THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2021年5月号

第52巻5号(通巻第612号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:奥村博史
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:記念誌『THKA70』点字版、テキスト版、PDF版発行のお知らせ 
3
(インタビュー)ラミチャネ博士の悲嘆と歓喜の声
  ― ハーバードで立ち往生して ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
読書人のおしゃべり 1.『ぶらっとヒマラヤ』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
27
読書人のおしゃべり 2.『世紀末ベルリン滞在記』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
30
しげじいNZに行く(9)電車に乗りラグビー場へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
34
西洋医学採用のあゆみ(2)南蛮医学からオランダ医学へ ・・・・・・・・・・・・・・
39
自分が変わること (143)「傷だらけの天使」が中学生に与えた影響 ・・・・・
44
リレーエッセイ:オンラインが作ってくれた新たな出会い  ・・・・・・・・・・・・・・・
49
アフターセブン(74)物書きの真似事 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
54
大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
  (225)照ノ富士、大関返り咲きの大復活 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
58
時代の風:尿中のタンパク質で筋萎縮性側索硬化症の進行を予測、
  運動は深い睡眠の質を向上させる、アミノ酸バランスの乱れた
  食事が脂肪肝を悪化させる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
62
伝言板:川島昭恵語りライブ、詠進歌来年のお題は「窓<まど>」、
  音訳ボランティア基礎講座、オンライン 盲導犬ユーザー受け入れ・
  接客セミナー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
66
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
70

巻頭コラム
記念誌『THKA70』点字版、テキスト版、PDF版発行のお知らせ

 東京ヘレン・ケラー協会の母体は、1940(昭和15)年10月3日に設立された(財)東京盲人会館です。同会館は1937(昭和12)年のヘレン・ケラー女史1回目の来日を記念して、中央盲人福祉協会が設立準備を進めていたところ、天皇陛下のお耳に入り、金1万円が御下賜されました。このため内務・文部両省、東京府・市をも巻き込んで同会館は急遽設立されたので、協会は2020(令和2)年で創基80周年となります。そして、毎日新聞社を中心に組織されたヘレン・ケラー・キャンペーン委員会と同会館が統合して、当協会の前身である(財)東日本ヘレン・ケラー財団が発足したのは1950(昭和25)年4月1日なので、協会は設立70周年を迎えました。
 これを記念して協会は、墨字冊子による『視覚障害者とともに 創基80周年/設立70周年 東京ヘレン・ケラー協会のあゆみ』(『THKA70』)を2020(令和2)年12月1日に発行し、関係施設・団体に配布しました。また、『THKA70』点字版、テキスト版、PDF版も製作し、協会のホームページから自由にダウンロードして読むことができるようにしました。さらにサピエ図書館からも点字版をダウンロードすることができます。
 サピエ図書館からは、20年前に協会が発行した『視覚障害者とともに50年』の点字版もダウンロードして読むことができますが、『THKA70』と比較すると同一でなければならない固有名詞等が、一部異なっています。例えば「米通信社UP極東支配人マイルズ・ヴオーン」の名は、「マイルス・ボーン」としました。国際報道に貢献したジャーナリストを表彰する「ボーン・上田記念国際記者賞」にその名を残しているので、現在の新聞で紹介される一般的な書き方にそろえたのです。このように異なっている場合は、『THKA70』を優先していただければ幸いです。(福山博)

読書人のおしゃべり

1.『ぶらっとヒマラヤ』

 『点字ジャーナル』にて「自分が変わること」を連載している毎日新聞藤原章生記者(59)の新著『ぶらっとヒマラヤ』毎日新聞出版刊、税別1300円が3月5日に発売された。 
 本書は毎日新聞医療プレミア、毎日新聞夕刊で人気の連載に一部加筆されたもので25章からなる。
 ヒマラヤとは、ご存じの通りインド亜大陸とチベット高原との境を東西に連なる世界最高の大山脈のことだ。全長は約2400kmで、パキスタン・インド・ネパール・ブータン・中国にまたがり、西はインダス川から東はブラマプトラ川に至る。世界には、エベレストをはじめ標高8000mを越す山が14座しかなく、藤原さんが今回挑んだのは、ヒマラヤにある世界第7位の高峰ダウラギリI峰(8167m)である。
 昭和36年(1961)福島県生まれ東京育ちの藤原さんは、北海道大学工学部を卒業後鉱山技師を経て、平成元年(1989)、27歳の時に毎日新聞記者に転じる。そして、長野支局を経て、南アフリカ、メキシコ、イタリアへ駐在した後、郡山へ異動となり、郡山勤労者山岳会に入会。そこで出会った同い年で登山スタイルや体力もほぼ同じの齋藤明さんから、「藤原さん、8000、行きませんか」と声がかかり、令和元年(2019)秋に2ヶ月間の休みをとりダウラギリに行く。
 戦場、人物ルポ、時代論を得意とする藤原さんだが、かつては山を仕事にし登山専門の記者にあこがれを持っていた。しかし、ある時を境に登山はあくまでも個人的な行為にとどめ、それを仕事で使おうとは思わなくなった。今回も同様で、ダウラギリに行く前や登山中は本にするどころか短い登山記すら書くつもりはなかったため、日記やメモもほとんどとらず、ひたすら高みを目指したという。それにもかかわらず本書ができた理由について藤原さんは、ただの道楽でもひけらかしでもなく、ダウラギリはそれほど大きな体験であり、ダウラギリには書かざるを得ない何かがあったからだと述べている。
 「雪崩のロシアンルーレット」や「7000mでのよだれ」の章などからは、ダウラギリの壮大さや過酷さがひしひしと伝わってくる。
 しかし、本書の一番の魅力はそこではなく藤原さんの考え方や生き方そのものだ。「はじめに」で書かれているとおり、この本はヒマラヤを舞台に一人の人間の心の移ろいをつづったものであり、藤原さんが考えた老い、恐怖、死、そして生についての記録だ。単なる登山記ではないので、登山とは縁遠い私でも共感できる部分が多くあった。また一方で、よくある生き方本のように、このようにした方が良い、これはやらない方が良いなどと書かれているのではなく、あくまで山を通じて藤原さん自身が考えたことが書かれているので、堅苦しくなくストレートに心に響いた。
 好奇心と行動力にあふれもうすぐ還暦とはとても信じられない藤原さんだが、最近は特に中国に興味があり、中国語の勉強もしているとのことだ。中国の8000m峰への挑戦もきっと実現させるだろう。少し気が早すぎるかもしれないが、ぶらっとシリーズ第2弾の発売が楽しみだ。(佐藤晃大)

2.『世紀末ベルリン滞在記』

 グイグイ引き込まれ一気に真夜中に読み終えて、早朝目覚めたらなにやら充実した白黒映画の夢を見た気がした。しかも、それは独立した複数のエピソードで構成されたアンソロジー(オムニバス)映画風だった。
 読んだ本の中に、廃線になった貨物駅を「ここは映画『ベルリン・天使の詩』のワンシーンで天使がおりた場所だ」と、言及した箇所があり、それにひどく影響されたようだ。
 1987年に公開されたフランス、西ドイツ合作のとても哲学的で難解なその映画は、1988年に日本で公開されると社会現象になった。
 さえない中年男性の姿をした守護天使ダミエルが地上におりた場所は、他に空襲で破壊されたままの鐘楼が残され戦争を警告しているカイザー・ヴィルヘルム記念教会、戦勝記念塔、ポツダム広場、ナチスがなんと地上に構築した特殊防空壕、ベルリン国立図書館、中央駅など、ベルリン出身のヴィム・ヴェンダース監督なじみの彼が好きな場所ばかりである。
 加藤淳著、彩流社刊『世紀末ベルリン滞在記 ―― 移民/労働/難民』(税別2,200円)の舞台も、1997年から2000年までのベルリンの荒廃した地域だ。登場人物は章ごとに異なっており、闇たばこビジネスに手を染めるベトナム系移民、インドネシア人のストリートミュージシャン、独り言をいうドイツ連邦軍兵士、ポツダム広場の日本人料理人、アルジェリア系移民、トルコ人経営者、アラブ系の不良少年などだ。それを30年後に作者が狂言回しを行いながら、くっきりとした世紀末当時のベルリンに読者を誘うのだが、それが私にアンソロジー映画と錯覚させる風景の中にあった。
 登場人物の中には、その後EUで成功してインドネシアを代表する歌手になったサンディ・ソンドロ(Sandhy Sondoro)や、イタリア・ミラノに移住して、日本料理店のオーナーシェフになった勝ち組もいるが、多くの登場人物のその後はようとして知れない。
 1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊して、東ドイツの人々が喜びに酔いしれたのもつかの間、1万3000にのぼる旧東ドイツの国有企業は統廃合を余儀なくされ、大量の失業者を生んだ。民営化された旧東ドイツの会社には、資本主義社会で勝ち残った西ドイツのビジネスマンが乗り込んできた。「自己主張と自発的行動が東の人は苦手」で、堂々と自分を売り込む西ドイツ人と対比されると、東ドイツ人のつつましい態度は、いささか卑屈な印象を与えてしまっていた。そのフラストレーションの解消として、旧東ドイツではネオナチによる暴力を伴う激しい移民排斥運動が行われた。
 筆者は、ベルリンの壁が崩壊して30年目の2019年11月に、「ベルリンはいい町です。今では世紀末のような貧しさも泥臭さも目立たなくなり、誰もが居心地のいい、おしゃれな町に変わりつつあります」と述べる。そして、30年前のドイツ社会を描いた意味を「日本のこれからを決めることのひとつに、外国人とどうつきあうかという問題があるとおもうんです」「2018年6月の段階で在留外国人数は過去最高の246万人を突破し、外国人労働者は146万人超を数えます。今後この流れはますます加速し、単純計算でも10年後には300万、さらには400万人の外国人が日本で暮らしながら働き、ともに暮らしていくことになります」「ドイツでは60年前に同じ経験をしています」「経済成長と労働力を至上命令とする日本の進む道をみていると、ドイツがいつか来た道をたどりなおしているように見えます。日本国内での格差社会は新たな身分社会の固定化に向かっています」「きたるべき混乱の時代に、ナショナリズム以外の答えはないのか。日本人と、日本にやってくる外国人労働者がそこから解放される手立てはないのか。それが本書の問いの一つです」と述べている。
 コロナ禍で解雇されたり、逆に渡航制限で働き手が確保できなかったり、外国人労働者と移民問題は喫緊の課題であるにも関わらず先送りされている。きれい事ではないガストアルバイター(ゲスト労働者)問題を考える格好のテキストとして、私は本書を読んだ。(福山博)

編集ログ

 「巻頭コラム」にある1万円は、1937(昭和12)年に御下賜されたと協会の記録に残っています。当時の週刊誌は15銭でしたが現在は450円なので、当時の1万円は現在の3,000万円に相当するようです。
 カマル・ラミチャネ氏が、筑波大学修士課程に入学する前の1年間が、私と彼がさかんに接触した時期でした。そんな頃、彼が何の脈絡もなくポロポロ大粒の涙を流すことがありました。その量が尋常ではないので心配すると、「大丈夫、何でもありません」というだけでした。また、入学書類等を相談しながら記載していたとき、彼が眉間を抑えて厳しい顔をすることがありました。そのときも「何でもありません。大丈夫です」というだけでした。そして、その謎が今回のインタビューで、16年ぶりに明らかになり驚きました。彼の我慢ぶりはまるで「おしん」のようです。
 4月4日、脚本家の橋田壽賀子さんが95歳で逝去されました。同氏原作の連続テレビ小説「おしん」は、1983〜1984年にNHK総合で放送され最高視聴率62.9%を記録しました。
 1992年の10月、協会からネパールに4人出張し、カトマンズの路地裏を歩いていると悪ガキたちが我々をしつこくはやし立てますが、何と言っているのかわかりません。近づくにつれハッキリしました。彼らは我々を日本人だとみて、「おしん、おしん、おしん……」と飽きもせず連呼していたのでした。
 1992年にネパール国営テレビで放映されたネパール語に吹き替えられた「おしん」は、その時代背景がネパールにぴったりだったのでしょう、最高視聴率はなんと80.9%を記録し、ネパールで大ブームを巻き起こしました。
 「読書人のおしゃべり」の『世紀末ベルリン滞在記』に「『自己主張と自発的行動が東の人は苦手』で、堂々と自分を売り込む西ドイツ人と対比されると、東ドイツ人のつつましい態度は、いささか卑屈な印象を与えてしまっていた」という一文を読み、「東ドイツ人は日本人みたいだな」と、とても親しみを感じました。
 そこで著者の加藤淳氏が自著の中で推薦する、フランク・リースナー著、生田幸子<イクタ・サチコ>訳、東洋書店刊、『私は東ドイツに生まれた ―― 壁の向こうの日常生活』も読んでみました。
 現在日本在住で、千葉大学等でドイツ語を教えている著者は、東西ドイツ統一のとき24歳でした。東ドイツでの24年間は、慢性的な物不足や不便なこと、変なしくみもありました。しかし東ドイツの体制に対する批判めいた言葉を公の場で漏らしてシュタージ(秘密警察)に目をつけられない限り、安定した生活が送れる社会でもあり、少なくとも著者たちは幸せに暮らしていたようです。特に東ドイツでは労働力不足を補うため女性もほとんどフルタイム勤務で、子育て支援・託児所も充実しており、待機児童ゼロは当たり前で、とても幸福な日々を送っていたと著者は述懐します。
 2001年に小泉内閣により掲げられた「待機児童ゼロ作戦」は、20年たっても実現していません。全国民に10万円を配る無駄金はあるのに、不思議なことです。(福山博)

投稿をお待ちしています

 日頃お感じになっていること、記事に関するご意見などを点字800字以内にまとめ、本誌編集部(tj@thka.jp)宛お送りください。

Copyright 2004 Tokyo Helen Keller Association. All Rights Reserved.

THKA