愛の光通信    2014年夏号通巻42号 2014.7    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局  ロータート郡ゴール町にあるジュッダ校は、1993年度から当協会が支援を始めたのですでに20年に及ぶが、歴代の校長はコングレス(ネパール国民会議派)の政治活動に忙しくていつも学校を留守にしていた。ところが近年は様子が変わり、今年度赴任した新校長(写真右端)は、なんと私たちの滞在中つきっきりで案内してくれた。しかも、校舎も校庭も綺麗に整備されており、その様変わりぶりに驚いた。ネパールはインド同様トップダウン・システムなので、校長が替われば、学校も劇的に大変身を遂げるのである。 ●3年ぶりのネパール訪問 東京へレン・ケラー協会前理事長/藤元節  私は3年前に社会福祉法人東京へレン・ケラー協会を辞して、完全フリーの身となり、土と親しみ、気の向くままに本を読み、CDを楽しみ、ときにコンサートに出かける日々を重ねている。  ネパールとのかかわりは、毎日新聞社と、当時、私が勤めていた毎日新聞社会事業団が1998年(平成10年)に日本全国から集まった寄付金で釈迦生誕の地ルンビニに近いブトワル市(人口75,385人)に建設した「ネパール子ども病院」の落成式に出席する縁に恵まれたのが始まりだった。  医療過疎のネパールの平均寿命は60歳そこそこ、「医療と衛生教育のモデルになるのなら」と、建築家の安藤忠雄氏がボランティアで設計を引き受けた病院だ。以来、何年おきかにこの国を訪ねてきた。以下は昨年暮れから今年の元日まで、3年ぶりに果たしたネパール2週間の旅のレポートである。  今回はネパール訪問26回目という東京ヘレン・ケラー協会理事で、海外盲人交流事業事務局長の福山博氏とその提携団体であるNAWB(ネパール盲人福祉協会)教育課長のラトナ・カジ・ダンゴール氏ら4人で、前回と同様、主としてインド国境沿いのタライ平野を巡回。日本の篤志家3氏から同協会に託された寄付金で創設された育英基金の運用益による奨学金で視覚障害の子どもたちが寄宿舎生活を送っている5校を訪ねることが出来た。年1回、この事業の検証に出かける福山氏に随行して、子どもたちが篤志家の皆さんの期待に応える状況にあるかどうかを、自分なりに確めてみたいと願っての旅だった。  ネパールは北が中国、南はインドに接し、国土は147,000ku(日本の3分の1強)、人口は年々3%も増えて2012年推計で3000万人、1人当たりのGDPは600米ドルそこそこという貧しい国である。アジアでこの国よりも貧しいのは、アフガニスタンと北朝鮮くらいしか見当たらない。  人口100万人の首都・カトマンズは標高1,300mの盆地で気温は東京とあまり変わらないが、タライは標高100〜200mの亜熱帯の平野である。  移動はすべてトヨタのランドクルーザー、カトマンズ、タライ間にそそり立つ標高1,800mの山肌を縫うようにつづら折りの道を片道5時間かかった。  何せ4WDがやっとすれ違うことのできる狭い坂道、崖っぷちのところどころにコンクリートの柱が見えたものの、ガードレールと言えるものは皆無なのだ。大半が舗装なしで、デコボコ道もいいところ、戦後間もない私のふるさと・周防大島の田舎道が思い出された。それが鉄道といえるもののないネパールの幹線道路であるばかりに、インドTATA社製のおんぼろトラックが黒い煙を吐いて走り、乗客ぎゅう詰めのバスがよたよたと行き、連なる4WDのかたわらをオートバイがすり抜ける。一歩間違えば谷底に落ちて、おさらばだと思ったことである。  西から東に長々と延びるタライを貫くのはマヒンドラハイウエイという弾丸道路である。旧ソ連が密林と農地を割いてつくった舗装路だが、老朽化に加えて保守管理が悪く、ところどころ舗装がはがれていた。橋は落ちたまま、オートバイや私たちの車はいうに及ばずトラックやバスまで川床を走らねばならないところすらあった。乾季(9月後半〜5月)だから良かったものの、「ここは3年前に来たときと同じですね」と福山氏ともども苦笑した。  そんな道を時速80km前後で1日5時間走る毎日だった。夕刻、ホテルに着くと、靴は土埃で真っ白けである。しかも、浴槽のあるところは稀で、あっても栓がなかったりした。そしてついにはお湯が出ないホテルにさえ泊まるはめになった。  停電は日常茶飯事で、街には依然として公衆トイレは皆無に近い状況が続いていた。そんななかで癒されたのはラトナ・カジ氏のサービス。彼はネパール伝統の横笛の名手で、ネパールの民謡の数々はもちろん、「さくら」など、日本の調べも奏でてくれ、土産に彼の演奏を収めたCDまでもらった。  3年前に比べて私の目に映った一番の変化は、タライの空が朝からしばしばスモッグに覆われていたこと。工業化が進むインドから吹き付けるのだという。ヒマラヤ・トレッキングの入口・ポカラでは観光客の激増に伴って増えたホテルが浄化設備の整わないまま排水を流して、ヒマラヤの山々を湖面に美しく映すことで名高いフェワ湖は富栄養化が進み、藻類が異常繁殖しているとも聞かされた。  救いは、子どもたちが底抜けに明るく生き生きしていたこと。とりわけ視覚障害のある子どもたちが揃って教室の前の席を占め(統合教育といって、この国では健常の子どもと一緒に学んでいる)、全身を耳にして、先生の言葉を懸命に受け止めている姿には、思わず涙がこぼれそうになった。戦後、日本が貧しかった私たちの子ども時代も、みんな目を輝かせて黒板を見つめていたのではなかったか。このように学習と真剣に取り組む視覚障害の子どもたちの姿こそ、日本の篤志家の方々の期待に応えているあかしだと感じた。  そして、カトマンズからタライに向かう朝、山道に差し掛かったとき、燃えるように赤い「レッド・サン」をランドクルーザーの窓越しに目にし、帰りにカトマンズの街並みを見下ろして、天空にヒマラヤの神々の座が連なるのを見たとき、至福という言葉が心に浮かんだ。5度目のネパールは、体力的には厳しかったが、行った甲斐があったというのが、私の今の気持ちである。  いま一つの驚きは、5番目の訪問先であるカトマンズ近郊のナムナ・マチェンドラ校で目にした。  校長が校門で定番の「ナマステ」の代わりに「おはよう」と日本語と笑顔で出迎えてくれた。しかもこの学校は校長室ばかりか、どの教室にもちり一つ落ちていなかった。道端はごみだらけ、教室は紙くずの散乱が普通なのに。聞けば校長は群馬県前橋市で2年間働いていたことがあり、そのときの見聞を生かした「衛生教育」の成果だと知らされた。  たとえ歩みは緩やかでも、教育の積み重ねで、この国は間違いなく前進している。そのために、継続して支援する大切さを改めて確認した。 ●海外のアテンドで考えたこと 海外盲人交流事業事務局長/福山博 (写真)小島先生(中央)と懇談する視覚障 害教師(ラボラトリー校にて)  昨年(2013年)12月31日の午後の便でカトマンズ空港を出発、バンコクを経由して、元旦の午前6時過ぎに成田空港に到着した。この間、久しぶりに視覚障害者のアテンドを行った。  都立八王子盲学校教諭の小島純子先生は、ネパール盲人福祉協会(NAWB)タパ会長宅にホームステイしており、偶然、帰国便が同じであることを知り、東京・新宿駅まで手引きすることになったのだ。  大晦日の朝、NAWB差し回しの車で、私は藤元前理事長と2人で、ラリトプール郡ルブ(Lubu)村にあるタパ家を目指し、カトマンズの中心部から小一時間で到着した。  以前、八王子盲学校に留学していたタパ夫人のジャヌカさんが勤務する公立学校へは徒歩5分の距離である。しかし、タパ氏の勤務する大学へはちょっと距離があり、バスを2回乗り換える必要があるということだった。しかも彼は午前の部の授業を受け持っているので、早朝4時に起きて始発のバスに乗り2時間かけて出勤すると言っていた。  あたりは農村部で、平屋4DKの自宅は庭付ならぬ田んぼ付であったが、近年は新興住宅地の様相を呈しており、商店や銀行の支店も近くにあり静かで住みやすそうだった。  子供が2人いる全盲夫婦共稼ぎのタパ家には、昼間は高校で学ぶ住み込みのメイドさんがおり、出稼ぎに来ていた親戚の方も寄宿しており6人でにぎやかに暮らしていた。  記録を調べてみると、私が海外で視覚障害者のアテンドをしたのは2000年が最後であった。それまでは毎年のように介助していたのに、今回はなんと13年ぶりのことである。  当時から欧米では、障害者が飛行機に搭乗するに際しては様々な配慮があったが、少なくともネパールでは、2000年まではまったくその気配さえ感じなかった。  ところが、今回はこちらが戸惑うほどの手厚い配慮があり、驚くと共に感激した。  その具体的内容は、@空港職員がチェックインカウンターに案内してくれた。A同行者である私の分も含めて出国カードを書いてくれた。B列に並ばなくても出国審査をしてくれた。C手荷物検査とボディーチェックも優先的に行ってくれた。  過去に、私はこの空港でビザ代を二重に取られそうになったり、賄賂を要求されたり、法外なチップをねだられたりした苦い経験がある。このため空港職員の親切に対しても、今から思えば汗顔の至りだが、実は根強い猜疑心を持って接したのだった。だがそれはまったくの杞憂で、手慣れた感じで、先のサービスが気持ちよく行われた。しかも、入国審査官に指図できるような高い地位にある人がである。  このようにネパールで障害者に対する扱いが劇的に変わったのは、2006年に国連総会で採択された障害者権利条約と、それにいたるまでの2001年からの障害者権利条約特別委員会等の国際的な動きが影響してのことだろうと思われた。北に中国、南にインドという大国に挟まれたネパールは、日本よりもはるかに強く国連中心主義を打ち出している国なのである。  私はネパールと25年間つきあってきたが、人権や障害者福祉等に関しては、まだかなり遅れていると思いこんでいたが、内実はドラスティックに変わっていたのかも知れない?  国連がイニシアティブをとる事項などについて、ある意味では、開発途上国の方が、日本などよりはるかに軽やかに対応しているが、この身軽さが仇になることだってある。  障害者権利条約へのわが国の批准を国際連合事務局が承認したのは今年(2014)1月20日付で、世界138ヶ国目であった。わが国の批准が遅れたのは、「拙速な批准よりも、国内法の整備を優先すべきだ」との障害当事者団体の意見を踏まえ、関係法の整備を進めてきたからである。  一方、開発途上国を中心とした各国は、障害者権利条約を遵守することを端からあきらめ、いわば「努力目標」とでも考えているようである。そう考えるに足るあきれた例が彼の国にはある。  ネパールは1982年に障害者保護福祉法を制定したが、この法律を実施するための施行規則が制定されたのは、なんとそれから12年後の1994年である。しかも、それでも実施されないので障害当事者が訴え、最高裁は2005年に、「障害者保護福祉法の施行から22年以上経過しているにもかかわらず、裁量権の著しい逸脱があった」ことを認定している。  このように法律ができても、実際には予算措置が伴わなければ、絵に描いた餅になるのは、仕方ないでは済まされないが、現実なのである。  そういう意味では、特別な予算を伴わないものであれば、比較的簡単に実施されるということがいえるかも知れない。空港の親切な対応もあるいはそれかも知れない。  予算も伴わず、外国人にもネパールの空港がいかに障害者に開かれているか大いにアピールできるからである。もちろん、だからといってこの空港の素晴らしいサービスをけなすつもりは毛頭無い。このような積み重ねがあって、障害者福祉は、少しずつ前進すると信じるからである。  いずれにしろ、アテンダントとしてではあるが、障害者権利条約のありがたみを、はるか雲海の上でしみじみと実感した年の初めであった。 ●SLCの呪縛  これまでもSLC(School Leaving Certification:学校教育修了国家試験)についてはたびたび触れてきたが、その重要性については、まだまだ言葉をつくしていなかったように思う。  ネパールの初等中等教育は、従来、小学5年、中学3年、高校2年の10年間で、日本のような義務教育制度は無い。ネパールの10学年修了は、学齢的には日本の高校1年修了に相当するが、歴史的には高等学校教育修了とみなされ、SLCの受験資格が得られる。  このSLC試験は、全国一斉に統一問題で実施され、高校卒業認定試験と日本の高校2・3年に相当するプラス2カレッジと呼ばれる中等教育最期の学校への入学試験を兼ねている。  カレッジという呼称は、日本の高校2・3年に相当する教育が、以前は大学教育で行われていたことの名残である。  SLC試験は、施設・設備、教員等、教育諸条件が不十分な地方の公立校の生徒にとっては、合格率20%の狭き門で、実際にアイアンゲート(鉄の門)と言われている。一方、私立校は70%以上の合格率で、合格が当たり前になる。  SLCは現在8科目で行われ、最低合格ラインは1科目32点以上で、全ての科目で合格ライン以上であれば、10年課程の高校卒業が認定されるが、SLCの合格者は、ディビジョン(Division)と呼ばれる8科目の平均正答率で評価される。そのランクとその基準は以下のとおりである。  S(Distinction):80%以上  A(First Division):60%以上  B(Second Division):45%以上  C(Third Division):32%以上、である。  得点が上位の者からプラス2カレッジの希望の学科に優先的に入れる。たとえば、科学や工学コースはS、数学や英語コースはA以上という具合で、理科系がエリートコースというのは、インド等にも共通したお国柄である。  日本では大学入試の際に高校の成績が考慮されることはあるにしても、中学校の成績が求められることはない。しかし、ネパールでは大学進学の際には、プラス2カレッジの修了試験の成績と共に、SLCの成績も提出しなければならないのである。  そればかりか、ちょっと日本では考えられないが、SLCの成績はその後の大学院の試験とか、公務員採用試験や企業の就職にまで影響するのである。 ●2013年度事業報告(平成25年4月1日〜平成26年3月31日)  ネパール盲人福祉協会(NAWB)の点字教科書発行を中心とした教育事業に対し、教科書や点字雑誌作成用の点字用紙や点字製本用材料等を提供して、事業継続のための側面的支援を行った。  当協会がネパールで実施する事業に対して支援者から寄せられた各200万円を基に運用している安達禮雄育英基金、正雄育英基金、順子女子育英基金の3基金の運用益により、ネパール全土の統合教育校9校、合計19人の視覚障害児童・生徒に就学の機会を提供するため奨学金を給付した。この奨学金は給付児童・生徒の衣食住もカバーしている。  上記事業の管理等を行うため、2013年12月19日〜2014年1月1日の日程で福山博事務局長がネパールに出張した。  今回も元NAWB事務局長ホーム・ナット・アルヤール氏にボランティアで協力してもらい、遅滞なく事業を進めることができた。  国内活動では、福山事務局長が「障害分野NGO連絡会(JANNET)」の幹事として、障害分野における国際協力・交流事業に参画した。2013年は創立20周年の節目にあたるため、10月27日、東京市ヶ谷のJICA地球ひろば国際会議場において、JANNET創立20周年を記念した研究会とレセプションが行われたので参加した。  事業報告集である『愛の光通信』を2013年7月(夏号・通巻40号)と2013年12月(冬号・通巻41号)を発行した。 ●2014年度事業計画(平成26年4月1日〜平成27年3月31日) 1.育英基金事業  安達禮雄基金と正雄育英基金は小学1〜10年課程の男女の視覚障害児童・生徒を対象に、順子女子育英基金は小学1〜10年課程の女子の視覚障害児童・生徒を対象とした奨学金である。これらは寄付者、ネパール盲人福祉協会(NAWB)、当協会の3者が覚書を交換し、ネパール政府社会福祉協議会(SWC)に届け出ている事業である。この3事業が覚書に添って、滞りなく実施されるようモニターする。 2.フォローアップ事業  NAWBの点字教科書発行を中心とした事業に対して、フォローアップのための側面的支援を実施する。これは、当協会が長年実施してきた事業が無に帰さないように、平成16年度から継続して実施している事業である。 3.国内事業  広報・募金活動は、NAWBから事業報告等が提出されることを条件に、『愛の光通信』を年2回発行し、例年通り実施する。  日本障害者リハビリテーション協会に事務所を置く障害分野NGO連絡会(JANNET)の一員として、障害分野の国際協力を行う他施設・団体と情報交換・交流を深める。 ●(写真)タライの濃霧  タライ平野は12月になると濃霧に沈む。インドの発展と共に近年益々その頻度が増し、悪化している。昼前だというのにご覧の通り。 ●クリシュナ基金から 4人の成長を実感したクリスマス 東京へレン・ケラー協会前理事長/藤元節 【協会有志等によるクリシュナ基金は、突然死したネパール人CBR現地スタッフの遺児3名に対して、10年課程+αの教育を支援する事業です。】  昨年の暮れ、福山博海外盲人交流事業事務局長のネパール定期訪問に便乗し、3年ぶりにクリシュナ4きょうだいに会うことが出来ました。  今回もカトマンズから車でしたが、これまでと違い、途中で孤児院の三女、アーラティを拾って、3きょうだいの居るブライト・ランド校に届けました。ホーム・ナット・アルヤールNAWB前事務局長の話では「3人と一緒に同じ屋根の下で勉強させたら」という同校の校長のすすめで、3泊4日の体験入学をしたのでした。  クリスマスイブに空路駆けつけたホーム・ナットさんと地元のNAWBバラ支部役員のヤダブさんも合流して、きょうだい揃ってお決まりの買い物のあとホテル「モーテル・アボカド&オーキッド・リゾト」入り。  翌朝、食卓につくと、私たちは、きょうだいから「メリー・クリスマス」の声に続いて、マリーゴールドの花を一輪ずつ手渡されました。続いて、4人合作のクリスマスカードも。  朝食が終わると、アーラティ(12歳・4年生) は、ヤダブさんと車に乗り込み、「バイ」の一言を残して、走り去りました。  前回、泣き叫んで孤児院に帰るのを嫌がった、あの子が・・・。  カメラに収まった長女のアルチャナ(17歳・9年生)はしっかりした娘に、ローシャン(15歳・9年生)は長男らしい風格と落ち着きを見せる少年に、次女のプジャ(14歳・5年生)は伸びのびと明るい少女に育っていました。  上の2人には来年3月、SLC(10年課程の学校教育修了国家試験)が待っています。1日1教科3時間ずつ8教科のハードな試験、受かれば教員への道が開けます。  校長は「2人とも成績が良いので、問題ない」と太鼓判を押しましたが、福山さんは「ベストを尽くさないと」と檄を飛ばしていました。  私は福山さんが、両親に先立たれた4人の窮状を見て、支援の手を差しのべたいと訴えてきた9年前の夏の日のことを思い起こし、4人が学業を全うする日まで応援し続けたいとの思いを強くしたのでした。 (写真)孤児院に帰るアーラティ ●平成25(2013)年度資金収支計算書 (自)平成25年4月1日  (至)平成26年3月31日  【社会福祉法人の会計基準が、平成24年4月1日から変わりました。ただし、平成27年3月31日(平成26年度決算)までの間は、従来の会計処理によることができます。  当法人は平成25年度決算から新たな社会福祉法人会計基準に移行しました。  このため、会計報告書の記載方法が、昨年度までと異なっておりますので、その点ご了承ください。】     (収入)  以下、勘定科目、予算(A)、決算(B)、差異(A)−(B)の順。単位は円です。 経常経費寄附金収入:1,080,000、1,101,654、△21,654。   経常経費寄附金収入:1,080,000、1,101,654、△21,654。 受取利息配当金収入:1,000、155、845。   受取利息配当金収入:1,000、155、845。 その他の収入:0、0、0。   雑収入:0、0、0。 事業活動収入計(1):1,081,000、1,101,809、△20,809。 (支出)  以下、勘定科目、予算(A)、決算(B)、差異(A)−(B)の順。単位は円です。 人件費支出:120,000、120,000、0。   職員給料支出:120,000、120,000、0。 事業費支出:555,000、554,538、462。   海外援護費支出:300,000、300,000、0。   海外出張費支出:255,000、254,538、462。 事務費支出:214,000、213,740、260。   旅費交通費支出:0、0、0。   事務消耗品費支出:0、0、0。   印刷製本費支出:99,000、98,700、300。   通信運搬費支出:48,000、48,810、△810。   手数料支出:22,000、21,230、770。   諸会費支出:45,000、45,000、0。   雑支出:0、0、0。 事業活動支出計(2):889,000、888,278、722。 事業活動資金収支差額(3=1−2):192,000、213,531、△21,531。 当期資金収支差額合計(4):192,000、213,531、△21,531。 前期末支払資金残高(5):2,548,644、2,548,644、0。 当期末支払資金残高(4+5):2,740,644、2,762,175、△21,531。 ●海外交流事業記録(2013/4〜2014/3)  2013年4月:『JANNET加盟施設紹介 2012』(電子版)修正・編集  4月3日:NGOと企業の連携推進ネットワーク定例会(早稲田奉仕園)  4月24日:アジア太平洋CBR会議準備のための作業グループ会議(戸山サンライズ)  5月22日:IAVI(国際視覚障害者援護協会)評議員会(船橋記念会館)  5月25日:JANNET役員会・総会(戸山サンライズ)  7月:『light of Love(愛の光通信)』No.40発行  9月23日:アジア太平洋CBR会議作業グループ会合(戸山サンライズ)  10月1日:JANNET役員会・総会(戸山サンライズ)  10月27日:JANNET研究会・創立20周年記念レセプション(JICA地球ひろば国際会議場)  12月:『light of Love(愛の光通信)』No.41発行  12月19日〜2014年1月1日:ネパール出張(福山)  2月26日:IAVIで懇談会(船橋記念会館)  3月8日:IAVIで福山事務局長「ネパールの視覚障害者その現状と課題」をテーマに講演(船橋記念会館)  3月25日:JANNET役員会・総会(戸山サンライズ)  3月27日:IAVI評議員会(船橋記念会館) ●寄付者ご芳名(五十音順・敬称略)平成25年4月1日〜平成26年3月31日 温かいご支援ありがとうございました!  (個人)  青木貞子、芦田賀寿夫、在田一則、安藤生、石田隆雄、一幡良利、植竹清孝、上野伊律子、上村小夜子、遠藤利三、大島秀夫、大橋東洋彦、大橋由昌、岡本好司、小野塚耕吉、貝元利江、苅安達男、勝山良三、加藤和広、金田敏子、川島玉子、川尻哲夫、菊井維正、小泉周二、古賀副武、小島亮、 後藤晴子、小長谷正夫、小林明子、小森愛子、近藤光枝、斎藤惇生、酒井久江、坂口廣光、坂齊勝男、佐々木信、佐藤達夫、志村洋、 鈴木俊勝、鈴木洋子、染矢朝子、高橋恵子、高橋秀治、竹脇美帆子、田中徹二、田中正和、田村和凡、照井タカ子、当津順子、当山啓、長岡英司、中嶋千代志、野口三男、野津虎雄、野中省三、橋本時代、林紘子、 原田美男、富久縞博、藤芳衛、本間昭雄、間下勉、増野幸子、松井繁、松浦健三、松下信雄、三宅正太郎、宮下浩子、森栄司、 森山朝正、横大路俊久、渡辺勇喜三  (団体等)  有限会社大本印刷、岐阜県立岐阜盲学校高等部生徒会、小林動物病院、シャンバロー芸能事務所・白井雅人、有限会社信和ハウス、ネパール料理エベレストキッチン、公益財団法人毎日新聞東京社会事業団 ●共同水道の1日  今から500年ほど前、カトマンズ盆地に栄えたマッラ王朝時代に作られ、改修を重ねて今でも利用され続けているカトマンズの共同水道(ドゥンゲ・ダーラ)は、地上から深さ8mほど掘り下げた水場まで階段を下りていく。  いわゆる家庭用の水道は2日に1時間程度の時間給水が恒常化しているうえ、その多くが飲料に適さない水質だ。しかし、年代物のこの湧き水は飲めるので、住民が真鍮製の壺やポリタンクに入れて次々と持ち帰っていた。  この共同水道は、自然に湧出した水が24時間流れており、いつも誰かが水を汲んでいる。石造りの蛇口からは新鮮な水が激しく出ているが、生きている蛇口は1つだけで、他の蛇口は閉鎖されていた。  未明、まだ薄暗い共同水道に人の気配がして、歯を磨き、顔を洗う人々で賑わう。その合間を縫って水汲みも続き、洗面が終わると午前中は洗濯をしながらの井戸端会議が続く。そして、午後はサリーを着たままの沐浴である。その間も、水汲みは途切れることなく、順番を待つポリタンクが並ぶ。  深夜、この共同水道をのぞいてみると、やはり人々が水汲みの順番を待っていた。おそらく、この水場は24時間途絶えることがない。 ●耕して天にのぼる  日本にも棚田はある。しかし、ネパールのそれは、急斜面に幅1mもないようなものまであり、その広がりと規模に圧倒される。「ここまで耕さなくとも」と驚嘆するほどの徹底ぶりなのである。  美しい棚田を見て、気の遠くなるような時間を要して造成したその人々の営みにあきれると共に、そこまでしなければ生きられない、丘陵の民の厳しい生活を思わずにはおられない。 ●たこ焼きレストラン  昨年(2013)の8月9日、カトマンズに「たこ焼きレストラン」が開業しました。その名は「小春」。たこ焼きは6個約150円で、東京の縁日で食べるものより格段に美味しいのでびっくり。それもそのはずで、オーナーは大阪人だということでした。他にお好み焼きと手打ちうどんがお勧めとのこと。鶏肉嫌いの藤元さんが、トリの水炊きを美味しいといって食べていたのにもびっくり。 ●募金のお願い  ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150-5-91688 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号に掲げる社会福祉法人です。当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号及び租税特別措置法第41条の18の3、法人税法第37条第1項及び第4項の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記  在日ネパール国大使館のホームページがリニューアルされ、その中に「旅行者の方にお願いです」という下記一文があり、「海外アテンドで考えたこと」と共通する、変わりつつあるネパールを感じました。▼<宿泊するホテル、トレッキングスタッフが灯油・ガス・電気を使用しているかを確認してください。トレッキングの際に出たゴミ・トイレ等、確実に処理をされているかを確認してください。動植物、宗教的・歴史的文化遺産などの採取や傷をつける行為など十分に注意をお願いします。写真を撮る際は、地域住民の気持ちを尊重し一声かける様お願いします。▼観光客目当てに金品を乞う人がいますが、相手にしないよう注意して下さい>(H・F) 発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4 TEL : 03-3200-1310 FAX : 03-3200-2582 http://www.thka.jp/ E-mail: XLY06755@nifty.com  ※迷惑メールが増えています。当協会宛のメールには、適切な「件名」をお書き添えください。