愛の光通信    2016年夏号通巻46号 2016.7    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局  ヌワコット盲人協会(Nuwakot Association of the Blind)は、倒壊した事務所の道路を挟んだ向かい側がヌワコット職業訓練校(Trade School Nuwakot)で、そこの前庭を借りて毛布の配布を行った。1人ひとり名前を聞き毛布を手渡すと、盲人協会の弱視の会計が記帳した。警官も見回りにくるほど賑やかで、仕事を抜けてきたという視覚障害者やその家族は先に帰ったので全員ではないが、それでも集合写真にはこのとおり50余人が写っていた。 ●被災地視察報告 ― ネパール地震と石油危機 ― 海外盲人交流事業事務局長/福山博  ネパール地震の被災者支援と我々が支援する統合教育校の視察のために2015年12月18日〜1月1日の旅程でネパールに出張したが、大震災ののち石油危機が起こり、復興はほとんど手付かずで、年末に日盲委の支援物資を配るのがやっとであった。     インドによる国境閉鎖  新憲法に反対するインド系ネパール人「マデシ(Madhesh)」諸党派によるデモのため、インド国境沿いの学校は3カ月間休校していたが再開された。そこで、私は12月20日空路シマラ空港に飛び、NAWB(ネパール盲人福祉協会)バラ支部長が運転するオートバイの後ろにまたがり、当協会の職員有志が支援するトリブバン大学ハリ・ケタン校(Hari Khetan Multiple Campus)1年のアルチャナ・ムキーヤとナショナル・インフォテック・カレッジ(National Infotech College)1年のローシャン・ムキーヤが住むアパートに行き、彼らの生活ぶりを見聞した。なお、2人とも大学1年生と誤解されそうだが、実際は高校2年生である。  アルチャナの部屋にはガスレンジがあったが、新たなガスの補充ができなくなり、大家のおばさんに屋上に作ったカマドで調理してもらっていた。  その後、NAWBバラ支部の役員と日程調整を行い「明日は、ドゥマルワナ校に行こう」などと相談していた矢先、支部長のケータイが鳴った。「デモに参加して投石していたジュッダ校の10年生(18歳)が警官に射殺された。今にもカーフュー(外出禁止令)が出る」という連絡だった。     国境から逃げ帰る  ジュッダ校には2日後に行く予定だったがキャンセルして、シマラ空港近くの商人宿に待避した。空港には軍隊が駐屯しており治安がいいのだ。ただ最低気温は10℃なのにお湯は出ないし、空調付の部屋にもかかわらず停電で1秒たりとも暖房は利かなかった。  翌日、午前便は飛ばず、午後便で命からがらカトマンズに飛んで帰った。学生の射殺はこちらでも大ニュースになっており、事件の翌日ジュッダ校のあるゴール町では、報復のため警察署と役場が焼き打ちに遭ったと報じられた。  2008年に制憲議会(定数601)選挙が実施され、王政を廃止し、新憲法を制定して連邦民主共和制に移行することが決定された。しかし憲法制定には議会の2/3の同意が必要なので、その後7年間も難航。  昨年ネパール地震が発生し、「大震災からの復興には憲法がぜひとも必要」と与野党が合意し、昨年の9月20日に7州からなる連邦民主共和国を骨子とした新憲法が公布された。ところがマデシが多く住む地域が同一州にならなかったため、これに反対するマデシ諸党派は、議会ではたった38人なので論戦をあきらめ、支持基盤のインド国境の街頭で、「交通ゼネスト」を宣言して、スト破りをする車に 投石する荒っぽい大衆運動を開始した。  こうしてインドとの国境地域で暴力を伴うデモが横行し、マデシを応援するインド政府がネパールとの国境を閉鎖。このため輸入に頼る燃料が入ってこないので、それ以降、ネパール国内は約5カ月間深刻な燃料不足に苦悶することになった。  カトマンズの幹線道路では、インド国境とカトマンズを結ぶ長距離バスは、石つぶてで割られたフロントガラスや窓ガラスを、ベニヤ板やビニールシート、新聞紙などで応急補修して、屋根に復路分の軽油をいれたポリタンクを1ダースほど積載して、次々に走ってくる。それでも燃料不足のために間引き運転で、カトマンズでは車の屋根に乗客が乗ることは禁止なのだが、警察も見て見ぬふりをしていた。  こう書くと、なにやらマデシは悪者のようだが、実は、私をバイクの後ろに乗せてくれた支部長をはじめ、私が会いに行った人々はすべてマデシなのである。そして、彼らも燃料確保に四苦八苦する被害者で、暴力デモにはウンザリしていた。     日盲委の毛布やセーター等を配る  暴動はインド国境一帯だけで、地震の被害が大きかった丘陵部は無縁であった。そこで日本盲人福祉委員会(竹下義樹理事長)からの支援物資を満載したNAWBの4WDで、地震の被害が大きかったゴルカ郡、ダディン郡、ヌワコット郡に行き、被災地支援を行うというので私も立ち会った。  これらの3つの郡の郡庁所在地には、ゴルカ盲人協会というような「郡」の名を冠したネパール盲人協会(NAB)の支部があった。そして、国道に面して10畳程度の部屋に、机と電話、パソコンだけという簡素な事務所があった。  NABは現在のNAWBの会長であるクマール・タパ氏を初代会長に、教師や学生を中心に1993年に設立された団体である。  当協会を通した救援金は、緊急支援という形でそのほとんどが8月までに被災者の手に渡ったが、日盲委からの救援金は、9月に東京でネパール側と協定書を締結してから送金したので、支援活動は遅れた。そして折からの燃料不足である。軽油が通常の4倍もしたので支援活動は一時中止され、年末になり2.5倍にまで下がったので再開されたのだ。  ネパールではNAWBと当事者団体のNABが、合同でネパール視覚障害被災者支援委員会(クマール・タパ委員長)を組織して、同委員会の下で救援活動を行っていた。NABは毛布配布にあわせて会員登録を行い、年会費50ルピー(60円弱)を集めていたが、それで中国製2千円の毛布が貰えるので、集まった視覚障害者は喜んでいた。  ヌワコット盲人協会は、倒壊した事務所の道路を挟んだ向かい側の職業訓練校の前庭を借りて毛布の配布を行った。1人ひとり名前を聞き毛布を手渡すと、同協会の弱視の会計が記帳した。警官も見回りにくるほど賑やかで、仕事を抜けてきたという視覚障害者やその家族は先に帰ったので全員ではないが、それでも毛布をもらった人々の集合写真には50余人が写っていた(表紙参照)。     石と赤土を混ぜた壁  今回の被災地調査でよくわかったことは、被害を受けた建物の多くは古い建築様式で建てられたものが多く、しかも石と赤土を混ぜただけの壁も少なくなく、崩れるべくして崩れたということだ。  石と赤土の壁が崩れて下敷きになり、大ケガをしたという老婆にも会ったが、彼女の孫は視覚障害者で、カトマンズの大学で勉強していると言った。彼女に会ったのは、カブレ郡の農村部だった。  カトマンズから車で3時間ほど舗装された道を急ぐと郡庁所在地ドゥリケルに着く。標高1,500mというから、カトマンズより200mほど高い丘陵地にあり、丘の上にある公立校の校庭でトタン板の配布を行ったと言う。「そこから視覚障害者は自宅までどのようにしてトタン板を運んだの?」と私が聞くと、タパ委員長は耕耘機の荷台に載せて運び、その運賃も救援金から支払ったと言ったので納得した。というのは、その学校から大ケガをした老婆の家までは悪路を4WDで1時間ほどかかったのだ。     障害者互助協会  ラリトプル郡は、カトマンズ盆地内でカトマンズ市に次いで大きいパタン市を中心にした地域で、仏教徒も多い。このため倒壊した仏教寺院は、スリランカの仏教団体が再建のための支援をいち早く表明した。また被災者には現地仏教団体からの支援も行き届いていた。ただ古都であるため古い建造物が多いので、その分被害も大きく広がっていた。  この地域では、NAWBが障害者互助協会を中心に被災者支援を行ったので、当協会が集めて送った救援金で購入したテントやトタン板は、視覚障害者以外の障害者にも手渡された。村全体が一つの「姓」で、親戚同士なので視覚障害者だけに配布するわけにはいかなかったのだ。     被災地の学校  今回の地震は、ネパール中央部の丘陵地であるゴルカ郡で起きた。同地の山の尾根にはアマル・ジョティ・ジャンタ校という名門校がある。  被災した直後に写した校舎の写真は7割ほどがつぶれていたが、まだ、校舎らしい面影は残っていた。ところが、実際に現地を視察すると、その後の余震でまったくのレンガの山になっていた。  同校ではインド政府の支援で2012年に着工した大学部の校舎を建設していたが、完成間際に地震に遭遇して、壁などに亀裂が走っていた。ただ、「柱などの構造には異常がないので、補修だけで済む」と校長は強調していたが、無念そうだった。  一方、この学校で唯一無傷だったのは視覚障害学生が住む寄宿舎であった。この建物は、京都に本部を置く日本ネパール教育協力会が建設したものである。校長によると、落成当時は建設費が少し相場よりも高かったので「無駄遣いをしている」と非難されたが、このたびの地震で「この寄宿舎の建築だけが正しかった」と見直されたそうだ。  同校のグラウンドには、米国や国際NGOの支援で仮設校舎が並んでいたが、割竹だけで作られた壁は容赦なく風が入りいかにも寒そうで、仮設とはいえあんまりだと思われた。  私はカトマンズ盆地内で2校、地方で4校の地震被災統合教育校を視察したが、学校の運営側、校長や教師の意向などにより、仮設校舎や寄宿舎の質がまったく異なっていることに気づいた。  60年前に、「公園の中の学校」をコンセプトに米国の支援で建設したラボラトリー校はカトマンズ郊外にあり、その校舎はレンガ造りですべて平屋だ。しかも2階建てに増築できない構造になっている。ところが、のちにネパール人によって設計された200人ほどが住む男子寮は3階建てで、唯一、被災して使用禁止になった。2階建ての女子寮は無事だったので、そこが分水嶺だったようだ。  男子寮生は、平屋の講堂を教室くらいに間仕切りしたところに簡易ベッドを持ち込んで使っており、入り口に近い所に視覚障害寮生がいた。  一方、パタン市のバスターミナルに隣接してあるナムナ・マチェンドラ校は、伝統校であるため古い校舎が軒並み倒壊しており、校庭に仮設校舎が林立していた。しかし、壁は割竹で作られていたが、その内側に学校の独自予算でトタン板を張り、寒風が通らないように工夫していた。  この学校でちょっと愉快だったのは、校長室から校長を追い出して、そこを視覚障害児童用のリソースルームにしていたことである。そして同校の寄宿舎は、他のどの学校よりも暖かく清潔で快適そうであった。  カトマンズから何度も山越えして、山道に迷いながら到着したダム湖のある村では、寄宿舎も完全倒壊していた。そして仮設の寄宿舎は上から4分の1は壁がなくちょっと悲惨な感じで、もうすこしなんとかならなかったのかと思ったが、言葉にはしなかった。学校当局だって精一杯努力した結果がこれなのであり、それを腐されたら立つ瀬がない。  しかもこれは、地元住民の生活レベルとも関係している。教師の自宅自体がすきま風が吹き込むような家であれば、すきま風を気にするはずもない。都市部と比べるとかなり貧しい地域なのだ。  カトマンズ盆地内の学校では配布しなかったが、農村僻地の学校で寮生活をおくる視覚障害児には、日盲委からのプレゼントである濃紺のセーターと点字用紙が配られた。すると視覚障害寮生たちはすぐに試着して、サイズが合うかどうか確認しては、歓声をあげていた。     我々が学ぶべきこと  日本は最も悲惨であった終戦時でも、電気は24時間通電していたが、ネパールは21世紀の今日でも全国的にほぼ毎日停電で、私はネパールで12泊したが、停電がなかったのは2晩だけだった。  停電のときはホテルの発電機が回り、寝室と浴室の天井灯、それにテレビにだけ電力が供給された。私はテレビのコンセントを抜き、順にノートパソコン、スマートフォン、2台のカメラに充電していたので、テレビを観ることもできず、読書灯も使えないので本も読めず、時間をもてあました。  ホテル側も燃料が通常の2.5倍もするので、いつもであれば2台の発電機を回すところを1台にしているので、こんなことになったのだ。  ところでガソリンや軽油は金さえ出せばなんとか買えるが、プロパンガスだけはどうにもならない。そこで、レストランやホテルも急造のカマドで調理していた。このため、トーストは表面だけ焦げたものが供され、ウェイターも苦笑いしていた。  さすがに高級ホテルではこのような不便はないが、そのために私は中級ホテルの3倍もの宿代を出す気にはなれなかった。  最近の私の定宿には問題も多いが、中級ホテルにしては珍しくバスタブがついており、太陽熱による透明で熱いお湯が常時たっぷり出るので気に入っている。高級ホテルでもお湯については、あきれるほどトラブルが多いのである。  ネパールでは、カトマンズのアッパーミドル(中の上)クラスの家庭でも、お湯のシャワーを使っているところは少ない。また、カトマンズ中心部の大邸宅に住むお金持ちでも実際に暖房器具を使っている家はほとんどない。それは冬でも日差しが強く、日中は日向ぼっこすれば結構温かいことと、エアコンがあっても停電では使いようがないためだ。  しかし、朝夕は冷える。そういうところでは、毛布1枚、セーター1枚の暖かさは貴重だ。実際に摂氏4℃くらいで凍死者が出る国なので、それが生死を決めると言っても過言ではない。  日盲委からの支援物資として被災視覚障害者には毛布が、視覚障害児にはセーターと点字用紙が配られた。その時、私は「なぜ視覚障害児にも毛布を配らないのか?」とちらっと思ったが口には出さなかった。日本の基準で支援物資を調達・配布したら、おそらく予算を10倍にしても足りないだろう。そして、仮にそれが実現したら被災地の人々の方が一般市民より豊かな生活になりかねないのだ。  今回の地震被災者救援は、盲人協会の会員であったり、障害者互助協会の会員であったり、CBR(地域を基盤としたリハビリテーション)に登録されている障害者たちであった。誤解を恐れずにいうならば、我々の目にはとても貧しく映るが、現地では比較的恵まれた人々なのだ。  一方、まったく組織されていない障害者には支援の手は届かない。東日本大震災でも、組織されていないひっそりと暮らしてきた中途障害者の存在がクローズアップされたが、ネパールでも同様だ。否、ネパールは行政が充分機能していない分だけ、問題はさらに深刻だ。とくに車が通る道路にたどり着くまで、徒歩で2〜3日かかる交通アクセスの難しい地域では、地震の被災に関係なく、なんの行政サービスも期待できない。道路というインフラ整備はおいそれとはできないので、そこがネパールが後発開発途上国であるゆえんで問題は深刻である。ただ、端っから行政の支援を当てにしていないので、自分たちだけで何とかしようとする意欲は旺盛だ。  全盲夫婦で、大学生と高校生の子どもがいるNAWBタパ会長の自宅は、庭付きならぬ田んぼ付一戸建住宅だ。夫婦で大学と高校の教師であるからネパールの中では比較的経済的に恵まれている。  それにしても地震直後は、避難してきた親戚を含めて20人ほどを、田植え前の田んぼにテントを張て都合10日間ほど面倒をみた。そして、その間は当然のことのように行政をあてにはしなかった。  この間の経験で、「2人の子供も、カマドで上手に火をたけるようになった」とたくましく成長する姿を喜んでいたが、我々も彼らからこの気概を学ぶべきであると思った。  東日本大震災のとき、「避難所が寒くて体調を崩している」「温かいものが食べられない」という報道があり、行政の支援の遅れが批判された。これに対して、作家の曾野綾子氏が、「なぜ、瓦礫を燃やして暖を取らないのか?」と述べたところ、瓦礫の所有権やダイオキシンの発生の可能性などから逆に曾野氏を非難する声があがった。  低体温症で死にそうだと訴えている非常事態になんとも悠長な話しだが、もしかしたら現在の60歳以下の日本人は、実はその多くがたき火の起こし方や、カマドの使い方を知らないのではないか。  ヒト属が進化の過程で火を利用するようになってから、社会文化的進化は急激に早まった。火を使った調理は、タンパク質や炭水化物を摂取するのを容易にし、火により夜間にも行動ができ、寒冷地にも住めるようになり、野獣から身を守れるようになった。しかし、「危険だから」、「煙たくて汚いから」と言って、日本中でたき火が禁止されている。このままではとてもひ弱で、あなたまかせの依存性が強い人間ばかりが住む国になってしまうおそれはないか。あるいはすでにそうなっているのではないか。  このままでいいはずはないと、商人宿で水シャワーを浴びることのできなかったひ弱な私は、深く自問するのであった。 ●2015年度事業報告(平成27年4月1日〜平成28年3月31日)  2015年4月25日に発生した「ネパール地震」で、多くの統合教育校と視覚障害者が被災した。そこで当協会は緊急募金を行い、ネパール盲人福祉協会(NAWB)を通じて救援活動を行った。  9月に東京で開催された「アジア太平洋CBR会議」に、日盲委の助成金を受けて全盲のNAWBタパ会長と介助者を招聘。9月4日当協会ホールにてタパ会長による「ネパール地震2015被災者支援報告会」を開催した。  安達禮雄育英基金、正雄育英基金、順子女子育英基金の3基金による奨学金給付事業を継続した。  2005年から行っているNAWBのバラCBR事業の現地スタッフの遺児3人を援助する「クリシュナ君遺児育英基金」は、2015年4月に長男と長女が、10年課程を修了した。以前はこれで高校卒業とみなされたが、国内事情によりあと2年間勉強しなければ、公務員とか、小学校の教員になることは難しくなった。そこで、複数の当協会関係者が計200万円の基金を持ち寄り「クリシュナ基金+2」を組織、NAWBと「覚書」を交換し、長男と長女は上級学校(カレッジ)に進学した。  上記事業の管理等を行うため、2015年12月19日〜2016年1月1日の日程で福山博事務局長がネパールに出張したが視察は困難を極めた。  同国は9月20日に新たな憲法が公布されたが、対インドとの関係が悪化し国境付近で紛争が発生、インド政府が国境を閉鎖した。学校が3カ月ぶりに再開されたという情報を得てインド国境の町に出向いたが、暴動が起こり外出禁止令が発令されたのでカトマンズへ避難した。一方、カトマンズ等の丘陵部の震災復興は、インド国境が開かれるまで約5カ月間中断された。そのような中にあってNAWBは、日盲委による被災視覚障害者への毛布、被災視覚障害児童・生徒に対するセーターの配布を行ったので、それに立ち会った。  国内活動では、障害分野NGO連絡会の国際協力・交流事業に協力するとともに、日盲社協の『国際協力のパイオニアたち――アジアの視覚障害者とともに』発行に書籍製作委員として協力した。  事業報告集である『愛の光通信』を2015年7月と12月に計2号を発行。また「ネパール地震2015」に関連して『愛の光通信』2015年4月(号外)「ネパール緊急支援のお願い」、『愛の光通信』2015年7月(号外)「ご支援に感謝して、中間報告!」を発行した。 ●2016年度事業計画(平成28年4月1日〜平成29年3月31日)     1.統一英語点字普及事業  昨年9月、第3回アジア太平洋CBR会議が、新宿の京王プラザホテルにて開催され、当協会は全盲のNAWB会長と介助者を招聘した。来日して盲学校等の施設見学する中で、彼らには統一英語点字(UEB)についての知識が全くないことがわかった。  従来、英語圏ではいくつかの点字体系が使われ、標準英語点字(文書コード)の他に、数学用、コンピュータ用、科学用等の点字コードが混在してきた。さらに、米国と英国では文書コードでさえ異なっている点があり、一般に使われる記号も十分用意されてはおらず、コンピュータによる点字と墨字の相互変換も完全に行うことはできない。それを改善するために国際英語点字協議会(ICEB)が採択したのがUEBであり、日本でも平成28年4月から学校教育に導入された。  ネパールの英語点字は、平成6年に当協会の協力で米国式の表記に準拠して、ガイドブックを整備した経緯があるので、ネパールにおけるUEB導入にあたっても協力する。具体的には、UEB導入に伴うガイドブックの整備と、統合教育校の教師等を対象としたUEBセミナー・講習会を実施する。     2.育英基金事業  安達禮雄基金と正雄育英基金は小学1〜10年課程の男女の視覚障害児童・生徒を対象に、順子女子育英基金は小学1〜10年課程の女子の視覚障害児童・生徒を対象とした奨学金である。これらは寄付者、NAWB、当協会の3者が覚書を交換し、ネパール政府社会福祉協議会に届け出ている事業で、覚書に添って、滞りなく実施されるようモニターする。     3.フォローアップ事業  NAWBの点字教科書発行を中心とした事業に対して、フォローアップのための側面的支援を実施する。これは、当協会が長年実施してきた事業が無に帰さないように、平成16年度から継続して実施している事業である。     4.国内事業  広報・募金活動は、NAWBから事業報告等が提出されることを条件に、『愛の光通信』を年2回発行し、例年通り実施する。  日本障害者リハビリテーション協会に事務所を置く、障害分野NGO連絡会(JANNET)の一員として、障害分野の国際協力を行う他施設・団体と情報交換・交流を深める。 ●平成27(2015)年度 資金収支計算書 (自)平成27年4月1日   (至)平成28年3月31日 (単位:円)  社会福祉法人の会計基準が変わり、当法人は平成25年度決算から新たな社会福祉法人会計基準に移行しました。     (収入)  以下、勘定科目、予算(A)、決算(B)、差異(A)−(B)の順。単位は円です。 経常経費寄附金収入:2,568,000、2,572,009、△4,009。   経常経費寄附金収入:2,568,000、2,572,009、△4,009。 その他の事業収入:100,000、100,000、0。   補助金事業収入、100,000、100,000、0。 受取利息配当金収入、0、0、0。   受取利息配当金収入、0、0、0。 その他の収入:11,000、10,500、500。   雑収入:11,000、10,500、500。 事業活動収入計(1)、2,679,000、2,682,509、△3,509。     (支出) 人件費支出:120,000、120,000、0。   職員給料支出:120,000、120,000、0。 事業費支出:1,863,000、1,862,282、718。   海外援護費支出:1,568,000、1,568,000、0。   海外出張費支出:295,000、294,282、718。 事務費支出:765,000、762,351、2,649。   旅費交通費支出:446,000、445,526、474。   事務消耗品費支出:0、0、0。   印刷製本費支出:95,000、95,040、△40。   通信運搬費支出:57,000、56,786、214。   会議費支出:70,000、70,000、0。   手数料支出:60,000、58,410、1,590。   租税公課支出:0、389、△389。   諸会費支出:35,000、35,000、0。   雑支出:2,000、1,200、800。 事業活動支出計(2):2,748,000、2,744,633、3,367。 事業活動資金収支差額(3=1−2)、△69,000、△62,124、△6,876。 当期資金収支差額合計(4=3)、△69,000、△62,124、△6,876。 前期末支払資金残高(5):2,809,352、2,809,352、0。 当期末支払資金残高(4+5):2,740,352、2,747,228、△6,876。 ●寄付者ご芳名(五十音順・敬称略)平成26年4月1日〜平成27年3月31日  温かいご支援ありがとうございました!   (個人) 青木貞子、青山マリ子、朝妻洋子、芦田賀寿夫、渥美資子、在田一則、安藤生、飯田光江、池田令子、石田隆雄、石原幸栄、石原尚樹、磯公美子、磯部久子、伊藤眞一郎、今泉新治、岩屋芳夫、植竹清孝、上野伊律子、上村小夜子、生形てる子、遠藤利三、大島幸夫、大西正広、大橋東洋彦、大橋由昌、岡山美恵子、小野塚耕吉、貝元利江、梶原剛、勝山良三、加藤万利子、金森なを、金田敏子、苅安達男、川口卓朗、川島玉子、川尻哲夫、川田孝子、菊井維正、木塚泰弘、楠本睦子、黒澤和子、小泉周二、小出隆家、肥塚隆、肥塚美和子、古賀副武、小島純子、小島亮、後藤晴子、小長谷厚子、小林良子、小森愛子、斎藤惇生、酒井久江、坂入隆、坂入操、坂口廣光、坂齊勝男、坂本泉、佐古井貞行、佐々木信、佐々木玲子、指田忠司、佐藤達夫、柴田光俊、志村洋、白井雅人、白木幸一、菅原温子、杉沢宏、杉田安男、鈴木俊勝、鈴木雅夫、鈴木洋子、須原ひとみ、染矢朝子、高橋恵子、橋秀治、多久島耕治、竹下亘、田中茂、田中徹二、田中正和、谷内正史、田畑美智子、田村和凡、当津純一、当津順子、当山啓、徳渕洋三、土橋喜人、鳥原信一、鳥山由子、中井謹次郎、長岡英司、中原章雄、中村勝彦、中村保信、生井良一、成澤千賀子、新阜義弘、根本厚志、根本弘道、野津虎雄、野村寛、橋爪ナナ、林紘子、原田美男、平野正隆、平野モモコ、福井哲也、譜久島和美、富久縞博、藤本貴子、藤原和子、本間昭雄、前山博、間下勉、増野幸子、松井繁、松浦健三、松下信雄、松本大、三浦拓也、御本正、三宅正太郎、宮崎勇、宮下浩子、宮本千絵子、目黒伸一、茂木幹央、望月優、森栄司、森川精子、森川政之衛、森山朝正、山岡三治、山田あき子、山田真弓、吉田暁子、吉田重子、米田昌徳、渡辺勇喜三、T.F.、A.T.   (団体等) ◆東京都立八王子盲学校有志、有限会社大本印刷、音や金時、小林動物病院、古和釜幼稚園、シティ・ライツ、有限会社信和ハウス、株式会社高垣商店、ネパール料理エベレストキッチン、三好稲荷閣満福寺、有限会社ヤマオー事務機、毎日新聞東京社会事業団 ●海外交流事業記録(2015/4〜2016/3)  2015年4月30日:『Light of Love(愛の光通信・号外)』「ネパール緊急支援のお願い」発行  5月9日:JANNET役員会・総会(戸山サンライズ)  5月15日:IAVI(国際視覚障害者援護協会)評議員会(船橋記念会館)  5月19日:カマル・ラミチャネ氏出版記念セミナー(JICA地球ひろば国際会議場)  5月23日:NAWB教育課長の妹プレムソバ・マハールジャン来訪  7月8日:日盲社協刊『国際協力のパイオニアたち』編集会議(日本点字図書館)  7月:『Light of Love(愛の光通信)』No.44発行  7月:『Light of Love(愛の光通信・号外)』「ご支援に感謝して、中間報告!」発行  9月1〜3日:アジア太平洋CBR会議  9月25日:『国際協力のパイオニアたち』編集会議(日本点字図書館)  10月31日:『国際協力のパイオニアたち』編集会議(日本点字図書館)  11月2日:韓国・済州島福祉館(7人)来訪  11月26日:JANNET役員会  12月1日:『国際協力のパイオニアたち』発行  12月:『Light of Love(愛の光通信)』No.45発行  2015年12月18日〜1月1:ネパール出張(福山)  1月9日:IAVI新年会(新宿・トルコ料理店)  1月14日:キルギスとミャンマーの留学生来訪  1月27日:JANNET上野悦子事務局長来訪  3月23日:IAVI評議員会(船橋記念会館) ●闇屋のトラック  ガソリンの通常価格はRs.104/?だが、国境が閉鎖されるとRs.400/?に跳ね上がり、昨年末でもRs.250/?だった。そこで大活躍するのが、荷台にドラム缶を載せたピックアップトラック。マデシ軍団に見つからないように、間道を抜けてインドに行き給油して運んでくるのだ。ちなみに闇給油所のことをブラックマーケットではなく、上品に「セカンド・ソース(二次供給者)」と呼んでいた。 ●文房具を前にした陸軍少佐  朝妻書店からの寄贈品である文房具の第1弾を、12月29日にNAWBに届けた。すると、昨年NAWBの役員(Joint Secretary)になったという前列右端のサングラスをかけた男性を紹介された。2003年にマオイストとの内戦で失明したというパワン・ギミレ氏は陸軍少佐(Major Pawan Ghimire)で、現在は盲人クリケットなど、視覚障害者のスポーツ振興に力を注いでいる。 ●募金のお願い  ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150−5−91688 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号に掲げる社会福祉法人です。当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号及び租税特別措置法第41条の18の3、法人税法第37条第1項及び第4項の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記 本誌前号で、当協会が緊急募金を行ったネパール地震救援金総額は155万3,000円と記しましたが、実際は156万8,000円でした。  差額の1万5,000円は、当方の事務上のミスで郵便振替の料金を差し引いたために起こったものです。  1万5,000円は、昨年12月29日に現金でNAWBに届けました。訂正してお詫び致します。  我々が日盲社協を通じて日盲委に呼びかけて、ネパール被災地支援の募金活動が開始されました。  そこで協会発行の『点字ジャーナル』昨年6月号では日盲委の募金活動を紹介し、その後NAWBとの仲介も行いました。  そのようなご縁と経緯があり、昨年末の日盲委の支援物資配布にも当協会は協力したのでした。(H・F) 発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4 TEL : 03-3200-1310 FAX : 03-3200-2582 http://www.thka.jp/ E-mail: XLY06755@nifty.com  ※迷惑メールが増えています。当協会宛のメールには、適切な「件名」をお書き添えください。