愛の光通信    2022年冬号通巻59号    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321    東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 ●詩人・作家、翻訳家、音楽家と多芸多才なアシュマ・アルヤールさん 元NAWB事務局長 ホーム・ナット・アルヤール  カトマンズに隣接するラリトプル在住のアシュマ・アルヤールは、1998年4月24日生まれなので現在24歳。  私立校の教師である母親と電力会社に勤める父親にとって、彼女は待望の第一子だった。だが生後3ヶ月になったとき、娘・アシュマの瞳孔が揺れているのを発見し両親はひどく驚いた。そして、何カ所も眼科病院を訪ねたが、どこでも眼科医は「この病気は治らない」と述べ、「全盲でも勉強して社会の良い一員になれるのだから心配することはない」と母親を励ました。  3歳になるとアシュマは、自宅から3kmほど離れた場所にあるナムナ・マチンドラ・ボーディング・スクール(NMBS)に入学した。  母親は全盲の娘に良い教育を与えたいと、つてを頼ってネパール盲人福祉協会(NAWB)を訪ね、娘の教育について相談した。そして、当時、東京ヘレン・ケラー協会(THKA)の資金援助で、NAWBが実施していた6週間の初等教育リソースティーチャー(特殊教育教員)養成研修会に参加した。  NMBSは私立校なので、ネパール語以外は英語で授業を行っており、母親はNAWBで受けた研修の知識をもとに毎日娘を指導した。数学や理科は苦手だったが、母親の指導のおかげで、アシュマの成績はみるみる上がった。低学年のときは母親に連れられて通学したが、同校在学中に歩行訓練を受け、高学年になると白杖を使ってバス停に行き自分でバス通学した。  そのかたわら13歳の彼女は詩集『私の花園(Mero Fubari Balkabita)』を2011年にSukriti Pressから、16歳のときには児童書『白い幽霊(Seto Bhut)』を2014年にBN Book Publicationから上梓し、ともに発行年に児童文学賞を受賞した。  彼女は懸命に勉強し、2014年に10年課程修了のSLC試験を優秀な成績で合格した。そして、+2レベル(高校2、3年課程)の教育を受けるためにNMBSの近くにあるオックスブリッジ・インターナショナル・カレッジで、英文学とジャーナリズムを専攻し、同校も優秀な成績で卒業。彼女はさらに学士レベルの教育のためにNMBSの近くにあるNIMS大学に入学し、3年制コースの英文学とジャーナリズムを学び、優秀な成績で卒業した。  アシュマが大学教育を受け始めると、母親は国立トリブバン大学大学院に通い修士号を取得し、NAWBで6週間の教員養成研修を受け、中等教育リソースティーチャーの資格を取得した。  アシュマは大学を卒業すると、優秀な成績が認められて奨学金が提供され、国立トリブバン大学大学院の修士課程に進学して修了した。  大学に進学すると同時に、彼女は社会的な活動を行い、大学とは別に「アンカリング」の交渉術も学び、この技術により、彼女は様々なイベントや式典の司会者としてその後活躍した。また、複数の障害を持つ子供たちを支援する目的で、彼女は、障害を持つ子供たちを対象としたオンライン音楽・教育・心理学クラスを開講した。  彼女は仏教の禅を基にした瞑想センターに通い、現在は指導者として瞑想を教えている。  彼女は趣味でハルモニウムを演奏していたが、その後、カトマンズの音楽大学でハルモニウムを専攻してインド/ネパールの伝統音楽を6年間学んだ。音楽大学卒業後、ジャンカール音楽センター(Jhankar Kala Kendra)をカトマンズに創設し、障害者と健常者に音楽とスピーチを教えるとともに同校を運営している。  また、フリーランスのライターとして、障害、社会開発、包括的社会に関する多くの記事を発表し、何度も賞を受賞している。  彼女は、両親の全面的なサポートに感謝するとともに、日本のTHKAとドイツのCBM(クリストフェル・ブリンデン・ミッション)が、NAWBに統合教育プログラムを開始し、彼女が教育の機会を得られるように支援してくれたことに感謝している。以上、敬称略。 ●詩「雲と目(Clouds and Eyes)」  インターネットで「アシュマ・アルヤール(Ashma Aryal)」を検索していたらたまたま2020年11月27日付英字日刊紙『ゴルカ・タイムズ(the Gorkha Times)』に顔写真付で彼女の詩「Clouds and Eyes」が掲載されていることを発見した。  とてもいい詩だと思ったので、彼女の了解をえて、小誌編集部で和訳し、英語原文もここに紹介する。     雲と目     アシュマ・アルヤール 雲はぶつかって雨が降る 私の目に涙があふれ出た それから私は信じ始めた 雲と私たちの目は似ており 雨も涙も同じであると 雲が雨に当たるように 涙もまた、何かのきっかけではじける 私たちが雲を見るように 雲はいつも私たちを見ている だから、私が信じているのは 彼らは持つ力だけが違う 一方は雨を司り もう一方は涙を司る 一方は大地を支配し そしてもう一方は空を支配する しかし、美しさは 最終的に、私たちの目と雲は出会う 涙と雨もまた出会う そして、すべてが集うとき 分離の魔法がかかり始める   Clouds and Eyes     Ashma Aryal Clouds hit and rained Tears welled up in my eyes Then I started to believe Clouds and our eyes are similar, and same are rain and tears. Just as clouds hit to rain, tears also burst out of a reason Just as we see clouds, they look at us all the time. So, what I believe is: only the power they hold is different One governs rain And other the tears One rules the earth And other the sky. But the beauty is- Ultimately, our eyes and clouds meet Tears and rain also meet And when all gather, Magic of separation starts to happen. ●アルチャナの結婚  11月27日(日)、ネパールの玄関口・ビルガンジの結婚式場ラクシュミ・ナラヤン・パーティー・パレスで、NAWB職員のアルチャナ・ムキーヤと、ネパール陸軍クラブの主力クリケット選手であるジテンドラ・ムキーヤが結婚した。  アルチャナの父親・故クリシュナ・ラル・ムキーヤは、1989年から当協会がNAWBと共同で実施したバラCBR事業の職員だった。本事業は12年間実施したが、その拠点として、外務省NGO補助金を受けて1991年に落成したのがバラCBRセンターであった。同センター内には、プライマリーアイケアを行うために眼科診療所を開設した。  亡くなったクリシュナはフィールドワーカーとしてバラCBRセンターに入職したが、頭脳明晰で落ち着いた紳士だったため、NAWBが選抜して国立トリブバン大学医学部の眼科助手(OA)コースに国内留学させた。彼は眼科助手の資格を取得し、バラCBRセンターに帰り、附属眼科診療所で眼科助手として働いていた。  バラCBRは2001年に完了し、眼科診療所への当協会の支援も2002年に完了した。すると、年休をほとんど取ったことがなかったクリシュナは家族の長年の夢であったインドの名刹ババダン巡礼に出る。そしてインドで突然死した。悲劇は続き、将来を悲観したムキーヤ夫人は2004年に農薬を飲んで自殺した。  2005年に現地調査すると、長男は庭で食事中だったが上半身裸で、プレートに白いご飯、その上に塩を散らして水をかけたものを食べていた。彼は小学校も中退しており、このままでは教育どころか、生命さえ危ぶまれるという状況だった。  4人きょうだいのうち末っ子のアアラティは5歳以下だったので、NAWBバラ支部が手回し良く孤児院に預けた。  遺児達はそれぞれクリシュナの優秀なDNAを受け継いでいるだろうと当協会有志は、クリシュナ育英基金を組織して3人の遺児に衣食住をカバーできる奨学金を提供した。アルチャナは2005年の幼稚園入園から高校卒業までこのクリシュナ奨学金を受け、高校卒業後NAWBに入職したのであった。  結婚式場は同日の3時半に開場して、式典と披露宴は翌朝の7時まで続くという長丁場であった。その昔の王侯貴族の結婚式を模しているので、誰もが時計を持っていなかった時代の風習に従って行われるため、真面目に参加したら明け方には控え室で爆睡するような結婚式だった。  我々は夕方の6時から深夜0時まで参加し、朝の4時40分から再度参加したが、その日はホテルに帰って荷造りして、午前8時にホテル発でカトマンズに帰ってきたので疲労困憊した。  中国や韓国では昔は同じ姓の人同士が結婚することを避ける習慣があったが、ネパールでは今でもそうである。そこでアルチャナの相手が同姓であると聞いて、大丈夫なのかと聞いたら、サブカーストが違うのでまったく問題ないということだった。  同一のカーストでの結婚が今でも推奨されているので、2年程前からこの日に向かって調整が続いた末の華燭の典であった。以上、敬称略。(海外盲人交流事業事務局長・福山博) ●眼科診療所が、眼科病院に発展していた  バラCBRセンターが落成した1991年当時、バラ郡ではトラコーマとか、農作業中に草の葉で目を傷つけた後、そのまま放置したことによる失明等がとても多かった。だが、それらは初期の段階で目薬を1滴差すような簡単な初期治療「プライマリーアイケア」によって、本来は完治するものである。  そこでバラ郡各地に散らばって活動するバラCBRフィールドワーカーが、その宣伝・広報を担うが、その根拠となる治療を行い、プライマリーアイケアの推進を目指して開設されたのが、バラCBR附属眼科診療所であった。  当時のNAWBの会長は国立トリブバン大学医学部の教授で眼科医であったことから一時期はCBR以上の熱心さで、しばしばカトマンズから出張して治療の先頭に立ち、本事業を強力に推進されたのであった。  また、年中日差しがとても強いネパールでは、加齢性白内障ではない、老化以外の原因による白内障による失明も多い。だが、これは簡単な手術で視力が回復するので、ネパールでは失明に加えない場合が多い。  バラCBR附属眼科診療所は、ライオンズクラブや各国のNGOがバラ郡でアイキャンプ(白内障手術)を行う際には積極的に協力して、その拠点としても大活躍した。  バラCBRが完了してからも、バラ郡(人口74万4千人)には眼科病院はなく、眼科診療所もこのバラCBR附属眼科診療所だけだった。このため、行政も無視することができず、当協会の支援が終わった2002年以降もNAWBバラ支部が細々とではあったが粘り強く事業継続を行ってきた。  そして昨年(2021年)、ビジョンネパールというNGOの支援を受けて、内部を大幅に改装して、入院できる設備も完備し、常勤スタッフ9人と非常勤の眼科医による本格的な「カレイヤ眼科病院」に発展して、白内障手術も行っていた。なお、カレイヤ(人口14万1千人)とはバラ郡の郡庁所在地で、眼科病院がある都市の名称である。(海外盲人交流事業事務局長・福山博) ●ネパールの選挙は戸外で投票  12月7日、ネパール選挙管理委員会は11月20日に行われた総選挙(下院選挙、定数275)の開票結果を発表した。  シェール・バハドゥル・デウバ首相が党首を務める親インドのネパール会議派は最多の89議席を獲得したが、同派など5党でつくる与党連合は計136議席で、過半数に2議席届かなかった。  親中国のK・P・シャルマ・オリ前首相が率いる最大野党・統一共産党は78議席を獲得して第2勢力となった。だが他党と組んだ野党連合も計104議席にとどまった。ネパール会議派と連立を組むネパール共産党毛沢東主義派(毛派)は32議席を獲得して第3勢力となった。  一方、7月に発足した国民独立党は20議席を得て第4党となった。ネパールでは内紛などが続く既存政党への不信感が強く、新勢力への期待感が示された形である。  2017年の前回選挙では統一共産党が勝利して、オリ氏が首相に就任したが、与党の内部分裂の末に会議派などの連合が最大勢力となり、デウバ氏が2021年7月に首相に就任した。  ネパールは非同盟中立を基本としつつ、情勢に応じ国境を接する中国とインドの間で揺れてきた。共和制移行後に制定された新憲法下で初めて実施された前回2017年の下院選では、統一共産党と中国に近い毛派が団結して大勝。会議派など親インド勢力が敗れた。  しかし、前回選挙後に統一共産党と毛派が合併してできた与党は、内紛で再び分裂。政争収拾のためデウバ氏が大統領から首相に指名された。今回の選挙では、毛派が会議派に付いた。  ネパールでは新型コロナウイルスによる観光収入の減少などで疲弊した経済の再建に加え、政治的な安定の確保が重要な課題になっている。 ●結婚費用は大問題 父親の年収の10年分も  東京にあるネパール料理店で働くネパール人店長は結婚費用に160万円かかったので父親に借金したという。日本に住むネパール人の大学教員は、カトマンズでの結婚式に250万円もかかりとても痛かったと嘆いていた。  日本でも結婚披露宴には同程度、あるいはそれ以上の費用がかかるが、出席者は誰もが結婚祝儀を持参するので、多くの場合トントン、場合によっては黒字にさえなる。だが、ネパールの招待客は手ぶらでくるのである。  ネパール語を母語とする主流派に対してインド系ネパール人(マデシ)の新郎側が負担する160万円なり、250万円なりの結婚費用は持参金で賄う場合が多い。ネパールであの人はいい給料をもらっているという人の月給を聞くと3万円くらいで、高卒初任給は1万5,000円くらいである。  新婦の父親の月給が3万円とすると年収はダサイン手当1ヶ月分を加えて39万円、それの10年分である390万円が新郎側に手渡されることが珍しくない。だがこれはインドの習慣だという。  このため、一男一女であれば行って戻ってトントンだが、娘3人の場合はちょっとした資産家でも田畑を売り尽くして破産することになる。  4ページで紹介したアルチャナもマデシであるが、彼女の場合は両親がいないので、「持参金は出せません」と最初に言ってあった。  しかし、それでもネパールの結婚式は新郎側と新婦側でそれぞれ行うので、新婦側の結婚式の費用だけはなんとか捻出しなければならない。  それは倹約に努めて招待客を制限し、安い会場を借りても約40万円かかるので、彼女は結婚式直前までその金策に奔走したのだった。  結婚式の準備でお金がつきたので、弟が結婚式で着る礼服がない。それを聞いた私は20代のときに着ていたが、とっくに着られなくなってクローゼットの肥やしになっていた礼服をネパールまで持参した。するとまったく調整することもなくぴったりフィットした。  次に高校3年生の三女が着るものは、自殺した母親の残したサリーしかないので、19歳の彼女は結婚式に出たくないと言い始めた。  このような婚礼儀式など特別な祝事の時、若い女性はレヘンガ(Lehenga)というドレスを着る。1万円弱の出費になったが、結局、私が提供することになった。  アルチャナの結婚式があった日、私が泊まるホテルでも高位カーストの豪華な結婚式があった。  このホテルにはよく手入れされた芝生の庭があり、それに通じる門は赤絨毯が敷かれ、花とリボンで飾られたウエディングゲートが設えてあった。その脇には、新郎新婦の写真付きで名前に加え「愛と笑いと末永い幸せのために」「私たちの新しい始まりに、あなた方を歓迎します!!」と英語で記載したパネルがあり、ライトアップされていた。  アルチャナの結婚式にはこのようにおしゃれなウエディングゲートも挨拶のパネルもなかったので、費用のかけ方が全然違うことがわかった。  結婚式の挨拶が英語で書かれていたのは、インド上流階級の共通語だからだろう。ヒンディー語が母語なのだが、それをしゃべると格下に見られるので、インドでは日常的に英語をしゃべる人々がいる。  国境を挟んで一族郎党が、ネパールとインドに住んでおり、親戚の青年が結婚するので大集合したものだと思われた。以上、敬称略。(海外盲人交流事業事務局長・福山博) ●スワヤンブナート寺院  スワヤンブナート寺院はカトマンズの中心部から西に3kmほど離れた丘の上に建っている。「カトマンズ盆地がまだ湖だった頃からその丘の上に建っていた」という伝説を持つ。建立年は定かではないが、ネパール最古の仏教寺院とされ、1979年に世界遺産に登録された。  ここでは猿は神聖な動物とされているので、実にたくさんのイタズラ好きの猿が住み着いており、「モンキーテンプル」の異名を持っている。 ●のんきなネパールの新聞配達  朝刊は午前6時までに配達されるべきだと思うが、午前10時にカトマンズの観光街タメルの商店が開店した後でも配達しており、自転車には新聞がまだ満載されていた。商店街の商店主向けに午前中に配達できればいいという考えなのだろうか。高級ホテルに宿泊すると朝食前にそれぞれの部屋に朝刊が届くので、おそらく新聞は、夜中過ぎには印刷されているはずだ。なお、ネパールには夕刊紙は存在しない。 ●寄附のお願い  ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために寄附をお願いいたします。 寄附金のご送金には下記口座をご利用ください。  郵便振替:00150−5−91688 ●寄附金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第 217条第1項第5号に掲げる社会福祉法人です。当協会に対するご寄附は、所得税法第78条第2項第3号及び租税特別措置法第41条の18の3、法人税法第37条第1項及び第4項の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記  11月15日〜12月2日の旅程で、3年ぶりにネパールを訪問した。  この間もそして帰国した現在も、過去28日間の日本の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)感染者数は世界一を記録している。  このため自分がCOVID-19に罹患しないようにワクチン接種も早めに行った。  ネパール入国の際にも接種証明が求められた。  そこでスマホのアプリをみせると、「もう5回も打っているのか」と笑われた。  ネパールは大パンデミックと長期間のロックダウンを経験して、観光業を中心に大打撃を受けて陽気な国民が少しギスギスしていた。  ただ、COVID-19はすっかり昔の話になっており、街中でマスクをしているのは大気汚染を心配してのことだった。(H. F.) 発行:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会海外盲人交流事業事務局 〒169-0072東京都新宿区大久保3−14−4 TEL:03-3200-1310   FAX:03-3200-2582 https://www.thka.jp/   E-mail: XLY06755@nifty.com  ※迷惑メールが増えています。当協会宛のメールには、適切な「件名」をお書き添えください。