愛の光通信    2013年新春号通巻39号 2013.1    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 (写真)NAWB(ネパール盲人福祉協会)創設25周年記念式典が、9月4日(火)、ネパール連邦民主共和国副大統領公邸で開催されました。前列右端のパラマーナンダ・ジャー副大統領から、「感謝額」を受け取る当協会・現地ボランティアのホーム・ナット・アルヤール氏(元NAWB事務局長)。前列左端は表彰委員会のコーディネーターで、元NAWB会長のカマル・ルパケティ氏 ●NAWB25周年記念式典に参加して Silver Jubilee and 25th General Assembly of NAWB 日本福祉大学教授/野崎泰志 ◆記念式典  本年(2012年)9月4日(火)、ネパール盲人福祉協会(NAWB)25周年記念式典が、ネパール連邦共和国副大統領公邸で執り行われた。  ジャー副大統領以下、国家計画コミッション、教育省、女性・児童・社会福祉省の代表が来賓として招かれ、NAWB2代目会長のウパディヤ教授(眼科医)と現会長のタパさん(全盲、トリブバン大学講師)がホスト役で壇上に並び、会場には300人余の人々が詰めかけ、各テレビ局やメディアが押し掛けた。  私も「是非、出席せよ!」とのNAWBの要請で、前日に到着し、翌日に帰国というタイトスケジュールで参加した。 ◆東京ヘレンケラー協会と私  私自身は、1985年12月に最初の現地調査団として、田中徹二さん(現・日本点字図書館理事長)のお供をして、東京ヘレン・ケラー協会海外盲人援護事業(現・海外盲人交流事業)の職員として最初にネパールを訪問した。それ以来、別のNGO(アジア眼科医療協力会)の代表としてネパールへ赴任するまでの5年間、協会のネパール支援事業の草創期に携わった。この『愛の光通信』の読者の皆様のご厚志を活かすべく、幾つかのプロジェクトの立ち上げに関わらせていただいた。  それがご縁で、その後も長くネパールで活動することとなり、今は、国際開発の専門家として大学で教えている。私が今在るのは、この協会で育てていただいたからでもあり、ネパールが私を育ててくれたともいえ、人生に行き詰まってこの協会に拾っていただいた者としては、どれだけ感謝してもしきれない思いで一杯である。 ◆点字印刷所  国際協力というのは物資を送るだけではない。そのことを私たちは最初の点字印刷所プロジェクトから学んだ。最初の調査の後、大きな全国セミナーをカトマンズで開催して決められたのが点字印刷所開設だった。  当時、統合教育校が4つ程度、盲学校が1つあったが、どこへ行っても教科書は教師がパーキンス・ブレーラーという点字タイプライターを使って手作りで、3人に1冊程度の充足率だった。  先方にない技術は移転しなければならない。私たちはまず製版機のオペレーターの養成から始めた。ネパール人職員を1人呼び、3ヶ月間、製版機メーカーの(株)仲村点字器製作所を初め協会の各部門の現場に入ってもらって、製本作業も含めて徹底的に教えた。  こうして最初の機材2.5トンを船便で送り設置した。その後、全ての児童・生徒に全ての教科の教科書が1人に1冊ずつ配布されるようになった。  点字用紙はユニセフからの寄付でまかなった。それから20年以上経ち、今では視覚障害の教師が全国で約400人教壇に立っている。以前は視覚障害児の夢は歌手になってラジオネパールで歌うことだったが、今では教師が夢となっている。 ◆地域に根ざしたリハビリテーション  その後、NAWBの要望で「地域に根ざしたリハビリテーション(CBR)」を始めることになった。これは一言で言うと、それぞれの地域社会で生活していける方法を、家族や近隣の人々の理解の下に開発していくプロジェクトであり、1979年にWHOが最初の「CBRマニュアル」を出して以来、世界で実施されることが増えた。  ネパールでも当時は2つか3つ程度のCBRプロジェクトが先行して実施されていたが、本格的にタライ平野のバラ郡で開始したものである。最初は私もまったく予備知識がなく試行錯誤だったが、何とか軌道に乗った。後で分かるのだが、当時としても先駆的な取り組みであり、日本のNGOが世界で初めて立ち上げたCBRとして歴史に残っている。 ◆スタディツアー  思い出すのは、ご寄付をいただいたりした日本の方々に現地に行っていただき交流したことである。何度か行ったが一番多い時は、視覚障害者と手引きの人を含めて35名の大所帯だった。しかも観光地ポカラ周辺でネパール初の視覚障害者によるトレッキングをやってのけて、これは現地の新聞に写真付きで報道された。視覚障害者がトレッキングをやるなんて、ネパールの人々には信じられないことだった。協会の多くの職員も同行し、協会あげての支援となったことは忘れられない。 ◆L. N. プラサド先生  NAWBの創設者であるプラサド先生(耳鼻科医、眼科医)はこの分野の社会貢献家としてはネパールで知らぬ者はいなかった。国王の侍医であり投獄されたコングレス(国民会議派)の闘士の治療にも当たるなど分け隔てのない方で、そのために民主化後は上院議員もしばらく務められた。  私は毎年のようにゼミの学生を連れてネパール研修を実施して来たが、2008年3月、私たちが病床を見舞った1週間後に亡くなられた。その見舞い時に、先生のご著作の点訳本をお届けしたのだが、それを大変喜ばれていたと、その後ご家族に伺い、1つだけ恩返しが出来たような気がした。 ◆国際理解  式典では東京ヘレン・ケラー協会は団体表彰された。私も思いがけなくトップの個人名誉表彰を  副大統領からいただき、かつ1人だけ記念スピーチを頼まれた。プラサド先生は私のネパールの父であり、私をここまで育ててくれたネパールは私の母である、と全ての関係者に感謝の言葉を述べた。そして日本との交流と協力が今後も続き、50年記念式典にも呼んで欲しいと締め括った。  最後に、この協会のこうした事業を支えて下さった日本の団体、企業、政府、自治体、個人の皆様に、ネパールの友人達に成り代わって心から感謝して、この報告を終えることにしたい。 (写真)副大統領と共に、左端はウパディヤ教授 (写真)式典でスピーチする筆者、副大統領の右隣に座るのはNAWBタパ会長 ●当協会へ感謝額 ―― NAWB創立25周年を記念して ――  NAWB相談役ガジェンドラ・シュレスタ氏(実業家・スウェーデン名誉領事)から「感謝額(Token of Appreciation」を受け取る海外盲人交流事業事務局長の私(福山博・写真中央)と、左からバルシャ・シュレスタ氏(クリーンエネルギー開発銀行総支配人)、右からウメッシュ・シュレスタ氏(ネパール最大級の私立校の創設者・校長、ネパール高等学校協会会長)、サジャン・タパ氏(弁護士・米国の法律学修士)。この写真を写したのは、真新しいキャノンEOS Kissを首から下げたバルシャさんの令嬢で、自称写真家。この母娘はIMF総会に参加するため、他の3人が帰国したあとも東京に滞在しました。  9月4日(火)、副大統領公邸において、ネパール盲人福祉協会(NAWB)創立25周年記念式典が、ジャー副大統領臨席の下で開催されました。  NAWBから当協会にも春先から何度も出席を要請するメールが届きましたが、衆議院解散・総選挙が噂されていた時期だけに、出席を断るしかありませんでした。  わが国の点字出版所25施設は、日本盲人福祉委員会の下に結集して、国政選挙の点字公報を共同で作製しており、当協会はその中核施設として、事務局の一角を担っており、点字出版所長を兼務する私が、「海外出張などとんでもない」という状況だったのです。  同式典では当協会に「感謝額」が贈られるというので、当協会の現地ボランティアであるホーム・ナット・アルヤール氏(元NAWB事務局長)に代理出席して、受け取ってもらいました。  その「感謝額」を持って、NAWB相談役のガジェンドラ・シュレスタ氏を代表とするカスタマンダップ・ロータリークラブ訪日代表団一行5人が、10月に来日しました。なお、同クラブもNAWBを通じて視覚障害児支援を独自に行っています。  昨年の12月、同クラブは姉妹関係にある茨城県筑西市の下館ロータリークラブと共同で500万円の義援金を集め、東日本大震災被災者支援の一環として、水戸市の茨城県立こども病院に超音波診断装置を寄贈しました。  訪日代表団一行は、同病院を訪問すると共に、福島県の被災地を視察した他、吉澤範夫筑西市長、橋本昌茨城県知事、それに麻生太郎元首相等を表敬訪問しました。  ガジェンドラ氏は、1978年にネパール青年会議所(JC)の会頭をしており、その時の日本JCの会頭が麻生太郎氏で、フィリピンから日本まで青年の船で一緒だった関係で、いまでも麻生氏と親交が続いているのです。  10月8日(月・祝日)午前11時半、福山事務局長は、一行が宿泊する中央区勝どきにあるオーナーズホテル「東京ビュック」に行きガジェンドラさんたちに会い、NAWBからの「感謝額」を受け取りました。(福山博) ●「感謝額」を受け取って―― 長年の功績に賞賛の声 ―― ボランティア/ホーム・ナット・アルヤール  ネパール国副大統領公邸において、本年(2012年)9月4日午後0時30分から行われたNAWBの壮大な「25周年記念式典プログラム」の中で、東京ヘレン・ケラー協会を代表して、「感謝額」を受け取ることができたことは、私にとっても素晴らしい経験になりました(表紙参照)。  本プログラムは、25周年記念式典委員会委員長のウパディア教授(NAWB創立時の常務理事で、元NAWB会長)によって主催され、ジャー副大統領閣下が、25周年記念式典プログラムの主賓でした。他に国土計画コミッションの理事や教育省の局長、局次長など様々な社会的地位の名士約300人が参加しての華やかな式典でした。  25周年記念式典プログラムの中で「感謝額」が、下記の団体、個人に贈られました。  日本:東京ヘレン・ケラー協会、下館ロータリークラブ、安達禮雄育英基金・正雄育英基金・順子女子育英基金の各代表、および野崎泰志教授。  ドイツ:キリスト教盲人ミッション(CBM)とGNHA。  米国:ヘレン・ケラー・インターナショナル(HKI)とローズ国際児童基金。  オランダ:VISIOとICFON。  デンマーク:デンマーク盲人協会(DAB)。  ネパール:ユニセフ・ネパール。  そして、NAWB創立時の理事、すべての過去のNAWB会長・常務理事、各支部の支部長と書記長等にも「感謝額」が贈られました。  プログラム中のすべてのスピーカーは、ネパールにおける視覚障害児(者)のための教育とリハビリテーション分野、および点字教科書等の発行における東京ヘレン・ケラー協会の功績を高く評価していました。 (写真)プラサド先生の写真が壇上に飾られた ●感謝額とその和訳  ネパール盲人福祉協会本部、ネパール国カトマンズ市トリプルシュワー  25年間の福祉事業の記念に、ネパール盲人福祉協会に与えられた貴重な貢献 と協力を認めて、東京ヘレン・ケラー協会(日本)に「感謝額」を捧げます。  表彰委員会コーディネーターカマル・ルパケティ(元NAWB会長)  25周年記念式典委員会委員長 マダン・ウパディア教授(元WHO南東アジア地域 相談役、元NAWB会長)  NAWB会長クマール・タパ  チーフ・ゲスト:ネパール国副大統領パラマーナンダ・ジャー(元最高裁判所判事)  2012年9月4日 (英文による感謝額の写真) ●駕籠に乗った花婿  もっとも、その村の住民にしても、外国人がなんの用があるのかと、猜疑の目で見ているのは明らかだった。そういえば女性を見なかったのは、隠れていたのかも知れない。今でも少女の誘拐がある国なので、気が抜けないのである。  そこは、ネパール語で「バフン」というカーストの最上位にあるブラフマン(僧侶階級)の村で、実際には農業に従事しているのだが、昔ながらの伝統的な生活を、過剰なプライドと共に今に残していた。  ネパールといえば、日本人は誰もがヒマラヤを思い起こすので、インド国境には広大な沃野があり、しかも標高はたった100m前後であるといえば多くの人が意外そうな顔をする。  しかも、亜熱帯気候で、4WDでも通れない道を幾度も迂回して、おそらくそれまで外国人は誰も入ったことはないような、ディープな農村に行くと、カトマンズの市民がまったく知らない別世界が広がっている。  たとえば、子供も大人も男はすべてスキンヘッドという異様な村があった。スキンヘッドといえば、反社会的集団・ネオナチグループのイメージがあるので、ちょっと怖かった。  ところでカトマンズなど都市部の結婚式では、花婿が花嫁を迎えに行くときはベンツなどの高級乗用車を使うことが少なくない。もっとも懐具合によっては、トヨタになり、ヒュンダイになり、インド製のスズキになるのだが、車以外の選択肢を想定することは難しい。  それでは、農道といっても巨大な車輪のついた牛車はなんとか通ることができるが、4WDでさえ通れない農村僻地ではどうするのだろうか。そういう道は、馬車さえ通れないのだ。  そこで登場するのは、昔ながらの駕籠なのだが、おそらくカトマンズの若者たちは見たことさえないだろう。 ● 全盲のアジア太平洋チャンピオン  ESCAP(国際連合のアジア太平洋経済社会委員会)が1993年から展開しているアジア太平洋障害者の十年の第2期が終るに当たり、第3期に向けた各国政府間会議が韓国の仁川〈インチョン〉で開かれた。初日の11月1日に、ESCAPと大韓民国政府は、「アジア太平洋障害者権利チャンピオン賞」を障害者10人とサポーター7人に贈呈した。この賞が贈られるのは今回が初めてである。  同賞は、障害者の十年に功績があり、今後もアジア太平洋での活動が期待される人たちに贈られたわけだが、その中には3人の視覚障害者がいた。  タイのモンティアン・ブンタン氏は、タイ国上院議員で前タイ盲人協会会長、国連の障害者権利条約委員会の委員でもある。  フィジ−のセタレキ・セル・マカナワイ氏は、太平洋障害フォーラム議長で、フィジー盲学校長。  日本の藤井克徳氏は、きょうされん常務理事、日本障害フォーラム(JDF)幹事会議長で、わが国障害者運動の第一人者だ。幼少より弱視で、数年前に緑内障が悪化して全盲になったが、音声ソフトなどを活用してパソコンを駆使し、運動の先頭に立ってきた。今回仁川会議でも日本政府団の一員として、ESCAP会議で障害当事者の意見を大いに発言した。筑波技術大学の准教授で、日本理療科教員連盟会長の藤井亮輔氏は実弟である。 ●カトマンズの青い空  ひと頃はものすごいスモッグだったが、白煙をたなびかせる排気ガスを出す2サイクルエンジンを搭載した乗り合い三輪車「テンプー」を駆逐してから、最近はかなり改善されたように思う。  カトマンズは高度1300m余もあり、スモッグさえなければ、冬場は抜けるような青空が現れ、古いヒンドゥーや仏教寺院を、神々しく浮かび上がらせる。 ●日本料理・田村  NAWBから徒歩10分、マネージャーが日本人の「ホテルキド」内にあるこの店には、昼食によく通った。ちょっとした高級店だが、写真の幕の内弁当はリーズナブル。とくに地方を巡回して、くたくたに疲れているときは、温かいお風呂と日本食に限る。もっともネパールの日本食は当たりはずれが激しいので、事前のリサーチが必要不可欠だが。 ●募金のお願い  ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150-5-91688 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号に掲げる社会福祉法人です。当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号及び租税特別措置法第41条の18の3、法人税法第37条第1項及び第4項の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記 今号は期せずして「NAWB創立25周年記念号」になりました。  野崎さんに寄稿していただいた一文にもあるように、当協会が最初にネパールに調査団を派遣したのは、今から27年前の1985年12月。そしてカトマンズで産声をあげたばかりのNAWBと出会ったのです。  「山の木賃宿」はトイレットペーパーがないというので日本から持参したら、シャワーどころか、トイレもなかったと聞き、恐れおののいたのもその頃です。  野崎さんは、ネパールに駐在して、赤痢とかややこしい病気に何度も罹り、「よくぞご無事で!」と、ある種の感慨を禁じ得ません。  なお、NAWB創立25周年というのは、政府に正式に公認されてから25周年ということです。(H. F.) ●発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4 TEL: 03-3200-1310 FAX: 03-3200-2582 http://www.thka.jp/ E-mail: XLY06755@nifty.com ※ 迷惑メールが増えています。当協会宛のメールには、適切な「件名」をお書き添えください。