THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2021年12月号

第52巻12号(通巻第619号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:奥村博史
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:奇をてらう宰相 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
3
(インタビュー)大成功に終わったパラリンピックを一過性のイベントに
  させないために ― 河合JPC委員長に聞く
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
ネパールの盲教育と私の半生(6)教員組合の要求闘争 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
26
(特別寄稿)パラリンピック開会式聖火ランナーに選ばれて
  ― 57年後の感激 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
31
西洋医学採用のあゆみ(9)医術開業試験受験のための私立医学校の創立 ・・
39
自分が変わること(149)書く喜びという初めての体験  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
44
リレーエッセイ:住めば都(2) ― 未来への不安  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
49
アフターセブン(81)カラオケの力 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
54
大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
  (232)白鵬引退で照ノ富士の一強時代が到来!? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
58
時代の風:てんどっく試用版サイト公開開始、TSUCHIYA PUBLISHING、
  腰痛悪化予報スマートチェアで可能に、
  手と足の感覚 脳の中でつながっていた ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
62
伝言板:日点チャリティコンサート、横浜訓盲学院理療科生徒募集、
  川島昭恵語りライブ、音声解説付きDVD映画の体験上映会、
  障害者のための就職フォーラム ・・・・・・・・・・ 
66
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
奇をてらう宰相

9月29日の自民党総裁選挙で岸田文雄氏(64歳)が新総裁に選ばれ、10月4日の首相指名の臨時国会で内閣総理大臣に就任した。
 それに先立つ9月18日午後、同総裁選に出馬した4人は日本記者クラブ主催の討論会の開始前、それぞれ揮毫した書を両手で持ち、写真撮影に応じたが、岸田氏は、座右の銘である「天衣無縫」と書いた。つまり人柄に作為が見えずごく自然な感じ、または天真爛漫なことから翌朝の『讀賣新聞』は、「『話がつまらない』との指摘もあるが、奇をてらわず素の姿をさらけ出すことで支持を得たい考えだ」と解説した。
 ところが、その首相が突然投開票の日程を1週間前倒しして、全国の選挙管理委員会事務局をはじめとする選挙関係者をあわてさせ、超多忙な業務をさらに追い込んだ。
 首相は格差解消に向けて“成長と分配”をテーマとする「新しい資本主義」を提唱している。そして「分配なくして次の成長なし」との考えの下、過去の構造改革路線が生んだ所得格差の是正と中間層への手厚い分配による「令和版所得倍増計画」を掲げた。
 2020年の民間給与平均は433万円なのでそれが866万円に増えるには、単純計算で毎年5%の賃上げで15年間、7%で11年、10%で8年が必要だが、そんな高度成長を長期間可能だと本気で思っているのだろうか。
 財源として首相は、金持ち優遇制度とされる金融所得課税(株式の譲渡益や配当金などの金融所得に課される税金のこと)の見直しについて10月初旬に言及した。すると日本株はそれに反応して8日間も続落を重ね、たまりかねた首相は10月10日のテレビ番組で、金融所得課税について当面は触ることを考えていないと述べ火消しをはかった。このようにこの間の首相の行動は「天衣無縫」というより「鬼面人を驚かす」の方が適切ではないか。(福山博)

(インタビュー)
大成功に終わったパラリンピックを一過性のイベントにさせないために
―河合JPC委員長に聞く―

 【10月22日午前、オンライン会議システムのZoomを通じて、河合純一日本パラリンピック委員会(JPC)委員長(46歳)に東京2020パラリンピックの総括、JPCの今後の取り組みについて聞いた。取材・構成は本誌戸塚辰永】

東京パラリンピックを終えて

 戸塚:今夏のパラリンピックの大成功おめでとうございます。コロナ禍の中での開催でご苦労も多かったと思いますが、結果的に日本が大活躍しました。まず、その理由からお聞かせください。
 河合:ありがとうございます。東京2020パラリンピックが成功した理由として、特に獲得メダルが増えたことは、国の強化費が増えたということがもちろん大きいです。次いでナショナルトレーニングセンター(NTC)の共用化がさらに進み、特に2019年にNTCイーストというパラ優先の建物ができて、さらに大会が1年延期になったので、そこを丸々2年使ってトレーニングできたというのも非常に大きな成果だったと思います。そのほかにもリオの前まではなかった専任コーチ制度ができて、コーチ料を支払いながら取り組みができるような仕組みだとか、オリンピックで取り組まれていた様々なものが、オリパラ一体の国の方針の中で増えていったことによって一定の成果をあげました。また、国立スポーツ科学センターも含めてスポーツ医科学の利活用もかなり進みました。例えば、暑熱対策等で疲労回復するうえでどういう取り組みがいいのか、熱中症にならないためにどうやってコンディションを整えたらいいのか、栄養面、睡眠面様々な立場から取り入れるということがここ4、5年で進んでいったことも大きな要因だと考えています。さらに、JPCとしても金メダルの可能性が高い選手たちを絞って、そこに集中的に支援を行うということで、できうる考えうることを様々な団体や組織が一丸となって取り組んだ成果だと思っています。もちろん自国開催も追い風になりました。
 戸塚:当初JPCとして金メダルの目標を20としていましたが、今大会では金13でした。河合さんは100点満点で何点付けますか?
 河合:JPCとして、金メダル20個と決めたのは、2020年の2月で、翌3月に1年の大会延期が決まり、その間20個という数字を変えるとか変えないとかいう議論をしないできたというのが現実でした。その理由は、新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって国際大会などが行われることがほとんどなくなり、ランキングがわからない、あるいはクラス分けのこととか様々な状況がわからない中で、目標値を変えるあるいは議論するデータがないこともあって、目標を変えるという議論ができなかったのです。あくまで我々としては「大会を開催していただけることだけでも本当にありがたく、感謝すべきこと」という立場だったのです。無観客になったのは残念ですが、テレビなどを通じて多くの皆さんに見てもらえるよう、選手が悔いなく最高のパフォーマンスを発揮すること、そして安全・安心な大会と言ってきましたから感染者等を出さないような対策を徹底すること、様々な方々に対する感謝の気持ちを伝えていくということを、選手団の目標として掲げて最終的に13日間戦い抜いたということなので、金メダル何個という数字に対する評価は正直付けられないというのが答えです。ただ、今大会は大成功というふうに受け止めていますし、もちろん学校観戦だけでなく、こうなったらという気持ちはゼロではないですが、我々としても私個人としてもでき得ることは尽くしたなという気持ちを持っていますし、選手たちもそうではないかと思っています。
 戸塚:当初、今大会の獲得メダル数を国別7位としていましたが、11位に終わったことをどう思いますか?
 河合:この目標値も同じで、2013年に障がい者スポーツの将来像という2030年に向けたビジョンを法人として掲げた中に書いてあるということと、さらにスポーツ庁が出しているスポーツ基本計画というものがあり、2014年からの第1期と2019年からの第2期があります。第2期のスポーツ基本計画では、前大会であるリオ大会以上のメダル数を掲げていくとか、国としての方針がまずあるというのが前提です。そういう意味でこの結果をどう評価するのか、もちろんリオ大会が金メダルゼロだったこともあってメダルランキングが56位でしたから、そこからすると11位なので、そう考えると飛躍的に上がっています。
 金メダルランキング1位からトップ10位を見ると、中国がとびぬけて多く96個獲っています。第2グループが英国、ロシア、アメリカで40個から30個くらい。次が30個から20個のグループが5、6ヶ国。我々としてはこの第3グループに入ることが目標でしたが、残念ながらそこには及びませんでした。そういう中で、リオ後の課題をつぶしながら東京に向けた取り組みを国や日本スポーツ振興センターやJOC(日本オリンピック委員会)とも連携し、競技団体と一緒に取り組んで一定の成果をあげたと思っています。
 戸塚:『点字ジャーナル』10月号 でも「涙の大願成就 ― パラ水泳木村敬一4大会目で悲願の金!」として紹介しましたが、河合さんの後継者である木村敬一選手が金メダルを獲ったことについてどう思われましたか?
 河合:木村選手を身近で見てきて苦しんだりとか、いろんな場面場面で話をしてきたから、本当に金メダルを獲れて良かったなあというのが一番です。ロンドンで初めてメダルを獲って、次こそはとのぞんだリオで4年分が成果に結びつかなかったという悔しさを持って、さらに4年と思ったのがプラス1年。メダルを初めて獲ってから金メダルを獲るまで足掛け9年。初めてパラリンピックに出てから13年。いろんな意味で抱えていたものもあったでしょうし、その気持ちも9年分とか13年分、私にわかるわけじゃありませんが、しっかりやり抜いていくということを通じて、最終的に勝者になれたことは良かったんだろうなと思います。私も初めて出た大会では銀と銅しか獲れなくて、やはり4年間金だけを追い求めました。その時は今ほど注目度もなかったので、それほどの悲壮感とか周りには映らなかったかもしれませんが、自分の中でやはり一番のこだわりだったと思うので、そういう意味でも良かったんじゃないでしょうか。

JPCの目標

 戸塚:河合さん、JPC委員長に選出された時の想いといいましょうか、あるいは実際になってのやりがいや決意、感想はいかがなものでしたか?
 河合:2020年1月1日付でJPCの委員長になりました。今回の東京パラリンピック日本代表選手団長もそうなんですが、視覚障がい者で団長をしたというのも初めてであり、アスリート出身者でJPCのトップになったことも初めてだということで、そういう意味でいろんな方々からとか周囲も含めて組織としては評価されている部分はあるのかなと思います。個人としてまさに自分がやってきたことを生かして、組織内でどう伝えていくか、今回の大会の結果もそうでしょうし、しっかりとそれを形にして成果をあげていくという所にはこだわってやっていきたいなと思っています。
 戸塚:開催反対を叫ぶ声も一部にはありましたが、蓋を開けてみると日本選手の大活躍もあり、大いに盛り上がる大会となりました。しかしながら東京2020、とくにパラリンピックが一過性のイベント、あるいはブームに終わらないだろうかと、障がい者スポーツの関係者は大変心配しています。東京パラリンピックを一過性のものにしないためにはどのような方策がありますか?
 河合:我々としては継続的なムーブメント、よくレガシーと言うんですけど、「モメンタム(勢い、はずみ)」だと英国パラリンピック委員会の方々もおっしゃっていて、重要なのは「そこで立ち止まるんじゃなくて、勢いを続けていくということが大切なんだよ」と数年前にお会いした時にも言っていて、我々もそのつもりでやってきました。とはいえ今大会が一つの節目になるのも事実であるから、今はその結果や様々なことを振り返り検証していくフェーズも必要だと思っています。幸いなことにその結果を踏まえる前に1年延期になったことを通じて、日本障がい者スポーツ協会(現・日本パラスポーツ協会[JPSA])は、2021年3月にJPSA2030年ビジョンを作成し、2013年に作ったビジョンを再度確認チェックして、それを再構築しました。その中でこれまで日本パラリンピック委員会がその一部でありながらもその位置づけとか取り組むべき役割というものが2013年に出した「旧ビジョン」では明確になっていなかったものを、今回の新ビジョンにおいてはJPC戦略計画として改めてそこに明確に位置づけて、今後の2030年に向けて取り組むべきことや課題目標等を整備しました。その結果、東京パラリンピックを見ずして作ったものですけれども、そうであろうとなかろうと我々という組織は、今後も日本国内のパラリンピックムーブメントを牽引していく組織であることをはっきり伝えていますし、改めて日本代表を編成・派遣していくという立場を明確にしています。そういった方向に向かって、今ちょうど同じ将来像を多くの皆さんと共有できるように、そういう意味でなったと思いますから、そこに向けて着実に歩みを進める段階です。今回の大会を経て見えた課題とかはっきりしたもの、あるいはメダルの数も含めた成績等によって、今後の取り組みの優先順位をどうするのかという微調整というものが起こってくると思っています。けれども、基本的な考え方や方向性というものはビジョンで明確に示しています。パラリンピックを一過性にしないうえで重要だと思っていることは、やはり我々は制度とかシステムに落とし込んでいくことだと思っているので、これはこの数年間必死にチャンネルを通じてやってきたことによって成果は一定程度上がってきていると思っています。
 戸塚:どういう点に力を入れていますか?
 河合:特に、教育に力を入れました。子供たちの様々な活動にパラリンピックを伝えていこうという、パラリンピック教育を学習指導要領に位置づけることを活動とし、それを達成しました。昨年度から実施されている新学習指導要領では、小学校、今年から中学校、来年から高等学校が施行されていくわけですけれども、それぞれにパラリンピック教育というものが初めて記載されて、学校現場において今後パラリンピック教育を行うことが必要要素として取り入れられるようになったということはやはり大きな成果です。単なる東京大会のためにオリンピック教育、パラリンピック教育をするんじゃないんだということを伝えるメッセージだと思っています。それに対応するためにこれまでJPCと日本財団パラリンピックサポートセンターとで連携共同して国際パラリンピック委員会公認『I’mPOSSIBLE』日本版という教育教材を開発し、それを無償で配布してきました。こうした活動を通じて学校現場で単にパラリンピックの競技とか、選手のことを学ぶのではなくて、その競技や選手やイベントなどを通じて共生社会について考えるヒントやきっかけを提供するものを我々としては開発してきたのです。これをより広く普及していく活動に力を注ぐことによって、今皆さんが懸念されているような、パラリンピックを一過性のイベントに終わらせないように取り組みたいものです。そのほかにもジャパンパラリンピックデーという日を2022年以降は開会式が行われた8月24日に定めて、その周辺をレガシーとして皆さんに考えていただいたり、共生社会についての気づきを得ていただくような、種々の事業も検討していきたいと思っております。
 戸塚:ヨーロッパではオリパラ一体が取り組まれつつありますが、日本はどうですか?
 河合:オリパラ一体という言葉が何をとらえているかによるんですが、まさにオリンピックとパラリンピックが一体化して大会を一つにしていこうという考え方なのか、それによって一体化という言葉の使い方もとらえ方も微妙に違うので、ある意味では非常に難しい概念だと思っています。一体化という点では、少なくともこの8年招致後非常に大きく変わっており、JPCとJOCとの関係はより緊密になってきています。大会直前に私と山下泰裕JOC会長と対談してそういった話もしているので、オリンピックの様々な知見経験がJPCに生きています。例えば、今回IPC(国際パラリンピック委員会)アスリート委員の選挙があって、水泳の鈴木孝幸<スズキ・タカユキ>選手が立候補して当選しました。その背景の一つには、JOCからフェンシングの太田雄貴<オオタ・ユウキ>さんがIOC(国際オリンピック委員会)のアスリート委員選挙に立候補し、今回当選したということがありました。どうやって成功させていったのか、という取り組みや様々なことをJOCとJPCの関係者で共有する機会も作っていますし、それを活用したということもあります。また、オリンピックとパラリンピックのユニフォームが全て統一されたというのも今回の東京大会が初めてですし、NTCとかハイパフォーマンススポーツセンターがさらに使いやすくなり、オリパラ一体の象徴的な場所として現在共用が進んできているのも、8・9年前にはなかったことです。そういった様々なことが変わってきているのは間違いない事実です。
 組織委員会もオリパラ一体でやってきたことによって、世界から見るとすごく大きな変化がありました。皆さんからするとあまり感じなかったかもしれませんが、例えばオリンピックの閉会式で橋本聖子東京2020オリンピック・パラリンピック組織委員会会長がパラリンピックについて言及したスピーチがあったり、パラリンピックの映像が閉会式の中で流れているんですね。これは過去のオリンピックではありませんでした。これは日本がオリパラ一体と訴えてやってきた一つの歴史的な快挙だと言ってかまわないと思います。皆さんからするとまだまだと思うこともあるでしょうが、オリンピック・パラリンピックの1年延期も含めて、種々の足跡を残したのは東京大会であると、間違いなく私は胸を張って言えるんじゃないかなと思っているのです。まあ、そういった中で、国は2015年にスポーツ庁を作り、それまでオリンピック・パラリンピック、健常者スポーツと障がい者スポーツを分けて、担当も文科省と厚労省に分けていましたが、スポーツ庁に統一して同じスポーツとしてやろうという風にしました。しかし、都道府県レベルでは、スポーツ部局として一元化しているところは、2015年から6年たちますが、17都道県に留まっています。残りは現在も厚生労働省の管轄となっています。そうすると、市町村レベルでいったらどうなるのか? そこから想像すれば、さらに厳しい現実があると思わざるを得ないのです。いくらトップがこれをやろうと言ってもなかなか自治体や様々な団体ですぐには変化しきれないというのも事実だと思っています。ただ諦めずにこれを投げかけ続けることやそのメリットや良さを伝え続けるということも、発信しなければならないと思いますので、我々としてできうること、まさにそれがレガシーだと思っているので積極的に取り組んでいかねばならないと思っています。
 もう一つ言うと今回のオリンピックに参加した国・地域は205ですね。パラリンピックは162ですが、パラリンピックに参加できなかった国が43カ国ありました。これが世界の現実なんです。そういった中で国内のオリンピック委員会とパラリンピック委員会が一つの組織になっているのはアメリカ、オランダ、ノルウェー、南アフリカのたった4つです。まだまだ組織そのものが一つになっていくことが、世界でもなかなか難しいのも現実です。そうした中で、何をもって一体とするのか、それよりも私たちが本当に実を取らなければならないことがあります。それは、障がいのある方々も日常的に運動やスポーツを楽しめる地域社会を作ることです。
 そこで私はこの大会が終わった直後に萩生田光一<ハギウダ・コウイチ>文部科学大臣(当時)とお会いした際に率直にお伝えしたのは、学校現場で障がいのある子供たちが見学体育になっている現実を大臣ご存じですかと、これをなくさなければ、オリパラを成功させた国とは言えないと思いますし、今後障がい者スポーツ、パラスポーツの発展なくして、国民の健康増進に繋がっていかないと思っています。さらに、パラリンピックに出場した選手の内2割が公共のスポーツ施設等で利用拒否を受けたというデータも明確になっています。もっと言えば、一般の障がいのある方々がそういったときにかなり苦しい状態にあることが想像されます。そうした対策もぜひ国として明確に取り組んでいただきたいとお伝えし、その2週間後には間違いなく取り組むようしっかり指示したと大臣はお話しされました。ただ、その後大臣が変わってしまいましたが、指示をしたということはそれが生きていることでしょうからそういう意味でオリパラが行われたからこそ、そして選手たちが活躍したからこそ様々な場面で今伝えやすい環境にあると思っています。これを正しく適切に我々が伝えていくという役割をJPCは担っていると思います。
 戸塚:パラリンピックの開閉会式の評判がとても良かったですね。
 河合:パラリンピックの開閉会式が上手くいったというのはまさに大会の基本コンセプトにあります。柱となるコンセプトは、全員が自己ベスト、多様性と調和、未来への継承、この三つなんです。これらをちゃんとストーリーの中に落とし込んでいたと思うんです。だから、そういった中で、「私には翼がある」が開会式のテーマでしたが、それぞれの出演者が出しうるパフォーマンスのベストを尽くしました。そして多様性と調和、障がいのあるなしを超えてトップのアーティストやミュージシャンも含めて一緒になっているけれども、ある意味そろっている美しさではなくて、全体を俯瞰しながら単なるマスゲームのような統一感というものではなくても、まさに美しさとか魅力というものを伝えられる可能性を示したのではないかと思うんです。よく私は講演会で言うんですけれども、ダイバーシティ・アンド・インクルージョンという言葉の中のダイバーシティというのは様々な人をダンスパーティーに誘うことであって、インクルージョンというのは誘った人たちとダンスを一緒に踊ろうっていうことなんだという解釈があって、まさにそういう部分を今回体現できていたんじゃないかなと思うんです。そういうことによっての成功じゃないかなと思っています。
 戸塚:英国パラリンピック選手団は、地元で行われたロンドンパラリンピックでは、金25、銀36、銅31の計92のメダルでした。しかし、東京パラリンピックでは金41、銀38、銅45の計124のメダルを獲得しました。このように英国はロンドン大会よりも東京大会のほうが好成績を残しましたが、それをどう考えますか?
 河合:ここは議論が必要な所です。英国は確かにメダルを増やしました。そういう意味では成功しています。競技スポーツにおいてレガシーとしてそれをどういう風に評価するかという視点と、まさにその国にどういうものを残していくかというレガシーで評価をするかという所も含めての違いがあるかなと思っています。まさに強化として今後もメダルを獲り続けることを目指すうえで、我々に何が必要かと言えば、現在会議など種々行いながら多面的に専門家の方々と議論をしている所なんですね。英国が取り組んだものの一つは選択と集中です。要するにメダルが獲れない競技には予算を配分しないという徹底したことをしたわけです。それによってそういった競技団体や競技の方々は非常に苦しい思いをしているのも事実です。揺り戻し的にそれでは育たないから変えたほうがいいんじゃないかという議論も英国の中で起こっています。
 一方、日本は22競技全てにエントリーするという目標を掲げており、22全てエントリーした国・地域は162の内日本だけでした。そして今回自国開催であることもあって、日本選手団の人数が最大でした。だからそれだけの成果はあったわけなんですね。今後22競技全てでなくてもいい、究極的に例えば5競技でいいんだと、それでもメダルが30個40個になることを国として目指すのかという議論もしなければいけないということなんですね。私は日本という国のパラスポーツの成り立ちとかこれまでのことを考えたらそこまで極端なことはきっとできないだろうなと思っています。ただ、そう思いいつつも、今スポーツ界でもガバナンスとかコンプライアンスという問題があって、それらに対応しながらより持続可能な強化の仕組みや態勢を整えていける所と、しっかりと将来のビジョンを共有して取り組める所に重点的に配分するとか、そういうことを検討せざるを得ないタイミングになっているのかなとも思っています。ただ、決定しているというよりは、他の国々の取り組み事例の課題というものも学びつつ、そして日本としての将来の方向性、ビジョンとか戦略計画に照らし合わせて、じゃあそれに到達する手立てとして、どれを選ぶのかこれから我々が議論をし、そう遠くないところで伝えていかなければならないなと思っています。
 戸塚:現在、世界各国では「SDGs(持続可能な開発目標)」の達成に向けて様々な取り組みが行われています。国連はスポーツとSDGsは密接な関係があると提唱していますが?
 河合:国連がそう言っているのは事実で、IPC会長のアンドリュー・パーソンさんが国連との間で2019年には、SDGs2030年の17個の目標に対して11個はパラスポーツで解決可能なんだと話していることも事実です。そういった中で今回大会直前にIPCが国連などと一緒に打ち出したものは何かというと「WeThe15」というキャンペーンです。地球上には障がいのある方々や生きづらさを抱えている人々が15%いる。つまり、世界中の12億にそういった方々がいるんだと、それは一部に固まっているのではなくて、様々な所にいて、それが当たり前な社会であり、その人たちを誰一人取り残さずに取り組むことをやらなければならないのです。パラリンピックはそういっても4400名ほどの参加者なんです。さきほどの12億の内のですよ。その祭典がまさに世界中の15%の皆さんの存在を明確にし、そして社会で生き生きと活躍できるようなまさにダイバーシティ・アンド・インクルージョンが共生社会を作っていくきっかけを我々は牽引しなければいけないとこういうことを開会式閉会式等でIPCとしてもメッセージを出しているんですね。まさに、我々は障がいのある方々をお一人お一人の「well-being(心身ともに、さらに社会的にも健康な状態)」という言い方を最近は言うわけですが、これを高めていくことを目指すためにスポーツを最大限活用するという組織だと思っています。引き続きIPCの方向性ももちろんですし、教育や種々の活動を通じて誰もがこれは、障がいのある方々だけではなくてという意味合いも含めて共生社会を目指して進めていきます。障がい者だけのスポーツではなくてボッチャとか車いすバスケとか健常の人たちも一緒になって楽しめるスポーツとしての可能性をパラスポーツは持っていますから、よりそれを広げていくことを通じて誰もが自分らしく生きられる社会というものを目指していくというのが、まさにそういったSDGsにも貢献することに繋がっていくんじゃないかなと私は考えています。
 戸塚:本日は大変示唆に富む話を聞かせていただき、ありがとうございました。

編集ログ

訃報

 元『点字毎日』編集長で、2000年6月1日から2006年3月31日まで当協会の点字出版所長を務められた竹内恒之氏が、10月19日入院先の東京女子医科大学病院で、肺がんのため逝去されました。享年79。コロナ禍なので、葬儀等は近親者のみですでに執り行われました。
 ご冥福をお祈り致します。

編集長より

 ネットでは、肩を大きく揺らしながら歩く岸田首相の動画を紹介し、このガラが悪く見える歩き方は、下半身に問題があるのではないかとまずは心配します。そして身体に問題がないのであれば、「自分を大きく見せたい」などの意識が影響していると指摘します。
 歩き方だけではなく、看板政策が「新しい資本主義」とはいかにも大仰ですが、「資本主義の問い直し」はいま、世界の一大テーマになっているので傾注しました。
 「新資本主義」は、1990年代にちょっと流行りました。従来の資本主義は、産業革命により工場制機械工業が成立して起こりました。それに対してIT産業を軸として成立するのが新資本主義と言われましたが、岸田氏の看板政策とは別のようです。
 次に近年は「ステークホルダー資本主義」が注目されています。米国流の株主第一主義ではなくて、従業員、顧客、地域・社会、環境と株主というあらゆるステークホルダー(利害関係者)の利益に配慮すべきだという考え方です。近江商人の経営哲学「買い手・売り手・世間の三方よし」に通じる考え方ですが、首相のそれはこれとも違います。
 じゃなんだと考えていると、山際大志郎<ヤマギワ・ダイシロウ>経済再生担当大臣が「総理直属の新しい資本主義実現会議を作るということになっているので、この会議体を一日も早く立ち上げて、そのなかでしっかり中身についての議論が進められるものと承知しております」と言うにおよんで、はっきりした中身のないまま首相は吹いていたことに気づきました。やはり自分を大きく見せたかったのでしょうか?(福山博)

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