12月25日午後7時から東京文化会館小ホールで「和波孝禧クリスマス・バッハシリーズ第28回 無伴奏ヴァイオリンでたどるバロックから近代まで」と銘打ったコンサートが開催された。演奏曲目は、ハインリヒ・ビーバー「パッサカリア ト短調」(ロザリオのソナタより)、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ「無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番 ト短調」、ウジェーヌ・イザイ「無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番 ト短調」、ゲオルク・フィリップ・テレマン「ファンタジア第7番変ホ長調」、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ「無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番 ハ短調」。
上記作曲家のうちイザイは19世紀後半から20世紀初頭の音楽家だが、他の3人はバロック音楽の時代の音楽家である。
私のような音楽ファンではない者にとっては無伴奏ヴァイオリンの演奏はハードルが高い。イザイもバロック音楽にしか聞こえないのだ。それでも、ある程度聞き慣れると、難解としか感じられなかった音の風景が劇的に変わる。
私は職場でたったひとりで仕事をするとき、大バッハの「無伴奏ヴァイオリンソナタ」等をBGMにすることがあるが、意外に集中でき仕事がはかどる。
読書の際のBGMとしてもいいかも知れない。特に2016年度第18回大藪春彦賞を受賞した須賀しのぶ著『革命前夜』などを読むときはぴったりだろう。
バブル期の日本を離れ、大バッハへの深い思い入れから東ドイツに音楽留学したピアニストの眞山柊史<マヤマ・シュウジ>は、昭和天皇崩御のその日に東ベルリンに着く。ドレスデンの音楽大学で、個性溢れる才能たちの中、自分の音を求めてあがく眞山は、ある日、教会で啓示のようなバッハに出会う。演奏者は美貌のオルガン奏者だが、彼女は国家保安省(シュタージ)の監視対象だった…。
ベルリンの壁崩壊直前の冷戦下のドイツを舞台に、青年音楽家の成長を描く、バッハへの蘊蓄に溢れた歴史エンターテイメント。
本書は、サピエ図書館で点字あるいは音声デイジーでダウンロードして読むことができる。(福山博)
一般社団法人ピアプレース就労継続支援B型事業所「わーくぴあ」施設長である神ア好喜<カンザキ・ヨシキ>先生が、去る令和3年1月3日に脳腫瘍でご逝去されました。享年70歳でした。
先生は神奈川県の出身で、東京教育大学(現・筑波大学)附属盲学校理療科から教員養成施設を経て、横浜市立盲特別支援学校に教員として奉職され、主幹教諭を務め、退職されました。在職中には理療科教員連盟の会長にも就任しておられます。
また、生涯ヘルスキーパーの雇用拡大に力を尽くしてくださいました。そのご活躍によって現在では「ヘルスキーパー」という言葉は、業界に留まらず、公共職業安定所でもそのまま通用するようになり、一般企業等における視覚障害者の重要な就労先として確立されました。
視覚障害者の職域の開拓をふり返れば、昭和26年に定められた産業教育振興法の下、多額の国費を投じ、複数の盲学校が医科大学等の協力を仰ぎながら産業マッサージの研究がなされましたが、その構想と努力は残念ながら大きな実を付けることはありませんでした。
平成3年、労働省と日本障害者雇用促進協会は産業マッサージをヘルスキーパー(企業内理療師)とリブランドして、雇用マニュアルを発行しました。先生はこの機を逃さず職能団体として日本視覚障害ヘルスキーパー協会の設立を押し進めました。
以前から教え子のヘルスキーパーから「一人職場であり閉塞感に包まれ卒後教育もなく、職務遂行に行き詰まりを感じている」という悲痛な訴えを聞いていたそうです。先生はローカルの団体ですが「神奈川県視覚障害者の雇用を進める会」の会長をされておられました。そして、その設立15周年記念事業としてヘルスキーパー協会の設立を全面的に支援することを決意されました。早速、平成4年、点々と生まれつつあったヘルスキーパーから先生の強力なネットワークを活かして、横浜市盲、附属盲、文京盲、大阪府盲、大阪市盲、国リハ、神戸視力を卒業したヘルスキーパーからそれぞれ委員を募り、設立準備委員会を立ち上げました。
そして同年9月には横浜市で設立総会を開くに至りました。これによって、ヘルスキーパー間の全国的なネットワークが生まれ、定期的な研修活動が出来るようになったのです。小生は、すぐに協会設立を故芹沢勝助先生にご報告させて頂く大役をおおせつかりました。芹沢先生から「私たちの願いだったんだ。頑張りなさい」と激励を受けたことを、今でも覚えています。芹沢先生が基礎を築いた産業マッサージを、門下である神ア先生がヘルスキーパーと呼称こそ違えども結実させたのです。さらに、国際アビリンピック等を通じて海外にも発信しました。
平成8年には、早くもパールライフ社から『ヘルスキーパー・ハンドブック』を出版されています。編集委員会を組織し、ヘルスキーパーの雇用に関わることから実技までを解説したものでした。加えて、先生は神奈川障害者職業能力開発校でヘルスキーパー講習会が毎年夏に開講されることにも力を注がれました。これは、施療実技、OA、ビジネスマナーに渡るもので、ヘルスキーパーを目指す学生や若手のあはき師の道標となるものです。先生は協会設立5周年の際に会報誌に寄稿され、その時既にヘルスキーパー施術の効果を示す研究、認定ヘルスキーパー制度、協会の法人化について必要性を説いておられます。その後、今日に至っても産業衛生学会や全日本鍼灸学会での研究発表はあるものの、道半ばですし、認定や法人化は出来ておりません。大きな宿題だと受け止めております。
神ア先生が身をもって諭してくださった、先人から受け継いだものを大切にして次の世代に渡すこと、機を逸することなく実行することそして利他の精神を胸に深く刻み、早すぎるご逝去にお悔やみを申し上げます。そして、心より感謝を込めて、ありがとうございました。
日本点字図書館図書製作部長の和田勉さんが、1月2日午後、自宅で倒れ救急搬送されました。そして意識が戻らぬまま1月5日、くも膜下出血で永眠されました。享年56。日本点字委員会事務局長他、選挙プロジェクト等でも中心的な役割を担っておられましたのでとても残念です。
和田さんのご冥福をお祈りいたします。
東京都と埼玉・千葉・神奈川県に緊急事態宣言が発令され、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する警戒が一段と高まりました。私たちも医療崩壊しないように夜間外出の自粛等できる範囲で協力したいと思います。
昨年のCOVID-19による死者は約3500人でしたが、交通事故や他の感染症による死者が減ったため、死亡総計は一昨年と比べて増えてはいません。しかし昨年はCOVID-19への恐怖から医療機関で処方を受けた患者数(処方患者数)や、がん検診の受診者が大きく減ったので、今年は進行ガンが増えるのではないかと危惧されています。
2019年の死因順位と死者数は、1位悪性新生物(がん)38万9000人、2位心疾患20万7000人、3位老衰12万1000人、4位脳血管疾患10万6000人、5位肺炎9万5000人でした。いずれもCOVID-19と比べて27倍〜110倍と桁違いに死者が多いので、体調が悪いのをがまんするとか、がん検診をパスするというのは主客転倒もはなはだしいというべきでしょう。
「ステイホーム」が耳にたこができるほど叫ばれたので、自粛生活が長期化している高齢者の方も多いのではないでしょうか。それに伴う健康二次被害によるロコモティブシンドローム(運動器症候群)やサルコペニア(加齢による筋力低下)などのフレイル(虚弱)といわれる、健常から要介護へ移行する中間の段階の増加が懸念されています。筋力の低下を防ぐために筋トレや体操、人混みを避けてのウォーキングを自覚的に行う必要があるように思います。(福山博)
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