愛の光通信    2009年夏号通巻32号 2009.6    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 (写真)幼い顔が並ぶ教室でひときわ目立つ彼女は、21歳の小学1年生(詳細は2頁)。 ●21歳の小学校1年生 ―― 飛び級と彼女の将来 ――  彼女の名前はチャンチャレ・マヤ・タマン(Miss Chanchale Maya Tamang)21歳(表紙参照)。バラ郡のドゥマルワナ校の運営委員の一人が、東へ100km以上も離れているジャナカプール県のサルラヒ郡に所用で出かけたときに、偶然出会った全盲の女性である。彼女の両親はすでに亡くなっており、父親の妹である叔母の世話になっていたという。 ◆向学心と飛び級  彼女の願いは、「全盲でも教育を受けて、教職を得て、立派に自活している人がいると聞いたので、自分も勉強したい」ということであった。  その運営委員は、彼女のしっかりした話しぶりに心惹かれ、見所がありそうだと判断。そこで、ドゥマルワナ校に持ち帰り、同校の運営委員会で相談し、彼女の身の上もさることながら、将来性に期待して、遠隔地の学生ではあるが、特別に同校独自の予算で受け入れを決めたという。彼女の地元にも統合教育校があるのだが、予算や定員の問題ですんなり受け入れられることは少ない。どんなに遠くても受け入れてもらえれば運のいい方なのである。  ところで、日本でも1947年の学制改革以前は、「飛び級」が行われていたようだが、ネパールでは現在もさかんに行われている。タマンさんの見所というのも、まさにそこにある。  彼女の場合、飛び級をしなければ、10年課程を終える頃、すでに30の峠を越えてしまう。ネパールの農村部は、今でも「人生50年」の世界であるから、これでは就職等で非常に不利になる。ただ、そこをスキップして、5年ほどで修了すれば、そのような年齢で10年課程を修了する人は、他に幾人もおり、それほどのハンディではなくなり、随分展望が開ける。  また、ネパール盲人福祉協会(NAWB)としても、10年かかるところを5年で修了してもらうならば、いわゆる「費用対効果」の観点からも申し分ない。しかし、そううまくことが運ぶかどうかは、一種の賭でもある。  彼女にこれまでの半生を詳しく聞いたわけではない。しかし、彼女のように20歳を過ぎてから学校の門を叩いたケースは過去にもあったので、ここではある男性のケースを紹介しよう。 ◆入学が遅れた理由  私たちが統合教育を推進しはじめた15年ほど前は、視覚障害児の家を訪問すると、まるで人さらいでもやって来たかのように警戒されたものである。実際、ネパールのインド国境沿いの農村では、いまだに人身売買を目的とした児童誘拐が頻発し、社会問題化している。  ところが、徐々に視覚障害児への教育の成果が現れてくるに従って、誤解も解け、統合教育を受けるための申し込みは急増した。一般に視覚障害児は、労働力としてはあまり期待されていないので、「学費も寄宿舎の生活費も無償なら口減らしができる。しかも将来教師になることも可能なら、一石二鳥、こんないい話はない」と考える親が続出したのだ。しかし、何にでも例外があるように、視覚障害児であっても家庭で労働力として期待されることがあれば学校どころではない。  その全盲の男性は、両親はすでに早くに亡くなり、物心ついてから20歳になるまで、毎日、長兄の子供達の子守をしていたという。  子だくさんの農村部では、親子ほど年齢が離れた兄弟も珍しくない。長兄が結婚して子供が次々に生まれると、全盲の彼が家で赤ちゃんや幼児の世話をしていたのだ。長兄の嫁は畑仕事に、家事に大忙しだったから、彼なしに長兄の家計は成り立たなかった。  しかし、子供が全員大きくなると、一転して彼はお払い箱となり、長兄の家にもだんだん居づらくなってきたのだという。 ◆知識の蓄え  ネパールでは、正規の教育を一切受けていないにもかかわらず、豊かな英知の片鱗を見せる人々がいる。井戸端や緑陰の下で、暇を持て余した古老や村の世話役の話を聞き、いわゆる耳学問で、知識を蓄えてきた人々である。全盲の彼もそのような一人であった。  これまで小耳に挟んだ中には、一山越えた学校では視覚障害児が勉強しているばかりか、卒業した後、大学に進学したり、あるいは母校の教師として立派に自活しているという耳寄りな話もあった。最初は半信半疑だったが、その学校の話をする人が、他に何人もおり、間違いないと確信を持つようになった。なにより無償で勉強でき、しかも腹一杯食べられるというのは魅力であった。貧しい長兄を頼るより、人間らしく生きるためには、学校になんとか潜り込み勉強するしか、彼には残された道はなかったのである。  そして、意を決して訪ねてみればその話は事実で、しかも、なんとか受け入れてもらえそうな雰囲気もあった。偶然にも同校から転校して行った視覚障害児がおり、定員に一人分の空きができたばかりだったのだ。学校側としても、早急に定員を埋める必要があり、渡りに舟であった。ただ、成人を小学校1年生として受け入れるにはリスクもあり、とりあえず寄宿舎に泊めて、同校を訪問予定のNAWBアルヤール事務局長に判断を仰ぐことにした。  一般に成人を小学校に入学させることはあまり好ましいことではない。その他の児童と年齢が離れすぎていれば、体格も違うし、社会経験もちがうのでトラブルの元になりかねない。また、成長が止まって指が硬くなっているので、点字を指で読む「触読」の習得もさらに難しくなる。このため、受け入れるときはかならず面接をして、かなり慎重に人物とその能力の評価を行う必要がある。  その20歳を過ぎた、みるからに貧しい身なりの全盲の男性は、NAWBアルヤール事務局長の面接を受けることになった。  元々難しいと思っているので、同事務局長には遠慮がない。落とすのを前提とした意地の悪い質問もする。ところが、当意即妙の答えが返ってきて、彼を見守っていた視覚障害児童・生徒からやんやの歓声が起こった。いつの間にか、すっかり子供達を自分の側に引きつけていたのである。これは、あるいは長兄の子供達を育てあげた思わぬ余得だったのかも知れない。  こうして子供達の推薦や応援があり、最後はアルヤール事務局長も折れて、彼を受け入れることに決まったのであった。一昨年の実話である。 ●嗚呼、武装警察隊  迷彩服を着てライフルも持っているので、一見兵士に見えるが、彼らは「武装警察隊(Armed Police Force)」である。マオイストとの内戦の過程で2001年に誕生したことからもわかるように、主な任務は治安維持である。しかし、場合によっては交通整理もするはずなのに、なんとも頼りない。住民によるチャッカ・ジャム(道路封鎖)の際も駆けつけるのだが、呆然と立ちつくすだけで、何もしないし、できないのだ。  だが、デモ隊と衝突するときは、恐怖のあまり、すぐに引き金を引くので、火に油となる。  普段は一般にとてもおとなしいネパール人だが、その分、激怒すると半狂乱の凄まじい形相となり、手が付けられなくなる。 ●悪化するタライの治安  3カ年計画によるバラCBRセンター改修工事の最終年は、レンガ塀の上部に侵入よけの鋭い針がついた厳めしい鉄製フェンスを継ぎ足す工事であった。ベンチを重ねて足場にした現場では、溶接の火花が「バシッ、バシッ」と音を立てて上がった。  改修工事の最後に行っていることから、緊急を要するものではなく、「あくまでも念のためだ」といっていたが、治安の悪化をひしひしと感じる風景であった。  ネパールのインド国境沿いのタライ平野は、その昔から治安には問題があった。インドとの国境はいわゆるオープンボーダーで、両国民はパスポートなしで自由に往来できるのだが、このため、インド側から盗賊団がネパールに越境し犯罪を犯すケースが頻発。しかも、インド側に逃げるとネパールの官憲は手も足もだせなくなる。  2007年1月からインドからの移民を中心とするマデシ人権フォーラムや民主タライ解放戦線等の過激派による暴力的な権利闘争が起こり、税関・道路封鎖、ストライキが継続的に発生すると共に、マオイストなど他政党関係者との暴力沙汰も多発。名ばかりの政党による強盗、恐喝、誘拐、殺人、爆発事件等の凶悪事件が頻発している。私たちも学校巡回で立ち寄ったパシュパティ校の校長に、 「設備も古くて不便かも知れないが、(同校のある)ラーハンの街中にあるホテルに泊まり、日没後はホテルから一歩も出てはいけない」と、どこの誰が脅迫されているとか具体的な話を交え、30分も深刻な顔をして諭されてしまった。 ●バラ郡で高齢者が射殺される  私たちが毎年訪れるバラ郡で、2008年11月29日の夜、高齢者の射殺事件が起こった。  警察の発表によると、6人の武装ギャングが、午後9時半頃、65歳の農民を彼の水田に連れ出して射殺したというのだ。  一方、一団の強盗は、同日、同郡の別の場所で2人の若者を襲撃して重傷を負わせている。  襲われたのは兄弟で、郡庁所在地のカレーヤ町で買い物をした後、オートバイで帰宅したところを襲われ、オートバイが盗まれたという。  2人はすぐにカレーヤ病院に運ばれたが、1人は危篤状態にある。(「カトマンズ・ポスト」電子版 2008年11月29日) ●指名手配犯が国会議員に  2008年4月10日に投票が行われたネパール制憲議会選挙で、バワン・シン(31歳)がただ1人、無所属候補者として当選した。彼は2007年9月2日、死者3名、負傷者25名を出したカトマンズでの爆破事件を起こした「タライ・アーミー」の首謀者として、2007年10月にカトマンズ地方裁判所で殺人の嫌疑を受けている。  また、ロータート郡ゴール町で2007年3月21日に、27人のマオイストが殺された暴動を起こしたとして訴えられ、さらに彼は2006年に15歳の少女の強姦・殺人容疑もある逃亡中の被疑者である。  しかし、2008年5月27日に警察に逮捕されることなく、ビレンドラ国際会議センターにて、憲法制定議会議員として宣誓している。そして2008年6月1日には、ゴール地方裁判所に出頭し、法廷は、法的プロセスの後に彼を解放している。  長々とバワン・シンの話をしたのは、彼の地盤であるゴール町には、当協会が支援するジュッダ校があり、現地でも彼はギャングとして恐れられているからである。  なお、指名手配中であったため、彼は選挙運動は一切できなかったので、彼を刑事罰から救うため、家族が必死に選挙運動を行ったという。 ●首相の名は「ネパール」 ―― ネパール連邦民主共和国首相と視覚障害教育の接点 ―― (写真)新築なったドゥマルワナ校寄宿舎の屋上にて、左端がネパール氏で、右端は当時のNAWB会長のラウト氏(31 May 1995)  ネパール制憲議会(定数601議席)は、本年5月23日、議会第3党の統一共産党(ネパール共産党マルクス・レーニン主義派:UML)のマダブ・クマール・ネパール前書記長(56歳)を新首相に選出した。全24党のうち、第2党のネパール会議派を含む22政党、計350人の議員が同氏を支持し、無投票で選ばれた。  陸軍参謀長解任を巡って他党と対立し、5月4日に辞任したプラチャンダことダハール前首相率いる第1党のマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)は候補者を擁立しなかった。  ネパール氏は、当協会が支援するジュッダ校のあるロータート郡ゴール町出身で、バラモン(僧侶)階級の家に生まれた。本来の姓はウパディアだが、ネパールやインドではバラモン階級であることがすぐに分かる姓なので、カースト制度に反対する意味から「ネパール」と改名した。  1995年5月31日に当協会が郵政省国際ボランティア貯金の配分金を受けて建設したドゥマルワナ校寄宿舎の落成式には、当時副首相で、なおかつ外務大臣兼国防大臣の要職にあったネパール氏が主賓として列席した。  同氏は、制憲議会選挙では2つの選挙区(カトマンズ第2選挙区、ロータート第6選挙区)から出馬し、共に落選したため、責任をとって統一共産党の書記長を辞任した。  そのネパール氏を、ダハール前首相が憲法委員会の委員長に推薦し、彼の推薦を他の政党も受け入れたため、UMLの議員が一人辞任して、空席となった議席に、ネパール氏が就いた。このため、「選挙で選ばれたのではなく、党に任命された人物が首相になるとはどういうことか?」という、批判が今度の首相選出にはある。  しかし、視覚障害教育にも理解を示し、なにより古参政治家らしからぬ「素朴で正直な人柄」であるため、NAWB関係者の中には、支持政党に関係なく熱烈なファンが多い。いずれにしろ、合意の政治を必須とする今のネパールの政治状況には不可欠な政治家であることは確かである。  昨年(2008)8月中旬に来日し、国際協力機構(JICA)、日本共産党本部、外務省を訪問し意見交換を行った他、ネパールのポカラ市と姉妹都市関係にある長野県駒ヶ根市をも親善訪問している。 ●正雄育英基金の創設 ―― Masao T. Scholarship Fund ――  視覚障害者で当協会の後援者T氏(匿名希望)から2008年4月8日に実父が亡くなったので、その遺徳を顕彰するため育英基金を作りたいとの申し出がありました。そこでT氏とNAWB会長、当協会理事長が2009年3月23日付で「覚書」を交換し、創設した基金の骨子は以下のとおりです。  名称は故人の名前から「正雄育英基金(Masao T. Scholarship Fund)」とする。  NAWBは200万円に相当するネパールルピー(Rs.1,577,900)をカトマンズの信頼できる銀行に定期預金として預け、その利息の中から奨学金を給付する。  NAWBは、定期預金から得られる銀行利息だけを使い、元金は、定期預金の口座に常に保たれ、正雄育英基金は永続するものとする。  支給対象者は小学校から高校までに就学する視覚障害児・生徒5名を予定し、1人あたりの奨学金は年額1万5,000ルピーとする。  奨学生が高校教育を終了すると奨学金は新しい視覚障害児・生徒に与えられるものとする。  NAWBは奨学金総額の5%を超えない金額を管理費として使用できる。  NAWBの年次総会において、正雄育英基金の事業報告と会計報告を行う。  NAWBは毎年12月末に、T氏と当協会に対して、奨学生の学業報告と会計報告を行う。 ●イミグレーションのある交差点 (写真)マイティガル交差点(Maitighar Cross Section)を空撮。写真下部の白いビルが、NGOのインパクト・ネパール(Impact Nepal)の本部ビルで、ここにカトマンズのイミグレーション・オフィス(入国管理局)が入居している。左側の道路に面した大きな建物は、名門・聖ザビエル高校(St. Xavier College)で、格好のランドマークになっている。右下隅がプラサド邸。  一昨年までは、ブリクティマンダプという地名にあったカトマンズのイミグレーション・オフィスが、マイティガルに引っ越しました。それもネパール盲人福祉協会(NAWB)のラジェシュ・プラサド会長宅に隣接するインパクト・ネパールの本部ビルの中にです。  昨年訪れたとき、事前にそのことをしらなかったので、その看板にわが目を疑いました。インパクト・ネパールの創立者もNAWB同様、故L. N. プラサド先生であり、プラサド邸の庭から階段をあがると同本部です。そこで何度も訪れていたので、一瞬、政府に接収されたのではないかと、どぎまぎしてしまったのです。(福山博) Department of Immigration Maitighar, Impact Building, Kathmandu Tel:4221996, 4223590, 4222453 ●2008年度事業報告(平成20年4月1日〜平成21年3月31日)  毎日新聞東京社会事業団の寄託によるネパール視覚障害児奨学金事業を、ネパール盲人福祉協会(NAWB)と共同で、統合教育校7校(対象47人)において実施した。そして、NAWBの点字教科書発行を中心とした教育事業に対して、事業継続のため側面的支援を行った。また、3カ年計画で改修を行ってきたバラCBRセンターの最終年の工事を行った。なお、国際協力事業を支援している団体に助成申請をしたが見送られたので、ゴルカ郡における寄宿舎増築工事は中止した。  当協会がネパールで実施する事業の熱心な後援者であった故・安達禮雄氏の遺徳を顕彰して、ネパールに「安達禮雄育英基金」を創設してほしいと遺族から基金が寄せられたので、NAWBに同基金を創設した。また、別のネパール事業の後援者(匿名希望)からも父親の遺徳を顕彰して「正雄育英基金」を次年度に創設して欲しいと基金が寄贈された。  上記事業の管理等を行うため、2008年8月21日〜9月3日の日程で福山博事務局長がネパールに出張した。  ネパールではこの間、2008年4月10日に制憲議会選挙が実施され、反政府武装組織から衣替えしたマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)が第一党として大躍進を遂げ、同党を中心に連立政権が発足した。そして5月28日、制憲議会の初会合が開催され、連邦民主共和制への移行が宣言され、王制が廃止された。  国内活動では、福山事務局長が「障害分野NGO連絡会(JANNET)」の幹事として、障害分野における国際協力・交流事業に参画した。  事業報告集である『愛の光通信』は従来は年に2回、5月(春号)と12月(冬号)に発行して、冬号にて会計・事業報告を行ってきた。しかし、年次報告としてはいかにも遅すぎるので、5月の発行を1月遅らせ、2008年6月に夏号(通巻30号)を発行し、会計・事業報告を行った。今後はこのように6月に会計・事業報告を行う予定である。なお、冬号(通巻31号)は従来通り、同年12月に発行した。 ●2009年度事業計画(平成21年4月1日〜平成22年3月31日) 1.フォローアップ事業  ネパール盲人福祉協会(NAWB)の点字教科書発行を中心とした事業に対して、フォローアップのための側面的支援を実施する。これは、当協会が長年実施してきた事業が無に帰さないように、平成16年度から継続して実施している事業である。 2.毎日奨学金事業  平成17年度より実施してきた毎日新聞東京社会事業団寄託による「ネパール視覚障害児奨学金事業」を本年も継続・実施する。本事業は、貧困のため就学の機会を得られないネパールの視覚障害児47人に奨学金を提供し、自立への道筋をつけると共に、将来のリーダー養成を図る事業である。なお、本事業は、本年度が最終年度となる。 3.安達禮雄育英基金事業  昨年度、当協会がネパールで実施する事業の熱心な後援者であった故・安達禮雄氏を記念して、遺族の方から寄せられた基金を基にNAWBに標記基金を創設。今年度預けた利息により、平成22年度から奨学金を給付する。本年度は、そのための奨学生の募集・選考をNAWBに依託して実施する。 4.正雄育英基金事業  2008年4月8日に亡くなったMasao T.氏の遺徳を顕彰するため、子息である視覚障害者のT氏(匿名希望)より寄贈された資金(「安達基金」と同額)により創設されるもので、寄付の趣旨に添うようNAWBと協議して、覚書を交換して実施する。 5.国内事業  広報・募金活動は、NAWBから事業報告等が提出されることを条件に、『愛の光通信』を年2回発行し、例年通り実施する。  日本障害者リハビリテーション協会内に事務所を置く、障害分野NGO連絡会(JANNET)において、障害分野の国際協力を行う他施設・団体と情報交換・交流を深める。 ●平成20(2008)年度収支計算書 自 平成20年4月1日 至 平成21年3月31日 (借方) 以下、科目、金額(円)の順。 事務費 614,132   賃金 240,000   旅費 2,880   通信費 156,005   消耗品費 8,288   印刷製本費 161,959   雑費 45,000 事業費 4,147,737   海外援護費 3,800,000   海外出張費 347,737   その他評価損 1,933   小計 4,763,802    当期繰越金 2,117,273   合計 6,881,075 (貸方)  以下、科目、金額(円)の順。 寄付金収入 6,821,607   助成金収入 1,000,000   募金収入 5,821,607 雑収入 59,468   受取利息 9,468   その他の雑収入 50,000 合計 6,881,075 ●貸借対照表 平成21年3月31日現在 (借方) 流動資産 5,972,292   現金 8,003   預金 5,964,289 資産合計 5,972,292 (貸方) 繰越金 5,972,292  前期繰越金 3,855,019  当期繰越金 2,117,273  純財産合計 5,972,292 ●海外交流事業記録(2008/4〜2009/3) 2008年5月11日:JANNET広報啓発委員会(日本キリスト教会館) 5月31日:JANNET役員会・総会・ダッカ現地研修会報告会(日本キリスト教会館) 6月:『Light of Love(愛の光通信)』No.30発行 6月10日:JANNET財務・組織委員会(戸山サンライズ) 6月16日:JANNET主催「CBRと開発」勉強会(戸山サンライズ) 6月24日:CSR推進NGOネットワーク研究会(東京ボランティア・市民活動センター) 8月21日〜9月3日:ネパール出張 9月23日:JANNET役員会、「CBRと開発」勉強会 9月26日:世界銀行「コーヒーアワー」に参加 10月4日:グローバルフェスタに参加 10月15日:CSR推進NGOネットワーク研究会(日本キリスト教会館) 11月10日:JICA「障害者リーダー育成コース研修生」当協会を見学 12月22日:JANNET主催「CBRと開発」勉強会(戸山サンライズ) 2009年1月13日:埼玉県盲人福祉協会の研修会にて講演「ネパールの盲人事情」(深谷市・ひとみ園) 2009年2月2日:「CBRと開発」勉強会(戸山サンライズ) 2月4日:全国盲ろう者協会の勉強会にて「ネパールの障害者福祉事情について」レクチャー 3月20日:JANNET役員会(戸山サンライズ) ●寄付者ご芳名(五十音順・敬称略)平成20年4月1日〜平成21年3月31日 温かいご支援ありがとうございました! ※ 今号から「寄付者ご芳名」の掲載も、事業年度に合わせることができるようになりました。これまで、ご不便をおかけしておりましたこと、改めてお詫び申し上げます。 (個人) 青木貞子/阿佐博/芦田賀寿夫/安達禮雄/荒川志げ子/在田一則/有本成子/安藤生/石井芳重/石谷喜代/石原幸栄/市原政春/伊藤啓子/岩屋芳夫/植竹清孝/上野伊律子/上村健次/遠藤亀松/遠藤利三/及川幸男/大島幸夫/大谷善次/大西明絵/大橋東洋彦/岡本好司/小野塚耕吉/小原光彦/貝元利江/勝山良三/加藤万利子/金森なを/金田敏子/菊井維正/木村ちづ子/小出隆家/肥塚隆/肥塚美和子/小島亮/後藤良一/小長谷正夫/小森愛子/近藤公瑞/斎藤惇生/坂入操/坂口廣光/指田忠司/杉沢宏/鈴木俊勝/鈴木雅夫/染矢朝子/田口タヱ/竹脇美帆子/田中さ加恵/田中正和/田畑美智子/田伏淳一郎/照井タカ子/当津純一/当津順子/当山啓/土橋喜人/鳥羽田節/鳥原信一/中尾照美/中村太郎/中村保信/成田稔/西本行男/野津虎雄/野村寛/橋本時代/長谷川一郎/馬場クララ・テルコ/林春枝/林紘子/原田美男/比留間玲子/藤芳衛/本間昭雄/間下勉/増野幸子/松浦健三/松村太郎/馬野将幸/三原冨美子/御本正/宮本千絵子/目黒千代子/山田あき子/山本幸子/横大路俊久/吉田重子/ラマ・チャンドラ/渡辺直明 (団体等) ◆NTT東京福祉文化事業団ゆいの会 ◆(有)大本印刷代表取締役・大本堅治◆岐阜県立岐阜盲学校高等部生徒会 ◆小林動物病院 ◆古和釜幼稚園 ◆シャンバロー芸能事務所・白井雅人 ◆(有)信和ハウス代表取締役・谷池教子 ◆(株)高垣商店 ◆(株)バイリンガル・グループ ◆花園神社宮司・片山文彦 ◆安田物産(株) ◆山辻医院・山辻英也 ◆養護盲老人ホームひとみ園・茂木幹央 ◆(株)横浜ロイヤルパークホテル (物品寄付者) ◆岩松みちこ ◆金沢茂雄 ◆仁藤輝夫 ◆山内有希 ●郵便振替に書いてあったメッセージ ◆いつも「愛の光通信」、興味深く読ませてもらっています。20年前に旅行し、この間の変化に驚いています。(貝元利江様より)◆少しでもお役に立てれば幸いです。私も先頃、肝臓ガンの手術をしましたが、目の見えない方の不安はより強いものを感じます。(鈴木俊勝様より)◆いつも愛の光通信おもしろく読ませて頂いております。冬号(No.31)特におもしろかったです!!(小森愛子様より) ●懐かしのビクラム・テンプー  大気汚染の元凶として1999年カトマンズや景勝地ポカラから追放された、インド製ディーゼル乗り合い三輪車(ビクラム・テンプー)がバラ郡では現役だ。相変わらず真っ黒な排気ガスを出しながら、けなげに働いている。カトマンズでもこれと良く似た白い三輪車が走っているが、こちらは電気自動車のサファー・テンプー。サファーとはネパール語で「きれいな」という意味。 ●甘いお菓子ミタイ  ネパールでは甘いお菓子つまり、スィーツのことを「ミタイ」という。日本で甘味処といえば女性が行くところと相場が決まっている。ところが、ネパールでは、作るのもひげ面のオヤジなら、お客もなぜかでっぷり太ったひげ面のメタボオヤジが多い。われわれは軽食をとるため立ち寄るのだが、少なくとも、女性が食べている姿などみたことがない。 ●募金のお願い  ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150−5−91688 銀行口座:三菱東京UFJ銀行:高田馬場支店(普)0993756 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号にかかげる社会福祉法人なので、当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号、法人税法第37条第1項及び第4項の規定が適用され、税法上の特典が受けられます ●編集後記  ネパールでは共産主義者の首相は、5頁で紹介したネパール氏で3人目。前の2つの内閣は共に9ヶ月で倒れたのですが、今回はいかに?  文字通りの極悪人が、ごろごろいるネパールの政界において、新首相は飛び抜けての善人。なにしろ共産主義者なのに政治的日程を、占星術師に相談するほどです。  曽野綾子氏の著作に『善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか』がありますが、新首相には、ぜひまわりの政治家を不幸にしてもらいたいものです。  21世紀に入ってからネパールはご難続きで、特に地方は治安が乱れ、無政府状態そのもの。  もっとも統一共産党は、王制をも認めるような、あまりに現実的な政策で、逆に支持を失ったのですが。(H・F) ●発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4 TEL : 03-3200-1310  FAX : 03-3200-2582 http://www.thka.jp/ E-mail: XLY06755@nifty.com ※ 迷惑メールが増えています。当協会宛のメールには、適切な「件名」をお書き添えください。