ロシア革命により絶対王政ロマノフ朝のツァーリに代わりレーニンが極く短期間、そしてスターリンが約30年間凄惨な独裁を行い、その後、スターリン批判によってややましな独裁をフルシチョフ、ブレジネフ、アンドロポフらが引き継いで、いままたスターリンを師と仰ぐ大審問官プーチンが、異端と判断したウクライナ人を次々に火あぶりに送っている。
このタタールのくびきによるロシアのアジア的独裁は、中国では清朝から毛沢東を経由して習近平へ。北朝鮮では李朝から金日成・正日・正恩へと社会主義を標榜しながら、それに反する世襲による独裁体制を続けている。権力基盤を固めるために身内を含めた大粛清を繰り返してきたので世襲しなければ自分の命が危ないのだ。韓国は歴代大統領が退任後悲惨なことになっているが、これも李朝以来の伝統だろう。
一方、わが国には歴史的にみてほぼ独裁者はいない。信長は本能寺の変で潰え、秀吉は常に家康の影に怯え、実子・秀頼は大坂夏の陣で家康に攻め込まれ自害した。戦時中、東條英機は首相、陸軍大臣、参謀総長を兼任し、あまつさえ司法関係者を威圧する演説を行い独裁化を進めたが、水面下では東條内閣打倒運動が燎原の火のように広がった。
米大統領は巨大な権限を持つのでトランプ大統領はかつて独裁者然と振る舞ったが、多くの外交官や閣僚、行政官が、その政策に抗議して辞任したり、裁判を起こしその手足を縛った。日本や米国では伝統的に独裁者が生まれにくいシステムがコモンセンス(共通感覚)として培われてきたのである。
これはコサック(自由人という意味)の末裔を自称するウクライナもそうである。コサックは、14世紀後半から現在のウクライナに当たる地域を治めていた自治集団で、男子全員が参加する議会で首領を選んでおり独裁を嫌う伝統を持っている。死を賭して巨大な軍事力に刃向かうには理由があるのである。(福山博)
格闘技の聖地である東京・後楽園ホールのリングで2022年8月4日、史上初となるある試みが行われた。戸高秀樹(とだか ひでき)ボクシングジム−STUDIO Bee 主催による「ザ・グレイテスト・ボクシング」が当地で開催されたこの日の第5試合終了後、ブラインドボクシングのエキシビジョンが披露されたのだった。
世間一般にはまだ聞き慣れないであろうブラインドボクシングは、アイマスクをつけた競技者が、相手役の晴眼者の首につけた鈴の音を頼りにパンチを打ち込み、フットワークやパンチの有効性、コンビネーションなどを競う、日本発祥のスポーツである。通常のボクシングと違う点は相手と殴り合うのではないということだ。1ラウンド2分の間に予め決められた1〜3のガードの番号がレフリーから告げられると、アイマスクをした競技者は相手役のトレーナーにワンツーを打つ。トレーナーはそれを合図に決められたコンビネーションを打ち、競技者はその番号に合わせた防御姿勢を取る。勝敗は攻撃、ファイティングスピリッツ、防御の3項目を各5点満点で採点し、合計点数の高いほうを勝者とする。
当日は午後5時の開場時間と同時に熱心なボクシングファンが続々と入場口を通過し、試合開始の5時半には早くも客席の約4割ほどが埋まった。この日は全10試合が組まれていたが、メインを含む2試合が中止となり、8試合が行われた。東京都の新型コロナウイルス感染者数が連日、3万人を突破する状況下にあって、会場内の酒類や弁当等の販売はなし。「声を出しての応援はご遠慮ください。拍手での応援をお願いします」という場内アナウンスもしばしば流された。
試合が進むにつれて場内は次第にヒートアップ。ダウンを奪う有効打が炸裂すると客席からは思わず声援が沸き起こり、リングアナウンサーが声援自粛を促す場面も。第5試合では強烈なアッパーカットでダウンした選手がTKO負けを宣せられ、リング上で大の字になった状態で応急処置を受けていた。場内は騒然となったが、その直後にブラインドボクシング協会の村松竜二(むらまつ りゅうじ)会長がリングに上がり、挨拶と競技説明が行われた。
村松氏は日本ライトフライ級ランキング1位まで上り詰めた元ボクサー。1992年、18歳でプロデビューして順調に勝ち上がっていったが、94年にトラックの巻き込みによるバイク事故で左手首が曲がらなくなる障がいを負ってしまう。誰もが引退かと思われたが、村松氏は現役続行を決意。36戦22勝(10KO)12敗2分の成績を残すが、36戦のうち30戦を右手一本で戦い抜いた。96年には日本タイトルマッチにて元WBA世界スーパーフライ級王者の戸高秀樹選手に挑戦するも惜しくも判定負けするなど、日本タイトルマッチには4度挑戦。左手は完治することはなく、さらに2002年には試合中に右眼底骨折の重傷を負った。右眼の視界は奪われ、左手も使えないままリングに立ち続け、04年、30歳で現役を引退した。
引退後はボクシングを通じた障がい者のためのボランティア活動に携わり、2018年に障がい者ボクシング指導、青少年健全育成、自立支援、ブラインドボクシング指導などを目的とする支援活動団体として一般社団法人B-boxを発足させ、ジムも開設。21年に会長に就任した。
村松会長に続いて、木村洸也(きむら こうや)トレーナーからルール説明があり、いよいよ試合開始だ。まずは浜田圭司郎(はまだ けいじろう)選手がリングイン。ゴングが鳴るや、左に回りながら左ジャブを数発放ってからの連打。さらに左フック、右ストレート、ワンツー、右アッパーでトレーナーをコーナーに追い詰める。第5試合までの熱気は消え失せていたが、固唾を飲んでリングを注視する観客の視線の数々がピンと張り詰めた緊張感を生み出し、静のボルテージが最高潮に達していく。トレーナーは首からぶら下げた鈴を鳴らすために、体を上下させながらステップを踏むが、静寂の中で鳴り続ける鈴の音とパンチを打ったときの鈍い音、それと同時に選手から発せられる細かく息を吐く音に耳だけを澄ませば、どこか神秘的にも聴こえる。
ラスト15秒あたりで浜田選手は絶妙なコンビネーションで再びトレーナーをコーナーに追い詰める。連打を掻い潜ってトレーナーが左に回り込み、両者がリング中央で対峙すると浜田選手がラストスパート。ここで終了のゴングが鳴り、静まり返っていた客席からは一転、大きな拍手が鳴り響いた。
続いて関章芳(せき あきよし)選手がリングに上がった。小柄だが、ゴングと同時に軽やかなステップでスピーディーな連打を繰り出す。関選手は弱視であるが、試合中はアイマスクを着用しているため、視界はゼロ。それでも通常のボクサーと遜色ない動きができるのは、もともと格闘技好きで晴眼者の若いころは、具志堅や辰吉、鬼塚といったかつての世界王者の試合を見ていたからだろう。
「見えている時があって、辰吉選手の動きのイメージがあるからかな」
軽快なフットワークでトレーナーの左フックを素早く身を沈めてかわし、右ボディーを打ち込む場面では会場から期せずしてどよめきが起こった。
「舞い上がって緊張していたけど、動いていたと思う。60〜70%ぐらい(の出来)だったかな」とキャリア3年の48歳、関選手は試合を振り返った。
「後楽園ホールでやるのはうれしいと思ったけど、だんだん恐ろしくなってきた。1万円(のチケット代)を払って見に来るということは、ボクシングを知っている人ばかりで怖かったけどその分、光栄なことでした」とこちらもキャリア3年で現在54歳、全盲の浜田選手の試合後の表情は充実感に満ちていた。
2011年、日本で生まれたブラインドボクシングの競技人口は全国で現在50人ほどで、男女比率は男性が若干上回る程度でほぼ半々だと言う。東京と名古屋に拠点を持ち、これまで練習会や大会は何度か開催してきたが、エキシビジョンとは言え、興行の一環として行われたのは、今回が初めてだ。
「普段どおりのいい動きができたと思う」と村松会長はこの日の2試合を総括した。普段、ジムでやっているスパーリングや大会とは、規模も雰囲気もこの日はまるで違う。
「音で動くので会場の広さや響きが全然違う。人がたくさん見ているということで、うれしいけど硬くなっていたところもあったと思う」と浜田選手は語るが、選手にとっては貴重な体験であり、大きなモチベーションになったことは間違いない。まずはボクシングファンへの認知度拡大という点でも意義のあるイベントであった。
ブラインドボクシングをゆくゆくはメジャーなパラスポーツに押し上げることを目標に掲げる同協会だが、村松会長はそれだけではないと言う。
「最初は大会で優勝するといったことが、選手の目標だと思っていたんです。でも、トレーニングをやっていくうちにそれぞれの選手が目標に向かうことで、日々を充実させることができる。そういう部分をサポートできたらと思います。浜田さんは全盲ですが『俺はブラインドボクサーを目指すのではなく、ボクサーを目指す』と言っています。それじゃあ、ボクシングを教えましょうとなって、それがこの日、披露できた。障がいを持つ方でも少しのサポートで輝くことができる。それを受け入れる社会づくりに貢献していきたい」
今年11月には東京で大会を開催する予定もあるという。
私が『毎日新聞』を愛読するのは、社論とそれに反する意見が堂々と紙面に掲載されるからだと以前にも述べた。
ウクライナ問題に対する『毎日新聞』の社論は、6月30日付朝刊「社説」で、「ウクライナ侵攻 戦闘長期化と支援 対露結束を維持すべきだ」で、「『力による現状変更』のあしき前例としないためにも、国際社会はウクライナ支援を継続しなければならない」と述べているので明白である。これに反する論考が出るとすかさず、それを批判する記事もまた『毎日新聞』紙上に出た。
6月29日付『毎日新聞』「記者の目:長期化する露のウクライナ侵攻」で、カイロ支局の真野森作(まの しんさく)記者は、「ウクライナ支持が欧米や日本で広がる中、多数派の見方に疑義を呈する異論も少なくない。だが、その中には現地のリアリティーからずれた主張が散見されると感じている。本紙の伊藤智永(いとう ともなが)専門編集委員による6月4日付の論考『ゼレンスキー氏は英雄か』もその1つだ」と述べ、先輩記者を鋭く批判した。真野記者は現在カイロ支局員だが、モスクワ支局時代にウクライナ情勢を継続取材してきた縁で、現在も精力的に危険なウクライナで取材を続けて『毎日新聞』紙上に発表している。
するとそれに対するあてつけのように再度のゼレンスキー氏批判が同紙上に登場。7月8日付朝刊「政治指導者の責任と国民の態度――ゼレンスキー氏は英雄か」で、伊藤智永専門編集委員は、「プーチン大統領の悪とウソは皆が知る」との前口上を述べ、それ以降は約1000字を要して、「戦略も展望も持たない芸人がドラマの勢いで大統領となり……屈辱と不正義を引き受けてでも、国民の命を救う本当の指導者の勇気と判断と行動だ」と悪し様に述べ、ゼレンスキー大統領に降伏を勧めている。
この加害者の悪は明白だから言及しないで、被害者の落ち度をほじくるのは、性被害者への心ない声と同様に公正な態度とはいえないだろう。(福山博)
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