「来週の月曜日(5月25日)から緊急事態宣言が全面解除になる」という報に接して気が緩んだ訳ではないが、22日(金)の夜、自宅玄関で転倒した。
翌朝、37.6℃の熱が出て、右脇腹に激痛が走ったので、自宅のある杉並区の中核病院に行った。CTスキャンによると肋骨の4〜12番にヒビが入っているとのことだった。ヒビも医学的には骨折ということと、肋骨はギプスなどで強固に固定することができないので、受傷後しばらくは起き上がる時や咳をすると激痛が走ることを思い知らされた。
落語の「風が吹けば桶屋が儲かる」は、風が吹くと砂埃がたち、それが目に入って盲人が増える。盲人は三味線を弾くが、三味線は猫の皮でできているので、猫が捕られてネズミが増える。増えたネズミが桶をかじるので桶屋が儲かるという、一見すると全く関係がないと思われるものもなにかしらの因果関係で結ばれていることのたとえである。これには俗説があり、風が吹くと疫病の細菌やウイルスが伝播して人々に感染して遺体が増える。すると棺桶が必要となり、桶屋が儲かるというものだ。ブラックではあるが、こちらの方がリアリティがあるように思われる。
その伝でいうと、私の場合は新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、3月1日から新宿スポーツセンターが休館となった。月曜を除き、私はここで毎日1km泳いでいたので、これを止めるとみるみる体重が増え取り返しのつかない体型になった。ここ10年間の健康診断結果によると私の体重は70kgプラスマイナス1kgだが、骨折時には80kgもあった。かくして自分の体重を支えきれず骨折に至ったのだが、同じことは過去にもあった。
2003年5月からの健康増進法施行に備え、受動喫煙防止のため3月に禁煙するとブクブク太りだし、それから5カ月目に、職場で階段を踏み外して鎖骨を骨折して、救急車を呼んで入院したのだ。このときの体重も80kgであった。(福山博)
「差別語などというものは本来なく、差別をする意識だけがあるだけだ」と私は、常々主張してきた。差別語など使わずとも、いくらでも差別はできるからだ。例えば、「目の不自由な方」は、もちろん差別語ではない。しかし、この「丁寧な名詞」を使っていくらでも差別はできるし、差別とまではいかなくても「目の不自由な方」といいながら、慇懃無礼な上から目線の物言いを見かけることも少なくない。「目の不自由な方」とさえ言えば、後は合理的配慮など必要ないとでも言わんばかりである。とはいえ、私はもちろん「差別語」をどんどん使えと勧めているわけではない。言葉狩りでなく、「差別をする意識」に注目し、批判すべきだといっているのである。
標記のようなタイトルで一文をここに認めようと思ったのは、3月10日付『ニューヨークタイムズ』(NYT)電子版に、同紙ホワイトハウス特派員ケイティ・ロジャースの署名原稿、「なぜアメリカの政治家は、まだ『武漢ウイルス』という用語を使っているのか?」が掲載されていたからである。
世界保健機関(WHO)はCOVID-19と命名したが、マイク・ポンぺオ国務長官や保守派の政治家、それに当局の一部は、まだ「武漢ウイルス」を使っている。この名称は、外国人恐怖症や人種差別を助長するので使うべきではないという趣旨だ。今でも「武漢ウイルス」を使っている保守系全国紙『ウォール・ストリート・ジャーナル』への当てこすりのようでもあり、なにやら中国政府の主張をより洗練されたタッチでなぞっているようにも思えた。
というのは、この記事の英語版の本文の前には中国語版へのリンクが張ってあり、中国語で読み進むと「ニュースレター」を購読するように案内される仕組みになっているのだ。そこには発行部数103万部、米国地方紙の雄NYTのしたたかな営業戦略が垣間見えた。
一方、米国で最大部数(227.8万部)を誇る全国紙『USAトゥデイ』は翌日の3月11日付で「新型コロナウイルスを『武漢ウイルス』と呼ぶのは人種差別ではない」のタイトルで、社説面の副編集長であるデビッド・マスティオが、次のように書いていた。「警察による黒人男性の殺害からトランプ大統領による移民の虐待まで、深刻な人種差別の時代に我々は生きている。病名などのマイナーな問題に人種差別の告発を投げかけることは馬鹿げている」と、まさに一刀両断だ。
ポンぺオ国務長官は政治的意図を持って「武漢ウイルス」を使っていると私も思うが、それに対して問うべきはその政治的意図であって、言葉狩りではない。
WHOがCOVID-19と命名したのは2月11日だが、それまでは、例えば1月9日付『朝日新聞』(夕刊)は「武漢肺炎、新型コロナウイルス検出」というふうに小見出しで使っていたし、中国国営通信社の新華社も1月22日付『新華網ニュース』で本文のタイトルに「武漢ウイルス」を使っていた。この他、アジアでは香港、シンガポール、タイ、韓国、台湾でも「武漢ウイルス」もしくは「武漢肺炎」を使っており、しかもどの紙面もアジア人への憎悪を煽ろうなどとしていないことは明白である。
中国の武漢で2019年11月に新型コロナウイルスが発生したことを中国政府がWHOに報告したのは同年12月31日である。中国も遅かったが、WHOの初動も遅れた。このため1ヶ月以上にわたって世界中のメディアは、COVID-19を好き勝手に呼んでいたのである。しかもCOVID-19はコロナウイルス疾患の英語表記の頭文字に2019年の19を加えたものなので、これだけでは何のことか分からない。
何かともたつくことの多い日本政府の対応だが、WHOに先んじて1月28日には、「新型コロナウイルス感染症を指定感染症として定める等の政令」を公布したため、わが国では「新型コロナウイルス感染症」の呼称が確定しており、メディアもおおむねこの呼称を使う。
もっとも日本でもある種の政治的意図を持って、例えば『産経新聞』等で「武漢肺炎」を最近になって多用する文化人がいる。それこそ被害者面できる中国共産党の思う壺である。溜飲を下げることだけに熱中していると、そんなことにも気づかないのだろうか。(福山博)
本年11月14日(土)に予定されていた当協会主催の第70回ヘレン・ケラー記念音楽コンクールは、新型コロナウイルス感染の終息が見通せないため、参加者の安全を第一に考えて、中止する決断に至ったことを、ここにお知らせいたします。
当コンクールでの演奏を目標に、日々練習を重ねてこられた児童・生徒・学生の皆さんと指導に当たられてきた先生方やご家族にとっては大変残念な思いをされることと拝察しますが、主催者としても苦渋の選択であることをご理解いただきたいと存じます。なお、この件に関する詳細は、ヘレン・ケラー記念音楽コンクール事務局(電話03-3200-0525)宛お問い合わせください。
日本政府の新型コロナ対策は諸外国に比べて生ぬるく、スピード感もなくアナログであるとこれまでさんざん叩かれてきました。しかし、ロックダウン(都市封鎖)をしなくても、PCR検査を大量に行わなくとも、プライバシー保護に問題のある「接触追跡アプリ」を使わなくともとにかく欧米と比べると被害を極めて小さく抑え込んでいるので、一応の評価をしてもいいのではないでしょうか。海外メディアから「不可解」などと言われているとしてもです。
日本では諸外国のように違反者に罰則を伴う外出禁止など私権制限を伴うロックダウンや外出禁止令等の法律は出せないということが、繰り返し報道されました。私たちもこれを周知の事実として受け止め、危機感を持って政府の自粛要請に、精一杯応えたのではなかったのでしょうか?
しかし、こんな国は例外であることも肝に銘じたいものです。我が国以外では、警察や軍隊が全面に出て「カーフュー(curfew)」と呼ばれる外出禁止令が出ることがあることもこの際、憶えておきたいものです。
私はネパールとミャンマー滞在中に「カーフュー」が出たことがあり、これを破ると治安部隊に殺されることがあることを、恐怖とともに身に染みたことがありました。(福山博)