分の視野が虫食い状態になっていることを映像で確認し驚いた。
 養成施設を卒業し、母校である松山盲学校の教諭となり教えていたが、30歳のころに失明し、本が読めなくなってしまった。特に、プログラミングに関する本が読めなくなったことが辛かった。そこで音訳ボランティアに無理をいってプログラミングの専門書をカセットテープに録音してもらった。そのおかげでプログラミングの勉強を継続することができ、視覚障害者に役立つソフトを数々作り、皆に喜ばれた。

ネクストビジョンに転職

 現在和田氏は視覚障害リハビリテーション協会(以下、視覚リハ)会長を務めているが、2017年当時は理事であった。同じく理事であり、眼科医師でもある仲泊聡<ナカドマリ・サトシ>氏(元・国立障害者リハビリテーションセンター第2診療部長、現・神戸アイセンター病院非常勤医師)が愛媛県で講演された際に、アイセンター病院内にネクストビジョンという公益社団法人が設立され、視覚障害者の相談支援ができる人を募集しているという話を聞いた。自分だったら役に立てるのではないかと思った和田氏は応募し、採用されたのだった。
 59歳で盲学校の教師を辞め、2018年4月からネクストビジョンの職員となり、現在ビジョンパーク情報マスターとして勤務している。
 当初、平日は神戸市内にある賃貸物件に住み、週末松山で過ごしていた。ところが新型コロナが流行し始めると和田氏の職場もリモートワークを余儀なくされ、彼は松山からパソコンを使って遠隔で相談等にあたった。どこにいても仕事ができることがわかり、現在は、月に2週間神戸で働き、2週間松山でリモートワークをしている。
 ビジョンパーク情報マスターの仕事は、4つに分類できる。①主にアイセンター病院を来院したロービジョンの患者に情報を提供し、必要に応じて福祉・教育・労働といった相談先を紹介すること。ビジョンパークでは、日本ライトハウス、神戸アイライト協会、盲学校等関西の23団体と協力関係にあり、患者のニーズに基づいてそれらの団体から担当者がビジョンパークへ出向き患者に必要な情報を提供したり、相談にあたっている。そうした中に、和田氏も加わり、情報を提供したり自身の経験を生かして相談にのっている。②全国からの見学者に最新の情報や機器を紹介することで、例えばアイフォーン・アイパッド活用ラウンジといったイベントを企画したり担当すること。③ネクストビジョンが行っている就労関係イベントとして、アイシー・ワーキング・アワードがあり、応募者の募集、調整、イベントの企画を担当すること。④研究開発にあたって助言をしたり、共に研究に加わることだ。
 視覚リハでの活動も、ビジョンパークでの仕事も基本的に同じスタンスだという。それは盲学校高等部入学試験での面接の際に彼が述べた言葉に込められている。将来どういうことをしたいかとたずねられ、「自分は眼が見えなくなる病気であり、ほかにも同じような人もいるので、自分も含めてその人たちに、自分ができること、できれば得意なことで役に立ちたいです。そういう仕事に就きたいと思っています」と答えた。視覚リハではコンピューターを用いた視覚障害者の情報処理について研究発表を継続して行ったことなどが評価され理事になり、今は会長を務めている。常に一貫していることは、自分がやりたい、得意とする分野で人助けをしていることだ。それが和田氏のライフワークとなっている。

デジタル庁の職員として

 デジタル庁が設立される際、それに向けて意見を募集していることを新聞記事で知った和田氏は、「アイデアボックス」に意見を寄せた。視覚障害者の不便なところは、読み書きと移動だ。彼は一人で役所を訪れるが、たいていの視覚障害者は単独では役所に行くことが難しい。そして、視覚障害者が行政手続きをする際、紙に書かれた書類に記入することは非常に困難であったり不可能だ。実際、同行援護の受給者証手続きの際にセルフプランを提出するが、紙に記入しなければならず、見えなければ書くこともできない。デジタル化が進むとそうした手続きも自分でできるようになるので、それを強く要望すると記した。彼の意見はデジタル庁初代大臣に内定していた平井卓也<ヒライ・タクヤ>氏の耳に入り、「和田さんが困らないような仕組みを作ります」との言葉をかけられた。
 デジタル庁が2021年9月に発足するにあたって民間人材の非常勤職員の募集が始まっており、和田氏は同年7月1日付で内閣官房IT総合戦略室に配属され、デジタル庁発足後はサービスデザインチームに所属している。なお、同庁に採用された視覚障害者は和田氏と伊敷政英<イシキ・マサヒデ>氏の2名でウェブアクセシビリティチームにも所属している。
 和田氏は非常勤職員で、週に1日勤務のところを半日ずつに分けて2日働いている。デジタル庁の職員は、民間から約200名、他省庁から配属された職員が約400名いる。和田氏のチームは20名弱で、普段はオンライン上で仕事をしているが、2か月に1回登庁し霞が関で会議をする。実際に顔を合わせることによって、より視覚障害者がどんなことで困っているか同僚は目の当たりにする。和田氏も雑談も含めて視覚障害について伝えていく中で、チーム内の理解が深まっていると実感している。また、河野太郎<コウノ・タロウ>デジタル大臣とも話をして、視覚障害者がどんなことで困っているかを説明した。これも、視覚障害当事者が内部で働いているからこそ叶うことだ。
 「デジタル化が進んでいくことにより恩恵にあずかる人も増えていく反面、パソコン等の操作が難しく恩恵に預かることができない人も出てきます。デジタル化が進めば役所の仕事も楽になるので、その分人がしっかりサポートすることもできるようになります。例えば、電話で受け付けて対応するといった仕組みを作り、行政手続きが誰でもスムーズに行くようにしたいですね」と言う。デジタル庁も、誰一人取り残さない社会を作ることをミッションとしている。
 「いろいろな道具やソフトウエアを使えなくて困っている見えない・見えにくい人、盲ろう者がいます。システムやハード・ソフトウエアを作る段階からニーズを汲み取りそれらを反映して行ければスムーズでより快適な生活を送ることができます。私がデジタル庁で仕事をさせてもらっているので、できるだけ早く進めていければと思っていますが、民間企業を含めて全体を動かさなければなりません。それには、ある程度の時間を要することでしょう」と語る。
 米国では1990年にADA法(障害を持つアメリカ人法)や2001年改正米国リハビリテーション法508条で、連邦政府機関が調達するものはアクセシブルなものでなくてはならないと規定されている。またEU(欧州連合)でも2019年に欧州アクセシビリティ法が成立し、障害者が使えないツールを認めないという建て付けとなっている。日本にもそういった考え方が入ってきており、2022年5月に障害者情報アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進法が施行された。この法律は強制力は弱いものの、民間で開発する機器等を誰もが使えるようにするという流れを推進するものだ。
 今、政府や自治体が機器を調達する際、調達仕様書といってこれだけの仕様を満たしていなければならないという努力義務があって、視覚障害のサポートとして音声対応についても取り組んでいる。それが実現すれば公的機関のみならず民間、一般に広がっていく。そして、調達基準をクリアした企業には価値が付き、そうした企業が増えることにより誰もが使いやすいシステムが普及し始めているという。
 和田氏は、アイフォーンに交通系ICカードのSuicaアプリをインストールして、それをアップルウォッチと連動させている。ただ手首に着けたアップルウォッチを自動改札にタッチすれば、アップルウォッチが振動して改札を通過したことを教えてくれる。これは視覚障害者のために作っているわけではないが、切符を買うというバリアが解消される。同じくコンビニなどでの決済では、これまで財布の中を手探りして現金を数えて支払っていたが、交通系ICカード等でスムーズに決済できる。これは視覚障害者だけでなく、手の不自由な人にとっても便利であり、誰にとっても便利だ。
 「これまでは紙に住所、氏名、生年月日を書かなければいけなかったのが、これからは自分が持っているスマホの中にマイナンバーカードや障害者手帳を入れるようになるでしょう。それさえ持っていれば手続きが簡単にできるようになります。もちろん、十分なセキュリティを施したうえですが」と勧める。

近未来はどうなる?

 今、世界で俄かに話題になっていることがある。それは、現実世界とは別に「メタバース」と呼ばれる仮想空間で「アバター」と呼ばれる分身が他者の分身と交流したりする別世界が構築されつつある。その世界では、視覚障害者も盲ろう者も誰もが自由に移動でき、コミュニケーションやショッピングが自由にできる可能性がある。まず、仮想空間を構築するにあたって障害者が利用しやすい仮想空間を作るためには最初から障害当事者がそれに関わっていく必要があると和田氏は考えている。
 現実社会では、iPS細胞移植により視力を回復する技術も進歩していくだろう。また、視覚を補う機器も開発されていくことだろう。和田氏は、アイフォーン12以降のプロタイプに標準搭載されている拡大鏡アプリを便利に使っている。それは、カメラがドアの位置を検出して知らせる機能だ。ナビゲーションシステムはある程度の場所まで案内してくれるが誤差があり、入り口がわからなくうろうろしてしまうこともある。
 「このアプリを使って外出し、ショッピングを楽しみたいものです。実際にものを触って買い物ができることは達成感というか喜びがあります」と話す。
 小学生のころからアイススケートが得意な和田氏は、デジタル技術を駆使して一人でスケートを楽しんでいる。周りに人がいるか壁があるかを手に持った超音波センサーのパームソナーが感知する。またコーナーには「ナビレンス」というタグを付けることで離れたところからコーナーの位置を音声で確認する。
 「スケート場がオープンするのが楽しみです」と話す和田氏は、今頃スケートを楽しんでいることだろう。   

編集ログ

巻頭コラムに「検疫(ファストトラック)」と書きましたが、これは、海外から日本へ入国する際、空港検疫で実施している手続を、「ビジットジャパン」を通じて、ウエブ上で事前に処理する方法のことです。なお、この場合の「ファストトラック」は、「通常よりも迅速」という意味です。日本政府は英語やカタカナ語を最近むやみに使いすぎているような気がしますが、困ったことです。
 「時代の風」で紹介した第16回塙保己一賞貢献賞を受賞した視覚障害者支援総合センター職員の佐藤實さん(88歳)は、1950年4月1日に東京ヘレン・ケラー協会に入職され、1993年11月30日に退職。引き続き嘱託として1993年12月1日~2000年3月31日まで、都合当協会に50年間勤務された方です。その後、視覚障害者支援総合センターに転職されてからも22年が経ちますから、この業界で72年間も働き続けてこられた点字図版製作のオーソリティです。おめでとうございます。
 (新連載)「ポストコロナのネパールを行く 荒れた街の不条理」のポストコロナとは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が収束した後のことを指します。カトマンズに住む私の知り合いの多くは、1年前にCOVID-19にかかっており、コロナ禍は過去の話です。ただ、先進国のように休業補償のようなことがほとんど行われなかったので、町全体がまだコロナ禍から立ち直っていないように思われました。
 私がネパールに行く前から、帰国後も日本は過去28日間のCOVID-19感染者が世界一を続けています。このため、COVID-19患者が多すぎて医療の恩恵を受けられずほったらかしにされている現実があります。
 COVID-19は2020年初頭のパンデミック以来、患者数の全数把握が必要な感染症「2類相当」のままです。このため対応できる医療機関は限られています。
 政府は、一刻も早くワクチン接種や治療薬を終息まで原則国費負担にして、季節性インフルエンザと同じ「5類」にして患者が安心して治療を受けられるようにすべきです。(福山博)

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