THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2022年6月号

第53巻6号(通巻第625号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:奥村博史
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:もの悲しい国家斉唱 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
3
就労継続支援B型事業所「ヘレン・ケラー治療院
  鍼灸・あん摩マッサージ指圧」開業 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
日盲委のウクライナ視覚障害者支援スタート― WBUと連携して実施 ・・・・
9
(寄稿)点字離れのジレンマ ― 点字考案200年事業に思う ・・・・・・・・・・・
18
(寄稿)理教連にお願いしたい ― 「座して死を待つ」に触発されて ・・・・・・・
23
ネパールの盲教育と私の半生(12)CBR課長の兼任 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
30
祈りと琵琶と 琵琶盲僧の世界(6最終回)最後の盲僧 永田法順は歩く ・・
35
西洋医学採用のあゆみ(15)漢洋脚気相撲その3 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
40
自分が変わること(155)チリに残っていた「ヒッピー文化」  ・・・・・・・・・・・・・
45
リレーエッセイ:視覚障害者の就労にはICTの支援が不可欠(下)
  ―誰も取り残さない、真のデジタル共生社会の為に  ・・・・・・・・・・・・・
50
アフターセブン(87)金魚飼育から展望する防災教育 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
  (238)番付の権威が揺らぎかねない由々しき問題 ・・・・・・・・・・・・・・・
59
時代の風:iPS細胞から涙腺オルガノイドの作製法を確立、
  糖尿病性潰瘍の新しいメカニズム、パーキンソン病に新たな治療法、
  がん分子標的薬開発に光 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63
伝言板:にってんワークショップ開講、第40回日本ライトハウス
  チャリティコンサート、音声解説付きDVD映画の体験上映会、
  書籍「Q&A障害のある人に役立つ法律知識」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
もの悲しい国歌斉唱

 「我らは我らの地を治めよう。自由のために魂と身体を捧げ…」の歌詞ではじまる国歌「ウクライナは滅びず」は美しいがもの悲しい。1917年にこの国歌が制定されてからだけでもこの国は6回も独立を宣言している。たびたび独立が脅かされたのは、日本の国土面積に等しい肥沃な耕地を持っているため隣国が黙っていないからだ。
 国歌は君主制への反逆や外敵との抗争を歌うか、自国の自然風土・君主や神の栄光と国家の安寧を願うものと相場が決まっているので、ウクライナの国歌もその範疇に入る。「君が代」も天皇の治世を奉祝する歌とされるので、その例に漏れないが、本来はちょっと違う。
 明治2年(1869)夏、世界を周遊していた英国エディンバラ公アルフレッド王子が日本に立ち寄り、明治天皇に謁見することになった。横浜に駐屯していた英国陸軍第十連隊第一楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンは外交儀礼として、英国国歌とともに日本国歌を演奏したいと考えた。しかし、同年薩摩藩歩兵隊長である大山弥助<オオヤマ・ヤスケ>(後の大山巌<イワオ>、陸軍元帥)に依頼されて指導していた薩摩藩軍楽隊(薩摩バンド)の楽隊員に聞くと、日本には国歌がないという。日本陸軍が編成されるのは明治4年(1871)なので、当時の軍備は薩摩・長州・土佐の藩兵に依拠していた。
 翌明治3年(1870)、歌詞さえあれば作曲するというフェントンの提案に、大山弥助は、島津家中興の祖といわれる島津日新斎(しまづ・じっしんさい)が作詞した慶賀の席での定番として愛唱され、大山の十八番でもあった薩摩琵琶歌「蓬莱山」の一部を引用して歌詞とした。ただ、日本語がよくわかっていないフェントンがフレーズを区切ったので、荘厳な曲ではあるがとても歌いにくく、別の意味でもの悲しい曲となった。このため歌詞はそのままに、曲は現在のものに明治13年(1880)に改められた。
 「蓬莱山」は鶴、亀、松と縁起のよい言葉を並べた祝賀の歌で、敬愛する人の長寿を願う飛び抜けて平和な歌だ。「君が代」はその解釈を変更して天皇賛歌にしたものである。(福山博)

日盲委のウクライナ視覚障害者支援スタート
―― WBUと連携して実施 ――

 本年2月24日、突然ロシア軍がウクライナに侵略を開始して以来、多くの人々が犠牲になっており、視覚障害者もその例に漏れません。そこで日本盲人福祉委員会(日盲委)はWBU(世界盲人連合)と連携して、ウクライナ視覚障害者支援を開始しました。
 本誌編集部では、ウクライナにおける視覚障害者の現状や支援方法について、これまでに分かっていることに関して、日盲委の指田忠司<サシダ・チュウジ>常務理事と鉾林<ホコバヤシ>さゆり事務局員に取材しました。以下、敬称略。

当事者による支援活動も

 ウクライナ第2の人口180万人の都市ハルキウ(ハリコフ)は、ウクライナの北東部にありロシアに比較的近いため侵攻開始から連日激しい攻撃にさらされました。このため多くの市民が逃げましたが、周辺では多くの障害者が逃げ遅れました。ロシアの侵攻前には45人のボランティアで約300人の視覚障害者を支援していましたが、停電になり、電話が止まり、大混乱の中でボランティアの多くが逃げだしたため、避難の手配を含む障害者への支援が手薄になりました。このため、砲撃が激しくなった3月1日にも老人や障害者を含む50万人の市民がハルキウに残っていたといわれています。
 ハルキウ市内にあるウクライナで最も歴史のあるV.コロレンコ(注)寄宿制盲学校(コロレンコ盲学校)は、3月1日に生徒が地下室で昼食をとっているときに砲撃されました。爆風により豪壮な3階建て校舎のすべての窓やドアは、枠ごと吹き飛ばされ、ガラスの破片で校長が頭を負傷しましたが、生徒達は無事でした。
 そこで危機感を持った同校は、全校生徒186人を実家に帰し、その中の35人がポーランドの首都ワルシャワ近郊にあるラスキ視覚障害児教育センター(ラスキ盲学校)に避難しました。
 このような混乱の最中、米テキサス州出身の視覚障害者ローレル・ウィーラーは、ウクライナの視覚障害難民を支援するためにフィンランドのヘルシンキからワルシャワに駆けつけてきました。彼女は米オクラホマ大学でロシア語の学位を取得し、現在、フィンランドのヘルシンキ大学ロシア語研究科修士課程に在学中です。30歳の彼女は、ロシアを含む多くの国々の視覚障害者を支援するために2017年にローレル・ウィーラー財団を設立しましたが、現在は、ウクライナの視覚障害難民支援に傾注しています。
 ワルシャワでウィーラーは、旧知のウクライナ出身の視覚障害者オルガ・マーラーと再会しました。マーラーはウィーラーが12歳のとき、交換留学生としてテキサスにやってきました。そして全盲同士意気投合して、姉妹のように仲良くなりました。その後、マーラーはオーストラリア人と結婚して9年前にオーストラリアに移り住みました。しかし、ロシアによるウクライナ侵略の報に接し、いてもたってもおられず、彼女は夫や息子と一緒にワルシャワに来て、ウクライナ難民の支援を行っています。彼女はコロレンコ盲学校の卒業生なので、ウクライナの視覚障害者の実情も分かっており、ウクライナ語、ロシア語に加え英語も堪能なので、非政府組織(NGO)と難民の橋渡しもできます。マーラーの両親も視覚障害者ですが、80代と高齢であるため住み慣れたハルキウを離れるつもりはないそうです。このように様々な事情で、避難したくても避難できない視覚障害者も多く、それらの人々への支援も課題です。
 ウィーラーは、難民に食料、衣類、その他の支援を提供するNGOが、「障害者が特定のニーズを持っていることを理解していない」ことを懸念して、「NGOには柔軟性が必要です。私たちは、健常な難民には必要ではないかもしれない有効なものを提供する必要があります」と主張して支援活動を行っています。
 彼女はブログで、ポーランドのラスキ盲学校に2人の子供を連れて逃げてきたアントニナを紹介しています。彼女たちはポーランドに逃げる前に教会に隠れていたそうです。彼女の息子の一人は全盲で、コロレンコ盲学校ではうまく適応していたのですが、言葉や文化が違う環境でうまくいくか今後を心配しています。
 ワルシャワでウィーラーは、ウクライナの首都キーウ(キエフ)から5歳の娘を連れた強度弱視で妊娠6ヶ月のオルガと全盲のデニスのカップルにも出会いました。しかもこの夫婦は、なんと5匹の猫と2匹の犬も連れて避難してきたので大変な苦労をしたようです。オルガは英語教師で、デニスは触読校正者なので、ウィーラーは彼らにiPhone(アイフォーン)と点字ディスプレイを提供しました。これらの機器は、彼らが仕事を続け、重要な情報にアクセスするために不可欠だからです。
 このように当事者による個人ベースの支援活動も精力的に続けられています。もちろんこれらの活動も大切ですが、それらと平行してウクライナの視覚障害者全体をカバーするためには組織的な支援も欠かせません。
 ちなみにウクライナの一人当たりGDPは4,827ドルで、これに対してロシアはその2.5倍、ポーランドは3.7倍、日本は8.1倍で、ウクライナは大穀倉地帯であるにもかかわらずヨーロッパの中ではとても貧しい国なのです。しかも都市部の多くが廃墟となっており、国際移住機関(IOM)によると、4月19日現在約500万人が国外に逃れた上、約770万7,000人がウクライナ東部からリヴィウなどの西部へ避難しており、ウクライナの総人口4,159万人のうち、国内外への避難民は計約1,270万7,000人に上ると推計されています。

WBUウクライナ協同基金

 WBUに加盟するウクライナ盲人協会(UTOS)は、視覚障害者のために国内外の避難所や避難列車など交通に関する情報、食糧や医薬品等の提供を行っています。また、再定住に向けた相談支援なども行っていますが、事態は日に日に深刻さを増しています。
 WBUではこうした事態を踏まえ、3月20日付でウクライナの視覚障害者を支援し、ロシアのウクライナ侵略を強く非難する声明を発表しました。同時にウクライナにいる視覚障害者や他国に避難しているウクライナの視覚障害者を支援し、紛争後の生活の再建を支援するために、「ウクライナ協同基金(Ukrainian Unity Fund)」を設立して広く寄付を呼び掛けています。
 戦争と障害は悲劇的なまでに結びついています。夥しい数の負傷者を生み、衛生を保つことや十分な治療を受けることが難しいために感染症や回復の遅れ、病気の進行などで失明に至る可能性が高くなります。非常時や紛争時には常に障害者がより多くの苦しみを味わうことになります。避難の際に取り残されたり、避難先においても交通、通信、情報へのアクセス障害により、その困難はさらに強まっています。
 WBUは、救済活動に関わるすべての政府および援助団体に対し、ウクライナの視覚障害者が忘れ去られないよう、障害者を含む戦略を策定するよう要請しています。
 WBUは「ウクライナ協同基金」を通じて寄付を集め、欧州盲人連合などのパートナーと協力し、最も必要とされるところに資金を振り分け、救援活動の支援や、危機が去った後のウクライナ視覚障害者の立ち直りに直接役立てたり、盲学校が必要な備品を入手できるよう支援するなど、最終的な復興に向けた支援を行っていきます。

日盲委の取り組み

 日盲委は、WBUの声明の趣旨に賛同し、ウクライナの視覚障害者支援のため下記の要領で寄付を募集し、WBUウクライナ協同基金に全額送金することにします。
 みなさんからのご寄付は短期的には視覚障害者の救援活動に、中長期的には生活訓練や支援機器の提供、精神的なサポートなど、ニーズに沿った支援に役立てられます。なお、日盲委は税額控除対象法人です。
 寄付の受付期間は、令和4年(2022年)4月15日〜8月31日
 寄付方法@:郵便振替 口座番号:00190-3-587919、口座名義:社会福祉法人日本盲人福祉委員会
 ※振替払込用紙をご希望の方は日盲委事務局(03-5291-7885)までお申し付けください。
 ※他の金融機関からの振込の場合は、ゆうちょ銀行〇一九(ゼロイチキュウ)店、当座
  0587919
 ※振込手数料は寄付者がご負担ください。
 寄付方法A:クラウドファンディング(オンライン決済)、インターネットによりhttp://ncwbj.or.jp/4Ukraineにアクセスして、クレジットカードまたは銀行振込により送金してください。
 集まった支援金は、5月末日の時点までの募金全額を一次送金としてWBUウクライナ協同基金に送金します。そして、募金終了後、残額を同基金に送金します。
 活動報告は日盲委ホームページ(https://www.ncwbj.or.jp/)に随時掲載します。
 以上、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
 (注):ウラジーミル・コロレンコ<Vladimir Korolenko>(1853〜1921)は、高名なウクライナ人小説家・ジャーナリスト。代表作は19世紀にウクライナの南西部の裕福な村の地主家族に生まれた全盲の男児が、ピアニストとして成功するまでを描いた自己形成小説『盲目の音楽家』(1886年)。ウクライナは彼の晩年に数年間うたかたの独立を果たしたのみなので、国籍はロシアである。またロシア語で作品を発表しているため、多くの資料で彼はロシアの作家として紹介されている。

(寄稿)
理教連にお願いしたい
―― 「座して死を待つ」に触発されて ――

金沢市/松井繁

 今年の視覚障害者のあマ指師、針師、きゅう師国試の合格者数をみると、あマ指師275人中181人65.8%、針師191人中128人67.0%、きゅう師185人中131人70.8%。各都道府県あたりの平均合格者数は、あマ指師3.9人、針師2.7人、きゅう師2.8人。新卒の受験者総数に占める視覚障害者の割合は、あマ指師18.2%、針・きゅう師4.3%。この数字を見てもあはきが、すでにほんの一握りのエリートだけが関わっている実態が知られよう。昨年の盲学校の国試受験校数が、67校中あマ指師57校、針師50校、きゅう師49校にとどまっていたことに驚かされた。
 最近、国立塩原視力障害センター、ヘレン・ケラー学院の閉鎖、大阪北視覚支援学校本科保健理療科、筑波大学附属視覚特別支援学校鍼灸手技療法研修科の廃止などのニュースに接し、盲学校において何か地殻変動、地盤沈下が起きているのでは、と漠然と危惧していた。本科保健理療科の廃止は、以前理教連が運動方針に掲げて取り組んでいたことである。盲学校の状況は、われわれ部外者には時々断片的に報じられるだけで、全体像がほとんど伝わってこない。折しも『点字ジャーナル』3月号の筑波技術大学藤井亮輔名誉教授の「座して死を待つつもりなのか?――理療教育再興の道を考える」は、目からうろこであった。また、藤井先生の「平成医療学園の主張に対する反論」を入手し、これがあはき法19条訴訟で勝訴した重要な論拠となったことを初めて知った。それらは全国盲学校および、理療の現状を浮き彫りにし、考察した論文である。あたかも沈没寸前のタイタニック号で惰眠をむさぼっていて、非常ベルで目覚めると、すでに大きな氷山が眼前に迫ってきている印象である。
 NPO法人六星「ウイズ」の代表斯波千秋<シバ・チアキ>氏は、「あん摩鍼灸師法の改正により、技術重視の県知事免許試験から、技術試験なしのマークシート方式の国家試験へとなり、視覚障害者にとって冬の時代となりました」と言い、また藤井名誉教授は「国家試験が始まると予想に違わず、知事試験下で9割以上を維持していた視覚障害者のあマ指師試験合格率は6割から7割に低迷する」と述べている。
 国試になった経緯は、そもそも柔道整復師の団体が国試に昇格する運動をしていたのを見て、あはきもこの好機を逃してなるまじと、いわゆる7者協が共闘して改正に取り組んだと記憶している。厚生(労働)大臣免許になると、資質が向上して社会的地位も向上するという夢を示された。反面、国試になるならば合格率が低下するのではという懸念が寄せられていた。それに対して当時の理教連会長は、「総じて国試というのは、最低8割ぐらい合格するはずだから、合格率について心配いらない」というように述べていた。厚生省から、「国試になって視覚障害者はだいじょうぶか?」と問われて関係者は、「大丈夫です」と答えたと伝えられている。しかし、国試になって質量共にレベルアップされるや、視覚障害者の合格率は8割どころか激減して平均6、7割。針師・きゅう師では5割台に落ち込むことも珍しくない。既卒の受験者の合格は、特に厳しい。国試不合格者達(有資格者達も含まれている)は、授産所・共同作業所に通所するか、在宅になっていて、福祉年金、厚生年金、生活保護などで生活している。このような状況に対し理教連や盲学校長会等は、目を向けてこなかったと言わざるをえない。
 東洋療法研修試験財団が行うあマ指師・針師・きゅう師の国試には、理教連が関わっている。従来問題数は、あマ指師150問、針・きゅう師160問だったが、一昨年の2020年度国試から問題数が増やされてあマ指師160問、針・きゅう師180問となった。
 その理由は、学習内容が高度化されており、それに対応するためとしているが、国試の増問があはき師の資質向上に寄与するとは考えにくい。視覚障害者に不利になっただけではないか。さらに、回答の選択肢を4択から5択にする動きが出ているそうである。理教連は資質向上を旗印に国試への昇格をはじめ、上記のように資格試験のレベルアップをはかっているが、好評とは言えない。盲学校では近年、生徒数が激減し、統廃合が進行中で危機的状況にあることは、周知の通りである。出生数の減少、インクルーシブ教育の普及、大学進学の増加などもトリガーになっているとされるが、従来なら入学してきていた中途失明者達が多く社会に存在しているのだから、難解な国試が理療離れ、生徒数減少の要因であることは否定できまい。
 晴眼業者の急増、無免許者の進出により視覚障害者の職域が狭められ、収入が減少の一途をたどって平均年収120万円代にまで落ち込んだ。これでは普通に生計を維持するのがかなり厳しいと言わねばならない。われわれの職業の根幹をなしてきた理療が、年々急速に視覚障害者から遠ざかりつつあるのが実情である。新職業が開拓されつつあるとしても一部であり、あはきに匹敵する職種は見当たらない。
 理教連は今年1月、理療の魅力をどう伝えるかをテーマにして、活気や魅力ある理療科・盲学校にするにはどうすべきか、地域に根ざした臨床室のあり方、理療科教員の質の向上、の3点に関する研修会を開いたという(『点字毎日』2022年3月1日号)。
 それも必要だろうが、「木を見て森を見ず」、盲学校理療科が瓦解しつつあるこの時、検討すべきテーマは、それでよいのだろうか? 他に議論すべきもっと根本的な課題がありはしないか。藤井名誉教授が言われるような保健理療免許の新設すなわちあマ指師2枚免許制は、とても時宜にかなった提案であり、関係者にぜひご検討いただきたい。また、短期的には卒業生の進路先を1校だけで取り組むのでなく、一定の地域ごとに(あるいは全国的に)求人情報をリアルタイムに共有して社会のニーズに応えるようにしてはどうか。ただ試験を難しくするのは視覚障害者の職業自立に必ずしも結びつかず、デメリットも大きい。盲学校生徒全体の職業自立を見据えて、夢と希望を持たせる展望、方策を示し、実践することが課題ではなかろうか。

編集ログ

 川野楠己さん(91歳)による「祈りと琵琶と 琵琶盲僧の世界」が、本号で完結しました。本当にお疲れ様でした。本シリーズでは、薩摩の常楽院派も紹介されていましたが、「巻頭コラム」で触れた「君が代」の引用元である薩摩琵琶歌「蓬莱山」の曲は、16世紀に活躍した天台宗の僧侶にして中島常楽院<ナカジマ・ジョウラクイン>の13代目住職でもあった盲僧・淵脇了公<フチワキ・リョウコウ>による作曲です。
 島津氏中興の祖・島津忠良<シマヅ・タダヨシ>(日新斎<ジッシンサイ>)の命により淵脇は、従来の盲僧琵琶を改良して今に至る薩摩琵琶を作りました。また、忠良が臣下の士気高揚、武士の倫理や戦記、合戦物、祝い物目的で作詞したさまざまな琵琶歌の作曲も手掛け、薩摩藩領外では密偵も行い軍略の助言も行ったとされる人物です。
 薩摩琵琶歌「蓬莱山」は晴眼者による演奏ですが、インターネットのユーチューブで視聴できます。また、ジョン・ウィリアム・フェントン作曲の初代「君が代」もユーチューブで視聴できます。ただ、こちらは声楽家が歌ったものでなければちょっと聞くに堪えないように思いました。
 琵琶は日本のリュートですが、ウクライナのリュートは「コブザ」といいます。その昔、ウクライナの村々にはコブザを弾きながら吟じる盲目の吟遊詩人「コブザール(コブザ奏者)」がいました。
 1930年代中頃に、ウクライナ第2の都市ハルキウ(ハリコフ)でコブザールの大会が開かれました。するとソ連邦の独裁者ヨシフ・スターリンの命により、彼らは官憲により郊外の谷間に連れて行かれ殺害されました。この粛正による被害者は数百人といわれていますが、大粛正時代にスターリンは視覚障害者も血祭りにあげたのです。
 16世紀のウクライナのヘトマナーテ時代にコブザールはギルドとして確立され、19世紀の変わり目には、ウクライナの3都市にコブザール学校もあったのですが、ここに伝統は消滅しました。
 コブザールはウクライナ民族の叙事詩をコブザを弾きながら吟唱するので、スターリンはそれが民族主義的であるとして敵対視したのです。ちょうど、ウラジーミル・プーチンが、現在、ウクライナ民族主義を目の敵にするのとまったく同じ構図です。(福山博)

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