点字ジャーナル 2022年12月号

2022.11.25

点字ジャーナル表紙

目次

  • 巻頭コラム:長生きが怖い、25年後の日本
  • (寄稿)第11回日本盲教育史研究大会報告
  • 第70回全国盲人福祉施設大会 ―― 今年もハイブリッドで開催
  • (寄稿)「ライブス東京」に参加して
  • 読書人のおしゃべり 『白い杖、空を行く』
  • (鼎談)夏と冬のオリンピックに二刀流で出場(4)
      冬季ゲームの重い経費負担
  • ネパールの盲教育と私の半生(18)研修での大きな成果
  • スモールトーク:コロナ禍における田舎の家族葬
  • 西洋医学採用のあゆみ(21)脚気原因の究明その1
  • 自分が変わること(161)世界はフラットにもの悲しくて
  • リレーエッセイ:香介による「勝手にパラアスリート応援歌三部作」
  • アフターセブン(93)冬の節電節ガスチャレンジ
  • 大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
      (244)〝史上最速男〟元小結常幸龍ついに引退
  • 時代の風:iPS細胞で作った視細胞の安全性確認、
      目のアレルギーに関わるタンパク質を同定、
      中国広西安寧で視覚障害者横断歩道開通、
      メタボ 保健指導に達成目標、
      毛包オルガノイドの作製技術を開発
  • 伝言板:視覚障害者文化を育てる会設立20周年記念イベント、
      劇団民藝公演、第72回チャリティーコンサート、川島昭恵語りライブ
  • 編集ログ

巻頭コラム:長生きが怖い、25年後の日本

 私は現在67歳なので、25年後には92歳になる。今年母が92歳で天寿を全うし、91歳の父は片足に軽度の障害を負っているので、毎日の散歩は杖をついておぼつかないが、未だに車を運転している。父に「大丈夫なの!」と聞くと、「このとおり」と、どの項目も高得点の高齢者運転免許更新講習修了書を見せる。そして、「年寄りがアクセルをブレーキと間違えて事故を起こすのはAT(オートマチック)車に乗るからで、おれはMT(マニュアル)車しか乗らないから大丈夫だ」と胸を張る。片手でシフト操作、左足でクラッチ操作と面倒なので、MT車の運転はあるいはボケ防止に役だっているのかも知れない。
 家系から察するに私も90過ぎまで生きる可能性が高いが、25年後の日本はどうなっているのだろうか。
 政府が10月28日の臨時閣議で、経済対策29.1兆円、事業規模71.6兆円の総合経済対策を決定した。これにより標準的な家庭で電気代が月額2800円、ガス代は900円程度、来年の1月から9月まで安くなる。しかし、所得制限はないので、富裕層も対象とする典型的なバラマキで、財源はもちろん赤字国債だ。現在の短期金利マイナス0.1%、長期金利0%という異常な金利に甘えてできる政策である。
 英国のトラス前政権が財源の裏付けのない450億ポンド(約7.6兆円)の大規模な減税を柱とした経済対策を打ち出すと、財政悪化を懸念した市場が厳しく反応して、彼女は首相就任から44日で辞任した。
 IMF(国際通貨基金)による2021年のGDP(国内総生産)に対する政府の債務残高比率は英国95.3%、日本262.5%だ。国債残高が1,000兆円を超える日本の財政は、25年とはいわずそう遠くない将来に市場に見放され債権・通貨・株のトリプル安で日本経済は撃沈しかねない。その頃、私は九州の山里で、超インフレで年金が日々目減りする中、コロナ禍前のデフレ当時を懐かしんでいるのだろうか。(福山博)    

(寄稿)第11回日本盲教育史研究大会報告

横浜市 大橋由昌

1.はじめに

 日本盲教育史研究会の第11回総会及び研究大会が、2022年10月22日(土)に、日本点字図書館を会場に、オンライン参加を原則としてハイブリッド方式で行なわれた。コロナ感染予防のため、この2年間は書面総会のみを実施してきたので、3年ぶりの研究大会となった。コロナの終息も見られない中、手話通訳者なども含めて70名余の参加を得て盛会裏に終了したといえる。また、今回は本研究会創立10周年の記念すべき大会でもあり、テーマも「盲史研満10歳 ―進展と今後―」とし、基調講演も第1回研究大会と同様に中村満紀男(なかむら まきお)筑波大学・福山市立大学名誉教授にお願いした。岸博実(きし ひろみ)事務局長には、研究発表の一つとしてこの10年間を振り返るとともに、今後の課題を提起してもらった。以下、記念講演の概要を中心に記す。

2.日本の視覚障害教育の歴史的特徴と欠陥

 記念講演は、長く欧米と我が国の特別支援教育を比較研究されてこられた中村先生が、「日本の視覚障害教育の1世紀半と今後」と題して、学校の成立過程の違いから現在のインクルーシブ教育の考え方までを語られた。盲学校に限らず、特別支援学校の成立に関する流れとしては、一つは近代以降の問題であり、二つ目は欧米圏発祥であることを指摘されたうえで、欧米では社会の構造的な貧困問題から個人の自立を図るために教育の重要性が浮上し、キリスト教に裏付けされた慈善事業から発展してきた経緯がある一方、日本の盲教育は、次のような特徴を持つ。(1)中央政府のエリートが近代化を象徴する制度の一つとして盲唖学校の創設に力を注ぎ、1872(明治5)年の「学制発布」がその先駆けとなった。(2)世界最初の盲学校から約100年後の1878(明治11)年に、京都に盲唖院が設立され、欧米では例のない学校形態として最初から開業している。(3)学校創立の取り組みには、一部にキリスト教の背景もあったものの、多くは地域社会の熱い支持による慈善事業の発展形態や盲人自らの創設運動への参加という、欧米やアジア諸国においてもほとんど見られない稀有な特徴を指摘。そのうえで、明治期における盲唖学校が発展していった背景には関係者の着想が結果的によかったからであり、小規模から始め初期段階からブライユ点字を導入し、1か所とはいえ教員養成課程を常設して、盲と聾の教育を分離したことに加えて、鍼按の職業課程のほかに普通科を置き、明治期からすでに進路開拓の可能性を想定していた点である。さらに、個人教授の徒弟制から学校という集団教育を目指した結果、一般校と同じ教育内容を行えたことなどであった。
 こうして、各地に創設された盲学校は、全教育課程を通じて盲児のアイデンティティーの確立と修正を行いつつ、教育センター的役割を果たし、卒業後も相談などの支援に当たり、盲児が成人となって自立を果たして社会参加していく多くの事例を示したことによって、盲学校の必要性を社会に対して示したといえる。
 しかし、1923(大正12)年の盲学校及聾唖学校令により盲・聾学校の公教育の制度として確立したものの、就学率が低く市民の支持も弱くなったうえに、小学校における特殊教育の制度化は1941(昭和16)年度からでかなり遅れた。盲唖学校の負の面を整理してみるならば、まったく教育方法や生活環境が異なる盲と聾が同じ校内で併存していたこと、盲学校に対する偏見や経済的な面から就学率が低く2~3割程度だったと推定されること、修業年限が短いために卒業する年齢を計算して入学年齢が高かったこと、そして、専門性のある教員の不足や高等教育の道が閉ざされていたことなどである。盲学校及聾唖学校令によっても、市民の県立への移管の願いが達成されるとともに、浄財を集めるなどの支援の熱意が低下して盲学校および教育の質的向上を生まなかった。さらに、小学校の増設による正教員の慢性的な不足が顕著となり、多様な多数の児童の就学により必要となっていた個人差に対応できず、一般校における特別支援教育的発想が生まれる土壌ではなかった。

3.日本の視覚障害教育の現状と今後

 日本は欧米先進国に追いつくために近代化に積極的であり、教育制度においてもある程度成功したといえる半面、富国強兵の名のもとに早く結果を出すために、一部のエリートに集中的に投資する結果となり、帝国大学を頂点とする、各学校間には格差と序列化が進む結果となった。例えば、師範学校の卒業生は幹部候補生の位置づけであり、それ以外の実用的人材は簡易課程で育成し、粗製乱造といえるほどであった。西洋的近代化を早急に実現するためには、欧米の制度の模倣や理論の追随をするのが現実的な方策であり、特に独自の理論構築の国産化に至らず、教育学説などについても積極的に原書を翻訳して紹介・解説する傾向が定着していった。しかも、いったん定着した概念を修正しにくい、という国民性があるように感じる。このように欧米の学説・理論の輸入・模倣は教育界で標準的な行動様式となり、太平洋戦争終結間際まで繰り返され、現在のインクルーシブ教育の概念の理解にも当てはまるのではないだろうか。
 戦後の特殊教育制度は、1948(昭和23)年度に成立し、全員就学の特殊教育制度は1979(昭和54)年度に、養護学校義務化としてイギリス、アメリカに次いで成立した。障害児の就学は保証されたとはいえ、今日の視覚特別支援学校ではインクルージョン運動の世界的潮流に乗って、児童・生徒数の減少が著しく、存続の危機にあるともいえる。九州の視覚特別支援学校の事例を紹介され、1988年には全校児童・生徒数が87人であったのに対して、2018年には24人となり、うち3人は盲ろうの児童・生徒であった、という。しかし、これまで積み重ねてきた盲教育の専門性を基盤に、今後は欧米由来のインクルーシブ教育の方式をそのまま受け入れるのではなく、日本型のモデルの提示が必要になるのではないか。
 国際的共通理念としてのインクルージョンの言葉があらわれてくるのは、20世紀後半のことで、1993年の「障害者の機会均等化に関する標準規則」において通常学校におけるインクルーシブ教育が基本とされたが、日本政府は「特殊学校が最適な場合もあり得る」との文言を入れさせた、と報道されている。2006年12月には、国連総会で「障害者権利条約」が採択され、インクルージョンの理念が教育の前提となった。さらに、2015年9月サミット「世界を変革する持続可能な開発のための2030アジェンダ」において、インクルージョンは、学校教育分野に限定されない、極めて広い概念としてマイノリティー運動を支える共通理念となったのである。日本では、ほぼ障害者問題に限定されるが、インクルージョンの特徴は、(1)成功事例を一般化し正当化すること、(2)事例の実績のデータ化がなされていないこと、(3)成功事例後の情報が出されていないこと、(4)運動の担い手は特殊教育の専門家でないことなど、見る角度を変えれば課題であるともいえる。特殊教育畑で育ったものからすれば、インクルージョン理念は障害ごとの違い・視覚障害の独自性を無視しており、文化的・社会的差異を軽視しているように感じられる。インクルージョン運動では、インクルージョンは社会的矛盾を解決するカギである、と言われているが、果たしてそうであろうか。教育の専門性という視点から考えると、点字やICT技術の習得などに1次的であっても、分離教育を選択する権利があってもよいのではないかと思われる、と特殊教育の第一人者らしい発言をしておられた。
 講演後の質疑応答の中でも、やはりインクルーシブ教育についての質問があった。「日本の土壌に合ったインクルーシブ教育とは、どのようなもの」との質問に対して、中村先生は、具体的にはこれから出版する本の中で論じてみたい、と回答を留保された。それだけインクルーシブ教育に関しては、大きな可能性と課題もあるのだろうと感じた。

4.終わりに代えて

 記念講演のほかには、岸博実事務局長に本会の10年の軌跡を「日本盲教育史研究会の歩んできた10年と今後」と題して報告していただき、公募による5つの研究発表が行われた。発表者は、大学院生の若手から盲学校を定年された先生まで、年代も幅広かった。山口真穂(やまぐち まほ)氏は、「近代日本の点字通信教育史構築の試み ――左近允孝之進(さこんじょう こうのしん)・中村京太郎(なかむら きょうたろう)・山村熊次郎(やまむら くまじろう)の講義録と教科書出版」、鷹林茂男(たかばやし しげお)氏は「明治前期における東北盲人の活動 ――宮城県を中心に」を午前の部で発表された。午後の部では、伊藤勇(いとう いさみ)氏は「南雲総次郎(なぐも そうじろう)に関する伝記的資料の検討」、栗川治(くりかわ おさむ)氏は「新潟県下各盲唖学校協議会と点字図書館運動 ──中越盲唖学校・姉崎惣十郎(あねざき そうじゅうろう)と新潟盲唖学校・山中樵(やまなか きこり)をめぐって」、そして、伊藤友治(いとう ともはる)氏は「視覚障害者柔道の歴史を通してインクルーシブな社会を考える」というそれぞれのテーマで研究成果を発表されていた。これからも、視覚障害者のたどってきた歴史を、広く共有していきたいものだと思った。   

編集ログ

日盲社協大会で(株)ビジョンケアの高橋政代社長による講演「持続可能な網膜の再生医療」を、本号で雨宮記者が詳しく紹介した。私も同氏の講演を聴き、講演内容とは外れたところで、数年来の疑問が氷解したので以下にそれを記す。
 高橋政代博士がロービジョンケアのノウハウや情報を蓄積するために公益社団法人ネクストビジョンを設立したことはよく理解できた。しかしノーベル賞を受賞してもおかしくない業績を残している研究者が、理化学研究所を退職して、なぜビジョンケアという株式会社を設立して、社長に納まったのかかねがね訝しく思っていた。
 1980年代からWHO(世界保健機関)は、世界的に高度な医療に誰でもアクセスできる日本の医療・保険制度は世界一であると賞賛してきた。しかし少子高齢化による医療費の急増により、現在、日本政府は最先端医療に予算を割けなくなってきている。
 持続可能な網膜の再生医療のためには高額な費用の財源をどこから得るのか、もはや日本政府には頼れないし、頼りにならない。しかしiPS細胞を使った網膜再生医療と遺伝子治療には5000万円とか、1億円という途方もない治療費がかかる。
 もちろん臨床が進めば、その費用は急激に安くなるが、高額な臨床を経過しないで治療費を安くすることはできない。そこで、博士は「賢いギバー」になるために、会社を作ったのではなかろうか。「賢いギバーがネットワークを築くとき、大きな利益をたくさんの人に還元する仕組みができる」からである。
 アダム・グラントの著書『GIVE & TAKE(ギブ・アンド・テイク)――「与える人」こそ成功する時代』によると、社会には「相手に惜しみなく与える」ギバー(Giver)と、「損得のバランスを考える」マッチャー(Matcher)、「自分の利益を優先させ受け取る」テイカー(Taker)がいるが、実は「賢いギバー」が最も成功するとある。ただし最もだめなのは、相手を選ばない「自己犠牲タイプのギバー」であるともいう。
 同博士の成功を切に願いたい。(福山博)

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