THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2022年5月号

第53巻5号(通巻第624号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:奥村博史
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:中立という欺瞞 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
3
立花新館長に聞く―日点長岡新体制の女房役(常務理事) ・・・・・・・・・・・・
5
(寄稿)ウクライナに平和を!抗議デモ行進に参加して ・・・・・・・・・・・・・・・
17
(寄稿)教師の会発足40周年にあたって ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
25
ネパールの盲教育と私の半生(11)教育課長への道 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
30
祈りと琵琶と 琵琶盲僧の世界(5)永田法順の釈文 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
35
西洋医学採用のあゆみ(14)漢洋脚気相撲その2 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
40
自分が変わること(154)親指をなくした息子  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
45
リレーエッセイ:視覚障害者の就労にはICTの支援が不可欠(上)
  ―まずは、就労現場の今を正しく知りましょう!  ・・・・・・・・・・・・・・・・・
50
アフターセブン(86)新たな挑戦の幕開け ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
  (237)初優勝で一躍、大関候補に躍り出た若隆景 ・・・・・・・・・・・・・・・
59
時代の風:視覚障害者用電子図書館システムリリースへ、
  糖尿病への個別化栄養指導、食べられる培養肉の作製に成功、
  慢性疼痛からの自然回復に必要な細胞発見 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63
伝言板:手でさぐる河合寛次郎、劇団民藝公演、
  Dominant第5回演奏会、川島昭恵語りライブ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
中立という欺瞞

 ロシアのウクライナ侵略に対して、「一番悪いのはロシアだが、ウクライナにも落ち度がある。これ以上の惨禍を防ぐためにウクライナは早く降伏すべきだ。戦争をしている両者の片方にだけ加担するのが日本の外交として正しいのか。あくまで中立の立場から、日本は今回の戦争の即時停戦を呼びかけ和平交渉のテーブルを提供するべきだ」などと主張する識者がいる。それぞれにそれなりの思いと根拠はあるが、これらはどれも、結果的にプーチンを励ますメッセージでしかなく間違いだ。
 たとえば、「ウクライナにはネオナチがいる」というのは事実だが、だからといって、ゼレンスキー政権はネオナチだというのは、フランスの国民議会には反ユダヤ主義の極右がいるので、マクロン政権は極右だというのと同様で言いがかりに過ぎない。第一にゼレンスキー氏はユダヤ人である。彼の祖父はソ連赤軍の大佐で、曾祖父とその3人の兄弟はホロコーストで命を落としている。世俗的とはいえ両親ともウクライナ系ユダヤ人で、その彼がプーチン大統領のいうような「ナチ信奉者」であろうはずがない。
 日本は中立の立場でというのは、一見もっともらしいが、ロシアが攻撃をやめれば戦争は終わるが、ウクライナが防衛をやめたところで侵略は終わらない。したがって、即時停戦を呼びかける先はあくまでロシア「のみ」で、中立的態度などはあり得ないのだ。
 そのためNATOに加わらず、従来「軍事的中立」を保ってきた北欧でも、紛争地に武器を送らない方針を覆して、フィンランドとスウェーデンは、ウクライナに対戦車兵器などを供与した。「ウクライナへの防衛支援が、スウェーデンの安全保障に最も有益となる」とアンデション首相は述べ、さらに軍事支出を増やす意向も示した。集団的自衛権で守られるNATO加盟を求める声も高まり、フィンランドでは国営放送の世論調査で、従来2割前後だったNATO加盟賛成が、今年3月前半の調査では62%を占める一方、反対はわずか16%だった。(福山博)

立花新館長に聞く
―― 日点長岡新体制の女房役(常務理事) ――

 「何故そんなこと知っているの?」インタビューの開口一番、立花明彦氏は驚きの声をあげた。
 「立花明彦で検索すると、ウィキペディア(インターネット百科事典)にあなたのプロフィールが詳しく出てきますよ」というと、彼はしばらく言葉を失った。
 インターネットの情報は玉石混交なので、これから紹介するのはこの4月に、日本点字図書館(日点)の館長兼常務理事に就任した立花明彦氏にインタビューして確認した横顔である。彼は以前、日点に勤務していたので知る人ぞ知るではあるが、それは20年以上も前のことだ。
 立花明彦氏は、1961年11月、広島県呉市倉橋島生まれの60歳。10歳で重度の緑内障を患い、地元の公立小学校から広島県立盲学校へ転校し、点字を習得。同校高等部普通科を1980年3月に卒業し、大阪にある桃山学院大学社会学部社会学科に進み、1985年3月に卒業。
 卒業はしたものの就職に難儀していた彼は、神奈川県総合リハビリテーションセンター七沢ライトホームが視覚障害当事者の職員を初めて採用することを知り、一般公募に応募して合格。大学を卒業した年の6月に入職し、中途視覚障害者のリハビリテーション訓練、主に点字、カナタイプ、ハンドライティング、音声ワープロの指導を行った。七沢ライトホームは神奈川県厚木市の山の中にあるが、職場の近くに独身寮があったので普段は特に不便はなかった。だが、バスが30分に1本しか通っていなかったので、対面朗読に出かけたりするのには不便で特に東京での会合やイベントに参加するには往復4時間もかかった。
 彼は大学で図書館情報学を専攻していたので、内心、図書館に関係する仕事に就きたいとずっと思っていた。すると、日点が職員を採用するという耳寄りな話を聞いた。そこですぐに応募して合格したが、収入は予想を超えて減った。だが、自分の夢には代えられないので入職し、1991年4月点字製作課に配属され、点訳者の養成と点訳書の校正に従事した。
 立花氏が日点に入職したのは、田中徹二氏が都の職員を辞め、日点の館長に就任したのと時を同じくした。田中館長は導入が遅れていた日点のパソコン点訳による点訳者養成を開始したが、その仕事の大半は立花氏に委ねられた。結局、立花氏は点字制作関連の仕事に8年従事したのち、点字教室とレファレンスサービスを担当し、日点に2001年3月までの10年間勤務した。その間に、田中氏は館長業務が多忙になったので、月刊『視覚障害』編集長の職が重荷になった。そこで七沢ライトホーム時代から同誌の編集を手伝っていた立花氏に白羽の矢が立ち、1993年から2001年の8年間立花氏は同誌の編集長を務めた。
 それに先立つ1989年4月、筑波大学は全国で最初の社会人夜間大学院を設置した。ある方の強い勧めで立花氏は点字受験し、修士課程教育研究科カウンセリング専攻に合格した。筑波大学東京キャンパスは文京区茗荷谷にあるので日点終業後に通いやすかった。彼は同大学院を1999年に修了し、修士(リハビリテーション)の学位を取得した。
 そして2001年3月に日点を退職し、翌4月から静岡県立大学短期大学部社会福祉学科に専任講師として着任した。
 現在はネット上で大学の求人情報を入手できるが、当時は人伝で情報を得ることが唯一の手段だった。同大に就職できたのは田中館長と東京都心身障害者福祉センターで同僚だった人が同大短期大学部の教員をしており、募集していることを教えてくれたからだった。その後、2004年に助教授、制度変更により2007年4月に助教授から准教授となる。
 その後、筑波大学大学院図書館情報メディア研究科博士後期課程に進学した。この課程は前期課程に比べ取得単位が少なくなるのに加え、ゼミ的な要素が多い。しかも大学教員はフレックス、いわゆる仕事の時間を自分で調整できた。したがって、教員でいながら大学院の学生をすることは自分の授業等に影響がない範囲で許されていた。そのため、自分の授業が無いときと筑波での授業の時間割を調整しながら静岡市からつくば市に通った。あるいは教員によっては、社会人の学生だからといって代替えの授業、課題を出して提出するとか、そんな形が筑波大学に限らずどこの博士課程でも行われている。2016年4月、社会福祉学科の教授になる。大学というのは、承認人事があってそれに応募するが、そのときに研究業績、社会貢献、大学への貢献、教育に関する貢献に関して審査を受ける。その上での教授への承認であった。
 大学は自治が認められているので、学長の下に各学部長がおり、学長、学部長になるために権力争いをする大学や学部もあれば、立候補者がいなくて自由投票で決まることもある。同短期大学部では2年前は、立候補者がいなかったので自由投票による選挙になって、教授、准教授、講師、助教の投票の結果、立花教授が学部長に選出された。
 かつて、四国学院大学で中途失明の全盲の教授が学部長をされたようだが、視覚障害者が学部長職に就くのはごくまれなケースである。ただ学部長の業務は、決して楽なものではなく、短期大学部だけの会議にとどまらず、学長、副学長、各学部長、大学院の研究科による大学全体の会議が月に2回くらいあり、様々な委員会に出席しなければならず、とにかく会議に忙殺された。そのほか、人事や決済の業務に追われ、大学の行事の際の挨拶などで多忙な日々をすごした。
 普通は学部長になると授業のコマ数を減らすのが一般的だが、静岡県立大学はそういった配慮がなく自分の時間がまったくとれなかった。授業は障害者福祉論、障害者の生活の理解、障害とコミュニケーション、それにゼミを担当した。ゼミでは、研究領域のひとつであるハンセン病をテーマにした研究活動を行った。社会福祉学科は、社会福祉士、介護福祉士、保育士を養成する学科で、その中で障害者福祉論、障害者の生活と理解が必須科目でそれらを教えていた。2016年に名古屋ライトハウスの片岡好亀(かたおか・よしき)賞を受賞したが、この年には学長表彰も受けた。大学は現在評価性になっており、大学教員の使命である教育、大学運営、社会貢献、研究の4分野で毎年実績を出して、その内容で点数化される。そして優れている者の中から更に1名ないし2名が学長表彰を受けるのだ。立花教授は学部長を任期の2年務め、日点からの強い求めに応えて定年まで5年を残して退職し、この4月から同館の館長に就任した。
 この4月から日点は、前理事長の田中徹二氏(87歳)が会長に、前館長の長岡英司氏(71歳)が理事長に就任し、かくして新体制が整ったのであった。
 立花氏は田中氏から呼び戻され、内心迷惑だったのではないかと察するが、その点について立花氏は次のように答えた。
 「本年1月の『日点フォーラム』に田中さんがそろそろ引退するということを寄稿しておられます。田中さんは日点の直接的な経営に当たる理事長や館長という要職は視覚障害当事者でなければならないという思いが非常に強いのですが。それは本間一夫創設者が求めていたことで、田中さんはそれを継承し、自分も後任にそういった人を据えたいと考えておられます。したがって、随分早くから『帰ってこい』といわれました。しかし、私は日点を辞めた人間なので、田中さんからの要望を受け入れるのには時間を要しました。そもそも日点を辞めた時点で日点に帰って来るという選択肢は無かったし、静岡で定年を迎えたら生まれ故郷に帰ってやり残したことをやりたいという思いがあったのです。ただ、声をかけて貰えることはありがたいことだと考え直し、館長職を引き受けました。それから、実際還暦を迎えたときにこれから自分の行く末を考えたときに、故郷に帰りたいという思いはすごくあったのですが、それよりも今求められていることをするのが、盲界に関わった者としてやらなければいけないと自分を納得させました。
 日点の館長としてやらなければならないことはたくさんあります。その一つは利用者を拡大することです。日点の利用者は現在約1万2500人ですが、これは決して多い数字ではないと思っています。この数字は20年間大きくかわっておらず、利用者は横ばい状態です。その背景には各県に点字図書館があり、サピエ図書館があることも関係しています。しかし、全国の点字図書館の登録者数を足したとしてもせいぜい8万人余りなのです。しかも一人が複数の図書館に登録しているケースもあるので実質的にはその数字よりも少ないのです。視覚障害者は身体障害者全体の9%ぐらいしかいなくて、視覚障害者の存在が薄らいでいます。それにともなって国の予算の支出も視覚障害への注目度も以前ほどではなくなっています。そのためには視覚障害の存在をしっかり示さないといけないし、さらに点字図書館はこれだけの人たちに使われて、これだけの人たちの社会参加促進に寄与しているのだという実績を遺さなければならないと思っています。
 ここ数10年で点字使用者も視覚障害児童・生徒数も激減していますが、視覚障害者のトータルはそれほど変わっていません。そうすると、中途視覚障害者が増加し、しかも高齢化しています。例えば、80、90歳になって失明すると自分のことを視覚障害者だと認識していない、視覚障害者としてのリハビリテーションもうけていないという人がたくさんいます。従来、盲界全体でこういう人たちに手を差し伸べることが少なかったのではないでしょうか。盲学校の卒業生など積極的にサービスにアクセスする人々には非常に質の高いサービスを提供するけれども、そういったアプローチのしかたも知らない人に対しては素っ気なかったのではないでしょうか。東日本大震災のとき視覚障害者のサポートを行おうと歩行訓練士を中心に東北の各地を回っていったときにそのようなケースを目にし、従来からあった視覚障害者の施設が、初めて充分な広報活動に基づいたサービスを提供していないという事実に気づかされました。
 たしかに日点にしても殿様商売といういわれかたをされていたときもあるし、日点に限らず視覚障害関係施設というのは、来る者を拒まないが、外に出て行くということをほとんどしません。従って、利用者を増やすためにはどうすべきかというと、やはり施設外に出て行く必要があると思っています。
 それと同時に数字をしっかりと読み込んで解釈してそれに基づいた計画を立てて行動する必要があります。
 もう一つは、静岡では視覚障害者情報支援センター(旧・点字図書館)があって、私は運営委員会の委員長として県から依嘱を受けていました。そこでは視覚障害という認識がない高齢者の事例を良く聞くことがあって、どの市や町にもある障害者地域生活相談所と連携して、点字図書館なりリハビリテーションセンター、視覚障害者の便利グッズ等の広報活動も必要だろうと静岡県の中ではいわれていました。それは全国どこでも同様だと思うのです。したがって、日点を含めた東京が今どうなっているのか、4月以降早々に確認して手立てを打つ必要があると考えています。それによって利用者の拡大というものも果たせるだろうし、いわゆる取り残されている視覚障害者を少なくすることにもつながっていくだろうと考えています。
 長岡英司さんが理事長として経営そのものをみて最終判断を下す。それに対して館長は、業務全般のマネージメントを行うのかなと思っています。館長は常務理事を担わなければいけないので、役員としての対外的なことは理事長と手分けをして進めて行くのではないかと思っています」
 インタビューを終えて、立花氏は定年を5年残して研究生活に後ろ髪を引かれる思いもあったのではないかと推察した。しかし、どのような組織であっても新しい血を入れて新陳代謝をしなければ健全な発展は望めない。その点日点はあと20年間は安泰と言えるのではないだろうか。しかし、全国に点字図書館はいっぱいあるが、日本点字図書館はとりわけ視覚障害者のよりどころの中心になるような、圧倒的に大きな、歴史と伝統のある施設である。立花氏には日本の盲界のためにも頑張って欲しいものである。(戸塚辰永、福山博)

編集ログ

 ロシアのウクライナ侵攻が開始されてから、中国の動きに注目してきた。2014年のロシアによるクリミア併合のように、ウクライナがやすやすとロシアに併合されたら、「次は台湾だ!」と習近平が張り切ったら本当に厄介だと思ったからだ。が、今のところ中国にとっては当てが外れているようだ。
 『人民日報』によると、兄弟のような隣国だったロシアとウクライナがたもとを分かち、軍事衝突に至ったのは、ロシアとウクライナの戦争というよりも、米国がロシアとの地政学的ゲームで挑発した結果であり、悪いのは米国で、ロシアとウクライナは被害者だと主張している。
 中国は、「ロシアとウクライナの双方が困難を克服して和平交渉を継続することを支持し、これまでの交渉で得られた前向きな結果を支持し、現地の事態の早期沈静化を支持し、大規模な人道的危機を防ぐためのロシア及び各方面の努力を支持する」とも述べている。また、中国はロシアとウクライナの武力衝突に関して中立を強調し、日本や欧米諸国はロシアに対して、厳しい経済制裁を次々と科していることに対して、火に油を注ぐ行為だとして反対している。
 強盗と被害者間の中立というのは、結局強盗の側に立つことを意味しないだろうか。また「ロシアの努力を支持する」とは結果的に侵略を容認することを意味しないか。刃物を突きつけて脅迫されている被害者に、「対話と交渉は和平への扉を開く唯一の道だ」と説教することは、実は「降伏勧告」と同義ではないのか。
 日本維新の会の鈴木宗男参院議員は、「私の願いはただ一点、早く停戦し尊い命が亡くならないことだ。一般の人に武器を持たせては犠牲者が増えるだけである。兎にも角にも話し合いで、停戦してほしいと祈るしかない」と述べている。このウクライナの一般市民が、義勇兵としてロシアと戦うことに、疑義を挟むのは同議員のような親露派だけでなく、一般メディアでも散見される。そのような平和主義からのナイーブな主張が、ウクライナを批判することになり、実はロシアの侵略を結果的に支援していることに思いを致して欲しいものである。(福山博)

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