THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2019年7月号

第50巻7号(通巻第590号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:奥村博史
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:「差別」と「差別化」の研究 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
お知らせ ヘレン・ケラー記念音楽コンクール出場者募集 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
(特別寄稿)南太平洋地域でリーダーを目指すサモアのアリさん ・・・・・・・・・・・・・
6
日盲連は古いモデルから脱皮できるか? ― 灼熱の札幌大会より ・・・・・・・・・・
12
読書人のおしゃべり 『いま、絶望している君たちへ』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
22
鳥の目、虫の目 外国語の我田引水 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
26
(短期集中連載)点字改革の試み (3)どうなる?令和の点字 ・・・・・・・・・・・・・・
30
(新連載)しげじいハワイに行く (1)ハワイ島のコーヒー農園へ ・・・・・・・・・・・・・
35
盲教育140年 (16)戦後の復興に立ち上がる盲教育界 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
40
自分が変わること (121)自分の心はラジオの声 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
45
リレーエッセイ:小度里子さんの障害者差別及び虐待の被害救済のために  ・・・
50
アフターセブン(52)大食漢の健康法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
  (203)映像は必ずしも真実を映し出すとは限らない ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
59
時代の風:ミニ肝臓で病気再現に成功、大腸がんを腸内細菌で早期診断、
  休眠状態の卵母細胞培養に成功、すい臓がん治療で手術前に
  抗がん剤使用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63
伝言板:大学門戸開放70周年記念事業、視覚障害者教養講座、
  NHK障害福祉賞、詠進歌来年のお題は「望」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
「差別」と「差別化」の研究

 日盲連札幌大会のあはき協議会代議員会で、事業計画に対する質問で「無免許者の差別化と書いてあるが、『差別』という言葉に引っかかる。無資格者との『判別』くらいが穏当ではないか?」と質問があった。これに対して執行部は、「以前は『区別』という言葉を使っていたが、厚労省が『差別化』という言葉を使っているので、それを踏襲してきた」と回答していた。
 差別には「区別すること」という意味もあるが、一般に「正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと」という意味で使われることが多い。たとえば、日盲連札幌大会の評議員会を『点字毎日』も『視覚障害』も本誌も取材が許されず、ただ、『北海道新聞』だけが取材して報道していたが、これなどは絵に描いたような差別である(本誌12ページ参照)。そこで、センシティブな言葉としての「差別」に日盲連大会で引っかかった人がいたのはある種救いというべきかも知れない。
 だが、無免許者と免許者では、本来天と地ほど違うものである。タクシー運転手は「普通第二種運転免許」を持っていることが前提であり、「無免許タクシー運転手」というのはあり得ない。同様に「無免許マッサージ師」というのも、本来はあり得ない職業のはずだ。厚労省としても厳しく取り締まりたいが、それができないもどかしさがあり、有資格者と「区別する」程度ではなく、もっと強い言葉で非難し、明確に区別したいので、「差別化」という言葉を使っているのだと思われる。
 「差別化」とは「他との違いを明確にして、独自性を積極的に示すこと」という意味であると手持ちの『広辞苑(第5版)』(1998年発行)には書いてあり「他社製品との差別化を図る」が例示されている。しかし、『広辞苑(第4版)』に「差別化」は示されていないので比較的新しい言葉で、新聞を検索してみると、1970年代後半から使われはじめた経営用語のようだった。
 この定義であれば、あはき有資格者が、無免許者を「差別化」するのは至極当然のことのように思われる。(福山博)

●読書人のおしゃべり
『いま、絶望している君たちへ』

 勉強にしろスポーツにしろ、才能の程度に差はあれど、人は努力次第でどこまでも上を目指すことができる。成功の喜びや失敗の悔しさは、努力の数が多ければ多いほど大きくなるし、その感情をバネに、高みを目指して研鑽を積んでいく。そんな努力のサイクルを、ある日突然断ち切られてしまったら、自分は立ち上がることができるだろうか。
 「努力してなんとかなる世界から、はじきだされてしまった」絶望から立ち上がり、パラリンピック柔道家、障害者雇用コンサルタントとして活躍する人がいる。それが『いま、絶望している君たちへ』(日本経済新聞出版社、1,400円<税別>)の著者・初瀬勇輔氏だ。
 初瀬氏は、1980年に長崎県佐世保市で生まれた。中高一貫の進学校に通い、6年間柔道部に在籍。卒業後は、弁護士を目指して中央大学法学部へ進学する。
 緑内障を患って両目の中心部分の視野を失ったのは、司法試験合格へ向け、いっそう勉強に打ち込もうと意気込んでいた矢先だった。未来を奪われたように感じ、「死んだほうがましだ」と絶望する。そんな彼に母親がかけた言葉は、ぜひ本書で確認してもらいたい。同じことを言ってくれる人が、果たして身近にいるだろうかと、思わず読み進める手を止めてしまった。
 母の言葉にとりあえず1年、死ぬことは先延ばししたものの、できないことを誰かに頼み、すみませんとお願いしますを繰り返す毎日で、次第に「できないことは、悩んでも仕方がない」と考えるようになる。筆者はこれを「『ポジティブにあきらめていく』過程」と表現している。その分、くやしいと感じることすらなくなってしまうが、おかげで1年後には死ぬほどのことではないと思えるまで回復した。健全な状態ではなかったが、そうでなければ心がもたなかったのだ。
 そんな状態から本格的に蘇らせてくれたのが、視覚障害者柔道だ。
 健常者同士の柔道とは違い、視覚障害者柔道は組んでからスタートする。逆に言えば、それさえ守れば健常者と視覚障害者が対等に戦えるということだ。何をやっても健常者より劣っていると感じ、あきらめてばかりでくやしいとすら思わなくなっていたが、畳の上では勝負ができる。そのまま全日本視覚障害者柔道大会、世界選手権、フェスピック競技大会(現・アジアパラ競技大会)、そして2008年の北京パラリンピックに出場する。中学・高校と続けていた柔道をもう1度やってみようと志しただけで、取り巻く環境が激変してしまった。自分から積極的に動くことの意味を、体験を持って理解した瞬間だった。
 名のある進学校出身の、中央大学法学部に在籍する、視覚障害者柔道の全日本覇者。こんな経歴の人が新卒として採用試験に応募してきたら、採る・採らないは別として、話くらいは聞いてみたいと思わないだろうか。どうやら2006年当時の企業は、どこもそうとは考えられなかったらしい。初瀬氏は、就職活動で100以上の企業に、書類選考で落とされている。その理由を彼は、「すべてのことが少しずつできない」からだと推測する。他の障害に比べ、できることとできないことの範囲が曖昧で、常に誰かをつけておく必要があるのかと企業側が及び腰になるのだ。最終的に、人材派遣会社の特例子会社に就職するが、この経験から「障害者のための仕事は自分で作り出すしかない」という考えが生まれた。
 起業のきっかけは、2011年3月。東日本大震災だった。未来を奪われてしまった人がたくさんいる。今日が穏やかに終わっても、明日も同じとは限らない。自分だって突然、視力を失ったじゃないか。当時の絶望を震災をきっかけに思い出し、やりたいことは全部やろうと、30歳という節目の年だったこともあり、起業を決意。現在は株式会社ユニバーサルデザイン代表取締役として、人材紹介やコンサルティング、講演会などへのキャスティングを行っている。
 両目の中心視野とともに「くやしい」という感情も失くしていた初瀬氏だが、「もう1度柔道をやってみよう」と飛び込んだ結果、自分の世界を変えた。「障害者雇用のコンサルティングをやりたい」という思いを、起業することによって形にした。行動するその1歩目が踏み出せれば、変化は必ずおとずれるのだ。(菊池惟菜)

●鳥の目、虫の目
外国語の我田引水

 南ネパールの中心都市人口28万人のバラトプル市はネパールで4番目に大きい都市で、観光地であるチトワン国立公園を控えて、近年急成長している。
 バラトプル空港近くの大通に面した高台にあるロイヤル・センチュリー・ホテルは、交通の要所にあるのでよく泊まる。このホテルのすぐ近くに、「バート・バテニ・スーパーストア」が偉容を誇っている。
 1984年にミン・B・グルン氏が夫人と従業員一人を雇って始めた小さな食料品店として創業以来、急成長したバート・バテニは、現在、カトマンズの8店舗をはじめネパール全土に15店舗、4,500人のフルタイム従業員が働くネパール最大の小売業者である。
 カトマンズには他にも百貨店やショッピングモールはあるが、地方都市に5階建の巨大スーパーストアがあり、外貨両替もできて、電光掲示板に日本円のレートも表示されておりビックリした。中に入ると食料品から日用品・雑貨、衣類、オモチャ、家電、家具まで揃っており、多くの客がエレベータやエスカレータを使って上り下りしていた。
 明治時代に漢学の素養を身につけていた西周や福沢諭吉らの啓蒙思想家は、西洋語を音訳でなく翻訳語として、「哲学、芸術、科学、技術、演説、西洋、自由、社会・・・」など夥しい学術語を考案した。そのときの遺伝子が日本人には脈々と受け継がれているのか、その後も例えば英語を日本語に取り込むときに、素直に音訳しないで、日本人の腑に落ちるようにねじ曲げる癖がある。
 例えば「ナイト・ゲーム」を「ナイター」という風になにやら和製英語としてでっち上げる。極めつけは、英語では「稚拙で愚か」な意である「ナイーブ」を、日本語では「繊細・純粋」という良い意味に変えたり、パイナップルをこともあろうにパイン(松かさ)と略して店頭に表示するなど、その例は枚挙に暇がない。これは英語を借りて日本語化してしまう行為である。同じルールであるはずなのに評論家が「ベースボール」と「野球」は違うというのも、何やら通じるものがあるのかも知れない。
 一方、ネパールでは英語をそのまま、ダイレクトに、それも多くの場合、クイーンズイングリッシュで導入した。このためトウモロコシを「コーン」ではなく「メイズ」と呼び、「コーン」は穀物全般を指し、「ガソリン」は「ペトロール」と呼ぶが、英国式と米国式の違いはあっても、正しい英語で、和製英語のようないい加減さは微塵もない。
 バート・バテニのホームページを見ると、ロゴマークには「バート・バテニ・スーパーマーケット&デパートメントストア(百貨店)」と書いてある。しかし、バラトプル店の看板には「バート・バテニ・スーパーストア」と書いて、使い分けている。
 スーパーマーケットとスーパーストアはほぼ同じ営業形態で、どちらも食料品から日用品・雑貨、衣類まで販売する。ただ、スーパーマーケットの主力商品は生鮮食料品を含む食品であるが、一方のスーパーストアは食料品も売っているが、それは必ずしも主力商品ではない。
 西友の親会社であるウォルマートを、日本では米国最大のスーパーマーケットと紹介しているが、実際はスーパーストアのカテゴリーに入る。このため同社は西友を傘下におくまで生鮮食料品の管理ノウハウを持っていなかった。
 ネパール人も含めて、多くの人々が「日本人は几帳面で、ネパール人はいい加減」と考えている。しかし、外国語(文化)の導入に関しては完全に逆転しており、日本ほど換骨奪胎して「いい加減」に導入して、我田引水している国はないであろう。
 これは遣隋使・遣唐使のいにしえより、無条件に輸入するのではなく取捨選択して、必要とあらば中国の皇帝が激怒しようとも「天皇」と称し、宦官や科挙の制度を頑として受け付けなかったプラグマティズム(実利・現実主義)によるところが大きいと思われる。
 このように私たちが外国語を苦手とする要因は1400年前にさかのぼることができ、その基礎の上に日本の絢爛たる文化が花咲いたのであった。
 その日本文化の基礎は日本語である。日本人にとって知識の源泉は国語であるはずだが、それをないがしろにして、小学校から英語に現を抜かしていれば日本の将来はまことに危ういといわざるを得ない。(福山博)

編集ログ

 新聞には「社説」(『産経新聞』と『しんぶん赤旗』は「主張」)という社論の中核を成す論説記事があり、時事のさまざまな問題に対して、毎朝、その新聞社としての意見や主張を掲載します。小誌5月号で紹介した毎日新聞佐木理人記者がこの4月1日付で抜擢された論説室は、その社説を執筆する部署です。
 このため新聞社によっては、それがたとえ社外の署名原稿であっても自社の社論に合致するようなものでなければ、頑なに掲載しない新聞もあります。一方、『毎日新聞』のように、自社の記者が書いた「社論と正反対のオピニオン」をも堂々と本紙に掲載する新聞もあります。新聞も多様であるべきですが、「言論の自由」という見地からすると後者の方針が常道であることは疑いありません。社論に合う記事を選ぶという行為は、検閲もしくは事前抑制に似たおぞましい作業に思えます。
 小誌も日本最古の大新聞のひそみにならい、編集長や発行人の見解と異なる意見でも掲載することを厭わないばかりか、あえて掲載する道を選びたいと考えております。
 ただその場合、えてして「そのオピニオンに共感して掲載したに違いない、そうでなければ掲載しないはずだ」という思い込みで、「こんな記事を掲載するとはどういう了見だ。見識を疑う」などといった読者の反感を買うことがあります。
 言論の自由の原則とは、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」ということです。そして、それに反論があれば「それを表明する場を提供します」というのが小誌のスタンスです。
 本誌では署名原稿を原則としているので、何月号の○○氏が書いた記事に反論があるとか、異論があれば下記の要領で投稿していただければ幸いです。

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