愛の光通信    2008年夏号通巻30号 2008.6    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 (写真)点訳されたプラサド先生の著作を届け、病床に見舞う日本福祉大学野崎研究室の皆さん。右端がNAWBの創立者L. N. プラサド先生、左端が野崎泰志准教授、その右隣はプラサド先生の長男で、現NAWB会長のラジェシュ・プラサド氏(詳細は4頁)。 ●寄宿舎増築工事 (写真)増築工事中のドゥマルワナ校の寄宿舎  マデシ(インド系ネパール人)問題によるゼネラルストライキが、今年の2月にバラ郡でも行われた。それに先立つデモ・暴動のため、バラ郡カレーヤ町では死者も出て、この間、寄宿舎増築工事は完全にストップ。制憲議会選挙前には殺人・誘拐・脅迫等の騒乱もあり、結局、工事は約3ヶ月遅れとなった。しかし、選挙がおおむね平和裏に実施されたこともあり、その後、世情は落ち着きを取り戻し、建設工事は順調に行われた。本誌が発行される頃には、男女別のフロアーで、視覚障害生徒が快適に暮らしていることと思われる。 ◆風変わりな統合教育  統合教育とは、障害児も健常児と一緒に地域の学校に通学して、机を並べて学ぶ教育方式である。しかし、わずかな教員が、給水設備もない劣悪な教育環境で教えている場合も多いので、ネパールの特に農村部では、これが非常に難しい。自宅から通える学校に、このような場合、視覚障害児の教育成果を期待することは、極めて困難となる。障害児をただ単に通常の学校に入れただけでは統合教育にはならない。たとえば、全盲児童の場合であれば、点字の読み書きが不可欠だが、そのためにはリソース・ティーチャーを配置する必要があり、最低限の教育環境はどうしても必要だ。実際、健常児の教育も満足にできない学校に、障害児教育は荷が勝ちすぎる。  そこで、次善の策として、ネパール盲人福祉協会(NAWB)では、郡単位で比較的設備の整った公立校を選び、そこに寄宿舎を作り、統合教育を行っている。ただ、整っているとはいっても、長机にベンチ、それに黒板があり、手押しポンプで井戸水を自由に飲むことができる程度で、教室の窓にはガラスがはまっていない学校も非常に多い。また、教室自体は日本のそれとほとんど変わらないが、1クラスは80人学級で、一つの教室に60〜 80人もの生徒が、5人がけの長机・ベンチに窮屈そうに座って学んでいる。 ◆定員12人  当協会が、1994年度事業として建設したドゥマルワナ校の寄宿舎は、定員12人を前提に建設された。そこに20人の児童が寄宿しているので、狭いわけである。本来は、児童一人ひとりの机も置けるような、もっと余裕のある設計にしたかったのだが、同校だけ特別扱いすることはできなかった。当時は、とにかくトイレもシャワーもない状態を一刻も早く解消することが先決だったのだ。  このため、視覚障害児の唯一のプライベートスペースはベッドの上となる。彼らは板そのままのベッドの上でくつろぎ、勉強をするのであった。 (写真)完成間近なドゥマルワナ校の寄宿舎  延べ床面積が倍増する今回の増築により、少なくとも狭苦しさはなくなるはずで、居住性はぐっとよくなっただろう。  また、中学生といっても、20歳を過ぎた男女であり、彼らが同一フロアーのベッドルームで生活することに、学校関係者はこれまで気をもんできた。この増築で、1階と2階に男女の寝室が分かれたことにより、舎監である教師の目もよく届くようになり、心配の種も随分緩和されるのではないかと思われる。 ●お陰様で完成しました ご支援ありがとうございました!  皆様の温かいご支援を受けて、ドゥマルワナ校寄宿舎の増築工事が、本年5月に無事完了しました。工事にあたっては学校関係者と地元有識者による寄宿舎増築委員会が、逐次、工事を監督・指導。やや耐震性には不安が残る在来工法ながら、最善の工事ができたと地元では喜んでいます。 (写真)右端が委員長で職業は事業家、他の4名 は委員で、左端からドゥマルワナ校長、同校運 営委員長、同校会計、農園主の順 ◆耐震性のジレンマ  増築中の寄宿舎の柱の鉄筋は4本しかなく頼りない。しかし、毎日、寄宿舎増築委員が監視しており、施工者も地元民なので、手抜き工事が行われることは、まずない。基礎工事も乾期を選び、きっちり時間をかけ、天井も現場で鉄筋を組み合わせて施工。強度を保つためには、なにより充分な時間が必要で、工期の短縮を施工者に強要することは、手抜き工事をそそのかすことになる。  四川大地震で明らかになったことは、合理的施工と紙一重の手抜き工事が、被害を大きくしたことである。たとえば、壁だけレンガで組んで、天井は工場で作ったもので蓋をするように施工すると、工期も短縮でき、費用も安上がりだ。しかし、その分どれだけ強度が犠牲になるかは、残念ながら考慮されていなかったようだ。  一方、ネパールで私たちが立ち会った建設工事では、そのような手抜きは断じてない。むろん耐震性は素人目にも、極めて脆弱に見える。しかし、ネパールで日本のように充分な耐震性を考慮された建物はほとんどない。この地では、少なくとも現状の建築費の数倍もかかる耐震建築物は、この上ない贅沢となる。いつ来るかわからない地震を心配するより、日々の糧や不衛生な環境で今日にも失明したり、命を落とす子どもたちをいかに救うかが、問題なのである。  古くからの在来工法は、問題を含んでいるとはいえ、歴史的経験を踏まえた地元の知恵が活かされており、私たちはそれを尊重しなければならない。それより合理性とか、時間短縮を現地に持ち込まず、ゆっくり工事を見守る忍耐力が必要だが、私たち日本人はこれが苦手である。 ◆罪作りな善意  当協会のネパールにおける事業は、NAWBの要請に基づいて実施してきた。もちろんアドバイスを求められることはあったが、余計なお世話にならないよう充分注意してきた。しかし、内情を知らないと、つい口を出したくなることもある。  たとえば、寄宿舎が落成したものの食堂にはテーブル1卓、椅子1脚なかった。コンクリート打ちっ放しのがらんとした空間が食堂だ。そこに、粗末なテーブルや椅子を持ち込むことは、予算も知れており、それほど難しいことではなかった。しかし、子どもたちの実家では、土間や庭に直に座って食事をしているのだ。これもまた、尊重しなければならない文化なのである。  もはや一昔前になるが、観光地の統合教育校をたまたま見学した日本人観光客が、水シャワーに驚き、お金を出し合って太陽熱温水器をプレゼントした。おそらくその日本人寄贈者たちは、自分たちの善意を今でも疑っていないだろう。亜熱帯地方に位置するタライ平野であっても、冬場の最低気温は4℃ほどにもなる。そんな中での水シャワーは過酷だ。しかし、そんな中で、なんとかやり過ごすすべを彼らは学ぶしかないのである。  善意のプレゼントに慣れた身体で実家に帰り、「なぜ、ホットシャワーがないの?」と、児童が親に言ったとしたら、なんと親は答えるのだろうか?  視覚障害児の家庭ばかりでなく、比較的恵まれた家庭の出身者である教員自体、ホットシャワーという贅沢には無縁なのである。 ●プラサド先生の逝去に想う  日本福祉大学国際福祉開発学部准教授/野崎泰志 (写真)東京ヘレン・ケラー協会が贈るヘレンケラー・サリバン賞の第5回受賞者はL. N. プラサド先生であった。贈賞式参加のため来日された先生は、懐かしい田中徹二氏(全盲)の顔を見つけると、つかつかと歩みより、声をかけると共に、がっちりと握手を交わしたのであった(1997年10月1日東京・高田馬場にて)(下記本文参照)。(事務局)  日本とネパールの障害者7人を含む20数人でトレッキングを終えてポカラへ戻った夕刻、ちょうどシャワーを終えた後に、時を計ったかのように東京の妻からホテルに電話があった。東京ヘレン・ケラー協会からL. N. プラサド先生が亡くなったと連絡があったと。  訃報はネパールと日本の間を一往復して、その日の内に私のもとへ伝えられた。私たちはその9日前に先生のご自宅で歓談したばかりだった。学生達も粛然となった。  私は東京ヘレン・ケラー協会の海外部門の職員として1985年から1990年まで奉職し、その間、常にプラサド先生にお世話になったし、この数年、毎年のように学生を連れて研修に行くたびに、いつもご好意に甘えて来た。東京ヘレン・ケラー協会のネパールにおける事業はもとより、私個人としても、先生無くして今はない。  1985年12月、今は日本点字図書館理事長になっておられる田中徹二さんと私は、最初の調査団としてネパールの地を踏んだ。後で分かるのだが、ネパール盲人福祉協会(NAWB)はその2ヶ月前にプラサド先生を最初の会長として設立されたばかりだった。従って、東京ヘレン・ケラー協会とプラサド先生とのご縁は、この2つの協会の協力の歴史そのものなのだ。  先生はネパールで最初にアイ・キャンプを開いた眼科医(当時)であり、ネパールで最初の耳鼻科医として国立ビル病院(Bir Hospital)に勤め、かたわら障害者のために多くの仕事をされた。最初の聾学校を設立し、それは今ではカトマンズの大きな聾学校に発展している。国際障害者年ネパール国内委員会を発足させ、最初の障害者福祉法を作った。また、ネパールの最初のCBRをロータート郡で実施した。B. P. コイララ記念財団の理事長として、医学部の教育病院に眼科高等教育を担うユニットを作り、ここには今やアジア全域から眼科医が学びに来ている。獄中のB. P. コイララ(コングレス党の創設者)の診察に通ったエピソードは有名で、医師として政治的中立を通した。  1990年の民主化後には、請われて国王勅選の上院議員もつとめている。Dr.ラクシュミ・ナラヤンと言えばプラサド先生の事で、それほどネパールの人々の間では著名であった。  今回、ネパール医療福祉研修にネパール人の視覚障害の学生が1人参加した。彼は、先生の英文の著書“The Status of the People with the Disabilities in Nepal(ネパールにおける障害者の現状)”を、事前学習として英語点字で読んだ。点訳に当たった熊本の点訳グループのご好意で、4組の点字本をネパールに寄付することになり、私たちはまずは著者にお渡しすべく、ご自宅を訪問したのだった。先生は大変喜ばれ、私たちに励ましのお言葉を下さった。ご遺族によると、数日間喜びのあまり興奮しておられたという。  個人的な思い出であるが、私が真性赤痢で倒れて帰国もできず、安宿で静養していた時、先生が見舞いに来られ、細々と療養の注意をされた。立場的には破格のことであり、私は恐縮すると共に、この方にはどんなことがあってもついて行こうと思った。その後、「My father in Nepal(ネパールにおける私の父)」と、冗談ながら誠意を込めて私は人前で紹介することにしてきた。  バラ郡のCBRではケディア眼科病院の協力を得て眼科クリニックを展開してきた。バラCBRの立ち上げには私も関わったのだが、当時私は日本の眼科プロジェクトの方の代表だった。NGO同士の良い現地協力だった。この眼科プロジェクトはゴールというところでアイ・キャンプを開始し、その後、そこに眼科病院を建設した。しかし、誰もが忘れているのだが、ゴールの最初のアイ・キャンプはプラサド先生の要請で私が企画しアジア眼科医療協力会が実施したのである。ゴールの近くでネパール最初のCBRは展開されていて、オランダの眼科チームが小規模のアイ・キャンプを行なっているのを見学したことがある。先生はもっと大規模なアイ・キャンプが必要だと私を説得した。半信半疑だったが、実際患者さんの数は多く、毎年やることになり、ついには病院までできてしまった。最初のゴール・アイ・キャンプのオープニング・スピーチで、プラサド先生は「ここに眼科病院を創って欲しい」と言われた。それが現実になって、地元の人々に今は大変喜ばれている。ゴールはプラサド先生の生まれ故郷なのである。人徳というものは、回り回って何らかの形を残すものだと思った。  ネパールもようやく平和を取り戻した。これからは、東京ヘレン・ケラー協会への協力も含めて、私も何らかの恩返しをネパールにしたいと考えている。それが、プラサド先生の事績を継いでいくことになって、より多くの障害当事者同士の交流が深まることになれば、ネパールの将来はどんなに頼もしいだろうと思うのである。 ●2007年度事業報告(平成19年4月1日〜平成20年3月31日)  毎日新聞東京社会事業団の寄託によるネパール視覚障害児奨学金事業を、ネパール盲人福祉協会(NAWB)と共同で、統合教育校7校(対象47人)において実施した。また、NAWBの点字教科書発行を中心とした教育事業に対して、事業継続のため側面的支援を行った。  昨年に引き続き、3年計画で改修を行っているバラCBRセンターの2年目の工事を行った。また、バラ郡にあるドゥマルワナ校のレンガ造平屋建の寄宿舎を、2階建にする増築工事を行った。なお、実施に当たっては、国際協力事業を支援している団体に助成申請したが見送られたので、事業計画通り繰越金の一部を取り崩して行った。これは、同校がバラCBR事業の一環として、当協会が当初から支援している関係の深い統合教育校であり、6、7年も前から強い要望があったにもかかわらず、その後、マオイスト(毛沢東主義派)と治安部隊の衝突で、治安が極度に悪化したため現地調査ができず、先送りにしてきた事情から例外的に実施したものである。  上記事業の管理等を行うため、2007年10月24日〜11月6日の日程で福山博事務局長がネパールに出張した。  1996年以来武装闘争を展開していたマオイストは、2006年11月、ネパール政府と和平で合意したため、いわゆる内戦状態は解消された。しかし、その直後の2007年1月から、インド国境沿いのタライ平野を中心に、インドからの移民を中心とする「マデシ」(インド系ネパール人)の一部過激派による権利闘争が激化し、税関や道路の封鎖、ストライキが継続的に発生。そして武装闘争や爆弾テロまで起こり、100人近くの犠牲者が出たが、本年2月28日の政府と統一民主マデシ戦線(マデシ主要3政党による連合組織)の合意により、この問題も一応の決着をみた。しかし、この間、タライ平野における役所・学校・病院・商店等を含む全ての事業所は、外出禁止令等で終日閉めざるを得ない日も多く、バラCBRセンターの改修工事や寄宿舎の増築工事も約3ヶ月遅延した。  国内活動では、福山事務局長が「障害分野NGO連絡会(JANNET)」の幹事として、障害分野における国際協力・交流事業に参画した。事業報告集である『愛の光通信』を2007年5月(通巻28号)と同年12月(通巻29号)に発行し、広報・募金活動を実施した。 ●マデシ問題って何?  2006年11月に政府とマオイストとの間で和平合意が成立して喜んだのもつかの間、マデシ過激派による爆弾テロが頻発。2007年1月に公布された暫定憲法にマデシの権利が反映されていないとの主張から大規模なデモ・暴動も行われ、今年の2月9日にはマデシの主要3政党が統一戦線を結成して、税関やインドとの玄関口をも閉鎖するゼネストを決行。インド経由の物資供給を絶たれたネパール経済は大混乱に陥り、タライ平野には外出禁止令が発令された。2月28日にようやくマデシ戦線と政府間で合意が成立し、危ぶまれた4月10日の制憲議会選挙も大過なく実施された。  以上が、この間のマデシ問題をめぐる動きだが、爆弾テロが起こるまで、マデシ問題自体、日本のネパール関係者はおろか、ほとんどのネパール人でさえ知らなかったことだ。  タライ平野を頻繁に訪問すると、非常に多くの人々がネパール語以外の言語を話していることに気づく。とくに「ボジュプリ語」や「マイティリ語」は有力だ。それらはネパール語よりはるかにヒンディ語に近く、その話者もネパールよりインドに多いので、両国合わせるとその総数はネパールの総人口をしのぐ。このような母語を持つ人々をマデシと呼ぶが、「デシ」とはネパール人のことで、「マ」は非ずという意味なので、マデシとは「非ネパール人」、つまりインド系ネパール人を指す。  ネパール・インド国境は、歴史的に何度も変更されると共に、オープンボーダーであるため、両国民はパスポート無しで自由に通行できる。このため、住民によっては、その国籍がはっきりしない人々も少なくない。また、マデシは全人口の約3割といわれているが、その内部は一枚岩ではない。主張も様々で、あるグループはインドへの併合さえ主張しており、問題を複雑にしている。 ●2008年度事業計画(平成20年4月1日〜平成21年3月31日) 1. フォローアップ事業  ネパール盲人福祉協会(NAWB)の点字教科書発行を中心とした事業に対して、フォローアップのための側面的支援を実施する。これは、当協会が長年実施してきた事業が無に帰さないように、平成16年度から継続して実施している事業である。 2. 毎日奨学金事業  毎日新聞東京社会事業団寄託による「ネパール視覚障害児奨学金事業」を本年も継続・実施する。本事業は、貧困のため就学の機会を得られないネパールの視覚障害児47人に奨学金を提供し、自立への道筋をつけると共に、将来のリーダー養成を図る事業で、平成21年度まで継続して実施する予定。 3. 安達禮雄育英基金事業  当協会がネパールで実施する事業の熱心な後援者であった安達禮雄氏が昨秋逝去され、遺族の方からまとまった資金が寄せられ、同氏の名を冠した奨学金を創設することとなった。  本年度はNAWBと協議して、遺族の意思を尊重しつつ治安も勘案して、どの地域の学校に提供するのか慎重に検討の上、平成21年度からの実施をめざす。 4. CBRセンター改修事業  老朽化したバラCBRセンターの改修を、一昨年度より少しずつ3年計画で進めており、本年度はその最終年度として第3期工事を行う。 5. 寄宿舎増築事業  毎日奨学金事業の対象校であるゴルカ郡アマルジョティ・ジャンタ校の寄宿舎が、視覚障害児の成長に伴い手狭になった。そこで、国際協力事業を支援している団体に助成申請を行い、寄宿舎を2階建にする増築工事を行う。なお、助成が受けられなかった場合、本事業は中止する。 6. 国内事業  広報・募金活動は、NAWBから事業報告等が提出されることを条件に、『愛の光通信』を年2回発行し、例年通り実施する。  日本障害者リハビリテーション協会内に事務所を置く、障害分野NGO連絡会(JANNET)において、障害分野の国際協力を行う他施設・団体と情報交換・交流を深める。 ●お兄さんのベルの音 彼女が持っている白杖の手元には自転車のベルがついており、人混みの中を抜けるときに鳴らすのだといって、恥ずかしそうに笑った。  休日を実家で過ごしていたある日、人混みを抜けられずに困っている彼女を、たまたま実兄が目撃し、自分の乗っていた自転車のベルをはずして、取り付けてくれたのだそうだ。  昔ながらのバネ式で、ちょっと重いため、実際に鳴らすときは、立ち止まって両手を使う。最初鳴らすときにちょっと力がいるが、「チリン、チリン・・・・・・」と、ドゥマルワナ校寄宿舎に軽やかに鳴り響いた。 ●ジェームスからの伝言 ―― もう一つの国際交流 ――  当協会が発行している『点字ジャーナル』という点字月刊誌の昨年(2007)11月号に、「ジェームスからの伝言」として、米マサチューセッツ州に住む盲ろう者・ジェームス・ライアン氏(以下、ジム)が、日本語の点字聖書を読むために、点字英和・和英辞典を格安で求めているという記事を掲載した。  すると山梨県のある読者からすかさず英和辞典を無償提供したいとの申し出があり、11月30日の午前中に全27巻が入った14箱の小包が、編集部宛に送られてきた。そこで、全巻そろっているか確認すると共に、海外向け点字郵便は全面開封にしなければならないルールなので編集部で包み替えて、ジムの米国の住所を記載。そして、11月30日の夕刻、当協会に隣接する新宿北郵便局に点字用無料航空便として差し出した。  するとジムから12月11日付で、当方に「12月5日に英和辞典の25巻分は届いたが、その後首を長くして待っても最後の1箱(21・22巻)が届かない」という当惑したEメールが届いた。  彼からは、英和辞典を発送したらすぐにその旨Eメールで教えて欲しいと事前に頼まれていたので、編集部では11月30日に、「山梨県の読者からのクリスマスプレゼントを贈った」と敬虔なクリスチャンである彼に連絡。そして、無料の点字郵便であるにもかかわらず、5〜6日間で彼の手元にその大部分は届いたのである。しかし、それから6日たっても行方不明の最後の1箱は、ついに見つからなかったので、彼は連絡してきたのだ。そのメールの行間を読むと、「本当に送られたのだろうか?」との彼の疑念が察せられた。  ネパール宛で、かねてより痛い目に遭っている私たちは、海外宛の郵便物の取り扱いには慎重である。そこで、米国宛とはいえ、発送する前に証拠写真をデジタルカメラで写しておいた。ヘレン・ケラー女史の写真を背景に、会議室の机にずらっと並べた14箱の小包は壮観でさえある。しかも、拡大すると切手を貼る位置にフランス語と英語で「点字用郵便」と書かれた下に、ジムの住所も読み取れた。  この写真を添付ファイルにして、同日(12月11日)ジムに送り、「この写真を見てくれ、確かに14箱送った。あなたはすぐに最寄りの郵便局に行って、最後の一箱を探さなければならない」とEメールで返信した。  すると12月17日付でジムよりEメールが届き、「行方不明になっていた最後の1箱(21・22巻)が、12月14日に届き、これで27巻すべてがそろった。しかも、どれも非常に状態が良く、うれしい。後日、寄贈者には礼状(thankful card)を送るので、翻訳したものを添えて、寄贈者に転送して欲しい」と書いてあった。そして、12月26日にジムから礼状が届いたので、それを辞書の提供者に転送すると共に、英文は翻訳してメールで送り、年末最後のうれしい仕事となったのであった。  点字和英辞典に関しても、その後複数の方からの申し出があり、新春早々ジム宛に送ることができ、めでたい初春となったのであった。(『点字ジャーナル』編集部) ●平成19(2007)年度収支計算書  自 平成19年4月1日  至 平成20年3月31日 (借方)  以下、科目、金額(円)の順。 事務費 553,294   賃金 240,000   通信費 123,995   消耗品費 20,622   印刷製本費 133,677   雑費 35,000 事業費 3,099,715   海外援護費 2,800,000   海外出張費 299,715   小計 3,653,009   当期繰越金 871,089   合計 4,524,098 (貸方)  以下、科目、金額(円)の順。 寄付金収入 4,518,074  助成金収入 1,000,000  募金収入 3,518,074  雑収入 6,024  受取利息 6,024  合計 4,524,098 ●貸借対照表 平成20年3月31日現在 (借方)  以下、科目、金額(円)の順。 流動資産 3,855,019  現金 14,847  預金 3,840,172  資産合計 3,855,019 (貸方)  以下、科目、金額(円)の順。 繰越金 3,855,019  前期繰越金 2,983,930  当期繰越金 871,089  純財産合計 3,855,019 ●海外交流事業記録(2007/6〜2008/3) 2007年6月1日:関東地区点字図書館協議会総会(日本点字図書館)において、当協会のネパール事業について講演(福山博) 6月:JANNET「メールマガジン」6月号第46号編集 6月21日:JANNET広報啓発委員会(新宿区立障害者福祉センター) 6月27日:世銀コーヒーアワー「私たちが見た開発の現場@ネパール」に参加(世界銀行情報センター) 6月29日:OKバジこと垣見一雅氏の講演会に参加(日本記者クラブ) 8月3日:東大院生でネパールからの視覚障害留学生K. ラミチャネ氏と面談 9月2日:JANNET役員会(戸山サンライズ) 10月6日:グローバルフェスタのワークショップでJANNETを代表して報告・講演(福山博) 10月21日:東大院生K. ラミチャネ氏と面談 10月24日〜11月6日:ネパール現地における事業管理(福山博) 11月:日本障害者リハビリテーション協会の写真集『アジア太平洋地域の障害者支援活動』発行に協力・事業を紹介(発行は12月) 11月30日:東大院生K. ラミチャネ氏と面談 12月:『Light of Love(愛の光通信)』No.29発行 12月11日:安達禮雄氏の遺族と面談 12月:JANNET「メールマガジン」12月号第52号編集 2008年2月2日:国際視覚障害者援護協会の講演会に参加(板橋区立グリーンホール) ●寄付者ご芳名(五十音順・敬称略)平成19年7月1日〜平成20年3月31日 温かいご支援ありがとうございました! ※ 従来冬号(12月)に掲載していた会計・事業報告等を本号に掲載するため、発行を一月延ばしました。このため、寄付者ご芳名等を区切る時期が、今号に限り短くなります。ご了承ください。 (個人) 青木貞子/青山マリ子/秋山恭子/秋山倶子/芦田賀寿夫/安達禮雄/有本圭希/有本成子/安藤生/石井芳重/石田隆雄/石田友信/石谷喜代/石田松枝/伊藤啓子/伊藤瑞子/岩村賢二/岩屋芳夫/植竹清孝/上野伊律子/上村幸弘/宇田川幸三/遠藤亀松/遠藤利三/大谷善次/大橋東洋彦/大平正昭/岡本好司/小田原孝之/小原光彦/貝元利江/勝山良三/加藤威/加藤万利子/加藤鐐三/金森なを/上村健次/苅安達男/北風政子/木村ちづ子/鞍谷清孝/小出隆家/肥塚隆/肥塚美和子/小島亮/小林明子/小林和夫/小森愛子/近藤光枝/斎藤惇生/坂口廣光/笹川希彦/佐々木一輔/佐々木信/指田忠司/佐橋忠明/杉沢宏/鈴木義一/鈴木雅夫/染谷朝子/高橋恵子/高橋正安/高橋倫子/田中さ加恵/田中徹二/田中亮治/谷内正史/知久裕子/照井タカ子/当津純一/当津順子/当山啓/豊嶋幸子/鳥羽田節/鳥山由子/永井昌子/中尾照美/長棟まお/中村歌子/中村保信/西本行男/根本弘道/野津虎雄/花田重信/林紘子/平野正隆/平野モモコ/松浦先信/松葉幸子/松村太郎/馬野将幸/三原冨美子/御本正/宮崎勇/村松均/目黒千代子/森栄司/森山朝正/森雄士/山崎邦夫/山田真弓/横大路俊久/横山章/米田昌徳/和田玉緒/渡辺勇喜三 (団体等) ◆拒蝟{印刷代表取締役・大本堅治 ◆岐阜県立岐阜盲学校生徒会 ◆小林動物病院 ◆シャンバロー芸能事務所・白井雅人 ◆巨M和ハウス・谷池教子 ◆花園神社・片山文彦 ◆山辻医院・山辻英也 (物品寄付者) ◆加納洋 ◆鳥飼富士夫 ◆仁藤輝夫 ◆前山博 ◆山内有希 ◆渡辺直明 ◆郵便振替に書いてあったメッセージ  『愛の光通信』をいつもありがとうございます。29号の表紙の記事中に、電話番号をよどみなく答えた少女のことが書いてありました。義母も、たくさんの知人宅の電話番号を覚えていて、電話帳をみなくてもかけることができました。その記憶力に驚いたものでしたが、90歳を過ぎた今は記憶力が衰えてしまいました。(中村歌子の嫁より)  ※中村歌子先生は、盲学校教師のかたわら、日本盲人会連合の婦人部長を長年務められた方です。ご長寿を祈念しております。(事務局) ●インド式朝食  3時の位置にあるのは、以前日本の学校給食で供されたカレーシチューにそっくりの「タルカリ」で、まったく辛くない。11時は無発酵のパンを揚げた「プーリー」、7時はデザートのとても甘いお菓子「ジャレビ」。タライ地方にはインド系ネパール人が多く住んでいるので、食事もインド風。早朝の出発の時は、途中でできるだけ清潔そうな店を選んで、インド式朝食で腹ごしらえをするが、揚げ物が多いのは衛生上の問題からか? ●緑陰レストラン  観光地チトワンにあるホテル・ライノー(Rhino)は、良く似た名称の高級ホテルとは打って変わって庶民的。なにしろレストランには、ネパール定食しかないのだ。駐車場があるので、NAWBのドライバーがごひいきで、私たちもカトマンズとバラ郡カレーヤ町の行き帰りに足しげく通った。トイレは完璧とはいえないが、一応清潔(?) ●募金のお願い  ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150−5−91688 銀行口座:三菱東京UFJ銀行高田馬場支店  (普)0993756 ※ 今号から上記銀行口座が変わりました。 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号にかかげる社会福祉法人なので、当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号、法人税法第37条第1項及び第4項の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記  ネパールの制憲議会選挙が実施され、マオイストが第一党に躍り出ましたが、今回の選挙は国王の信任投票の意味合いもあり、王制廃止を一貫して強く主張したマオイストが勝利したのでしょう。  プラサド先生の逝去にあたり、当協会の初代ネパール担当であった、日本福祉大学の野崎准教授に、先生を偲んで一文を草してもらいました。  本号から春号(5月)の発行を一月遅らせ、夏号(6月)とします。そして、これまで冬号(12月)に掲載していた会計・事業報告等をこれからは夏号に掲載します。いかにも12月では遅すぎるためです。このため、寄付者ご芳名等を区切る時期が、今号に限り短くなりますが、ご理解くださいますよう、お願い致します。(H・F) ●発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4 TEL : 03-3200-1310  FAX : 03-3200-2582 http://www.thka.jp/ E-mail: XLY06755@nifty.com