THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2021年4月号

第52巻4号(通巻第611号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:奥村博史
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:10万円のうち使われたのは1万円 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
「ヘレンケラー・サリバン賞」候補者推薦のお願い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
(新連載)西洋医学採用のあゆみ(1)中国医学の伝来と東洋医学の発展
6
(特別寄稿)心を健康にコロナに打ち勝つ
  ― 僕らのコロナウイルス・ラプソディ(狂詩曲) ・・・・・・・・・・・・・・・・・
11
(寄稿)オリンピックの温故知新 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
29
(寄稿)緊急事態宣言下の上野に響く絃楽四重奏
  ― 日点チャリティーコンサートより ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
33
カフェパウゼ ミャンマーにおける日本軍の負の遺産 ・・・・・・・・・・・・・・・・
37
しげじいNZに行く(8)オークランド市内観光 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
40
自分が変わること (142)「良く老いる」「悪く老いる」とは ・・・・・・・・・・・・・
45
リレーエッセイ:テレワークとその中で考えたこと  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
50
アフターセブン(73)競技かるたの札作り ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
  (224)優勝なしで優勝額を贈られた力士 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
59
時代の風:膵癌の隠れ転移を発見、数分間の時間認知を担う
  脳の神経活動を発見、ほか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63
伝言板:劇団民藝公演、川島昭恵語りライブ、
  チャレンジ賞・サフラン賞募集 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
10万円のうち使われたのは1万円

 昨年の4月20日、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急経済対策と2020年度補正予算案が、異例の修正を経て再度閣議決定された。迷走した個人向け現金給付は最終的に、「多くの世帯が収入減に苦しんでいるのだから生活困窮世帯への限定給付ではなく、全国民一律10万円給付」に落ち着いた。自民党の二階俊博幹事長と公明党のコラボによるポピュリズムの手本のような愚策だった。
 当初案の収入減世帯への30万円給付の方が筋が通っており、大きな禍根を残したといわざるを得ない。しかも、新型コロナウイルス感染拡大で経済的影響を受けていない人は、得体の知れない疫病にぼんやりと先行きの不安を感じていた。そこで消費行動が起こるはずもなく、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急経済対策の効果などは微々たるものだと想定された。そして案の定、野村証券によると昨年末までに10万円の一律給付が実際に使われたのは、1万円程度にとどまるという試算がまとめられた。
 今頃この問題を持ち出すのは、次のような報道がなされたからだ。
 自民党の中堅・若手国会議員ら73名が、経済的に厳しい人への10万円の特別定額給付金の再支給など追加の経済対策を行うよう2月9日、下村博文(しもむら・はくぶん)政調会長に緊急提言した。そして2月28日、政府・与党は令和3年度予算案の成立後、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い収入が落ち込んだ困窮世帯の特別定額給付金の再支給を3月下旬の予算案成立前から検討し、新年度早々にも取りまとめたい方針だという。
 コロナ禍であえぐ個人・施設・企業すべてを対象に、経済対策を行うのは当然である。だが、ばらまき政策の愚は勘弁して欲しいものだ。限られた財源をばらまいたら、救われるはずの困窮者が、見殺しにされ窮地に陥るのは火を見るより明らかだからだ。
 きたるべき「コロナ増税」を見据え、選良はこの1年間でそれを学んだだろうか。(福山博)

(特別寄稿)
オリンピックの温故知新

東京都/山口和彦

 一年延期されたオリンピック・パラリンピックがコロナ禍でどうなるのか心配しながら、新設された国立競技場の周囲を散策した。その後、隣接する日本オリンピックミュージアムを訪れた。敷地内には近代オリンピックの父ピエール・ド・クーベルタン男爵と講道館柔道を創始し、1909年に国際オリンピック委員会(IOC)委員に日本人として初めて就任した嘉納治五郎<カノウ・ジゴロウ>の立像があった。また、クーベルタンが考案した大きな五輪マークのオブジェも飾られていた。
 1階の「ウェルカム・エリア」にはワークショップや企画展を行う広いスペースがあったが、コロナ禍でイベントは全て休止されていた。ウェルカムボードの壁面には、小中学生がワークショップで作ったオブジェが飾られ、過去の大会で使われた高さがまちまちな聖火リレートーチがずらりと並んでいた。
 IOCの設立や第1回大会を1896年にギリシャで開催すること、その後の大会は4年ごとに世界各国の都市で持ち回りで開催することが決まったのは、1894年6月23日、パリでスポーツ競技者連合の会議でのことだった。
 当時嘉納は、東京高等師範学校(筑波大学の前身)の校長も務めており、海外からの留学生の受け入れにも熱心で、1909年までに留学生の数は約7000人にも上った。彼は誰もができる運動として年齢、性別、国籍など関係なく、徒歩、長距離走、水泳、柔道を挙げていた。そして1940年の東京オリンピックの招致にも成功したが、戦争のため残念ながら中止となった。
 紅い稲妻といわれた身長 170cmの人見絹枝<ヒトミ・キヌエ>は、1928年、アムステルダム五輪女子陸上800m銀メダリストだが、1931年8月2日24歳という若さで亡くなった。同大会には同じ陸上の織田幹雄<オダ・ミキオ>、南部忠平<ナンブ・チュウヘイ>、競泳の鶴田義行<ツルタ・ヨシユキ>、高石勝男<タカイシ・カツオ>らとともに選手43名が参加したが、そのなかで女子は彼女だけだった。
 ベルリン五輪では、日本人のアスリートが大活躍した。男子棒高跳びで西田修平<ニシダ・シュウヘイ>が2位、大江季雄<オオエ・スエオ>が3位になり表彰式で国旗掲揚台に2つの日の丸が上がった。その後、日本人選手がお互いのメダルを分け合った「友情のメダル」の話は教科書で読んだが、その実際のメダルも展示されていた。
 日本女子初のメダリスト人見絹枝に触発されたのが1936年ベルリン五輪の競泳女子200m平泳ぎで優勝した前畑秀子<マエハタ・ヒデコ>だった。NHKラジオアナウンサーの「前畑頑張れ!」の実況放送はあまりにも有名だが、彼女は負けたら生きて帰れないとの覚悟を決めて挑んでいた。世界が戦争に向かっていた1936年、国威発揚の期待は4年前のロサンゼルス五輪のときより、はるかに高まっていた。それだけ前畑に対するプレッシャーは強く、金メダルでなくては許されないと思い詰めた。
 現代の感覚では、日本初の女性オリンピアンである人見は、出場するだけで十分で、ましてメダル獲得は奇跡に近い。2人の凄さは、押しつぶされそうなプレッシャーを跳ね返し見事な結果を残したことだ。そして人見の魂は、依田郁子<ヨダ・イクコ>、有森裕子<アリモリ・ユウコ>に、前畑の心は田中聡子<タナカ・サトコ>、青木まゆみたちに継承されていった。彼女たちが流した汗と涙は高橋尚子<タカハシ・ナオコ>や野口みずき、岩崎恭子<イワサキ・キョウコ>の笑顔となって結実した。
 今年は、パラリンピックも開催される予定だ。女子マラソン(視覚障害) で世界最高記録を出したリオパラリンピックの銀メダリスト、道下美里<ミチシタ・ミサト>は「市民ランナーの皆さんに支えられ、走る喜びや楽しさを共有できる瞬間が嬉しい」という。身長144cmの小柄な道下だが、是非マラソンを楽しんでもらいたいものである。
 「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」という、クーベルタンが提唱したオリンピズムは、各国が覇権を争う帝国主義の時代にあって画期的なものだった。時が経ち、米国、中国をはじめ、現在のような社会が分断されているいまこそ、このオリンピズムが再認識される必要があるのではなかろうか。

カフェパウゼ
ミャンマーにおける日本軍の負の遺産

 ミャンマーの首都ネピドーでは、昨年11月8日の総選挙で当選した議員がはじめて招集され、2月1日午前10時から国会に相当する連邦議会がはじまるはずだった。ところが同日未明、国軍によって国家顧問のアウンサン・スーチー女史(75歳)など与党幹部が拘束され、立法、行政、司法の全権を国軍のミン・アウン・フライン総司令官が掌握した。
 この報に接し、「スーチーは少数民族の人権保護に消極的だったから支持できない」と述べる奇妙な人権派に出会った。それでは彼はクーデターを起こしたミャンマー国軍を支持するのかというと、むろんそうではない。しかし、窮地に陥っているスーチー女史を支持しないということは、結果的に国軍側に立つことになるのではないか。
 スーチー女史はロヒンギャ問題に絡んで、第2の母国である英国のロンドン、オックスフォード、グラスゴー、ニューカッスル、エディンバラ等で名誉市民権を剥奪され、授与されたノーベル平和賞を取り消すよう求める請願運動がネット上で行われて、すでに36万を超える署名が寄せられた。しかし、ジェノサイド(集団虐殺)とか、民族浄化ともいうべきロヒンギャへの軍事掃討作戦に対する非難は、国軍を掌握していないスーチー女史に述べても無意味なばかりか逆効果だ。ミャンマーの憲法では、「国会議員の定数の25%は国軍最高司令官の指名による」と明記されており、3人いる副大統領のうち1人は軍人枠だ。その軍国主義を理解せず、スーチー女史を文民統制のとれた民主主義国のリーダーでもあるかのように批判するのは当を得ていない。
 隣国バングラディッシュに約80万人が逃れたロヒンギャへの弾圧は、徹頭徹尾国軍の責任であり、スーチー女史を槍玉に挙げて喜ぶのは盾にできる国軍だけである。
 2007年9月27日、ミャンマー最大の都市ヤンゴンで軍事政権に対する僧侶・市民の反政府デモを取材していた映像ジャーナリストの長井健司氏が、国軍兵士に至近距離から銃撃され死亡した。このとき射殺したとされる兵士は軍服姿ながら、ビーチサンダルを履いていた。
 まっとうな兵士であれば、無防備の一般市民を銃撃することにためらいと葛藤があるはずだ。そこで2007年当時、ミャンマー最大の観光地シュエダゴンパゴダの西側に隣接する広大な人民公園に、国軍は軍用トラックで次々とチンピラを連れてきた。そして軍用トラックで出ていくのは完全軍装の血走った目をしたチンピラだった。長井氏が殺された当時、私は同公園の道路をはさんだ向かいにあるパーク・ビュー・ホテルからその一部始終を見ていた。
 1936年に起きた2.26事件を契機として日本の政治は9年間軍部に抑えられたが、さらにあからさまな軍国主義がミャンマーで行われている。「国軍の歌」のメロディーが軍艦マーチであることからもわかるように、ミャンマー国軍は大日本帝国が生み育てた。その負の遺産ともいうべき軍国主義がミャンマーの市民を虐殺している。
 中立というのは国軍側ということだ。日本人もどちらを支持するか旗幟を鮮明にすべきときである。(福山博)

編集ログ

 「自分が変わること」でおなじみの藤原章生さん(59歳)の新著『ぶらっとヒマラヤ』が、毎日新聞出版から税別1300円で3月5日に発売されました。
 藤原さんは2019年の秋に2ヶ月間の長期休暇をとり、ネパール・ヒマラヤのダウラギリT峰(8,167m)に登山にいかれました。その経緯は小誌2019年11・12月号の「自分が変わること」でも簡単に紹介されています。
 この登山に至るまでと8,000mの高所で老い・恐怖、死、そして生について考えたことを、『毎日新聞』夕刊に「特集ワイド 藤原章生のぶらっとヒマラヤ」として、2020年10月13日から原則毎月第1週を除く火曜日に掲載されており、現在もその連載のただなかにあります。が、それに加筆して単行本としてまとめられたのが本書です。
 高いところに登ると、人はどう変わるのだろうか。かつての修験者のように、悟りを開くことができるのか。それとも低酸素が脳を侵していくのか……。ネパールのダウラギリT峰を舞台に、山に登る意味、そして人間について考えます。
 ローマ在住の歴史作家で随筆家の塩野七生さん(83歳)は、「私の友人の中でも最高にオカシナ男が書いた、フフッとは笑えても実生活にはまったく役に立たない一冊です。それでもよいと思われたら、手に取ってみてください」と、くせの強い変化球で推薦されています。
 一方、塩野さんが緊急事態宣言中に書いて本年1月に完結した『小説 イタリア・ルネサンス』(全4巻)は、「イタリアへの旅が不可能な状況下でルネサンス時代のイタリアを旅することができます。そして日本で静かにしていなければならない間に全4巻を読むと、各巻にあげたカラーページの数多くの芸術作品が、書物を読みながら旅するあなたの道案内になってくれ、愉しい上に役にも立つ」と自薦しています。
 たしかに文庫本なのにカラー写真を多用した豪華本で、しかも面白いのはたしかです。しかし、私はこれから実生活には役に立たない本を読みフフッと笑おうと思います。(福山博)

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