愛の光通信     2006年春号 通巻26号     LIGHT OF LOVE     Overseas Program for the Blind - Plans and Reports     ISSN 0913-3321 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局  (写真:老朽化がすすむCBRセンターとNAWBバラ支部の役員、他)  A:パラット・プラサド・チョーダリ支部長、B:バルビル・チョーダリ役員、C:運転手、D:ディビヤ・ナット・シュレスタ役員、E:アルヤールNAWB事務局長、F:アディヤナンド・パウディヤ書記長、G:シブ・クマール・ヤダブ眼科助手、H:プラサド・バニヤCBRセンター職員、I:マダブ・ゴータムCBRセンター所長、J:プラヤグ・プラサド・シャー副支部長 ●Report from Nepal 「毎日奨学金事業」から  毎日新聞東京社会事業団の寄託による「ネパール視覚障害児奨学金事業」対象校のうち、これまで情報不足であった2つの統合教育校からレポートが届きましたので、ここに紹介します。  (写真:寄宿舎の前に並ぶ視覚障害児) ◆パシュパティ校  パシュパティ校(第1〜12学年)は、ネパール王国東部地方のサガルマータ県シラハ郡ラーハン町にある公立校です。同郡はタライ平野に位置する農業地帯で、本校は主要幹線道路であるマヘンドラ国道(イースト‐ウエスト・ハイウェイ)から150mほど入り込んだところにあります。  本校は、ヒンズー教の高位聖職者により1948年に設立されました。それに先立ち聖職者が学校設立を訴えてハンガーストライキを起こしたのですが、それに応えて大地主のパドマ・ナーラーヤン・チョーダリ氏が学校の敷地を寄贈して、そこに校舎となる小屋を建て開校したのです。  本校の名称は、ネパールの聖地であるパシュパティ寺院にあやかり、ますます多くの支援が集まるように命名されました。最初に入学した学生は5人で、その後学生はしだいに増え1954年には本校初のSLC(学校教育修了国家試験)合格者が出ました。学校の収入の大部分は教育体育省の助成金で、残りは学生が払う入学金と授業料です。  ムリゲンドラ・サムセル・ジャンガ・バハドール・ラナ氏は教育体育大臣のときに本校を訪れ、陳情に応えて、ネパール政府を代表して寄宿舎建設のために当時の金額で2万5千ルピーを支援しました。学校はその後も発展しましたが、1988年の大地震(*1)のため校舎は倒壊しました。  ちょうどその時、ドイツのNGOであるCBM(クリストッフェル・ブリンデンミッション)がラーハン町に眼科病院を建設しており、同地駐在員の推薦でCBMは70万ルピーを校舎再建のために寄附しました。同時期に地震被災地を訪問された故ビレンドラ国王も10万ルピーを寄附し、現地の人々、シラハ郡開発委員会、ラーハン町役場の協力で校舎は再建されました。こうして建てられた現在の校舎には26教室あり、1,600人の生徒が学んでおり、そのうちの4割は女子生徒です。  本校はシラハ郡で最も大きい学校であり、比較的設備も整っているため、教育体育省はサガルマータ県における「パシュパティ理想校」と命名しました。本校には 38人の教員と7人の職員がおり、そのうちの2人は視覚障害児のために点字等を教えて統合教育を推進するリソースティーチャーです。  1986年に、視覚障害児のための統合教育プログラムが開始され、校内には定員25人の視覚障害を持つ生徒のための寄宿舎が建っています。そこでは現在15人の視覚障害児が共同生活をおくりながら勉強しており、そのうちの10人は東京ヘレン・ケラー協会支援の「毎日奨学生」です。  最後に、東京ヘレン・ケラー協会と視覚障害学生の教育をサポートしてくださる日本の皆様に感謝致します。そして視覚障害児のためのサポートが、今後も末永く続くことを切に願っております。  (写真:寄宿舎での食事)  (*1)1988年ネパール・インド国境地震  1988年8月21日に、ネパールとインドの国境、北緯26.7度、東経86.6度を震源とする、深さ57km、マグニチュード6.6の地震がありネパールで死者721人、負傷者7,329人、被害家屋10万戸、インドで死者282人、負傷者3,766人、被害家屋15万戸を出した。 ◆バスビッティ校  (写真:授業風景)  バスビッティ村は、ネパール王国中部地方マホッタリ郡の郡庁所在地であるジャレスワル町の西北約12kmに位置しています。この村は中くらいの村落ですが、ネパールの中でも教育的・社会的・経済的に立ち後れた地域です。  その昔、「パースシャラ」とよばれるヒンズーの伝統的な小さな村の学校(寺子屋)が、この村にもあり、その学校を基に1956年に第1〜5学年の生徒が学ぶ5教室を持つ公立小学校としてバスビッティ校は開校しました。そして1974年に6学年と7学年が追加され初等中学校になり、1981年に第1〜10学年までの課程を持つ中学校(セカンダリースクール)になりました。また、本校には就学前教育を行う幼稚部が1クラスあります。  校舎はレンガ造で16教室あり、現在約1,000人の在校生がいます。生徒の約15%は被差別カーストの子弟で、彼らは政府奨学金計画の下で勉強しています。本校には18人の教師がおり、その内訳は小学校が9人、初等中学校が3人、中学校が6人です。政府の政策に従って、常に少なくとも1人の女性教師が小学部に勤務しています。これまでに1,300人の生徒がSLCに合格し、多士済々の人材が巣立っています。  正門の東側には、カラフルによく維持・管理されたサラスワティ寺があります。これは地元の教育者が、彼の亡くなった母親を偲んで建設したもので、生徒と教員は毎朝の朝礼と放課後に、一緒にこの小さな寺の前に集まって、祈りを捧げます。この寺の南側には、美しいココヤシの並木があり、校庭の西側には、広く枝を伸ばした大木があります。この木の下の広々としたチョータラ(休憩所、6頁参照)は、有名な教育者にして、国立トリブバン大学の元副総長(*2)バシュデブ・チャンド・マッラ教授を記念して作られ、年間を通じた生徒と教師の憩いの場となっています。  学校の総年度予算は220万ルピーで、その80%は教育体育省からの資金で、残りは授業料と不動産からの収入です。学校は固定資産として地元民によって寄贈された131万2200平方フィート(12万1900平方メートル)の沃地を持っているのです。  本校には遠方の村出身の生徒のために、定員80人の男子生徒用寄宿舎があり、現在75人の生徒が共同生活をおくっています。そのうちの11人は、4つの郡から選ばれた視覚障害児で、現在2人のリソースティーチャーの指導の下で、目が見える生徒と共に、さまざまなクラスで勉強しています。そのうちの5人は東京ヘレン・ケラー協会支援の「毎日奨学生」です。  5人の視覚障害生徒の両親とその地域の人々、および学校当局は東京ヘレン・ケラー協会のご支援にたいへん感謝しています。そして、この支援が末永く続くことを願っています。  (イラスト:サラスワティ神)  (*2)同大の総長は国王なので事実上のトップ ●2006年度事業計画(平成18年4月1日〜平成19年3月31日)  (写真:塔屋のトタン屋根が強風で吹き飛んだため、応急手当をしたバラCBRセンター・裏庭から) 1.フォローアップ事業  ネパール盲人福祉協会(NAWB)の点字教科書発行事業を中心とした事業に対して、フォローアップのための側面的支援を実施する。これは、当協会が長年実施してきた事業が無に帰さないように、平成16年度から継続して実施している事業である。 2.毎日奨学金事業  前年度から毎日新聞東京社会事業団の支援を受け、「ネパール視覚障害児奨学金事業」を開始したが、本年も継続して実施する。本事業は、貧困のため就学の機会を得られないネパールの視覚障害児47名に対して奨学金を提供することにより、学校教育(第1〜10学年)を受けさせ、自立への道筋をつけると共に、将来のリーダー養成を図る事業で、平成21年度まで継続して実施する計画である。 3.CBRセンター改修事業  当協会は、平成2(1990)年に外務省NGO補助金を受けて、ネパール王国ナラヤニ県バラ郡カレーヤ町の町役場の隣接地にバラCBRセンターを建設した。以来、同センターを拠点に視覚障害者のための地域に根ざしたリハビリテーション(CBR)事業が行われ現在も小規模ながらフォローアップと眼科診療等を継続して実施している。  鉄筋レンガ造3階建の同センターは、落成より 15年余りとなり、現地の40℃近い酷暑と苛烈な暴風雨に痛めつけられてきた。そのうえ平成16(2004)年9月には隣接する町役場がマオイストにより爆破されたため、その巻き添え被害により満身創痍となっている。  同センターを現在運営しているNAWBバラ支部(表紙参照)は、地域コミュニティの支援を受けて改修を行っているが応急手当の域を出ていない。そこで、現地の治安状況を考慮しながら、募金収入の範囲内で、向こう3年間に少しずつ改修工事を実施する。 4.国内事業  広報・募金活動は、NAWBから事業報告書等が当事務局に提出されることを条件に、事業報告集である『愛の光通信』を年2回発行し、例年通り実施する。  日本障害者リハビリテーション協会内に事務所を置く、障害分野NGO連絡会(JANNET)において、日本点字図書館をはじめとする他施設・団体と情報交換・交流を深める。 ●「仏陀の化身」騒動記  CBRセンターがあるバラ郡にその少年が現れたのは昨年の5月だった。15歳の少年は、ジャングルの巨大な菩提樹の根元にある洞に入り、水も食事も一切とらず瞑想を続けた。そして6カ月を過ぎた昨年末頃、「仏陀の生まれ変わり」という噂が流れ、瞑想中の彼の姿を一目見ようと見物客が1日最大1万人も詰めかけ、警察だけでは手に負えなくなり、交通整理に軍隊まで出動する騒ぎとなった。  ただ、見物人は50m離れた所からしか彼を見ることができず、夜間は取り巻きの人々によって周囲をシートで覆われるため、「リトル・ブッダ」は見物人が見ている日中は微動だにせず座っているが、夜に何をしているか分からないという疑惑の声が出ていた。  このニュースが世界中を駆け巡り少年の瞑想が10カ月たった今年の3月、16歳になった少年は忽然と姿を消した。このため、また大騒ぎになり、大規模な捜索活動が行われたが、真相は未だ藪ならぬジャングルの中である。 ●ネパールからの手紙 ―― 眠っているテープレコーダーをお譲りください ――  昨年(2005)12月16日にネパール盲人福祉協会(NAWB)より当協会に、次のようなEメール(原文は英語)が届きました。季節はずれですが、あえてそのままご紹介します。 ◆ハッピー・ニュー・イヤー2006!  今年の夏、ネパールの視覚障害児のために貴協会から寄贈された2台の英文タイプライターを、視覚障害児の統合教育を行うジュムラ郡ナラコット村にあるバイラブ校に届けました。ナラコット村はネパールの北西部ジュムラ郡の郡庁所在地であるカーランガ村(標高2,300m)から徒歩で2日間の距離にあるネパールの中でも最も貧しい辺境の村です。そんな村で学ぶ視覚障害を持つ学生がタイプライターで文書作成ができるようになったことは、本当に素晴らしいことです。  しかしながら、現在私達はタイプライターより、さらにテープレコーダーを切実に求めていることを、ここに記さなければなりません。以前、東京ヘレン・ケラー協会から贈られたカセットテープレコーダーは、視覚障害を持つ学生にすべて貸与され、在庫が1台もないのです。  ここで私達は視覚障害を持つ学生の高等教育にあなた方の関心を向けたいと思います。ご存じのようにNAWBは、皆さまの協力を得て、小学校第1学年から第10学年までの点字の教科書を作成しています。しかし、それ以上の学年(日本の高校2年以上)のための点字教科書はありません。高等教育のためには決まった教科書はないので、学生はコース別に様々な図書で勉強しなければなりません。しかし、現実問題としてそのように多様な点字書を準備することは不可能です。また、もし私達が点訳しようとしても、そのためには多額の著作権料を支払わなければなりません。  問題解決のために、視覚障害を持つ学生達は教師の講義をあてにし、講義をカセットテープに録音しています。そこで、もし可能ならばこれらの学生の勉強用にカセットテープレコーダーを譲っていただきたいのです。  ご協力いただけるなら、幸いです。  当協会では、1991年から断続的に「使わなくなったテープレコーダーをお譲りください」というキャンペーンを行ってきました。そしてこれまでネパールに100台以上の中古のカセットテープレコーダーを贈り、直近では2002年5月にNAWBに届けています。  そこで、もし使わなくなったカセットテープレコーダーやラジカセ、ICレコーダーなどがありましたら、厚かましいお願いですが、送料をご負担のうえ、当協会の海外盲人交流事業事務局までお送り願えませんでしょうか。ネパールの家庭用電圧は220Vですが、現地で比較的安価に電圧変換器は入手可能なので、定格電圧100Vでなんら問題ありません。  現地には手荷物として届けるため、時間はかかりますが、かならずお届けしますので、ご協力をお願いいたします。(『点字ジャーナル』2006年2月号より) ●ロシアからの留学生に博士号  本誌23号の「海外交流事業記録」で触れたロシアからの視覚障害留学生ニキータ・S・ヴァルラモフ氏は、モスクワで試験を受けてわが国の文部省(当時)給付奨学生として2000年4月名古屋大学大学院博士課程に入学した。それに先立つ前年(1999)の10月頃、入学準備のために来日し、東京訪問時は当事務局が宿舎の斡旋等を行った。  苦節6年、学位論文「アフリカにおける国連平和維持活動(PKO)の人道的活動」が評価され、彼に2006年3月27日付で名古屋大学から博士号(学術)が授与された。  ちなみに彼に触発された形で、ネパールからの視覚障害留学生カマル・ラミチャネ氏(筑波大院生)も猛勉強の末、平成18年度より文部科学省給付奨学生となった。 ●チョータラと菩提樹  (イラスト:チョータラ)  「寄らば大樹の陰」というわけではないのだが、大木の根元を丸く石垣で囲み、あるいはコンクリートで固め、人々が緑陰でくつろげるようにしたた場所を、ネパールでは「チョータラ」といい、街道筋や村の中心部には必ずある。そこは、村人のくつろぎの場であると共に公の場でもあり、村落の寄り合いもここで行われる。  このチョータラにはなんといっても天竺菩提樹(インド菩提樹)が使われることが多いのだが、この木はインド原産で、クワ科の常緑樹である。あの釈尊が悟りを開いたのもこの菩提樹の下なので、「バラのリトル・ブッダ」(4頁参照)もこの樹の下で瞑想してみせたわけである。  ところで、日本のお寺に好んで植えられている菩提樹は、中国原産のシナノキ科の落葉樹で、葉に鋭いギザギザがあり、天竺菩提樹とは植物学的には全く別種のものだ。インド菩提樹は熱帯や亜熱帯でなければ育たないため、当時の中国にはこの木がなかったので、葉がハート形で一見そっくりなシナノキを菩提樹に見立てたのである。  シューベルトの歌曲『菩提樹(リンデンバウム)』でなじみ深い西洋菩提樹は、欧州原産のシナノキ科に属する種類で、中国や日本のものと同種。  (イラスト:菩提樹と天竺菩提樹の葉) ●募金のお願い  ネパールにおける失明防止と視覚障害者援護の充実をはかるために、募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150−5−91688 銀行口座:三井住友銀行新宿通支店(普)5101190 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号にかかげる社会福祉法人でありますので、当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号、法人税法第37条第3項第3号の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記  昨年2月の国王による直接統治宣言以来、ネパールの各政党は各地で激しい抗議デモを展開し、緊迫した情勢が続いていましたが、国際社会の圧力を受けて国王はこの4月に国民に権力を返還し、解散した下院議会は復活。▼新政府は5月3日に反政府組織マオイスト(毛沢東主義派)との停戦を宣言し、近く和平交渉が始まる見込みです。これにより1996年から続いてきた事実上の内戦に、終止符が打たれる見通しがつきました。▼統合教育校には使い捨てカメラを配って、視覚障害児の写真を撮ってもらったのですが、なぜかことごとく失敗。本誌に掲載したのは、これでも成功例です。(H・F) ●発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4 TEL : 03-3200-1310  FAX : 03-3200-2582 URL:http://www.thka.jp E-mail: XLY06755@nifty.com