愛の光通信    2021年冬号通巻57号    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321    東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 ●【インタビュー】 ラミチャネ博士の悲嘆と歓喜の声 ―ハーバードで立ち往生して―  【筑波大学人間系カマル・ラミチャネ准教授は、2019年8月〜2020年5月の予定で、妻子を伴って米国マサチューセッツ州ケンブリッジ市のハーバード大学敷地内にあるハーバード燕京研究所の客員研究員として赴任した。しかし、折からのコロナ禍に遭遇して予定通り日本に帰ってくることができず、結局、つくば市の自宅に帰り着いたのは予定より半年遅れの昨年11月だった。  その間の事情や喜びと悲しみを、同氏は率直に語ってくれた。本来はラミチャネ博士とでも呼ぶべきなのだろうが、長年のよしみで以下では、「カマル氏」と呼ぶことにした。インタビュアーは『点字ジャーナル』編集長福山博。  本稿は『点字ジャーナル』2021年5月号に掲載されたものを再構成したものである。】     12歳で小学校に入学  カマル・ラミチャネ氏は1981年10月、ネパール王国(当時)チトワン郡生まれの40歳。  故郷はユネスコの世界遺産に登録されたチトワン国立公園がある観光地だ。しかし、幼少の頃は絶対王政が続いており情報不足で、12歳まで教育を受けることはなかった。彼が就学する契機には意外なエピソードがあった。  カマル氏が母親に手引きされながら、通りを歩いていたとき些細なことで口論になった。そこで母親が「目が見えないから学校にも行けやしない。盲人でも勉強ができる学校さえあれば、おまえをそこに入れるのに!」と嘆いた。するとそれを聞きとがめた通行人が、「カトマンズには盲人が入れる学校がありますよ」と教えてくれた。  さっそく家族会議が開かれ、田んぼを売って学資を作り、カマル氏に教育を受けさせることが決まった。  ネパールの学校年度は、4月中旬にスタートする。そこで12歳になったカマル氏は4月になると父親に連れられて、バスで半日かけてカトマンズ盆地内のバクタプール市にある統合教育校を訪れた。そして寄宿舎に置き去りにされるような形で教育を受け始めた。  右も左もわからないまま置き去りにされた当初、彼は心細くて泣くに泣けない日々を過ごし、夏休みがはじまり帰省できる日を指折り数えた。  だが、学校に慣れると持ち前の記憶力で、その後は、水を得た魚のように飛び級を重ね、彼は奨学金を受けて国立トリブバン大学を卒業。  直後の2003年8月末から2004年7月初旬までは日本で、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の研修を受けた。  この日本での1年足らずの間に彼の向学心に火がついた。また、日本では3ヶ月間の日本語研修で日常会話に困らないほど長足の進歩を遂げた彼の言語能力に注目が集まった。  ネパールに帰国して2ヶ月後、彼は日本の友人の助力もあり2004年9月6日に再来日して、ボランティアの協力で受験勉強を行った。そして同年11月に平成17年度筑波大学大学院修士課程の入試に合格した。  筑波大学は障害学生の支援が手厚いことで知られているが、それは実際に入学してからのことだ。  外国人であり成績証明書の翻訳もあったので、入学書類の作成も一筋縄ではいかなかった。また、学生ビザの取得にも手こずったため入学前は連日、当協会にてサポートを受けた。  その後、彼は文部科学省の奨学金を受けて修士課程を修了。博士課程は東京大学に進み2010年に同大から学術博士号を授与された。  その後、米国シラキュース大学客員研究員、東京大学で日本学術振興会外国人特別研究員、ノルウェー社会研究所客員研究員、JICA研究所研究員を歴任。 現在、筑波大学人間系准教授のかたわら東京大学先端科学技術研究センター協力研究員も務めている。     ハーバード燕京研究所  中国・北京にその昔、燕京大学という米英両国の教会が北京に開学した3大学を1919年に合併した有名私立大学があった。米国大使館同様の処遇を受けたため、日中戦争下でも日本軍は大学構内に踏み込めなかったという曰く付きの大学だが、中華人民共和国成立後の1952年に北京大学に吸収合併されて今はない。  ハーバード燕京研究所(HYI)は、アルミニウム製品製造会社創業者の莫大な遺産の寄付を受け、ハーバード大学と燕京大学が1928年に共同で設立したアジアの文化と歴史を研究する組織である。  HYIは現在、世界各地から主にアジアの文化と歴史に関係する研究者を、好待遇でハーバードに10ヶ月間招いている。  客員研究員に応募するためには、旧帝大や早慶など日本の20校程度のHYIが指定する大学の推薦が不可欠となる。筑波大学もその中に含まれており、ハーバードに滞在する10ヶ月間は所属する大学の仕事はできないので、その調整も不可欠だ。大学の推薦が得られたら、研究計画書を作成してHYIに提出する。カマル氏の研究テーマは、障害、教育、雇用それに関連する社会開発とか不平等や貧困などで、従来の実績を基に研究計画書を作った。するとHYIから選考委員が各国に出向いて面接を行う。彼は東京で面接を受けた。  日本の大学教員でこのプログラムに応募した人数はわからないが、合格したのはカマル氏と映画を研究している京都大学の教員の2人だった。  2019年8月にカマル氏は、妊娠中の妻と2歳の長女を連れて渡米し、HYIから徒歩5分ほどの同じハーバード大学の敷地内にある2LDKの研究者用宿舎に住んだ。  マサチューセッツ州ケンブリッジ市は英国の同名の都市同様、全米を代表する大学都市で、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学をはじめ多くの大学や学校がある。  当初、カマル氏たちは買い物にタクシーを使った。夫人が身重なので荷物運びは彼の担当だ。ところが長女が2歳なので、チャイルドシートが備え付けてあるタクシーにしか乗ることができない。このためある日、買い物はしたもののどうしてもタクシーをつかまえることができず、妻はベビーカーを押し、カマル氏は買い物袋を手に持って20数分かけてスーパーマーケットから宿舎まで歩くはめになった。これに懲りて対策を相談したら、インターネット上で注文して、デビットカードやクレジットカードで支払うと、スーパーマーケットが配達してくれるデリバリーサービスがあることがわかった。配達員に心付けのチップが必要だが、タクシー代を考えるとかえって安上がりだ。後日、コロナ禍で外出ができないときも重宝した。  一方、研究環境はさすがに素晴らしいもので、世界有数のアジア研究の資料を所蔵するハーバード燕京図書館を自由に使えた。しかも図書館の文献などを利用するためにアルバイトの研究アシスタントも事実上提供された。そのアルバイト代は、時給25ドル(2,750円)で、これは当地でも好待遇のようだった。というのは、ハーバード大学の学生を対象に公募すると、喜んで大勢が応募してきたからだ。そして実際に数人雇ったが、その中には日本人の留学生もおり、みな優秀だった。     米国で生まれ変わる  ハーバード滞在中の2020年4月、コロナ禍で厳重警戒中の病院で妻が長男を出産した。米国は医療費が高いので、自費だと出産費用として1万ドル(110万円)以上かかるが、保険に入っていたので約30万円ほどで済んだ。母子ともに健康でこれが米国滞在中の最大の朗報だが、それに勝 るとも劣らない幸運がもう一つあった。  カマル氏は室内でもまぶしいのでサングラスが手放せない持病を持つ。しかも泣いていないのに涙がポロポロあふれ、激しい目の痛みに襲われた。  このためにこれまでも日本国内で眼科に何カ所もかかった。しかし一般に眼科医は、見えにくい状態を改善するとか、失明を防止することに関しては意欲的だが、すでに失明した患者にはあまり関心を示さない。このため激痛、羞明(まぶしさ)、流涙(なみだ目)の改善を訴えても聞く耳を持ってくれなかった。  そのなかにあって、東京・御茶ノ水にある井上眼科病院はとても親切に訴えを聞いてくれた。そして角膜疾患なので全層角膜移植を行い、成功すれば症状の緩和が可能だと診断された。だが、成功しても見えるようにはならないので、角膜移植は拒絶反応もあり、失敗する可能性も高いというネガティブな話に落ち着いた。  カマル氏は我慢できないほどの痛みがあることを訴えたが、疼痛治療剤「リリカ」を処方されただけだった。だがその薬で痛みは7割も減少した。  角膜のドナーが多い米国では、ある程度の財産を手放してでも手術を受けようとカマル氏は決意した。ボストンの眼科医も全層角膜移植を行えば症状緩和の可能性はある。しかし、手術費用は多額になるし、成功するかどうかわからないのでお薦めできないと言った。  カマル氏は自殺を考えるほどの堪えられない痛みだと訴え、「失敗してもその責任を追及するようなことはしないので、あなたにはリスクはない」と強調した。こうしてなんとかいやがる眼科医を説得し、両目に激痛が走るのだが、まずはより重い症状の右目だけの角膜手術を行うことにした。  提供された角膜は26歳の女性のもので、手術は成功した。そしてなんと右目ばかりか、不思議なことに左目も激痛から解放された。  手術費用は多額に及んだが、死んだ方がましだと思える痛みと比べるといかほどでもなかった。米国で息子も生まれたが、こうして自分も苦痛から解放されて生まれ変わったのだった。     新型コロナの脅威  2020年2月、横浜港に寄港した大型豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号に乗船していた乗客・乗員約3,700人のうち、新型コロナウイルス感染者はのべ706人で、そのうち4人が死亡したことは、米国でも連日センセーショナルに報じられた。  その後、日本国内でも感染者が発見され、2020年2月28日の日本における新型コロナウイルス感染者数は210人で死者は4人だった。  今から振り返ると大きな数字ではないが、未知の疫病の恐怖に当時はそれでも大騒ぎになった。  この日までに筑波大学は、同年3月末につくば市で予定していた国際セミナーを中止した。参加者は約200人を予定して、マレーシアやインドネシアから大学の教員等を招待することになっており、カマル氏はその橋渡しをしていた。  彼も参加するために航空券も予約していたが、日本に一時的に帰る意味がなくなったのでキャンセルした。  この頃は、「日本は新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)で大変だな」とは思ったが、どこか遠くの出来事だった。ところが3月10日、マサチューセッツ州のチャーリー・ベイカー知事が、突然、感染者数が一晩で2倍の92人になり、そのうち70例が、同州ケンブリッジ市に本社を置く古参の医薬品メーカー「バイオジェン」の会議に関連していると述べて非常事態を宣言した。  そしてハーバード大学は、学生に3月15日までにキャンパスから退去するよう命じた。しかも3月24日には、ハーバード大学ローレンス・S・バコウ学長夫妻までがCOVID-19陽性になったことがわかり大騒ぎとなった。  こうしてカマル氏の家族は、それから少なくとも1ヶ月間は、一歩も宿舎から出ることはなかった。もちろん、その間も事情がわからない2歳の長女は、しきりに外に出たがって泣いたが、どうすることもできなかった。現在は乳幼児が死ぬことはないと言われているが、当時は激しい恐怖心から一歩も外出はできなかった。  もちろん3月中旬からは事実上研究もストップせざるをえなくなり、Zoomを使ってリモート会議を行うのがせいぜいであった。  計画では2020年5月31日に日本に帰ってくるはずだったが、法務省の理不尽な決定で帰ってこられなくなった。なぜなら、カマル氏は永住権をまだとっていなかったのだ。いつでも取れたが、必要ないと思って申請していなかった。  ところが新型コロナウイルス対策で、外国人の入国は原則禁止され、外国人で日本に入国するには永住権が不可欠だったのだ。  教員を対象にしたHYIのプログラムには、すでに述べたように日本の大学からは彼以外に京都大学の教員もいたが、彼女は日本国籍だから予定通り帰れた。しかしカマル氏は外国人だから2歳の娘と生まれたばかりの息子を抱えて、ハーバードで立ち往生するはめになったのだ。  ありがたかったのは、任期は5月までなので、その後宿舎を追い出されても文句はいえなかったが、コロナ禍で日本に帰れなくなった事情を配慮して、HYIは彼ら4人が退去する11月まで宿舎を無償で提供してくれたのだ。この件だけでなくHYIからは親身なフルサポートを受けた。  カマル氏は期間を限って任用される教員ではなく、継続的に雇用される国立大学法人の正規教員である。それにもかかわらず、日本に帰ってこれなかった。しかも航空券も1年間のオープンチケットで、1年以内に帰ってくるのが大前提だったので再入国許可証を彼は持っていかなかった。1年以内に帰ってくる外国人には必要ないからだ。  しかし、ジタバタしている間に8月1日になり1年が経過した。こうなると再入国許可証を持っていなかったので、カマル氏は5年間のビザを取り、その残りが4年間あったにもかかわらず、もう一度、日本政府に在留資格認定証を申請した。  これは日本国籍の有無に関係なく、日本在住の人が1年以内に日本に帰ってくれば日本在住と認められる。しかし、1年を過ぎたら当該国、つまり彼の場合は米国在住となるからだ。  そこで筑波大学の事務方がもう1度在留資格認定証の申請をしてくれて、その在留資格認定証をハーバードのカマル氏に送ってくれた。  彼はそれを持って在ボストン日本国総領事館に行ってビザを発行してもらった。  総領事館の担当官は、「一般の日本人よりも先生は日本に帰るべきでしょう。なぜならば先生は教える立場ですからね。けれども私たちは法務省の決定の前に、どうすることもできないのです」と言って釈明した。  こうした奮闘の末、ラミチャネ家の4人はやっと2020年11月につくば市の自宅に帰った。だが面倒な手続きはそれで終わらなかった。彼は17年間日本に住んでいるが、外国人登録や住民票とかもゼロからスタートする必要があり、2週間の自宅待機の後、もう1回申請し直したのだった。     リモート授業と極端な自由  当初の予定では5月31日につくば市に帰る予定だったが、半年遅れた。ところが筑波大学自体対面授業を行っておらず、ゼミを含むほぼすべての授業がオンラインに切り替えられていたので、本業のシワ寄せはほとんどなかった。  リモートの授業には、Zoomにログインして出席を取るタイプの双方向の授業もあるが、オンデマンドで教員があらかじめ録画した講義が流れる放送大学方式もあり、手軽なため後者が主流だった。日本と米東海岸は時差が13時間あるので昼夜逆転ではあるが、このためそれほど不都合はなかった。というより、日本に帰ってからもこのリモート授業主体という事情は変わらなかった。  米国で急激にCOVID-19が蔓延したのは、ウイルスの脅威を深刻に受け止めないトランプ大統領支持派が、こぞってマスクの着用を拒否し、ソーシャルディスタンスを守らず、パーティーをしたからだと彼は断言する。  昨年の10月にはトランプ大統領本人も感染し、メラニア夫人を始めとするホワイトハウス関係者の間で集団感染が起きた。もちろんこれらの人々は一流の医療機関で手厚い治療を受けた。そして同大統領は数日で退院し、「COVID-19など恐れるな」と発言したことも支持者が新型コロナを軽視する理由の一つとなった。また、米国CDC(疾病予防管理センター)によると、人口比でCOVID-19による死亡者が多いトップ10の州のうち、7州がトランプ氏が大統領選挙で勝利を収めた州だった。そして「米国は自由と民主主義の国なのに、どうしてマスクを強制されなくてはいけないんだ」と米国民の約半数は思っているのだ。  そんな米国は、医療がビジネスに結びつき、差別が横行するどうしようもない負の側面と、ハーバードに象徴されるような輝かしい側面を持つ複雑な国である。     インタビューを終えて  カマル氏の長男は米国で生まれたので18歳のときにネパールか、米国かどちらかの国籍を選ばなければならない。高位カーストのプライドかも知れないが、カマル氏は息子がネパール国籍を取得することを願っている。ただ、その判断は18歳になった息子がするしかないが、その頃にはネパールが2重国籍を認めている可能性もある。  カマル氏は、ネパールを代表する日刊紙『カンティプール』紙上で、2重国籍に反対する論陣を張っているが、彼らは少数派なのだという。  ネパールはインドと中国という大国に挟まれた小国だ。2重国籍をネパールが認め、どこかの大国が2重国籍を推進したら、よくてブータンのように経済・軍事・外交をインドに頼った国になるか、シッキムのように独立王国からインドの州になる可能性が増える。それに対してネパールでは現実的ではないという批判があるのだという。  ネパール国のGDPの4分の1は海外で働くネパール人の送金だ。「ネパールの政治家はみんなトランプ大統領のように金勘定が好きで、戦略・政策なき私利私欲で動く倫理観に乏しい人ばかりなので、在外ネパール人の声に賛同するのです」と、彼はネパールの政治家を辛辣に批判する。  今でもネパール人の男性と結婚したインド人女性は、入籍した翌日にネパール国籍を取得できる。一方、インド人と結婚したネパール人女性は、入籍後7年待たなければインド国籍は取得できない。このような不均衡を放置するなら将来に禍根を残すことになるので、彼はネパールの法改正を強く主張しているのだ。  ネパールが2重国籍を認めたら、彼の息子は18歳のときに、ネパールか米国の国籍の二者択一を選ぶ必要はない。しかし、カマル氏はネパール全体の国益を考えて2重国籍に断固として反対しているのだ。このように彼は自分の損得を超えたところで議論している。しかし論敵は、カマル氏は原稿料を稼ぐために『カンティプール』に寄稿していると非難すると言って苦笑いしていた。  ちなみに『カンティプール』の原稿料は、『点字ジャーナル』の4分の1ほどの安さだ。物価の高い国に生活していたら経済的にはまったく割にあわない仕事だが、影響力のある媒体なので無理をしてでも寄稿しているのにまったく理解されないと彼は嘆く。  最後に日本でも母国に帰れなくなった視覚障害者を手厚く保護した事例があるので紹介する。  カマル氏もその昔に参加したダスキン愛の輪基金によるダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の研修で全盲のアリ・トミー・ヘーゼルマン氏が来日していた。しかし、その彼は研修が終わっても母国であるサモア独立国に帰国できなかった。COVID-19を恐れて同国が、入国を厳しく制限したためである。  そこでダスキン愛の輪基金は、アリ氏が12月に無事帰国するまでの約半年間、フルサポートしたのであった。なお、現在も厳しい入国制限を行うサモアの感染者はこれまでたった3人である。 ●JICAによる寄宿舎再建 NAWB教育課長 ラトナカジ・ダンゴール  ネパールで3番目に大きな都市であるラリトプル市の中心部ラガンケル・バスパークに隣接するナムナ・マチンドラ高等学校(1〜12学年・Namuna Machindra Higher Secondary School)は、20年前から視覚障害児童・生徒に教育サービスを提供している公立校である。  2019年初頭、JICAのチームが同校を訪れた当時、同校には36名の視覚障害児童・生徒が寄宿舎に入寮していた。JICAチームは、学校のインフラを視察したが、特別なものは何もなく、悲惨な状況に顔をしかめた。寄宿舎の設備は女子が快適に暮らすには難しく、キッチンは小さくて不潔で、自習室は混雑しており、地震で被災した建物は60年以上も前のものだった。  この視察が寄宿舎再建のきっかけになり、総工費1520万ルピー(約1400万円)で、2019年12月に工事は開始され、本年9月15日に落成した。  政府はCOVID-19のパンデミックが収まったので、9月17日から学校が授業を行うことを許可した。しかしすぐにダサインという大きな祭りが始まったので、多くの視覚障害児童・生徒は、その祭が終わった10月21日に寄宿舎に入寮した。  新しい寄宿舎の建物は、これらの学生にとって想像や夢を超えた、本当に驚きのプレゼントだった。古くて狭い片付けられない寄宿舎から、この新しい管理が行き届いた近代的な家具付きの広い部屋のある寄宿舎は、フェンスで囲まれて保護されていた。  ここに入居できた幸せを9年生のプラティマ・ラマさんは、「入った瞬間、どこかの宮殿にいるように思え、この新しい寄宿舎に住めて本当にラッキーだ」と喜んだ。そして「私が以前住んでいた部屋は狭く、多くの女子が同じ部屋に住んでいましたが、今は部屋も広く快適に生活できます。トイレも大きくて、生理中にナプキンを交換するのに安全です。私たちのニーズを考慮して、この寄宿舎を造ってくれたJICAに感謝します」と述べた。  7年生のスマン・タパ君も、「初めてこの寄宿舎に入ったときは、夢を見ているような気分で、私立校の生徒だけが寄宿舎で良い設備を得られると聞いていましたが、今日、この洗練された部屋にいる自分は、世界で最も幸運な人間のように感じます。私たちの困難な状況を考慮し、未来の明るい星の一つとして受け入れてくれたJICAには本当に感謝しています」と述べた。  視覚障害児童・生徒のために学校の敷地内に新しい寄宿舎が建設されたことは、学校関係者にとっても喜ばしいことだ。視覚障害児童・生徒が古くて混雑した建物の中にいることへの不満は地震の被災前からあり、様々な場所に働きかけたが難しかった。それがJICAの手によって、長年の夢が、ようやく実現したのだ。  リソース・ティーチャーのインドラ・アルヤール先生は、「私はあの古い建物のために、視覚障害児童・生徒に何か災難が起こらないかと、大きな不安を抱いていました。このため今は安心して、とてもリラックスして過ごすことができています。寄宿舎を訪れるたびに、生徒たちがこの新しい寄宿舎に住む機会を得たことを喜んでいるのを見て、私も嬉しく、JICAの皆さんに本当に感謝しています」と述べた。  校長と運営委員長ら学校運営委員会、教師、生徒の家族も校舎だけでなく、寄宿舎の新築を資金面で支援してくれたJICAと日本の国民に深い感謝の意を表している。 ●ゴパル寺院の再建  ネパール地震2015により被災したNAWBの敷地内にあるヒンドゥー教のゴパル寺院(Gopal Temple)が解体され、ネパール復興庁(National Reconstruction Authority:NRA)によって、現在、再建されている。  NRAによると、寺院は考古学に基づいて建築資材もデザインもまったく同一に設計され、総工費410万ルピー(約392万円)で、2021年1月に工事を開始し、2021年12月に落成する計画である。 ●バンディプル(Bandipur)  バンディプル町は、ネパール中部のガンダキ・プラデーシュ州タナフン郡の標高1,030mの丘の上にある人口1万5,591人の集落。その昔は、マラリアを避けてチベットとインドを結ぶ旧道(塩の道)の宿場町として栄えたが、マラリア撲滅と道路整備により旧道は寂れた。しかし、観光地・ポカラに隣接する好立地のうえ、いにしえのネワール文化が色濃く残る観光の町として近年注目されている。 ●寄附のお願い  ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために寄附をお願いいたします。 寄附金のご送金には下記口座をご利用ください。  郵便振替:00150−5−91688 ●寄附金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第 217条第1項第5号に掲げる社会福祉法人です。当協会に対するご寄附は、所得税法第78条第2項第3号及び租税特別措置法第41条の18の3、法人税法第37条第1項及び第4項の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記  11月24日現在、ネパールのCOVID-19感染者は819,699人、死者は11,509人。  人口比では日本より多いものの一時期より感染者が激減したので、国外からの観光客も受け入れています。しかし日本帰国時に、当然10〜14日間隔離されますので、我々はまだネパールには行けません。  COVID-19のパンデミックのためにネパールではロックダウンが続き、学校も長期間閉鎖されました。この間の事情は小誌前号に掲載した通りです。  このためNAWBの活動も低調だったので、今号ではネパールにおける視覚障害者の希望の星・筑波大学ラミチャネ准教授を『点字ジャーナル』2021年5月号で取り上げたのでそれを再構成(ダイジェスト)してお届けしました。(H. F.) 発行:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会海外盲人交流事業事務局 〒169-0072東京都新宿区大久保3−14−4 TEL:03-3200-1310   FAX:03-3200-2582 https://www.thka.jp/   E-mail: XLY06755@nifty.com  ※迷惑メールが増えています。当協会宛のメールには、適切な「件名」をお書き添えください。