愛の光通信    2024年冬号通巻63号    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321    東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局  (巻頭写真のキャプション)  ネパール西部のインド国境にあるネパールガンジに拠点を置くバンケ盲人協会 (Banke Association of the Blind:BAB) は、バンケ郡 (人口49万1,000人) の視覚障害当事者により組織された団体だ。ネパールには、視覚障害当事者による全国組織ネパール盲人協会 (NAB) があるが、BABはNABに加盟しないで、独自に視覚障害児・生徒専用の寄宿舎を運営している。  写真はBABの役員と事務長、寄宿舎の寮母ら運営スタッフ、そして寄宿生 (2ページ参照)。 ●バンケ盲人協会(BAB)の活動 ― NABとは一線を画して ― 海外盲人交流事業事務局長・福山博  ネパール西部ルンビニ州バンケ郡のネパールガンジ(人口16万6,258人)は、インド国境に面したネパール西部の中心都市である。  このネパールガンジに拠点を置き、バンケ郡の視覚障害者によって、1998年11月10日に設立されたのがバンケ盲人協会(BAB)である。     NABに加盟しない理由  ネパールには、1993年に正式に設立された視覚障害当事者の全国組織であるネパール盲人協会(NAB)がある。同国には77の郡があるが、そのうちの59郡にNABの支部があり、別途53の都市にも支部を持ち、会員は4,000人を擁する。  正式に設立される前のNABは、視覚障害学生と教師による権利擁護団体で、家賃などの運営費の工面に四苦八苦していた。みかねたネパール盲人福祉協会(NAWB)の役員が寄附で支えていたので、そのお鉢が私たちにもよく回ってきた。  だがその後、NABはデンマーク盲人協会(DAB)とノルウエー盲人協会(NABP)の支援を受けて財政不安がなくなり大きく成長した。その過程では、NAWB職員を2倍の給与を提示して引き抜いたり、会長らによるスキャンダルもあった。  NABの事業自体は健全なものだったが、組織が大きくなるにしたがって予算を掌握する本部が官僚化し、本部・理事会の力が肥大化した。  一方、BABは国際NGOであるプラン・インターナショナルの財政支援を受けて独自に活動を開始。財政をNABに依存する必要はないので、不合理な干渉を受けたり、迅速な決定を妨害されることを恐れてNABとは一線を画している。  だが、全国組織に参加するメリットはあるので、BABはネパール障害者全国連盟(NFDN)に加盟している。さまざまな視覚障害関連組織が登録することで、視覚障害者がNFDNを主導することが可能となることを願ってのことである。     BABの事業  ネパールガンジのマンガル・プラサード・モデル(MPM)高校(小学1〜12年課程)は、視覚障害者を対象とした統合教育を行っているが、同校に現在、寄宿舎はない。  そこでBABは、事務所を兼ねた視覚障害児・生徒専用の寄宿舎(ホステル)を建設して、独自に運営している。  有給管理スタッフは、事務長兼会計1人と世話役3人(寮母2人と用務員1人)で、寮生は視覚障害女子が12人と、同男子20人で、全員がMPM高校の生徒である。  土地取得とホステルの建設、および当初の運営を含めプラン・インターナショナルから長期間財政支援を受けてきたが、現在は受けていない。  その代わり、ネパール政府教育省から寮生1人につき月額4,000ルピーが奨学金として支給されるので、寮生の食費・被服費・日用品費も含めてホステルの全ての運営をそれで賄っている。     今後の課題と展望  教育省から受け取る奨学金に加えて、ネパールガンジ市役所からも助成金を受けることがあるが、それは名目的なものに過ぎない。このため、ホステルの運営は物価の変動に常にさらされている。  視覚障害者に対する理解は20年前とくらべると大きく進んだが、それでも人々の深層意識はいまだに因習に縛られている。そのため視覚障害者の能力は過小評価されており、視覚障害者の雇用が限定的なことは残念なことである。 ●視覚障害者の悲嘆と希望  B.N.トリパティ氏の場合  ネパールガンジのMPM高校の全盲教師ボーラ・ナット・トリパティ氏(Mr. Bhola Nath Tripathi、46歳)は、1978年9月に、ネパールガンジから車で西に30分行ったバーディヤ郡マイナポカール村で生まれた。  1989年に彼はMPM高校小学部に入学し、1999年に同校でSLCに合格して10年課程を修了した。  当時はこれで高校卒業とされたので、その後は、ネパールガンジにある国立トリブワン大学バンキー教育キャンパスの11・12年課程で、教育学を専攻。その後学部に進み社会学とネパール語を専攻して、2004年に文学士の学位を取得した。  そして2005年7月24日に母校であるMPM高校に赴任し、6〜8年生に社会科を教える他、視覚障害児に点字も教えている。初等科レベルの教師なので、月給は3万5,000ルピーである。  彼は2009年に、バンケ郡バイダナス村出身の弱視女性であるスシュミタ・タパさんと結婚した。彼女はネパールガンジのマヘンドラ複合キャンパスでネパール語を専攻し、教育学士を取得。ネパールガンジのラム高校で初等科レベルの教師をしている。  その後、トリパティ氏は教師をしながらネパールガンジのマヘンドラ複合キャンパスで人口学を専攻して、2014年に教育学士の学位も取得した。  彼には12歳と7歳の息子がおり、長男は6年生で、次男は1年生で、昨年自宅を新築してとても幸せに暮らしている。  彼によると、「教育とは彼らが幸せに生きられるように内面の能力を引き出すことです。東京ヘレン・ケラー協会(THKA)による長年にわたるネパールの視覚障害者支援に感謝します。THKAの教育支援がなかったら、私たちは路上生活をおくっていたかもしれません」と真顔で言った。  MPM高校に入学する前、彼は年上の友達から聞いて1から100までの数を覚え、さらに九九をも丸暗記した。そこで教育を受けるために実家の近くにある公立校の小学部に入学したいと考えた。だが、子供だったので学校に入学するためには諸手続きが必要であることを彼は知らなかった。  そこである日、彼は友達について学校に行った。すると教師に見つかり鞭で殴られ、追いかけ回されて、家に帰るように怒鳴り散らされた。このため彼は泣きながら家に帰るしかなかった。  当時、両親は視覚障害者が読み書きできる点字という文字があること、そして視覚障害児を受け入れる学校があるということを知らなかった。  そのため彼は一日中トウモロコシの粒を穂軸から取る仕事をさせられた。彼は毎日その仕事をしながら、学校に行く子供たちのにぎやかな声を聞き、なぜ自分だけ学校に行けないのだろうと自問していた。  そんなある日、ネパール第2の都市ポカラで働いていた叔父から、ネパールガンジのMPM高校で視覚障害児のための統合教育プログラムが間もなく開始されるという耳寄りな情報を得た。  彼は喜び勇んで同校に入学したが、点字教科書はまだなかった。しばらくするカトマンズのNAWB本部で点字教科書が製作されることがわかった。また、NAWBは月刊誌『ディビヤ・チャクシュ(心眼)』も製作・配布するようになった。そして点字教科書と雑誌は東京ヘレン・ケラー協会の資金援助を受けて製作されていることを知った。  彼は熱心な読書家だったので、点字雑誌を読んで、さまざまな分野の知識を得ることができて世界がぱっと広がり本当に嬉しかったと振り返る。  雑誌を読んでいるとき、東京ヘレン・ケラー協会に対する感謝と深い尊敬の念が彼の心の中に芽生えた。この意見は彼だけではなく、ネパールの視覚障害者全員の意見だと彼は述べた。  そして「点字教科書がなければ、どうやって勉強を進めることができただろう。今の私があるのはTHKAのお陰であり、その教育支援を心から感謝する」と礼賛した。  その上で「外国から継続的に支援を受けると、その組織の独立を妨げることになると批判する声がある。たしかに長期間の支援は、どんな組織の成長も損なう可能性があるというのは正しい。だが、これは100%真実であることを意味しない。政情が不安なこともありネパールは、アジアの最貧国という汚名をいまだにそそぐことはできない。これに加えて、ネパール政府は視覚障害者のリハビリテーションの優先順位を低くしているので、外国からの支援はまだ必要不可欠なのである」と彼は強調した。 ●K.ラナ氏の場合  ネパールガンジのMPM高校の全盲教師カンハイヤラル・ラナ氏(Mr. Kanhaiyalal Rana、48歳)は、1976年9月にカンチャンプール郡のネパールガンジから車で西に4時間行ったインド国境の町プナルバス(人口4万4,000人)で生まれた。  彼は1985年にネパールガンジのMPM高校の小学部に入学し、1993年に同校でSLCに合格。その後、11・12年課程をカイラリー郡のトリブバン大学カイラリー複合キャンパスにおいて歴史学と政治学を専攻した。12年課程を卒業後、カトマンズのトリブバン大学トリチャンドラ複合キャンパスで歴史学と政治学を専攻し、読書サービスの助けを借りて教科書を読んでもらって独習した。このため彼は、実際の対面授業にほとんど出席しなかった。  大学で学びながら彼は1995年5月15日から母校であるMPM高校の小学部非常勤教師として働き始め、視覚障害生徒に点字を教えた。  1997年に彼は文学士を取得して、大学を卒業。同年、ネパールガンジのトリブバン大学マヘンドラ複合キャンパスに学士入学して、1年後の1998年の1年間で教育学士を取得し、同年3月13日に、晴眼女性と結婚した。  2004年3月26日に彼はMPM高校の正規教師となり、社会科と点字を教えている。2010年12月28日に中等部教師に昇進したので、彼の現在の月給は月額4万6,920ルピーである。  彼には息子が2人おり、19歳の長男は学部でコンピュータサイエンスを学ぶかたわら日本語も学んでおり、日本留学を計画している。次男は8年生で、現在14歳である。  彼らは現在恵まれた生活をしており幸せに暮らしているが、「それも教育を受ける機会を得て、さまざまな知識を身につけることができたからにほかならない。東京ヘレン・ケラー協会(THKA)は長年ネパールの視覚障害者を支援してきたが、とりわけ教育支援は非常に有益なものだった。THKAのような組織からの支援がなかったら、私たち視覚障害者は皆、生まれたときと同じ状態のままで、家族の重荷になったに違いない」と彼は述べ、長年の支援に感謝した。 ●カトマンズで未曾有の大水害 ―NAWBも床上浸水―  この夏は、能登半島をはじめアジア各地で、南北アメリカや西部・中央アフリカで、そして例年は豪雨がないヨーロッパや中東でも洪水被害が起きた。  ネパールはモンスーンシーズンの豪雨により、毎夏、どこかで洪水と土砂崩れが発生するが、今年は規模が違った。  9月26〜29日にかけてネパールの中央部と東部で壊滅的な洪水と土砂崩れが発生し、カトマンズ盆地では9月28・29日の間に240〜322mmの降雨があり、首都カトマンズと古都ラ リトプルとを南北に隔てるガンジス川の支流バグマティ川が氾濫した。このため一部の道路が川と化し、川沿いの多くの家屋が流されたり浸水した。9月下旬、カトマンズでの少なくとも37人を含む、洪水による死者224人、負傷者158人、行方不明者28人、約1万3,300人が救助を必要とし、少なくとも1,200軒の家屋が破壊され、25の橋梁、37の国道、11の水力発電所、多数の通信基地が損傷した。市内の大部分で停電やインターネットが切断され、複数の水道管が壊れ、カトマンズ市内から出る7つの国道が封鎖された。  警察と軍は合計3万人以上が救援活動を行い、ゴムボート、いかだ、ヘリコプターを使用した救助・復旧作戦も実施された。  THKAが1992年にヒンドゥー教のゴパル寺院内にNAWB(ネパール盲人福祉協会)点字出版所を建設したが、今回の水害で、NAWB本部は床上浸水したため、点字図書室と点字教科書の資材を保管している倉庫が大きな被害を受けた。  また、NAWB職員の1家族が被災したので、NAWB本部2階の会議室に避難してきた。  ヒンドゥー教では、ガンジス川(ガンガー)をはじめとする川はとても神聖な存在で、川は生命の源であり、浄化と再生の象徴とされ、昔から川沿いの地域は交通や農業の中心地であり、人々が集う場所である。このため、川沿いに多くの寺院が建てられ、NAWBのように多くの団体が、ヒンドゥー寺院の伽藍に入居しており、それらの事務所も今回の洪水で被災した。 (NAWB理事 ホーム・ナット・アルヤール) ●ネワール族の宗教観  タクシードライバーに「あなたはネワール族ですか?」と聞くと、「そうだよ」との返事だったので、重ねて「あなたは仏教徒ですか?」と聞いた。ダッシュボードの上に仏像が飾ってあったので、てっきりネワール仏教の信徒だと思ったのだ。  すると、「ちょっと違う。俺はヒンドゥー教徒であり、仏教徒だ。なぜならヒンドゥー教と仏教は同じだからだ」という返事で面食らった。同じネワール族でも釈迦の末裔を名乗るシャキャ族はよどみなく「仏教徒です」と名乗るのだが。  ネワール族は、カトマンズ盆地一帯における歴史的遺産と文明を作り上げたカトマンズ盆地とその周辺地域出身の民族である。ネワール族は主にインド・アーリア人とチベット・ビルマ系民族の血を引く、ヒンズー教と仏教を信仰し、チベット・ビルマ語派のネワール語(ネパール・バサ語)を共通言語とする民族で、独自の言語的・文化的コミュニティを形成している。  ネワール族はヒマラヤ山脈麓のどの地域にもみられない分業制度と洗練された都市文化を発展させ、古くからの伝統や儀式を現代まで途切れることなく受け継いでいる。ネパール古来の宗教、文化、文明の継承者とも言われており、文化、芸術、文学、貿易、農業、料理への貢献で知られる。  現在、ネワール族は毎年国際連合開発計画が発行する人間開発指数により、一貫してネパールで最も経済的および社会的に進んだコミュニティと認定されている。ネパールの2011 年の国勢調査では、ネパール全土に 132万1,933人のネワール族がおり、ネパール国内で 6 番目に人口の多い民族だ。  東京外国語大学名誉教授で、ネパールを中心に南アジアの文化人類学を専門にしている石井溥先生は、「ネワール族全人口のうち、ネワール仏教の信者が2割、ヒンドゥー教が2割、仏教・ヒンドゥー教・民族信仰を区別せず信仰する人々が残りの6割を占める」と推測している。また、「ネパールにおけるチベット仏教徒がヒマラヤ周辺高地に多く分布する一方で、ネワール仏教徒はカトマンズ近郊に集中する傾向が見られる」という。  石井先生の説に接して、くだんのネワール人タクシードライバーが「仏教・ヒンドゥー教を区別せず信仰する人」であることがわかると共に、その比率がネワール族の6割を占めることから、彼が当然のことのように言ったこともうなずけた。(福山博) ●大動脈を横切り、牛車で竹を運ぶ ―― イタハリ交差点(Itahari Chowk)にて ――  ネパール最東部にあるコシ州スンサリ郡のイタハリ市は、人口19万8,098人で、ネパール政府が全国11の都市に指定している準大都市(Sub-Metropolitan City)である。  ネパールの中でも開発が進んでいる東部の重要なビジネス拠点として、近年とみにその成長が著しい都市である。  ネパール東部では空港のある州都ビラトナガル(24万4,750人が最大都市で、イタハリはそれに次いで、2番目 に人口の多い都市である。なお、ビラトナガルはネパール政府が全国6都市に指定している大都市(Metropolitan City)にあたる。  イタハリは、インド国境にあるビラトナガルから北へ25km(車で40分)である。また、ネパール唯一の盲学校があるダーラン(16万6,531人、準大都市)から南へ16km(車で20分)の距離にある。ただ、その間の13kmはうっそうたる手付かずのジャングル地帯だが、道路はとてもよく整備されている。  ネパールを東西に走るネパールで一番長い国道である「マヘンドラ・ハイウェイ」(「東西ハイウェイ」とも言う)の東の終点は、カカルビッタ(2万1,366人)というインド国境に接する町である。インド側はあの紅茶で世界的に有名なダージリン郡で、ネパール側も紅茶の産地イラーム郡だ。ちなみにダージリン郡はネパール語圏で、住民の多くはネパール語を母語としている。  それはさておき、カカルビッタから西へ92kmに位置するイタハリは、東西に走るマヘンドラ・ハイウェイと、南北に走るコシ・ハイウェイの合流点にあたるので、紛れもない交通の要衝だ。  かくして、イタハリは工業都市ビラトナガルと教育や医療の中心地で観光地でもあるダーランとを結ぶ商業・物流の中心地で、これらの3都市は同一経済圏に属している。  その交通の要にあたるイタハリ交差点を午前7時前、長い竹を満載した牛車がゆっくり渡っていたので、とても驚いた。  竹の先端が地面に触れないように先導者がそれを持ち上げて進むので、まさに牛の歩みである。  その間、トラックやバスは横断歩道の手前でおとなしく辛抱強く止まって、その動きを見守っていた。ネパール人は、この種の「迷惑行為」に対して、とても寛容で優しい。  日本では、交通渋滞を起こしかねない、このような通行は、交通量の少ない午前1時頃の出発と決まっているのだが、ネパールではお構いなしだ。また、官憲等からのおとがめもないようである。  これらの竹の束は、建築資材として建築物の足場にでもするのだろうか?  竹の足場といえば香港がつとに有名だが、当地の建築現場でも、現地調達が可能な竹により足場を組んで、あたりまえのように使っている。  軽くて安く、「しなり」があるので倒壊の危険性が低く、高い湿度の中でも鋼材のようにさびないどころか、湿気によってさらに丈夫にもなるといいことずくめなので、使わない手はないのだ。 ●カルナリ・ハイウェイ  ネパール陸軍が建設した「カルナリ・ハイウェイ」は、谷底からジグザグにのぼって峠を越え、再び谷底にジグザグにもぐるの繰り返しでゆっくり進む。もちろん舗装はされていない1車線の悪路そのものなので窓を閉めていても、車内がほこりっぽくなる。ただ、この蛇がのたうったような道がない頃は、車道に出るまでに徒歩でで3日も4日もかかっていたという。 ●ネパールの国花ラリグラス  ネパールの国花は「深紅のシャクナゲ」で、同国では「ラリグラス」と呼び、2月中旬から4月中旬頃まで、山一面の大木に大きく真紅の華やかな花が咲き乱れる。  世界で唯一、国旗の形が四角形ではなくて、2つの三角形を合わせた特徴的な形をしているが、この地色はシャクナゲの真紅なのである。ネパールでは花が咲き始めると花を手折り自宅へ持って帰る習慣がある。 ●寄附のお願い  ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために寄附をお願いいたします。 寄附金のご送金は下記口座をご利用ください。  郵便振替:00150−5−91688     寄附金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第 217条第1項第5号に掲げる社会福祉法人です。当協会に対するご寄附は、所得税法第78条第2項第3号及び租税特別措置法第41条の18の3、法人税法第37条第1項及び第4項の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記  能登半島やカトマンズをはじめ全世界における豪雨被災者に心よりお見舞いを申しあげます。  私はネパールでは仏教徒を名乗っています。  実際は無宗教に限りなく近いのですが、それではネパールではあらぬ誤解を呼ぶのです。  カトマンズにはヒンドゥー教と仏教の神仏習合の寺院もあるので、ヒンドゥー教と仏教は同じという考え方にも違和感はありません。  わが国では一般に仏教とヒンドゥー教はまったく別の宗教と考えられており、私も個人的にはそれに同意します。  しかし、ネパールでヒンドゥー教と仏教は同じという発言があっても異を唱えないことにしています。  同じであればいがみ合い、殺し合うこともないだろうからです。(H. F.) 発行:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会海外盲人交流事業事務局 〒169-0072東京都新宿区大久保3−14−4 TEL:03-3200-1310 FAX:03-3200-2582 http://www.thka.jp/ E-mail: XLY06755@nifty.com  ※迷惑メールが増えています。当協会宛のメールには、適切な「件名」をお書き添えください。