愛の光通信    2010年冬号通巻35号 2010.12    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局  ランプの灯をかかげ続けて60年(1950〜2010)  東京ヘレン・ケラー協会はおかげさまで、創立60周年を迎えました。 (写真)勉強できるのはとても嬉しい:この日シャンティ校は休校だったのですが、少年(ナワラジ)はお母さんと、少女(サリタ)はお姉さんと私たちに会いに来てくれました。この春、2人は念願の入学を果たして上機嫌です。2人とも自宅でお姉さんから点字を教わったので、とても成績が優秀だと聞きました。サリタさんの隣のお姉さんも視覚障害者で同校の生徒です。実はナワラジ君のお姉さんも視覚障害者で同校の生徒なのです。(関連記事3ページ) ●ネパールを訪問して―― 元気に学ぶ視覚障害児たち ――  ヘレン・ケラー学院長/藤元節 (写真)左端が筆者、その隣がビノド・パラジュリ病院長  「お金がないので、学校に行けない。奨学金ください」…。ヒマラヤの名峰を望むポカラ郊外のサランコットの丘にたどり着くまで、つきまとった子供たち。カトマンズの空港では、荷物運びの子供たちにもみくちゃにされ、ショルダーバッグから現金の入った封筒をスリ取られた。ネパールを初めて訪れた1998(平成10)年秋のことである。  ネパールとの出合いは、釈迦生誕の地ルンビニに近いブトワル郊外に建設した「ネパール子供病院」の開院式。毎日新聞社と、勤務先の毎日新聞社会事業団が全国から募金した約4,700万円の資金とAMDA(アジア医師連絡協議会)の協力で、完成にこぎつけたのだった。設計が当時東京大学教授であった安藤忠雄氏の手になるものだけに、レンガ造りの病院は自然林と見事なハーモニーをかもし出していた。岡山大学医学部で学んだ初代病院長のラメシュワル・ポカレルさんが開口一番、「農家はトイレがないのが普通なので、まず衛生教育。水洗トイレの使い方から教えます」と話したのが、忘れられない。 (写真)ネパール子供病院(安藤忠雄氏設計) ◆花の首飾り  それから4年おきにネパールを訪ね、今回で4度目。続く2回は、東京ヘレン・ケラー協会の海外盲人交流事業の検証が目的だった。今回は、病院がどうなっているかを冥土の土産に見ておきたかったので、この事業の福山博事務局長に私費で随行した。  海外盲人交流事業はネパールでの視覚障害児就学支援事業とCBR(地域に根ざしたリハビリテーション)事業が両輪。ともにNAWB(ネパール盲人福祉協会)と共同で実施してきた。就学支援事業は、平成17年度から5年間の毎日新聞東京社会事業団寄託による「ネパール視覚障害児奨学金事業」が終了し、代わって篤志家3氏からの寄付金による「安達禮雄育英基金」「正雄育英基金」「順子女子育英基金」の3つの基金の運用でまかなう新奨学金事業が本年度からスタートしたばかり。当協会が国際ボランティア貯金の配分金を得て公立の小・中学校に設置した寄宿舎で生活する視覚障害児の費用を「奨学金」として給付し、自立を支援するのがねらいである。  今回は福山事務局長、NAWB担当者ら5人とともに、インドと国境を接する亜熱帯のタライ平野を中心にトヨタ・ハイエースで1日400km前後走行という強行軍で、駆け巡った。  痛感したのは、学校間格差の大きさ。リソースティーチャー(障害教育担当教員)の質と学校を財政的に支援する学校運営委員会の力量の差によるものである。両者のレベルの高いところは、教育環境は年を追って改善され、格差を広げていた。  元校長でバラCBRセンターを運営するNAWBバラ支部長を務めたパラット・チョーダリさんが運営委員長を務めるドゥマルワナ校では、寄宿舎の入口で、4人の奨学生をはじめ学童たちが花束を手に列をつくって待ち構えていた。  私たち2人は「ナマステ!」の元気な声で迎えられ、首に花輪を2つももらった(2つとも盲児が1つ1つ花を摘んでつくってくれたと知り、持ち帰って、書斎に飾っている)。 寄宿舎の庭では、寮母さんたちが丹精込めて育ててきたココナツの木が30m近くに背丈を伸ばしていくつも実をつけ、脚下ではバナナの大きな青い房が輝いていた。成績評価表をはじめ、当協会がNAWBを通じて依頼していた奨学生の個人データも、4人分そろって、きちんとととのえられていた。  4年前、この母校で教壇に立った全盲のチミルシナ先生は、教師がすっかり板につき、「彼に続きたいと後輩たちが頑張るだろう」と、期待を持たせてくれた。平屋の校舎は、一応コンクリートのはずだが、廊下の天井に亀裂が走っているのが、気がかりだった。 (写真)ドゥマルワナ校校長のスピーチ(同校会議室にて) (写真)女性司書と教師(ドゥマルワナ校の図書室にて) ◆順番を待つ子供たち  続いて訪ねたNAWB前事務局長のアルヤールさんの母校、シャンティ校。原っぱ同然の広い運動場の向こうに2階建ての校舎が見えた。あいにくこの日は休日で、校長は不在だったものの、校長室には男女2人の盲児と3人の先生が待ち受けていた。NAWBから入手した奨学生名簿では男児2人のはずが、聞いてびっくり。同じ10歳で、3年生の女児、サリタさんは性別を誤記しただけだったが、4年生の男児、ナワラジ君は全くの別人だった。4月の入学時に予定していた子が現れず、順番待ちの1人が繰り上がったという。入学即3年生や4年生とは? と首をひねっていると、先生が説明してくれた(表紙の写真参照)。  「サリタの姉も視覚障害で、本校の6年生。サリタは姉から点字を教わり、マスターしていた。テストして3年生の力があると認められたのです」。ナワラジ君も同様という。  将来、何になりたい? と聞くと、サリタさんの「先生!」には納得だったが、ナワラジ君の「軍人!」には、首をひねった。彼にとって、あこがれの職業なのだろう。  帰国の前日、カトマンズのNAWB本部を訪ね、クマール・タパ常務理事から「ネパールでは大学講師の自分を含めて、約390人の視覚障害者が国内各地の普通校で、教壇に立っている」と、誇らしげに話すのが耳に心地よく響いた。そして、就学支援事業をはじめ当協会の支援が大きな役割を果たしていることを、繰り返し感謝された。このことを、ご支援いただいている皆さんに伝えて、さらに前進を図らなくてはと、心に誓った。  建設以来12年を経た「ネパール子供病院」は、ベッド数を2倍の100に増やし、外来棟を増設していた。「患者が次々押しかけてくる。ポータブルX線撮影装置があると助かるけど、30万円かかるので…」と声を落としたのは、ビノド・パラジュリ病院長。オートバイやリキシャで運び込まれる外来患者が1日250人をくだらない盛況ぶりだが、治療費の値上げはままならず、人件費をまかなうのがやっとという。それでも、年々努力を重ね、地域にすっかり根付いていることを知ることができたのは、大いなる喜びだった。 ●私のネパール紀行―― 祭りの狭間を駆け抜けて ――  海外盲人交流事業事務局長/福山博  10月22日(金)〜11月2日(火)の旅程で、ネパールに出張した。同国最大の祭りダサインが今年は10月19日(火)に終わり、それに次ぐ祭りティハールが11月5日(金)に開始するので、その間隙を縫って、藤元学院長とインド国境沿いの地方を巡回し、統合教育校などを訪問したのだ。この間は、デモも、交通妨害も、テロも、誘拐も、起こらないと踏んでのことである。 ◆校長判断  回教徒を除くネパールの大多数の人々にとって、ダサインは年に1度の「ハレの日々」で、誰もが着飾って、美味しい食事を楽しむ。他の11ヶ月は、爪に火を点すつましい生活を送って、ダサインとそれに続くティハールの1ヶ月間は、精一杯贅沢をするのだ。このため、給与生活者には「ダサイン手当」という1ヶ月分のボーナスが出る。  このため地方出身者が多い大学では、祭りはもちろん祭りと祭りの間も休講だ。ダサインとその2週間後に始まるティハールに2度も帰郷していては時間と交通費のロスだからだ。  この間はテロリストもギャングも過激派も祭りに浮かれて休業するので、がぜん治安が良くなる。それが私たちの狙いだが、公立校までが休むのはちょっと計算違いだ。  当協会職員有志によるクリシュナ基金が支援する遺児3人が通う私立のブライト・ランド校には60人の寄宿生がいるが、祭りと祭りの間も授業をしており、学校当局の意識の高さがうかがえる。  一方、視覚障害児以外は通学生ばかりの公立校であるシャンティ校は休校で、校長も不在だった。今回の地方巡回に同行したNAWB前事務局長のホーム・ナット・アルヤール氏は同校出身で、同校で教鞭を執ったこともあるので、「こんな気候のいい時期に休校するなんて」と盛んに嘆いていた。ちなみに、当協会が一番最初に支援を始めた同じ公立校のドゥマルワナ校は授業を行っており、これはもう校長の一存で決まるようだった。 ◆バラCBRセンターの奮闘  バラCBRセンター付属眼科診療所への当協会の支援は2002年6月末をもって完了した。その後、同センターに対しては、建物の改修を2006年度から、3年計画で実施し、合計90万円を提供した。しかし、運営費等に対する度重なる強い要請はあったが、それ以外の支援ははっきり断った。  その後もCBRセンターはNAWBバラ支部により運営され、断続的だが眼科診療も行ってきた。  昨年は閉鎖されていた同診療所だが、今年4月の新年度からは、隣町にあるケディア眼科病院の協力を得て、土曜日を除く日曜日も含めた毎日、午前10時〜午後4時に診療を再開していた。  人口40数万のバラ郡には眼科の医療機関が皆無なので、同診療所は貴重な診療施設として地元にしっかり根をおろしている。しかも独自に同センター内に眼鏡店も開業して、自己資金の確保をも模索しており健闘していた。 ◆Wブッキングが2回  今回のネパール訪問は、本年度からスタートした3つの育英基金の運用でまかなう新奨学金事業の進捗状況の調査と調整が主目的だった。しかし、ネパール政府の大混乱と事務局長の退職によるNAWBの混乱という2つの不安を抱えていた。  NAWBに理解のあるマダブ・クマール・ネパール首相は、国家予算の成立のめどがたたないため6月30日に辞意を表明。ところが、その後国会でなんと10数回の首相選挙が行われたが過半数を制する者がおらず、いまだにネパール氏が暫定内閣の首班を務めている。  昨年まで、当協会は毎日新聞東京社会事業団の寄託で、47人の視覚障害児に奨学金を給付していたが、今年度からはその分はそっくり政府が給付することになった。ネパール政府の会計年度は7月中旬にはじまるが、首相が決まらないため今年度の予算は執行されず、47人分の視覚障害児の奨学金は宙に浮いたままだ。ところが一応「困ったことだ」とは言うが、不思議なことに誰もが深刻な顔をしていないのは、どうしてなのだろうか。  それより私たちにとって打撃だったのは、NAWB事務局長の交代だった。新事務局長は、会計担当者が兼務するが、彼はデスクワーク専門で、教育や点字とは無縁だ。そのうえカトマンズ出身なのでタライ平野への出張はまず無理。彼がそうだとは言わないが、カトマンズ出身者は、病気になるからとタライ平野への出張を拒否する人が少なくない。実際に今回の巡回訪問は、プラカシュ・ギミレCBR課長が担当することになった。  問題はバンコクからトリブバン空港に到着したその日に起こった。私たちはカトマンズ・ゲスト・ハウス(KGH)に2泊して、タライ平野を巡回し、KGHにさらに2泊して帰国の途に就く計画だったが、この帰国前の2泊がWブッキングで泊まれなくなっていた。この季節は欧米からの観光客でカトマンズのホテルは満室。結局、NAWBが予約した郊外のホテルに泊まった。しかし、Wブッキングはこれだけでなく、タライ平野の田舎町でも起こり、私たちは日が暮れてから宿を探して、車でうろうろするはめに陥ったのだった。 ◆多すぎる待機児童  問題は宿だけではなかった。今回、私たちは新奨学生が学ぶ3校を訪問したが、完璧だったのは、ドゥマルワナ校のみだったのだ。シャンティ校については藤元学院長が3ページで述べているとおりだ。もう1校のアダーシャ校には、NAWBが決めた奨学生ではない生徒が2人いた。私たちは単なる記載ミスだろうと考えたが、NAWBの幹部はこの話を聞き激怒した。理事会を開いて奨学生選考委員会を組織し、新聞に告知して公明正大に選考した結果を侮辱する行為だからだ。  NAWBはネパールの国営英字日刊紙『ライジング・ネパール(THE RISING NEPAL)』の2010年7月3日付に、下記のような広告を掲載した。 -------------------------------------------------------------------------------------- ◆視覚障害児童・生徒のための奨学生募集  ネパール盲人福祉協会(NAWB)は、視覚障害を持つ児童・生徒が、以下の学校で学業を修めるために、日本の東京ヘレン・ケラー協会(THKA)を通して「安達禮雄育英基金」、「正雄育英基金」、「順子女子育英基金」からの奨学金を受け取りました。 No. 統合教育校の名称(所在地)、奨学生数  @バスビッティ校(Basabitti, Mahotari)5 (女子のみ)  Aジュッダ校(Gaur, Rautahat)2 (男女)  Bドゥマルワナ校(Dumarwana, Bara)2 (女子のみ)、2 (男女)  Cパシュパティ校(Lahan, Siraha)4 (男女)  Dアマル・ジョティ・ジャンタ校(Luitel, Gorkha)2 (男女)  Eアダーシャ校(Sanothimi, Bhaktapur)2 (男女)  Fシャンティ校(Manigram, Rupandehi)2 (男女)  奨学金の申請書には、応募者の最近のパスポートサイズの写真と、居住地の市町村当局発行の推薦状を付けなければなりません。応募者は勤勉であり、貧しい経済状態にあり、同一地域に長年住んでいる必要があります。  面接は申請書が提出された各学校で実施します。どうぞこの通知の日から15日以内に申請してください。  NAWB本部奨学生選考委員会  Tripureswor Kathmandu 4260583 --------------------------------------------------------------------------------------  もちろん、NAWBはこの広告を当該教育校にも直接伝えた。しかし、アダーシャ校は、この手続きをとらずに勝手に同校で奨学生を決めたのだ。そのような候補者がいるのなら、NAWBに申請手続さえすれば、最優先で割り当てられるのだが、それを面倒だとばかり手抜きをしたようだ。  ネパールの公立校は、小学校の教員給与が政府から支給されるだけで、残りの予算は学校の運営委員会が授業料や試験料を生徒から徴収したり、卒業生に寄付金を募ったり、独自に補助金を申請したりしてやり繰りして、公立とはいえ、半ば私立のような運営を余儀なくされている。自給自足の生活をおくる農民が多い農村部の学校では、この運営費集めに血眼になる。しかし、都市部では比較的集めやすいので怠惰に陥るのだろうか。  ただ、あえて弁護をするなら、奨学金を求めて待機している学校に行けない貧しい視覚障害児がとても多いということは事実である。  このため学校によっては、7人分の奨学金をやり繰りして11人の視覚障害児を養っているところもある。奨学金といっても児童やその親に直接渡すわけではなく、学校に送金して寮費などにあて、就学を保障するのだ。そして、そのほとんどが実は食費なのだ。奨学金は小学校1年生でも、日本の高校1年生に相当する10年生でも同額である。このため、小学校低学年が多い場合は、このようなやり繰りも比較的容易なのだ。しかし、児童はすぐに大きくなるので、このような弥縫策はすぐに破綻する。そのため統合教育校によっては奨学金が喉から手が出るほど欲しい学校もあるのだ。  このように書くと元々の奨学金が高すぎるのではないかと誤解される方がいるかも知れないが、政府の奨学金と同額なので、詳細に調べれば調べるほど、これでよく運営ができると感心するような低額である。しかし、これはなにも寄宿舎だけの話ではなく、一般の給与所得者もそのサラリーで、よく一家を支えられるなと不思議なほど安いので、驚くにはあたらないのだが。 (写真)4人の新奨学生(ドゥマルワナ校にて) ◆校正のお願い  再三の催促の後、NAWBから新奨学生の名簿がEメールで届いたのは9月12日。しかし、この名簿には必ずスペルや数字の間違いが数ヶ所あると確信したとおり、現地調査ではそうなった。  調査は生徒毎に、生徒の氏名・生年月日・年齢・学年・性別・母語、住所と学校までの通学時間、家族構成と一家の年収を、先生に記載年月日、学校名、記載者名と共に書いてもらう方式。  すると、名簿と随分スペルが違うばかりか、教員によって学校名のスペルまでが違った。  ネパール語は、ヒンディー語と同じデヴァナーガリ文字で書くのだが、これをアルファベットに転写するときに正確に表記できない教師が多すぎる。また、ネパールでは4月中旬から新年がはじまる太陰太陽暦のヴィクラム暦を使うので、西暦に直すときに間違えたり、そもそも自分の生年月日を西暦で知らない人が多いので、混乱に拍車がかかる。  「誕生日が二つあるのだがどちらにしよう」と真顔で相談されても困るのである。  新事務局長に、Eメールで再三にわたってきちんと校正するように依頼しているが、どうも反応が鈍い。  このままでは1年たってからスペルの「B」が実は「W」だったとか、年齢が若返ったり、性別がひっくり返ったりするかも知れない。私は前事務局長のアルヤール氏に名簿をEメールで送って校正を頼んだ。そして国際電話すると、明らかにおかしいスペルがいくつもあるとの返事だった。 ◆12人一行の宿代  町一番の高級ホテルの庭に並んだ総員は12人。昨年までの最高が9人だったので、ビンフェディ孤児院訪問の一行としては過去最多である。  協会の有志による「クリシュナ基金」は、現地スタッフだった故クリシュナ・ムキーヤ氏の遺児のうち、孤児院に引き取られた末っ子を除く3人に10年間の教育を提供する事業。そして東京からの現地調査時に3人を連れて末っ子に会いに山中の孤児院に行き、この日ばかりは4人きょうだいがそろってふもとのホテルに1泊する。  その宿代だが、日本人2人の部屋代は税込で合計2,712ルピー(約3,200円)、他の10人分の宿代は税込で合計1,582ルピー(約1,800円)であった。  ネパールの国際ホテルには、ドライバーや随行員が宿泊するために、格安の部屋を提供するところがあるので、こんなに値段が違うのだ。 ◆孤児院の食堂  視覚障害児が学ぶ統合教育校の寄宿舎の食堂にはテーブルも椅子もない。コンクリートむき出しの床に直接座って食事をするのだ。テーブル設置の費用くらい出せないわけないのだが、彼らは自宅では土間に直接座って食事するので、その習慣を尊重する必要があるのだ。一方、孤児院ではその必要はないので、テーブルと椅子も設えてあり、ほぼ先進国並の環境が保障される。  5年前に当協会で「末っ子を孤児院に入れてきた」と言ったら、鬼の所行であるかのように非難された。しかし、東京に住むネパール人には、「それは良かった。その子供はラッキーだ」と言われた。孤児院が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を送れる子供は、ネパールでは極めて少数のアッパーミドルクラス以上に限られており、同国ではそれは周知の事実なのである。  「クリシュナ基金」の3人が学ぶ私立校も地元では、それなりに恵まれた家庭の子弟が通う学校である。しかし、同校の寄宿舎より、孤児院の方が比較にならないほど設備が整っていた。  また、孤児院に住んでいる子供たちは、当然、公立校に通うものだとばかり思っていたが、それは、良い意味で裏切られた。末っ子は授業料が高い私立校に通っており、兄や姉に負けない高いレベルの教育を受けているのだった。 ●アジア的選択 "The Art of Choosing" by Dr. Sheena Iyengar  全盲の米・コロンビア大学シーナ・アイエンガー教授の著書『選択の科学』(文藝春秋刊)が話題になっている。両親がインドのデリー出身でシーク教徒であるため厳格な宗教的規範の中で育った彼女は、米国で統合教育を受ける中で、同国の中心にある「光り輝くもの、とてつもなく明るいために、目が見えなくとも見えるものに気が付いた」、それが選択だった。  彼女の視点は多角的で「選択の代償」にも目を向け、単純に「選択は善」とは考えない。むしろ選択に制約を課されることで、逆に本当に大切なことだけに目を向け、選択しやすくなるとも述べている。  「コーヒーにしますか? 紅茶にしますか?」と聞かれて「どちらでも結構です」という答え方は欧米にはないが、「日本にもネパールにもある」といって、二昔前カトマンズで笑ったことが、懐かしく思い出された。(福山) ●英文図書贈呈式  協会職員による「クリシュナ基金」で、現地スタッフの遺児3人が学ぶブライト・ランド校に、三菱東京UFJ銀行の方々や聖明福祉協会の酒井久江さん、当協会の職員から預かった英文図書を寄贈しました。海賊版ばかりはびこるネパールで、紙と製本が上等のオックスフォード英英辞典の初登場に「本物だ!」との感嘆の声があがりました。 (写真)同校理事長と握手をする藤元ヘレン・ケラー学院長 ●下館RCでの卓話  茨城県の下館ロータリークラブ(RC)のお招きで、福山事務局長は、10月13日(水)の同会例会において、「ネパールにおける東京ヘレン・ケラー協会の国際協力」と題したスピーチを行いました。同会の姉妹クラブであるカスタマンダップRCの会長が、NAWB前会長のラウト氏で、下館RCもNAWBを支援しているので、その縁で声がかかったのでした。 ●募金のお願い  ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150−5−91688 銀行口座:三菱東京UFJ銀行:高田馬場支店(普)0993756 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号に掲げる社会福祉法人です。当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号、法人税法第37条第1項及び第4項の規定が適用され、税法上の特典が受けられます ●編集後記  12月に入ってもネパールの新首相は、決まりません。▼マオイストNo.2のバブラム・バッタライ博士は、前内閣の財務相として辣腕を発揮したので、他の政党はこぞって彼を推しています。しかし、マオイストNo.1のプラチャンダ議長だけが首を縦に振りません。▼行政能力の高い博士にお株を奪われることを恐れているのです。▼博士は、私たちが支援するアマル・ジョティ・ジャンタ校の出身で、視覚障害者への理解も深いので、党派を超えてNAWB関係者に人気があります。▼2001年に英邁な君主として国民から圧倒的に支持されていたビレンドラ国王一家が虐殺されてから、ネパール政治の混迷に歯止めがかかりません。まるで、呪われているかのようです。(H・F) ●発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4 TEL : 03-3200-1310  FAX : 03-3200-2582 http://www.thka.jp/ E-mail: XLY06755@nifty.com ※ 迷惑メールが増えています。当協会宛のメールには、適切な「件名」をお書き添えください。