愛の光通信    2010年夏号通巻34号 2010.6    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局  ランプの灯をかかげ続けて60年(1950〜2010)  東京ヘレン・ケラー協会はおかげさまで、創立60周年を迎えました。 (写真)ドゥマルワナ校の寄宿舎を支える同窓生:向かって左から寄宿舎の用務員さん、寮母さん、そしてボランティアの寄宿舎運営委員会委員長。中央の寮母さんは働きながらドゥマルワナ校の10年課程を修了し、学校教育修了国家試験(SLC)にも合格。他の2名は、現在も同校の在校生で、視覚障害児・生徒の世話をしながら、彼女たちも学んでいます。 ●母校の教壇に立つ ―― チミルシナ先生にみる社会的自立 ――  海外盲人交流事業事務局長/福山博  ドゥマルワナ校5年生のクラスで、ネパール語を教える大柄な教師の名は、クリシュナ・プラサド・チミルシナ(26歳)。  全盲の彼は当協会とNAWBで開発した統合教育校の第1期生で、昨春より母校で4年生と5年生に社会科、理科、ネパール語を教え(※)、そして時々、代講で9年生に「人口と保健」を教えています。  彼のように視覚障害を持つ教師は年々増え、現在、ネパール全土で約450名が教壇に立っています。  1996年に現地調査したときの資料によると、チミルシナ君は幼少時にビタミンA欠乏症により失明。父親は小作農をしており、祖父、祖母とも健在で、本人を含めると9名の大家族でした。 ◆就学前教育  1990年当時、当協会はネパール盲人福祉協会(NAWB)と共同でバラCBRを実施しており、彼はその調査で見つかった就学適齢期の視覚障害児の一人でした。  その頃は、「目が見えないのに教育を受けさせて何になる。本人ができもしないことをやらされて苦しむだけだ。そんな可哀想なことはできない」という親が多くて、統合教育への理解はなかなか進みませんでした。私も日本からの支援で実施している事業であることを証明するために、視覚障害児の家を訪問しましたが、私たちの意気込みとはうらはらに、説得に失敗し、うなだれて帰ってくる日ばかりが続きました。  そんな中、村の有力者の力添えもあって、教材はもちろん衣食住のすべてを丸抱えするという条件で、男児2名、女児1名の親が就学に同意しました。ちなみにチミルシナ君と、別のもう一人の男児のファーストネームとミドルネームはまったく同じで、このため、ネパールでは通常ファーストネームで呼ぶことが圧倒的に多いのですが、彼らだけは例外で、その後長く、ファミリーネームで呼ばれることになりました。  私たちは、バラ郡の数校の学校と交渉し、1年間の準備期間をおいて、ドゥマルワナ村にある公立校(ドゥマルワナ校)で、統合教育を行うことにしました。このように一から立ち合って、一喜一憂してきたので、私たちは同校に特別の思い入れがあります。しかもチミルシナ君が母校の教壇に立つことになり、「視覚障害者でも教育を受けたら自立ができる」と、私たちが20年前に言ったことが証明できて格別の感慨があります。もっとも、これに関しては、だいぶ前からネパールでは視覚障害を持つ教師が続々誕生し、周知の事実となっていましたが。 ◆厳しい学習環境  チミルシナ君は、1992年1月17日に他の2名の視覚障害児と共にドゥマルワナ校に入学。といっても、ネパールの新学期は4月15日前後に始まるので、就学前の予備的な入学です。というのは視覚障害児に点字を教え、授業についていけるようにサポートするリソース・ティーチャーも、その前年にカトマンズに派遣されて、3ヶ月の短期研修を受けたばかりのほやほやだったのです。そこで、新米教師と児童が一緒に生活するところから、3名への教育は、おそるおそる始まったのでした。  当時は寄宿舎もなく、空き教室とは名ばかりのあばらやに3名は寄宿していました。もちろんトイレもシャワーもなく、隣接した小屋にかまどがあり、寮母さんが炊事を始めるとその煙が流れ込み、児童たちはいぶされてそのたびに脱出するというありさまでした。もっともリソース・ティーチャーは、舎監としてこの炊事小屋に寝泊まりしていたので、児童の方が幾らかましでしたが。  トイレは学校にある畑で、シャワーは校庭の隅の井戸を使っての沐浴という、まったくのサバイバル生活。ただ、彼らの実家での生活も似たようなものであることを知り、いくらか安堵した記憶があります。しかし、いつまでもこのような生活環境に置くわけにもいかず、最低限の文化的生活を送ることができるように、寄宿舎を整備するのはまったなしの課題でした。  チミルシナ君をはじめとするこの第1期生3名は、結局、一人も欠けることなく、その後、10年課程を無事修了するのですが、この時点では前途多難でした。 ◆リーダーとして  1992年の4月、点字学級が正式に発足し、これから1年間点字の勉強で、むろんこれも就学前教育です。彼らが晴れて小学校1年生に進級したのは、1993年の4月でした。その当時のチミルシナ君が、リソースルームで点字を勉強している写真が残っています。おとなしい彼があどけなさの中にも、上目遣いで厳しい顔をしています。教員も十分な教育を受けているわけではないので、特に第1期生は丸暗記一辺倒のハードな授業でした。なにしろ小学校1年生なのに、授業の他に寄宿舎で1日3時間40分も予習・復習の日課が課せられていたのです。しかもリソース・ティーチャーがつきっきりなので、その頃は彼らはいつも厳しい顔をしていました。ネパールの学校は小学校1年生から進級試験があるため、特に教師は第1期生を進級させるために必死だったのです。  1995年5月に国際ボランティア貯金の配分金を受けた寄宿舎が完成。児童たちの生活環境は劇的に改善されました。また、次第に後輩たちも増えて、その面倒をみることで彼らも大きく成長し、寄宿舎も賑やかになりました。チミルシナ君も3年生になり、学校生活にもいくらか余裕が出てきたようで、笑顔も増えました。  その後は順調に進級し、2003年3月に、3名ともそろって10年課程を修了し、学校教育修了国家試験(SLC)にも合格。当協会とNAWBのプログラムはここまででしたが、彼ら3名は他の奨学金を受けて、その頃までには12年制学校になっていたドゥマルワナ校でさらに学び、卒業後は、大学に進みました。  SLC合格直後に、わたしは、ドゥマルワナ校から4WDで20分ほどの距離にあるチミルシナ君の家を訪ねたことがあります。彼のお母さんが何ごとかと心配そうな顔で出てきましたが、SLC合格の話題になると笑顔がはじけました。息子の将来に明るい希望を見ることができたのです。  2009年4月にチミルシナ君はドゥマルワナ校の教員に採用されました。彼らが入学したときと較べれば、格段に教育環境は整いました。しかし、その反面、それに反比例するように視覚障害児のモチベーションは低下しているように思われます。一般の児童並になったといえばそれまでですが、一般社会に出たら、まだまだ、視覚障害者を取りまく状況は厳しいので心配です。  チミルシナ君には教師であると共に、地域の視覚障害者のリーダーとして、母校で後進の指導に尽力することを期待したいものです。 (写真)小学校1年生のチミルシナ君(9歳)  (※)ネパールでは小学校でも科目ごとに教師が担当する専科制である。ただし同じ教師が2教科以上教えることもけっして珍しくない。 ●ラミチャネ氏に博士号 ―― ネパールの障害者で初の快挙 ――  本誌『Light of Love(愛の光通信)』No.22、No.25、No.28でも紹介したネパールからの全盲の留学生カマル・ラミチャネ氏(28歳)に、このたび東京大学から学術博士号が授与された。  博士論文は「障害と教育・雇用の連関に関するネパールにおける実証研究」で、障害者の社会経済的なステイタスを計量経済学の視点から分析するばかりか、開発学や社会学の方法を用いて、障害学の観点から分析した研究。先行研究では障害のない人の教育収益率は約10%だが、彼の研究で障害者の場合は19〜30%であることがわかった。障害者は教育がなければ、就職できないということもあって、障害者の教育収益率は非常に高いということが端的な結論。障害者には教育の必要性が極めて高いことを実証的なエビデンス(根拠)で証明したことが彼の研究成果である。  ネパールでは、障害者全体の中ではじめての博士の誕生である。  ラミチャネ氏は、ネパールの首都・カトマンズから車で4時間以上かかるチトワン郡デュッパニ村出身。当時は地元で教育を受けることができず、 10歳の時にネパール盲人福祉協会(NAWB)が支援するカトマンズ近郊のバクタプール市にある学校に入学。遠く親元を離れての生活であったため、当初は毎日泣いたというが、結局、彼は奨学金を受けながら、その周辺で大学まで過ごす。  訪日は、2002年10月に「アジア太平洋障害者の十年」で大阪にきて発表したのが最初。そこで日本障害者リハビリテーション協会の職員からダスキンの愛の輪プログラムの話を聞き、2003年8月から10ヶ月間、日本で同研修を受けた。この間に筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)の視覚障害を持つ教師と出会い、筑波大学への進学を志す。  ダスキンの研修が終わるとネパールに3ヶ月間一時帰国して、再来日。日赤奉仕団や筑波大の学生ボランティアの支援を受けて受験勉強を行い、筑波大大学院修士課程に合格。この間が、彼が最も苦しかった頃で、彼自身「人生のターニングポイントでした」と振り返る。  彼は学生時代にNAWBで触読校正のアルバイトをしていた関係で、「格別のご支援をお願いします」と私たちはNAWBの事務局長からいわれていた。そこで、大学の学生寮に入るまでの宿の手配や、入学願書やビザ申請などの各種手続きなどの支援を行ったのだ。なお、個人的に一時的に用立てることはあったが、当協会からは一切の財政支援をしていないことを、念のためお断りする。  修士課程2年からは文科省の奨学金を受け、これは東大に移った博士課程修了まで給付された。  この4月からは、日本学術振興会の研究員として、さらに2年間東大で研究生活をおくるが、「自由度が大きい分これからの方がさらに大変で、きちんとした研究をしていかなければなりません。予備調査とか研究について相談しなければならないので、8月頃、暑いのですがネパールに帰るつもりです」と彼はいう。  この2月23日〜3月14日には、米ニューヨーク州のシラキューズ大学の招きで、客員研究員(In-Residence Fellow)として講義等を行った。 ●クリシュナ基金から御礼 ―― 三菱東京UFJ銀行の皆さまへ ――  クリシュナ君遺児育英基金(クリシュナ基金)は協会有志による、突然死したネパール人現地スタッフの遺児3名を支援する育英事業です。10年間の教育費や生活費はすでに工面できているのですが、子供たちの通う学校の教育環境に問題があります。小学校1年生からネパール語以外の授業は、英語で行っているのですが、図書室にはみごとに蔵書が無いのです。  それを知った三菱東京UFJ銀行の国際法人部、国際管理部の方々などからたくさんの英文書籍をいただきました。なにぶん手荷物で運んでおりますので、少し時間はかかりますが、必ず現地に届けます。ご協力ありがとうございました。 (写真)NAWBに届いた寄贈書の一部 ●学制の緩やかな変更 ネパールの学校制度が五三二制から五三五制に変わると聞いたのは、二昔も前のことであった。「さあ大変!」と身構えたのだが、劇的に変わることはついになく拍子抜けした。  その後、徐々に10プラス2という形で、2年間の後期中等教育が普及してきた。私たちが支援するドゥマルワナ校は早かったが、アダーシャ校とアマル・ジョティ・ジャンタ校も昨年12年制のハイヤー・セカンダリー・スクールとなり、やっとくどくどと説明することなく、高校と呼べるようになった。  ネパールの従来の学校制度は、初等・中等教育が小学校5年、前期中学校3年、中学校(Secondary School)2年の10年間。高等教育がPC(Proficiency Certificate)課程2年、学士課程3年、修士課程2年で、その頃、博士課程は存在しなかった。  一方、諸外国では、高等教育入学以前の就学年限は12年が大勢を占めている。とくに実質的には後期中等教育であるPC課程の教育を大学教育と呼ぶのには国際的に無理がある。また、17〜18歳の学生は、大学でのより自由な教育より、むしろ規律ある教育環境を必要とするとの考え方が大勢だ。そこで、PC課程相当の教育を後期中等教育とする「後期中等学校法」が1989年に制定され、2001年には775校の後期中学校(Higher Secondary School)が認定された。しかし、新制度への移行は少なからず予算を伴うため、その後は、極めてゆっくりと実施されている。このため現在もまだ移行途上にあり、両制度は混在しているのだ。  アマル・ジョティ・ジャンタ校は、2008年に同校のOBで、当時財務大臣であったバブラム・バッタライ博士に陳情を行って、12年制に移行したと同校校長は誇らしげに語っていたが、アダーシャ校も、どうやらそれに伴って、12年制高校に昇格したようであった。 (写真)アダーシャ校の正門に掲げられた「Adarsha Higher Secondary School」のバナー ●数学教育の曙光 ―― A mathematics teacher commended from District Education Office ――  意外に思われるかも知れないが、視覚障害者にとって数学は、実はハンディの極めて少ない科目の一つである。とくに、高等数学においてはまったくないと断言しても過言ではない。このため大学で数学を専攻する視覚障害者は少なくない。ただし、これは日本を含めた先進国の話である。  これまで、本誌上でもたびたび嘆いてきたが、開発途上国、とりわけネパールでは、事情はまったく違う。初等・中等教育で算数・数学がきちんと教えられていないので、深刻なハンディとなっているのが現状だからだ。  ネパールにおける点字理科/数学記号の普及は、 1994年にNAWBのアルヤール事務局長が当協会で、米国式の点字理科/数学記号である「ネメスコード」を修得し、帰国したときにさかのぼる。  その後、ネパール語によるテキストを作成して、精力的に講習会を行ったが、教員に数学や理科に関する知識が不足していること、点図を作成するシステムが整備されていないこと等により、その実はまだ十分上がっているとはいえない。  しかし、その現状を覆す例がシャンティ校で起きた。第1学年から10年間、常に学年で首席をキープしてきた強度の弱視生徒が、SLCを受けるに当たり、自分が望む進学のためには不可欠だったので、日本の「数学V」に相当するような点字教科書のない教科に挑戦したのだ。  それを、リソース・ティーチャーも過去に経験したことのある写真の女性教師が、1年間全面的にサポートして、彼は見事に合格したのである。  この出来事は、ネパールでは驚きを持って受け止められ、郡教育事務所の知るところとなり、くだんの教師は表彰されたのであった。 ●下館RC50周年記念式典  5月23日(日)、JR水戸線玉戸駅前の「ダイヤモンドホール」において、下館ロータリークラブ50周年記念式典が開催され、参加してきました。  同クラブは、ネパールに小学校を建設するなどの国際協力を行っており、その一環として、ネパール盲人福祉協会(NAWB)をも支援しています。  同クラブがネパールにおいて国際協力を行っているのは、姉妹クラブがネパールのカスタマンダップ(KASTHAMANDAP)ロータリークラブという縁からで、このクラブは、NAWBの相談役であるガジェンドラ・シュレスタ氏が設立会長で、現在の会長は前NAWB会長のラジャン・ラウト氏というNAWBと縁の深いクラブです。  今回の五十周年記念式典にラウト氏も参列の予定でしたが、来日直前に身内に不幸があり不参加となりました。ネパールからはガジェンドラ氏を団長に17名の代表団が、この式典のために来日し、私にもお声がかかったのでした。(福山 博) ●2009年度事業報告(平成21年4月1日〜平成22年3月31日)  ネパール盲人福祉協会(NAWB)の点字教科書発行を中心とした教育事業に対して、事業継続のための側面的支援を行った。  毎日新聞東京社会事業団の寄託によるネパール視覚障害児奨学金事業をNAWBと共同で、統合教育校7校(対象47名)において実施した。これは2005年度から5年計画で行う事業であったため、これにより無事完了した。本事業は、現地において深く感謝されると共に、実り多い事業として高く評価されている。  当協会が支援するまでは、たった1名しかいなかった視覚障害を持つ教師が、現在はネパール全土に約450名もいる。また、視覚障害者で初の国家公務員上級職が昨年の夏に誕生。今年の春には、ネパールの障害者全体で初の博士が視覚障害者のなかに生まれ、ネパールでは驚きと共に大きく報道された。これは当協会が20年余にわたって支援するNAWBの地道な教育事業が大きく花開いた結果である。  事業計画の通り、後援者から寄せられた基金で、NAWBに「安達禮雄育英基金」と「正雄育英基金」を創設した。また、平成21年3月下旬に寄せられた基金で、「順子女子育英基金」を同様に創設した。  上記事業の管理等を行うため、2009年10月21日〜11月3日の日程で福山博事務局長がネパールに出張した。  国内活動では、福山事務局長が「障害分野NGO連絡会(JANNET)」の幹事として、障害分野における国際協力・交流事業に参画した。  事業報告集である『Light of Love(愛の光通信)』を2009年6月(夏号・通巻32号)と2010年1月(新春号・通巻33号)に発行した。 ●2010年度事業計画(平成22年4月1日〜平成23年3月31日) 1.フォローアップ事業  ネパール盲人福祉協会(NAWB)の点字教科書発行を中心とした事業に対して、フォローアップのための側面的支援を実施する。これは、当協会が長年実施してきた事業が無に帰さないように、平成16年度から継続して実施している事業である。 2.視覚障害児童・生徒育英基金事業  当協会がネパールで実施する事業の熱心な支援者から寄せられた各200万円を基に、安達禮雄育英基金、正雄育英基金、順子女子育英基金という3基金を、当協会は平成20年度と21年度に、相次いでNAWBに創設した。  安達禮雄・正雄育英基金は、小学1年生から10年課程の中等教育終了までの男女の視覚障害児童・生徒を対象とした奨学金で、順子女子育英基金は小学1年生から10年課程の中等教育終了までの女子の視覚障害児童・生徒を対象とした奨学金である。これらの奨学金は寄付者の意向を尊重しNAWBと協議して、寄付者、NAWB、当協会の三者の代表によって覚書を交換し、ネパール政府の社会福祉協議会(SWC)に届け出た事業である。  この3事業は1年間の利息を原資に、今年度から奨学金を給付するので、覚書に添って滞りなく実施されるよう、報告書等で確認・モニターする。ただし、現地に職員を派遣しての事業管理を本年度は行わず、今後は2年に1度をめどに実施する。 3.国内事業  広報・募金活動は、NAWBから事業報告等が提出されることを条件に、『Light of Love(愛の光通信)』を年2回発行し、例年通り実施する。  日本障害者リハビリテーション協会内に事務所を置く、障害分野NGO連絡会(JANNET)において、障害分野の国際協力を行う他施設・団体と情報交換・交流を深める。 ●平成21(2009)年度収支計算書 自 平成21年4月1日 至 平成22年3月31日 (借方) 以下、科目、金額(円)の順。 事務費 622,975   賃金 240,000   旅費 320   通信費 145,160   消耗品費 3,650   印刷製本費 188,845   雑費 45,000 事業費 5,730,915   海外援護費 5,500,000   海外出張費 230,915   その他評価損 0   小計 6,353,890   当期繰越金 △3,373,942   合計 2,979,948 (貸方)  以下、科目、金額(円)の順。 寄付金収入 2,976,550   助成金収入 1,000,000   募金収入 1,976,550   雑収入 3,398   受取利息 3,398   その他の雑収入 0   合計 2,979,948 ●貸借対照表 平成22年3月31日現在 (借方)  以下、科目、金額(円)の順。 流動資産 2,598,350   現金 12,178   預金 2,586,172   資産合計 2,598,350 (貸方)  以下、科目、金額(円)の順。 繰越金 2,598,350   前期繰越金 5,972,292   当期繰越金 △3,373,942   純財産合計 2,598,350 ●海外交流事業記録(2009/4〜2010/3) 2009年5月30日:JANNET役員会・総会(JICA地球広場<東京・広尾>) 6月:『Light of Love(愛の光通信)』夏号(No.32)発行 7月11日:CBRと開発研究会(戸山サンライズ) 9月9日:JANNET役員会(戸山サンライズ) 9月9日:JANNET財務・組織委員会(戸山サンライズ) 10月3日:グローバルフェスタ(日比谷公園) 10月11日:CBRと開発研究会(戸山サンライズ) 10月21日〜11月3日:ネパール出張(福山) 11月7日:JANNET財務・組織拡大委員会(戸山サンライズ) 2010年1月:『Light of Love(愛の光通信)』新春号(No.33)発行 1月27日:CSR推進NGOネットワーク定例会(国立オリンピック記念青少年総合センター) 3月14日:JANNET役員会(戸山サンライズ)3月25日:CSR推進NGOネットワーク定例会(環境パートナーシップオフィス) ●寄付者ご芳名(五十音順・敬称略)平成21年4月1日〜平成22年3月31日 温かいご支援ありがとうございました! (個人) 青木貞子/青木正樹/秋山恭子/有本圭希/有本成子/安藤生/池田富夫/石井芳重/石田隆雄/石谷喜代/板倉昭義/市原政春/一幡良利/伊藤啓子/今泉新治/岩屋芳夫/植竹清孝/上野伊津子/ウシフサヒサコ/遠藤亀松/遠藤利三/大島秀夫/大谷善次/大西明絵/大橋東洋彦/大久栄悦/岡本好司/小野塚耕吉/貝元利江/勝山良三/加藤万利子/金沢茂雄/金田敏子/苅安達男/川尻哲夫/菊井維正/木村ちづ子/黒見恵美子/小出隆家/肥塚隆/肥塚美和子/古賀副武/小島亮/後藤良一/小長谷正夫/小森愛子/近藤光枝/権並法子/斎藤惇生/坂入操/坂口廣光/佐古井貞行/指田忠司/佐橋忠明/柴田光俊/菅原温子/杉沢宏/鈴木俊勝/鈴木洋子/染矢朝子/高橋恵子/田中さ加恵/田中正和/田伏淳一郎/照井タカ子/当津順子/当山啓/鳥羽田節/富岡定夫/富岡智子/中尾照美/中嶋千代志/中村保信/成澤千賀子/西本行男/野津虎雄/橋本時代/橋本幸信/長谷川一郎/林春枝/林紘子/原田美男/比留間玲子/富久縞博/藤井悦子/藤芳衛/二見文江子/本間昭雄/増野幸子/松浦健三/松村太郎/松本滋/真鍋静子/馬野将幸/三原富美子/三宅正太郎/宮下浩子/森山朝正/山口節子/横大路俊久/吉田重子/米田昌徳/ラマ・チャンドラ/ラミチャネ・カマル/渡辺尚道 (団体等) ◆NTT東京福祉文化事業団ゆいの会・中谷孝子 ◆有限会社大本印刷・大本堅治 ◆岐阜県立岐阜盲学校 ◆小林動物病院 ◆シャンバロー芸能事務所・白井雅人 ◆有限会社信和ハウス ◆株式会社高垣商店 ◆スズキリフレッシュルーム・鈴木雅夫 ◆ヒーリングファミリー財団 ◆財団法人毎日新聞東京社会事業団 ◆三好稲荷閣・満福寺 ◆山辻医院・山辻英也 ◆養護盲老人ホームひとみ園・茂木幹央 (物品寄付者) ◆成澤千賀子 ◆仁藤輝夫 ◆三菱東京UFJ銀行国際法人部・国際管理部有志 ◆山内有希 ◆ロゴス点字図書館 ●郵便振替に書いてあったメッセージ ◆〈『Light of Love(愛の光通信)』2010年1月号「井口淳氏を偲んで」をご覧になって〉井口淳様のご冥福をお祈り致します。ネパール王章受賞記念のテレホンカード今も持っています。(小森愛子様より)◆先日は資料〈『Light of Love(愛の光通信)』バックナンバー〉をお送りくださりありがとうございました。皆々様のご健康とご活躍をお祈り致します。(染矢朝子様より) ●バナナガール  ここはインド国境に近い亜熱帯地方のタライ平野。バナナのプランテーションから、突然出てきた少女の右手には、完熟した地バナナが一房下がっていた。彼女が左腕を中途半端に挙げているのは、カマを左脇に挟んでいるからだ。  日本の店頭によくあるバナナより、やや小ぶりのものやもっと小さいモンキーバナナをよく見かけるが、味はどれも美味しい。 ●バグマティ橋  ガンジス川の支流バグマティ川にかかるこの橋は、右岸のパタン市とカトマンズ市を結ぶ交通の大動脈である。この川には他にも橋が架かっているが、その規模と重要性が群を抜いているから、この橋はその名もずばりバグマティ橋という。NAWBから歩いて2、3分の距離にあるこの橋は、日本政府のODAにより架橋された。 ●募金のお願い  ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150−5−91688 銀行口座:三菱東京UFJ銀行:高田馬場支店(普)0993756 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号に掲げる社会福祉法人です。当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号、法人税法第37条第1項及び第4項の規定が適用され、税法上の特典が受けられます ●編集後記  青天井のインフレ、政情不安、水不足に電力不足、ストライキによる交通遮断の頻発など、ネパールはまさに無政府状態です。  工業製品とは違って、日本の政治も「世界に冠たる」とはとてもいえませんが、彼の国と較べればまだましです。  ネパール制憲議会は5月28日夜半、同日の期限内に新憲法を制定できなかったことを受け、制憲議会の任期を1年延長する法案を可決しました。  2年の任期中に新憲法をまとめることができなかった制憲議会が、今度は1年以内という新たな期限を設け、仕切り直すことになったのです。  しかし、マオイスト軍の国軍統合などをめぐる対立が解消する見通しはなく、政治的混迷による無政府状態は当分続きそうです。(H・F) ●発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4 TEL : 03-3200-1310  FAX : 03-3200-2582 http://www.thka.jp/ E-mail: XLY06755@nifty.com ※ 迷惑メールが増えています。当協会宛のメールには、適切な「件名」をお書き添えください。