愛の光通信    2012年夏号通巻38号 2012.6    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 (写真)鳥が見たNAWB:大小2つのヒンズー寺院が見えます。大きな寺院は名刹・カルモチャン寺院。1873年建立なので比較的新しいのですが、かつてチベット仏教国であった頃のモンゴルの影響を受けたパゴダ(仏塔)様式の珍しいヒンズー建築です。手前の小さな寺院(ゴパール寺院)のコの字型の伽藍に、ネパール盲人福祉協会(NAWB)があります。右側に、トロリーバスが走る大動脈トリプルシュワー通りがあり、左側には、ガンジス川の支流・バグマティ川が流れており、この川に沿って多くの寺院が連なっているのです。 ●25年目の実り 1986〜2011 海外盲人交流事業事務局長/福山博  「あなたたちのお陰なんですね。インドでも見たことがないのに、カトマンズで盲人が白杖をついて堂々と歩いているのを何回も見かけて、本当にびっくりしました」。  私たちのお陰というよりNAWB(ネパール盲人福祉協会)の奮闘のたまものなのだが、このように話してくれたのは、バングラデシュの首都・ダッカに長年駐在していたある国際NGOの日本人女性。当協会がネパールで活動していることを知り、休暇でネパールを訪れた時のエピソードを「やっと謎が解けた」と笑いながら語ってくれたのだ。  バングラデシュも貧しい国だが、なにによらずネパールよりましと考えているので、「どうして、視覚障害者が何人も颯爽と歩いているの?」と、彼女には、不思議な風景に映ったようだ。  私たちは支援する視覚障害児童・生徒に会うのが仕事だが、それでも予期しない場所で何度か白杖をつく姿を見かけ心躍った。というのもその誰もが一般的な市民よりもかなり身なりも良く、颯爽としていたからだ。  NAWB職員の案内で、カトマンズ盆地内の古都バクタプールの世界遺産「ダルバール広場」を訪れたときもそうだった。  足早に単独歩行していた婦人は、いかにもキャリアウーマン風なので通勤途上と踏んで、並んで歩きながら声をかけた。  すると、「点字の教科書を作っていただき、お陰様で今は教員をやっています」と、英語で感謝の言葉が返ってきた。いままで、こんな言葉をかけられたことはなかったのでとても感激した。  彼女の名前は、シャビトリ・カルキ・ティワリさん(40歳)。ダルバール広場に隣接するNCO(ネパール児童機構)が経営する小学校の教師だ。  NCOは1964年に、孤児と貧困家庭の児童の育児と教育を目的に設立され、現在ネパール全土で12カ所の孤児院を経営している。  NCOのビンフェディ児童ホームには、NAWBの元職員の遺児が1人2005年からお世話になっている。そこで私も、2006年から毎年訪れているので、その奇縁にも驚いた。  ティワリ先生のご主人も全盲で、ダルバール広場の反対側にある名門パドマ高校の教師だ。2人には私立校へ通う中学生と高校生の2人の子供がおり、先生一家は、ネパールではアッパーミドルの安定した生活ぶりのようだ。というのも、ネパールでは、お手伝いさんやベビーシッターを格安で雇うことができるので、全盲夫婦が共稼ぎしても問題なく子育てできるのだ。  彼女に、「日本には東京大学で博士号を取り、そのまま同大で日本学術振興会の研究員として働いている全盲のネパール人がいます」と言ったら、すかさず「カマル・ラミチャネさんでしょう。私たちの仲間です。先日も電話で話をしました」と微笑んだ。  ここでもとんだ奇縁である。当協会が支援するNAWBが、25年前から営々と積み重ねてきた努力が、今一斉に花開こうとしているのである。  1985年12月、当協会は、当時東京都心身障害者福祉センターの職員であった田中徹二氏(現・日本点字図書館理事長)を団長に、ネパール盲人福祉調査団をカトマンズに派遣した。そして、同調査団は同年に設立されたNAWBと出会い、ネパールにおける視覚障害者の喫緊の課題は、点字教科書の発行・無償配布であると提言した。  それを受け、翌年、当協会はNAWBのP.R.パント教育課長を、点字出版研修のために日本に招聘した。同年、パント氏の帰国に合わせて、点字製版・印刷設備1式をNAWBに寄贈。数年後、さらにもう1式追贈した。  その後、順次点字の国定教科書の発行を行い、点字出版所も当協会の支援で改築し、現在第1〜10学年課程の点字教科書を発行して、ネパール全土の統合教育校等に配布している。  2010年がNAWBの創設25周年だったが、政府に認可されたのは翌々年なので、25周年の記念行事は、今年(2012年)に行われる。そして今年は当協会がネパールを支援して25周年にもあたる。  ところで、25年前、視覚障害を持つ教師は1人しかいなかったが、現在は約400人おり、その他に高級官僚2人を含む6人の公務員とNGO等で働く8人の視覚障害者もいる。  昨年までにネパールでSLC(学校教育修了国家試験)に合格した視覚障害者は921人だが、現在就学中の視覚障害児・者が約2,000人いるので、今後裾野がさらに広がるだろうと期待している。  いずれにしろ、いろいろな課題山積とはいえ、25年前と比べると隔世の感がある。障害者の社会的統合は、結局、職業的自立につきるところがある。  25年前はあり得なかった、視覚障害者の単独歩行が、それを象徴的に体現しているのである。 (写真)通勤途上のティワリ先生 (写真)左端は校長先生。父親が亡くなったので、ヒンズー教徒の彼は、靴から帽子まで白装束で1年間過ごし、喪に服する ●ラミチャネ博士、JICA研究所へ  全盲のネパール人カマル・ラミチャネ氏(30歳)が、このたび国際協力機構(JICA)研究所の研究者公募に合格し、この4月からJICA研究所に勤めています。  同氏は平成17年(2005)に筑波大学大学院修士課程に入学し、平成19年(2007)に同課程を修了。同年、東京大学大学院博士課程に入学し、平成22年(2010)に同課程を修了、東大から学術博士号を授与されました。ネパールの障害者では、初の快挙でした。  同年4月から日本学術振興会の特別研究員として2年間東大で研究活動を続け、この3月に終了し、JICA研究所への就職となったものです。  平成17年2月、筑波大学大学院修士課程に入学が決まったものの、入学の手続き、学費免除申請、査証の変更など書類作成のために、彼は連日当協会の編集室に通っていました。懐かしい思い出です。(福山) ●死生観の違いと習慣 『点字ジャーナル』2012年6月号より  「時間の経過は関係ないよ。それは少なくとも英語圏では普通の習慣ね。ちっともおかしくないです」。何度も「ご愁傷様」を「ご馳走様」と言い間違えながら、東京在住のある米国人はこう断言した。  先日、カナダのまったく知らない人物から、安達禮雄氏の死を悼む英文メールが当協会に届いた。問題は、安達氏の死が4年余も前のことで、メールを寄越したルー氏が安達氏と15年前から没交渉であったという事実にある。  日本人ではまずあり得ないことなので、そのメールを一読し、私はてっきり新手の迷惑メールだと思った。しかし、消去しなかったのは、題名に「Reo Adachi」と書いてあり、ルー氏の肩書き、勤める会社の名前とURLがはっきり記載されていたからだ。そして、その会社はインターネットで調べると実在した。  二昔前、当出版所のスタジオで若いオーストラリア人が週に1度収録していた。ある日、親友が母国で死んだと聞いたとたん、彼女は日本での生活を捨てて帰国した。「欧米人と日本人の死生観はまったく違うのだ」、そう思いながらくだんのメールを私は次のように訳した。 ------------------------------------- 安達禮雄氏のご家族と友人へ  もし亡くなったのが、私が1981年から1996年にかけてCEJNにおける日々で知っていた安達禮雄氏であるなら、これは彼に対する私の誠実な弔辞です。  私は安達禮雄氏に数回会った時、彼がまず他者を気遣い、深い慈悲の愛を持つ特別の人であることがわかりました。  本当にご愁傷様でした。敬具 -------------------------------------  これを遺族の元へ送って、メールの内容に心当たりがあるか問い合わせた。すると、「CEJNとは父が経営していた会社です。このような温かいお悔やみの言葉を送って下さったことをとても嬉しく思います。お礼のメールを出すつもりです」という返事が届いた。  そこで、当方もルー氏にお悔やみに対する礼を述べ、メールをご遺族に転送したことを知らせた。  その心優しいルー氏は、最近、安達禮雄氏の死を知り、お悔やみを遺族に出そうと思った。しかし、遺族の連絡先を知らなかった。そこで、一計を案じて、「Reo Adachi」とインターネットで検索した。すると当協会を通して、ネパールに設立した安達禮雄育英基金がヒットした。基金設立時の英文協定書が、当協会のホームページ上にアップされていたからだ。  ルー氏はそれを読み、安達氏らしいと直感して、当協会にお悔やみメールを送ってきたのだ。  故人が亡くなってから、5年後であろうと10年後であろうとお悔やみを送ることは、少なくとも英語圏ではちっとも不自然なことではないという。故人の死を知ったのは最近のことであり、今現在、その死を悲しみ悼む気持ちがあれば、それを表すのは当然、という考え方なのだ。人の死も自然現象のように風化するという、われわれ日本人の考えかたの方が、あるいは特殊なのかも知れない。  それにしても、15年後もルー氏に深い印象を残した日本人の生き様もまた感慨深いものである。(福山) ●ゴパールとは?  NAWBのあるゴパール寺院の「ゴパール(Gopal)」とはクリシュナ神の別名。伽藍のほとんどはNAWBが改築して使っているが、一室には実際に僧侶の家族が住んでおり、毎日お勤めをしている。 ●2011年度事業報告(平成23年4月1日〜平成24年3月31日)  ネパール盲人福祉協会(NAWB)の点字教科書発行を中心とした教育事業に対して、事業継続のための側面的支援を行った。  当協会がネパールで実施する事業の支援者から寄せられた各200万円を基に、安達禮雄育英基金、正雄育英基金、順子女子育英基金の3基金による運用益により、地方の統合教育校6校、合計19人の視覚障害児童・生徒に衣食住を含む就学の機会を提供する奨学金を給付した。その内訳は、安達禮雄育英基金によるジュダ校2人、アマル・ジョティ・ジャンタ校2人、シャンティ校3人の計7人。正雄育英基金によるパシュパティ校3人、ドゥマルワナ校2人の計5人。順子女子育英基金によるドゥマルワナ校2人、バスビッティ校5人の計7人である。ただし、バスビッティ校は5人全員が落第し、そのうちの4人が中退した。  上記事業の管理等を行うため、2011年11月17日〜29日の日程で福山博事務局長がネパールに出張した。現地調査時にバスビッティ校で5人そろって留年し、うち4人が中退した理由を調べた。辞めた背景には自分で立ち上がることができない盲重複障害のある少女の存在があった。学校側は何の準備もなく受け入れたため、12、13歳の3人の同級生がその少女の世話をすることになり、結局、勉強が全く不十分となった。1人だけ学校に残ったのは、年下で手伝う必要がなかったからだった。転勤した校長の慈悲が仇になったケースであった。今度の教訓を生かして、重複障害者の受け入れは周到な準備をした後行うように指導した。  永年NAWBの事務方のトップを務めてきたアルヤール事務局長が、2010年7月に退職したため、NAWBに事務的混乱が生じた。そこで、退職したアルヤール氏にボランティアでの協力を依頼し、遅滞なく事業を進めることができた。  国内活動では、福山事務局長が「障害分野NGO連絡会(JANNET)」の幹事として、障害分野における国際協力・交流事業に参画した。  事業報告集である『愛の光通信』を2011年6月(夏号・通巻36号)と2012年1月(冬号・通巻37号)に発行した。 ●2012年度事業計画(平成24年4月1日〜平成25年3月31日)  永年、NAWBの事務局長を務めてきたホーム・ナット・アルヤール氏が、下記事業の推進にボランティアとして協力する意思を表明しているので、協力を仰ぎ、遅滞なく事業を進める。 1.育英基金事業  安達禮雄育英基金と正雄育英基金は小学1〜10年課程の男女の視覚障害児童・生徒を対象に、順子女子育英基金は小学1〜10年課程の女子の視覚障害児童・生徒を対象にした奨学金である。これらは寄付者、ネパール盲人福祉協会(NAWB)、当協会の3者が覚書を交換し、ネパール政府社会福祉協議会(SWC)に届け出ている事業である。この3事業が覚書に添って、滞りなく実施されるようモニターする。 2.フォローアップ事業  NAWBの点字教科書発行を中心とした事業に対して、フォローアップのための側面的支援を実施する。これは、当協会が長年実施してきた事業が無に帰さないように、平成16年度から継続して実施している事業である。 3.国内事業  広報・募金活動は、NAWBから事業報告等が提出されることを条件に、『愛の光通信』を年2回発行し、例年通り実施する。  日本障害者リハビリテーション協会に事務所を置く、障害分野NGO連絡会(JANNET)の一員として、障害分野の国際協力を行う他施設・団体と情報交換・交流を深める。 ●誤解と柿の来歴  ネパール中部にヘタウダ(Hetauda)という人口8万5,000人の緑に恵まれた都市がある。カトマンズからトリブバン・ハイウェイで132km、未舗装の山越えをするマウンテン・ロードだと80kmだが、費やす時間はほぼ同じ4時間ほどだ。この都市はタライ平原を東西に走るマヘンドラ・ハイウェイとも接続しているので交通の要衝である。  インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア」には、「英語表記を参考にして『ヘタウダ』と表記する場合が多いが、正しくは『ヘトウラ』である」と書いてあり、実際に地元民の発音を聞くと「ヘトウラ」と聞こえる。そこでうっかり信じてしまいそうだが、まったく別の場所でネパール人3人に聞いたら誰もが「ヘトウダ」といった。少なくとも、英語表記に間違いはないようである。  そのヘタウダに「モーテル・アボカド&オーキッド・リゾート」という老舗のホテルがあり、実際にアボカドの大木と蘭(オーキッド)の庭園がある。そのアボカドは日本からきたものだと聞いたのだが、その時はとても信じられなかった。  昨秋、ヘタウダの果物店の店先で偶然見つけた柿は、1902年にネパール政府から日本に派遣された留学生が持ち帰り、広まったものだ。この事実ははっきりしており、他に栗、藤、菊も同時に日本から持ち帰り、今でもネパールで大事に栽培されている。  この100年前の来歴を知り、アボカドももしやとネットで調べたが確証は得られなかった。ただ、この熱帯植物が、なんと驚くべきことに、現在の東京では、庭木として普通に植えられ結実しているということである。  ところで、ネパールでは柿のことを「ハルワベッド(Haluwabed)」というが、これは甘いお菓子・ハルワのような果物という意味だ。  これまでのネパールの柿は、みんな渋柿だ。渋柿なのに100年余も命脈を保ってきたのは、ネパールでは果物の端境期にあたり、お供え物にちょうどよかったからだと聞く。そして、お供えにして熟柿になってから食べるので、「とても甘い」ということになるようである。  柿は種から育てたらほとんどが、渋柿になる。そこで、最近は、青年海外協力隊が日本の甘柿を接ぎ木で増やしている。その柿がカトマンズでは一部の果物店の店頭に並んでいる。日本で見かけるものと、寸分の違いもない立派な柿である。 ●クリケットと野球  クリケットの試合を見て、私たち日本人は野球に似たスポーツだなと思う。一方、野球の試合を見たネパール人はクリケットに似たスポーツだなと思う。たしかにちょっと似たところもあるが、実際の試合はまったく違う展開となる。  このように誰もが相手や相手の国の事情を推察するとき、自分の物差しで測ろうとする。  日本は良かれ悪しかれ均質化社会である。日本全国どこに行っても日本語だけで通じる。山村にはスクールバスが迎えに来て麓の学校で、都市部と基本的に変わらない教育環境が提供されている。  ネパールでクリケットを楽しめるのは、ごく限られた一部のお坊ちゃんだけである。 ●クリシュナ基金から  協会有志等によるクリシュナ基金(クリシュナ君遺児育英基金)は、突然死したネパール人現地スタッフ、クリシュナ・ムキーヤ君の遺児3人に対して、115万円の基金をNAWB内に設けて、教育支援を行う事業です。  3人は現在、故郷であるインド国境沿いの農村部バラ郡カレイヤ町にある私立ブライト・ランド校で、寄宿生活をしながら勉強しています。長女・アルチャナ(15歳)と長男・ローシャン(13歳)は、この4月から共に8年生に、次女・プジャ(12歳)は4年生に進級しました。  クリシュナ基金は3人に10年課程の教育を受けさせることを目的に2005年に発足しましたが、ネパールの学校教育制度が、10年課程から12年課程に変わろうとしています。つまり、小学校5年、中学校3年、高校2年の5・3・2制の10年制に「+2」(「プラス・ツー」と読む)を加え、5・3・2・2制にして、高校を2年制から実質4年制に格上げしようというのです。現在はその移行期間で、当協会がこれまで支援してきた6校はすべて12年制に移行しましたが、3人が学ぶブライト・ランド校は、まだ10年制のままです。  幸いなことに、当初の計画よりその後銀行利子もよくなり、現在の基金で12年課程の学費も賄えるとNAWBでは試算しています。  3人の母語はヒンディー語の方言であるボジュプリー語で、ネパールの学校教育はネパール語と英語で行われるため、彼らは入学後1、2年間は大変な苦労をしました。しかし、現在は3人とも成績も良く、最も苦しんだ長女も得意の絵画でバラ郡のコンクールで2席に入ったり、校内の徒競走やヤリ投げで優勝したりして活躍しています。  そんな彼女のさらなる活躍を伝える下記のようなニュースがカトマンズから届きました。 (写真)左から二人目がアルチャナさん ------------------------------------- ◆アルチャナさんがカトマンズでダンスを披露  全国私立学校協会は2012年4月8日、カトマンズにおいて全国ダンス・プログラムを組織し、バラ郡のブライト・ランド校がグループ・ダンスに選ばれました。アルチャナ・ムキーヤさんは、そのダンサーの1人で、彼女は私に電話してきて、「私を訪ねてください。そして、ダンスを見てください」と頼みました。私は4月8日、同校のダンサーたちと楽しい時間を過ごしました。  ダンスチームは、バラ郡の人々にとって最も重要なフェスティバルであるチャット祭(太陽神の祭り)に関係する踊りを見せました。それは素晴らしいダンスでした。 (ホーム・ナット・アルヤール) ------------------------------------- ●平成23(2011)年度収支計算書 自 平成23年 4 月 1 日 至 平成24年 3 月31日 (借方)  以下、科目、金額(円)の順。 事務費 389,586   賃金 120,000   旅費 0   通信費 96,425   消耗品費 3,768   印刷製本費 124,393   雑費 45,000 事業費 557,983   海外援護費 300,000   海外出張費 257,983   その他評価損 0   小計 947,569   当期繰越金 81,143   合計 1,028,712 (貸方)  以下、科目、金額(円)の順。 寄付金収入 1,028,042   助成金収入 0   募金収入 1,028,042   雑収入 670   受取利息 670   その他の雑収入 0   合計 1,028,712 ●貸借対照表  平成24年 3 月31日現在 (借方)  以下、科目、金額(円)の順。 流動資産 2,370,902   現金 18,068   預金 2,352,834   資産合計 2,370,902 (貸方)  以下、科目、金額(円)の順。 繰越金 2,370,902   前期繰越金 2,289,759   当期繰越金 81,143   純財産合計 2,370,902 ●海外交流事業記録(2011/4〜2012/3) 2011年4月2日:JANNET役員会(戸山サンライズ) 4月16日:ミャンマーで活動する塩崎真也/ダン・クンチャン夫妻(全盲夫婦)歓迎会 5月:『JANNET加盟団体紹介2011』編集 6月5日:JANNET役員会・総会(戸山サンライズ) 6月:『Light of Love(愛の光通信)』No.36発行 7月14日:韓国ラファエルの家一行来訪・見学 8月1日:JANNET研究会(戸山サンライズ) 8月24日:CSR推進NGOネットワーク定例会(早稲田奉仕園) 9月5日:JANNET役員会(戸山サンライズ) 10月1日:グローバルフェスタ(日比谷公園) 10月9日:大連の視覚障害者ランナー歓迎会 10月29日:JANNET研究会(戸山サンライズ) 11月17日〜11月29日:ネパール出張 2012年1月:『Light of Love(愛の光通信)』No.37 発行 2月29日:JANNETミニ研究会(戸山サンライズ) 3月1日:CSR推進NGOネットワーク定例会(早稲田奉仕園) 3月3日:WBUAP意見交換会(日盲連) 3月6日:インドネシアからアグス・ディオノ氏一行来訪・見学 3月24日:JANNET役員会(戸山サンライズ) 3月27日:国際視覚障害者援護協会(IAVI)評議員会(舟橋会館) ●寄付者ご芳名(五十音順・敬称略)平成23年4月1日〜平成24年3月31日 温かいご支援ありがとうございました!  (個人) 青木貞子、在田一則、安藤生、飯田壮、石井芳重、石田隆雄、一幡良利、植竹清孝、上野伊律子、上村小夜子、遠藤利三、及川幸男、大島幸夫、大西正広、大橋東洋彦、岡本好司、落合夕子、小野塚耕吉、貝元利江、勝山良三、加藤万利子、金田敏子、川島玉子、木塚泰弘、黒見恵美子、小泉周二、古賀副武、後藤晴子、小長谷正夫、小林明子、小森愛子、近藤光枝、斎藤惇生、酒井久江、坂入操、坂口廣光、佐々木憲作、佐々木玲子、佐藤達夫、佐橋忠明、柴田光俊、志村洋、菅原温子、鈴木俊勝、染矢朝子、高橋恵子、竹脇美帆子、田中徹二、田中正和、田伏淳一郎、照井タカ子、当山啓、戸塚辰永、鳥羽田節、中尾照美、中嶋千代志、中村保信、奈良泰夫、野津虎雄、橋本時代、林紘子、原田美男、富久縞博、藤元節、本間昭雄、間下勉、増野幸子、増田光子、松浦健三、松下信雄、宮下浩子、茂木幹央、森川精子、森山朝正、山岡三治、横大路俊久、吉田重子、渡辺直明、渡辺勇喜三  (団体等) ◆有限会社大本印刷・大本堅治、小林動物病院、シャンバロー芸能事務所・白井雅人、学校法人聖明学園古和釜幼稚園、株式会社高垣商店、公益財団法人毎日新聞東京社会事業団 ●「郵便振替」に書いてあったメッセージ ◆会報読ませていただきました。一層頑張って下さい!!(酒井久江様より) ◆些少ですが、何かのお役に立てて頂ければ幸いです。(鈴木俊勝様より) ◆少しですがお役立てください。(古和釜幼稚園様より) ◆心ばかり少額ですが、寄付します。(貝元利江様より) ◆愛の光通信ありがとうございました。皆様のご健康とご活躍をお祈りしております。(染矢朝子様より) ●ある寄付者の来訪  1988年(昭和63年)に退職した元職員が、寄付金を持って当協会を訪ねて来てくださいました。子育てが一段落した後は、もっぱら産休代替の臨時教員として働き、今やご夫婦で年金生活者とのことでした。孫が可愛くて仕方なく、その世話が生き甲斐のようでした。24年間とは生まれた女児が成長し、大学を卒業して、結婚して、子供が生まれるに充分な時間だったのですね。(福山) ●ネパール風サラダ  「ネパールでは氷とサラダにも気をつけて」と、ガイドブックに書かれている。だが、ちゃんとしたホテルやレストランでは、まず問題ない。それより歯磨きに水道の水を使わないことの方が先決だ。  ネパールのサラダは野菜を切っただけのシンプルなものに、レモンをしぼり、塩を振って食べる。とくに太いキュウリはみずみずしく、タマネギは辛くなくて美味しい。もちろんたまに例外もあるが。 ●マレクの燻製魚  タライ平野からの帰り道、あと2時間でカトマンズのホテルというトリスリ川沿いにマレクという村がある。昔から「マレクの燻製魚」として有名で、車を止めて買い求める人も多い。私たちもよく昼食に立ち寄ったものである。ところが乱獲がたたって、最近のマレクの燻製魚は、タライ平野の養魚池で薬品漬けで育った「ナッカリ(ニセモノ)」と聞いてがっかりである。 ●募金のお願い  ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150-5-91688 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号に掲げる社会福祉法人です。当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号及び租税特別措置法第41条の18の3、法人税法第37条第1項及び第4項の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記  最大の懸案事項だったマオイスト(ネパール共産党毛沢東派)の武装組織「人民解放軍」が、国軍の管理下に置かれたので、今度こそはと期待しました。  ところが、4回も延長を重ねたネパール制憲議会が、新憲法を決められないまま、とうとう5月27日に任期切れで解散してしまいました。  引き続きバブラム・バッタライ首相が暫定政権を率いますが、現行の暫定憲法が首相は制憲議会議員であることを条件にしているので、11月22日に選挙を行うという首相の宣言自体無効だとの意見もあります。  とはいえ、政治の空白を埋めるためには、世界各国に選挙監視団の派遣を要請して、とっとと総選挙をやる以外に方法があるはずもないのですが。(H・F) ●発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4 TEL: 03-3200-1310 FAX: 03-3200-2582 http://www.thka.jp/ E-mail: XLY06755@nifty.com ※ 迷惑メールが増えています。当協会宛のメールには、適切な「件名」をお書き添えください。