THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2019年5月号

第50巻5号(通巻第588号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:馬塲敬二
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:「令和」は翻訳できない ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
アイフォーン出前講師井上直也さんに聞く ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
ビー・マイ・アイズ、視覚障碍者のために開発されたアプリと、
  そこから見えてくる社会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
16
(短期集中連載)点字改革の試み (1)「点毎」が表記の見直し ・・・・・・・・・・・・・
21
(インタビュー)ホーム転落を原点にユニバーサル社会を!
  ― 論説委員を兼務する全盲記者の挑戦 ― ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
26
しげじいの利尻・礼文ツアー (7)桃岩荘へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
34
盲教育140年 (14)就学の義務制と盲・聾分離の要求 その2 ・・・・・・・・・・・・・・・
39
自分が変わること (119)親から子に何かが伝わる、どうしようもなさ ・・・・・・・・・
44
リレーエッセイ:改元と私の人生  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
49
アフターセブン(50)演じる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
  (201)新大関が前例のないやり方でさらに上を目指す ・・・・・・・・・・・・・・・・
59
時代の風:ゲノム編集で遺伝子を修正、カルシウム濃度の低下で認知症に、
  脊髄損傷を薬で改善、細胞シートで肝硬変を抑制 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63
伝言板:かわさき春のコンサート、日点協「春の研修会」、
  オンキヨー点字作文コンクール、「からおけ春光」2周年キャンペーン ・・・・・
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
「令和」は翻訳できない

 萩原朔太郎は「詩の翻訳について」で、「堀口大學君は、仏蘭西語の訳詩者として定評がある。ところで堀口君の訳した詩は、ヱルレーヌでも、シモンズでも、コクトオでも、すべてみな堀口君自身の詩であつて、どれを読んでも、一つの同じ堀口的スタイル、一つの同じ堀口的抒情詩の変化に過ぎない」と述べ、詩歌の翻訳は不可能であると結論づけている。その翻訳の不可能を例証する材料をわが外務省がこのたび拵えてくれた。
 「平成」は「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味で、外国人記者も容易にその意味を理解できた。しかし、万葉集の「巻5 梅花の歌32首の序文」は漢詩であり、日本語が流暢な外国人記者も頭をかかえ、「令」を「命令、秩序など」と訳す外国メディアもあった。
 そこで外務省は「令和」を、「ビューティフル・ハーモニー」と英訳したのである。はたして令和とは「美しいハーモニー」という意味なのだろうか。これではできの悪い中学生の和文英訳である。なにやらReiwaが、この春期待の女性コーラスグループのような気がするではないか。
 一方、安倍晋三首相は、新元号について記者会見の席上で、「人々が美しく、心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味」と説明したが、外務省はなぜこれを英訳して広報しないのだろうか?
 『万葉集』は、天皇や貴族から防人や大道芸人までさまざまな身分の人々が詠んだ歌4,500首以上を集めた日本に現存する最古の和歌集であるところに大きな意味がある。
 外務省は、平成に代わる新元号「令和」について外国政府に英語で説明する際、上記、安倍首相の格調高い説明ではなく、あまりに稚拙な「ビューティフル・ハーモニー=美しい調和」という趣旨だと伝えるよう在外公館に指示したという。
 「令和」を、品格のない「ビューティフル・ハーモニー」などと説明したら、中国外交部などに嗤われはしないだろうか。
 野党は意味のない揚げ足取りばかりしていないで、このような外務省の国辱的ナイーブさこそ国会で徹底追及すべきではないか。(福山博)

●アイフォーン出前講師井上直也さんに聞く

 先月号でインタビューした米国シアトル在住の田中恵さんの強力な推薦で、2月21日(木)午後3時半から当点字出版所に井上直也さん(35歳)を招いて、アイフォーンとの出会い、その魅力についてうかがった。聞き手は本誌編集長福山博、構成は本誌編集部戸塚辰永。

営業マンからの転職

 井上直也さんは、昭和58年(1983)9月12日東京都青梅市で生れた。地元の小・中学校を卒業し、国立市にある都立第5商業高等学校に進学。同校を卒業し、保険会社の経理として就職した後、ハウス・メーカーの営業マンに転職した。
 勤務先が新宿だったので、酒を飲みに行って最後にたどり着くのはいつも歌舞伎町。ちょうど営業成績が伸び悩んでいた頃、ハウツー本を読み漁り頭を抱えており、飲み歩いた先で、長年歌舞伎町の飲食店で働いていた店長と出会った。店長の話しっぷりはまるで営業のハウツー本そのもので、すっかり心酔してバー通いは連日となった。
 「あまりに楽しくて、いつしか営業のスキルを磨くはずが会社を辞めて、バーテンダーとして、その店で働くようになったんです」と井上さんは笑う。
 バーテンダーとしての仕事が忙しい28歳の頃、両眼に異常が発生。周りの景色がぼんやりと見えるようになったのだ。街の眼科に行くと、白内障だと診断され、両眼の手術を受けた。すると両眼共に、以前のようにくっきりと見えるようになった。だが、当時それが病気の始まりとは思わなかった。
 31歳頃、右眼にだんだんもやが見えてきた。「きっとまたすぐに治るだろう。その内仕事が落ち着いたら、病院に行こう」と思って、そのまま放置した。
 そしてのんびり病院に行ったら、右眼が網膜剥離で失明の宣告を受けた。医師から「失明したら手術なんてないよ」と言われ、落ち込んだ。そんな時に、片眼失明者友の会の存在を知り、様々な情報の提供で助けてもらった。とはいえ右眼は視力0だったが、左眼は1.0あり車の運転もできたし、少し不自由はあったもののお酌もでき、何とか仕事もできた。
 ところが、それから半年後、今度は左眼に異変が出た。信じられないことにまたもや網膜剥離だった。
 とにかくいい病院で治療を受けたいと思い、地元青梅市が選挙区で時々声を交わすことがあった井上信治衆議院議員に相談した。すると「眼で困っているなら、弟が眼科医で院長だから、井上眼科病院へ行ってみては」と薦められた。
 井上眼科病院は、東京・お茶の水にある関東一の眼科病院としてつとに知られている。そこで、彼は2年間に13回も網膜剥離の手術を受けたのだった。
 「手術を受けると、少し見えるようになって、1歩前進するんです。でも、剥離をおこすと2歩後退する感じでした」と彼は入院生活を振り返った。
 仕事もほとんどできなくなり、伝票の文字が識別できなくなって、飲食業の仕事を止めた。弱視になって派遣会社に勤め、研修講師の仕事をした。

救いの手

 入院中洗面台の鏡に映った自分の顔がかろうじて識別できる頃、以前から使っていたアイフォーンがしゃべるということをネットで知った。彼は画面を最大にし、最高の明るさにしてアイフォーンにかじりついて情報を得ようとした。設定を変えれば画面を読み上げるヴォイスオーバー機能があることを知り、3か月間毎日ベッドの上でアイフォーンを触り続けて何とか電話やメールやネットといった最低限の操作ができるまでになった。2014年の夏だった。
 「その時、全盲になっちゃうのかなという危機感があったんです。仕事がなくなってしまうことと、ケータイが使えなくなると、友達が離れて行ってしまい、人としての活動ができなくなってしまうと深刻に思ったんです」。こうしてアイフォーンは、井上さんにとって一筋の光明となり、心の支えとなった。

三宅先生との出会い

 そうこうしているうちに、彼は視覚障害を乗り越えて働く、働き続けることを目標として設立された団体であるタートルの会に出入りするようになった。そして2015年1月のある日、彼の運命を変えた出会いがあった。当時、東京医科大学のロービジョン外来でアイパッドを用いてメガネの役割をするよう操作方法を教えていた三宅琢医師との出会いだった。
 「アイパッドは、弱視の人は画面拡大で使いましょう。全盲の人は音声読み上げで使いましょう」と言う三宅先生の話を聞いて、自分のやってきたことが間違いではなかったと腑に落ちた。
 タートルの会のメンバーから「三宅先生の話をもっと聞きたいなら、東大の先端研でGラウンジという当事者の集まりが2日後にあるから行かないか?」と誘われたので、二つ返事で承諾した。
 Gラウンジで一番衝撃を受けたのは、「視覚障害者が会社で最も能力を発揮できるのは社長だ」という言葉だった。その当時、彼は就労準備に向けて、国立障害者リハビリテーションセンターへ行くか、日本盲人職能開発センターへ行くかで迷っていた。
 親しい友達から、「3か月もかけてアイフォーンの操作をあんなに頑張って習得したのだから、同じように眼が見えなくなってきている人たちに教える仕事をしたら」と薦められた。
 これが生業になるかと思いつつも、翌月の2月から出張でアイフォーンの操作法を視覚障害者に自宅や、喫茶店、カラオケボックスなどで教える出前授業を始めた。
 授業料は現在も変わらず、2時間2,500円、出張費30分あたり500円、交通費込みで、井上さんの自宅のある青梅から東京23区内なら、1回の授業が5,000円弱で受けられる。もちろん青梅駅前の井上さんの自宅に行けば、授業料のみで済む。
 2015年9月、13回目の手術を受け全盲となった彼は、マッサージではなくて、アイフォーンを教えて食べて行くことに腹をくくり、同月30日に、任意団体MDSiを創立した。
 MDSiとは、マインド・デジタル・サポーターズの頭文字をとったもので、iは、英語の「アイ」(眼)と井上のiのイニシャルからとったものだという。全く眼が見えなくなった自分でも、心の眼、機械の眼、支援者の眼が活用できると彼は感じた。アイフォーンを教える仕事は、どうしても機械操作に重点がかかりがちだが、機械操作だけができてもそれだけではだめで、コミュニケーション技術を磨いて欲しいとそちらにも注力する。
 授業は、マンツーマンで教えるのが基本。だが、スマホを使っているガイドヘルパー、家族、ボランティアが10人いれば、井上さん一人で視覚障害者10人にアイフォーンの基本的な操作法を教えられると胸を張る。

神戸アイセンターでの活動

 昨年からは、毎月第2・第4火曜日に、黄斑変性症の患者にiPS細胞の移植治療を行うなど眼科医療の最先端拠点である神戸アイセンター病院の1階にあるビジョンパークで、アイパッドの操作法を主に患者に教えている。人気もあって、本当はもっと時間をとって教えたいところだが、一人30分のコースが予約でうまっている。
 「ただの福祉相談では、誰も見向きもせず通り過ぎてしまうでしょう。その点アイパッドがあれば、それに興味を持って立ち止まって座ってくれるのです。そうしたら、しめたものです」と彼は語る。
 患者の中には、網膜色素変性症の人も多く、いつ眼が見えなくなってしまうかという不安に苛まれている。医師から「そろそろ身体障害者手帳をとっては?」と言われ、本人もそう自覚しているのだが、手帳をもらうことで障害者の烙印を押されたと感じてしまい、手帳を持つことに抵抗感がある。そうした時に、井上さんに出会って身の上相談が始まる。同じような道を歩んできた彼には、患者さんの気持ちが手に取るようによく分る。
 「アイパッド教室なんですが、ピアカウンセリングをやっているようなものです。アイセンターのような眼科の単科病院でアイフォーンをきっかけに、本格的にピアカウンセリングをやってみたいです」と今後の希望を語った。

眼の代わりになるアプリ

 「極端なことを言えば、アイフォーンで電話ができなくても、メールができなくても、いいんです。眼の代わりになるような機器として使って欲しいのです」と井上さんは言う。
 それは、視覚障害当事者から、「アイフォーンは文字入力が難しくて、ガラケーに戻しちゃった」という声をよく聞くからだ。これに対して、最初から高い山を乗り越えようとするのではなく、眼の代わりになるアプリから始めるのがいい。「それがアイフォーンの良さを知ってもらう糸口に繋がる」と彼は勧める。
 手始めには、弱視だとカメラの拡大機能、全盲だとOCR(活字読み上げ)アプリが有効である。彼は、外出時には最低10文字メールが書ければ、たいていの用事が済むと言う。ただ、問題なのはその文字入力を熟知しているトレーナーが、彼が知る限り、国内では片手で余るほどしかいないことだ。
 視覚障害者向けアプリは、4、50以上あり、視覚障害者も使える一般向けアプリは無数にある。
 井上さん一押しのアプリは、「Be My Eyes」だ。このアプリは、インターネットを介したテレビ電話で、ボランティア登録している第3者に繋がり、アイフォーンのカメラを知りたいものに向けると、ボランティアの眼に入った情報を声で伝えてくれるというもので無料で使える。
 「パソコンが読み上げなくなった時に教えてもらったり、外出中に『2つ目の角で曲がりたいんだけど、2つ目の角に来たら教えて』というように使っているんです」。
 このアプリには、世界中で210万人ものボランティア登録者がいて、一人につき10人くらいの眼の代わりをしてくれるガイドがいるそうだ。
 もう一つのお役立ち無料アプリは、「ユーメニュー」だ。このアプリを開くと、大手外食チェーン店のメニューを読み上げてくれる。
 家族や友達と食事に行った際に、最初から最後までメニューを読んでもらい、自分が食べたいものが分らなくなってしまうことがある。不本意ながら「だったら、ラーメンでいいよ」と頼んでしまったり、家族同士で行くと、「何で忘れたの」と言われて時には口げんかにもなる。このアプリは、そんなときに、知りたいメニューを指でたどって行くことにより、音声で品書きを知らせてくれる。しかも、値段も分るので、お財布にも優しい。
 「私のリハビリの最大の目標は、一人で居酒屋へ行くことでした。このアプリのおかげでそれもかないました」と井上さんは満足そうに語った。
 カラオケが好きな人が中途失明し、歌詞を間違えて歌ってしまうことを心配し、カラオケから遠ざかっている人も少なくない。そんな人には、歌詞読み上げアプリもある。「けっこう若い子が歌詞読み上げアプリを上手に使ってカラオケを楽しんでいますよ」と言う。
 アイフォーンを使い始めると点字離れが進んでしまうとの声もあるが、井上さんは点字ができて、もう一つの眼の役割をするアイテムを入手できたと考えればいいと言う。点字と音声は共存して行かなければならないと彼は口を酸っぱくして述べた。
 この仕事をして4年。井上さんが教えた人は、東京都内で100人以上。神戸アイセンターでは、1年間でのべ68人が受講した。受講者も幅広く、小学校5年生から91歳の方まで、平均すると60代の中途失明者が多い。
 「今教えているおばあちゃんは、91歳の全盲の方で、最初の頃は元気がなかったんです。それがアイフォーンに出会って好きなクラシックを毎日楽しめるようになって、元気を取り戻しました。『こんなに悪いおもちゃを手に入れたら、認知症になっている暇がない』と言われるんです」と井上さんは笑う。
 井上さんの連絡先メールアドレスは、lv_i_supo@yahoo.co.jp、電話090-8776-0387。

編集ログ

 「巻頭コラム」に関連して、安倍首相の格調高い説明は、4月2日付の『ニューヨークタイムズ』でもAP電として紹介されており、新元号は「人々が美しく、心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」を暗示させると書いてありました。たしかに「令和」そのものの意味ではないので「暗示させる」程度が穏当でしょうね。
 ところで、この「暗示的説明」は、おそらく新元号「令和」の考案者が発案したものだと思われます。考案者は、万葉集研究の第一人者で、大阪女子大学長や京都市立芸大学長などを歴任した文化勲章受章者の中西進博士のようです。しかし、ご本人は「元号は中西進という世俗の人間が決めるようなものではなく、天の声で決まるもの。考案者なんているはずがない」とコメントしています(4月2日付『時事通信ニュース』)。
 私はこれを元号は古式にのっとって考えるべきで、西欧的合理主義で考えるべきではないと理解しましたが、皆さんはいかがでしょうか?
 いずれにしても、新元号に対しては、わが国ばかりでなく、社会主義国であるはずの中国をはじめ、欧米でも広く関心を持たれたのは予想外のことでした。これは、今上天皇の生前退位(譲位)であったためではないでしょうか。
 平成の改元は、1989年1月7日の昭和天皇崩御により、皇位が今上天皇に継承され、翌1月8日に元号が平成に改められたため、改元が皇位継承の一環としてとらえられ、今回ほどグローバルな話題になることはありませんでした。
 天皇制を明治以降の「近代天皇制」としてとらえるのではなく、古代から連綿と続く伝統的しきたりとして尊ぶべきものです。本間昭雄先生の「リレーエッセイ」における「悠久の風雪に耐え残ってきたものには、一見古くさく不便に見えようと、必ずそれなりの理由があるのだから、敬意を払い尊重すべきです」というご意見を重く感じました。(福山博)

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