愛の光通信    2020年冬号通巻55号    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321    東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 ●【視覚障害者の夢】 護身術の啓発と普及に国を越えて取り組むサリタ・ラミチャネさん 元NAWB事務局長/ホーム・ナット・アルヤール  【視覚障害女性は、痴漢被害など人生でさまざまな性的嫌がらせを受ける。カトマンズで護身術の訓練を受けた全盲のサリタ・ラミチャネ」は、全盲のドイツ人女性サブリエ・テンバーケンがインドのケララ州に開設した社会事業家養成塾「カンサリ(kanthari)」で、セクハラや暴力的な性犯罪に遭遇した視覚障害女性が大声を出して反撃し、対抗するための自己防衛訓練プログラムを開発し、ネパールを拠点にその普及に取り組んでいる。  その啓発ビデオは、YouTubeの「Dream Speech Sarita Lamichhane」で見ることができる。】  現在31歳のサリタ・ラミチャネは、1989年8月3日にガンダキ・プラデーシュ州ゴルカ郡のバルパック村で、4人姉弟の長女として生まれた。2人の妹は晴眼者だが、弟は弱視者である。  生後9ヶ月の時、光に反応しないことに気づいた両親は、あわてて彼女をカトマンズにある国立トリブバン大学教育病院に連れて行った。同病院は1982年に、日本のODAで建設された、当地でもっとも整った設備を持つ、人材豊かな医療機関としてネパールでは誰もが知っている。  だが診察した医師は「完全に失明しており、もはや手の施しようがない」と宣告したので、両親はわが娘を不憫に思い、家族は悲嘆に暮れた。  父親は教師だったので、それからは全盲の娘に教育を受けさせたい一心で、考えられるあらゆる場所に相談に行って、情報提供を依頼した。  そしてサリタが6歳のとき、父親は耳寄りな情報に接した。東京ヘレン・ケラー協会の支援を受けてネパール盲人福祉協会(NAWB)が、ゴルカ郡ルインテル村の当時10年制のアマル・ジョティ・ジャンタ校(アマル・ジョティ校)で、失明と視覚障害を持つ子供たちのための統合教育プログラム(IEP)を開始することになったというのだ。  父親はこのニュースにとても喜び、早速、6歳の娘を同校に入学させるために連れて行った。そして彼女は1995年に、同校で3番目に入学した視覚障害生徒となった。  しかし3人の中で彼女は最年少で、しかも幼く見えたため、教師は学ぶには若すぎると考えて、余り熱心には教えなかった。  この事実を娘から聞いた父親は、カトマンズのNAWB本部に駆けつけて、「教師が娘に点字を教えてくれない」と訴えた。  NAWBの教育課長は、「基本的なネパール点字、数学・理科点字、英語点字をあなたに教えるので、まずあなたがそれらを習得して、次いであなたが娘に点字を教えたらどうか」と提案した。  かくして彼女は、アマル・ジョティ校の寄宿生ではあったが、遠い道を頻繁に帰宅した。そして、まず父親から点字指導を受け、その後は同居する叔母からも教えてもらうことで点字が上達し、知識レベルもみるみる上がり、とうとうサリタは父親の期待を一身に背負って優等生になった。  彼女は小学生当時、NAWBが点字教科書や点字用紙、白杖などを車で運んでくれたので嬉しかったことをよく憶えていると言った。  サリタは2005年に学校教育修了(SLC)試験に合格して、10年課程を修了した。 その後、カトマンズのマダン・バンダリ記念カレッジに進学して12年課程を修了。そしてカトマンズのトリブバン大学へ進学。マヘンドラ・ラトナ・キャンパスで学士課程を修了し、同大キルティプル校で修士課程を修了した。  2013年には、ネパール青少年行動基金の下で、護身術の訓練を受けた。これは、多くの視覚障害女性が虐待やセクハラを受けていることから、ネパールで始まったものである。  その後、サリタはインドのケララ州にある社会事業家養成塾「カンサリ」で、視覚障害女性用護身術訓練カリキュラムを作成した。そして2014年にプラヤトナ・ネパール(Prayatna Nepal)を設立し、ネパールだけでなく、多くの国の視覚障害女性たちにも同訓練を提供している。  一方、修士課程卒業後、サリタは小規模農家など貧困生産者への支援活動を行うNGOサプロス・ネパール(Sappros Nepal)で男女平等・社会統合専門家として活動を開始した。  彼女は、アマル・ジョティ校で勉強した視覚障害生徒に、よりよい教育を提供するために尽力したリソース教師たちのことをよく憶えている。しかし、「最近の視覚障害生徒への教育の質は、正規の教育を受けたリソース教師がいないため、また、NAWBがIEPをきちんとモニターしていないため悪化していると思う」と率直に批判した。  彼女はそこで、視覚障害生徒のためにIEPを積極的に実施している学校の校長、または積極的な運営委員長を表彰するために、現在、賞を設ける計画をたてている。  彼女は障害者権利条約の実施、護身術訓練、統合教育に関連して、日本(2018年8月)を含む11か国を歴訪している。  最後に彼女は、「私たちが教育を受ける機会を得るためにアマル・ジョティ校でIEPを開始してくださった東京ヘレン・ケラー協会とNAWBの関係者全員に感謝の意を表します」と述べた。 ●苦闘する公立学校  新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、ネパールの学校教育に深刻な打撃を与えた。政府の指示で、全国の学校は2020年3月20日〜11月21日まで実に8ヶ月も休校したのだ。  3月24日からネパール全土はロックダウンされ、市場、路面店、企業などすべてが閉鎖された。  ロックダウンは7月21日に解除されたが休校は継続された。このため、学習を閉ざしてはならないとの考えから、私たちが支援する学校では6月中旬からオンラインによる仮想授業(virtual class)が試みられ、都市部では一応の成功を得た。しかし農村部の学校では、ビデオ会議の「Zoomミーティング」の技術的な問題が解決できず失敗したケースもあった。  都市部でも仮想授業に参加できる生徒は、パソコンやタブレット、スマートフォンを使える環境にあることが前提なので、その参加者は限定された。それらの環境が整っていても小学校低学年は、集中力が続かず無理だった。また、視覚障害生徒の実家は遠隔地の山岳部等、インターネットや携帯電話の通信環境が整っていない場所が多いため特に難しかった。  ネパールの場合、公務員、教員、会社員、NGO職員、商人等、安定した収入が見込める人々の子弟は、例外なく私立学校に通っている。日本などと違って、ネパールでは公立校と私立校の教育環境には雲泥の差があるからだ。このため公立校に通う生徒のインターネットや携帯電話の通信環境は整っていない場合が多い。そこで、都市部の学校では生徒を1週間に1回、順番に登校させて、宿題を課して学力の維持に務めた学校もあった。  公立校でも政府のモデル校である、首都・カトマンズのトリブバン大学附属実験学校と、第2の都市・ポカラのアマルシン校は教育環境が整っており、生徒の家族も比較的裕福である。このため仮想授業が行われ、全校生徒を対象としたオンライン試験も行われ、一部の視覚障害生徒も参加した。また、課外授業として仮想スピーチ大会を開催した学校もあった。視覚障害大学生は、音声教科書を独自に入手して自習していた。  11月22日からは教室での密集を避けるため、学籍番号が奇数の生徒は、例えば午前9:30〜13:00の授業、同偶数の生徒は13:30〜17:00の授業と、2部制の対面授業として再開された。  ただし、クラスターを恐れる政府の方針で、寄宿舎はまだ再開されていないので、ほとんどの視覚障害生徒は残念ながら登校できていない。  仮想授業に関しては都市部が有利であることは先に述べたが、COVID-19のリスクに関しては都市部の方が高い。  私たちが支援するカトマンズ盆地内にある2校の点字教師各1名が、COVID-19陽性であったが、その後、無事回復した。 ●外国語の我田引水 海外盲人交流事業事務局長 福山博  ネパールのバグマティ・プラデーシュ州にあるチトワン郡の郡都バラトプル市は人口28万人のネパールで4番目に大きい都市だ。もともとは農業やその加工業を主体とする伝統的な地方都市だったが、1984年にチトワン国立公園が世界遺産に登録されると、その玄関口にあたることから、以来、一躍観光都市として急成長してきた。  同市と神奈川県横須賀市は、2019年10月にネパール人労働者受け入れに関する相互支援覚書を結んだ。その縁でコロナ禍の横須賀市は3万枚のマスクを本年3月、バラトプル市から有償で調達し、臨時休校で市立小学校の給食で使われなかった食材で弁当を作っている子ども食堂や、放課後児童クラブ73カ所や、高齢者施設などに配布した(2020年3月10日付『神奈川新聞』)。  バラトプルの大通に面した高台にあるビジネスホテル「ロイヤル・センチュリー」は、交通の要衝にあるので、私たちは現地調査でよく泊まる。     スーパーストア  このホテルのある高台を降りるとすぐ隣に、偉容を誇る「バート・バテニ・スーパーストア(Bhat Bhateni Super Store)」がある。クリスマスシーズンには地方では珍しい巨大なクリスマスツリーが正面エントランス前に飾られるので、携帯電話を片手にスナップ写真を撮る人々でにぎわう。  同スーパーストアは、1984年にミン・B・グルン氏が夫人と、従業員一人を雇って始めた小さな食料品店として創業。以来急成長して、現在、カトマンズの8店舗をはじめネパール全土に15店舗、4,500人のフルタイム従業員を雇用するネパール最大の小売業者に成長した。  カトマンズには、他にも百貨店やショッピングモールはあるが、5階建巨大スーパーストアが地方都市にあり、外貨両替もできて、電光掲示板に日本円のレートも表示されていたのには驚いた。  中に入ると食料品から日用品・雑貨、衣類、家電、オモチャ、家具まで揃っており、多くの客がエレベータやエスカレータを使って上り下りしていた。     和製英語  明治時代に漢学の素養を身につけていた西周や福沢諭吉らの啓蒙思想家は、西洋の語彙を翻訳し、「哲学、芸術、科学、技術、演説、西洋、自由、社会 ……」など夥しい学術語を考案した。そのときの遺伝子が日本人には脈々と受け継がれており、その後も外国の語彙を和訳するとき、素直に翻訳しないで、日本人の腑に落ちるようにねじ曲げる癖がある。  例えば「ナイト・ゲーム」を「ナイター」というように和製英語としてでっち上げた。極めつけは、英語では「稚拙で愚か」な意である「ナイーブ」を、日本語では「繊細・純粋」という良い意味に変えたり、パイナップルをこともあろうにパイン(松かさ)と略して店頭に表示するなど、その例は枚挙に暇がない。これは英語を借りて、日本語化してしまう行為である。  一方、ネパールでは英語をそのまま、ダイレクトに、それも多くの場合、クイーンズイングリッシュで導入した。このためトウモロコシを「コーン」ではなく「メイズ」と呼び、「コーン」は穀物全般を指し、「ガソリン」は「ペトロール」と呼ぶが、英国式と米国式の違いはあっても、正しい英語で、和製英語のようないい加減さは微塵もない。  あえてあら捜しをするなら、一般に生後1年以上の羊の肉をマトン(mutton)、生後12か月未満の子羊の肉をラム(lamb)というが、ネパールでは山羊肉もマトンやラムと呼ぶ。しかし、これは南アジアはどこもそうなので、言葉の問題というより文化の違いと考えた方が適切だと思われる。ちなみに英語でヤギ肉はシェボン(chevon)、子ヤギ肉はカプリット(capretto)と呼ばれることが多い。  バート・バテニのホームページのロゴマークには「バート・バテニ・スーパーマーケット&デパートメントストア(百貨店)」と書いてあるが、バラトプル店の看板には「バート・バテニ・スーパーストア」と書いて、使い分けている。  スーパーマーケットとスーパーストアはほぼ同じ営業形態で、どちらも食料品から日用品・雑貨、衣類まで販売する。ただ、スーパーマーケットの主力商品は生鮮食料品を含む食品である。しかし、スーパーストアは食料品も売っているが、それは必ずしも主力商品ではない。  西友の親会社であるウォルマートを、日本では米国最大のスーパーマーケットと紹介しているが、実際はスーパーストアのカテゴリーに入る。このため同社は西友を傘下におくまで生鮮食料品の管理ノウハウを持っていなかった。  ネパール人も含めて、多くの人々が「日本人は几帳面で、ネパール人はいい加減」と考えている。しかし、外国語(文化)の導入に関しては完全に逆転しており、日本ほど換骨奪胎して「いい加減」に導入して、我田引水している国はない。  これは遣隋使・遣唐使のいにしえより、無条件に輸入するのではなく取捨選択して、必要とあらば中国の皇帝が激怒しようとも「天皇」と称し、宦官や科挙の制度を頑として受け付けなかったプラグマティズム(実利・現実主義)によるところが大きいと思われる。  このように私たちが外国語を苦手とする要因は1400年前にさかのぼることができ、その基礎の上に日本の絢爛たる文化が花咲いたのである。  その日本文化の基礎は日本語である。日本人にとって知識の源泉は国語であるはずだが、それをないがしろにして、小学校から英語にうつつを抜かしていれば、日本の将来はまことに危ういといわざるを得ない。 ●【クリシュナ基金より】 コロナと共存したムキーヤきょうだい  ここでクリシュナ基金の来し方を少し振り返ると、2015年3月、国家試験委員会(NEB)によるSLC(学校教育修了)試験で、長女アルチャナは平均61点、長男ローシャンは75.62点の好成績を取り、ともに合格した。  2005年のクリシュナ基金創設時には、これで2人は晴れて社会人になる予定だった。しかし、この10年間でネパール社会は大きく変貌し、10年課程修了では教員にも、公務員にもNGO職員にもなれなくなってしまったのだ。  そこで、長女、長男、次女の3人を、ネパールで+2(プラスツー)と呼ぶ、11年と12年の課程に進学させ、国際的にも通用する高校卒業の資格を取得する機会を与えることにした。その際、「クリシュナ+2基金」の大口寄付者の藤元節氏から「成績が優秀なローシャンが大学に進学できる道を残して欲しい」という強い要望が出た。  NAWBと交渉の末覚書を交換して、2015年7月2日に200万円、2017年10月19日に100万円をNAWB宛送金した。  ムキーヤきょうだいは2020年10月現在、アルチャナはNAWB点字出版所に勤務しながら、首都・カトマンズ市にあるマイルストーン国際大学経営学科3年に在籍している。  NAWBは職員の中にCOVID-19陽性が出たので10月3日から閉鎖された。濃厚接触者であったアルチャナもPCR検査を受けるとCOVID-19陽性と診断され、自宅隔離となり、10月20日のPCR検査で陰性になった。  ローシャンはカトマンズ市に隣接するバクタプール市にあるサマジック大学の情報処理学科3年生で、コロナ禍のため現在Zoomミーティングによるオンライン授業を受けている。  プジャは、マイルストーン国際大学で、日本の高校2・3年生に相当する「テン・プラス2」(+2)の経営学科2年生である。彼女は+2の課程を修了し、コロナ禍で延期されている最終試験であるPCL(Proficiency Certificate Level)試験の受験勉強をしている。この試験により、高校を卒業でき、進学できる大学が決まるのだ。  アーラティは、スペインのバルセロナに本部を置く国際NGOである「アミックス・ネパール(Amics del Nepal)」の財政支援で私立のニューチューリップ校の10年生に在籍している。  本来なら彼女は今年の4月に州単位で実施されるSEE(中等教育修了試験)を受けて10年課程を卒業するはずだった。しかし、コロナ禍によりその試験は延期されている。このため彼女はいつ実施されるかわからない同試験に備え、午前中はニューチューリップ校で補習授業を受け、午後はZoomミーティングによるオンライン授業を受けている。  なお、SEEは、2016年までSLC(School Leaving Certificate:学校教育修了)試験と呼ばれていた。 ●リンブー族の酒「トゥンパ」  「トゥンパ(Tongba)」はネパール東部山岳地帯に住むリンブー族の伝統的なアルコール飲料(ネパール・ホット・ビール)である。  トゥンパという容器には、発酵したシコクビエが入っており、そこに魔法瓶からお湯をたっぷり注ぐ。そして蓋をして5分間待ったら、太いストローで飲むと、少し甘くて酸っぱいアルコール度数2%程度の酒もどきができあがる。  リンブー族はチベット系山地稲作農耕民なので、カトマンズでトゥンパは、チベット・レストランで供されることが多い。  1990年頃に最初に飲んだときは、トゥンパは木製で、ストローは竹製だった。その後、それではいかにも不潔であるということで、今はアルミ製に変わった。トゥンパとは本来この容器を差すのだが、この酒の名もトゥンパである。  トゥンパは7〜8割飲み進んだら、再度お湯をたっぷり注ぐ。このお湯の追加は3回までは問題ないが、それ以降はアルコールがうすくなるのであきらめるしかない。  つまみには、バフチリ(水牛の干し肉を使ったスパイシーな野菜炒め)、蒸し餃子のモモ、チョイラ(蒸したマトンをチリソースとスパイスやハーブでマリネしたもの)やアルタレコ(スパイシーな味付けフライドポテト)などが適当だと思われるが、それはもちろん好き好きである。 ●ネパールの赤毛猿  「アカゲザル」はニホンザルと同類のマカク属で、ニホンザルにそっくりだが、尾が少し長い。ネパール語では「ラト・バンダル(赤いサル)」と呼ばれている。カトマンズでは見かけないが、ネパールには別の「カロ・バンダル(黒いサル)」と呼ばれるアッサムモンキーやハヌマン・ラングール(グレイ・ラングール)という猿もいる。  日本では、1960年代に千葉県県南地域の私営観光施設で飼育されていたアカゲザルが施設の閉鎖に伴い逃げ出し、野生化したものが1995年から千葉県房総半島で確認されている。2005年度の調査では、推定350〜380頭が生息している。  本種は実験動物として広く利用されており、初めて宇宙飛行を行った霊長類もアカゲザルであり、その後も何度か宇宙旅行をしている。  ヒンドゥー教ではアカゲザルは神聖な動物とされているので、NAWBのあるゴパル寺院にも住み着いており、会議中にガンガン騒音を出したり、食べ物を盗んだり、人々を威嚇したりとやりたい放題である。  カトマンズの中心部から西に3kmほど離れた丘の上には、ネパール最古の仏教寺院である「スワヤンブナート」がある。  1979年にユネスコの世界遺産に登録され、カトマンズ市内が一望できるため、現地の人々にも人気のある行楽地だ。この寺院は、別名「モンキー・テンプル」と呼ばれるほど猿が多い。このため訪れた旅行客の荷物を奪うなど被害も出ているが、寺院では猿も信仰の対象となっているので、駆逐などの対策は実施されたことがない。 ●バナナの葉陰からヒマラヤを望む  放課後、語らいながら下校する生徒の側にはバナナの葉が茂り、その彼方にはヒマラヤが聳えている。  アマル・ジョティ・ジャンタ校は、現在、幼稚部から高校3年課程まである名門校だ。日本にもよく丘の上に学校があるが、規模がちょっと違う。麓から登ればゆうに3時間はかかるのだ。このため寄宿舎も整備されている。  2011年に同校出身の政治家が首相になったので道が整備され、同校までスクールバスが通るようになった。 ●「メガバンク」の看板  1兆ドル以上の総資産を持つ三菱UFJ銀行、三井住友銀行、みずほ銀行などをメガバンクというが、ネパールで2番目に大きい商業銀行「メガ・バンク・ネパール」は、この定義には当てはまらない。しかし、桁違いの総資産であるとしても志と目標の高さをよしとしたい。  国際的には日本人の並外れた謙遜文化は、ときとして猜疑の目で見られ、南アジア文化圏の野心溢れる自己主張は、微笑みとともに受け取られるからだ。 ●寄附のお願い ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために寄附をお願いいたします。 寄附金のご送金には下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150−5−91688 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号に掲げる社会福祉法人です。当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号及び租税特別措置法第41条の18の3、法人税法第37条第1項及び第4項の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記  12月1日現在、ネパールのCOVID-19感染者は234,756人、重症者は16,633人、死者は1,529人です。  感染者がまだ2人であった3月24日にロックダウンが始まり、3ヶ月が過ぎた頃から庶民が経済的に耐えられなくなり、なし崩し的に7月21日に封鎖が解除されました。その時の感染者は17,994人(重症5,477人)で、そこから感染者は爆発的に増加。  後知恵だが、ロックダウンのタイミングが1ヶ月以上早すぎたようです。  本誌編集に当たっては、クリシュナきょうだいの面倒を見ながら、2ページのサリタ・ラミチャネさんの記事を寄稿したアルヤール氏にZoomミーティングで相談しながら行いました。深謝に堪えません。  なお、本誌の一部で敬称を略しました。(H. F.) 発行:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会海外盲人交流事業事務局 〒169-0072東京都新宿区大久保3−14−4 TEL:03-3200-1310   FAX:03-3200-2582 http://www.thka.jp/   E-mail: XLY06755@nifty.com  ※迷惑メールが増えています。当協会宛のメールには、適切な「件名」をお書き添えください。