ISSN 0913-3321    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    春号・Spring No.20 2003.5 愛の光通信 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局  写真:ネパール盲人福祉協会(NAWB)の協力により、2002年の8月にカトマンズで開催された世界保健機関(WHO)の東南アジア地域のリハビリテーションサービス推進に関するワークショップ。 前列左端は、NAWBの元会長で、現WHO東南アジア地域事務局(ニューデリー)ウパディア(Dr. Madan P. Upadhyay)相談役。(3頁:参照)     人民戦争が終わって     アマルジョティ・ジャンタ校の災難  ネパール王国政府とネパール共産党毛沢東派(マオイスト)は、本年(2003年)1月29日に停戦を宣言し和平交渉に合意した。そして、3月13日に双方は暴力行為の停止、捕虜・拘束された者の順次開放、人権擁護、金品要求の禁止、報道における平等な取り扱い等をうたった22項目の行動規範に合意した。ネパールにようやく平和が訪れたのである。これまでの軍事衝突ですでに双方併せて約8千人が亡くなっており、20万人を超える人々が村を追われ、インドに移住したという。  悲劇はもうこれ以上たくさんである。しかも、犠牲者はそれだけではなかったのだ。   ■警察のお役所仕事  当協会が支援するアマルジョティ・ジャンタ統合教育校(アマルジョティ校)の校長をはじめとする教員が昨年の2月、突然マオイストに協力したという容疑で警察に逮捕された。教員はすぐに釈放されたが、校長はその後もなかなか釈放されなかった。木訥で生真面目ないかにも田舎の校長先生という人であり、もちろん無実である。世知にたけていたなら、警察に裏金を渡してすぐに釈放されたのだろうが、それを潔しとせずひどい目にあったようである。  ネパールは一応法治国家の体裁をとっているが、現実には人権無視の逮捕・拘禁・拷問がいまだにあり、マオイストとの紛争でそれがさらに悪質になったと国際人権団体は、双方を非難してきた。  同校の校長はマオイストに要求されて、彼らのいう「革命税」を払っただけということなので、これはちょっとした村の名士なら誰もが行っていることである。しかし、そこがネパールだ。  お役所仕事という言葉があるが、ネパールの役人はことのほか仕事が遅い。簡単な書類でも3か月後などというのは普通。しかし、袖の下を渡すならたちどころに仕上げてくれる。警察も役所には変わりないから同様で、半日の事情聴取で済むところを、長引かせるのだ。  結局、校長が釈放されたのは、逮捕から3か月近くたってからのことであったという。   ■ゴルカの秀才  同校のあるゴルカ郡は今やマオイストが活発に活動する地域の一つである。そうなった理由には、峻険な地形と共にバッタライ博士の存在がある。  同博士はアマルジョティ校の出身で、しかも同校はじまって以来の秀才として、いまだに語り継がれている。彼は1970年に同校を卒業するが、その時の学校教育終了国家試験(SLC)でネパールのトップになる。その後、国立トリブバン大学理工学部建築科に進み、卒業後インドの高級官僚養成のための大学院大学として、世界的に有名な国立ジャワハルラル・ネルー大学に留学して博士号を取得。帰国後、ネパール政府の官僚となり農村開発に参画する。  ネパールは1990年に民主化され、本格的な近代化が急速に進むが。その過程で取り残された小作人や農業労働者が困窮化する。それらを基盤に1996年に結成されたのがネパール共産党毛沢東派、いわゆるマオイストである。  バッタライ博士は、インド留学中に政治運動に目覚め、ネパール人留学生のリーダーとなる。そして毛沢東派結党にも理論的支柱として参加するのである。このため一部知識人やゴルカの住民には、毛並みがよく、人格・識見共に申し分ないということで、マオイストに批判的な人々にも彼はある種の人気がある。  同党はその後、急速に組織を拡大し、ネパールにある75の郡のうち5つの郡を解放区とし、8つの郡で比較的自由に活動している。退役グルカ兵に訓練された人民軍の兵力は3千〜1万で、別に2、3万人の活動家がいると推計されている。21世紀に毛沢東主義というのは時代錯誤にみえるが、ネパール自体が中世から現代にタイムスリップしようという国なので、地方では違和感はない。  一方、ネパール国軍の兵力は従来3万5千人であったが、マオイストとの衝突が起こってから5万5千人に急増。しかし、国軍には国境警備という重要な任務があるので、これをもって圧倒的な兵力というわけにはいかない。今回の停戦は、双方にとって潮時であったのかも知れないのだ。     ババダンに死す     ムキヤ眼科助手の早すぎる逝去  昨年(2002年)6月末をもってバラ眼科診療所に対する支援事業を完了し、現地バラCBR地方協力委員会に事業を引き渡しました。  しかしながら同年9月、両親を連れてインドのビハール州にある有名なヒンズー教の聖地であるババダン(Babadham)寺院巡礼中のムキヤ(Krishna Lai Mukhiya)眼科助手(30代後半)が、心臓発作により子供を二人残し突然死亡しました。  同眼科助手は1989年11月、バラCBRセンターのフィールドワーカーとして採用。その後、同センターより選抜・派遣されて国立トリブバン大学医学部において眼科助手(OA)の課程を修め、バラ眼科診療所に赴任しました。この間、働きづめで長期休暇をとっていなかったため、当協会の支援終了を契機に、彼は親孝行のため巡礼の旅に出ることにしました。しかし、それがとても残念な結果となってしまったのです。  この悲劇により眼科診療所は、日常的に診察を行うことができなくなってしましました。ただし、同診療所が附属されているバラCBRセンターでは、ゴータム所長とフィールドワーカーのプラサド氏の2名が日常的に活動しており、今後も巡回眼科検診(アイ・キャンプ)等で、同眼科診療所は活用される見通しです。  貧しいタルー族の息子として生まれ、たゆまぬ努力と才能だけで、彼は高度な教育を受ける機会に恵まれました。しかも、極めて穏やかで、生真面目な性格により、地域住民の信頼を集め、本当に誰からも愛された青年でした。  氏の冥福をお祈り致します。     WHO社会復帰東南アジア地域会議 WHO Intercountry Workshop (カトマンズ:2002年8月26日)  東南アジア地域のリハビリテーションサービス推進に関する国際ワークショップが、ネパール盲人福祉協会(NAWB)の協力により本日始まった。  世界保健機構(WHO)主催による5日間のプログラムの目的は、障害を識別し、障害者に教育と訓練の機会を与えるための協力の強化、障害の防止と保留、および社会復帰である。  『ネパールにおける障害の状況分析』という研究によると、ネパールでは人口の1.63%に相当する約371,442人が障害者と推定されている。  デウバ(Sher Bahadur Deuba)首相は、ワークショップにメッセージを寄せ、その成功を祈ると共に、障害者のために様々な支援を行うと強調した。  バンダリ(Sharat Singh Bhandari)保健大臣は開会の辞において、政府は障害者に機会均等を提供すると保証した。また、主賓である同大臣は、ネパールの障害は貧しさの結果であると述べ、それに加えて政府は1981年の国際会議の精神に従い、障害者の権利を保障するため医療・教育・自覚、栄養、社会的経済援助、雇用、および精神的なリハビリテーションに供するため新しく予算を改正すると述べた。そして、彼はNGOにもこれらの機会を提供することについて、政府に協力するよう呼びかけた。  本研究では、丘陵・山岳地帯で最も高い山が障害であることを明らかにした。さらに研究分析により、障害は貧困と直接関連し、生者必滅とさらに結び付けられることが示された。公共医療サービスが貧しい地域では、事故および厳しい病気を生き抜くチャンスが低いのである。  プログラムでは、WHOネパール事務所長のワグナー博士(Dr. Klaus Wagner)は現在、障害のグローバルなシナリオは、社会的な統合のヒューマニズムと医療および人権の結束であると述べた。  WHO東南アジア地域事務局ウパディア(Dr. Madan P. Upadhyay)相談役は、障害防止と社会復帰に関する知識が、知恵に転換され初めて我々の社会に役に立つと述べた。(表紙の写真:参照) (国営日刊紙『ライジング・ネパール』より抄訳)     ビレンドラ氏のJICA研修  当事務局は、本年(2003年)1月14日〜3月16日の日程で国際協力事業団(JICA)の研修を受けたネパール盲人協会(NAB)カトマンズ支部長のビレンドラ・ポカレル氏(36歳)に対して、個人レベルではありますが、休日の歩行介添え等の支援を行いました。これは、NAWBからの協力・支援要請に応えて実施したものです。  NABはNAWBの支援により1992年に組織された視覚障害者を会員とする団体です。     籠目(カゴメ)紋 ―Hexagram―  ネパールでは学校のシンボルに上記のマークが使われています。英語でなんというのか知らなかったので「ダビデの星(Star of David)」といったら通じました。しかし、正しくはHexagram(ヘクサグラム)というそうです。実は和名も知らなかったのですが、籠目紋とか六芒星(ろくぼうせい)といい、わが国でも校章にこのマークを使っている学校があるそうです。     またもや突然のバンダ  カトマンズ空港の出口で、NAWBのアルヤール事務局長が手をふった。事前に「迎えに行けない」とのEメールをもらっていたので驚いた。しかも、もう夜の10時を回っている。「到着の翌日と翌々日(2002年12月29日、30日)にバンダ(ゼネスト)が決行される」ことを知らせるため、彼はホテルの車に便乗してきたという。  今回の突然のバンダは、12月30日が現皇太子の誕生日であるため、それにあわせてマオイストが呼びかけたものだ。「皇太子が前国王一家虐殺の張本人」との噂が今でもくすぶっており、バンダは大成功するだろうという前評判であった。  マオイストは全国各地に出没し、当協会が支援するシャンティ校の近くでは、鉄格子工場を装った武器工場が半年前に摘発された。彼らはここで、散弾銃や爆弾を作っていたという。(福山)     募金のお願い  ネパールにおける失明防止と視覚障害者援護の充実をはかるために、募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替:00150−5−91688 銀行口座:三井住友銀行新宿通支店(普)5101190     寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第217条第1項第5号にかかげる社会福祉法人でありますので、当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号、法人税法第37条第3項第3号の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。     編集後記  ウパディア先生が懐かしく、またNAWBもネパールで存在感を大きく示すまでに成長しているので、当協会の事業とは直接関係ありませんが、WHOとの活動を本号で紹介しました。 なお、WHO東南アジア地域事務局がカバーする国は、ネパール、バングラデシュ、ブータン、インド、モルジブ、スリランカ、ミャンマー、タイ、インドネシア、北朝鮮です。この組み合わせははなはだ変則的で、とても深い理由がありそうですね。▼前号の本誌でJICAを海外協力事業団と書いてしまいましたが、これはむろん国際協力事業団の誤りです。ここに訂正してお詫び申し上げます。(H・F) 発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4 TEL : 03-3200-1310  FAX : 03-3200-2582 E-mail : XLY06755@nifty.ne.jp  TOKYO HELEN KELLER ASSOCIATION(Established in 1950)  14-4, Ohkubo 3 chome, Shinjuku-ku, Tokyo 169-0072, Japan