愛の光通信    2006年冬号通巻27号 2006.12    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局  写真:視覚障害学生ニル・カンタ・ティムシナ(Mr. Nil Kantha Timsina)君は、2006年度SLC(学校教育修了国家試験)において、優秀な成績を修め、カスタマンダプ(Kasthamandap)ロータリークラブの年次総会で大学進学の奨学金が贈られた。 ●ネパールを訪ねて 理事長 藤元節 「日本人が初めてなので、見に来たのです」というのはアルヤール事務局長。夕闇迫るバスピッティ校校門わきの大きなチョウタラ(緑陰の休憩所)をステージに歓迎の集いが始まった(写真)。  「いい先生になって、視覚障害者のことを、いろんな面で助けられるようになりたい」。今年のSLC(10年間の教育課程が終わった春行う学校教育修了国家試験)で、歴代の障害児の最高点を取ったティムシナ君(21歳)は、こう語った。  私は、カトマンズのNAWB(ネパール盲人福祉協会)本部を訪ね、ラジャン・B・ラウト会長への挨拶もそこそこに、この青年に引き合わされた。平成5年(1993)に当協会が初めてNAWBと共同で統合教育を始めたドゥマルワナ校の出身。家から5、6時間もかかり、寄宿舎がなければ、学校には上がれなかったという(4ページに関連記事)。  「今年、SLCにチャレンジした視覚障害児81人のうち77人がパス、合格率 95%ですよ。晴眼児は 42%でした」と胸を張るのは、NAWB事務局長のホーム・ナット・アルヤールさん。晴眼児は農村では有力な働き手、勉強どころではない者が多い。「SLCに合格して小学校教員の資格を」と寄宿舎で、ひたすら勉学に励む視覚障害児の合格率は高くなるというのである。  さて、次は「SLC全国一」を輩出したドゥマルワナ校訪問。カトマンズから、同校に近いインド国境のビルガンジまで80kmなのに、陸路の山越えは最低6時間かかる。そこで、同行の協会海外盲人交流事業の福山博、NAWBのアルヤール両事務局長と3人で、カトマンズからビルガンジに近いシムラまで仏陀航空機で飛ぶ。離陸から20分、秋を思わせる首都とは打って変わり、夏だった。国境沿いに西から東に細長く延びる亜熱帯のタライ平野の真っ只中だから、当然ではある。  シムラ空港では統合教育開始時のドゥマルワナ校長だった「ミスター・チョーダリ(同姓が多いので、こう呼ばれる)」をはじめNAWBバラ支部のメンバーから花輪と花束攻め。トヨタのランドクルーザーとドライバーも、手配通り待機していた。この日は、バラCBRセンター附属眼科診療所眼科助手のまま、4年前他界したクリシュナ君の遺児3人が寄宿舎生活を送る学校と同センターを訪ねたあと、夕食を共にして予定終了(5ページに関連記事)。 翌朝7時前にホテルのレストランに行ったが、朝食が出て来たのは50分後。トーストに野菜サラダ、紅茶だけだったのに。何とか8時に迎えのランクルに乗り込み、ドゥマルワナ校へ。  30分も走らないうちに、悪路とぶつかる。大きな穴ぼこと言っても、こんなひどいのは、日本では絶対お目にかかれない。それでもメーターは時速40kmを下らず、トラックやバスを追い越す。ハラハラの連続だが、よく見ていると、我がドライバーの腕は抜群とわかる。 「得難い体験」のあと、1時間程で、校門前。菩提樹の下で、ヤギたちが悠々とエサをあさっている。校門左わきに理容店など3店があり右わきにも2店が建築中(4ページに関連記事)。広い草地の校庭を突っ切ると「BLIND HOSTEL」と書かれた鉄門が見えた。レンガ塀の内側に平屋の寄宿舎がある。  男女5人の視覚障害児たちから花輪と花束を贈られ、校長先生の案内で屋内見学後、「食堂で昼食をどうぞ」と言われて、戸惑った。6畳程のコンクリート打ちした部屋には机もイスもないのである。この学校の運営委員会のトップをつとめるミスター・チョーダリらNAWBバラ支部役員、校長先生、私たちの8人がコの字に座り、昼食会となった。メニューは、お決まりダル・バート・タルカリ(ネパール定食)。日本からの2人はナプキン代わりに新聞紙を渡され、スプーンでいただいたが、他は全員、皿のご飯とカレースープなどをかき混ぜ、右手で器用に平らげた。  校長先生が「もっといい仕事をしようと決めている。そのために、寄宿舎に2階を増築して欲しい」と切り出した。NAWBのアルヤール事務局長によると、寄宿舎の増築に必要な資金は695,176.54ルピー(約 1,180,000円)という。「他校では一つのベッドを2人で使っているところさえある。ここは、部屋が広いし、新築して11年しか経っていないではないですか」と、福山事務局長が突っ込むと、こんな答えが戻ってきた。  「就学できなくて、家で待機している視覚障害者児がたくさんいるので、広すぎることはない。それに問題が起きないよう男子と女子の部屋を1階と2階に分けたい。さらに学習環境を整え、統合教育のモデル校にふさわしいものにしたい」。  寄宿舎の菜園に目をやると、高菜、ダイコン、ジャガイモ、ソラマメが植え付けられていた。子どもたちの食事の助けにするのだという。水くみ用の手押しポンプのそばには、値段の安いお米を貯蔵するために手作りの米倉を備えていた。  さて、校門前の店は?「あれ1店で月500ルピーのテナント料が学校に入る。3店で年間18,000ルピー(約30,000円)の収入。建築中の2店舗はタバコ販売組合が資金を提供しました」。ミスター・チョーダリは、外国の支援を求めるだけでなく、地域も頑張っていると力説した。私は「来春までに、いい答えを届けることができるよう努力したい」と約束して、校門を後にした。  タライ平野の3日目は、強行軍だった。朝食抜きで、午前7時ホテル発。密林を切り開いて、旧ソ連がつくったマヘンドラ国道を東に1時間疾走後、枝道に入る。悪路を1時間有余、ジュッダ校訪問後、2時間走って、道路わきの食堂でのダルとサモサの昼食は、意外に美味だった。  次は両事務局長とも処女地のバスビッテイ校。何度も道を尋ね、さらに2時間、携帯電話を持った案内役の先生と運良く合流できた。車1台がやっとの道を抜け、凸凹の農道に差しかかる。その先は川だが、橋らしきものはない。土手を下りると、車輪すれすれの流れをよぎり、干上がった川原を行く。そのあとに感動が待っていた。  校門が開くと、100人を超える生徒が2列に並び、両側から拍手で迎えてくれるではないか。これを 1,000人以上が取り巻いている。村人や学齢前の子どももいた。「日本人が初めてなので、見に来たのです」というのはアルヤール事務局長。夕闇迫る校門わきの大きなチョウタラ(緑陰の休憩所)をステージに歓迎の集いが始まった。リソースティーチャー(視覚障害児担当教員)が奏でるキーボードに合わせて視覚障害児たちが歌い、校長先生や学校運営委員会の役員が、支援に感謝する言葉を次々に述べた。  写真:歓迎の演奏をする視覚障害児  写真:歓迎の記念品が学校長から理事長に授与された。  今回のタライ・ドライブは実質4日間、1,000kmを超えた。密林を抜けると、稲穂が重く垂れる水田や砂糖キビ畑が果てしなく続く穀倉地帯。国道ではマオイストの関門あるいは銃身むきだしの小銃を構える国軍兵士にも出くわした。マオイストの若い女性から「通行税25ルピー也」を徴収されたが、カメラを向けてもとがめられることはなかった。「今は平和。いろんなことが止まっている」というNAWB役員らの言葉通りだった。  アルヤール事務局長は、と言えば、持参した点字教科書を学校を訪問するたびに、仕分けしてリソースティーチャーに渡していた。「うちのパソコン教室を見てくれ」と案内され、視覚障害者対応にできないことがわかっても、熱っぽくITの効用を説く。信頼に足るパートナーである。  訪問したどの学校でも、教室の最前列に陣取り一心不乱の視覚障害児たちの姿と重ね合わせて、昨年スタートした「毎日奨学生」(毎日新聞東京社会事業団の助成による就学支援事業)をはじめネパールとの交流事業を、さらに有効に進めなくてはとの思いを新たにした。 ●ティムシナ君のこと  ニル・カンタ・ティムシナ君は、2006年度ネパール学校教育修了国家試験(SLC)において、8割の正答率という優秀な成績を修めました。これは全障害学生におけるこれまでのSLCの最高点です(写真:理事長とティムシナ君)。  彼はルンビニ県ナワルパラシ郡デウラリ村で生まれましたが、幼年期に目が悪くなり、東京ヘレン・ケラー協会の支援で開発されたナラヤニ県バラ郡のドゥマルワナ統合教育校に1996年に入学しました。  ティムシナ君は勤勉な学生で、第1〜8学年までの成績は、つねにクラスの首席でした。しかし、彼は9年生に進級してからちょっとした病気にかかり、第9と10学年の試験では、晴眼者のクラスメイトに首席の座を譲り、次席に甘んじました。しかし、10年課程の最後の試験であるSLC試験では、再び首席に返り咲いたのです。  彼の趣味は詩を作ることと、ギターを弾きながら歌うことです。在学中に彼は、バラ郡教育事務所や学校などが主催する様々な課外活動に参加して表彰されました。さらに、彼は教育・体育省とネパール全国体育協議会が共催する全国障害者スポーツ大会でもいくつかのメダルを獲得しました。  今年、ネパール各地から81人の視覚障害学生がSLC試験を受けました。それらの中では、彼のみがただ一人「優」(distinction position)を、59人の学生が「良」(first division)を、17人の学生が「可」(2nd division)を得ました。そして、4人の学生が、残念ながら落第しました。  ティムシナ君の傑出した成績に対して、製薬会社のCTL薬品は、カトマンズ市にあるカスタマンダプ・ロータリークラブを通して彼を表彰すると共に、進学するための奨学金を授与しました(表紙の写真参照)。  彼は優秀な教師になって、社会に貢献する夢を実現するため、ポカラ市にあるプリティビナラヤン(Prithivinarayan)大学に進学しました。 ●大家さんは村の学校  正門の左側には制服などの仕立屋、文房具店、理容店が軒を連ねています。これらの不動産はドゥマルワナ校が所有するもので家賃を取って貸しているのです。右側の建物は、タバコ販売組合の資金援助を得て20万ルピー(約34万円)で建設中のもので、完成したら一月500ルピー(約850円)でテナントを募集する計画。  学校がやることではないという批判があるかもしれませんが、教育には費用がかかり、貧しい村では、その捻出が至難の業なのです。  門の前でヤギが草を食んでいますが、これでも村一番の繁華な通りなのです。 ●運営委員長は元商工大臣  成績が優秀な視覚障害児に記念品を渡して表彰しているのはパシュパティ校チョーダリ運営委員長。元商工大臣でラーハン町きっての政治的実力者です。  同校は伝統校でもあり、OBには町の実力者が大勢います。町自体も街道筋にあり、私たちが支援する学校の中では、比較的裕福です。  同校の設立者もチョーダリ姓なので、関係があるのかと聞いたらまったく無関係で、「あちらはブラフマン(僧侶階級)のチョーダリ、そして私はタルー族のチョーダリ」といって、元商工大臣は豪快に笑ったのでした。 ●「クリシュナ君遺児育英基金」に対する支援  「クリシュナ君遺児育英基金」(以下、クリシュナ基金)という、当協会職員有志による国際協力事業があります。  当協会がネパール盲人福祉協会(NAWB)と共同で実施していたバラCBR事業のスタッフ(眼科助手)であったクリシュナ・ムキーヤ氏(以下、クリシュナ君)は、2002年9月に心臓発作によりインドのババダン寺院巡礼中に客死。同夫人は将来を悲観して2004年6月に後追い自殺しました。  クリシュナ君には4人の遺児がおり、末っ子のアーラティちゃんは5歳以下であったため、NAWBバラ支部の尽力により孤児院に入所。残りの3人については、地元の寄宿学校にて10年課程の教育が修了するまで、クリシュナ基金が3人分の寮費等の生活費(年間約12万円)を支援し、NAWBの有志が、同様に学費(年間約3万円)を保証することになりました。  写真:3人の遺児(右端から長女、長男、次女)2005.07.27  10年間の教育とは、わが国では高校1年修了に相当しますが、ネパールでは後期中等教育修了にあたり、いわば高卒として、小学校の教員や公務員、NGO等への就職が可能になります。  当協会の事業はあくまでも視覚障害者を対象にしており、3人の晴眼児を対象にしているクリシュナ基金には、1円たりとも支援はできません。しかし、同基金は任意団体なのでネパールへの送金や契約には限界があります。  そこで費用の支出を伴わない、下記のような側面的支援を、当協会はクリシュナ基金に対して行うことにしました。  @送金手数料も含めて費用の全額を同基金が支出することを条件にNAWB宛の育英基金の送金を代行する。  ANAWBが責任を持って3人の児童に対する就学機会の提供を行うことを骨子とした「覚書」を交換することにより事業の推進を担保する。  3人の遺児は当協会の福山事務局長が2005年7月27日に現地調査したおりには、故・ムキーヤ夫人の実家にいましたが、絶望的な環境の中で、食事も満足に与えられていませんでした。  クリシュナ君は貧しい、極めて低いカーストの出身でありながら、苦学して10年間の中等教育を終了し、1989年11月に私たちのバラCBR事業のフィールドワーカーとなり、その中から特に選抜されて、カトマンズのトリブバン大学医学部において眼科助手(OA)になる教育を受け、国家試験に合格してバラCBRセンター附属の眼科診療所に勤務していました。非常に物静かな紳士で、有能なスタッフでした。  ムキーヤ夫人は一切教育を受けたことがないため、現地語のブジュプリ語の他はネパール語も話せず、就職もままならない中で絶望して、ヒンズー教の因習である殉死(サティー)に近いような形で死を選びました。彼女の二の舞にならないようにするためにも、子どもたちに教育の機会を提供することは重要です。  NAWBと当協会間の契約によると、遺児3人の10年課程を受けるための生活費は72万ルピーと見積もられており、これまでにクリシュナ基金は、それを上回る759,018ルピーを送金しました。今後は、NAWBがこの資金を運用して、遺児3人の生活費を捻出することになっています。  写真:寄宿舎にて(右端から長男、長女、次女)2006.10.30 ●進む女性の社会進出  忘れもしない平成12年(2000)5月、「仏陀航空を予約した」とNAWBの担当者から聞いたとき、僕は天を仰いだ。僕の脳裏には「御陀仏になる」とか、「御釈迦になる」という言葉が思い浮かんだのだ。それまでネパールの国内線を飛ぶ飛行機といえば中古が当たり前で、実際に搭乗した経験のある飛行機はビスが所々とれて、エンジンカバーをガムテープで補修し、足下はすきま風が通りスースーするような機体ばかりだった。そこで、よりによって縁起でもないネーミングの航空会社と考えたのだ。  ところが仏陀航空は例外であった。新品の米国製ビーチクラフト1900Dsを使っており、動力がターボプロップエンジンなので、通常のプロペラ機よりも速く、しかも力強く山越えするのでとても頼もしい。しかも嬉しいことに創業以来無事故で、それは仏陀のご加護であるという。  写真(コックピット)で腕だけが見えている副操縦士は、実は妙齢の女性だ。平成元年(1989)に初めてネパールを訪れたとき、ネパールの女性は車の運転どころか、自転車にも乗りませんと聞いたのが、今は昔である。(福山博) ●学校で教え始めた視覚障害教師 彼の名前は、サロジ・クマール・ケサリ(26歳)、ジュッダ校の小学部の視覚障害教師である(写真)。彼と私たちのつきあいも10年以上だ。 彼は公立校である同校の寄宿舎で生活しながら、2004年春に晴れてSLC(学校教育修了国家試験)に合格。ネパールではSLCに合格したら小学校の正規教員になることができる。また、同校にはSLCに合格した者を、10カ月コースで教員に養成する課程もある。 SLCに合格した視覚障害者は、奨学金を得て、11・12年課程を学ぶのが、最近の傾向だが、彼は家庭の事情もあり、とにかく早く、職業的に自立して、経済的に安定したかったようである。 ●マオイストの少女に会う  彼女の名前はラマ、マオイストの徴税官である(写真)。マヘンドラ国道は、タライ平野を東西に一直線に延びた幹線道路で、別名盗賊街道。「ダコイット」と呼ばれる盗賊が出没するためだ。その治安維持のために寄付を!というのがマオイストの主張。しかし、寄付というのは強制するものではないからこれは事実上の革命税だ。ドライバーは、ダコイットよりもマオイストの方がよほど怖いので、払わざるを得ない。 領収書(写真)には赤旗とエンゲルス、マルクス、レーニン、スターリン、毛沢東の肖像が描かれていた。金額は25ルピー(約40円)。 ●寄宿舎増設問題  ドゥマルワナ統合教育校は、バラCBRを実施する過程で、私たちがNAWBと共に開発し、最初に支援した学校なので愛着がある。  同校からすでに4、5年前より要望されているのが、寄宿舎の増設だ。その理由は同じフロアーに男性用寝室と女性用寝室が並んでおり、そこには年頃の男女もいるので、好ましくないということである。  私たちが支援するのは、小学校第1学年から10学年(日本の高校1年に相当)までなのだが、10年生ともなると成人を過ぎている方が圧倒的に多い。そこで、どちらかの寝室を2階に移したいというのである。  もっともこの寄宿舎は、食堂()といってもまったくの土間で、実は勉強する机も、その部屋もまったくないのだ。自分の寝台がすべてで、そこで勉強し、遊ぶ、究極のシンプルライフである。  写真:視覚障害児がベッドに腰掛けて太鼓を叩いている。  写真:土間で食事中の視覚障害者 ●2005年度事業報告(平成17年4月1日〜平成18年3月31日)  本年度から毎日新聞東京社会事業団の寄託によるネパール視覚障害児奨学金事業を、ネパール政府・社会福祉協議会(SWC)の承認の下、ネパール盲人福祉協会(NAWB)をカウンターパートにネパール各地の統合教育校7校において47人の視覚障害児を対象に開始した。また、前年度に引き続き、NAWBを側面的に支援することによるネパールにおける点字教科書発行等のフォローアップ事業を実施した。  上記事業の管理等を行うため、比較的治安が安定した2005年7月21日〜8月1日の日程で福山博事務局長をネパールに派遣した。  同国は従来から反政府武装勢力「ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)」と治安部隊による交戦や爆弾事件等が散発的に発生する治安状況に加え、ギャネンドラ国王が2005年2月に内閣を解任し強権的な直接統治を開始したため、議会制民主主義への即時復帰を求める反国王派の主要7政党との対立が深刻化した。このような世情騒然とした中で、農村僻地にある統合教育校とNAWBが一時電話連絡がとれない状況となったが、政府はもとよりマオイストも、NAWBが実施している諸事業にはことのほか厚意的で、活動への妨害や脅迫が一切ないばかりか、協力的でさえあった。  なお、同国王は2006年4月24日夜、国営テレビで「国権と主権がネパール国民にあることを確認する」と語り、解散させていた下院を復活する意向を表明し、主要7政党の要求に沿った形で事態は収拾した。  国内活動では、前年に引き続き福山事務局長が「障害分野NGO連絡会(JANNET)」(会長・松井亮輔法政大学教授)の幹事に選出され、障害分野における国際協力・交流事業に参画した。また、NAWBから送られてきた事業報告等を参考に、『愛の光通信』を2005年5月(通巻24号)と同年12月(通巻25号)に発行し、広報・募金活動を実施した(写真:寄宿舎を背景に視覚障害児と藤元理事長)。 ●平成17(2005)年度収支計算書  自 平成17年4月1日  至 平成18年3月31日 (借方)  以下、科目、金額(円)の順。 事務費 513,725  賃金 240,000  旅費 7,950  印刷製本費 81,900  役務費 138,375  雑費 45,500 事業費 1,771,218  海外援護費 1,504,868  海外出張費266,350  小計 2,284,943  当期繰越金 169,624  合計 2,454,567 (貸方)  以下、科目、金額(円)の順 寄付金収入2,449,231  助成金収入1,000,000 募金収入1,449,231  雑収入 5,336 受取利息 336 雑収入 5,000  合計 2,454,567 ●貸借対照表 平成18年3月31日現在 (借方)  以下、科目、金額(円)の順。 流動資産2,987,840 現金19,143  預金 2,968,697  資産合計2,987,840 (貸方)  以下、科目、金額(円)の順。 繰越金 2,987,840  前期繰越金 2,818,216  当期繰越金 169,624  純財産合計 2,987,840 ●海外交流事業記録(2005/6〜2006/5)  2005年6月:JANNET「メールマガジン」第21号(6月20日発行)の編集を担当  7月21日〜8月1日:現地における事業管理(福山博)  9月9日:日本点字図書館ICTセミナーに参加するため来日したニーラ・アディカリさんのアテンドを行う。  9月12日:JANNET役員会  11月5日:JANNET研究会「開発への障害のインクルージョン」ナズムル・バリ氏講演  12月:『Light of Love(愛の光通信)』No.25発行  12月4日:ネパールカルナリ協力会にて講演  12月:JA(農協)グループの出版・文化団体である家の光協会の子供向け月刊誌『ちゃぐりん』の監修・協力  12月:JANNET「メールマガジン」第28号(2006年1月20日発行)を編集  2006年1月21日:JANNET研究会「CBR(地域に根ざしたリハビリテーション)の課題への取り組み」  3月3日:タイ国の視覚障害留学生(カンチット・ソムジット)氏の「在留資格認定証明書交付申請」のために青松氏(国際視覚障害者交流・協力ネットワーク)と東京入国管理局へ行く。  3月5日:JANNET役員会  4月9日:JANNET総会  5月:『Light of Love(愛の光通信)』No.26発行  4月29日、5月13日、5月27日:筑波大学大学院生カマル・ラミチャネ氏来訪。同氏がネパールで行うアンケート調査の質問用紙作成に協力。 ●寄付者ご芳名(五十音順・敬称略)平成17年7月1日〜平成18年6月30日  温かいご支援ありがとうございました!  (個人) 青木成美/青木正子/青山マリ子/秋山恭子/秋山倶子/荒川志げ子/在田一則/安藤生/石井芳重/石田隆雄/石谷喜代/石原幸栄/石光貞子/伊藤啓子/今井弘一/岩田修二/岩屋芳夫/植竹清孝/上野伊律子/上村健次/遠藤利三/大島秀夫/大谷善次/大塚滋雄/大西正広/大橋東洋彦/尾形雅子/岡本好司/小野塚耕吉/貝元利江/勝山良三/加藤万利子/金森なを/苅安達男/川上勲/川島玉子/木塚泰弘/鬼頭タツ子/楠本睦子/鞍谷清孝/栗本久夫/黒見恵美子/小泉周二/肥塚隆/肥塚美和子/古賀副武/小長谷正夫/小林明子/小森愛子/近藤光枝/斎藤惇生/坂入操/坂口廣光/坂本栄友/佐久間清子/指田忠司/佐橋忠明/志村洋/白木幸一/末吉恵里/菅原温子/杉沢宏/鈴木文子/鈴木雅夫/鈴木洋子/鈴村百合子/高橋恵子/高橋秀治/田中さ加恵/田中徹二/田中正和/谷内正史/田伏淳一郎/寺島アキ子/照井タカ子/当津順子/当山啓/徳間綾子/鳥羽田節/鳥山由子/中尾照美/中島章/長棟まお/中村保信/西條一止/西本行男/野津虎雄/長谷川一郎/長谷川薫/原田美男/檜山寿子/藤井悦子/藤井清光/古市薫/星野彰/牧達玄/間下勉/増野幸子/松浦先信/松田節子/松葉幸子/松村太郎/三浦光世/三原冨美子/宮崎勇/宮下秀冽/宮下浩子/森川政之衛/森山朝正/山崎邦夫/山田あき子/山田隆造/山本幸子/吉村弘子/米沢かよ/米田昌徳/渡辺直明/渡辺勇喜三  (団体等) ◆(有)大本印刷代表取締役・大本貞堅 ◆岐阜県立岐阜盲学校生徒会 ◆シャンバロー芸能事務所・白井雅人 ◆(有)信和ハウス ◆専光寺門徒一同 ◆園田はり治療院・佐々木玲子 ◆(株)高垣商店 ◆花園神社宮司・片山文彦 ◆山辻医院・山辻英也 ◆満福寺・野々山宏 (物品寄付者) ◆山本令子 ◆高井康夫 ◆紺野正憲 ◆間下勉 ◆当津純一 ◆勝山良三 ◆田中康弘 ◆高久令子 ◆タケウチ・ヤスシ ◆山内有希 ◆紺野正憲 ●寄付者からの手紙 前略 日頃の会務本当にご苦労様です。「愛の光通信」2005年12月号(冬号)所載のラジカセ求むの記事を読み、吾家で休眠中のラジカセを想い出し、送りました。現地への送付方宜しくお願いします。(長崎市の勝山良三様より) ●テープレコーダーを贈呈  本誌前号で「眠っているテープレコーダーをお譲りください」とお願いしましたところ、大小14台のテープレコーダーをお寄せいただきました。  これらを10月29日(日)、私たちはカトマンズのネパール盲人福祉協会(NAWB)本部を訪ね、同協会との協議の席上、贈呈致しました(写真:藤元理事長とNAWBラウト会長)。  改めまして、皆様のご支援に感謝致します。 ●破壊された橋に沿って走る 大河なのですが、乾期のため水の流れは細いのです。それを幸いに洪水で破壊された橋に沿って、トヨタランドクルーザーはエンジンを吹かせます(写真)。走行距離1,000kmのうち、少なくとも6回はこのように「ランクル」で渡河しました。  それにしてもこの橋、橋桁が太く素人目でも構造的な問題があるように思えます。 ●募金のお願い  ネパールにおける失明防止と視覚障害者援護の充実をはかるために、募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150−5−91688 銀行口座:三井住友銀行新宿通支店(普)5101190 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号にかかげる社会福祉法人でありますので、当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号、法人税法第37条第3項第3号の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記  11月21日、ネパール政府と、反政府武装勢力マオイストは和平協定に署名し、10年間に1万3,000人近くが犠牲になった内戦が、ついに終結しました。▼私たちはそれに先立ち、停戦・和平協議中のネパールを訪問しましたが、人々は久しぶりの平和を満喫し、観光シーズンを迎え、カトマンズの外国人観光街タメルは、とても活気づいていました。▼私たちも4年ぶりに地方の統合教育校を訪ねましたが、この間治安の悪化で、自由に寄り合いさえ開けなかったと聞きました。▼昨夏までは至る所で国軍や武装警察の検問にあいましたが、今回は物々しいのは空港だけでした。(H・F) ●発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4 TEL : 03-3200-1310  FAX : 03-3200-2582 E-mail : XLY06755@nifty.ne.jp