THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2019年6月号

第50巻6号(通巻第589号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:馬塲敬二
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:譲位・改元に沸いた2019年春 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
(インタビュー)日本語を日本で学ぶ壁 失明から広がったケイトリンの世界 ・・・
5
(特別寄稿)クーヴレ村のルイ・ブライユとわたし ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
12
読書人のおしゃべり 太平洋横断に再挑戦 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
19
音声ナビ・プロジェクト立ち上げ記念講演会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
22
スモールトーク 昭和から平成へ改元の頃に、クヨクヨ思い煩ったこと ・・・・・・・・
24
(短期集中連載)点字改革の試み (2)点訳指導方針の見直し ・・・・・・・・・・・・・
29
しげじいの利尻・礼文ツアー (8・最終回)旅の終りに礼文観光 ・・・・・・・・・・・・・
34
盲教育140年 (15)戦時下の盲教育 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
41
自分が変わること (120)思春期に出会ったもう一つの人格 ・・・・・・・・・・・・・・・
46
リレーエッセイ:ファイナルリアリティ  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
51
アフターセブン(51)ヘラクレス・ヘラクレスを卵から育てる ・・・・・・・・・・・・・・・・・
56
大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
  (202)最初で最後!?行司の引退相撲 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
60
時代の風:甘味を伝える神経細胞発見、たんぱく質が脳の神経細胞減少に関係、
  がん治療薬の効果をスパコンで予測 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
64
伝言板:チャレンジ賞・サフラン賞募集、川島昭恵語りライブ、
  IT講習会、劇団民藝公演 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
譲位・改元に沸いた2019年春

 昭和から平成へ改元された頃、わが国には陰々滅々たる空気が漂っていた。昭和天皇の容体が急変してから最後の3カ月余は、日本全体が一種異様な自粛ムードで、昭和63年の忘年会と翌昭和64年の新年会はほとんど行われず、巷では腹立ち紛れに「陛下はすでに亡くなっているのではないか?」との噂が流れた。そして、1月7日早朝に昭和天皇の崩御が伝えられると、「やっぱり!」という不謹慎な声も聞かれたが、テレビ局が申し合わせて歌・ドラマ・クイズ番組をすべて中止し、それから2日間CM抜きの特番が放送された。
 一方、平成は軽やかな空気の中で幕を閉じた。平成31年4月30日の退位礼正殿の儀で、天皇陛下が「即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します」と、述べられた。
 それを聞いて私は、後に「平成の玉音放送」と呼ばれる平成28年8月8日午後3時に各テレビ局で一斉に放送された、天皇陛下の「象徴としてのお務めについてのおことば」と題したビデオメッセージを思い出した。11分のお言葉で退位の意向が示唆されたことを受け、各新聞社が行なった世論調査で、生前退位に賛成・容認が「91%」(朝日)、「84%」(毎日)、「81%」(読売)に達し、国民の圧倒的多数が高齢の天皇の思いを受けとめて法改正を求めていることがわかり、今回の譲位に繋がった。
 かくして、202年ぶりの譲位による改元で令和の幕があけたのだが、10連休が伴ったこともあり、ある種の祝祭の空気の中でめでたく執り行われたことは慶賀にたえない。
 これを機会に、上皇陛下の思し召しどおり、明治20(1887)年3月20日高輪会議で当時内閣総理大臣であった伊藤博文が異を唱え、皇室典範原案から削除された譲位に関する規定を改めて盛り込むべきではないだろうか。(福山博)

●スモールトーク
昭和から平成へ改元の頃に、クヨクヨ思い煩ったこと

ニューヨークにて

 「天皇裕仁のご容態はどうなの?」と英語で聞かれて耳を疑った。昭和63(1988)年10月10日、ジョン・F・ケネディ国際空港の入国カウンターでのことである。
 僕の前に並んでいたフランスのパスポートを持った中年の男性は別室に連れて行かれたので、動揺していたところにこの質問である。まだ冷戦中だったので入国審査は厳しく、日本人もビザが必要だった。
 入管で聞かれそうな、旅の目的とか、滞在日数、宿泊先などは完璧に予習してきたが、その中にこの質問はなかった。しどろもどろになりながら、「よくは知らないけれど、とてもシリアスなようです。どうもありがとうございます」と言ったら、あっさり入国スタンプを押してくれた。
 それまでにも中国や香港には行っていたが、たった独りでしかも初めて仕事での渡航先がこのニューヨークだった。
 空港では全盲のジャズピアニスト加納洋氏が待っているはずだったが、何度見回しても見つからず途方に暮れた。
 今のように携帯電話はないので、公衆電話を探してかけると呼び出し音だけが鳴った。そこで僕は彼は空港に間違いなくいると確信した。
 すると空港内を巡回中の警官に出合った。そこで「白杖を持った日本人の盲人を見なかったか?」と尋ねると、「見ていないが、どうしたんだ?」と聞く。そこで、「僕は東京から今、ニューヨークに着いたばかりである。空港には盲人である友人が、僕をピックアップするために待っているはずなんだが、会えないんだ」と言った。するとその警官は、「お前の英語は間違っている。東京から今日、お前の全盲の友人がニューヨークに着いた。それでお前が迎えにきた」と訂正して行ってしまった。
 ブロークンではあっても僕の英語は間違っていない。しかし、「盲人に迎えにきてもらうのは非常識なのか?」とクヨクヨした。
 次に案内所に行って、言われるまま申請書を書き、呼び出し放送を頼んだ。するとしばらくして「キャノー」「キャノー」とのアナウンスが流れ、「これじゃ駄目だ。わかるわけがない」と天を仰いだ。
 宿は今はなきクィーンズ・ライトハウスに加納氏が特別に頼んでくれていたので、めちゃくちゃ安いこととニューヨーク市クィーンズ区にあることは知っていたが、それ以外は知らなかった。正確な住所くらい聞いておくべきだった。これからどうしたらいいんだろうと、僕はクヨクヨ思い煩った。
 するとしばらくして、「フッキャーマ」「フッキャーマ」という呼び出し放送が聞こえた。僕は「もしかして」と思ってくだんの案内所に飛んで行った。するとそこに加納氏がいて、「あのアナウンスでよくわかったね」と言って、豪快に笑った。

カトマンズにて

 そんなアメリカの旅から帰った年末、職場で全盲の上司に突然呼ばれて「パスポートを持っているか。来週、櫻井安右衛門理事長のお供でネパールに行ってくれ」と言われた。
 「自分ひとりなら何とでもなりますが、通訳なんてできませんよ」というと、「理事長はILOに務めておられたから、英語、ドイツ語、フランス語はペラペラだ。それにあんた以外にパスポートを持っとらんよ。行ってくれ」と言われた。ところが、天皇陛下のご容態の悪化を理由に、この年末のネパール行は延期された。
 翌年の昭和64(1989)年1月7日、昭和天皇が崩御された。そこで改元が行われ平成元(1989)年2月24日に「大喪の礼」が行われ、91歳の櫻井理事長は戦前の栃木県知事を務めた内務官僚であったため、これに参列された。そこでネパールへは同年の2月28日出発となった。
 国営ロイヤルネパール航空は香港で6時間も遅延し、理事長からは様々な話を聞いた。戦前に香港経由の汽船でフランスに行き居を構え、毎朝自家用車でスイスジュネーブのILO帝国事務所に通ったこと。戦争が勃発し、シベリア鉄道で帰国したこと。そして「ベルリンの壁をまだ見ていないので見てみたいものだ」などなど。
 こうしてカトマンズ到着は深夜となり、しかも当時のターミナルは巨大な倉庫を思わせる薄汚れた建物で、そこに勝手に入り込んだポーターが、街角のホームレスのように通路に寝込んでいたり、荷物の取り合いをしており混沌としていた。
 そして、業務命令とはいえ、「なんでこんな国に来てしまったのだろう」と、クヨクヨ思い煩ったのであった。
 当時のネパール盲人福祉協会(NAWB)は、ホコリまみれの廃寺そのものに浮浪者とその家族が住み着いているように見えた。しかし、知らないとは恐ろしいことで、これはとんだ失礼な話であった。NAWBがその伽藍の多くを借りていたとはいえ、ここはゴパール寺という歴としたヒンドゥ寺院で、浮浪者に見えたのはこの寺の僧侶とその家族だった。
 ヒンドゥー教におけるヨーガの実践者や放浪する修行者を「サドゥー」と呼ぶが、このとき僕はサドゥーと僧侶とホームレスを見分けることさえできなかった。そして洗練された観光地であるポカラ以外のネパールに対する印象は最悪だった。
 この国には2度とこないからと、空港で見送りにきたNAWBの事務局長に余ったネパールルピーをすべて寄附した。
 この年の夏、理事長はパッケージツアーに一人で参加して、ベルリンの壁を見て来たと話された。そして、同年11月9日あっけなくベルリンの壁は崩れ、12月には冷戦の終結が宣言された。
 僕は、翌年もネパール出張を命じられ、結局、平成の御代に32回も訪問することになった。(福山博)

編集ログ

 今号の「点字改革の試み」で、水谷昌史さんが「『点字表記辞典』と点訳ナビゲーターもこのたびの表記法改定にあわせて修正されていると聞いている」と述べながら、「触読者に評判の悪い言葉」として「ヨーチ□エンジ、ミソ□ラーメン、クルマ□イス」を例に挙げておられます。点訳ナビゲーターは5月9日の段階では仰る通りでしたが、視覚障害者支援総合センターから今年の3月に発行された『点字表記辞典 第7版』ではこれらは切れていませんでした。また、本誌2018年2月号「点字ユーザーの触読感覚を大切に」で田中徹二さん(日本点字図書館理事長)がやり玉にあげていたもののうち、「手前味噌、屠蘇気分、土地訛、胡麻油、語呂合わせ、義理知らず、詐欺紛い、暑気あたり」は田中さんの希望通り一続きになっています。しかし、それもそのはずで、同辞典編集委員会の委員長は田中さんです。また、本誌2019年4月号「リレーエッセイ」で佐賀善司さんがやり玉にあげていたカシ□パンも、同辞典では「カシパン」になっていました。
 見出し語が「第6版」より70語増の約7,700語、語例は400語増の約16,300語が収録されている『点字表記辞典 第7版』の墨字版は税込価格4,104円(本体価格3,800円)で、送料は1冊300円です。同点字版(全4巻)は2万2,000円で、価格差補償で求められます。詳しくは視覚障害者支援総合センター電話03-5310-5051へお問い合わせください。
 この春の点字表記法の改訂に伴い、『点字ジャーナル』も次号の7月号(6月25日発行)から点字表記を『日本点字表記法 2018年版』に準拠するようになります。
 お楽しみいただいた「しげじいの利尻・礼文ツアー」は今月号で終わり、来月からは新連載として「しげじいのハワイ旅行」(仮題)がスタートします。(福山博)

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