12月20日の15時ごろ、能登半島沖の日本の排他的経済水域内を航行していた韓国海軍駆逐艦「広開土大王(クァンゲト・デワン)」が、海上自衛隊の哨戒機P-1に火器管制レーダーを照射したという問題で、防衛省は12月28日、哨戒機が撮影した当時の映像を公開した。13分7秒の映像には、レーダー照射を受けたとされる瞬間や、韓国軍艦艇への再三の呼びかけなど生々しいやりとりが収録されている。
これに対して、韓国も1月4日に4分26秒の反論動画を出してきたが、韓国側のオリジナル映像は1分足らずで、それ以外は日本の防衛省が公開したものを借用し、おどろおどろしいBGMをつけただけの不誠実なものだった。
週刊新潮ウエブ取材班が作成している新潮社のニュースサイト『デイリー新潮』(1月7日配信)によると、現役の海上自衛官も、怒りを通り越して呆れているようで、「『いつまで論争をやっているんだ』と、相手にするだけ無駄」という声が漏れているという。
あまりにその言い訳が馬鹿らしいので相手にしないというのは、個人レベルではあり得るが、国家レベルでは禁じ手であることを歴史が教えている。
日本人は問題が生じると島国根性で、できるだけ穏便に解決しようとするあまり早々と妥協を重ねて、誤ったメッセージを相手に送ることがよくある。そして、不誠実だとすぐに癇癪を起こすのである。公明正大に辛抱強く二枚腰で徹底的に付き合うという気概が弱いのだ。
昭和13年(1938)1月16日、近衛文麿首相は、「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」という和平交渉の打ち切りを宣言して日中戦争は泥沼に入り、ついには太平洋戦争を呼び込んだ。
ちなみにこの時は、多田駿参謀次長の交渉継続論と広田弘毅外務大臣らの打ち切り論が鋭く対立したが、参謀本部は政変を回避するため、交渉打ち切りに譲歩したのだった。(福山博)
アヘン戦争(1840〜42年)以来、香港に駐留していた英国軍が、中国人民解放軍と入れ替わるように完全撤退したのは、1997年6月30日のことだった。
それに先立つ1994年11月、私たちはネパール第2の都市ポカラからカトマンズに向かう途上で崖崩れに遭遇した。そして迂回路を辿ればカトマンズまで車で3日間を要すると言われた。しかし帰国便が迫っていたので、危険を承知で崖崩れでできた小山を乗り越えて反対側に回り、バス1台を格安でチャーターして、深夜にカトマンズの宿に帰ってきた。そのときバスに同乗した1人は、英国香港駐留軍のグルカ兵だと誇らしげに自己紹介した。
ネパールは薩英戦争(1863年8月15〜17日)が起こる約半世紀前に英国東インド会社と2度にわたる激しい戦いを行った。世に言うグルカ戦争(1814〜1816年)である。
「グルカ」とはネパール語の「ゴルカ」の英語訛りで、当時のネパール王国を支配していた王朝がゴルカ朝だったので英国はネパールのことを「グルカ」と呼んでいたのである。
そして、停戦条約が締結される際に、英国はネパール山岳民族特有の尚武の気性と白兵戦の優れた能力に目をつけ、ネパールの山岳民族が英国軍に志願することをネパール政府に認めさせた。
その後、英国の見立て通りインド大反乱(セポイの乱)、第一次・第二次世界大戦、フォークランド紛争等でもグルカ兵は大活躍する。日本盲人会連合の故・村谷昌弘元会長はインパール作戦で、ビルマ(現ミャンマー)に近いインド国境で失明されたが、その時進攻する日本軍と白兵戦を繰り広げて撃退したのもグルカ兵であった。その当時のグルカ旅団は十個連隊、補給部隊を含めると5万人を超えていたそうである。
現在の英国軍に在籍しているグルカ兵は約3500人に過ぎないので、余剰人員は紛争地帯などで活動する軍隊や企業相手に戦闘部隊の派遣を行う民間軍事会社で働いているという。ただし、規模が縮小されたとはいえ英国軍は今でもポカラなどで活発にリクルートを行っている。
こんなことを思い出したのは、自衛官が少子化や景気回復により応募者が集まらなくなっているため、昨年の10月からは自衛官の採用年齢の上限を26歳から32歳に引き上げ、自衛官の定年延長に向け最終調整に入ったと報道されたからだ。
外国人労働者の受け入れを拡大する入管法改正案の国会審議で、安倍晋三首相を始めとする政府首脳は、「移民政策を取る考えはない」と口を酸っぱくして述べていた。いったい誰に向かっての発言かと思えば、自民党の支持層である保守派の人々に対する甘言であったらしい。
わが国の政治家の弱点は、自分たちの強固な支持者に対しても、婉曲話法と方便を多用して、結果的に嘘をつくということである。国際的に合意された「移民」の定義が無いことをいいことに「移民」について詭弁を弄するのは卑怯というものである。移民について最も引用されている定義は、国際連合の国連統計委員会への国連事務総長報告書(1997年)に記載されているもので、「通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも12ヶ月間当該国に居住する人のこと」を言う。この定義に沿って、政府は入管法改正案が、移民政策かどうか語るべきであろう。
日本はいつのまにか約128万人の外国人が働く、ドイツ、米国、英国につぐ「世界4位の移民大国」になっているという事実に目をふさぐべきではない。現実に真摯に向き合わないで先送りにしていると、日本語が通じない、なし崩し的な移民が増えて、日本社会が大混乱すること請け合いである。
香港から英国軍が撤退する前に、グルカ兵を採用して欲しいと英国軍が自衛隊に持ちかけたら、けんもほろろに断られたと当時仄聞した。
ハードルが高いことはわかっているが、極端な意見だとあざ笑う前に、自衛隊にもグルカ旅団を編成できないか、今、真剣に検討すべきほど少子高齢化は進んでおり、待った無しの状態であることを認識すべきである。(福山博)
韓国政府が長年「1965年の日韓請求権協定で解決済み」としてきたため国際法に照らしてあり得ない元徴用工訴訟、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を実施するための日韓合意に基づいて、日本政府の資金拠出により設立され、支援事業を行う「和解・癒やし財団」の解散や韓国海軍によるレーダー照射問題などについて、現在、日韓両国政府による鞘当てが行われている。すると、必ずテレビでコメンテーターと呼ばれる文化人が問題の本質を推し量ること無く、「両国政府は頭を冷やして話し合うべき」などという、まったく浅はかでナイーブな意見を述べる。一見わかったようで、中立的態度を装うので放置されることが多い。しかしこのような理非を問わない「喧嘩両成敗」的態度は、結果的に常に非のある方に味方することになるので看過すべきではない。
なお、本来の喧嘩両成敗とは、「問題を起こしたら双方を処分する」のではなく、「問題を双方が武力を持って解決しようとしたら双方を処分する」ことへの戒めであるから、口喧嘩をも含めて、議論、交渉、話し合いはいかに激しくとも対象になることはない。
日本人はとかく「沈黙は金」とか、「不言実行」とか、「男は黙って・・・」とか、沈黙をありがたがる気風があるが、これは島国日本固有の極めて特異な美意識であって、海外ではまったく相手にされない論理である。議論していて、一方が黙ってしまったら、その時点で敗退が決まったも同然なのが国際常識である。その点、日本の防衛省の動画をぱくって、笑われようともとにかく反論動画を発表しようとする韓国の態度はお粗末といえどもグローバルな態度なのである。
私も個人間では基本的に罵るべきではないと思うが、国家間では手を出すよりも罵る方が100倍も賢明な方法なのだと考えている。(福山博)
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