ISSN 0913-3321    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    春号・Winter No.21 2003.12 愛の光通信 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局  入学時から支援してきたドゥマルワナ校の3名の視覚障害者が十年課程を修了した  写真:チミルシナ君とお母さん(自宅にて)  写真:ドゥマルワナ校で点字タイプライタを打つマハト君  写真:自宅の前に立つサルキさん2ページ(2頁に関連記事)     3名の卒業生を送り出して     学校教育修了国家試験(SLC)と11年の成果  小学校1年生から進級試験があると聞いて、ネパールを訪れた邦人の誰もが驚く。なかには、実体を知らないまま、ひどく感激して日本もそのようにすべきだと大まじめで主張する人も出てきて、関係者をあわてさせる。ネパールも先進国並の教育環境を整えることができれば、「100点満点で30数点とれば合格」などという、不自然な進級試験は、即刻廃止したいところなのである。  ところでこの進級試験、通常は地方単位で行われるが、10年間の普通教育を終了したところでおこなわれる学校教育修了試験(SLC)は国家試験となる。10年というのは、小学校5年、前期中学3年、後期中学2年の合計だ。このSLC試験に合格してはじめて10年課程の終了(卒業)となり、小学校の正規教員資格が得られるので、特別な重みがある。大げさではなく、SLCはネパール人にとって人生の登竜門で、これに合格しないかぎり、今やまともな職に就くことは至難の業である。我々が支援するドゥマルワナ統合教育校でも、ついにこの春3人の視覚障害者が、この試験を受け合格した。  3人のうち唯一の女性であるサルキさん(19歳)は、点字使用者であるが、ほんの少し視力があり、女性グループのリーダー的存在。彼女は運動能力が抜群で、カトマンズで開催された障害者スポーツ大会で優秀な成績を残している。サルキというのは靴作りのカーストで、いわゆる被差別カーストだ。このため、我々は彼女が同校でうまくやっていけるか心配していたが、それは杞憂でSLC試験にも1発でパスした。ところがこれから紹介する男子生徒2人は、学校の成績は10年間に亘って、彼女より良かったはずだった。ところがSLC試験では、揃って理科を落としてしまい追試で、なんとか救済されたのであった。なにしろ理科の教員自身が、「雷の正体が電気なんて知らなかった」なんてびっくりしているのだから、そんな教師に教わる生徒は大変である。  チミルシナ君(24歳)は、堂々たる体躯で端正な顔立ちをしており、とてもおとなしい。彼は、ネパール盲人協会(NAB)バラ支部長にこの春就任したが、年長でカーストも高いので祭り上げられたようだ。同支部の会員は約60人で、会計はしっかりもののあのサルキさんである。  最後の一人、マハト君(20歳)は小学校時代は晴眼者を含めて50人前後のクラスにおいて常に首席であった。他の二人の母語はネパール語だが、彼はボジュプリ語であるから、人一倍努力をした結果である。彼の自宅は他の二人と較べても、はるかに辺鄙なところにあり、他の児童ほど頻繁に帰省することができなかったから、その分勉強に集中できたのかも知れない。  我々は、とりわけマハト君の卒業に関して特別の感慨がある。彼は我々が実施したバラCBRにより最初に発見した視覚障害児で、バラ郡における統合教育は、彼の存在が契機となった。当時6歳であったから、順調に勉強できたら16歳で卒業できたはずだ。しかし、紆余曲折があり、現実には20歳になってしまった。小さいときから歌が上手で、タブラという太鼓を叩きながら、美声を聞かせてくれたものである。  統合教育というのは、自宅から通学できる学校で行うのが基本だ。マハト君も最初は、自宅から通える学校に入学した。その学校の壁は竹で編まれており、屋根の半分は瓦で、残りはトタンという造りだ。しかも、木の柱は曲がっており、それも足らずに竹も柱として使われていた。入口は3ヶ所もあるが、ドアはなく、窓もないので教室に入るととても暗かった。つまり、この学校は校舎とは名ばかりの掘っ建て小屋なのだ。しかも、生徒は100人近くもいたが、教師は1人。実際の授業は、普段は大きな菩提樹の木の下で行われ、校舎は雨が降ってきたときの避難用であった。バラCBRのプログラムで、マハト君はこの学校に入学したのだが、とても学業の実をあげるどころではなかった。そこで我々は、ドゥマルワナ校という、寄宿制統合教育校を開発したのであった。  1992年の1月に、彼ら3人を含め8人の視覚障害児が就学前の点字クラスに入学した。それから11年がたち、5人が脱落し、3人だけが10年課程を卒業し、この9月から上級学校へも奨学金を受けて進学できたのであった。 (『点字ジャーナル』2003年11月号より)  写真:ドゥマルワナ校の視覚障害児と教職員     支援方式の変更について     平成15(2003)年度事業計画  当事務局は平成12年よりネパールにおける支援事業を大幅に見直し、段階的に縮小してきた。その一つの理由は、これまで本事業が総務省国際ボランティア貯金に大きく依拠してきたが、同貯金の原資が超低金利の影響で年々大幅に減少することが予想されたためである。そして、ついに同貯金は平成15年度からは「継続して5年以上配分を受けている事業」を対象外としたため、継続して 10年以上配分を受けている当協会のネパールにおける事業は、配分金を受けられなくなった。  当事務局はこうなることを見越して、平成12年より現地協力団体であるネパール盲人福祉協会(NAWB)と配分を受けられなくなった場合の対応について、たびたび協議してきた。そして、平成 15年度以降は、これまでのようなプロジェクト単位の支援は行わず、募金収入に応じた小規模な側面的支援に留めることに基本的に合意した。  ただし、事実上の打ち切りに等しいほど支援が急減すると、とくに視覚障害児を対象とした統合教育に重大な支障が起きることが懸念される。そこで平成15年度は、NAWBに対する側面的支援という基本方針は堅持しつつ、特別にこれまでの募金収入の中から繰り越してきた資金を充当し、平成13年度予算を基礎に算出した資金を提供することとした。これは、平成14年度予算が、諸般の事情で極めて厳しい緊縮予算であるため、算出基礎にならなかったためである。  こうした支援方式の変更により、職員の現地派遣は、国際ボランティア貯金への計画書で予定されている本年5月の1名を最後に、それ以降は原則として行わないこととする。  広報・募金活動は、NAWBから事業報告書等が当事務局に提出されることを条件に、事業報告集である『愛の光通信』を年2回発行し、例年通り実施する。     W新型肺炎をめぐる憂鬱  5月4日〜15日の日程でネパールに出かけた。マオイスト問題が解決しそうになると、こんどは新型肺炎サーズ(SARS)騒ぎである。日本からネパールに行くには、関西空港からの直行便が最も早いが、途中給油のため上海に立ち寄るのが問題だ。サーズの危険性を考えれば、香港やシンガポール経由も避けたい。それではもっとも安全な路線はと探してみると、日本航空によるニューデリー経由があった。しかしこの便には格安チケットはなく、他の便の倍近くもするので論外だ。そこで、患者8名、死者2名を出したが、その後発症例がないタイ経由で出かけることにした。  出発日の成田空港は予想以上に空いており、タイ航空(TG)への搭乗手続きも、出国にもほとんど並ぶことはなかった。予想していたようなマスク姿も、それほど多くはない。マスクをしているのは、小さな子供連れと、胸にお揃いのバッジをつけた団体客だけで、なんだか恥ずかしそうである。ところで、機内もがらがらでゆっくりできるのではないかと期待していたが、あいにくほぼ満席。乗客が減った分、飛ばす飛行機を減らしたようである。  バンコックでは、いつになく空港職員に無遠慮にじろじろ見られた。そして観光案内所では、カウンターに近づくと案内嬢が椅子ごと下がったのには閉口した。まるで病原菌扱いである。どこから来たと聞かれ、日本からと答えると安心した顔になったので、サーズの感染地帯から来たとでもいえば大変なことになっただろう。リムジンの運転手は、「カナダのトロントも危ないなんていっているが、問題は中国人なのだ」と悪意むき出しであった。今年は、全世界的に中国人民にとっては受難の年になりそうである。  バンコクでは暑いせいかマスク姿はあまり見なかった。しかし、飛行機に乗ると、機内での感染を恐れて、お約束のようにマスクをつける人達がいた。とくに欧米系の旅客が神経質になっているようだ。彼らからみたら、中国もタイも一衣帯水なのだろう。  カトマンズ空港に到着して驚いたのは、ここでは、入国審査官から掃除夫までが、全員お揃いのマスクをつけていたことだ。なにを大げさなとも思ったが、入国審査で前に並んでいた人のパスポートはシンガポールのものだった。しかし、サーズ感染地からネパールへの旅行者などたかが知れている。そもそも1日の離発着回数が成田約370回に対してカトマンズ空港は約23回に過ぎないのだ。確率からいったら話にならないが、それにしては大げさだ。普段は、同僚とペチャクチャおしゃべりしている係官も、真剣な表情で仕事に励んでいる。一刻も早く、目の前から立ち去ってくれといわんばかりに大急ぎだ。  その後の調べで、この過剰反応には関空からの直行便が関係していることがわかった。4月26日、中継地の上海から乗り込んだ中国人が高熱を出し、SARSの疑いで病院に緊急隔離された。結局、ただのインフルエンザだったが、このときの大騒ぎと恐怖が身に染みて、その後も全員マスク着用となったもよう。時を同じくしてチベットとの国境も閉鎖され、飛行機も運休することになったが、これは中国政府の自主判断だと報じられた。  空港の外に一歩踏み出すと、マスク姿はまったくみかけなくなったが、話を聞いてみると市民のサーズに対する恐怖は日本以上に大きい。その最大の要因は、政府への不信である。つまり、ネパールにサーズが一旦広まったら、手の施しようがないだろうと誰もが考えているのだ。  先のサーズ騒ぎの際、空港内の医療監視デスクが活躍し、特別救急車両で指定病院に迅速に隔離した。しかし、あらかじめ連絡を受けていなかった国立熱帯・感染症病院は、あろうことか、その患者の受入を拒否したのである。もちろん最終的には受け入れたのだが、このどたばた劇は深夜に及んだという。  このため、業を煮やしたデブコタ保健大臣が、翌朝病院に乗り込み、ベッド等の配置を直接指示したという。同大臣は、英国で医学教育を受けた高名な外科医で、国民の信頼も篤い。しかし、大臣が乗り出さなければベッドの手配もできないところに、国民の根深い不信感の源があるようだ。  ところで、同大臣は7年間のマオイストとの紛争を終わらせるための和平協議会の政府側委員でもある。そして同協議会のマオイスト側委員にはバッタライ博士がいる。今や立場は正反対だが、大臣と博士は我々が支援しているアマルジョティ校の1970年度の卒業生で、実は友人同士なのである。(『点字ジャーナル』2003年7月号より) ◆ドゥマルワナ校の日課表◆ (1) 起床:05:00 (2) 洗面/シャワー:05:06〜06:30 (3) お茶と軽食:06:30〜07:00 (4) 予習:07:10〜08:50 (5) 朝食:09:00〜09:30 (6) 午前の授業:10:00〜13:00 (7) 昼食(お茶と軽食):13:15〜14:50 (8) 午後の授業:14:00〜16:00 (9) 自由時間:16:10〜18:30 (10) 復習:18:30〜20:30 (11) 夕食:20:30〜21:30 (12) 就寝:09:30〜  上記の日課表によると、視覚障害児は授業以外に予習と復習合わせて毎日3時間40分勉強しなければならない。低学年の児童には過酷に思われるが、当地の視覚障害児は優等生になるか、落第するかの両極端なので致し方ないのだ。その原因は、強引な詰め込み授業しかできない教師にある。本来、教師はSLC(学校教育修了国家試験)に合格していなければなれないのだが、地方の公立校にはいわば無免許の教員がたくさんおり、教育の質を問うことができないのだ。このため、小学校では優等生であった視覚障害児も中学あたりからだんだん怪しくなってくる。しかも、その成績は、ネパール語、英語、社会では80点以上を取るのに数学、理科は30点代という体たらくで、補習をやっても焼け石に水である。  点字理科/数学記号は、平成6年にNAWBのアルヤール事務局長が当協会で研修を受けたときに修得し、ネパールに持ち込んだものである。その後、ネパールで精力的に講習会を行ったのだが、教員に数学や理科に関する知識が不足しているため、十分普及していないのが現状である。  なお、この日課表は冬時間のもので、タライ平野にある同校では酷暑期の4〜6月は、なんと午前5時半〜午前11時に授業を行う。     チトワンCBRのジット・バハドール氏  ネパール盲人協会(NAB)チトワンCBR事務所のプレム・マハールジャン(Mr. Prem Maharjan) 所長とジット・バハドール・B・カミ(Mr. Jit Bahadur B. Kami) 副所長は、元NAWBのCBR課長とバラCBRの副所長である。  とくにジット・バハドール氏と我々は、バラ郡の僻地で苦楽を共にした仲だ。そして5〜6年ぶりの再会であったため、とても懐かしく、歓迎してくれた。彼は大変な苦労をして学業を終え、カーストが低いというハンディを跳ね返すため、昔からフットワーク軽く、本当によく働いていた。そしてそれは今も変わらないとプレム所長は話していた。(福山博)     2002年度事業報告(平成14年4月1日〜平成15年3月31日) ネパールにおける事業は、本年度も引き続き寄付金と日本郵政公社(旧総務省郵政事業庁)の国際ボランティア貯金の配分金を財源に、ネパール盲人福祉協会(NAWB)と共同で実施した。実施に際しては事業計画のとおり、事業規模をさらに縮小した。  2001年11月からマオイストを標榜する過激派とネパール国軍が各地で激しい銃撃戦を繰り返し、犠牲者も7千人を越え内戦の様相を呈していたが、ようやく本年(2003年)1月29日に停戦が成立した。このような状況であったため、昨年(2002年)12月に予定していた現地調査と事業管理は、外務省の治安情報に基づき、首都カトマンズに限って実施した。  なお、NAWBが実施している事業に関しては、受益者が視覚障害者や眼疾患者に限られるためマオイストも一定の理解を示してきた。このため、他の国際支援団体がネパールで被っている脅迫や器物破損等による事業妨害活動の被害をNAWBは受けていない。したがって当協会が現地で行っている事業もこのような治安ではあったが、NAWBにより粛々と実施された。 1.点字教科書作成・配布と技術指導  全国63校(盲学校1校を含む)の視覚障害児と、UNICEFやJICAの支援を受け1997年からネパール政府が農村部において開始した「基礎的・初等教育事業」で学ぶ視覚障害者合計約1千人を対象に、点字教科書・副読本、点字カレンダー等を作成し無償配布した。 2.眼科診療所の運営  2002年6月末をもって支援事業を完了し、現地バラCBR地方協力委員会に事業を引き渡した。しかしながら同年9月、両親を連れてインドのビハール州にある有名なヒンズー教の聖地であるババダン寺院巡礼中のムキヤ眼科助手(30代後半)が、心臓発作により突然死亡した。このため、眼科診療所の日常的運営はそれ以降困難となった。  なお、同診療所が附属されているバラCBRセンターでは、ゴータム所長とフィールドワーカーのプラサド氏の2名が日常的に活動しており、今後も巡回眼科検診(アイ・キャンプ)等で、同眼科診療所は活用される。 3.統合教育の推進  従来通り寄宿制統合教育校4校、通学制統合教育校1校に在籍する78名の視覚障害児の就学を保証・支援した。 4.広報・募金活動  ネパールにおける事業の報告集である『愛の光通信』を2002年5月(通巻18号)と12月(通巻19号)に発行し、募金を呼びかけた。 平成14(2002)年度収支計算書 自 平成14年4月1日 至 平成15年3月31日     借方  科目    金額  事務費   719,405    賃金     240,000 旅費      5,390 消耗品費    4,338 印刷製本費   77,490 役務費     379,342 雑費      12,845  事業費  5,811,869    海外出張費   985,372    海外援護費   4,826,497  小計        6,531,274  当期繰越金     △2,655,338  合計        3,875,936     貸方  科目    金額  寄付金収入     3,836,461 助成金収入 1,818,000 募金収入 2,018,461  事業収入 38,400    販売収入 38,400  雑収入 1,075 雑収入 1,075  合計 3,875,936 貸借対照表 平成15年3月31日現在     借方  科目    金額  流動資産    6,410,264 現金 35,851 預金 6,374,413 資産合計 6,410,264 貸方  科目    金額  繰越金  6,410,264 前期繰越金   9,065,602 当期繰越金 △2,655,338 純資産合計 6,410,264 □□□ 海外援護事業記録 □□□ (2002/6〜2003/5)    2002年6月 国際ボランティア貯金配分金決定  2002年8月 国際ボランティア貯金へ完了報告書提出  2002年9月3日 韓国シロアム視覚障害福祉館(計8名)見学  2002年10月4日 ダスキン研修生(韓国人、台湾人、通訳の計3名)見学  2002年10月 国際ボランティア貯金への中間報告書提出  2002年12月 「Light of Love(愛の光通信)No.19」発行  2002年12月18日 ICB(ベトナム人、モンゴル人と手引計5名)見学  2002年12月27日〜1月5日 現地のおける事業管理:福山博  2002年1月〜3月 休日に全盲のネパール人(ポカレル氏)を介助  2003年4月25日 ダスキン研修生(バングラデシュ人、通訳計2名)見学  2003年5月 「Light of Love(愛の光通信)No.20」発行  2003年4日〜5月15日 現地における事業管理:福山博 寄付者ご芳名(五十音順・敬称略)平成14年7月1日〜平成15年6月30日 温かいご支援ありがとうございました!     女子大生ボランティア  国立トリブバン大学パドマ・カニヤ校(Padma Kanya Campus)は、カトマンズの中心部に古くからある名門女子大である。パドマは昔の宰相の名前で、カニヤは女子という意味だ。  同キャンパスには福祉学科があり、そこで学ぶ女子大生がNAWBでボランティアをしていた。4、5年前まで日本人のボランティアが活躍していたが、その時の経験が今に生きているのだ。     カトマンズを漢字で書くと  カトマンズを中国語では「加徳満都」と書きます。香港が中国に返還されて以来、なぜか加徳満都トリブバン空港でも漢字表記を見かけるようになりました。カトマンズはお寺だらけなどで「徳が加わり、都に満つる」のでしょうか。ちなみにネパールは「尼泊尓」と書くようですが、こちらは当て字のようで、余り感心しませんね。 申年にちなんで     申年にちなんで  NAWBの建物はもともとお寺なので、古くから猿が住み着いています。その猿はニホンザルに似ているので、おそらく東南アジアから中国南西部に何種類か分布しているテナガザル科マカク属の一種ではないかと思われます。まったくの野猿ですが、お寺は動物にとって安全地帯なので、羨ましいほど自由にふるまっています。     募金のお願い  ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150−5−91688 銀行口座:三井住友銀行新宿通支店(普)5101190     寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号にかかげる社会福祉法人でありますので、当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号、法人税法第37条第3項第3号の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。     編集後記  反政府組織マオイスト(毛沢東主義派)は、8月27日に、1月末以来続けていた、停戦合意を破棄すると宣言。これにより、ネパールの治安は、ふたたび悪化するものと懸念されます。▼停戦はたったの7ヶ月でしたが、その間の本年5月に駆け足で、タライ平野を周り、ゴルカの山中に入りました。▼途中うるさいほど国軍による検問があり、停戦が必ずしも和平を意味しないことが実感されました。▼宿泊予定のホテルは閉鎖されており、観光にも暗い影がさしているようです。▼宿舎をどうするか、途方にくれながら、昔の友人を訪ね、温かく迎えられたのが最大の収穫でした。(H・F) 発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4 TEL : 03-3200-1310  FAX : 03-3200-2582 E-mail : XLY06755@nifty.ne.jp  TOKYO HELEN KELLER ASSOCIATION(Established in 1950)  14-4, Ohkubo 3 chome, Shinjuku-ku, Tokyo 169-0072, Japan