カトマンズに住むネパール人の友人(64歳)が、COVID-19に夫婦そろって罹患した。オックスフォード=アストラゼネカワクチン(AZD1222)の1回目を3月10日にそろって接種し、4月28日に2回目を接種した。4月23日頃から体調が今ひとつで、4月29日に発熱したので、その日の夕方にPCR検査を受けたら夫婦ともに陽性だった。医師の話では、「ワクチンの1回目と2回目の間で感染したのだろう」とのことだったという。
「新型コロナは日本だけでなく、世界共通の課題だから貧しい途上国にもワクチンを行き渡らせることも大事だ」と最近も日本の新聞で見た。その通りであるが、だからといって高齢化率の高い日本のワクチン接種が途上国の後でいいということにはならない。
ところが、世界最貧国の一つであるネパールの方が、日本よりワクチン接種が進んでいるのは、厚労省の不作為によるのではないのかと愚考している。
ネパールは、英国でのAZD1222の臨床試験のデータをそのまま承認した。一方、日本政府は昨年の12月10日にアストラゼネカと1億2千万回分のAZD1222の供給について最終合意書を締結したが、厚労省による製造販売承認が遅々として進んでいない。
日本では1970年頃から、天然痘のワクチンなど予防接種後の死亡や後遺症が社会問題になり、訴訟も相次いだので、厚労省はこれがトラウマになっていると言われている。
意地の悪い見方だが、COVID-19が原因で1万人死んでも厚労省は攻められないが、AZD1222の副反応で1人でも死者がでたら大ごとになるので、厚労省は羮に懲りて膾を吹いているのではないかと勘ぐられているのだ。
AZD1222は約2千万人に対するワクチン接種のうち、79人で血栓症を発症し、さらにそのうち19人が死亡した。これは、100万人に1人が死亡したという頻度だが、検査目的の胃カメラによる死亡率は100万人あたり10人である。(福山博)
4月18日(日)、東京文化会館にて「点字楽譜利用連絡会設立15周年記念コンサート ―― ルイ・ブライユと点字楽譜に感謝して ――」が開催された。今回のコンサートは、点字楽譜の恩恵を受けて道を切り開いてきた視覚障害のある音楽家を中心に、この趣旨に賛同する演奏家の協力も得て、点字楽譜とその考案者であるルイ・ブライユ、そして楽譜点訳に携わる全ての人に感謝を捧げることを目的に開催された。
点字楽譜は、日本語などその他の点字と同じく六つの点で表される。音の高低や長短、速度記号はもちろん、様々な楽器に合わせた奏法なども表現することが可能だ。
パソコン点訳が普及する以前、点字楽譜はボランティアの人たちが1部ずつ紙に点を打って作っていた。繰り返し読まれるものであることを考慮し、すぐに点字が潰れることのないように厚手の紙を使用していたそうだ。1点の違いで意味が全く変わってきてしまう楽譜の点訳は、大変な作業だったことだろう。
パソコンを使って点訳することが可能になった現在も、紙に印刷された五線譜からの自動点訳は難しい。そのため、人の手で点字データを入力し、校正する作業が必要になる。楽譜点訳グループは、「アダージョ」や「アンダンテ」などゆっくりとしたペースを表す名前が多いという話が当日も出たのだが、確かに、地道な作業の積み重ねが不可欠だと感じた。
こうして多大な努力の末に作られた点字楽譜だが、個人の希望に沿って作られていたため、これまでは不特定多数の人が手に取ることは出来なかった。そこで、各地で製作された点字楽譜の目録を作り、可能なものはほかのユーザーと共有出来るようなシステムを立ち上げることを目標に、2005年「点字楽譜利用連絡会」が発足した。楽譜を整理してリストアップする作業は困難を極めたが、2013年にホームページ上で作成した目録を公開することが出来た。
しかし、点訳者の高齢化やスキルアップ支援、視覚障害者へ点字楽譜を習得する機会を提供することなど、点字楽譜をめぐる課題は今も数多い。それらに対応するため、会の活動の幅はこれからさらに広がっていきそうだ。
さて、ここからは当日のプログラムについて触れていきたい。
コンサートは、宮城道雄「春の海」から始まった。河相富陽氏の奏でる力強い箏の旋律に、和波たかよし氏の凛としたヴァイオリンの音色が重なってすっと背筋が伸びる思いであった。「春の海」は箏と尺八の二重奏曲として親しまれているが、この曲が広く一般に知られるようになったきっかけの一つに、昭和7年(1932)に来日したフランスのヴァイオリニスト、ルネ・シュメーの存在があることをご存じだろうか。「春の海」を聴いて感銘を受けた彼女は自らこの曲を編曲し、宮城と合奏して好評を博したのである。
続く2曲目は、吉沢検校「千鳥の曲」。こちらは富田清邦氏と澤村祐司氏による箏の合奏だった。千鳥が浜辺で戯れる様子や磯の松風、波の音などを描写しており、聴いていると心が和む曲だった。
19世紀中頃、光崎検校が江戸の初めに流行したような箏に重きを置いた合奏・独奏曲を生み出したことで、箏の歴史にも大きな変化が起こった。吉沢検校もその波に乗り、箏の合奏曲を多数作曲している。その一つである「千鳥の曲」は、箏に親しむ人の多くが耳にし、教えを受ける名曲になった。
邦楽の後は、長澤晴浩氏がリストのピアノ曲を2曲演奏した。丸い音の粒が転がり出すように始まったのは「エステ荘の噴水」だ。配布されたプログラムによると、リストはこの曲に「ヨハネ伝第4章14節“キリストの水は永遠に渇くことがない。その人の中で泉となって永遠の命に至る水が湧き出る”」と書き添えており、その通りの壮大な曲だと感じた。
その後に演奏された「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」は、「エステ荘の噴水」とは異なり重々しい雰囲気で始まった。外見上の貧しさを理由に船頭から乗船を拒まれた聖人が、イタリア本土とシチリア島の間の海峡をマントの上に乗って渡ったという伝説をベースにした曲で、「見よ! 奇跡が起きたぞ!」と言わんばかりの説得力のある演奏に圧倒された。
続いて、澤田理絵氏、上田喬子氏によるソプラノ曲が披露された。ピアノ伴奏は西本梨江氏だ。ヘンデル「夜明けに微笑むあの花を」から始まり、モーツァルト「私はあの黒髪の方にするわ」へと愛敬のある曲が続く。3曲目のフォーレ「この地上ではどんな魂も」は、ロマン派詩人・ユゴーの愛の詩に作曲したもので、情熱的な歌声が会場に響き渡った。プログラム前半の締めくくりは、多くの人に馴染みのある岡野貞一「故郷」だ。優しい雰囲気に編曲されたピアノ伴奏が、二人の声によく合っていた。
プログラムの後半は、2019年のセイジ・オザワ松本フェスティバルで絶賛を博したブラームスの「弦楽六重奏曲 第2番 ト長調 op.36」。演奏するのは、和波たかよし氏・さぶり恭子氏(ヴァイオリン)、柳瀬省太氏・篠ア友美氏(ヴィオラ)、古川展生氏・植木昭雄氏(チェロ)というサイトウ・キネン・オーケストラのメンバーである。
演奏前、和波氏がこの曲の全パート分の点字楽譜を披露すると、その分量の多さに会場から驚きの声が上がった。演奏中は当然ながら点字楽譜を読むことは出来ないが、直前まで細かい部分を確認することが出来るようにいつもリュックに楽譜を詰めて持ってくるという話だった。
この弦楽六重奏曲 第2番は、ブラームスがハンブルクからウィーンに移り住んだ直後の1864年から翌年にかけて作曲されたものだ。彼は、当時一般的だった弦楽四重奏の響きに飽き足らず、ヴィオラとチェロを1台ずつ増やした六重奏曲を2曲作曲している。
さざ波のように半音を上下するヴィオラに導かれて、ヴァイオリンの静かな主題で始まる第1楽章から、民謡風で哀愁漂う第2楽章へ。途中、唐突に踊るようなリズムに変わる個所が魅力的だった。その後、少し悲しげな第3楽章、そして段々と光に包まれていくような第4楽章へと続く。多彩な弦楽器の組み合わせが味わえる温かさに満ちた大作だった。(宮内亜依)
2012年から2019年の8年間、僕は12月中旬から大晦日にかけて、ネパールに出張した。同国は10、11月の2ヶ月間に丸々1ヶ月間祭りを行うので、直後の12月はこれといったイベントがないためスケジュール調整がしやすかったのだ。
このため一人暮らしなので、この間の年末の大掃除はおざなりであった。しかし、昨年末はコロナ禍によりネパールに行くことができなかった。そこで大張り切りでダイソン製掃除機の充電電池を交換して、久しぶりに本格的な大掃除を行った。
それ以来、癖のようになって頻繁に自宅でちょっとした掃除と洗濯を繰り返すようになった。コロナ禍で神経質になり、少し潔癖症になったのかも知れない。実際に僕は、中学2年生のときに異常なほど手を洗うことを繰り返し、あかぎれで手の甲から血がにじんだことがあった。典型的な強迫性障害である。ハンカチが毎日ビショビショになるので、異常に気づいた母親に見つかり、コールドクリームを手に塗られたことがあった。そのすぐ後の漢文の授業で、「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」と習ったように思うが、50数年後にまたしても過ぎたることをやってしまった。
今年の2月21日(日)、僕はなんと私物のオリンパス製ICレコーダーまで洗濯してしまったのである。それもお湯で念入りに。商売道具になんということをしたのかと思ったが、この日、出来上がった原稿を確認するために、ICレコーダーを自宅で聞き返していた。そしてその作業が終わったので、着ていたヨットパーカーのポケットにICレコーダーを入れたまま、洗濯槽に投げ入れたのである。達成感からすっかり忘れてしまっていたのだ。もっとも15年前に購入したICレコーダーなので寿命と考えてもいいのだが、愛着があったのでちょっと痛い失敗であった。
ところでこんなとき絶対やっていけないことは、すぐに動くかどうか確認することである。全自動洗濯機で完全に洗濯が終わった後なので、ICレコーダーの表面には水滴はなく乾いていた。だが、内部はもちろん濡れたままである。こんな状態で電源を入れたら、その途端にショートして故障する事は火を見るよりも明らかである。
そこで、僕はすぐに電池を取り出して、きっちり1ヶ月間陰干ししてから電源を入れて確認することにした。そこで3月22日と付箋に書き、ICレコーダーに貼り付けて放置した。
だが商売道具は必要なので、その間は編集部のSONY製ICレコーダーを使うことにした。やはり新しい分だけ再生スピードの細かい調整ができて、改めて使いやすいことを確認したが、使いやすいといってもその程度なのである。
3月22日(月)早朝、乾ききったと思われるICレコーダーに電池を入れて再生ボタンを押してみた。すると電話で原稿を送ってくれたニューヨークの加納洋氏の声が聞こえた。きれいに再生されており、故障していないことがはっきりして嬉しかった。
しかし念のために録音して音質の確認も行うことにした。そのためには、低音・中音・高音とさまざまな楽器の音色が一斉に鳴り響くクラシック音楽、なかでもモデスト・ムソルグスキー(1839〜1881)が作曲した「展覧会の絵」を、フランスのモーリス・ラヴェル(1875〜1937)が管弦楽へと編曲した曲が最適だと聞いたことがある。何しろトランペット・ソロで開始され、最後は銅鑼(タムタム)や大きな鐘まで鳴り響く賑やかさである。そこで録音して、やはり洗濯してしまったステレオイヤホンで聴くと、素晴らしい音色が響いて問題ないことがわかった。
こんなことを職場で自慢げに話していたら、20代のスタッフが「米びつに突っ込むと1週間で乾くそうですよ」と言った。
そこでさっそくこの説をネットで調べると「生米は乾燥剤の代わりになるので乾く」と「米粉で汚れるのでとんでもない」という賛否両論があった。そして生米よりもシリカゲルの方がいいという、もっともな説にも出会った。ドラッグストアで乾燥剤や除湿剤として販売されているものと、ぬれた電子機器を密閉パック(ジップロック)の中に入れておけば、数日で乾燥するのだというのだ。
なお、電子製品は高熱に弱いので、ヘアードライヤーや日向で乾かす方式は思わぬ高温になることがあるので推奨されていなかった。(福山博)
今号の「聖火ランナーの疑問と不安」と「不公平でとんまなワクチン配分」は同一人の寄稿です。しかし前者は「アキレス代表」の立場からハムレット的心境が吐露されました。一方後者は、元都立盲学校社会科教師の立場から怒りの寄稿です。そこでいわば別人格と考えて、まとめたり、「その1」「その2」とはしませんでした。
「巻頭コラム」に関連して、日本の年齢中央値は48.4歳、ネパールは24.1歳、つまり日本の国民の半数近くが50代以上で、ネパールは20代ということです。どちらがCOVID-19に罹患して死ぬ確率が高いかわかりますよね。日本は高齢者のワクチン接種を最優先すべきなのです。
「国家公務員点字受験者低迷に思う」の著者大内進先生は、元特総研教育支援部上席総括研究員兼部長で、手と目でみる教材ライブラリーの主宰者で、星美学園日伊総合研究所客員研究員です。
ドイツのワクチン接種順位は、
(1)高齢者施設や介護施設入所者と職員、80歳以上の人、COVID-19に曝されるリスクが高い医療従事者など。
(2)70歳以上の人、臓器移植を行った人など重篤な疾患のリスクが高い人。要介護者・妊婦等と濃厚に接触する人。
(3)60歳以上の人、家庭医や検査機関のスタッフ。警察・消防・教育・司法分野の職員。小売業の販売員、季節労働者・配送センターや食肉加工労働者。
英国、米国、フランスも基準に違いはあっても高齢者施設の入居者と職員が最優先であることは変わりません。クラスター発生の危険性が最も高く、感染した場合の重症化や死亡率が高いからです。一方、我が国は医療従事者が最優先で、その中には美容整形・歯科医・眼科医も入っています。このため5月に入ってもCOVID-19患者を担当する医療従事者さえワクチン接種が完了していないていたらくです。
今号の「自分が変わること」は著者の都合により休載します。(福山博)
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