愛の光通信    2013年夏号通巻40号 2013.7    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321 東京ヘレン・ケラー協会海外盲人交流事業事務局 (写真)カトマンズのカンケッソリ校で、小学2年生のクラスの一番前でノートを取る弱視児のマニシャさん。机に顔を近づける独特の姿勢は万国共通である(2ページに関連記事)。  当協会が支援する統合教育校は、小学校1年から後期中等教育までの12年制一貫教育校がほとんどだが、この学校は8年制である。ちなみにネパールの教育課程では、小学校は5年制、中学校は3年制である。 ●ニューフェイス 新奨学生の紹介 海外盲人交流事業事務局長/福山博     小さな学校にて  12月21日午前10時、宿舎に迎えにきたNAWBの車に乗っていた人物は予定とは違っていた。 「プラカシュは体調が悪いので、僕が代わりに案内します」と、ちょっと小太りのラトナカジ・ダンゴル氏は言った。  カトマンズ市内を車で15分ほど行くと5階建てのアパートのような建物に着いた。カンケッソリ校は生徒数360人に対して教員は15人という学校で、幼稚園児から8年生までが学んでいた。12年課程で生徒数1,000人以上という統合教育校が多い中では小規模校だ。校庭さえないような学校だが、何より教室が清潔に保たれ、校長はちっとも偉ぶったところがなくフレンドリーだった。  ワールドビジョン香港というNGOの支援で新校舎を建設する計画があると聞いたが、実現を切に願いたいものである。  奨学金対象者は、分厚いガラスのメガネをかけたマニシャ・ギリという名前の7歳の女児であった。  突然、校長室に呼ばれて緊張していた強度弱視(ロービジョン)の彼女だったが、その後の教室では実にイキイキと輝いていた。     23年ぶりの訪問  次に訪れたのは、カトマンズに隣接するネワール人の町キルティプルにある「ラボラトリー・ハイスクール」という名称で有名な国立のエリート校である。「広大な公園の中にある学校」というコンセプトで、米国の支援で建設された名門校である。  同校を私は1989年に一度訪れたことがあり、実に23年ぶりの訪問でとても懐かしかった。  同校は現在、運営を民間にゆだねており、同校の運営委員長は本誌前号の4ページで紹介したウメッシュ・シュレスタ氏(ネパール高等学校協会会長)である。  奨学金対象者は、9年生の強度弱視で点字使用者のジャラシャ・サプコタという名前の15歳の少女だった。とても英語が堪能で学校の成績も優秀であると校長やリソース・ティーチャーから聞いた。それもそのはずで、彼女の父親は国立トリブバン大学中央英語学部准教授であった。しかし、これは逆に言えば後述するように重大な問題である。     繁華街の学校  バスターミナルに面した繁華街にナムナ・マチェンドラ校はあった。公立校の中では比較的設備の整った伝統校で、案内してくれたNAWB職員ラトナカジ氏の母校ということで説明にも力が入った。  同校にはなんと35人の視覚障害児童・生徒が在籍しており、ちょっと驚いた。  NAWBの基本方針として、統合教育校の児童・生徒数は最大20人までにすると聞いていたからである。しかし、視覚障害児を持つ親としては実績のある学校に入学させたいのが親心である。公立校の中でも、教育環境や教員の歴然とした格差があるので、この方針は一律に徹底できないようだ。  奨学金対象者は、1年生の点字使用者で、ルパ・タマンという名前の8歳の女児であった。ダンスが得意だと聞いたが、遠来の客を前に、終始恥ずかしそうにしていた。  一方、同校の校長は会うなり日本語で「こんにちは」と言って破顔一笑した。そして一生懸命日本語を探す風であったが、ついにまとまった日本語は出てこなかった。一昔前に群馬県高崎市のプラスチック成形工場で1年間働いていたことがあり、それから日本語を使う機会がなかったので、すっかりさび付いてしまったと嘆いていた。     NAWBにて  12月21日、3つの学校を訪問して遅い昼食を済ませた後、午後4時からNAWBで会議を開いた。費用の精算など事務処理の後、大学准教授の子弟への奨学金提供の件で議論が行われた。  これらの奨学金は明文化されていないが、そもそも「貧しさゆえに就学できない視覚障害児」を対象に設立されたものである。ところが、できるだけ困窮している家庭の子弟をという思いが空回りする事件が起きた。昨年バスビッティ校に通っていた子供達5人のうち4人が一斉に中退したのだ。この問題に対して同校は少なくとも2人の視覚障害児はすぐにも補充できると確約した。しかし先延ばしされた挙げ句、結局、同校からは1人も推薦が無かった。  そこで次善の策として昨年の3月にNAWBが他の学校から推薦を受けた。その中にジャラシャ・サプコタもいた。「学生調査票」(Student's Personal Data Sheet)では、彼女の家族は両親と弟に本人の4人家族。父親の仕事は農民となっており、年収は6万ルピーと書いてあった。しかし、彼女の父親は大学の准教授でありこれは明らかな間違いだった。なぜ、比較的裕福な家族の子弟に奨学金を出したのか、その理由をクマール・タパ会長は次のように語った。  彼女の父親ジブラル・サプコタ准教授の月収は2万ルピーで年収は26万ルピーである。しかし、彼自身弱視で、彼には一男一女の子供がいるが共に視覚障害児で点字使用者だ。その教育費に毎月1万8,000ルピーかかっているので、それを差し引くと年収は4万4,000ルピーにしかならず、アルバイトをしているが家計は火の車だ。同じ視覚障害者というよしみで、彼の娘にも他の奨学生同様毎月1,500ルピーの奨学金を出すことにしたというのだ。  手続き上に大きな瑕疵があったことは事実だが、それをつまびらかにして、奨学金の返還を求めたらサプコタ家は一層苦況に陥ることは間違いない。  そこで、とてもネパール的だが、当方も事後承認するしかなかった。  ところで「学生調査票」の記載が、どこで間違ったのかは、結局判然としなかった。  ネパールの公用語はネパール語である。したがってこの調査票も原票はネパール語で書かれている。それをNAWBが英語に翻訳するのだが、文書記入時の確認やその後の校正、翻訳のいずれかの段階で間違いが発生したのである。     間違い探しと知ったかぶり  現地調査にはこの間違い探しという側面もある。今回も「調査票」に12年制の高校と記載されていたが、実際には8年制の中学校だった。これなどは英訳時の誤訳だろうが、精査しないで安易に書き過ぎるのだ。ラボラトリー・ハイスクールの校長室がある管理棟の2階が貯水槽そっくりだったので、私は同行のラトナカジ氏にその旨言ったら、「それは違う、ただの建物だ」と即答されてしまった。  同校の校長はシェルパという名字で、山岳ガイドとして有名な民族である。ロッジ経営や通訳など観光全般を生業にしている人が多いので教師というのは意外だった。しかし、シェルパ族は一般のネパール人よりも高収入の人が多く、当然、高学歴であるからこれは当然のことである。  学校も23年前とは随分変わったからと、校長に案内してもらう道すがら、私が管理棟の2階を指さして聞くと、校長はすかさず「ウォーター・タンク」と言った。やはり貯水槽だったのだ。  こういうことはよくことで、「あなたのご意見はよくわかりました。それでは彼の説明もちょっと聞いてみましょう」と言うのが、NAWBの同行者に私が言う、いわば口癖のようになってしまった。 ●ネパールと私とのつながり 都立八王子盲学校教諭/小島純子  29歳で全盲の私は、小学生のころからネパールという国に興味を持ち、これまでに4回訪問し、ネパールは今や私にとって第2の故郷です。そこまで好きになったきっかけは1人の友人との出会いにあります。  私が小学5年生のとき、日本の鍼灸を学ぶため、ネパールからジャヌカ・プラサイさんという女性が専攻科に入ってきました。彼女は私が初めて身近で出会う外国人であり、初めて出会う大人の全盲女性でした。その当時、八王子盲学校で学んでいる幼児、児童、生徒をすべて合わせても90人足らずでした。また幼稚部から高等部普通科までは視覚障害のほかに知的障害などを合わせ持っている子供たちも多く、視覚障害のみは全体の半分弱で、その中でも全盲生は各学部に2人いるかどうかでした。しかも、専攻科で学ぶ寄宿生は少なく、学校生活で全盲の女性と交流する機会はほとんどなかったのです。  おしゃれで心が温かくて教養がある彼女は、私のあこがれでした。盲学校の寄宿舎で私たちは一緒に食事をしたりお風呂に入ったり、歌を歌ったりまるで姉妹のようにすごしました。とくに彼女がネパールの歌謡曲を歌ってくれたりカセットを聴かせてくれたりするのが何より楽しみでした。当時はまったくネパール語がわかりませんでしたが、何度も歌を聴くうちに歌詞を覚えてしまうほどでした。  数年経って私が中学2年生のときに彼女は帰国しました。私も高校に進学して部活や友達付き合いが楽しくなりネパールのことはすっかり忘れました。  ところが21歳のある日、安くておしゃれな小物を探してインターネットのショッピングモールをさまよっていたら、偶然ネパール雑貨のオンラインショップで歌謡曲のCDが売られているのを見つけ、ネパール熱が再発したのです。以前よりインターネットが発達して容易に情報が得られるようになっていたのでうれしくなり、次から次へと検索してネパールの音楽についてたくさんの事を調べました。東京で行われたネパール音楽のイベントにもいくつも行きました。そのイベントのひとつで、たまたま出会った人からネパール語を習える教室を紹介してもらいました。小学生のころからずっと習いたかったネパール語。それはもう夢中になりました。  当時学生でお金がなかったので、先生にマッサージをして月謝代わりにしてもらいました。どんどん単語を覚えて話せるようになるのがうれしくて、いろいろなイベントに出かけていっては、ネパール人の友達をつくりました。メールをしたりネパールのインターネットラジオを聴いたりしているうちに今度はどうしてもネパールに行きたくなりました。  2008年の夏、初めてのネパール旅行をしました。現地での移動などで協力してもらったネパールの視覚障害者団体を通して、懐かしいプラサイさんと10年ぶりに再会しました。この間に彼女は結婚して、やはり全盲で大学講師をしているダンナさんと、娘さんと息子さんが1人ずつおり、カトマンズの郊外で4人で楽しく暮らしていました。彼女の家で、ダンナさんや子供たちとも片言のネパール語でコミュニケーションをとり、ゲームをしたり歌を歌ったり料理をして、久しぶりに姉妹のように楽しく過ごしました。  それ以来、私は毎年のようにプラサイさんの家にお世話になっています。彼女の家でのコミュニケーションもどんどん広がっています。ついに昨年末、8日間すべて彼女の家に泊まり、100%ネパール語だけで会話をしました。ほかにもネパールに行くたびに友達を増やし、交友の輪を広げています。  今も語学学校に定期的に通って、ネパール人の講師とすべてネパール語で会話しながら新しい単語や表現をどんどん学んでいます。毎晩寝る前に15分間ネパール語で1人でスピーチをし、ネパールのラジオを欠かさず聴いたり、話す力や聴く力を伸ばすようにしています。今ではネパールやネパール語を抜きに私の生活は考えられません。  もし私の目が見えていて、家庭環境に恵まれていたなら盲学校や寄宿舎に入ることはなく、子供時代にネパール人と親しくなる機会もなかったでしょう。もし私が自由に外を歩いて買い物ができたなら、あのオンラインショッピングモールにアクセスすることはなかったでしょうし、ネパールのことを再び思い出すこともなかったかもしれません。そうして考えると、これまでのいろいろなことは偶然ではないように思えます。  ですから私は、これまで学んできたネパール語の知識とネパールで築いてきたネットワークを活かして、プラサイさんをはじめとするネパールで暮らす視覚障害を持った仲間のために少しでも何か役に立ちたいと思います。具体的な計画はありませんが、私の専門は按摩マッサージ指圧、鍼、灸なのでそれを生かしてネパールの視覚障害者の職業教育に関われたらいいなと思っています。  最後になりましたが、読者のみなさんも自然が豊かで人のやさしいネパールへ1度は訪れてみてください。そして「ナマステ」と挨拶して温かい心を通わせてください。 (『点字ジャーナル』2013年4月号より抜粋) ●活躍するOBたち  私たちがネパールで支援する教育事業は、日本の高校1年修了に相当する10年課程までである。順調に就学できたなら、この時期がちょうど男性の成長期にあたるので、その後、数年間会っていないとすっかり見違えることがある。  彼ビマル・ポーデル君(写真中央の皮ジャンを着た恰幅のいい若者)もその一人である。彼は親しげに私に話しかけてくるのだが、私はまったく見覚えがなかった。そこで、失礼を承知で名前を聞くとピンときた。  日本でも例があるが、突然、飛び抜けて優秀な生徒が集まるクラスが出てくることがある。偶然優秀な人材が集まったのか、生徒同士が刺激し合い切磋琢磨して優秀な人材に育つのかは判然としない。ルパンディヒ郡シャンティ校の彼のクラスもそのような飛び抜けて優秀なクラスであった。  なにしろ40数人のクラスに視覚障害生徒が6人おり、いつも首席から3番までの成績は常に視覚障害生徒が占めていたのだ。しかもビマル君より2歳上の同級生で弱視のラビ・ラル・ポーデル君が常に首席で、次席が彼だった。名字が同じなので、とても印象深く記憶に残っているのだ。  ビマル君によるとラビ君はカトマンズの大学に進学し大学院の修士課程に在籍しているそうだ。ビマル君も地元の大学院修士課程に通いながら、視覚障害者の当事者団体であるネパール盲人協会(NAB)ルパンディヒ支部役員として活躍している。  同支部はノルウェー視覚障害者協会(NABP)の支援を受けて、リハビリテーションプログラムを実施しており、弱視の女性を雇用して線香工場を独自に運営していた。ただ、販路拡大に手こずっており、試行錯誤ではあるらしい。それはともかく、障害当事者同士集まり、お互いの置かれた立場を語り合い、慰め、励まし合っていることは確かなようだ。  当協会の関与しない事業だが、私たちが支援した生徒が成長して、同胞を手助けしている姿は心温まるものであった。 ●2012年度事業報告(平成24年4月1日〜平成25年3月31日)  昨年創立25周年を迎えたネパール盲人福祉協会(NAWB)は、創立以来世界盲人連合(WBU)に加盟しているが、いまだに1回も総会に代表を派遣したことがなかった。  昨年開催された第8回総会は、はじめてアジアで開催された。そこで、開催地のタイ・バンコクはネパールから近いということで、NAWBの要請に応えてクマール・タパ会長(全盲)の6泊分の宿泊費を特別に負担した。なお、交通費はドイツのNGOが提供した。  NAWBの点字教科書発行を中心とした教育事業に対して、教科書や点字雑誌作成用点字プリンター用紙や点字製本用材料等を提供して、事業継続のための側面的支援を行った。  当協会がネパールで実施する事業の支援者から寄せられた各200万円を基に、安達禮雄育英基金、正雄育英基金、順子女子育英基金の3基金による運用益により、ネパール全土の統合教育校10校、合計19人の視覚障害児童・生徒に就学の機会を提供するため衣食住をもカバーする奨学金を給付した。  上記事業の管理等を行うため、2012年12月19日〜2013年1月2日の日程で福山博事務局長がネパールに出張した。  本年も元NAWB事務事務局長のホーム・ナット・アルヤール氏にボランティアで協力してもらい、遅滞なく事業を進めることができた。  国内活動では、福山事務局長が「障害分野NGO連絡会(JANNET)」の幹事として、障害分野における国際協力・交流事業に参画した。  事業報告集である『愛の光通信』を2012年6月(夏号・通巻38号)と2013年1月(新春号・通巻39号)に発行した。  なお、NAWBの創立25周年記念式典で当協会に「感謝額」(Token of Appreciation)が贈られた。 ●2013年度事業計画(平成25年4月1日〜平成26年3月31日) 1.育英基金事業  安達禮雄基金と正雄育英基金は小学1〜10年課程の男女の視覚障害児童・生徒を対象に、順子女子育英基金は小学1〜10年課程の女子の視覚障害児童・生徒を対象とした奨学金である。これらは寄付者、ネパール盲人福祉協会(NAWB)、当協会の3者が覚書を交換し、ネパール政府社会福祉協議会(SWC)に届け出ている事業である。この3事業が覚書に添って、滞りなく実施されるようモニターする。 2.フォローアップ事業  NAWBの点字教科書発行を中心とした事業に対して、フォローアップのための側面的支援を実施する。これは、当協会が長年実施してきた事業が無に帰さないように、平成16年度から継続して実施している事業である。 3.国内事業  広報・募金活動は、NAWBから事業報告等が提出されることを条件に、『愛の光通信』を年2回発行し、例年通り実施する。  日本障害者リハビリテーション協会に事務所を置く、障害分野NGO連絡会(JANNET)の一員として、障害分野の国際協力を行う他施設・団体と情報交換・交流を深める。 ●(写真)街角の給水車  毎朝、契約しているレストランに水を供給する民間給水会社の車は、慢性的な水不足に悩むカトマンズならではの光景である。 ●クリシュナ基金から  当協会有志等によるクリシュナ基金(クリシュナ君遺児育英基金)は、突然死したネパール人現地スタッフのクリシュナ・ムキーヤ君の遺児3人に対して、115万円の基金をNAWB内に設けて教育支援を行う事業です。3人は現在、故郷であるインド国境沿いの農村部バラ郡カレイヤ町(標高100m)にある私立ブライト・ランド校で、寄宿生活しながら勉強しています。長女のアルチャナ・ムキーヤ(16歳)と長男のローシャン・ムキーヤ(14歳)はこの4月から共に9年生に、次女のプジャ・ムキーヤ(13歳)は5年生に進級しました。  彼らには11歳の妹、アーラティ・ムキーヤ(4年生)がおり、カレイヤ町からジープで3時間ほどかかる丘陵地域ビンフェディ(標高1300m)の孤児院「ビンフェディ児童ホーム」にあずけられています。  昨年(2012)12月23日はカレイヤ町から3人の子供が、末っ子のいる孤児院を訪問する年に1度の日でした。  孤児院には、スペインのバルセロナから来ていたボランティアがいました。このスペインのNGOの支援で、アーラティたちは私立学校で、他の兄弟と同等の恵まれた教育を受けているのです。  彼らの成長を見守るため私たちは毎年身長を測っており、今回、長女のアルチャナは151cm、長男のローシャンは162cm、次女のプジャは153cm、三女のアーラティは139.5cmでした。まだ幼い末っ子を除けば、ネパールの成人とそれほど遜色がないまでに着実に育ってきています。  アルチャナの8学年の最終成績は51.14%で、54人の学年中26番目の成績でした。ちょっと学業が低下傾向にあるので、当協会の現地ボランティアであるホーム・ナット・アルヤール氏が、ブライト・ランド校のオム・プラカシュ校長に電話をして、個別指導を依頼しました。ネパールでは10年課程の修了時に行われるSLC(学校教育修了国家試験)の成績(80%以上は「S」、60%〜は「A」、45%〜「B」、32%〜「C」)が進学や就職というその後の人生に常について回るので、我々もとても気を揉むのです。  ローシャンの8学年の最終成績は79.71%で、54人の学年中5番目の好成績でした。  プジャの4学年の最終成績は75.14%で、29人中4番目でした。ちなみに孤児院のダヤ・ラム・カンデル所長によれば、アーラティの3学年の成績は22人中10番でした。 ●平成24(2012)年度収支計算書 自 平成24年 4 月 1日 至 平成25年 3 月31日 (借方)  以下、科目、金額(円)の順。 事務費 355,305   賃金 120,000   旅費 0   通信費 73,545   消耗品費 4,410   印刷製本費 98,490   雑費 58,860 事業費 586,224   海外援護費 332,772   海外出張費 253,452   その他評価損 0  小計 941,529  当期繰越金 177,742  合計 1,119,271 (貸方)  以下、科目、金額(円)の順。 寄付金収入 1,118,606   助成金収入 300,000   募金収入 818,606   合計 1,119,271    雑収入 665   受取利息 665   その他の雑収入 0 ●貸借対照表  平成25年 3 月31日現在 (借方)  以下、科目、金額(円)の順。 流動資産 2,548,644   現金 17,078   預金 2,531,566   資産合計 2,548,644 (貸方)  以下、科目、金額(円)の順。 繰越金 2,548,644  前期繰越金 2,370,902   当期繰越金 177,742   純財産合計 2,548,644 ●海外交流事業記録(2012/4〜2013/3) 2012年4月2日:『JANNET加盟団体紹介2012』編集 5月19日:JANNET役員会・総会(新宿区障害者福祉センター) 5月29日:IAVI(国際視覚障害者援護協会)評議員会(船橋記念会館) 6月:『Light of Love(愛の光通信)』No.38発行 9月4日:ネパール盲人福祉協会(NAWB)25周年記念式典(ホーム・ナット・アルヤール氏が代理出席) 9月11日:JANNET役員会(戸山サンライズ) 9月23日:JANNET財務・組織委員会(戸山サンライズ) 10月7日:グローバルフェスタ(日比谷公園) 10月8日:来日したNAWB相談役ガジェンドラ・ シュレスタ氏から、NAWB創立25周年を記念した「感謝額」を受け取る 12月:『Light of Love(愛の光通信)』No.39発行 12月20日〜2013年1月2日:ネパール出張(福山) 1月8日:トリブバン大学サプコタ准教授(弱視者)が当協会を訪問 1月30日:NGOと企業の連携推進ネットワーク(早稲田奉仕園) 3月8日:JANNET役員会(戸山サンライズ) ●寄付者ご芳名(五十音順・敬称略)平成24年4月1日〜平成25年3月31日 温かいご支援ありがとうございました!  (個人) 青木貞子、青山マリ子、在田一則、安藤生、石田隆雄、石原幸栄、一幡良利、今泉新治、岩屋芳夫、植竹清孝、上野伊律子、上村小夜子、遠藤利三、大橋東洋彦、大橋由昌、岡本好司、落合夕子、小野塚耕吉、貝元利江、勝山良三、加藤和広、加藤万利子、金田敏子、苅安達男、川島玉子、川尻哲夫、菊井維正、木塚泰弘、木村ちづ子、黒見恵美子、小泉周二、古賀副武、小島亮、後藤晴子、小長谷正夫、小林明子、小森愛子、近藤光枝、斎藤惇生、酒井久江、坂口廣光、坂齊勝男、佐々木秀明、佐々木信、指田忠司、杉澤宏、鈴木洋子、須原ひとみ、染矢朝子、橋恵子、田中徹二、田中正和、谷内正史、田村和凡、照井タカ子、当津順子、当山啓、中尾照美、長岡英司、中嶋千代志、中村保信、奈良泰夫、野津虎雄、橋本時代、花田重信、林春枝、林紘子、原田美男、富久縞博、藤井悦子、前山博、間下勉、増野幸子、松浦健三、松村太郎、御本正、宮下浩子、茂木幹央、森栄司、森山朝正、横大路俊久、吉田重子、米田昌徳、渡辺勇喜三  (団体等) NTT東京福祉文化事業団、有限会社大本印刷、岐阜県立岐阜盲学校高等部生徒会、小林動物病院、ネパール料理「エベレストキッチン」、シャンバロー芸能事務所・白井雅人、有限会社信和ハウス、株式会社高垣商店、公益財団法人毎日新聞東京社会事業団 ●寄付者からのメッセージ  『愛の光通信』38号拝読しました。巻頭の「25年目の実り」、現今の若者は、手軽に感動という言辞を弄しますが、それとは異なる「感動」をもって読ませてもらいました。継続は力とはよくいわれます。正にその語にぴったりな中味です。  人の性格、能力はさまざまです。雑然と立つ木々、けやきやなら、杉、かえでや朴の木など雑多に茂って、冬の間は何ほどの木でもないと思うのに、春には芽吹き、夏はうっ蒼と茂った木立にかわります。  遠い昔、「価値ある男」(※)というメキシコ映画がありましたが、価値ある仕事の報告、梅雨のさ中の清涼剤です。(埼玉県川越市・前山博) (※)1961年制作のメキシコ映画で、監督はイスマエル・ロドリゲス。主人公のメキシコ人を日本人が演じるという奇抜なアイデアだが、1962年のゴールデングローブ賞の外国語映画部門でシルバーグローブを主演の三船敏郎は1961年に『価値ある男』と『用心棒』と併せてブルーリボン賞で主演男優賞を受賞した。受賞、同年のサンフランシスコ国際映画祭でベスト・フィルム部門でゴールデン・ゲート・アワードを受賞。 ●ネパールのお粥定食  カトマンズの三ツ星レストランで金髪碧眼の美女が、ライスだけをオーダーして、ゆっくり咀嚼しながら時間をかけて食べている姿を見て驚いたことがある。お腹を壊した末のことらしい。  日本国内の居酒屋のメニューにはお茶漬はあるが、お粥を供するところはまずない。しかし、カトマンズの日本料理店にはたいていある。そして、これに助けられた日本人は多いはずである。 ●お食い初め  会場が米国系の超高級ホテルなので、ネクタイを締めていくと、思った通りの大パーティ。NAWBの相談役ガジェンドラ・シュレスタ氏の愛娘の子供、つまりお孫さんが生後4ヶ月となり、「お食い初め」の儀式なのだ。  参加者は手に手にご祝儀袋を差し出している。封筒を探して列に並び、赤ちゃんのお母さんにお祝い金を差し出し「コングラチュレーションズ!」 ●募金のお願い  ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150-5-91688 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号に掲げる社会福祉法人です。当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号及び租税特別措置法第41条の18の3、法人税法第37条第1項及び第4項の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記  本年3月主要4政党は、キル・ラージ・レグミ最高裁長官を首班とする選挙管理内閣の下で制憲議会再選挙を6月に実施することで合意し選挙管理内閣が発足した。  しかし、当初から6月の選挙は無理といわれたとおり、この選挙は実現しなかった。  絶対できっこないことを約束したり、合意することにどのような意味があるのだろうか。誰に聞いてもわからない。  政府はこの6月に懸案の選挙を11月19日に実施すると決定したが、今度こそは実現して欲しいものである。  ネパールの庶民は、政府や政治家を100%信用していない。しかし、だからこそなのか、選挙には異常なほど熱くなる。もっとも一族郎党が家長の鶴の一声に従って投票するのだが。(H・F) ●発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4 TEL: 03-3200-1310 FAX: 03-3200-2582 http://www.thka.jp/ E-mail: XLY06755@nifty.com  ※ 迷惑メールが増えています。当協会宛のメールには、適切な「件名」をお書き添えください。