愛の光通信    2007年春号通巻28号 2007.5    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局  落成より15年余、雨期のバケツをひっくり返したような豪雨と40℃近い酷暑に痛めつけられてきたバラCBRセンターが、2006年度事業により総工費30万円で改修されました。といっても、まだ外観だけですが、内部は2007・2008年度事業として実施する計画です。  (写真:改修前と改修後のバラCBRセンター) ●CBRセンターの改修と活動  当協会が支援を打ち切り、現地組織に移管してから中断はありましたが、現在細々とながらCBRセンターはなんとか附属眼科診療所を再開・運営しています。  それにしても、診察前に激しく泣かれて、お手上げの眼科助手(OA)はまだ若く、子どものあやし方がウィークポイントのようでした。  平成14年(2002)6月末で、当協会はバラCBRセンターへの支援を完了し、バラCBR地方協力委員会に事業を引き渡しました。その直後の同年9月、たった一人の眼科助手(クリシュナ・ムキーヤ)がインドで急死。このため、同センター附属の眼科診療所は壊滅的な打撃を受けました。  その後、NAWB本部のてこ入れにより、同協力委員会の委員長に、以前ドゥマルワナ統合教育校の校長であったパラット・プラサド・チョーダリ氏が就任。従来、地元名士のサロン的色彩の強かった同委員会を、より活動的なNAWBバラ支部に改組しました。  そして、地域コミュニティに小口の寄付を募って、独自に眼科助手(シブ・クマール・ヤダブ)を雇用して、眼科診療所を再開しました。  しかし、建物の本格的な保守・修理にまでは手をつけられないでいました。そこで、当協会は2006年度から3年間で、改修工事を実施することにしたのは、本誌既報のとおりです。  バラ支部の力では、マオイストによる、隣接する町役場の爆破の巻き添え被害などの応急手当をするのが精一杯だったため、バラCBRセンターは、一見するといわば荒れるに任されていました。しかし、第1期工事の終わった現在は、表紙の写真のように、少なくとも外観だけは見事に再生したのでした。  (写真:鏡を使った視力検査) ●パソコンは不便?  ネパールは現在ちょっとしたITブームで、農村部でも電気が通じている学校には、続々とパソコンが導入されています。そこでNAWBの事務局長は、視覚障害者が使えるように「スクリーンリーダー」というモニター画面を音声で読み上げるソフトの入ったCDを昨秋の現地調査に持参しました。しかし、結局それをインストールすることができませんでした。というのも、ずらっと並んだパソコンのどれにもCDを読み込むためのCD-ROMドライブが付いていなかったのです。  また、インターネットに接続するためには、数日前にネパールテレコム(電話会社)に予約しなければならないという、信じられないIT環境でした。しかも、これはSLCをパスした後の、情報処理専攻科でのことなのです。これでどうして職業教育を行うのでしょうか?  なお、この逸話は、農村部ならではのことで、少なくともカトマンズでは、ネットカフェで1分1ルピー(1.8円)で、いつでもインターネットに接続することができる他、日本語だって使えるのです。ネパールの都市と農村部の格差は、これは一例で、非常に大きいのです。 ●Hello! Mrs. & Mr. Thapa ネパールのニューファミリー  タパ夫妻は、共に高い教育を受けた高位カーストであり、ある意味でネパールの典型的なニューファミリーといっていいでしょう。  奥さんの方は、もう一昔前になりますが、八王子盲学校に留学していたので、ご存じの方があるかも知れません。名前はジャヌカ・プラサイ・タパさんで、現在は一女一男の母親。この日、長女は学校に行って留守でした。もちろん、日本語はぺらぺら。ただ、「最近は使わないので大分忘れました」といっていましたが、日常会話はしっかりしています。  ジャヌカさんは、現在公立校の教師をしており、このため、家事や子育ては、もっぱら「メイドにやってもらっています」といって、少し恥じらいながら笑っていました。  ネパールでは、家電が一般家庭に揃っているわけではないし、揃えたとしても停電が多いので、充分に役に立つかどうかわかりません。このため、主婦業は水くみなどもあり、大変な重労働を強いられます。しかも炊飯の前に、米に砂粒が混じっていないか選別するのは、視覚障害者には明らかに不可能で、その他、家事のハンディをあげたらきりがありません。  ただ、メイドの人件費が比較的安いので、教員のように毎月きちっと給与が見込める職に就いていると、家事と仕事の両立に悩むことはなく、かえって日本より楽に見えます。とはいえ、彼女の家族のようにアッパーミドル(中の上)クラスの生活でも、平均的な日本人が耐えられるかどうかは、非常に疑問です。とくに熱いお風呂に入る習慣のある人には無理でしょう。  一方、夫のクマール・タパさん(43歳)は、国立トリブバン大学マヘンドラ・ラトナ校の講師です。昔からNAWBの理事をしており、現在は副会長の要職を務めています。  視覚障害者で教育を受けることができた第一世代で、しかもいち早く修士を取得したネパールにおける視覚障害者のエリートであり、リーダーでもあります。彼らの先駆的な運動により、視覚障害者の教職の道が開けたのでした。 ●ネパールの鉄道  「毎日奨学金」の対象校であるバスビッティ校は本誌既報のとおり、橋のない川をジープでバシャバシャ渡らなければたどり着けない寒村にありました。宿泊のため、同校から1時間余車を飛ばしに飛ばしてたどり着いた町が、ネパール東部の中心都市ジャナクプル。  この町を中心にネパール唯一の鉄道が走っています。正式にはネパール鉄道(Nepal Railway)というのですが、営業路線がたった29kmなので、普通は旧称のジャナクプル鉄道と呼ばれています。1994年まで蒸気機関車が使われていたのですが、現在はインドから譲渡されたディーゼル機関車が牽引しています。レール幅(軌間)は762mmと軽便鉄道の規格なのに、客車は日本と同じ大きさ、しかも保線状態も悪いので、平均時速15kmで走ります。しかし、インドに通じる国際列車なので、1等車と2等車の区別があります。  (写真:老朽化した客車の窓にはガラスの代わりに、2本の鉄格子がはまり、囚人列車を思わせる) ●Report from NAWB 統合教育校の紹介  毎日新聞東京社会事業団の寄託による「ネパール視覚障害児奨学金事業」対象校から ◆ジュッダ校 (写真:授業を受ける2名の視覚障害生徒)  ジュッダ校(Juddha Higher Secondary School)は、ネパール中部地方のナラヤニ県ロータート郡ゴール町にある公立校です。同郡は、タライ平野(※1)にあり、住民の94%が農民とその家族で、ゴール町はロータート郡の郡庁所在地です。  ジュッダ校開校に先立ち、地元の教育家が学校設立を計画しましたが、ラナ専制政治時代(※2)、学校開設の許可を得ることは至難の業でした。そこで一計を案じた3人の土地の名士は、当時ネパールの絶対権力者であったジュッダ・シャムシャール・ラナ宰相の名前にあやかった校名を付けることにしました。こうして第1〜10学年の課程を有する学校の認可を得ることに成功し、ジュッダ校は1939年に開校しました。  開校に際して地元の素封家が203,179uの土地を寄贈しました。その当時は、学校が極めて少なかったため、同校へはゴール町と近隣の村落から多くの学生が集まりました。  ジュッダ校は、その後順調に発展を遂げ、現在は第1〜12学年の課程を有する小・中・高等学校になりました。また、同校には初歩的なコンピュータ技術を学ぶ別科(専攻科)があり、毎年SLCに合格した30人の学生が訓練を受けています。この訓練コースは、バクタプール市サノチミの技術教育・職業訓練評議会(CTEVT)より承認されています。  同校の年間予算は7,500,000ルピー(約1,130万円)で、学校には校庭、図書館、実験室および飲料水供給施設があります。現在の校舎は35教室あり、総学生数は1,713人で、それらを35人の教員と7人の職員で支えており、このうちの3人の教師が、視覚障害生徒に点字を教えるリソースティーチャーです。現在の学校長の名前は、ルドラ・ナラヤン・ジャ(Mr. Rudra Narayan Jha)氏です。  同校では一昨年、大規模な寄宿舎を建設するための財政支援を、ネパール南部の中心都市ビルガンジにあるインド総領事館を通じてインド政府に要望しました(※3)。それが昨年認められ、現在建築工事中です。総工費は30,000,000ルピー(約5,000万円)という、桁違いの寄宿舎です。  ネパール盲人福祉協会(NAWB)は1986年に特殊教育にたずさわる教員を訓練し、同校において視覚障害児のための統合教育を開始。1994年からは東京ヘレン・ケラー協会が、NAWBの要望に応え、ジュッダ校における統合教育プログラムを支援しました。そして、初年度は8人の視覚障害学生を受け入れ、その後毎年学生は増え、ついには定員の20人に達しました。視覚障害児を学校で受け入れるために、同校に専用の寄宿舎が必要でした。そこで、東京ヘレン・ケラー協会は3部屋からなる寄宿舎建設に対して財政支援をしました。  現在、同校では13人の視覚障害を持つ生徒が学んでいます。この13人うちの7人は毎日奨学金を受けており、残り6人の学生はネパール政府の特殊教育評議会によりサポートされています。これまでに10人の視覚障害生徒がSLCに合格し、卒業しました。  (※1)タライ平野:インド国境に沿った長さ 800km、幅25〜50km海抜60〜200mの平野。沖積層地帯で、肥沃な田園が広がっている。  (※2)ラナ専制政治時代:1846年ジャンガ・バハドゥル・ラナがクーデターを起こし、それ以降ラナ家が宰相を世襲し、104年間にわたり国王をないがしろにした専制政治を行った。1951年「王政復古」により、国王を元首とする臨時政府を樹立してラナ専制政治が終了する。  (※3):ジュッダ校の学区には、インド陸軍に志願したゴルカ兵(ネパール兵)の実家や、除隊したゴルカ兵がたくさん住んでおり、同校にはその子弟が通学している。 ◆シャンティ校  (写真:シャンティ校の視覚障害児)  シャンティ校(Shanti Model Secondary School)は、西部地方のルンビニ県ルパンディヒ郡マニグラム村にあります。そこは、ブトワル市とバイラワ市を結ぶ国道の要衝マニグラム交差点から約200mの距離に位置します。この地、ルパンディヒ郡の60%以上の住民は農業に従事しており、中でもマニグラム村はとても肥沃な土地です。  1946年、何人かの非常に教育熱心な人々が、学校設立について議論し、考えを深めました。しかし、当時はラナ専制政治の時代であったため、学校の設立は容易なことではありませんでした。そこで、同校は非公認の寺子屋として発足しました。シャンティとはネパール語で「平和」を意味し、平和をもたらすように願って校名としました。  ネパールが王政復古を遂げた後の1956年に、ベテラン教師であったマニグラム村のクリシュナ・ハリ・ディタル氏が、寺子屋から正規の学校にするための運動を開始しました。そして1959年に、政府は同校を小学校(第1〜5学年)として認可し、1961年には中学部(第6〜8学年)も認可し、1969年にはセカンダリーレベル(第9、10学年)も認可しました。  政府から同校への財政支出は少額だったので、学校の運営は非常に困難を極めました。学校は財政破綻状態であり、支援を集めるためディタル氏は学校を応援しようと呼びかける詩を作りました。  これを読んで感銘を受けた地主のラム・マニ・アチャリヤ氏が支援を約束し、32bighaの土地を同校に寄付しました。同時期に、聖職者のクリシュナ・クマリ氏は4bighaの土地を、同じく聖職者のダヤーナンダ・ギリ氏は2bighaの土地を寄付しました。また、学校は寄付として別に3bighaの土地を得ました。現在の校舎は、2bighaの土地を売って建築したものです。  学校は現在も39bigha(264,133u)の土地を所有しており、その収益が学校の支出をカバーしています。  ネパール政府には1県に1つのモデル校を選定するという方針があります。そして素晴らしい教育学習活動が認められ、同校もモデル校に選ばれました。また、NAWBは統合教育の実践校にも選定しました。  1986年、統合教育事業は2人の視覚障害を持つ女子生徒を対象に開始されました。1994年、東京ヘレン・ケラー協会は8人の視覚障害を持つ寄宿学生への支援を開始し、それはその後20人にまで拡大しました。また、東京ヘレン・ケラー協会は学校敷地内に寄宿舎を建設するための財政支援をしました。  これまでに13人の視覚障害学生がSLCに合格して同校を卒業しました。現在同校には20人の視覚障害学生が在籍しており、そのうちの7人が毎日奨学金を受け、残りの学生はネパール政府の特殊教育評議会が財政支援をしています。  また、2003年から、学校は実業学校に選定され、毎年SLCに合格した24人の訓練生が、溶接、木工、配管工事、電気工事などを学んでいます。このコースは技術教育・職業訓練評議会(CTEVT)によって、認定されています。  学校には約1,000人の学生がおり、女子学生数はそのおよそ半分です。28人の教員と7人の職員が働いており、視覚障害児のためには3人のリソースティーチャーが働いています。  学校の年度予算はおよそ280万ルピーです。学校は10棟の建物を持っており、図書館、理科室、校庭、トイレ、飲み水の給水設備を備えています。  現在の校長はダイリップ・シン・タパ(Mr. Dilip Shingh Thapa)氏です。(NAWB事務局長ホーム・ナット・アルヤール) ●2007年度事業計画(平成19年4月1日〜平成20年3月31日) 1.フォローアップ事業  ネパール盲人福祉協会(NAWB)の点字教科書発行を中心とした事業に対して、フォローアップのための側面的支援を実施する。これは、当協会が長年実施してきた事業が無に帰さないように、平成16年度から継続して実施している事業である。 2.毎日奨学金事業  毎日新聞東京社会事業団寄託による「ネパール視覚障害児奨学金事業」を本年も継続・実施する。本事業は、貧困のため就学の機会を得られないネパールの視覚障害児47名に奨学金を提供し、第1〜10学年の学校教育を提供し、自立への道筋をつけると共に、将来のリーダー養成を図る事業で、平成21年度まで継続して実施する計画である。 3.CBRセンター改修事業  平成2年に外務省NGO補助金を受けて、バラ郡カレーヤ町にバラCBRセンターを建設した。  同センターは現地コミュニティに移管した後も小規模ながら眼科診療等を継続している。レンガ造3階建の同センターは、落成より15年余となり、隣接する町役場を反政府武装勢力が爆破した巻き添え被害も加わり老朽化が進んだ。そこで昨年度より、3年計画で小規模な改修工事を行っており、本年度はその第2期工事を行う。 4.寄宿舎増築事業  平成6年度国際ボランティア貯金配分金を受けて、バラ郡ドゥマルワナ校にレンガ造平屋建の寄宿舎を建設したが、視覚障害児の成長に伴い手狭になった。そこで、国際協力事業を支援している団体に助成申請を行い、寄宿舎を2階建にする増築工事を行う。なお、助成が受けられなかった場合は、繰越金の一部を取り崩して実施する。 5.国内事業  広報・募金活動は、NAWBから事業報告等が提出されることを条件に、『愛の光通信』を年2回発行し、例年通り実施する。  日本障害者リハビリテーション協会内に事務所を置く、障害分野NGO連絡会(JANNET)において、障害分野の国際協力を行う他施設・団体と情報交換・交流を深める。 ●E-mailに関するお詫びとお願い  当海外盲人交流事業事務局のメールアドレスXLY06755@nifty.comには1日に和文50件、英文40件、都合90件ほどのメールが届きます。しかし、そのうち、実際に当事務局とはっきり認識して送ってきているものはたった1、2件に過ぎません。その他はいわゆるスパムメール(迷惑メール)です。そして、中にはウィルスメールも紛れており、実際に当事務局は、2回も被害にあっています。 このため、私たちはメールの開封に極めて慎重にならざるを得ず、もしかしたら、読者の皆さまにお返事を差し上げない、無礼を働いている可能性があります。まことに申し訳ございません。 そこで当事務局にメールを送る際は、お手数ですが、「見出し(件名)」に「東京ヘレン・ケラー協会宛」とか「THKAへ」とお書き添えくださいますよう、お願いいたします。(事務局) ●カトマンズに63年ぶりの雪  カトマンズに今年の2月14日、なんと63年ぶりに雪が降った、と東京に住むネパール人がやや興奮気味に語ったとき、僕はてっきり雪が積もったものと勘違いしました。しかし、実際は、雨がみぞれに変わり、それがさらに数分間雪になった程度なので、つい「なーんだ」といってしまいましたが、雪は雪です。  ヒマラヤが万年雪に覆われているので、ネパールと雪はお似合いです。カトマンズは標高こそ約1,300mですが、緯度は沖縄の北端あたりなので、まずは雪とは無縁であるためカトマンズ市民はさぞや驚いたことでしょう。  前回降った雪は、1944年1月といいますから、昭和19年の日本の敗戦が濃厚になった頃ですね。ということは、戦後の初雪だったのです。もっとも、ネパールは第二次世界大戦には参戦しておりませんが。(福山) ●JANNET年次総会開催  4月21日(土)午後、当協会が加盟するJANNET(障害分野NGO連絡会)の年次総会が、新宿・戸山サンライズにおいて開催されました。総会では、役員会報告、会員の動向、平成18年度の事業報告・決算、および平成19年度の事業計画・予算などが承認されました。  懸案の会員拡大については、財務委員会を中心とした活動が功を奏し、平成18年度当初とくらべると団体正会員5団体、個人正会員5名、個人賛助会員2名が入会。一方退会は賛助会員の2名であったため、平成19年度当初の会員数は、団体正会員34団体、同賛助会員3団体、個人正会員15名、同賛助会員11名、名誉会員1名となりました。  JANNETの主な活動のひとつとして、この2年間、バングラデシュの「開発における障害センター(CDD)」の活動に注目し研究会・研修会を開催してきました。これをさらに深めるために、来年(2008)2月5〜7日に第3回APDF(アジア太平洋障害フォーラム)会議がバングラデシュのダッカで開催される機会を利用して、その終了後に今年度事業としてCAHD(開発における障害へのコミュニティ・アプローチ)が実践されているフィールドを見学し、現地スタッフとの討論・交流を行う研修会を、2月8日(金)〜11日(月)に計画しています。往復航空運賃、宿泊費、食事代の実費は自己負担ですが、日本語と英語の通訳、手話通訳等の共通経費はJANNETが負担します。 ●憲法制定議会選挙は6月20日 日系ネパール人も新党を結成して出馬  ネパールでは4月1日、武装勢力のマオイスト(毛沢東主義派)を含む暫定政権が発足し、コイララ首相が引き続き暫定議会でも首相に再選されました。閣僚は22人で、コイララ首相が率いるネパール会議派は、首相が国防相を兼務したほか内務、財務など主要6ポストを占め、統一共産党が外務、農業など6人、マオイストは情報通信、地方開発などに5人が入閣。昨年11月の和平協定締結による内戦終結、今年1月の暫定議会発足に続き、ネパールは再建に向け新段階に入りました。  また、マオイストを含む主要8政党は同日、党首会議を開き、王制存続の是非が焦点となる憲法制定議会選挙を6月20日に開くことを決めました。  一方、この選挙に、長野県出身でネパールの国籍を取得した宮原巍<タカシ>さん(73歳)が新党「ネパール国家開発党(Nepal National Development Party:NNDP)」を結成し参加することを表明。同氏は標高3,880mにあるホテル・エベレスト・ビューやカトマンズのホテル・ヒマラヤのオーナーとして有名で、30年以上にわたりネパールでホテルを経営してきた経験から、観光振興などを軸に鉄道網の整備、自然保護区の設定、初等教育の浸透などを訴えていく計画です。  このニュースに接し、平成元年にホテル・ヒマラヤに私たちが宿泊したとき、宮原さんから歓迎の意を込めたフルーツバスケットをいただいたことを思い出しました。このため、ちょっと気がとがめますが、知り合いのネパール人に聞く限りNNDPの評判は最悪です。宮原さんはマニフェストを出すといっているのですが、その発表前に悪評ふんぷんなのは、NNDPが、王党派のネパール国民民主党(National Democratic Party of Nepal)とあまりに名称が似ており、その関係がとりざたされているためです。  アルベルト・フジモリ(藤森謙也)氏が2000年11月に日本に亡命した直後、「日本人はすごい、外国の大統領にもなる」と必ずしも揶揄ばかりとはいえない賞賛の声をカトマンズで聞いたとき同様、再び私は複雑な、奇妙な心持ちがします。(福山) ●カマル氏筑波大修士課程を修了  NAWBの要請により、当事務局が、入学にあたって、学費免除の手続き、査証申請等のサポートを行ったネパールからの視覚障害留学生カマル・ラミチャネ氏がこの3月に筑波大学大学院修士課程教育研究科を無事修了。 同氏は修士課程1年時に日本政府(文部科学省)奨学金留学生選考試験に合格し、この4月には東京大学大学院博士課程に合格・入学しました。 ●その名は“ニッポン”  (写真:Nipponと明記された扇風機)  カトマンズは観光の町タメル地区のある喫茶店に、写真の“ニッポン”が壁に取り付けられていました。この扇風機があるだけで、この店が高級店でないことはバレバレですよね。  ウエイターに「この扇風機はどこ製?」と聞いたら、「Made by Nippon(日本製)」と、胸を張っていわれてしまいました。「ニッポン」というブランドがあるとすれば、確かにその答えは間違いではありません。しかし、ずいぶん紛らわしいネーミングですね。たぶん、否、絶対この扇風機が日本製(Made in Japan)でないことはうけあいです。こんな名前を付けたら、日本ではまず売れませんからね。  簡明直截なネーミングはインド文化のひとつの特徴ではないかと常々思っているので、おそらくこの扇風機もインド製ではないかとにらんだのですが、いかがでしょうか?  スズキがインドで展開する合弁会社、「マルチ・ウドヨグ」の四輪駆動車は「Gipsy(ジプシー)」といいますが、これに対抗して、タタモータースが投入した四輪駆動車は、なんと「Sumo(相撲)」です。これなど、善意に解釈すると「スズキより強いでごわす、どすこい!」という気概はうかがえますが、ネーミングとしては、どうなんでしょうか?  そういえば「リッチマン(金持ち)」という名前の男性用オーデコロンも見かけました。たしかに南アジアでオーデコロンを使うのはリッチマンに限られるので、なにもいうことはないのですが。そのネーミングで売れるというのが、非常に南アジア的だといえないでしょうか?(福山) ●募金のお願い  ネパールにおける失明防止と視覚障害者援護の充実をはかるために、募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150−5−91688 銀行口座:三井住友銀行新宿通支店(普)5101190 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号にかかげる社会福祉法人でありますので、当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号、法人税法第37条第3項第3号の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記  正式名称が「ネパール王国」から「ネパール」に変わったように、ネパールはめまぐるしく変遷し、本誌25号で「ケータイ狩り」のタイトルで、厳しい携帯電話の規制を書きましたが、現在はかなり値も下がり、誰もが簡単に買えます。▼ネパールルピーはインドルピーに固定されているため、一時は1.5円であったネパールルピーが、インド経済が好調なためすでに1.8円。ネパールの経済的ファンダメンタルズが反映されているのかどうか心配です。▼これまで本誌ではマオイストのことを「反政府武装組織」と表記してきましたが、同党も閣内に入ったので、これは改めます。(H・F) ●発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4 TEL : 03-3200-1310  FAX : 03-3200-2582 URL:http://www.thka.jp E-mail: XLY06755@nifty.com