愛の光通信    2007年冬号通巻29号 2007.12    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局  寄宿舎の前で語らいながら無邪気に遊ぶ視覚障害を持つ少女たち。青いシャツを着た娘は、記憶力が抜群で、NAWBのアルヤール事務局長が市外局番から自宅の電話番号を教え、その後、彼女の年齢や実家のある村の名前、父親・母親の名前など10項目ほどを質問し、改めて彼の家の電話番号を聞くと、彼女はよどみなく答えてわれわれを驚かせた。(写真)アマル・ジョティ・ジャンタ校にて ●毎日奨学金・巡回学校訪問記 4年ぶりの訪問で愕然としたこと  海外盲人交流事業事務局長/福山博  崖崩れで道が通れないとか、治安が悪い等の理由で、過去にやむなく中止したことはあったが、ネパールを訪問する際は、原則としてサポートする統合教育校を訪問する。現在、「毎日奨学金事業」の対象は7校だが、各地に分散しており、しかも交通アクセスが極端に悪い学校も含まれているので、1回の訪問では回りきれない。それでも4WDで悪路を約1,000kmも走破することになる。  昨年訪問したのはアダーシャ校→ドゥマルワナ校→ジュッダ校→バスビッティ校→パシュパティ校の5校で、今年はドゥマルワナ校→シャンティ校→アマルジョティ・ジャンタ校→アダーシャ校の順で4校であった。  アダーシャ校は、カトマンズ盆地の中にあり、ドゥマルワナ校は私たちが長年取り組んできたバラCBRの実施地域にあって、巡回学校訪問する際も、CBRセンターを拠点にするので、訪問回数も自然に多くなる。 ◆間の悪い訪問  「こんな忙しい時期に来てもらっては困る」、ある学校を訪問した際、けんか腰で校長にいきなり切り出されて、大いに当惑した。  今年のネパール訪問は、9月末に訪問する計画を立てたが、ちょうどその頃カトマンズで南アジアCBR会議があり、NAWBがその準備に忙しいというので、やむなく延期した経緯があった。このため、10月26日に終わるダサインと11月6日に始まるティハールというネパールの大きなお祭りの間隙を縫って敢行したのだ。このため、このような波乱が起こったのであった。  カトマンズでは、ダサインの最終日であるにもかかわらず、NAWBのラジェシュ・プラサド会長を始めとする役員と懇談することができた。しかも、現在NAWBの本部ビルは、ドイツのCBMの支援により増築工事を行っており、足の踏み場もない有様。そこで、会議は会長の自宅で軽食をサービスされて行われたのだった。  一方、農村部では祭りに関する気合いの入れ方が随分違うようで、インド国境沿いのタライ平野では、ダサインよりもむしろティハールの方を盛大に祝うとも聞いた。いずれも、日本の盆や正月のように家族が集まるので、その前後は民族の大移動となる。また、実家が遠い人は、両祭典の間の10日間も職場や学校を休もうとするため、実際に統合教育校を訪問しても、実家から帰って来ていない生徒も少なくなかった。  私がホームナット・アルヤール事務局長と共に、カジ運転手の4WDでカトマンズを出発したのは、ダサイン明けの10月27日であったが、この日はネパールの休日にあたる土曜日であった。このため、日曜日から職場や学校に出るために、帰省した人びとを満載したバスにあきれるほど、次々とすれ違うことになった。 ◆大きすぎる点字教科書  シャンティ校はルパンディヒ郡のモデル校であり、アマルジョティ・ジャンタ校は今は公立校だが、ミッション系の学校として創立された有名校。このような伝統もあり、従来より教員の質も高く、視覚障害を持つ生徒も、おおむね優秀で、私たちは、両校ともしっかりした学校であるという印象を強く持っていた。  そのため安心しきって、他の学校を優先させ、学校訪問が遅くなっていたのだ。両校とも2003年の5月以来、4年5ヶ月ぶりの訪問である。この間、NAWBも独自に訪問することはしていなかったというのだが、これは迂闊な話である。  私たちが両校を訪問して驚いたのは、点字教科書を持っていない視覚障害を持つ生徒が何人かいたことである。そして、その多くは男子生徒であった。その理由を問いつめると、判で押したように「点字教科書は大きすぎて、隣の人の迷惑になる」と答えるのである。  たしかに英語の教科書等は、パソコンで入力し、点字プリンターで出力したものであるから、A4サイズで、広げるとA3サイズになる。  しかし、多くの女生徒はそれでも授業中広げているのだから、これはいいわけにしてもお粗末だ。アルヤール事務局長は自分の母校であり、かつて教鞭を執ったこともあるシャンティ校でこのような現場を目撃し、いいようのないショックを受けていたようだ。4年という年月は、熱心なリソースティーチャー(点字指導担当教諭)を転勤させ、在学中常に首席であった生徒を卒業させて、まったく別の学校に変貌させるに十分な時間であったということだろう。  私たちはこの問題を重くとらえ対策を協議、さしあたり、NAWBはすべての関係する統合教育校に手紙を出して、授業には必ず点字教科書を持参して使うよう徹底することにした。  このような事態になる一つの要因として、実は点字教科書発行の遅れがあったという。昨年「ネパール王国」は、正式国名を「ネパール国」に変えた。このため、墨字の社会科教科書等は大急ぎで改訂作業を行い、なんとか4月中旬に始まる新学期に間に合わせることができたという。しかし、原本となる教科書がそのような状態であるから、点字版は4月になってから点訳を開始する始末で、もちろん授業にはまったく間に合わなかった。こうして、一部教科書のない授業に慣れた生徒が、点字教科書を持参しなくなったようだ。 ◆山上の物価  ネパールでトレッキングすれば誰でもすぐに気づくことだが、山の頂に近づけば近づくほどミネラルウォーターやコーラの値段が高くなる。これは人の背によって運ばれてくるのであるから当然のことである。  しかし、その物価の違いを明確に示す信頼に足るデータがないため、学校の予算は一律に執行される。このため、たとえば山の上にあるアマルジョティ・ジャンタ校の給食は、ドゥマルワナ校と比べてかなり見劣りする。それに加えドゥマルワナ校は、農村の利点を生かし、米蔵や家庭菜園をも持っているので、なおさら違いが際だつのであった。  (写真)アマルジョティ・ジャンタ校は、ふもとから歩くと3時間もかかる交通が不便な山の尾根にある学校。ネパールは山の上に行けば行くほど物価が高くなる。しかし、予算はふもとや平野部の学校と同じなので、慢性的に窮屈な財政で、どことなくオールドファッション。(同校の寄宿舎の前にて) ●A4とB5サイズの点字教科書  3ページの写真(PDF版)で、女生徒が読んでいる点字教科書はA4サイズだが、上記(PDF版4ページ)の女生徒が読んでいる教科書は、それより一回り小さいB5サイズの日本仕様。ネパールでも日本仕様の点字教科書がコンパクトで使いやすく、生徒にも人気がある。このため、NAWBではB5サイズで点字プリンターから出力する方法を数年前に研究したが、結果的にうまくいかなかった。というのも、A4サイズはドイツ起源の国際基準だが、B5サイズは日本独自の基準であるため、ノルウェー製の点字プリンターでは対応できなかったのだ。  ネパールでは、今でもその多くの教科書は、日本製の足踏式点字製版機で点字原板を作成して、厚手の用紙に、点字をプレスして刻印する昔ながらの方法で作る。  しかし、英語の点字教科書だけは、パソコンソフトを活用して作成している。これは英文を点訳するためには、普通2級英語点字(GradeU)を使うためである。これは、「the」とか「of」とか、「every」という綴りを点字1文字で表して紙面を節約する表記法だ。2級英語点字は極めて合理的にできているが、実際はなかなか複雑な規則で、その完全な習得は難しい。このため、パーフェクトに点訳するためには、パソコンのソフトを使うのが簡単で間違いがない。  ところがパソコンに接続して点字原板を作成する自動製版機は、高価でありネパールにはまだ導入されていない。このため、次善の策として、A4サイズで大判ではあるが、点字プリンターから直接出力しているのである。 ●母校の教師になる (写真)小学校低学年を教える視覚障害教師  晴れて母校の教師となった彼の名前はティカラム・ブーサル(24歳)。小中学校は遠い山の学校で学び、随分成長してから故郷にあるシャンティ校に転校してきた生徒だ。  日本では考えられないことだが、彼は授業中でも白杖を離そうとしない。もっとも、教室を一歩出るとそこは戸外と一緒で、戸口に立てかけて置けば、誰かに持ち去られる可能性大である。だから、これは致し方ない文化の違いなのかも知れないが、とても気になる。 ●街角での邂逅  (写真)視覚障害者の右手を、NAWBのアルヤール事務局長が両手で握っている  タライ平野の交通の要衝ヘタウダの町で偶然出会った厳しい顔をした盲人。一見握手をしているようにみえるが、アルヤール氏が盲人協会の者であると自己紹介すると、逃げようとしたのでこうなった。Gパンにポロシャツというこざっぱりした服装で、それに障害者協会からもらったという白杖を持っていた。背後で笑っているのは彼の手引きをしている友人で、二人でタライ平野をバスで巡回しながら一種の門付のようなことをしているらしい。 ●「クリシュナ君遺児育英基金」に対する支援  「クリシュナ君遺児育英基金」は、協会職員有志による国際協力事業。これは協会が実施していたバラCBR事業のスタッフであったクリシュナ・ムキーヤ氏の突然死により残された4人の遺児のうち、孤児院に引き取られた末っ子を除く3人に10年課程の教育機会を提供する事業です。そのための教育資金と生活費の全額に相当する75万9,018ルピーは、すでにNAWBに送金されており、運用されています。  一方、協会の事業はあくまでも視覚障害者を対象にしており、3人の晴眼児を対象にしているクリシュナ基金には、1円たりとも支援はできません。しかし、同基金は任意団体なのでネパールへの送金や契約には限界があります。そこで費用の支出を伴わない範囲でそれらを行うと共に、子どもたちの成長を見守る等の側面的支援を、当協会はクリシュナ基金に対して行っています。  今回のネパール出張時には、学校を巡回するついでに、3人をつれて末っ子のアーラティちゃんが住む孤児院を一泊二日で訪ねました。この訪問は昨年に引き続いて2回目で、今年もNAWBバラ支部のヤダブさんに案内を頼みました。孤児院は交通が不便な丘陵地にあり、3人が住む学校からは車を飛ばしても片道3時間はかかります。このため私たちが車で迎えに行ける年に1回、2日間だけが4人の子どもたちが一堂にそろう日なのです。  今回は子どもたちの祖母も連れて行って欲しいと頼まれ、同行することになりました。というのも、このお婆さんは、「あんたたちは一番下の子どもをいったいどこに連れて行ったんだ!」とバラCBRセンターに怒鳴り込んだと聞いたからです。そこで、一度元気な姿を見たら安心するだろうというわけでした。  もちろん、孤児院に入れるにあたっては、この祖母を含む家族全員の了承を得たのですが、それが実感としてわからないようなのです。  写真(PDF版5ページ)は3兄弟が谷川で元気に遊んでいるようにみえますが、長男のローシャンは、この直前に車酔いのため激しく嘔吐しています。  ただ、彼らはまったく起伏のないタライ平野のただ中に住んでいますから、山も緑陰も、透明な谷川の水も珍しく美しいので、それに見とれて遊ぶうち、彼もすぐに回復したようでした。  ホテルでの夕食後、長女のアルチャナがアルヤール氏に「アーラティを引き取ってバラで一緒に暮らせないか」と話したそうです。これに対して、「あの孤児院は、英国のNGOの財政支援で非常に立派な施設になるので、アーラティはあそこにいた方が幸せだ」といって説得したそうです。  この写真(PDF版5ページ)はホテルの本館前に一同9人が揃っていますが、アルヤール氏が事情を話し、3部屋に分宿したその宿泊費は、値切りに値切って、税込み合計2,147ルピー、邦貨にして4,000円弱ととてもリーズナブルでした。  ネパールでは珍しいアボカドの大樹が数本植林され、ランの花園がある「モーテル・アボカド&オーキッド・リゾート」は、設備は古いのですが、よく手入れされており、なによりホテルスタッフが親切で気持ちのよい老舗ホテルです。  ホテル内には、これまた珍しい鳥小屋があり、七面鳥が飼われていました。なにやら恨めしげにみえましたが、これはクリスマスまでの生命だからでしょうか? ●ルピー高のカラクリ  一昨年(2005)1ルピーは1.652円、昨年(2006)は1.697円、そして今年(2007)は1.879円。これは、実際に私たちがネパールに出張した際の為替レートだが、この1年間でネパールルピーが急激に値上がりしていることがよくわかる。以前は1.5円という時代もあったので、隔世の感を禁じ得ない。  中国の為替政策に端的に現れているように、一般に開発途上国は、自国通貨を安く誘導し、輸出振興策をとるのが普通であるが、ネパールではその逆が起こっている。  協会のネパールでの事業は円建てでおこなっているため、ネパール側はルピー高の分、割を食っている格好になり、現地では悲鳴があがり始めている。しかも、このルピー高は、ネパールの経済的ファンダメンタルを反映したものではないところに最大の問題がある。  ネパールは1993年から、ネパールルピーをインドルピーと1:1.6のレートで固定している。このため、好調なインド経済に引っ張られて、ネパールルピーも高騰しているのだ。しかし、それにもかかわらずネパール経済が破綻しないのは、大量の海外出稼労働者による送金により、下支えされているからだという。  それはネパールのGDPが8,800億円とトヨタの売上高の14分の1と経済規模が格段に小さいため可能なカラクリ。いずれにしろけっして健全なことではない。また、その海外からの余剰資金は、もっぱらカトマンズの不動産投機に向かい、現在ネパールは、ちょっとしたバブル景気の様相を呈している。 ●寄宿舎増築問題  「寄宿舎を増築しないとえらいことになると騒いでいたけど、どうなったんや!」支援者のお一人から問いつめられて、「もうすぐ着工にこぎ着けます」と答えたのは11月半ば、ネパール出張から帰ってすぐのことでした。  「えらいのんびりしているなあ」とあきれられましたが、それは気候風土と文化の違いでどうにもなりません。  皆様のご支援を受けてなんとしても増築するべく、5月にはNAWBに送金したのですが、すぐ6月から8月末までの雨期に入り田植えの季節を迎えます。なにしろ地方では、学校そっちのけで教員も農業に精を出さざるをえないほど忙しい季節です。また、連日の驟雨で建設工事には適しません。  そして、盆と正月が一緒にきたような秋のお祭りシーズン(ダサインとティハール)に突入。日々重労働と粗食に耐え、質素な生活をしている人々が、このときばかりは晴れ着を着て、ごちそうを食べ、豪奢な生活を楽しみます。こうして、事実上1ヶ月間はネパールの経済活動はストップするのです。このためネパールの給与生活者には、日本の賞与に相当する「ダサイン手当」(給与1ヶ月分)が支給されるほどです。  寄宿舎ばかりでなく、これまでも常に建物の着工は、ティハール明けに行われました。 ●幸運な関所破り  この写真(PDF版6ページ)は、アルヤール事務局長が道路封鎖(チャッカジャム)をした地元の若者に、道を開けてくれと交渉しているところ。過去にもこのようなケースに幾度も遭遇したが、いつも押し問答をしただけで、思わしい結果が出たためしはなかった。しかし、今回はちょっと様子が違った。その交渉をみていた初老の男性がアルヤール氏に話しかけてきたのだ。  「あなたには見覚えがある」。こうしてアルヤール氏の教師時代を知る人が現れたのだ。今はリタイアしたが、彼もまたアルヤール氏が勤務していたシャンティ校の近所の学校で教師をしていたという。  そして、昔のよしみでジャングル内の裏道を教えてもらうことができたのだ。こうして1時間ちょっとのロスで、この「関所」をなんとか通り抜けることに成功したのであった。 ●中級ホテルは早い者勝ち  私たちが定宿にしているカトマンズ・ゲスト・ハウス(KGH)は、三つ星のいわゆる中級ホテルだが、人気があっていつも満員。このため、予約内容と部屋が違うため、チェックイン時に良くもめる。私が今回東京から予約したのは40ドルの部屋だったが、結局泊まれたのは55ドルの部屋。その後、タライ平野をかけずり回って、くたくたになって帰ってくると、今度は20ドルの部屋しかないというのでしばし呆然となる。その部屋にはバスタブが無く、シャワーだけなのだ。結局、一晩だけ我慢し、翌日バス付きの部屋に変えてもらうことで落ち着いた。一昔前まではシャワーで充分で、お湯の出ないCBRセンターのゲストルームやけっして清潔とはいえない商人宿にも平気で泊まっていたのだが、それも今や昔である。  ところでカトマンズの五つ星ホテルはどうだか知らないが、ネパールでは一般に宿泊するとき前払いする習慣はない。また、たとえ宿泊予定日の夕刻にキャンセルしても違約金を払うこともない。これは、公共交通機関が未整備で、専用車両で移動していても、交通事故による交通渋滞、示威行動のためのチャッカジャム(道路封鎖)、崖崩れ、パンクなど、予定通り到着するほうが珍しい環境が、そのような習慣を作ったのだろう。  このためホテル側も対抗上、予約者よりも今、目の前にいる客を優先させるのだ。そう考えるとKGHのレセプショニストは、何も悪くないように思える。  しかし、たとえそうではあっても、バスタブに熱いお湯を張り、ゆったりくつろぐ至福の時が奪われた恨みは深い。もっともそのような習慣のないネパール人には、とうてい理解されることではないのだが。 ●2006年度事業報告(平成18年4月1日〜平成19年3月31日)  前年度に引き続き、毎日新聞東京社会事業団の寄託によるネパール視覚障害児奨学金事業を、ネパール盲人福祉協会(NAWB)と共に統合教育校7校(対象47人)において実施。また、NAWBの点字教科書発行事業を中心とした事業に対して、継続できるよう側面的支援を行った。  本年度は3年計画で老朽化したバラCBRセンターの改修工事を行う初年度にあたり、外壁等の補修を行い、同センターは新築当時の外観を取り戻した。12年間にわたって実施した当協会のバラCBRへの支援は2002年6月末に完了し、バラCBR地方協力委員会に事業を引き渡した。その直後、たった一人の眼科助手がインドで急死。このため、同センター附属の眼科診療所は一時閉鎖された。  その後NAWB本部のてこ入れにより、地元名士のサロン的色彩の強かった同委員会は、より活動的なNAWBバラ支部に改組され、地域コミュニティの支援を受け、眼科助手を雇用して眼科診療所を再開した。バラCBRセンターの改修は、そのような同センターの活動を応援する意味も込めて実施した。  このような事業の管理等を行うため、2006年10月27日〜11月6日の日程で事務局長の福山博がネパールに出張した。  なお、ネパールでは1996年以来、マオイスト(毛沢東主義派)が武装闘争を展開し、治安上大きな懸念となっていたが、2006年11月、政府との間で包括的和平合意が成立。マオイストは、政府、国連との武器管理協定にも合意し、人民解放軍と武器が兵営地に収容され、国連による武器管理の監視が実施されている。また、本年1月15日に暫定憲法が成立し、マオイストも暫定議会に参加。4月1日にはマオイストを含む暫定政権が発足したが、和平プロセスの進展と治安情勢の改善に関しては、必ずしも楽観視できず、引き続き注意深く見守る必要がある。  国内活動では、福山事務局長が「障害分野NGO連絡会(JANNET)」の幹事として、障害分野における国際協力・交流事業に参画した。事業報告集である『愛の光通信』を2006年5月(通巻26号)と同年12月(通巻27号)に発行し、広報・募金活動を実施した。 ●平成18(2006)年度収支計算書  自 平成18年4月1日  至 平成19年3月31日   (借方)  以下、科目、金額(円)の順。 事務費 514,045   賃金 240,000   通信費 137,085   消耗品費 5,547   印刷製本費 84,913   雑費 46,500 事業費 2,117,710   海外援護費 1,800,000   海外出張費 317,710   小計 2,631,755   当期繰越金 △3,910   合計 2,627,845 (貸方)  以下、科目、金額(円)の順。 寄付金収入 2,626,767   助成金収入 1,000,000   募金収入 1,626,767 雑収入 1,078   受取利息 1,078   合計2,627,845 ●貸借対照表 平成19年3月31日現在   (借方)  以下、科目、金額(円)の順。 流動資産 2,983,930   現金 2,921   預金 2,981,009   資産合計 2,983,930 (貸方)  以下、科目、金額(円)の順。 繰越金 2,983,930   前期繰越金 2,987,840   当期繰越金 △3,910   純財産合計 2,983,930 ●海外交流事業記録(2006/6〜2007/5) 2006年6月4日:JANNET広報啓発委員会(戸山サンライズ) 6月5日:韓國視覺障碍人宣教會一行来訪 6月11日:筑波技術大学の視覚障害留学生レカ・カルキ氏来訪 6月28日:ダスキン研修生ドー・トゥイ・ハ氏(24歳・ハノイ大学学生)来訪 7月13日:ベトナム盲人協会グエン・チュン・キエン氏(26歳)来訪 7月:JANNET「メールマガジン」7月号第34号編集担当 8月26日:JANNETミニ研修会「日点ICT研修会参加者を迎えて」(戸山サンライズ) 9月3日:JANNET役員会・研究会「南アジアを事例に」(日赤会館) 9月25日:AMIN準備会会議(筑波国際センター) 9月30日:グローバルフェスタ(日比谷) 10月8日:ギミレ・チティズ&レカ・カルキ夫妻とつくばセンターで面談 10月27日〜11月6日:ネパール現地における事業管理(福山博) 12月:『Light of Love(愛の光通信)』No.27発行 12月:JANNET「メールマガジン」12月号第39号編集担当 2007年2月11・12日:JANNET研修会「開発と障害――南アジアのNGOから学ぶ」(戸山サンライズ) 3月16日:JANNET役員会(戸山サンライズ) 4月21日:JANNET総会(戸山サンライズ) 5月『Light of Love(愛の光通信)』No.28発行 ●寄付者ご芳名(五十音順・敬称略)平成18年7月1日〜平成19年6月30日  温かいご支援ありがとうございました!  (個人) 青木貞子/青木正子/青山マリ子/秋山倶子/在田一則/有本圭希/有本成子/安藤生/石井芳重/石田隆雄/石谷喜代/石原幸栄/市原政春/伊藤啓子/岩屋芳夫/上野伊律子/遠藤利三/大内三良/大島秀夫/大谷善次/大橋東洋彦/大橋康史/岡本好司/岡本澄子/岡山美恵子/小野塚耕吉/貝元利江/勝山良三/加藤万利子/加藤美那/上村健次/苅安達男/川上勲/ 川島玉子/ 川尻哲夫/河田満/菊井維正/楠本睦子/鞍谷清孝/小泉周二/肥塚隆/肥塚美和子/小出隆家/古賀副武/後藤良一/小長谷正夫/小林明子/小森愛子/近藤光枝/斎藤惇生/坂入操/坂口廣光/佐々木秀明/佐々木信/指田忠司/三遊亭小遊三/塩崎悦万/清水智子/菅原温子/杉沢宏/鈴木俊勝/鈴木雅夫/鈴木洋子/高橋恵子/高橋秀治/田中さ加恵/田中茂/田中徹二/田中正和/谷内正史/田伏淳一郎/田村富子/照井タカ子/当津純一/当津順子/当山啓/鳥羽田節/鳥山由子/中井謹次郎/中尾照美/中島章/長棟まお/中村保信/成田稔/新阜義弘/西本行男/野口三男/野田寛/野津虎雄/野村寛/橋爪ナナ/長谷川一郎/長谷川薫/早川義明/林春枝/林紘子/原田美男/檜山寿子/比留間玲子/藤井悦子/古市薫/間下勉/増野幸子/松浦先信/松田節子/松葉幸子/松村太郎/丸山雄一郎/三原冨美子/宮崎勇/宮下浩子/目黒千代子/モウリ・ヒロタカ/森川精子/森山朝正/山口節子/山崎邦夫/山田あき子/山田隆造/山本幸子/吉田重信/米沢かよ/米田昌徳/渡辺直明/渡辺勇喜三  (団体等) ◆拒蝟{印刷代表取締役・大本貞堅 ◆加納洋ファンクラブ事務局 ◆岐阜盲学校高等部生徒会 ◆古和釜幼稚園 ◆シャンバロー芸能事務所・白井雅人 ◆巨M和ハウス・谷池教子 ◆轄j_商店 ◆東日印刷梶@◆花園神社宮司・片山文彦 ◆満福寺・野々山宏 ◆養護盲老人ホームひとみ園・茂木幹央  (物品寄付者) ◆当津純一 ◆山内有希 ◆郵便振替に書いてあったメッセージ  「愛の光通信」(2006年冬号・27号)読み応えのあるレポートでした。この活動を始めて、続けてきた意義を感じます。(田中徹二)  ネパールの政情も少し安定したようでほっとしています。事務局の皆様のご苦労に感謝しています。(小森愛子)  僅かですが、ドゥマルワナ統合教育校寄宿舎増設にお役立てください。(佐々木秀明) 少しですが2階の増築のために役立てて下さい。勉強ができる環境が整うといいですね。(田村富子)  他にも寄宿舎増築を願う、同様の激励メッセージを多数いただきました。ありがとうございました。(事務局) ●ダサインのブランコと凧  ダサインが近づくとネパール各地の広場には、ネパール語で「ビン」と呼ばれる竹を4本組み合わせたブランコが作られる。ダサインからティハールの間の期間限定の遊びで、とくに女の子に絶大な人気がある。一方、男の子はこの季節、ネパール語で「チャンガ」と呼ぶ凧を揚げる。  (写真)歩道に凧の絵を描いてあるファイティング・カイト(喧嘩凧)の会場。(カトマンズ盆地の展望台・ナガルコットの丘にて) ●ナンバープレートは国連  行く先々で見かけたこの車はボディにUN(国連)と大書してあるので、とても目立った。しかもナンバープレートまで国連の専用プレートなのでちょっとびっくり。  車種はインドのマヒンドラ社製のスコルピオンで、おそらく国連特別仕様車。エンジン音がスバルやフォルクスワーゲンに似ていたので水平対向エンジンのようであった。 ●募金のお願い  ネパールにおける失明防止と視覚障害者援護の充実をはかるために、募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150−5−91688 銀行口座:三井住友銀行新宿通支店(普)5101190 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号にかかげる社会福祉法人でありますので、当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号、法人税法第37条第3項第3号の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記  11月に予定されていたネパールの制憲議会選挙はまたしても延期。マオイストが予想以上に不人気で、選挙に勝てないため、拒否しているのが原因のようです。  奥さんを病気で亡くして、ベジタリアンになり、酒も断っているルパケティ元会長とは久しぶりの再会。「政治家は制憲議会選挙は来年の3月だといっているが、そんなことは誰にもわからない。神のみぞ知るだ!」と喝破しておられました。  観光シーズン、内戦時の閑古鳥が一転してカトマンズの観光街タメルは軒並み満員御礼状態。「客はいくらでもいる」という態度に少々鼻白みますが、平和がなにより。(H・F) ●発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4 TEL : 03-3200-1310  FAX : 03-3200-2582 URL:http://www.thka.jp E-mail: XLY06755@nifty.com